カウンセリング理論 (全文)

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 カウンセリング理論

心の病・ストレス・無力感・モヤモヤ・鬱・躁について
あなたの苦しみはカウンセリングを受けなくても、もしかしたら治るかもしれません。
苦しみの背景と治癒へのアプローチを示しておきましたので、参考にして頂ければと思います。


プログラム
はじめに
 ・関わってはいけないカウンセラー
 ・信用できるカウンセラー
症状について
1.問題のある感覚のパターン
2.リラックスの重要性と最近の鬱病の傾向と対策
  良くなるためのキーワード
3.苦しみの原因と解決方法
  ①無意識が親(特に母親)に束縛されている
  ②人の目を気にしてしまう性格
  ③実現不可能な目標を掲げていることに気づいていない
  ④自分の喪失
  ⑤自分の能力の否定
  ⑥努力の放棄と無力感
  ⑦過去の喪失と記憶力の減退
4.どうしても目標が持てない人のために
5.対人恐怖症で悩む人のために
6.失恋から心の病になっている人のために
7.良くなるように思えない方のために
8.鬱病の人が持つ誤った価値観と、鬱を治すために大切なことについて
9.心の病を抱える人への周囲の配慮について
10.母子分離不安について
11.強い痛みを感じる原因は、不安感である
12.胸の強い痛みがあり心が追われる場合、とにかく精神の休息をとること
13.不安感の真の原因について
14.自分の抱えてきた不安感の再認識と、不安感への対処について
15.自信のなさと心の負け癖について
16.人格の統合について
17.不安感と攻撃性について
18.焦りの気持ちの原因について
19.プレッシャーへの対処について
20.夢の追想の重要性
21.完治までの流れとまとめ
22.受験勉強について
23.恋愛に困る男性のために
24.恐怖心と怒りの関係について
25.躁鬱がなくなった後に残る痛みについて
26.完治のために乗り越えなければならないこと
27.無意識を表に出すこと
28.自分を認めるということ
29.最後に

 
はじめに
 
 現代社会はストレス社会だといわれています。しかし、私はそれほど強いストレス社会ではないと思います。孤独感や、閉塞感は、精神状態で感じ方がずっと変わってきます。もし心の病を抱えているならば、強い孤独感や閉塞感を抱えるでしょうし、今の世の中は到底耐えられないでしょう。ですが、私たちは生きていかなければならないのです。だから、どうせ生きるなら心の病もなく、力強く生きたほうが得だと思うのです。
 今のカウンセリングは無茶苦茶です。いろいろな方法が、何の理論的裏付けもなく試されています。中には薬漬けになる人もいたり、高いカウンセリング料を払ってカウンセリングを続けても何の効果もなく、結局絶望して自殺する人もたくさんいます。また、何十年もカウンセリングに通っている人もいます。何十年も治らないのであれば、カウンセラーの能力が問われるべきではないでしょうか。
 カウンセリングを受けに来る人は、今の心の苦しみを取り除くために来ているのです。ただ単に、自分が今なぜ苦しんでいるのかをズバリと言い当てて欲しいからカウンセリングに来ているのです。ですが、一般的に日本のカウンセラーはよく分からない心理テストを行ったり、ただ過去を聞くだけで治ると勘違いしているのです。治らなくて病院を変えたら、カウンセラーは治ったものと見なして患者を完治リストに加えます。そこで追跡調査は行われないのです。このようなカウンセラーの詐欺まがいの行為は許されて良いのでしょうか。
 人が心の病に落ちるのは、本当に簡単な理由からなのです。そこにはちゃんとした脳医学や心理学的な背景があります。理屈が通っているのです。理由が分からずに迷っているカウンセラーは、心の病をひどくするだけの存在です。以下に挙げるような人には関わらない方がいいでしょう。
 
 
関わってはいけないカウンセラー
 
 ・薬を多用する。
 ・気を紛らわす様な方法を教える。
 ・ただ聞くだけのカウンセリング。
 ・宗教を勧めて泣かせる。
 ・親子関係だけを強調する。
 ・何十年も治らない患者がいる。
 ・変な儀式を行う。
 ・変な機械を用いる。
 ・変な音楽を聴かされる。
 ・自分に正直に生きろとだけ言って惑わす。
 ・自分と合わない気がする。
 
信用できるカウンセラー
 
 ・指摘されることが的を射ていて科学的。
 ・心の病の背景と理論をわかりやすく説明してくれる。
 ・感情の表出を助けてくれる。
 ・受容的で親しみやすい。
 ・共感で接してくれて、先に今の状態を言い当ててくれる。
 ・カウンセリングを受けるたびに楽になる。
 ・カウンセリングが楽しく待ち遠しい。
 ・やわらかい雰囲気で落ち着く。
 
 
症状について
 
このプログラムで改善される可能性のある症状は以下の通り。
 
 1.強いストレスを感じて動けない
 2.鬱
 3.躁
 4.無気力感
 5.心にモヤモヤがある
 
 
1.問題のある感覚のパターン
 
 ・強い孤独感を感じる
 ・社会は病んでいると感じる
 ・人は皆、心が病んでいると思う
 ・心に余裕がなくちょっとしたことで腹が立つ
 ・自分の存在が分からない
 ・社会に取り残されたように感じる
 ・いくら努力しても報われないように感じる
 ・努力するのが苦痛である
 ・いつも何かに追われていて、楽しめることが一つもない
 ・自分は嫌われていると思う
 ・友達がいないしうまく作れない
 ・難しい哲学的なことや人間関係のことがぐるぐると頭の中を回って離れない
 ・何が正しくて何が間違っているか分からない
 ・喜怒哀楽の感情が、どんな感じか分からない
 ・常に人に見られているように感じる
 
 
2.リラックスの重要性と最近の鬱病の傾向と対策
 
 心の病を治癒するために重要なことは、まず肩の力を抜いてリラックスする事です。心の病を抱えている人は、モヤモヤに追いかけられて緊張しています。今肩に力が入っていませんか?肩をぶらんと下ろしてください。そして空を見たり、緑を見たりしてリラックスしてください。このプログラムを実行するために、お気に入りの場所を見つけるのも大変効果があります。人通りの少ない公園や、河原、海辺など落ち着ける場所を探してみてください。そして、その場所で肩の力を抜いてから始めてください。普段でも、肩に力が入っていると感じたときは、すぐに肩をぶらんとさせてリラックスしてください。リラックスしている人には人が自然に集まってきます。それが人生の好循環につながります。今は人から愛されていないかもしれませんが、リラックスしながら余裕のある付き合いをしていけば、必ず人から愛されるようになります。良くなってきたら、今度はストレスから逃れようとせずに、適度なストレスは人生のスパイスと考えて、ストレスの原因と向き合いながら生きてみて下さい。
 これはとても重要なことですが、乳児期、幼児期において、十分に親に甘えることができなかった人は、鬱になりやすい傾向があります。そういう人は、自分の弱さを克服するために自己鍛錬を行います。例えば、赤面恐怖症の場合、赤面することが恥ずかしいと考えて、赤面しないようにいろいろな方法で自己鍛錬します。恥ずかしいという感情を否定しようとするのです。ところが、親が十分に甘えさせてくれた場合は、自分の欲求に素直になれますので、赤面してもそれを鍛錬によって変えようとはしません。自分の感情に素直なので、赤面している自分をそのままさらけだします。さらけ出しているうちに、次第に慣れてきて、赤面しなくなるのです。健康な人は、恥ずかしいという感情を否定しないのです。恥ずかしいから、赤面するから、緊張するから、眠れないから、対人恐怖だから、ストレスを感じるから、鬱を感じるから、それを自己鍛錬によって克服しようと考えると、かえって悪くしてしまいます。鬱ならば、鬱の感覚をそのまま認めて、何も考えないようにすればいいのです。何とかしようと考えるから、鬱になるのです。
 十分に親に甘えることができなければ、自分の感情を殺して親に合わせるようになります。そしてそれが後に、人の目を異常に気にしてしまい、簡単に人の意見で自分の感情を否定して、自分を変えようとする、典型的な鬱のタイプになります。健康な人は、他人の意見や気持ちよりも、自分の感情を一番大切にします。鬱の人は、自分の感情より、他人の意見や気持ちを大切にします。それを包容力と勘違いしているのです。そんなもの、包容力でも何でもありません。気持ち悪いだけです。今鬱に苦しんでいて、これに当てはまる人は、このことを良く理解して、考え方を変えれば良くなります。
 
最近の鬱病の傾向と対策について少し書いておきます。

① 少年時代、人前での発表等が凄く緊張したような人が大人になって無理をしている。

 この人は、もともと臆病なのですが、大人社会に適応するために気合いと根性で臆病を克服している。だから、他人のちょっとしたことが許せなかったり、感情の起伏が激しくなったりする。
 (対策)臆病であることを認め、強くない人間であるというスタンスで生きる。周りもみんなそうですから、多くの人が共感で接してくれるようになり、悩みを打ち明けられる仲間が増えて、孤独感が緩和される。
 
② 目標や夢の喪失

 子供の頃考えていた夢や目標が、大人になるにつれて壊れていき、夢を見ることができなくなっている。大人の入り口で社会に対して絶望しており、それを無理して引きずっている。
 (対策)夢や目標がなくなると、人間は自分の存在価値が分からなくなって鬱になります。自分の存在価値を、人に認められるとか、そういったものに求めずに、チョモランマを登るとか、ギリシアに行くとか、パラグライダーをするとか、そういった自分が楽しめる夢を追いかけて自分だけの特別な人生を楽しむのだというところに目標を置けば、かなり楽になります。
 
③ 優しさを見失っている。

 子供の頃、お地蔵さんに毎日挨拶をしたような優しい心の持ち主が、大人になるにしたがって、その優しさを失い、以前優しい心の持ち主だったことすら忘れてしまっている。
 (対策)優しさは人間にとって最も大切な心です。それを他人にどうこういわれたからと言って、無理して否定してはいけません。また、今心が病んでしまって、自分の優しさを見失っているのでしたら、まず他人よりも、自分に優しくなることから始めましょう。また、敵や嫌いな人がいるならば、無理して好きになろうとせずに、自分とは合わないのだと割り切って、相手から話しかけてくるまで距離を置くようにしましょう。イエス・キリストやお釈迦様でさえ敵がいたように、どんな人にも性格的に合わない人はいるものです。また、子供の頃の感覚に戻って、神様や仏様に感謝したりお願いするような生き方をしていたことを思い出すのも効果があります。ユングは、自分だけの特別な宗教を作ることによって3年間苦しんだ鬱病を治したといわれています。ただし、病を治して下さいというお願いをしても、あなたの神様や仏様が治して下さらない場合は、それがあなたが成長するための試練だから放っておかれるのだと考えて、頑張って乗り越えること。心の病を治すには、気合いと根性で自分と向かい合うことが大切です。優しさとは、まず自分を愛し、それから他人を愛することです。自分の全てを愛していない人は、他人を心の底から愛せないし、他人の心の痛みが分からないので、最終的に距離を置かれてしまいます。
 
④ 自分らしさを見失っている。

 友達や異性によく思われたいがために無理して性格を作っている。内面にはっきりと子供の心と大人の心が分かれて存在し、多くの人格を使い分け、どれが本当の自分なのか分からない。
 (対策)寂しさが原因であり、社会が個々に適度な孤独を要求していることに対応できていない。以前は一人でいても平気だったり、電話がかかってこなくても何とも思わなかったこと等を思い出し、どこでこの寂しさが増長されたのかを振り返り、以前の感覚に戻る。他人に頼り過ぎる人は、嫌われて更に孤独になります。
 
⑤ 自己管理ができていない。

 自己のスケジュール管理が十分にできていないために、いつも何かに追われているような感覚に陥っている。だから、仕事をこなしてもいつまで経っても充足感が得られない。
 (対策)充実感は、達成感より起こるので、一つ一つの仕事をはっきりと区切って、仕事が片づくたびに達成感を得られるようにする。そのためにまず、時間単位で1日の予定が書き込める手帳を購入し、最初にその手帳に今年達成したい自分の目標と、やらねばならない仕事等を箇条書きにして、追いかけてくる漠然とした不安を明らかにする。そして、細かく毎日の時間を区切って仕事を割り振り、その予定通りに毎日を過ごす。そして、予定した仕事が終わったら、達成感と充実感を持つことを心がけて、絶対に明日予定している仕事をしない。1日にどれだけのことをすればいいのかといった記憶は、全てこの手帳に任せて、少しでも脳にかかる負担を減らす。また、朝起きたらこの手帳を開き、今日すべきことを確認してから行動する。そして、この手帳はどんなときでも持ち歩く。目標を達成した後の自分の成長した姿をイメージとして持っていることも大切である。

⑥ 今の自分の学歴や社会のポジションに満足していない。

 今の自分の学歴や社会的地位に本当は満足しておらず、将来に絶望しており、それを何とかしようとしていつも何かに追われているような感覚に陥っている。
 (対策)今の自分の学歴や社会的地位を満足し、そのことで自分を否定しない。挫折しているならば、挫折を笑いながら肯定できるような人格を目指す。挫折をどうしても肯定できず、追われている感覚が抜けない場合は、⑤を参照して、夢を実現するために努力する。
 
⑦ 人のことをよく気にかけ、責任感が強い。

 責任感が強く、よく気が付き、能力も高いが、内心はとても孤独で少しのことで傷ついてしまう性格。
 (対策)鬱になる人の過剰な責任感は、「人に認めてもらいたい」心から起こる。そして、その「人に認めてもらいたい」心は、孤独で愛に飢えていることから起こっている。しかし、人は一緒にいて楽な人を愛するので、責任感があるからといってその孤独感は癒やされない。責任感の強い人は能力が高く、他人にも自分と同じ行動を強要する時があり、けむたがられて孤独になりやすい。だから、恋愛なども上手くいかず、失恋などによって簡単に鬱になってしまう。孤独に耐えられない性格ならば、孤独に耐えられるようになるよりも、人に愛される性格を目指すと良い。日本では、できないことを隠してできることを強調する人よりも、できることもできないことも笑いながらさらけ出す人のほうが愛される。また、人に認めてもらおうと行動するよりも、自己満足を前提として行動したほうが鬱になりにくい。
 
⑧ 人と話すときに、自分を騙して明るく振る舞う性格を作る。

 相手の顔色をうかがう性格で、不快な感情を与えてはいけないという意識が強く、気分が乗らなくても明るく振る舞ってしまう性格。
 (対策)相手の顔色を気にして、自分の感情を騙して明るく付き合おうとする人も鬱になる。気分が乗らないなら、気分が乗らないと正直に表明して、気分の乗らない姿を相手に見せればよいのであって、無理に明るく振る舞う必要はない。もしそれで今の地位や仕事が変えられてしまうのであれば、自分に合わない仕事をしていたのだと割り切って変わればよい。それを悲観する必要はない。鬱よりはましである。また、人と話すときのテンションが高い人は、相手を疲れさせるので嫌われる。テンションを落とすには、呼吸のペースを意識的にゆっくりにして、話題に反応する前に一呼吸置けばよい。
 
⑨ 悩みを打ち明けられる人がいない。

 悩みを打ち明けられる人が周りにいないので、自分だけで悩みを抱え込んでしまう性格。だからよけいに、友達ができない。
(対策)人は、人から悩みを話されることで、その人から信用されていると感じる。人間関係は悩みを共有することによって、親密さを増すのであって、悩みを話さないならば、いつまで経っても、表面上の付き合いしかできない。そして、悩みを共感で聞いてくれないような人は、あなたを利用するだけの存在であり、親しくならない方が賢明である。悩みを共感で聞いてくれないことを不満に感じると表明して、その人がもし開き直るような態度をするのなら、今後その人にはあまり近づかず、事務的に関わっていく方がよい。人を哀れむことは、悪いことではない。
 
⑩ 大切なものを失ったことを、無理に納得した経験がある。

 大切な人や、大切なものを失ってから、割り切ったはずなのに心の状態がおかしい。
 (対策)心理学で、これを対象喪失といいます。大切な人や大切なものを失ったことを納得できなかったり、無理に自分をごまかして納得しようとすると、心の病にかかります。失ってしまったことを、自分自身に嘘をついて、自分をごまかして、無理に納得してしまったことを反省し、失ったことを十分悲しみ直せば次第に治ります。過去に戻って自分自身を殺してはいなかったかを確認する作業をして下さい。そして、自分がどうしてこのような方法でしか納得できなかったのかを、もっと過去をさかのぼって自分の性格が作られていった過程を振り返りながら、考えてみて下さい。自分を無理にごまかすやり方は、間違いです。


良くなるためのキーワード

 ・感情を失っている場合

   以前の、感情が自然に表に出せた時期を感覚的に思いだし、追体験する。
   自分の感情に素直になり、気分がふさぎ込んでいるときにはそれを認め無理をしない。
  共感してくれる人に今の深い悲しみを表明して、感情の表出を助けてもらう。

 ・満足感がない場合

   今の自分に、満足していると言い聞かす。
   人に認められることではなく、自分が満足できることを目標にする。
   目標を達成した後の自分の成長した姿を想像する。

 ・何かに追われている場合

   何に追われているのかを明確にし、不安を和らげる。(⑤を参照)
 
 心の病は、自分自身をそのまま世界で一番愛し、自己の主張を肯定できる根拠をもち、利己主義を恐れず、人の評価を気にせず、自己中心的に行動できるようになれば治ります。


3.苦しみの原因と解決方法

 97年に事故で他界したダイアナ元皇太子妃は、結婚後からひどい鬱に悩まされたといいます。そして、彼女は立ち直り、幅広い活動を行い人々に感動を与えました。彼女はどうして立ち直れたのでしょうか。立ち直ってからの彼女には、開き直りとも言える強さがありました。自分が生きたいように生きて何が悪いというたくましさがありました。彼女は鬱の中から自分を見つけだし、そして、再び鬱の状態に戻らないために自分に正直に生きることを選択したのです。目立った活動をすると、必ず敵が現れますが、彼女は敵を恐れなくなりました。彼女には彼女を信奉する人よりもずっと多くの敵がいました。ですが、彼女は最終的に人が自分のことをどう思おうと、構わなくなっていました。そんなことは自分が自分らしく生きる上で全く必要がないことに気づいたのです。鬱に自分自身を気づかせてもらったのです。
 鬱は、自分の可能性を信じられなくなったときに襲ってきます。自分の未来に絶望したときに襲ってきます。それは、今の自分に絶望しているのです。ですが、よく考えてみてください。なぜ絶望する必要があるのでしょうか。たとえば海外の大学は、日本よりもずっと年齢の高い学生ばかりです。彼らは収入がなくて貧しくても、平気で学生生活を楽しんでいます。そして、実現するあてもないのに、目を輝かせて自分の将来の夢を語ります。学生達は休日にはのんびりと楽しい時間を過ごしますが、こののんびりとした楽しい時間を続けることを前提に夢を語っています。今の満足感を前提にした将来の夢がある場合、人は鬱にならないのです。欧米に残業がないのは、こののんびりとした時間こそが人生で最も大切なものだという考え方からです。
 一方、日本の社会はどうでしょうか。皆あくせく働いているのは何のためでしょう。家族を養うため、子供の養育費、家のローン、車のローン、老後の蓄え。ゆとりもなくせわしなく働いて、最後は老いて病院で一人寂しく死んでいくのです。これでは何のために生まれてきたのか分かりません。アフリカの部族は、人生は楽しむためにあると言い切ります。あの世で退屈したから、この世に遊びに来たのだと言います。だから思いっきり人生を楽しんで幸せに死んでいくのです。日本人が忘れてしまっている感覚とは、このことなのです。一番になって偉くなっても、それは結局心を満たさないのに、日本の社会は勉強して一番になれとけしかけます。一番でなければ敗北の人生だと押しつけます。押しつけられた人は、そのむなしさが分かっているのに、それに代わる考え方を誰も提示してくれないので、いやいやそれに従っているのです。日本の社会の閉塞感は、こういうところから起こっています。日本の社会全体が鬱病にかかっているのです。日本人は大半の人が多かれ少なかれ精神的に何らかの障害を持たされてしまっています。ほとんどの日本人の表情から明るさが消え、健康な人がそれに耐えられず場を明るくしようとすると排除されてしまいます。そして健康だった人も病んでいくのです。
 日本人は海外出張で鬱になる人が多いと言われています。日本人は一人で行動するのが苦手な民族なので、海外で電話をかけることさえできずに、自信を喪失して鬱になっていきます。全て人任せにして、人に頼りきりになって、そして頼る人がいなくなるとどうして良いか分からなくなってしまいます。現地にとけ込む勇気がなく、日本人ばかりで群がっている人たちは、日本という病んだ管理社会に作られた鬱予備軍なのです。そういう人たちは例えば現地で観光しても、どこか受け身で楽しそうではなく、何か悲壮感を漂わせています。こうなるのも画一的な日本の教育が悪いのです。個性を認めない教育が鬱を生んでいたのです。
 一方、海外でどんどん積極的に活動する人に、鬱は少ないと言われています。仕事と遊びの心の切り替えもうまく、充実した毎日を過ごしています。そういう人たちは、日本人が病んでしまっていることに気づいています。日本で明るく振る舞っても、なぜかうるさがられて排除されてしまい、遊びに誘ってもどことなく嫌そうで、悪いことをしたのかと思ってしまいます。自分が仕事と遊びの切り替えができることをなぜか羨ましがられ、経歴に嫉妬され、違う存在として見なされます。だから、そういう人は口をそろえて、日本には帰りたくないと言います。日本の優秀な頭脳の海外流出に歯止めがかからないのは、このような理由もあるのです。日本にいると、おかしくなってしまうような気にさせられるのです。
 鬱の大半は社会によって作られます。鬱になるのは、鬱になる思考パターンと人格を社会から強要された結果です。鬱を取り除くには、まず考え方をあたりまえの状態に戻さなければなりません。幼いころ、あなたは鬱でしたか?鬱ではなかったと思います。そのころの心の状態や考え方が本来のあなたなのです。その心地よかった時代を良く振り返って、今の自分の考え方と照らし合わせてください。どこがくるわされたのか、どこでくるわされたのか、昔はもっと感情豊かだったとか、どんな感性で生きていたかとか、いろいろなことをよく思い出して、昔に還ってみてください。そして、そこで見つけだした自分を大切にして、これからの生き方を決めてください。苦しい作業ですが、それだけでだいぶ鬱は良くなっていくはずです。
 
 
①.無意識が親(特に母親)に束縛されている

 親の期待や要求を一身に受けてしまっており、それが心の負担になっているのに気づかない。
 
 過去を振り返り、親が自分にどのような要求をしていたかを探り、そのときに受けた自分の正直な気持ちを思い出してください。葛藤の心が起こってきたら、素直な感情を表に出してください。感情の抑圧は心の病を引き起こします。しかし、日本で生活するには、人前で感情を出さないことが大切です。一人の時に感情を出すようにしてください。決して社会では感情的にならないようにしてください。腹が立ってもすぐに逆上せず、一呼吸おいて余裕のある対応をしたほうが良いでしょう。これまで築き上げてきたあなたの社会的地位をなるべく失わないように注意してください。もうすでに失ってしまったと感じている人は、これ以上失わないようにしなければなりません。
 
 
②.人の目を気にしてしまう性格

 絶えず人の目を気にして、自己の評価を知りたがり、それが心の負担になっていることに気づかない。
 
 人はあなたの人生に構っていられません。それぞれ自分の人生を一生懸命に生きているのです。あなたがどうであれ、他人には関係のないことです。あなたはいつもずっと誰か他の人のことを考えていますか?考えていないと思います。それは他の人にも当てはまることです。他の人はあなたのことなんてほとんど考えていないのです。地位や評価は水物です。いとも簡単に消えてしまいます。今あなたが大臣だとして、大臣の地位を尊敬している周りの人たちは、あなたが逆境にあるときは先に立って石を投げてきます。他人の目や評価は気にせず、あなたのやり方であなたのできるところまで努力するのが一番です。幸いなことに、日本の社会は失敗しても努力していれば許される社会です。逆に努力しないで失敗したら社会的な制裁が待っています。失敗を人のせいにせず自分の努力不足と考える人に重い心の病が少ないというアメリカの統計があります。また、地位や評価は簡単に消えてしまいますが、知識や技能は消えません。何か人に誇れる能力を身につけるのも良いことです。
(対人恐怖症で悩む人のために)
 
 
③.実現不可能な目標を掲げていることに気づいていない

 自己の目標が高すぎて実現不可能であるのに、それにこだわり、報われない努力を続けていることに気づかない。
 
 最近の心理学では、無力感が獲得されるものであることが分かってきました。努力を続けてもそれが一向に報われないとき、私たちの心は無力感を起こします。それは私たちの考え方が何かおかしいことを知らせる作用です。一度立ち止まって目標を再設定してください。一番良い目標は先の地位や名声ではなく、充足感のある今の状態の継続です。あなたは今の自分に満足していないかもしれません。今の自分に満足感はありますか?満足感という言葉を久しぶりに聞いた方は、これがあなたの苦しみの一番の原因です。満足感を得る方法は、人それぞれに違います。あなたは何をしたら楽しいですか?昔何に凝っていましたか?それを思い出して、あなたが楽しいことを再発見してください。ここで一番大切なことは、気分の切り替えです。あなたは楽しいことをするときはリラックスして、ほかのことは考えないようにしてください。頭の中をぐるぐる回るうるさい思考は、あなたを緊張させます。脳細胞は3時間ほどで疲れます。その疲れがあなた全体を疲労させるのです。肩の力を抜いて、リラックスを心がけて、その脳細胞を休ませてあげてください。
 あなたの以前の目標は、実現不可能な目標だったのです。その目標は、たとえば、良い母親でいようとか、いい嫁でありたいとか、そういうたぐいの目標だったかもしれません。でも、それを実現しても最終的に自分を待っているのは孤独であり、何の魅力も感じないと覚ったとき、人は無力感に襲われます。しかし、その目標を失ってしまうと自分が自分でないような気がして、また、周りの目も気にして、あなたは結局その目標の魅力のなさに対する気づきを否定して、その感情を押し殺して努力を続けてしまったのです。あなたは自分の正直な気持ちを封印してしまったのです。しかし、それは確実にあなたにとって絶望だったのです。そんな心の不安定な状態で、あなたの努力が報われるはずはなく、モヤモヤに追いかけられて何をやってもうまく行かず、最後には結局自分は無能でどうしようもない存在だという結論に達してしまいました。完全な鬱病に落ちいってしまいました。目標が間違っていたのです。良い母親でいようは間違っていたのです。あなたは自分を置き去りにしたのです。あなたは今の自分を満足していなかったのです。今の満足を続けるところに幸せがあるのに、先の幸せばかりを追い求めてしまったのです。それでは鬱になります。どうしてそのような高い目標を持ってしまったのか、ゆっくり振り返ってみて下さい。多くの場合、家や家族があなたにそれを要求しています。普段何をしても、あまり褒めてくれない親が、勉強していい成績を取ったら、やたらと褒めてくれたことはありませんか。それは、親があなたに、無意識的に、立派になれと要求しているのです。ですが、あなた自身は、そうやって立派になっても、幸せになれないことに気づいたのです。出世したり、立派だと言われる人は、何にも追われず、淡々と仕事をこなして成功しているものです。つまり、あなたは親の間違った意識に束縛されてしまっていたのです。親から自立したつもりだったのに、肝心のところが自立できていなかったのです。
 目標は、今の満足をどのようにしたら続けられるかということが基本になっていないといけません。今満足していないなら、満足することを探さねばなりません。今は遊びと仕事の気分の切り替えがうまくできないでしょう。遊んでいても全然楽しくないでしょう。ですが、まずは人の少ない河原などのリラックスできる場所をみつけて、そこでゆっくり健康だった過去を思い出してみれば、必ず何か一つぐらいはやってみたいと思うことがあるはずです。木登りはしませんでしたか?星を見ませんでしたか?釣りはしませんでしたか?隠れてたばこを吸いませんでしたか?山登りは?なんでもいいですから、まずやってみて昔を思い出すことです。そして、それらを曜日を決めて、何度でもやってみることが大切です。そうすれば、昔感じていた満足感が、次第に戻ってきます。そして、面白くなってきたら、本格的にやりたい趣味を始めてみることです。そのうちにやってみたい目標が見えてきます。
 そして、目標が決まったら、その目標が達成された後の成長した自分の姿を思い描き、それをイメージとして持っておくことも大切です。人のために目標を達成したいと考えずに、自己満足を基本にして下さい。
 そして、あなたを苦しめているものに、一日延ばしの作戦があります。やらねばならないことをずるずる引き延ばしてしまうのです。絶望から来る無力感は、あなたから行動力を奪ってしまったのです。しかし、今は心の風邪ですからこうなるのは仕方ないですが、将来は絶対にやめてください。やらねばならないことは、その日のうちにやってください。決めたところまでは必ずやって、そして、やり終わったら満足して自分の時間を楽しむようにしてください。それも鬱に戻らないためのコツです(⑤を参照)。ただ、今は仕方ないので、そのまま人に迷惑をかけながら自分の評価を下げながら過ごすのが一番です。評価は下がるところまで下がっても、健康を取り戻せば簡単に上がりますから、心配しなくても大丈夫です。そんな心配よりも、まずはリラックスから始めてください。
 ところで、あなたが楽しい人生を送っていれば、周りに人が寄ってきます。そして、どんなつまらない仕事でも、楽しく真剣にやっていれば、いずれいい仕事に巡り会います。趣味から人の輪が広がり、いい仕事につながることもあります。そしていい仕事をしていれば人の輪が広がり、人生の好循環につながっていきます。逆に、卑屈な人間から人は離れ、いい仕事は遠ざかり、いじめられたり騙されたりしやすくなります。これを人生の悪循環といいます。このような人生の好循環と悪循環への考察も、あなたの苦しみを和らげるヒントになります。

④.自分の喪失

 自己が一体誰なのか、何を考えているのかが分からなくなっており、自分自身を信じられなくなっている。また、何が正しくて何が正しくないかが分からない。
 
 あなたは誰かという問題は、宗教や哲学に答えを求めるべきで、ここでは取り扱いません。ただ一つ、自分自身の感情さえも自由にさせてもらえない存在が、人間なのです。あなたの今の苦しみは、これを越えたときに必ずあなたを大きくしています。あなたは今、自分自身を問い直して迷わなければならない人生の時期に来ているのです。この迷いから逃げようとしても、逃げられるものではありません。モヤモヤから逃げようとすればよけいに泥沼に入っていきます。それはあなたの心が逃げないでと言っているからです。ですから、逃げずに大いに迷うべきです。モヤモヤと戦うべきです。人間の精神も鍛えることができます。あなたはそれを怠ってきたのですから、ここで鍛えるべきです。モヤモヤと戦うためには武器が必要です。その武器とは、あなたの信念です。あなたが信念、つまり自分の本当の心をどこかに置き忘れてしまっているから、このようなモヤモヤが襲ってきます。あなたはずっと違和感を感じながら、それをごまかして生きてきたのです。もう一人の自分に心の中で話しかけてみてください。そして、その気持ちをよく聞いてあげてください。もう一人の自分は言葉を持ちません。もし、言葉で返事が返ってきたら、それはあなたの自我が勝手に答えを作っているだけです。その傲慢で勝手に答えを出してしまう自我が、あなたの本当の気持ちを閉じこめているのです。これはあなたの本当の気持ちの逆襲です。あなたの傲慢な自我に長い間虐げられてきて、耐えられなくなったのです。
 ところで、あなたはあなたの無意識に正直に生きるべきではありません。無意識は時として反社会的です。無意識通りに生きたら、社会的な信用は失われ、転落の人生を歩むことになります。傲慢な自我が悪いのではありません。自我によって無意識を制しながら社会生活を送ることが大切です。ただ闇雲に制するのではなく、無意識、つまりあなた自身をよく知った上で制することが大切です。自我もあなた自身なのです。もし自分自身の本当の心に気づいて、今の自分とのギャップに耐えられなくなったときは、勇気を出して自分の進路を決めてください。人のために我慢して生きても、人はその我慢を認めてくれない薄情な存在です。自分のために自分の人生を生きてください。
 何が正しくて何が間違っているのかということに関して、その答えを持っているのは宗教です。人はそれが分からないので宗教にその答えを求めてきました。そして世界の3大宗教は確かにその答えを持っています。ですが、たぶんその答えはあなたが求めているものとかけ離れているでしょう。宗教はあなたにあなたの無能さと無力さを分からせるだけです。あなたは最終的に自分自身でその答えを見つけだすしかないのです。そして、その答えがあなた自身なのです。これはライフワークと考えてゆったりと構えるべきです。
 
 
⑤.自分の能力の否定

 自分の能力を過小評価し、駄目な人間と決めつけている。自信が喪失している。
 
 自分の能力を過小評価したり、自分の無能さにばかり目がいってしまう人も心の病気になります。ここでよく考えてください。自分が無能だと思っている人は、どうしても考え方が卑屈になります。卑屈な人間は周りを卑屈にしますので、周りから人がどんどん離れていきます。また、卑屈だからいじめてもいいやという考え方が生まれます。そして、周りから無視されたりいじめられて、更に卑屈になって人間不信に陥っていきます。このような悪循環を抜け出すには、まず、卑屈な考え方をやめなければなりません。そして、人に安心感を与える雰囲気をつくるべきです。自分を過小評価して否定的に考えている人は嫌われ、自分の無能さを面白おかしくさらけ出しながら努力する人は好かれます。自信の喪失は、結局このような卑屈な考え方から生まれています。悪循環を繰り返して、いつの間にか自信を喪失してしまっているのです。日本の社会では、失敗しても自分なりに一生懸命に努力していれば、報われるようになっています。成功よりも努力が認められる社会です。努力して、その努力を鼻にかけない人には、たくさん人がついてきます。卑屈な人は自慢したりしますが、人望のある人はあまり自慢しません。そして、自慢する人から人は離れ、自慢しない人にはたくさんの人がついてきます。日本では自慢と高慢は嫌われます。一方で、自慢することは、とても大切でもあります。ですが、自慢の仕方があるのです。劣等感の強い人は、人をけなすように自慢します。でも、これでは人から嫌われてしまいます。「良くやりましたねえ」と言ってもらったら、「たまたまうまく言ったのです」と言わずに、「私も我ながらうまくできたと思います。嬉しいです。」と言えるようになりましょう。
 ところで、自分自身を過小評価するようになったのはなぜでしょうか。自分自身を過小評価せざるを得ない事件が過去にあったはずです。その事件を思い出すことから始めてください。あなたは確かにそのとき間違っていたかもしれません。でも、そのときのあなたの考え方や、行動は、そのときのあなたにとって真実であったはずです。あなたはそれがあなたの属している社会でタブーとされていることを知らなかっただけなのです。でも、それからあなたはいろいろなことを学んでいます。そのときのあなたは今のあなたではないのです。今のあなたは同じ過ちを繰り返さないはずです。あなたは成長しているのです。それに、あなたが属した社会が違っていたら、あなたが正しかったということもあり得るのです。
 自分を過小評価して、誰があなたを認めてくれるでしょうか。あなた自身があなたを信じられなくて、誰があなたを信じてくれるでしょうか。まずは、あなたの良いところを探す作業をしてください。そして、あなた自身を世界中で一番愛してください。あなたの良いところも、悪いところも、全て愛してください。そうすれば、今の苦しみはだいぶましになってきます。
 
 
⑥.努力の放棄と無力感

 精神状態が不安定なので、やらねばならない仕事を十分に行うことができない。簡単な仕事なのに、その仕事をやり遂げるための気力がわかない。そして、その仕事を先延ばしにして、最終的にうやむやにしてしまい、更に心を病ませていく。
 
 努力を放棄したとき、人は精神的に不安定になります。最近の悪い風潮として、努力を悪と決めつけるところがありますが、これは心理学的には間違いです。努力は人間が生きていくために、非常に大切な役割を果たしています。例えば、老人で生き甲斐をなくした人は早くに亡くなりますが、これは努力の対象をなくしたからです。若くして努力の対象をなくしてしまった場合、肉体的には健康そのものですから、精神的に不安定なまま、時には生ける屍となって長く生きなければなりません。その精神的苦痛に耐えられず自殺を決行する人もいますが、自殺して楽になるという保証は何処にもありません。また、孤独感から自殺して、死後のさらに長い孤独に耐えられるはずはありません。死後生を受けるという保証は何処にもないですが、死後無に帰するという保証も何処にもないのです。自殺するぐらいなら、一度死んだものと考えて、新たな人生を歩むのが最良です。絶望するには早すぎます。心の病は、心の風邪のようなものです。原因が必ず存在し、その原因を取り除きさえすれば必ず治るのです。あなたはその原因に気づかず、処方を誤ってこじらせてしまっただけです。
 心の病を引き起こした原因に、目標を失った中でのオーバーワークがあります。あなたはすでに目標を失い絶望していたのです。それなのに、無理に仕事を続け、精神的に疲労しきってしまったのです。精神的に充実しているならば、少々のオーバーワークで人は潰れません。
 潰れたのは、あなたの目標が無茶苦茶な目標だったからです。そして、その目標を達成した後にも救われない苦しい人生の戦いが続くことに気づいて、絶望したのです。でも、あなたはその気づきを受容できず、押さえ込んだのです。ですが、あなたの目標はそこで確かに失われていたのです。それでもあなたは決して報われない努力を続け、結局潰れることになりました。こうなることは絶望したときから分かっていたことです。
 この苦しみから逃れるために必要なことは、目標の再構築です。今度の目標は、この失敗から学んで、少しだけスタンスを変えなければなりません。今度は、充足感を続けるような目標にしなければなりません。先の充足感ではなく、今の充足感を続ける目標です。
 最初に自問してください。今、あなたは充足していますか?何かに追われてはいませんか?満足感はありますか?リラックスしていますか?
 次に、今の自問を更に発展させてください。どうすれば充足しますか?何をしたら満足ですか?何があなたをリラックスさせますか?よく過去を振り返って、自分自身に問いかけてください。
 最後に、その答えが反社会的もしくは自己中心的で他人に迷惑をかけ、後に自分を苦しめることが明白な場合は、その答えはすっぱりと捨てて、また新たに自問を繰り返してください。長い間、目標を喪失していたわけですから、簡単に新たな目標は見つからないでしょう。ですが、これをしなければ、あなたはいつまでも潰れたままです。重要な作業ですので、とても時間がかかると思います。ですが、確固たる答えを見つけたときに、あなたはあなた自身が変わっていることに気づくでしょう。また以前のように力が戻ってきます。
 参考までに、アメリカの研究では、失敗を人のせいにせず、自分の努力不足と考える人に心の病が少ないことが明らかになっています。努力すれば何とかなる希望の道を探すことはとても大切です。心が病んでいるときには、そんなもの何処にもないと考えてしまいますが、心が穏やかなときに冷静に考えたら、結構あるものです。今のあなたに始められる道で、あなたを生かせる道を探してみてください。
 
 
⑦.過去の喪失と記憶力の減退

 自分の過去が心の中で封印されており、思い出せない。アイデンティティーの喪失につながり、記憶力の減退などを招く。
 
 過去の記憶を心の奥底に封印すると、心の病にかかります。過去は人間のアイデンティティー形成にとても重要な役割を担っていますから、過去を封印すれば、自分自身を見失うことになります。過去の記憶は右脳の働きだと言われています。右脳はイメージの記憶がとても得意ですが、過去の記憶を閉じこめてしてしまうと右脳の働きが抑制されて、記憶力の大幅な減退を招きます。また、面白いアイデアも浮かびにくくなります。記憶は右脳で行なわれると言われていますので、右脳が活発でなければ、自ずと記憶力は減退してしまいます。
 なぜ過去を封印する必要があったのでしょうか。それは封印しなければならないような事件が、あなたの身に起こったからです。人に言えないようなひどい精神的苦痛を、あなたは受けたのです。そして、そのときにあなたは無意識のうちに過去を封印してしまったのです。ですが、過去を封印した結果が、今の苦しみにつながっています。あなたの今のモヤモヤは、あなたの無意識がその過去に向き合いたいと伝えているのです。きちんと向き合えば、あなたは次第に解放されていきます。
 まず、肩の力を抜いてから、過去をゆっくりと振り返る作業をしてください。
 昨日何をしましたか?おとといは?1年前は?3年前は?学生時代の思い出。小学校時代の思い出。幼稚園時代。親のこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。
 そして、そのときに押さえ込んでしまった感情を、表に出してあげてください。感情が吐き出されたら、次第に心の苦しみは和らいでいきます。
 あなたは夢を見ますか?夢はあなたの病んだ心を治癒させるはたらきがあると言われています。無意識のあなたは、あなたが受けた心の傷を治癒してくれる存在でもあるのです。夢を見たら、治癒されているのだと無意識の自分に感謝してみてください。
 
 
4.どうしても目標が持てない人のために

 目標という言葉を聞いて、困ってしまう人が大勢います。そして実際に、目標はそう簡単に見つかるものではありません。目標を考えて、よけいにモヤモヤがひどくなる人も大勢います。実は、それでいいのです。目標を持てないし、何をやってもやる気が出ない。スケジュール表だって、三日坊主で終わってしまう。それで構わないのです。このプログラムで気づいてほしいのは、実はここなのです。
 今の社会は、会社でも勉強を強要します。人間は、大昔、それほど文字文化も発達していなかった頃は、記憶しなければならないことも少なくて済み、今の人達が抱える勉強に対するストレスはありませんでした。勉強は本来、楽しいからするのであり、義務感からするものではなかったのです。昔の勉強は、大自然の中で、したい勉強を、好きな先生のもとで、自分の楽しみとしてするものだったのです。楽しいとき、脳はTRHというホルモンを分泌します。これは、やる気を起こさせるホルモンであり、このホルモンが分泌されているときは、時間を忘れて一つのことに集中できます。しかし、義務感からの勉強では、このホルモンは分泌されませんので、どうしても勉強の効率が悪くなってしまいます。そのなかで、無理に自分をごまかして、義務感からの勉強を、むりやり頭の中で楽しい勉強なのだと思いこんで勉強すると、どうしても達成感や満足感が薄れ、最後はやる気をなくしてしまいます。そしてそれは最終的に、嫌な勉強だけでなく嫌なこと全てをするときの自分の態度になり、全てのことに対してのやる気を失わせてしまうのです。
 大抵の無力感に悩む人には、自分に嘘をついてきたという態度がみられます。本当の自分は、その仕事が嫌で嫌でしようがないのです。また、これまでに取り憑かれたようにしてきたことがあったとしても、それは何かの強迫観念に追われていたからであって、本当に楽しんでいたわけではなかったのです。こういうやり方では、それを一生続けることはできません。
 無力感を治したいのでしたら、誰か分かってくれそうな友人やカウンセラーに、この無力感を正直に表明してみることです。「とりあえず生存しなければならないので、何とかしなければと思うのだけれども、どうにもならないし、何もやりたくない」という胸の内を表明して、その人に共感してもらうことです。共感してもらえれば、将来を不安に思っている自分のことや、少ないお給料のことや、何のために生きているのかとか、これまで心にためていたいろいろなことが、自分でも不思議なくらい簡単に口をついて出てきます。しゃべりながら、考えて、そうしているうちに、次第に癒やされている自分に気づくでしょう。
 勉強がしたくないなら、したくないと正直に思いながら勉強をすればいいのです。集中ができなくて、はかどらなくても、これがこの勉強に対する、自分の本来の実力なのです。それを恥じたり、咎める必要は全然ありません。己を知ることは大切です。苦手なものは、苦手でいいのです。苦手なものをどうしても克服したいなら、苦手というスタンスはそのままで、継続してすることです。これで次第に好きになります。克服したいと思わないのなら、あまり真剣にやらなければいいのです。ただ、やらなければならないことをやらないで逃げていると、またそこから心の病にかかります。自分に負けないで、勇気を持って、やらなければならないことをやり始めてみれば、そのストレスはあなたの力に変わります。
 目標がはっきりしているのに、何か心にモヤモヤが残り、心が不安定でしっくりこない場合は、第一目標と第二目標を立てると良い場合があります。この場合の第一目標は、雲の上をお散歩するとか、空を自由に飛び回るとか、空想では実現可能だが、絶対に実現不可能なものにして、それをとりあえず目指すのだと考えるようにします。第二目標には、現実に実現したいと考えている目標を立てます。第一目標を実現不可能なメルヘンチックなものにしておくことで、目標を実現するのだという心の張りがゆるみ、それがリラックスにつながって、モヤモヤを軽減することがあります。なるべく吹き出すような目標の方がリラックスできていいようです。
 
 目標というのは、ずっと先の完璧な自分ではなくて、
 今の自分が達成可能だと考えられる、妥協したものでないと、
 しんどくて、ストレスがたまってしまいます。
 とりあえず、その妥協した目標で、別の人生が開けそうなら、
 その目標が、今のあなたの目標です。
 その目標を達成したときに、
 次の人生を切り開く目標を考えれば良いのであって、
 今先のことを考えすぎて、ストレスをためる必要はないのです。
 完璧な人格なんて、この世のどこにも存在しないのですから。
 今のいっぱい失敗する不完全な自分が、
 一番かわいいと思えるようになれば、
 あなたの人生は、小さな幸せを喜ぶことのできる、
 素晴らしい人生になっています。
 
 一番人に好かれて最高の人生を歩むのは、
 成功者でも、お金持ちでもなんでもなくて、
 いっぱい失敗しても、ケロッとしている、かわいらしい人です。
  
 自分の不完全さをよく知っている人は、
 人に自分を正直に語れて、
 とてもわかりやすいので、
 人から愛されて素晴らしい人生を歩みます。
 
 自分に嘘をついて迷っている人は、
 たくさん劣等感があるから、
 自分を痛めつけて、
 人を傷つけて、
 時に自慢したり、高慢になったり、傲慢になったり、
 それでいて時々馬鹿みたいに振る舞ったりして、
 そんなことをしているから、
 人から分からないと言われたり、
 自分でも自分が分からなくなったりします。
 
 どうせ生きるなら、幸せに生きましょう。
 心の病は、原因が存在し、処方さえ間違わなければほとんどが治ります。
 それは、自分で見つけだすもので、カウンセラーはそれのお手伝いをするだけの存在です。
 この苦しみを乗り越えたところには、本当の幸せが待っています。
 良くなったり悪くなったりの周期が、一日の中に起こるようになってきたら、
 自分を見つける旅は、もうすぐ終わりです。
 
 心の状態が良くなってきたときに、最後に残ったストレスは、
 勇気をもって、目標に向かっての、一歩を踏み出すか、
 全てを完全にあきらめて、他の生き方を探すまで、
 消えることはありません。
 
 
5.対人恐怖症で悩む人のために

 対人恐怖症は、鬱につながる心の病です。そして、この症状は、少しだけ価値観を変えることで治ります。いろいろ考え方を変えることを試してみられたらいいと思います。それで鬱の状態がひどくなったり軽くなったり、心の状態が更に不安定になり始めたらこちらのもの。後はちょっとしたきっかけで治ります。
 対人恐怖症からくる鬱は、今の自分を駄目な奴だと否定して、周りのことを気にしすぎるところから発症します。精神的に健康な人は、自分自身を世界で一番愛して、周りの人のことは、自分の次に考えます。健康な人は、普段の生活で、人の目は全然気にしていないのです。そういう自己中心的な考え方に変われたならば、この症状は治ります。自己中心的というのは、本当は一番良いことなのです。仏教でも、キリスト教でも、まず、自分自身を一番愛せと言っています。しかし、だからといって、人を傷つけてはならない。それが、人間の目指すところです。
「隣人を、自分のように愛しなさい。」 (聖書:マタイによる福音書 最も重要な掟)
「どの方向に心を向けても、自分より愛しい者はいない。」 (仏教 「相応部経典」)
 自分自身が世界の中心で構わないのです。王様で良いのです。自分自身を一番に愛している王様は、人のことをあまり気にかけないので、周りとしても非常に付き合いやすいのです。自分のことを放っておいて、人のことを気にする人は、感覚が合わないので、どうしても敬遠されてしまいます。
 ところで、対人恐怖症に悩む人は、どうして対人恐怖症をいけないと考えるのでしょう。健康な精神ならば、対人恐怖症がいけないと考えずに、まずこの症状をもつ自分を愛します。対人恐怖であることを隠す必要はないのです。私は対人恐怖の悩みをもっているのだと周りに表明し、そういうスタンスで生きるのが良いのです。このように悩みを表明すれば、共感してくれる人がでてきます。対人恐怖であるから、対人恐怖に悩む人と仲間になれるのであって、それに対人恐怖に悩む異性がいたなら、その共感から恋に落ちることもあります。たしかに、治るとまた違った人生の広がる症状ではありますが、治そうと思って治すのではなく、そうやって自分を愛してさらけ出しているうちに、知らない間に自然に治っているのが、対人恐怖症です。
 治るためには、過去に戻ってそうなってしまった原因を探す必要もあり、かなりの精神的な苦しみを伴いますが、最後に無理矢理にでも心にため込まれた悲しみを、涙と共に表に出せたならば、そこであなたの長い苦しみは終わります。
 子供の頃、親から受けた恐怖はありませんでしたか?捨て子だと言われたとか、迷子になったとか、その経験が、今の対人恐怖になっています。 何か思いだしたことがあれば、カウンセラーの方などに表明されたら良くなります
 あまりお薬に頼られるのはお勧めできません。お薬は、根本的な鬱の原因である、誤った考え方を治してはくれませんので、いつまで経っても苦しいままです。それに、肝臓や、胃腸にものすごい負担をかけて、今度は肉体的な苦痛に襲われます 。お薬は、お薬を飲んで、精神的に安定したときに、対人恐怖に悩む自分自身を愛するコツをつかむために使用すべきです。  

 自分を愛するコツを書いておきます。
 ・権力や尊敬する人に対しても、反論したり、自己主張ができる。
 ・どんな人にもへりくだらず、家でいる表情をそのまま出す。
 ・相手の目を見て挨拶をし、話をする。
 ・自慢ができる。(「良くやりましたねえ」と言われたら、「たまたまです」と言わずに、私も我ながら良くできたと思っています。嬉しいです!」と自慢する。)
 ・自分を非難したり、攻撃する人に対して、抵抗する。
 ・大きな声ではっきりとものを言う。
 ・質問に対して、自分の意見をはっきりという。

 ところで、対人恐怖を取り除く前に、ゆっくりと休息をとって鬱の症状をなくしておきましょう。鬱がなくなったときに、対人恐怖が残る場合、胸の痛みなど、ストレス球という形で残ります。そうなってからゆっくりと、ぞっとした経験を振り返り、それに勇気を持って立ち向かいましょう。一般的に、過去にぞっとした体験を乗り越えることができなかった場合、それを引きずって、失恋や失敗などのショックを重ねて、対人恐怖を深めてしまいます。この場合は、きっかけになったショックの経験を思い出して、それが原因で対人恐怖を深めたことを理解し、勇気を持って立ち向かおうと決意すれば、次第に苦しみから解放されます。この論文では12項以下で詳しく説明しています。


6.失恋から心の病になっている人のために

 最近特に増えているのが、失恋から心の病になるケースです。あなたは、好きな相手に振られたとか、離婚とかがきっかけでおかしくなってはいないでしょうか。振られる時に、自分自身が否定されてしまうと考えて、強い恐怖感を感じませんでしたか。
 振られる経験は、誰にとっても非常に辛いものです。でも、振られたからといって、自分を駄目なやつと考えてはいけません。相手と合わなかっただけです。恋愛観も違ったのかも知れません。それに失恋したからといって、あなたの人生が否定されるわけではありません。
 人は、あなたの身なりに惚れるのではなく、雰囲気に惚れます。
 あなたの恋愛観は、どのようなものでしょう。
 あなたはうまく恋愛を続けていく自信はあるでしょうか。告白した相手と会っているときに、ずっと落ち着いていられるでしょうか。恋愛は、落ち着きがなければ成立しません。お互いに安心感がなければ、続きません。最初から最後まで、どっしりと構えることが、今のあなたにできるでしょうか。
たぶん、今の状態ではできないと思います。
 何故でしょう?
 答えは、あなたの家にあります。今の家や自分の将来に安心できないのです。安心できないから、その安心を相手に求めているだけなのです。もし、家や将来に安心しているのなら、もっと落ち着いた気持ちで人と接することができるでしょう。そうすれば、相手もあなたに安心感を持ってくれるでしょう。あなたには、たぶん、安心感がないのです。恋愛したくて恋愛しているのではなく、安心したいから恋愛をしているだけなのです。だから、相手に異常に執着してしまう。
 家に安心感のある人は、たとえ振られても、なんとか耐えられます。
 家があなたを守ってくれるから。
 相手がいなくても、安心して帰るところがあるから。
 だから、たとえ一時的に仲が悪くなっても、また元に戻ることができるのです。
 あなたの症状を引き起こしている原因は、あなた自身ではなく、あなたの過去にあります。あなたの家族が、あなたに安心感を与えてこなかったか、安心感を与えすぎたのです。あなたは自立ができず親への依存が抜けきっていないのです。
 こんな経験はないでしょうか?
 昔、迷子になったとか、「橋の下に落ちていた子」と言われたとか、「いらない子」と言われたとか、捨てると言われたとか、実際に捨てに行かれたとか。もしくは、親が自分の望み通りに何でもしてくれて、自分はそれにかなり甘えてきませんでしたか?
 もし、そういう記憶があるならば、あなたはたぶんそれをずっと引きずっています。あなたは、恋愛の相手に、親のイメージを重ね合わせているだけなのです。だから、捨てられることに対して、強い恐怖感を感じてしまうし、捨てられそうになると相手に合わせて自分を殺してしまうのです。もし親から自立しているのであれば、捨てられるという恐怖感はあまりないはずです。恋愛の相手を親と考えるのではなく、仲の良い兄弟のように思えたならば、もっとうまくいきます。
 人間は、幼少期及び、少年時代に受けた心の傷を癒やすために、その人生のすべてを費します。もし子ども時代に、捨てられるような心の傷を受けた場合、家や親に対して安心感を持てなくなる。今、迷子になったことを想像して、誰かがあなたを暖かく包み込んでくれているイメージがありますか?多くの場合はないと思います。でももし、包み込まれるイメージが鮮明に浮かぶ場合は、溺愛が原因です。あなたがいつか親を裏切らなければならないことを学んでこなかっただけです。こういう場合は、心の中で親離れの作業をすることで良くなります。
 誰かがあなたを暖かく包まなかった場合、いろいろな症状がでてきます。

1.虚言癖
2.記憶力の減退
3.過去の記憶がうすい
4.写真が嫌い
5.うまく喋れない
6.異性の前で緊張する
7.ひとみしりする
8.持続力がない
9.忍耐力がない
 
 親の言うことに逆らえないのは、親に捨てられるという恐怖に脅えているからです。親の恐怖政治に汲々としている。だから、自分を殺して親に合わせてしまうような、そういう間違った癖を身につけてしまう。
 人間は、親に守られてこなければ、なかなか上手に自立できないものです。
 こういう場合、親や家を変えることは、現実的には今やどうにもなりませんので、自分のイメージの中で、親に守られていると信じ込んで、安心感を強引に自分に植え付け、反抗期を経て親を裏切ることを覚えれば良くなります。イメージの中で、自分が親から受けた愛情を知り、最後に依存を断ち切り、自立を促すのです。
 過去の、迷子になった経験とか、捨てられそうになった経験を思い出して、そこで親に優しくぎゅっと包み込んでもらっている自分をイメージします。そして、自分は、親に優しくぎゅっと包まれていると感じます。これで安心感が得られたら、乳児期、幼児期、少年時代を思い出して、その一つ一つでこの作業を行います。自分で自分に親や家の安心感を植え付けるのです。それが嘘でも構いません。嘘を信じてしまえばいいのです。具体的には、例えば乳児期は、実際に赤ちゃんになった気分で、バブバブ言いながらお母さんのおっぱいを吸うイメージを持つようにします。
 そうしていくうちに、次第に家や親に守られていると感じられるようになるでしょう。それが駄目なら、神や仏にぎゅっと包まれていると考えればいいと思います。親以外の大好きだった人に包まれていると考えるのもいい。そして、その安心感があまりなくなったら、今度は親を裏切る事を目標にします。そうすれば、心の病は次第に治っていきます。
 これで次第に親に反抗できるようなると思います。親からはいつか自立しなければなりません。いつまでも依存していてはいけません。親への依存は友達への依存に変わり、そして、それが恋人への依存へと変わっていきます。最後は、親ではなく恋人に包まれていると感じられればもっと良くなります。親との関係はあまり悪化させないことが大切ですが、自立できる自信があるのでしたら、親を裏切ることも大切です。
 失恋の心の傷から立ち直るために、つらいことを引きずってしまう自分の性格がどこから来ているのか認識しましょう。多くの場合は、過去に肉体的虐待又は精神的虐待を近親者から受けています。親に捨てられた経験や、レイプされた経験など、自分が恐怖を感じて嫌がっていることを無理矢理に他人にされた場合、心の奥底が外の世界や人に恐怖感を抱えてしまいます。失恋は普通の人にとっては悲しいだけの出来事なのに、自分の悲しみには恐怖感がつきまとっていることに気づきましょう。
 一度恐怖を感じた事件に心の中で立ち返って、今はその事件が終わっていて、自分は安全なところにいることを認識できるようになりましょう。落ち着いた環境に身を置いて、心の中で、もうあの事件は終わったのだと繰り返して、自分の中で終止符を打ちましょう。
 自分の中でこの失恋の区切りをきちんとつけて、この恋愛が終わったことをきちんと認識しましょう。そして最後には別れた人よりずっと幸せな家庭を作って、あなたを振った相手に悔しい思いをさせてやりましょう。


7.良くなるように思えない方のために

 このホームページの内容を読んで、これで良くなるように思えない方がおられると思います。そういう方のために、心の病を治すためのポイントをここで更に明確にしておきます。

1.リラックスは、普段心がけなければならないが、簡単にできるものではない。

 リラックスするために最も大切な事は、自分の今の状態に満足するという視点である。どうしても満足できない場合、人間の愛情に不信を抱いている場合がある。この場合、簡単に見つからないが、共感で接してくれて決して裏切らないような異性と付き合えば治る。見つかりそうにないなら、素直にカウンセラーを利用する。躁の状態が続いている場合は、呼吸を意識的にゆっくりにしてペースを落とすこと。呼吸と心は深い関係がある。

2.感情がない場合、記憶をたどって昔の感情を思い出すことは、容易ではない。

 これはとても時間のかかる作業なので、急がない。過去の記憶をさかのぼっている際に、強い精神的苦痛を感じた場合は、呼吸を整えてそこで休むことが大切である。こういう場合は日を改めるのがよい。喜怒哀楽のうちのどの感情が残っていて、どの感情が失われたのかを知り、どこで失われたのかを考えることも大切である。多くの場合、周囲に合わせて自分の感情を殺してしまった経験を持っている。周囲に合わせて感情を殺すことは間違いである。また、感情を失っている人の場合、内面に別の人格を作っている場合がある。こういう場合、その人格が今の自分の感情を奪っているので、対話を深めて統合化する必要がある。内面に友人を作り上げた経験がないかを考察し、その人と対話することが大切である。

3.心の病の原因は、過去に受けた心の傷(トラウマ)である。

 過去に心の傷を受けたときに、自分はどのように自分を守ったかを考えなければならない。自分の感情を殺してはいなかったか。殺していたなら、どこでその癖を覚えたのか。感情を殺すように親から言われた経験はないか。親にニコニコすることを強要されてそれに従ったことはないか。家族の中に、嫌いな人はいなかったか。その人とどのようにして関係を保ったか。親に嫌われないように、親の望むような人格を演じてはこなかったか。そういう過去の自分によく向き合い、自分自身を見つけ直さなければならない。自分を殺して人に合わすのは、間違いである。外でも、相手の前でニコニコする必要はない。

4.目標のある人は心の病になりにくい。

 その目標は、今の満足を前提にしながら、自分自身の成長を目的とするものでなくてはならない。地位や名声や富を目標にする人は、失敗したり失敗を考えて絶望し鬱になる。

5.ひどい鬱などは改善されたが、未だに心が不安定で、ストレスが消えない場合は、人間の愛情について不信をもっている場合がある。

 愛し方や愛され方を知らないことはないか。いつ嫌われるかわからないと怯えて接する関係に、本当の愛はない。本当の愛とは、安心して自分のすべてをさらけ出せる関係をいう。あなたのどこそこが好きなどと言う人とは、付き合わないこと。この場合、その人の前で自分を演じ続けなければならず、自分を苦しめることになる。また、共感的理解の無くなった関係にも、愛はない。愛はお互いに作っていくものである。世界中に一人でいいから、自分を本当に共感で理解してくれる人がいれば、心の病は更に軽減される。そういう人が見つからない場合は、カウンセラーを利用するのが良い。

6.鬱は感情が表に出せず、心の内にこもらせてしまうところから起こる。

 鬱は、怒り、悲しみ、不安の感情が十分表出できないところから起こっている。うまく表出できない場合、これらの感情は心にため込まれ、いつまでも浄化されず重荷になり、感情を失わせて鬱を引き起こす。
 怒りの感情は、怒りによって人を許すためにある。許さなければ、それは重荷になって自分を苦しめる。悲しみの感情は、悲しむことによって心を癒やし、悲しみを思い出に変える。
 過去もしくは最近において、怒りや悲しみの感情を押さえ込んだ事件がなかったかを明確にする。そしてその事件を思いだし、怒り悲しむようにする。その事件を、ノートなどに書いて残すと非常に効果的である。感情の出し方を忘れてしまっている場合は、怒りの感情を出すときは、にらみつける表情を作り、悲しみの感情を出すときは、涙を出すことを目標にすればよい。
 不安の感情は、自分の今おかれている状況を正しく判断し、危機を回避するためにある。
 与えられた仕事をやり遂げる自信がなかったり、やらねばならない仕事を放ったらかしにすると、不安感が生まれ、ストレスになる。感情を失っている場合は、この不安感を不安感と感じることができず、鬱の症状として表れてしまう。この場合、自分の置かれている状況をノートなどに書きだし分析して不安感を軽減してやれば治る。
 その手順は、まず、今自分が感じている不安をノートに書き出す。次に、その不安を取り除くためのプロセスを考えて、ノートに書く。そして、そのプロセスに従って行動する。
 例えば、大会社の社長は秘書を利用するが、秘書は社長の一切のスケジュールを管理することによって、社長の不安感を取り除いている。社長は、秘書の言う通りに動くだけでよく、ハードな日程をこなしながらも、精神的な負担はそれほどない。自分を取り巻く不安感をノートをつけて自己を管理することは、秘書を雇うのと同じ意味を持つ。ノートを自分の秘書と考え、そのノート通りに動けば良い。
 ただし、自分を守るという視点を忘れないこと。鬱になりやすい人は、几帳面で、真面目で、責任感が強い。だから、人から頼られて、多くの仕事を背負い込みやすい。多くの仕事をこなしても、鬱で潰れてしまったとたんに、あなたの社会的評価が無くなってしまうことを肝に銘じ、鬱にならない程度まで仕事を抱えることが大切である。仕事を断ることのできる人が、一番人から信用される。

7.パニックになり、わけが分からなくなったら、ただちに思考を止めることが大切。

 鬱の原因を考えすぎて、さらに鬱をひどくする人がいる。鬱の原因を分析することは大切であるが、短期記憶を担当する海馬にその分析した自分の情報があふれてしまい、脳が情報を正確に処理することができなくなり、鬱をひどくしてパニックになる。こういう場合は、何も考えないようにし、短期記憶が自然に消滅するまで休む事が大切である。最低でも3日間は何も考えないようにする。仕事がある場合は、しばらく休むことも大切である。長期休暇が取れるのであれば、できる限り長く取り、何も考えない状態を続けて、覚えたことを忘れると治る。鬱を治そう考えて分析せず、鬱があるままで、何も考えない状態を無理にでも続けることが大切。字や本を読まないこと。自己を掘り下げたり、分析しすぎないことも大切。無理してたくさんのことに手を出さない。鬱になる人は、二足のわらじを絶対にしてはならない。

8.過去の記憶が客観的な場合は鬱になる。

 過去を思い出したときに、そのイメージの中に客観的に見た自分の姿がある場合、鬱になる。記憶はすべて主観的でなければならない。自分を客観的に外から眺めてしまう癖をどこで身につけたのかを探り、過去の記憶をすべて主観的に見直す作業をすれば良くなる。そして、現在を主観的に記憶するように心がけ、将来の目標や夢を考えるときも、主観的に想像するようにすると良い。
 

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8.鬱病の人が持つ誤った価値観と、鬱を治すために大切なことについて

 鬱病に苦しむ人は、誤った価値観に束縛されています。誤った価値観とは、自分自身に向けられる、「ねばならない」という発想を言います。精神が健康であればあるほど、自分自身に対して、「ねばならない」と考えないものです。例えば、「きちんとしているから成功する」という価値観は間違っています。鬱病は、自己否定するところから起こりますが、こういう価値観を持っていると、自己否定の根拠を与えてしまいます。
きちんとしているから成功する。(ねばならないという誤った価値観)
 ↓
私は失敗した。
 ↓
私はきちんとできない人間だ。
 ↓
私は悪い人間だ。(自己否定から鬱になる)
この誤った価値観は、親や尊敬する人から与えられています。カウンセリングで良くあるやりとりを提示してみます。
カウンセラー
「あなたはどうしてきちんとしなければならないと考えるのですか?」
患者
「きちんとしなければ、成功しないのが人生でしょう。」
カウンセラー
「そうですね。ですが、たとえあなたがきちんとしていても、運が悪ければ失敗します。」
患者
「そうです。」
カウンセラー
「それに、きちんとしている人よりも、おおらかな人の方が成功していませんか?」
患者
「そうですね。」
カウンセラー
「それならば、きちんとしていれば成功するは間違っていませんか?」
患者
「そうですね。」
カウンセラー
「では、あなたはどうしてきちんとしていれば成功すると考えるのですか?」
患者
「親にそう言われたからです。」
カウンセラー
「では、あなたは親の言うことがすべて正しいと思いますか?」
患者
「そうは思いません。」
カウンセラー
「それならば、親に押しつけられたこの価値観が、間違っていることもあります。」
患者
「そうかも知れません。」
カウンセラー
「健康な場合、こういう発想はせず、もっと軽く物事を考えるのですが。」
患者
「そうなのですか?」
カウンセラー
「そうです。あなたがもし、他の親に育てられていたら、このような価値観を持ちませんでした。」
患者
「私は親の間違った価値観に束縛されていたのですか。」
カウンセラー
「そのようですね。だから、今、鬱になっているのです。」
患者
「・・・。」
カウンセラー
「他にも、自分自身に対してねばならないと考えておられるのでしたら、それはすべて間違いです。」
 一般的に鬱の人は、「ねばならない」という価値観に束縛されていることに、気がついていません。認知療法では、この間違った価値観に気づいてもらって、なるべく持たせないようにして、肩の荷を降ろしていきます。そして、物事をなるべく軽く考える癖をつけてもらうことで、鬱病の再発を防ぎます。
 間違った価値観で多いものをあげておきます。

・学歴があれば成功する。
・努力すれば成功する。
・きちんとしているから成功する。
・勉強すれば成功する。
・優しいと結婚できる。
・相手の感情に配慮すれば成功する。
・自信があれば成功する。
・強ければ成功する。
・セックスがうまいと成功する。
・仕事をうまくこなせば成功する。
・いつも笑顔ならば成功する。
・たばこを吸ってはいけない。

「ねばならない」という意識に束縛されていると、人に対しても「ねばならない」を強要してしまい、人から煙たがられて、敬遠されます。そして、どんどん卑屈な考え方を身につけてしまい、何事もうまくいかなくなって、自己否定を深めてしまいます。「ねばならない」と考えるのではなく、「ねばならない」を「~したい」「~になりたい」と考えるようにして、自己否定を行わないように心がけて下さい。
 過去を振り返るのは、過去に抑圧された感情を表出するためと、この誤った価値観に目を向けさせるためであって、最後は辛い過去を忘れることが大切です。鬱の人は、過去に生きています。例えば、朝に喧嘩をして、昼までムカムカしている場合、昼に楽しいことがあっても、楽しめません。それは、意識が過去にいるからです。健康な場合、意識は今現在にあって、過去は忘れています。カウンセラーに対して、正直になれないのは、過去に自分が会った人と、目の前にいるカウンセラーを同一視するからです。カウンセラーは何を言っても受け止めてくれる存在であって、過去に会った人と全然違う人で価値観も考え方も違うのです。これも、意識が過去に生きていることを示す典型的な例です。
 また、心の病を抱えている人は、人格が分かれていて、理想の自分を演じている自分がいます。そのために、自分の感情を殺すのです。正常な場合、人の感情に配慮する前に、自分の感情に正直です。この場合、相手には許せて、自分には許せないことを抜き出してみて、自分自身のことをよく振り返ってみることが大切です。健康な場合は、相手に許せないことは、自分にも許せないし、相手を許せることは、自分も許せます。
 感情の表出も十分で、「ねばならない」という間違った価値観のついても十分に考察してもなお、鬱がなくならないならば、親からの自立と労働を心がければ良くなります。親からの自立とは、親から離れて自分の責任で生きていくこと。また、労働は人間の精神にとってとても重要です。周りが働いているのに、自分だけ悶々としていると、無意識的に焦りとストレスを感じています。自己分析を進めて、鬱からくる無気力がなくなったならば、勇気を持って労働してみて下さい。自分を強いと考えているのならば、それは大きな間違いです。自分が実はすごく弱い存在だと気づけば、誰よりも自分自身を守らなければと考えるようになります。そうなれば、人のことよりも、自分自身の感情により素直になれます。
 また、無意識にばかり気がいくのも、鬱病を悪くします。弱い無意識を守るのが自我であって、無意識も、自我を配慮してあげないといけないのです。自我は、無意識の持つ感情を大切にし、無意識は自分を守ってくれている自我を大切に思うことが重要です。本当の自信は、学歴や権威や武器にあるのではなく、無意識が自我を信じるところから生まれるのです。
 鬱が軽減されて、動けるようになったら、頭の中をぐるぐる回るうるさい思考を一切やめるように心がけましょう。頭の中がうるさいことに気がついたら、心を落ち着けて、うるさい思考を停止するようにしましょう。鬱がなくなって動けるようになったら、自己分析は、もう必要ありません。自問自答をやめて、主観的に過去と現在と未来をみることができるようになれば、ストレスのない以前の生活が戻ってきます。
 強い不安感に襲われた時は、何も考えないようにして、ゆっくりと睡眠を取るようにして下さい。不安に追いつかれても、死ぬわけではありません。人生に抜け道はいっぱいあります。人生は長いのですから、走り続ける必要はないのです。今日は休む日と決めて、十分に休息をとって下さい。のんびりしていることに罪悪感を感じる必要はありません。ゆっくりしている人を非難する人が間違っているのです。ゆっくりしている人を非難する人は、遅かれ早かれ潰れます。歩いている人は、道ばたの草や鳥の声に気づくことができて、いつも心が豊かです。人生もそれと同じです。忙しい職場にいて、バリバリしている人だけが成功するわけではありません。忙しい職場にいながら、のんびり落ち着いている人もたくさん成功しています。人が走っていても、自分のペースをしっかりと守ることは、とても大切です。走りたい人は走らせておけばいいのです。人が走っていても、自分は歩くようにしてください。そうしているうちに、次第に行動力がたまって自分も走れるようになってきます。
 人に会いたくないときは、素直にその感情を認めて、仕事が終わったら、なるべく人に会わないようにしましょう。電話がかかってきても、出なくていいのです。今日は人に会わない日と決めて、ゆっくり自分の時間を満喫しましょう。誰だって、一人になりたいときはあるものです。罪悪感を感じる必要はありません。人には、心の調子のいいときに会えばいいのです。鬱を治すために一番必要なことは、休息なのです。休息を仕事と思うようにしてください。鬱が長引くと、想像以上に体力が低下しています。でも鬱の人は、疲れるという感覚が麻痺していますので、どこまでも動ける気になります。仕事をしていて、やたら肩が凝ったり、走れなくなったら、体力がないのだと認識して、淡々とその日の仕事をこなすようにしましょう。
 自己分析を深めることによって鬱が軽減されて、なお残るストレスは、自分に負けない生き方をすれば取り除くことができます。ストレスぐらい、少々の病気ぐらい、「なにくそ」「負けるものか」と精神の力で引っ張ることが大切です。ストレスの強いときは、自分に負けないと思っても、なかなかできません。それをすると、逆に感情の起伏が激しくなってしまいます。それは、自分を縛り付けている価値観に気づいていないからです。ですが、その価値観に気づけば、それを打ち破っていくことができます。そして、そうしているうちに、次第に動けるようになってきます。自己分析を進めて、自分を大切にするようになると、今度は過剰に自分を守るようになってしまいます。それでは、本当の自信は生まれてきません。自信は、過去の自分の行為を信じて、クヨクヨと振り返らず、先を見すぎて走らず、今のこの瞬間を、自分に正直に生きることから生まれてきます。自信のなさからくるストレスをなくすためには、「なにくそ」が必要なのです。ストレスへの耐性は、この「なにくそ」から生まれてきます。また、ストレスを解消するには、仕事や交遊や趣味に打ち込むことが大切です。自分が楽しいと思うことをすればするほど、ストレスはなくなっていきます。鬱の人は、自分が楽しいと思うことを抑圧しているので、楽しいことは何もないと考えますが、過去を振り返れば、楽しいことが必ずあったはずです。それを無理矢理にでも何度もやってみて、機嫌を損ねた無意識をあやしてあげて下さい。
 
 
9.心の病を抱える人への周囲の配慮について

 よく、息子が鬱になったからといって、カウンセリングに連れてこられる親御さんがありますが、こういうケースをカウンセリングに持ってこられても、ご本人に問題という意識がない場合は、手の施しようがありません。馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできないのです。ですから、カウンセラーはまず、ラポール(信頼関係)を結ぶことに力を注ぎます。共感で接し、何でも話せる人なのだと言うことを分からせないと、本当の心の内を決して話してはくれないのです。
 こういう場合に最も有効な手段は、カウンセリングではなく、ケースワークです。これはご本人だけではなく、家族やその周囲に人に対して、ご本人に対する最良の接し方を提示していきます。そのためには、ご本人の生育歴や、人生、そして、ご本人を取り巻く人間関係を綿密に調査し、たぶんご本人の胸の内はこうであろうというところから最良の方法を推測していきます。主観がかなり入るので、時には批判の対象にもなりますが、優秀なケースワーカーはかなり鋭いところをついて改善に導いて行かれます。ですが、これは海外の理論で、日本ではまだ一般化していないのが現状です。
 ご本人が何かを失われてからおかしくなられたのでしたら、心理学で言う対象喪失が原因かと思われます。もしかしたら、鬱の症状が出ているのかも知れませんが、これは専門医がご本人に直接会って話をしてみないと分かりません。
 鬱がある場合、周りは心に病気がある状態なのだという認識で、どんなことをしても、どんなことを言っても、怒らず受容的な態度を示すことが大切です。ただし、できないこと(自殺ほう助等)を要求された場合は、きつい調子で怒ることが大切です。ご本人が死を口にした場合は必ず、周りの人は、あなたが必要という態度で、強く叱ること。周りがいらいらして突き放したりしたら、本当に死にます。
 次に、夢を持たせるためには、仕事を与えること。お願いしてやってもらうと良いと思います。家事や、家族旅行の段取り等が最良と思います。ですが、決して、植物の栽培などの、頼みにくいどうでもいい仕事を与えないこと。裏をかかれます。そして、仕事をしてもらったら、周りは感謝すること。
 一緒に河原をお散歩したりお買い物をしたりして、外で昔の話をするのもいいと思います。ご本人がどうして結婚されたかとか、ご本人の子供時代とか、親の話とか、どういう人生を歩んでこられたのかとかを聞いて、あのときは辛かったねとか、それは大変だったねといった相づちをうってあげて、感情の表出を助けてあげるのが一番です。
 心の絆がまた結ばれるようになって、孤独感がなくなってくれば、次第にまた以前の心を取り戻して、何かやってみようかと言ってくれるようになります。
 また、ご本人が泣いていたら、そっと肩をもんであげたり、そっと手をかけてあげたり、そういった優しさをかけてあげてみて下さい。
 そして、周りの人は、ご本人に物事を頼まれ切られないようにしてください。ご本人がすべきことはご本人にやらせることが大切です。期限ぎりぎりまでせかさず待って、それでもできないようでしたら、内緒でやっておいてあげて下さい。やったことを表明すると、また自分は駄目な人間なんだと言って落ち込まれることになるかと思います。
 
あなたがカウンセラーになってみて下さい。
資格なんかなくても、優しさがあれば、誰でもできます。
 
10.母子分離不安について

 母親の望む姿になろうとして、強いプレッシャーを受けること。
 自分を殺し、我慢して、いつまでも無意識が子供のままでいようとする。本人は、強いプレッシャーの原因が、「母親が喜ぶために~する」という心の働きによるものと気づかず、追われるように次々と目標を設定する。このような場合、挫折に極めて弱いため、ストレスを溜め込み、心が晴れることがなく、躁鬱病にかかりやすい。本人が一人の大人として精神的に自立し、母親の喜びのために行動するのではなく、自分の喜びために行動できるようになれば、正常な精神に戻る。恋愛であれ、進路であれ、自分の喜びためである。母親の望まないことを行った時に、強い恐怖感を伴う場合は、幼児期もしくは、少年時代に親から何らかの強い精神的圧力を受けており自己イメージが低くなっている可能性がある。この親離れの不安感が恋人や上司に転移した場合、自分を主張できず、相手の言いなりになってしまいやすい。周囲の人の言動に縛られて生活している自分を反省し、きちんと自己主張ができるように訓練すること。

11.強い痛みを感じる原因は、不安感である

 過去に、「どうしてよいかわからない」と、強烈に悩んだ経験があり、その問題が自分にとって不本意な結果に終わって、なおかつその適切な解決策を未だ知らず、長く放置している場合、自信を失い、強い痛みを伴って動けなくなることがある。痛みの原因は抑圧された感情と、自分の中にいる子供の心が、自分自身の自我に守ってもらえず不安で泣いているためである。痛みは、胸やのど、舌の上に現れやすい。また、痛みの個所が動くこともある。それをストレス球という。過去の「どうしてよいかわからない」と強く悩んだ経験を振り返り、その上手な解決策を考えて不安感を取り除くと次第に治る。もしくは、その事実を受け入れると良い。ただし、胸の痛みは時間をかけて取り除かれるものであり、トラウマを言い当てれば瞬時に消えるものではない。自分がこれまで何に悩んできたのかということと、これから受け入れて思い出に変えなければならない事柄は何かを知ることが大事。過去を振り返るとぞっとするように感じるときは、ゆっくりと思い出しても大丈夫なところから思い出し、その体験が過去のことであり終わったのだと受け入れること。また、どの時点で気力が続かなくなり、そのときに何があったのかということと、自分がそのとき自分の精神を痛めつけ、精神力で乗り切ろうとしなかったか。わざと不安感を引き起こして、無理しようとしなかったか。そういうことを思い出して、自分にきちんと謝ること。躁鬱がなくなっても、痛みだけ消えない場合は、精神の問題ではなく、神経が原因である。今の自分自身を振り返り、神経を痛めつけていないかを確認し、とにかく安静にして心の休養を取ること。病気は安静にして治すものであることを思い出すこと。また、ぐるぐると考え事が回って痛みが苦しくなる時は、独り言を喋ると考えずにすみ、楽になれる。
 不安感には、孤独になることへの不安、セックスの不安、大人になる事への不安、対人恐怖、自分が傷つくことへの不安などがある。また、今の自分の心の病気が治らないのではないかということも不安になっている。それらの不安感を取り除くには、過去において、その不安感を感じるようになった事件を思い出し、受け入れる必要がある。

 参考までに、トラウマを催眠で表に出すことは、一人でもできるので紹介する。
 例えば失恋のトラウマを思い出す催眠に入る方法は、①安静にする。②失恋して強いショックを受けておかしくなった時点を思い出す。③「今**さんの前にいます。まだ別れていません。」と自分に穏やかに語りかける。④そのときの気持ちを素直に表に出す。
 トラウマが起こる直前に戻るのがコツで、この方法で長く苦しんだ痛みが緩和する場合がある。
 コツがあるので、一人ではできない感じがしたら、ムキにならずやめておくのが賢明。self-hypnotism(セルフヒプナティズム:自己催眠)。
 もしこの方法が使えるのであれば、さらに幼かった時期までさかのぼって、家や家族に安心感を持てていたかを再確認すると良い。家や家族に恐怖感を感じて落ち着きがない感じがした時は、家族以外の誰か(もしくは神様や仏様)に安全な場所で包んでもらっている自分をイメージして、不安感を取り除くと改善する。


12.胸の強い痛みがあり心が追われる場合、とにかく精神の休息をとること

 胸が痛く心が追われていると感じているときは、すみやかに心の休息を取ること。仕事などはなるべく休むこと。休息中は、過去に深く傷ついた心を癒すことに専念すること。追われるままには動かないこと。癒すには、他人が誰も入ってこれない極めてプライベートな場所に、落ち着いた静かな環境を作ると良い。人付き合いは神経を疲労させるので、なるべく自分がしんどいと思う人には会わないこと。テレビやラジオ、読書も神経を疲労させることがある。とにかく安静を心がけることが大切。人に気を使い、考えすぎることが精神疲労を引き起こしていると認識すること。神経が疲れていると、一人になっても考えがぐるぐると頭を回って離れない。そういうときは、「疲れているのだ」と自分に言い聞かせて、ゆっくりと休養を取ると良い。休養中は、余り物事を考えすぎず、のんびりとした気持ちで自分自身について振り返ること。
 胸の痛みの原因として、対人恐怖や、孤独感や、不安があげられる。幼少の頃、一人になると不安で仕方がなかったことがなかったか。また、自分が成長するにつれて、その不安感にどのように対処したか。幼少の頃は不安になると泣いて親を求めたが、成長とともに、別の人格を作ったりして無理にその不安感をこらえようとしなかったか。そして、それがもとで孤独感が深まりはしなかったか。人の輪にとけ込めないことで、その不安感が一層強いものになりはしなかったかなどを思い出して確認すること。不安感を取り除くには、落ち着ける環境に自分を置くと良い。不安感を取り除くために、上に上に目標を設定すると、心が追われてしまい、逆効果である。
 また、不安感を取り除くには、誰かに包んでもらっている自分をイメージすると良い。また、趣味やスポーツ、交際なども非常に効果的である。
 人が怖くて仕方ない場合、その原因となったショックを思い出して、それに勇気を持って立ち向かうと次第に楽になる。
 また、不安感や悲しみの表出がなくなったにもかかわらず、胸の痛みが消えきらない場合は、恐怖感が表に出るように訓練すると良い。河原や海辺など静かなところで、恐怖感を抱えた事柄について思いだし、その恐怖が終わったことを受け入れること。
 自分が成功しないからといって、全く自分と関係のない他人を攻撃するのは、きわめて自己中心的であり、絶対に許されない。通り魔などの悪質な犯罪は、絶対にやめること。その行為が、大人になりきれない自分を人前にさらすことであり、より一層自分を情けないものにすることを理解すること。


13.不安感の真の原因について

 不安感の真の原因は、やらねばならない仕事が溜まってしまうことにある。たくさんの仕事に追われて、どれから手を着けて良いか分からなくなり、パニックになる。こういう場合は、紙に今やらねばならない仕事を書き出して、それに優先順位をつけて一つずつこなすと良い。また、その仕事をする前に、頭の中できちんと段取りを決めてから仕事にかかると動きやすい。仕事がたまる原因として、過去に学校の宿題や、受験勉強などが、心が追われないとできなかったことが挙げられる。一日延ばしの作戦は、非常に精神疲労と不安を招くので、不安感に追われたくなければ、きちんと早めに仕事にかかる癖をつけなければならない。仕事がたまることによる不安の原因は、過去に受けた学校教育にあると思われる。宿題ができなければ、また、勉強ができなければ落ちこぼれるという不安や、落ちこぼれたものには未来がないという間違った価値観に、大人になっても束縛されているのではないか。もっと自由な学校教育が行われたならば、追われることなく勉強や仕事をこなすことができたということに気づく必要がある。
 追われてしまうときは、追われる心にまかせて一気に動かずに、無理をしないで一つずつ仕事をこなすこと。また、自分は別に追われなくても良いことで追われてしまっていることに気づくこと。その仕事が早く上手にできなくても、死ぬわけではなく、友人をなくすわけでもない。追われてイライラしている方が、かえって友人をなくすことに気づくこと。仕事を上手に完璧にこなせなくなると地位や名誉を失うかもしれないが、そのようなものは水物で長く手に納めておくことは難しいものであり、それに執着して自分を過酷な環境に置く必要はない。実際、地位や名誉があっても、死んでしまえば、その葬儀は義理で参列する者であふれるだけで、淡々としたものである。それに、たとえその功績が長く語り継がれたとしても、将来人類が滅亡すれば、そこで消えてしまうものである。
 自分の天職とは、自分が夢中になってできる仕事であり、天職の結果として地位や名誉がついてくる。だから地位と名誉を目標に頑張るのは本末転倒である。後世まで名を残したいと強く望むのはなぜか。自分が一体何に執着しているのか。その執着が自分を苦しめていないか。その執着が自分の人生を苦しいものにしてしまっていないか、よく振り返ってみること。
 追われて仕事が手に着かないときに、気分転換を理由に趣味や他のことに走ると、落ち着くどころか逆に不安感がつのってしまうので、とりあえず仕事にかかるほうが良い。しかし、全部できないのであれば、きりのいいところで残りの仕事は明日にまわすこと。「頑張れば今日中にできる」と考えると、できなかったときに自分を責めてしまい、不安感になってしまう。そこまで頑張らなくて良いし、きりのいいところで仕事をやめて趣味などをしてくつろいで、明日にまわせる仕事は明日にまわすと良い。ただし、今日できるようであれば、気分転換などやめて、しっかりとやってしまうこと。その方がはるかに精神的に良い。そして、仕事を終えたときは、「よくやった、満足」という気持ちを持つこと。
 また、とても忙しく無理をしなければならない状態が毎日続くような仕事に現在就いているのであれば、そのような仕事は早く辞めて、休養を取って、もっとのんびりとした仕事に移ること。自分が会社の役員の場合は、その地位を早く人に譲って楽になるか、もしくは早めに長期の休養を取ること。「そんなことできるわけがない」と思う前に、治りたいなら辞めなさい。そして、辞めて楽になって、解放された落ち着いた環境が整ったら、自分が何に怯えているのかを、ゆっくりと探ること。怯えの原因として一般的なものは、過去に受けた心の傷と、他の人間と、自分の将来に対しての怯えである。


14.自分の抱えてきた不安感の再認識と、不安感への対処について

 「ねばならない」という意識を生みだす原因は、不安感である。例えば、少年時代に自分の育った環境において、家庭崩壊などの出来事を引き起こすような事件があった場合、その不安感を取り除くことができないために、意識を切り替えてその不安感から目をそらすようになる。自分の無意識は、家庭が崩壊したら自分はどうなるのだろうという強い不安感を抱えているのに、その不安感を切り離してしまうことよって、より一層不安感は消えなくなり、また時間の経過とともに、その不安を抱えて生活していることすら忘れてしまう。この場合は、家がなくなるという不安をベースに生活しているので、例えば仕事に就くときも、家や給料に強い執着を見せるようになり、人よりもより一層頑張ったり、強すぎる責任感を身につけてしまう。家がなくなるという不安に、自分は何とかしなければという意識が無理を生み、運悪くさらに失恋や、挫折、自立への不安、失業などが重なることによって、不安を重ねてしまう。そして不安を重ねるたびに、不安から目を背ける癖を出してしまうので、自分が今何の不安を抱えているのかさえわからなくなり、パニックになる。

 不安を取り除く方法が、不安から目をそらすという方法であれば、不安は消えることはないし、不安をさらに重ねてしまうことになりかねない。不安感は、自分が今何に怯えているのかをきちんと自分で理解して、それを時間の経過や区切りによって、その不安は終わったのだと認識すれば消える。

 不安を抱えていると気力が続かなくなるので、いつ頃から気力が持たなくなったのかを思い出し、そのとき自分がどのような不安を抱えてたのかをはっきりとさせて、不安としっかりと向き合い、その不安が終わったことを認識して取り除くこと。思い出して悲しくなるなら、悲しみをきちんと表出して取り除くこと。不安から目を背けてしまわず、しっかりと向き合っていれば、次第に心が落ち着いて、やる気にかわる。不安が重なっているときは、無理をせず一つずつ取り除くこと。

  意識をそらして忘れてしまいがちな不安感を挙げておきます。

 ・家がなくなってしまう不安
   → 大人になって考えれば、家がなくなっても何とでもなる

 ・精神が大人になる前に親と離れて孤独になる不安
   → 精神が大人で、自立の準備が整えば、親と離れることは不安ではない

 ・精神が大人になる前に、親が貧しくなり生存が危ぶまれることへ不安
   → 貧しくなっても、生活保護などを受ければいいし、死ぬことはなかった

 ・自分はセックスができないかもしれないという不安
 ・自分は恋愛できないかもしれないという不安
 ・自分は結婚できないかもしれないという不安
   → これらは時期が来たときに一度経験してみて下さい。
     強く執着するほどのものではないと思います。
     ただし、顔やスタイルや障害が原因で恋愛できないというのは嘘です。
     相手とフィーリングが合い、その人と一緒にいれば自分が落ち着いて、
     相手も落ち着いてくれているのであれば、自然に恋愛になるし、
     セックスだってするし、結婚できます。
     本当に相手が自分のことを好きでいてくれているのであれば、
     どのような状況でもついてきてくれます。
     もてない方(特に男性)を見ていると、どうも落ち着きがないし、
     しっかりと相手を守ってやろうという意識が見えない。
     それでは女性は不安になってついてきてくれません。
     男性なら、やはりどっしりと構えないとと思います。
     相手の女性を不安にする事をやめない限り、落ち着いた恋愛はできません。

 ・人前で激しく攻撃されたり、馬鹿にされた屈辱の経験
  → そのときはひるみましたが、今はどうでしょうか。
    もし今、そのときと同じ状況になったら、自分はもっと利口に対処できるはずです。

 ・友達に言えなかった言葉や、嘘をついたこと
  → 過去に謝ったり言いたいと思ってうやむやになったことはないか思い出す。
    言わなければと思っていたことをうやむやにすると、ストレスになります。



15.自信のなさと心の負け癖について

 過去に強いショックを受けて、自信を喪失し、その対処法が分からないために、それ以来、ちょっとした不安に耐えられなくなることがあります。また、これまでの人生が失敗体験の連続で、自信がなくなっている場合もあります。
 こういう場合、成功体験が心のベースになるように、心の持ち方を変えると良くなります。過去の、失敗したことばかりを振り返るのではなく、成功して嬉しかったことを振り返って、自分に克服できる力が備わっていることを再確認して、心についた負け癖を取り除くと楽になります。
 失敗から目をそらすと、いつまでたっても失敗を乗り越えられず、不安のまま生きなければなりません。そして、失敗を重ねるたびに、心は負け癖を憶えてしまいます。失敗から目をそらすのではなく、過去の成功体験によって、失敗を乗り越える気持ちが大事です。そして今後は、心に負け癖がつかないように、ショックを受けた場合は、失敗の経験を乗り越えてから、前を向くよう注意することが大切です。
 成功体験は、どんな思い出でも構いません。「やった!」と心から思った思い出が一つでもあるならば、その思い出を心のベースにして、生きてみて下さい。自信が戻って動けるようになります。



16.人格の統合について

 鬱病や心の病を抱えている人は、人格が分離しています。図は心の内面を表したものですが、Aは健康なとき中心にくるホストの人格、Bは心が病んだときAから分離している人格です。
 カウンセリングで過去を振り返るとき、心が病んでいる場合は、Bのところで思い出してしまいますが、それは間違いで、本当はAのところで振り返り感情を表出する必要があります。以前どこかで心の状態がおかしくなったと感じたことがあり、これはまずいと思ったけれど、忙しかったりして自分の心の処理を後回しにしてしまった結果、元への戻し方が分からなくなってしまったかもしれません。
 人格が分離してBで生活する場合、精神が安定せず、不安感や気力の減衰、体の不調、記憶力の減退、記憶の消失、痛みといった形で現れてきます。
 落ち着いた環境にしばらく身を置いて、過去のショックを幾つも思い出して、躁鬱の感じがとれて受け入れができるような感じがしたら、勇気を持ってAを中心に持っていき、BをAに取り込むようにします。受け入れるというのは、辛さをBの人格でごまかすことではなく、Aの中心の人格(どっしりと構えている本来の自分の心)がBの人格が持ってしまっている恐怖感や悲しみを自分のこととして認識することです。
 幼少時に辛い体験をして、そのときに人格を分離してその場を逃れる心の癖を付けてしまい、そして大きくなって、辛い経験や挫折を重ねることで、人格がより一層分離してしまったのかもしれません。
 Aのホストの人格がどこか分からなくなっている人は、病んだ自分を治そうとしている部分、動けないと感じている部分がそうです。デュルケムの言う、「我思う故に我あり」の我がAです。
 Bが抱えている過去の悲しみやショックをAが自分のこととして受け入れて、Bを吸収しようと考えられるようになって実行に移したときから、いつでもどこでも思い出そうとすれば簡単に過去を振り返ることができる、記憶力と気力に満ちた自分が戻ります。
 以後は、人格が分離しそうになったら、感情を出して元に戻す癖を付けると良いでしょう。
 人格を統合しようとしてもしこりが残ったりおかしな感じがする場合、幼ない時に受けた心の傷が癒えていないことが考えられます。Aのホストで幼少時の心の傷を思い出すようにして、そのときの感情を表に出すようにして下さい。特に、親(母親)の虐待が痛みの原因となっているケースが多く見られます。間違ったしつけが行われて、自分の心が傷つけられたことはなかったか振り返り、不安の感情とともに、怒りや反撃の感情が起こってきたら、それを否定しないでそのまま心に任せて受け入れるようにします。不安感は、怒りや反撃の心で取り除くことができます。
 自分が反省しているのに、しつけということで更に余計なひどい仕打ちをされた場合、心と体に深い傷が残ります。そしてそれが自己防衛のための虚言などの行動になっていきます。
 また、分離した人格を統合しようとしてAのホストを中心にもっていった場合で、注意しなければならないのは、過去を思い出す時に、自分がフラッシュバックと呼ばれる思い出し方をしている自分に気づくことです。フラッシュバックとは、過去の一部分がハッと思い出されて消える現象です。これがあるうちは傷が癒えていません。柔らかく落ち着いた感じで短冊のように思いだせて、悪いことだけではなく良いこともきちんと思い出せるように、がんばってみて下さい。長く離れていた人格を統合化しようとすると、しばらく(何日か)は心が騒ぎますので、ゆっくりと落ち着いたところで行うようにして下さい。そしてこのときに出てきた悲しみや怒りの感情は抑圧しないようにして下さい。
 また、トラウマを思い出したときに心がひっくり返らないように気をつけるようにして、どっしりとした心で振り返り、悲しみや苦しみや痛みを落ち着かせて下さい。浄土真宗の開祖親鸞が言うように、たとえ過去の自分の過ちが、どんなに大きな過ちであっても、縁があなたをそうさせただけなのです。あなたはそのときそういう縁の中にいて、そうするしか方法を知らなかったのです。だから、仏様はそういうあなたをすべて許して哀れんで、あなたを守るためにそばについておられるのです。
 最後に、あなたの親も人間ですから、しつけは初めての経験なので、いろいろ間違いも犯します。もしかしたら、親の精神状態がそのときは悪かったのかも知れません。ですが、親としてあなたを包んでくれたことも何度かあったはずです。許せるようになれるまで、心の中で怒りをぶつけて、自分なりに受け入れて、また親と仲良くなって下さい。そして、あなたが親になったら、親と同じしつけの失敗を自分の子にしないようにして下さい。
 子は変なしつけをするからおかしくなって余計に荒れるのです。私は子の良心さえ伸ばしてやれば、しつけをしなくても立派に子は育つと考えています。


17.不安感と攻撃性について

 現在の自分を取り巻く状況が、それほどストレスに思えないのに、気力がなく動けなかったり、ひどく肩がこったり、体に痛みなどの違和感として現れている場合は、落ち着いた環境で過去に受けた心の傷を振り返りましょう。
 幼少期に親など近親者から虐待を受けて、そのときに強い不安感や恐怖を感じた場合、自分はまだ幼くその行為に反抗することができないため、その恐怖を心の底にしまい込んでしまいます。心の底が抱えた恐怖感が強ければ強いほど、攻撃性は強くなってしまいます。攻撃性を緩和するには、自分が虐待を受け、恐怖を感じたことを再認識する必要があります。
 虐待には、肉体的な虐待と精神的な虐待があります。過去に自分が悪いことをして、それに対して行われたしつけのやり方が時期的に正しかったかどうか、また自分の意見や感情を尊重して行われたかどうか考えてみてください。
 深いトラウマの場合は、次第に思い出せなくなりますので、掘り起こす必要があります。特にそういう場合は、子供の頃から体に不調が現れていますので、それをどんどんさかのぼっていけば、トラウマに行き着きます。トラウマに対しては、最初は目を背けてしまいますが、ゆっくり期間をかけて向き合えるようになりましょう。
 過去に受けたトラウマには、その地点に立ち返って、反撃の気持ちで向き合うと次第に解けてきます。心の底にこもっている不安感や恐怖感を表に出して、悲しみの涙を出せれば、反抗することができるようになります。きちんと反抗して、心の中で反撃できれば、トラウマは消え去ります。
 過去に親から虐待を受けて、恐怖感が強い場合は、親に対して攻撃性が向けられたままになっています。その場合、親になつくことはできず、自分自身ですべてを解決するようになり、人よりもはやく精神的に大人になってしまいます。そして、子供の心と大人の心がはっきりと分離してしまいます。どっしりとした自分になるために、自分の感情をどんな人の前でも素直に表に出せるようになりましょう。強い人は、どのような人の前でも決して自分を作りません。そして、自分が嫌いな人と無理に仲良くなろうとしたりしません。はっきりとした性格の方が、わかりやすいので、結局人から信用され好かれます。
 トラウマをとかすには、人ごととして思い出すのではなく、自分の目の前で起こっていることとして思い出すのがコツです。そしてそこでこもった恐怖感や悲しみを表に出してやります。
 長くためられたトラウマを解決するには時間がかかるので、仕事などはやめて、落ち着いた安全な場所で、ゆっくりと始めましょう。今のあなたに本当に必要なのは休養です。水泳の千葉すずさんも言っておられますが、人生には絶対にスランプがあって、それを解決するために1,2年のブランクがあってもいいのです。この病気が治ったら、以前よりも強く、楽しく人生を送れるようになります。心が追われずに仕事ができるのです!そして治ったらそのときにまた仕事を見つければよいのです。去っていった友達も、治ったときにまた職に就いたりサークルに入ったりすればそこで新しい友達をつくることができますし、あなたが健康になればまた以前のように遊ぶことができるようになります。
 トラウマが残っている限り、あなたの心の奥底が抱えている恐怖感は消えません。トラウマと向き合って、トラウマの事件は終わったと再認識すれば、自然に再起したくてたまらなくなるものです。
 補足として、トラウマが出尽くした感があるのに心の奥底が抱えた不安感が取り除かれない場合があります。その場合は、あなたのトラウマに対するこれまでの向きあい方が間違っています。人生には絶対に壁があって、自分の中でその壁を乗り越えていかなければなりません。精神的にそれに立ち向かって乗り越えるということをせず、心の処理をどうして良いか分からないので後回しにしてうやむやにしてしまうと、結局は自分の自信のなさを増幅させて、心の根底が強い不安感を抱えるようになります。自信を失ってどうしてよいかわからなかった事件(例えば失恋や補導、罪、売春、レイプなどの心の傷)に立ち返って、その自分の人生の壁に、勇気を持って立ち向かえるようになりましょう。そのときあなたはそういう縁の中にいて、あなたはそうなるしかなかったのです。まだ子供だったのかもしれません。でも、今はいろいろな失敗や後悔を経験し、同じ状況に自分が置かれても、うまく回避できるはずです。そうなってしまった自分を責めるのではなく、その事件が自分の心にどのような傷を負わせたのかをきちんと認識し、だけど自分はこの壁に立ち向かって、失われた自信を取り戻すのだという意志をその傷に対して向けていけば、心の根底が抱えた不安感は消えていきます。そしてそれができるようになれば、過去を振り返るときに心が騒ぐことがなくなります。
 これだけ苦しんだのですから、あなたの罪や後悔は神様や仏様に許されています。だから本当は、それに気づかせてくださった神様や仏様にあなたは感謝すべきなのです。
 いままでうやむやにしてきたことを一つ一つきちんと自分の中で完結させて、そのトラウマになった事件が過去のことであり、終わったのだという認識に変えましょう。どんなつらい出来事も、時間の経過によって自分の中で終わらせなければ、前を向くことはできません。
 治った人は、これから精神的に参ったときは、絶対に無理をせず、仕事に休暇を取って、温泉旅行などのんびりしたところに行く。そしてそこでのんびりと心を癒して、自信を取り戻して、またバリバリと仲間と楽しく働く。それが一番です。

 対人恐怖がなかなか消えず、人の目をじっと見ることのできない人は、人の目を見るときは相手の片目だけを見るようにすれば、じっと人の目を見つめることができるようになります。でも見つめすぎると失礼なので、時々は見つめる目を変えましょう。

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18.焦りの気持ちの原因について

 鬱病から立ち直ろうとするときに、自分自身の人生を振り返ると、自分の感覚の根底に焦りの気持ちがあることに気づくと思います。
 焦りの気持ちは、「早くこの状態を何とかしなければ誰かにひどいことをされる」という経験から起こってきます。
 この場合、特に幼少時に近親者からしつけという形で虐待を受けていないかを再確認する必要があります。また、兄弟がいる場合は、不公平な教育やしつけが行われていなかったかを確認します。それでなければ、自分の置かれていた環境について振り返って、自分の理想とする家族や家とはほど遠い状態に悲しんでいることを認識します。
 幼少時に肉体的もしくは精神的虐待を受けたのであれば、それに対して怒りの気持ちや悲しみの気持ちをぶつけることによって、焦りの気持ちは緩和されていきます。
 大人になって、自分に「~しなければならない」という義務が課せられたとき、その幼少時の経験が原因で焦りにつながる場合が多く見られます。
 怒りの感情を抑圧した場合、それは自分の記憶の中で恐怖感に変わります。もし恐怖感が強い場合は、つらい思い出や自分が受けた虐待に対して怒りの感情をぶつけることが大切です。その時によけいに気分がおかしくなるのであれば、怒りではなく悲しみの感情を表出するように心がけてください。
 悲しみを抑圧している場合、人が怖くなります。泣いているときは、人に会いたくなくて、一人にして欲しいと思うものです。自分が心の根底に悲しみを持っているのであれば、人の中に素直に入っていけなくなります。
 何が悲しいのかわからないのであれば、あなたはずっとその悲しみを抑圧して自分をごまかして生きてきたのです。大抵の場合、その虐待やつらい経験を境に、「自分の人生を泣いている」状態になっています。そういう場合は、自分の人生を悲しめばだいぶ楽になっていきます。

 o(^-^)o

 家でこもりきりにならず、外に出て活動した方が、感情が表に出やすくなります。人と遊んだり仕事などをして疲れたときに、感情が表に出て来ますので、そのときに自分が受けた過去の悲しみや怒りを表出してみてください。それを繰り返すことでずっと気持ちが軽くなっていきます。




19. プレッシャーへの対処について

 慢性的な不安感を抱えている場合は、プレッシャーへの対処の仕方がわからなくなっているのかもしれません。
 その場合は、自分が抱えているプレッシャーを明確にすると楽になります。
 ・自分がその仕事に対して、何故強いプレッシャーを抱えるのか。
 ・どこからこの不安感がでてきているのか。
 ・自分はどこでこの不安感を身につけたのか。
を考えてみてください。
 責任感の強さがプレッシャーに変わっている場合があります。
 そういう場合は、自分が何故強い責任感を身につけたのかを考えてみてください。
 たとえば、自分の家が機能不全家族であって、いつ崩壊するか分からない状態だった場合、自分が失敗して親にこれ以上迷惑をかけたくないと考えるようになります。すると失敗できないというプレッシャーを身につけてしまい、「やらねばならない」仕事が自分に与えられたとき、人よりも強いプレッシャーで仕事をしなければならなくなります。その結果、失敗への恐怖から自ずと責任感が人よりも強くなってしまいます。同じように、仕事を失うことや、地位を失うことが自分の生命に関わると感じている場合は、強いプレッシャーを感じて責任感を強くさせてしまいます。自分の仕事に対する人の評価に怯えるようになっていたのです。
 これらのような自分が抱えたプレッシャーを明確にできれば、そのプレッシャーの原因となる不安感に対して、不安になる必要のない失敗した後の違う生き方を考えることで克服できるようになります。失敗するのが人間であって、失敗したら少し人生の休息をとってまた新たに自分の生き方の方向を決めていけばよいのです。失敗してやめさせられたのなら、その強い責任感のかかる仕事はやらなくて良いのです。やめた方が自分にとって楽な生き方で自分の理想だと思えるならば、やめるのも人生の選択です。のんびり生きたら良いのです。

 どうしても仕事にプレッシャーを感じる人に、そのプレッシャーへの対処法を書いておきます。
 やらなければならない仕事があるのに、不安感が増幅されてなかなか仕事が手に付かない状態の場合、とりあえず始めるのではなくて、頭の中で完成までの段取りを決めてから動くと動きやすくなります。

 ①仕事を完成させるまでの段取りを決める。
 ②頭の中でどのように完成まで運ぶか順番通りに想像し、シミュレーションしてみる。
 ③段取りが頭の中ではっきりして、気分が楽になったら、仕事にかかる。

 気分がすぐれて仕事に向かうことができさえすれば、おそらく仕事は完成できます。
 でも疲れたら必ずゆっくりと寝て休養してください。
 そして時間のあるときに過去を振り返り、過去に自分が自信のない仕事にどのように対処してきたのかを考えてみてください。段取りを決めずとりあえず仕事に取りかかってきませんでしたか?そのやりかただと、そのとき不安感を感じませんでしたか?そしてそれが「やらねばならない」仕事に対する恐怖に変わりませんでしたか?よく思い出してください。




20. 夢の追想の重要性

 夢の追想の重要性を書いておきます。
 振り返りをすることで自分が抱えていたものが次第に分かってくると、感情が表にでるようになります。そして次第に心が快復してくると、夢を見ることができるようになります。
 夢は自分の無意識が感じていることを表に出す働きがあります。そこで、朝起きたときに自分が見た夢をもう一度振りかえって、無意識が抱えているものを表に出してやれば、次第に心の病が楽になっていきます。突拍子のない夢でも、現実離れした夢でも、心の病の時は夢を思い出すことがとても大きな効果を発揮します。夢を絵に描くのも、とても良い治療法です。
 夢を思い出しているときに気分が悪くなったら、仕事や学業は休んでもう一度寝てください。心の病は立派な病気なのですから、楽にならなければ治らないのです。でも、休むからにはしっかりと療養して、この機会にのんびり生きる生き方を身につけてください。
 気分が悪いときは、恐怖感が強い場合がありますので、自分が何を怯えているのかを明確にすると良くなります。大抵は子供の頃怖かったものを怯えています。
 気分が悪くなったり、悲しくなったり、腹が立ったりするときは、きちんと休んで、その悲しみやいらだちの感情を表に出してください。しばらく感情を表出していると、次第に楽になって動けるようになります。そしてそれを繰り返すことで心の病は改善していきます。




21. 完治までの流れとまとめ

 完治までの心の動きをグラフに表すとこのようになります。

 最初は感情の起伏が激しいですが、過去を振り返り自分が抱えていたものを認識することで良くなったり悪くなったりが繰り返されます。そして時間の流れとともに次第に感情の波は緩やかになっていきます。快復までの期間は短い人(1ヶ月以内)もいるし、長い人(1~2年)もいます。しかし、きちんと振り返りができているのであれば、それほど長期間にわたることはありません。

 人前で正直に自分が出せない場合は、何故人前で自分が出せなくなったのかを考えます。そしてそのほとんどのケースは、近親者に対する恐怖心が原因です。そういう場合は、何故近親者が怖くなったのかを思い出します。多くの場合、強い恐怖を伴うきついしつけが行われており、その恐怖が社会に転移しています。

 ひとりぼっちにさせられた経験があり、それが怖い場合は、何故ひとりぼっちが怖かったのかを考えます。子供の頃オバケや心霊などを強く恐れていたのかもしれません。そういう場合は、オバケや心霊に打ち勝つことでその恐怖が緩和されます。よく考えれば、自分も生まれる前は死んでいたのです。それほど怖いものではありません。

 捨て子にされる恐怖心を抱えている人は、何故捨て子にされるのが怖かったのかを考えます。自分がどこで「捨て子」という言葉を知ったのかを思い出してみます。そして、自分が捨て子にされることを怖がって、近親者の言いなりになったことを思い出します。そういう場合は、自分が捨て子にされるかもしれないという恐怖と闘って生活していたことを認識し、捨てられることが何故恐怖なのかを考えます。多くの場合は、親から引き離されてひとりぼっちにされることを恐れています。そしてそのひとりぼっちにされることの恐怖が友達や恋人との別れと重なっています。ひとりぼっちになって何が怖いのかが分かればその恐怖は消え去ります。間接的にオバケや心霊や宇宙人が怖かったのかもしれません。

 親の暴力に恐怖心を抱えている人は、親の暴力に対して反抗の気持ちを持てば良くなります。多くの場合、自分が悪いと思って反抗心の芽を自分で摘んでしまっています。しかし、自分の思い通りにならないからといって、子供を暴力で言うことをきかせようという親の姿勢は大いに問題があります。友達を自分の思い通りに動かすために暴力を用いるのは正当な行為でしょうか?その暴力が許されないのに、自分は子供に暴力を振るい、なおかつその子に「暴力で人に言うことをきかせるのは間違いだ」と教える親の姿勢には矛盾がないでしょうか?

 迷子の経験がある人は、何故そのとき怖くなったのかを考えます。近親者がそばにいなくなったことが、どうして自分は怖いと感じたのかをよく思い出してください。多くの場合は、近親者が自分を見つけてくれなかったらどうしようと考え、自分が今どこにいるかも分からないし、どうしたら家に帰れるかも分からない状態を恐怖しています。近親者が戻ってくることを信頼しきっていないのです。そういう場合は、それまでの近親者のあなたに対する態度があなたに不信感を抱かせています。あなたは心の底で信頼できないことをずっと耐えてきたのかもしれません。迷子を怖がっていた場合は、そのときの自分をよく思いだして、どのようにすれば自分だけで家に帰れるかを考えれば、怖さが緩和されていきます。

 子供の頃、欲しいものが手に入れられないことを悲しいと感じていたならば、自分が何故悲しい気持ちになったのかを考えます。ずるがしこい兄弟がいて、自分は不平等な扱いを強いられたのかもしれません。その場合は、その怒りをその不平等さにぶつけると良くなります。

 すべてのことには原因があるから結果があります。心の病も、原因があるから起こってきます。元から断つことをしなければ、いつまでたってもその恐怖は消え去りません。幼い頃に恐れていたことをよく思い出して、その恐怖の原因を考えてそれに立ち向かって取り除く方法はとても効果があります。

 次第に快復してきて、動けるようになってきたら、なるべく外にでてください。そして活動中に悲しみの感情がでてきたら、なるべく早く一人になって、自分が何を悲しんでいるのかを考えながら感情を素直に表に出してください。恐怖心が強くて動けない場合は、自分がこれまで何を怖がってきたのかを考えてください。ひとりぼっちになることや、オバケなど、いろいろあると思います。そして、それがどうして怖くなったのかを考えてください。
 また、怒りを抑圧すれば、それは恐怖に変わることを知ってください。そして、その恐怖が自分の焦りにつながっていることを認識してください。その怖ささえなければ焦る必要など何もなく悠々と仕事をこなせるのです。

 自分がこれまで受けた悲しみや恐怖で、自分が抑圧したものがあれば、この機会にしっかりと出してしまってください。落ち着いた環境できちんと振り返ることができれば、自分が自信をなくしたポイントが必ず見つかると思います。自分がその悲しみや怯えの対象を認識し、それに立ち向かって受け入れることができれば、再発することはありません。


22. 受験勉強について

 心の根底に受験に失敗することへの強い恐怖が隠れている場合、以下のような症状が現れます。
 ・ 何をしても不安がつきまとい、そわそわする
 ・ 勉強をしていると落ち着く
 ・ 勉強していないと落ち着かない
 ・ 気力の減退
 ・ 自分より能力が高い人に対しての強い嫉妬
 受験が終わって合格しても、なぜかしばらくしたら上の学校に上がらなければならないと考えてしまい、より一層落ち着かなくなる場合は注意が必要です。
 この場合は、なぜ自分が受験に対して強い恐怖を感じるのかを考えると良くなります。
 原因を探っていくと、多くの場合、近親者からの無言の圧力があります。
 たとえば自分の親がそれほど学歴に執着がないならば、たぶん自分は今みたいに必死になって勉強することはなかったはずです。よく考えてみたら、学歴がなくても、職業はたくさんあるわけですし、自分が職にあぶれることはないはずです。また、世の中には学歴がなくてもお金持ちになる人はたくさんいます。逆に高学歴すぎて大企業に就職できなくなることもあります。
 勉強しすぎて逆に自分の進路を狭めることもあるのです。

 親の無言の圧力には、大抵の人が気づきません。多くの場合その親は、厳しすぎるしつけや、間違ったやり方で教育を行っています。
 「勉強しない子どもはだめな子」
 「勉強しない子は可愛がってあげない」
という教育のやり方が間違っていることに気づく必要があります。
正しい子育ては、
 「勉強しない子でも、うちの子だからかわいいよ!」
 「自分の人生なんだから自分で決めていけばいいよ!」
です。あなたの親はどうでしたか?

 勉強しなければひどいことをされると思うと、逆に萎縮して勉強に向かえなくなります。なぜ自分がこれほどまでに勉強に執着するのかをじっくりと考えてみてください。
 最近は大学を卒業しても、職に就かない人が増えています。ですから、高学歴が自分の将来を明るくすると考えるのは間違いです。それよりもまず自分が本当は何をやりたいのか、どういう仕事なら一生やってもいいなと思うかが大事です。
 結局自分の好きな仕事ならつらいことがあっても続けられるし、しんどくなっても楽しいから得なのです。


23.恋愛に困る男性のために

 恋愛の方法がわからない男性のために、アドバイスを書いておきます。
 まず、女性に対して恐怖心がある場合、その恐怖心は母親に対する恐怖心と重なっているかもしれません。あなたは母親になつくことはできましたか?
 なつけなかった場合、なぜ自分が母親になつけなかったのかを考えます。母親を独占する兄弟がいませんでしたか?母親からきついしつけを受けませんでしたか?もし心当たりがあるのであれば、その事件をきちんと思い出して、その出来事に怒りの感情をぶつけてください。怒りの感情を我慢すると、恐怖心に変わります。
 次に、 好きな女性について。
 好きで好きでたまらない女性がいる場合、告白しようと思ってもなかなか緊張してできないことがあります。告白には勇気がいりますから、それは当然です。でも、男ならやはり自分が告白する方がいいでしょう
 ただし、ここで注意しなければならないことがあります。
 片思いではありませんか?
 ちょっと自分に優しくしてくれただけで、自分がむちゃくちゃ好きになっているのであれば、片思いの可能性が極めて大です。(^^ゞ
 その場合は告白しても振られる危険性は高いです。
 振られてもなおしつこく食い下がるのは駄目!ストーカーなど絶対にしてはいけません。そういう女々しい行為をして自分の格を下げてはいけません。
 男ならすっぱりと諦めなさい。(`×´)
 でも、そこで自分が駄目になってしまってはいけません。
 振られてもまだ以前と変わらず一緒に遊んだり楽しんだりできるのであれば、それを続けた方がいいです。一緒にいれば、なぜか知りませんがまた告白できる機会がやってきます。間をだいぶあけてからの2度目の告白は結構成功するものです。
 恋愛というのは、最初に告白ありきではあまりうまくいかないものです。いつもなぜか一緒にいるんだよねぇというのが一番恋愛になりやすいし、告白も楽です。
 でも、同じ学校(職場)でしかも同じクラス(部署)の彼女というのは、これまたなかなか難しいのです。噂も広がりますし、結構居心地が悪いものです。
 それから、無理して気取ったほうが失敗しやすくなります。友人は、高級ホテルを予約して、ボーイにワインの中に指輪を入れておくようにと頼んだところ、「だっせー!」の一言で別れました。センスがないなら無理はしない方がいいですよ。

 一番大事なのは、女性を守るという意識

 女性は自分を守ってくれない男を好きになることはありません。おまえを守ってやるという意識はとても大事です。そして、嫉妬も大事です。「僕は嫉妬しないから」という言葉を言って平然としている人はたぶん振られるでしょう。

 女性は花が好き

 女性にプレゼントするなら、花束がいいと思います。花を贈られて嫌がる女性はまずいないと思います。しつこく花束でも大丈夫。センスがないなら、お花屋さんに作ってもらいましょう。

 服装について

 別に服装にお金をかける必要はないですが、だらしなくてお風呂に入らずフケだらけで臭い人は嫌われます。

 手をつなぐことについて

 女性は手をつなぐのが好きです。手持ちぶさたに離れて歩くのではなくて、ひっついて手をつなぎましょう。でも手をつなぐのを嫌がる女性に強引に手をつなぎにいくのは逆効果です。彼女が嫌がることを強引にしないことは何より大事です。

 デートについて

 デートスポットへの知識もある程度必要です。安くておいしいお店とか、あまり行ったことのない場所とかがいいですね。夜に夜景とか星を見に行くというのもロマンチックでいいですね。海に行くのもなかなか良いです。旅行の行程にフェリーを入れるとか、観覧船なんかを使うといいですよ。

 セックスについて

 いざ恋愛して、最初にどうしようと悩むのは彼女とのセックスです。自信がないから奥手になっていくのはあまり男らしくないですね。
 キスまでしたならそのまま抱いてしまいなさい!
 女性の方が猥談がきついということを知っていますか?知り合いの女性など、女性同士になると「最近ヴァギナ使ってねー!」なんて平気で言ってます。(^^ゞ
 でもこれが例外ではないのです。大半の女性は男性よりエッチです。若い女性は恋愛話が話の中心になりやすいのです。
 あなたの彼女がその友達と交わす会話は、あなたという彼氏ができた話で持ちきりのはずです。そこで出るのは、絶対に、「どこまでいった?」という話です。
 あなたが怖がっていつまでも抱かないと、「彼なんで抱いてくれないの?童貞と違う?」などと絶対に陰で言われてしまいます。彼女も自分の彼氏のことを童貞と言われて居心地が悪いでしょう。ですから、彼女のためにも抱くことはとても大事です。それに、セックスすると女性はどんどん綺麗になっていきます。愛されている女性は綺麗になるのです。
 恋愛になって期間が浅い場合は、相手を不安にさせないように、大事に抱いてあげてください。
 若いときは一日に何度も抱きたくなるものですが、その場合は、あいだにオシッコをいれてから抱きましょう。尿道の途中にある精子をオシッコで洗い流すことができます。でもきちんと避妊をするように。
 また、女性器に指を入れたりさわったりするのは、実は女性の大半は嫌がります。また膣の内部はデリケートで、爪などで傷を付けることもありますので、あまりおすすめできません。
 行為が終わったら、腕枕などをしてあげてください。おまえが一番大事と思うならそれぐらいやってあげてもいいと思います。

 ここにあげたものは一例で、例外も(おそらく多数)ありますので、あとは臨機応変に自分で考えてください。100組のカップルがあれば100通りの恋愛があります。


24.恐怖心と怒りの関係について

 過去を振り返るとき、悲しみの感情の表出にばかり注目しがちですが、怒りの感情の抑圧も対人恐怖などの原因になります。
 過去に強い精神的な苦痛を味わって、そのとき悲しみと同時に強い怒りを感じたのに、その怒りを無理矢理押さえ込んだ場合、対人恐怖として現れてきます。
 今怒りの感情がおかしくなっている人は、自分が怒りを押し殺したことがないか確認してみる必要があります。
 特に、振り返りをして、悲しみの感情を出しているのに、なかなか具合が完全に快方しない場合は、怒りの感情を表に出すようにしてください。
 その際、怒りを感じた時点をよく思い出して、自分がそのとき怒りを感じていたことや、自分がその怒りを押し殺してしまったことを確認してください。
 家庭内が自分の理想とかけ離れていて、両親が不仲で居心地の悪い環境(機能不全家族)に育った場合も、怒りを押し殺す原因となります。また、厳しすぎるしつけなども、怒りの原因になりますし、母親から精神的なしんどさをもらってしまった場合も、ずっと自分が誰かに怒りを感じ続けなければならない状態を作ってしまいます。
 多くの場合は、子どもの頃から何らかの症状が現れてきているはずです。例えば、下痢、腹痛、発熱、赤面、落ち着かない、異常に恐がりなどの症状がよく見られます。
 そのような症状があった場合は、トラウマはもっと過去にあります。そのトラウマまで内観してたどり着くことができれば、心はずっと楽になっていきます。そこできちんと、相手に悲しみと同時に怒りをぶつけることができれば、恐怖感が薄れて動けるようになります。また、過去のトラウマが失恋やいじめ、絶交、離婚、補導などの強いショックと重なって、怒りや悲しみの表出ができずに精神の状態がおかしくなっているかもしれませんので、新しいところのトラウマから順に過去のトラウマに流れを追っていくと、おかしくなったきっかけにたどり着きやすくなります。
 また、家庭内や仲間内において、とけ込めない寂しさや孤独感を押し殺してきたのかもしれませんので、孤独感の原因になったきっかけも思い出すと良いでしょう。

 精神の状態がおかしくて動けない場合は、安静を心がけてゆっくり休んでください。ただし、状態がおかしいということは、それだけ自分が抑圧してきた感情が表にでてきた証拠ですので、今のしんどい状態を、自分がこれまでなにを抑圧してきたのか考えるきっかけにしてください。
 症状が現れない方が危なくておかしな状態なのです。



25.躁鬱がなくなった後に残る痛みについて

 過去の振り返りを繰り返すことで感情が戻ってくれば、躁鬱がなくなってきます。でもその後に体に痛みが残ってしまう場合があります。
 痛みの原因にはいろいろありますが、だいたいの場合は、そのままお医者さんにかかると神経痛のような症状として扱われます。
 こういう場合、神経痛のお薬が効くのでお薬さえあれば気にならないのですが、食欲不振や過食が起こったり、不眠症になったり、軽い対人恐怖が残ったりしがちですので、完全快復ではありません。こういう場合は、もう一度振り返りをすると良くなります。
 痛みを消すために必要な振り返りは、今までのような辛いことの振り返りではなく、楽しいことの振り返りです。
 辛い経験は、楽しい思い出によって消すことができます。また、楽しい思い出を思い出すことで、気力も生まれますし、自分がなぜ楽しいことを抑圧したのかという原因にも気づくきっかけになります。たいていの場合は、親(特に母親)の意識をもらっています。あなたが子供の頃に、親から人生の愚痴をたくさん聞かされませんでしたか?親の愚痴を聞かされた子供は、親が苦しんでいるのに自分だけ楽しいことをしてはいけないと思って自分の楽しいことを抑圧して勉強などに明け暮れてしまいます。優しい心を持っている子ほど、親の苦しみの意識を受け継いでしまいがちです。
 楽しいことを思い出すことで、自分がなぜ強い「ねばならない」の意識を抱え込んでしまったのかがはっきりと分かることもあります。
 でも、あなたが楽しいことを抑圧したのは間違っていたのです。人生はそれほど過酷で苦しいものではありません。あなたは苦しいだけの人生を生きるために生まれてきたのですか?それでは生まれてきて良かったことなんて何もなくなってしまいます。
 愚痴を言いながらも何とか頑張って最後まで生きて、自分が死ぬ最後の瞬間に、ああ、生まれてきて良かったなと思うためにも、たくさん楽しいことをやってください。
 逆に親の立場になって考えても、我が子が人生を楽しくやっている姿は、何よりも嬉しいことのはずです。それに、あなたが楽しくやっていれば、愚痴だけだった親も次第に明るくなることだってあります。まずはあなたが人生を上手に楽しんで、その楽しさを苦労された親御さんに分けてあげてください。
 補足として、振り返らなければならないという意識も、「ねばならない」の意識ですので、これも最後は自分でなるべく気にしないようにします。
 過去に抱えた「ねばならない」が自分の心の負担になっていることにきちんと気づけば、痛みはすぐに快復します。終わった過去の「ねばならない」は、楽しいことをあれこれ考えたり思い出すことで気にならなくなり、本当に終わらせることができるのです。



26.完治のために乗り越えなければならないこと

過去の出来事を振り返り、十分に感情を表出すれば、感情の起伏が少なくなりますので、とりあえずの日常生活はこなせるようになります。でも、躁鬱という感じではないのに、なかなか体が動かなかったり、不安感が消えきってくれない場合があります。
この場合は、自分が不安感を抱えていることを気にしながら生活しなければならないため、人よりもすぐに疲れてしまいます。

鬱病は人格が分離しています。
その人格には、ホスト(本当の自分)の部分と、ショックな事件によって作り出した別の人格があって、この人格の分離が気持ち悪さと落ち着かなさなどの原因になっています。ホストの人格が弱い場合は、ショックな出来事が起こると、新たに作り出した人格にその出来事を預けて自分が傷つかないようにします。でも、これを続ける限り、完治できません。ショックな出来事を別の人格に預けて回避すると、ホストの人格が一向に強くならないのです。
完治のためには、最後に乗り越えなければならない壁があります。
弱くなってしまったホストを強くするために、自分自身でホストを鍛える努力をしなければなりません。ホストが強くなったとき、本当の完治とよべるのです。

ホストの人格を強くするために大切な心構えを書いておきます。

・自分の中で他人を作り出してその人格に辛い出来事を背負わせないこと。
・自分が何を思い出そうと、何を思いつこうと動じない、強いホストの人格をつくること。
・ショックな出来事も、自分が経験してきたことだと思えるようになること。
・常にホストの人格を前に出すこと。
・自分はホストの人格を強くして完治するのだと強く願うこと。

完治が近づけば、クライエントさんはカウンセリングの場にあまり顔を出さなくなりますが、それは自分自身で心の問題を何とかできるようになった証拠です。
クライエントさんが全く薬に頼らなくなって、カウンセリングルームを治療の場としてではなく、遊び場として来られるようになったとき、カウンセラーは、このクライエントさんに完治という診断を下せるのです。


27.無意識を表に出すこと

心の病がなかなか治らない方は、自分の無意識に目を向けることができていないのかも知れません。
自分が心に何を抱えて生きてきたのかが分からず、無意識が抱えていることを表に出せなくなると、心の中に不安感やモヤモヤが生まれてしまいます。
そこで自分の無意識が何を抱えていて、何が不安なのかを明確にすれば元気になることが出来ます。

無意識は意識できませんので、
『体に問いかけて、体に答えさせる』
ことを心がけてください。
過去に受けた辛いことや悲しいことを思い出して、そのときに感じていた不安感や悲しみ、怒りを表に出すのです。

自分の育った環境に何らかの不安を抱えていたならば、自分の家や自分の部屋、両親のことなどを思いだして、表にこみ上げてくる感情を素直に外に出します。

親がサラ金に追われて怖い思いをしたり、借金で家が無くなる経験をしたり、両親の喧嘩や暴力を見たりしませんでしたか?

兄弟のなかで自分だけ親から不公平な扱いを受けてきたり、捨てられる経験をしたり、しつけという名目ですごく怖いことを強要されたりしませんでしたか?

セックスや性に対して過度の抑圧を期待されたり、自分の気持ちや考えを表に出すことをことごとく否定されたりしませんでしたか?

人に対して怒りをぶつけようとしたときに、なぜか抑圧してしまうのであれば、抑圧する契機となった事件を思い出します。

人前がとても怖くて上手に人間関係が作れなくなったなら、その契機となった事件を思い出します。

友達や恋人を失ってから心が晴れなくなったのであれば、そのときに自分がやりたかったことを思い出します。また、失った大切な人の顔や服装などを思い出して、そのときの感情を表に出すのもとても効果があります。

『体に問いかけて体に答えさせる』際に大切なことは、自分が悪いと思わないことです。自分のせいで悪い結果になってしまったにしても、そのときの自分は自分なりに最善を尽くしていたのですから、自分を責めてはいけません。本当は
「~だったのに~っ!!」と悔しくて泣いているはずなのです。
この悲しみからくる悔しさを抑圧せずきちんと表に出すことが出来れば、心の病は嘘のように治ります。悲しみを乗り越えるには、悔しさや怒りをぶつけることが大事です。

鬱の人は総じて、「辛い事件を思い出さないことによって乗り越えよう」としがちです。ですが、それは間違いです。その事件は忘れることが出来ないぐらい自分にとってgrief(深い悲しみ)だったのです。いつでも思い出せるようになって始めてその辛い事件を乗り越えることが出来るのです。


補足として、親からきついしつけを受けると、自分の感情を表に出すのが怖くなってしまい、そのきついしつけを思い出さないようになりがちです。特に幼少期にあまりにもきつくて辛いしつけを受けると、それを表現する手段を知りませんので、その怖さを無意識にこもらせてしまいます。子供の頃に辛い経験を多くすると、下痢や腹痛、腫れ物や湿疹、頭痛などが現れたり、落ち着きが無くなったり、退行したりします。そのような経験をお持ちでしたら、自分が受けてきたしつけに焦点を当てて何度も思い出して怒りをぶつけることが大事です。

また、サラ金に追われたり家を取り上げられたりした経験をお持ちでしたら、お金や仕事に対して一生懸命になりがちです。家が無くなることへの不安が、成功しなければならないという強迫観念に変わるためではないかと思われます。

「~しなければならない」ことについて

「~しなければならない」と思えば思うほど自分に負担がかかってきます。
「~しなければならない」ことはなるべく自分一人で行おうとせず、多くの人で分担してこなすことを心がけてください。でも、どうしても自分一人でやらなければならないのであれば、決して無理をせず、責任感を持たずにやるようにしてください。
自分が無理せずにできる範囲までやれば良いのです。無理をしなければできないのであれば、きちんとメリハリをつけて、時間を決めてやるようにしてください。
例えば、親の介護ならば、2時から4時まで介護と決めます。受験勉強であれば、今日は3時間までと決めます。
無理をしたところで、「~しなければならない」と焦る気持ちは消えません。それよりも、「今日自分はそれを一応やることができた」という気持ちを持つことの方が大事です。



28.自分を認めるということ

 動けるようになって、気力もある程度戻ってきたら、是非とも運動をして、弱ってしまった体力の向上に努めて下さい。
 体力が向上すれば、気力が向上します。
何年も気力が充実せず、やる気が起こらない場合は、以下の点を再考してみて下さい。

1.自分自身を見失っていないか。

 自分がやりたいことが何なのかを見失っていませんか?自分の行動に疑心暗鬼ではありませんか?
自分の行為が良いことか悪いことかは自分で決めれば良いのです。例えば寝込んでいる時間が長いのは、心の病気の治療に必要なことで悪いことではありません。それによって迷惑を被る人は誰もいないのですから。ちょっぴりあなたの所得が不安定になるだけです。
 ですがもし、それを悪いことだと言う人がいたとしても、あなたはそれに反論してはいけません。他人の行為を悪いと考えるのは、その人の自由です。悪いと言う人には悪いと思う権利がある。その人がそう考えるのだから、こちらはそれに干渉してはならないのです。
その代わり、あなたが何を考えても、それはあなたの自由です。だれもあなたの考えに干渉できませんし、あなたも他人に干渉させてはいけません。
 もし今現在他人からしつこくあなたの考え方が弾劾されていて、あなたがそれを迷惑と考えるのであれば、諦めて無視するか、あまりにもしつこいのでしたら、付き合わないようにするとか、何らかの防衛策が必要です。少なくともその人はあなたとは合わない、違う世界の考えを持った人です。しんどい人と付き合わないことも自分を守る上で重要です。鬱の人を見ていると、大抵これができていない。もっと図々しく生きる方が人の輪に入れるのに、自分を殺して誰とでも合わせてしまって、孤立してしまいます。
 
自分の考え方や行動を他人の評価に預けているから、しっかりした自分がないのです。そして、しっかりした自分がないから、自分を殺して相手に合わせてしまうのです。自分を殺して相手に合わせていると、知らず知らずに相手の心や自尊心を傷つけて、そして最後にあなたは相手から裏切られます。だから、人をもうこれ以上傷つけないためにも、自分の行動は絶対に自分が評価すること。評価の判断を他人にゆだねないこと。それが重要です。

「自分がやりたいからそれをする。」
そして、あなたの行為が他人に対して迷惑行為でないならば、胸を張っていればいい。
それが駄目だという人には、そう思わせておけばいい。

 他人の思考に干渉して、その考えを変えさせようとは絶対に思わないことです。
 その代わり、自分の考えも、他人に干渉させてはなりません。

2.自分のアイデンティティーが喪失していないか。

 過去をごまかしていませんか?
 過去の過ちや失敗は、確実にあなたの経験になっています。
 ですが、無理矢理自分をごまかして受け入れようとすると、心が不安定になってしまいます。
 過去の過ちや失敗を受け入れるということは、自分の愚かさを知ることになります。自分の愚かさを認めたくないから、変な受け入れ方をしてしまって、いつまでたっても抜け出せないのです。
自らの愚かさを知ることは、とても重要です。
 自らを愚かだと心から言える人は、実はとても賢い人で、偉い人です。それが口だけではなく、自分の失敗の体験をきちんと振り返って、自分の不完全さを知っていれば、自分がその立場にふさわしくない愚か者だと考えて、それが言動に表れます。
 とても格好良い人だと思いませんか?
 自分が愚か者であって、以前より少しはマシになりたいと思いながら生きていける人は、人のことは干渉せず絶対に偉そうぶりませんから、人の上に立つに相応しい逸材となれます。そういう人には味方が自然と集まってくるものです。

 浄土真宗の開祖親鸞は、ご自身のことを「愚禿(ぐとく)」:愚かなハゲと呼ばれたそうです。
 とても頭の良い方だったのでしょうね。自分自身が不完全であることを、身にしみて知っておられなければ、絶対にこの言葉は出てきません。恐らく、人には言えない数々の失敗を経験されていて、自分が誰よりも愚かで僧には相応しくないと気づかされたのでしょう。また、過去の過ちや、そして今なお不完全であり続けるご自身を忘れないためにも、「愚禿」という言葉を残されたのだと思います。

 失敗は忘れないことです。それは墓場まで持って行かなければなりません。ですが、失敗から自分自身が愚かであることが学べたのであれば、それは大きなかけがえのない財産に変わります。


 人生の目的とは、仕事でも愛でもお金でもなく、生きることです。生きて、自分の人生の目的を探すこと。これは死ぬまで続く作業です。

 「自分」とは、「自らを分ける」と書きます。どうして「自分」と書くのかは諸説あるのですが、私は「他と自ずから分かれた存在」だから「自分」と書くのではないかと考えています。他に思考や行動を束縛されていては、他に埋没するだけで煌めきを持てません。他と区別した、この世の主人公として君臨するかけがえのない存在。曼荼羅に描かれる沢山の仏の世界のうちの一つが、「自分」なのではないかと思うのです。


 ですから、急がなくても良いのです。遠い夢を追わなくても良いのです。自分がやりたいからあなたは今それをやるのであって、それに対して誰からも束縛を受けてはならないのです。人の評価を気にしていては物事は進みません。他の人が良い悪いを決めたとしても、その評価がどちらであれ、どう思おうがその人の勝手であり、それはその人の大切な権利です。あなたは絶対に他人の思考に干渉してはいけません。逆に、あなたの思考も他人から侵略されてはいけないのです。あなたがやりたいからそれをする。そこには何の理由もいりません。あなたがそうしたいのだから、それで良いのです。誰もあなたの決定に否決権を持ちません。胸を張ってやりたいことを前面に出して下さい。
 もし、やりたくない仕事を誰かから任されたとしても、あなたはその仕事を、あなたがやりたいようにやればいいのです。
 「自分はこうしたいからこうするんだ。文句があるなら俺を選んだヤツに言え!」
 ぐらいの気概を持てれば楽になれます。
 それで解任されたら「ラッキー!」と思うことです。あなたはその仕事を本当はやりたくないのだもの。
 それでクビになったら、サバサバと去ってしまえばいい。他人に思考や行動を束縛されて惨めに生きるよりか、クビの方が遙かにマシな結果です。でもそんなことであなたをクビにするような所は、人をロボットか下僕と考えているようなところで、まともな職場ではありません。

 あなたは強くならなければいけません。

 苦しみとともに、不完全な自分を決して忘れず、一歩一歩ゆっくりと前に歩いていって下さい。いつかきっと、その苦しみを経験して良かったと思える日が来る筈です。



29.最後に

 心の病が深い場合は、1年ぐらい休息を取り、心の癒しをおこなうほうが長期的に見ると良いと思います。馬車馬のように死ぬまで働いても、自分のお葬式は淡々としたものです。結局、世の中すべて自己満足でできているのですから、どうせなら過去に受けた心の傷や悩みをきちんと解決し、心の平穏を取り戻してから、本当に幸せな人生を過ごしてください。
 幸せな人生にとってもっとも大切なものは、地位でも名誉でもお金でもなく、心の平穏だと思います。心の病で悩む人は、まずは落ち着いた環境に身を置いて、過去に受けた心の傷を思い出したり、自分が悩んできたことを明確にして、自分が今までこらえてきた不安や恐怖や我慢を自分自身で認識しましょう。そして、過去に受けた心の傷は決して消えることはありませんが、思い出に変えたり受け入れて、柔らかく溶かしてあげるようにしましょう。
 また、心の病を抱える人の多くが、自分の育った環境が、家族が別々に食事をとったりする機能不全家族であり、少年少女時代に強い孤独を感じて、その寂しさから逃れるために別の人格を作って悩まないようになっていますので、まずは以前の自分が孤独だったことを実感として思い出して、人格の統合を目指しましょう。過去を思い出すときのコツとしては、そのとき自分がどのような不安や悩みを抱えていて、その不安や悩みを自分はそのときどのように感じていて、どのような感覚をベースに生きていたのかを思い出すと大きく改善します。自分の過去が不安でいっぱいなら、それを嫌なものと考えて、思い出さなくなります。そしてそれは自分のストレスとなって心に溜まっていきます。そのようなストレスの正しい対処の仕方は、それを感情つきで楽に振り返ることができるように、自分なりに何度も思い出して受け入れることです。
 また、過去に起きたショックな出来事が、自分の自立の心を攻撃してしまったことに気づかなければいけません。特に幼少期に親から強く突き放された経験がある場合、自立に対して過剰に反応するようになり、そこで失われた自分の自立を取り戻すために、人よりも無理をする形で仕事をこなすようになります。過去を振り返るとき、どこで自分が自立につまづいたのかということと、そのトラウマは過去のことであり、もう終わったことを再認識して、悔しさや怒りによって自信を取り戻すことは大切です。自分が自立心を失った原因がわかれば、自立に対して過敏になる必要はなくなります。
 大人になれば、誰からも束縛されず、自分の意志で自分の行動を決定すれば良いのです。自分に反対する人や自分を非難する人は、自分と合わない人だと考えて、あなたはあなたの人生を無理せず楽しく生きれば良いのです。あなたに同感して、あなたを裁かないでいてくれる人は、世の中に絶対います。その人と仲良くやってゆけば良いだけです。あの人もこの人もと欲張る人は必ず裏切られたりして失敗します。
 そして、人に頼り切らないことが大事です。自信を無くしている人ほど、人に寄りかかります。寄りかかられた人は、きついのであなたから離れてしまいます。自分の事は自分で解決するのが人付き合いの基本です。また、あなたが人から助言をもらって、あなたがそれを受け入れない場合、あなたに助言をした相手は離れていく場合があります。下手な助言を人に求めるよりも、自分で自分の事を解決するという姿勢は大切だと思います。助言が欲しいのであれば、それを仕事としているカウンセラーなどの専門職を利用するほうが良いと思います。カウンセラーであれば、あなたがその助言を守らなくとも、あなたから離れてゆくことはありません。
 この苦しい病から立ち直ったら、ぜひ、多くの人たちの和の中にまた戻ってみて下さい。これまでとは違った、無理をしなくても自分を正直に出せる生き方や、自分のありのままを受け入れてくれる仲間の存在は、何よりもあなたの人生をより素晴らしくかけがえのないものにしてくれるでしょう。不安感を精算したら、またバリバリと以前のように頑張れるようになります。

最後になりましたが、難しくなくて楽な考え方になることができる本をご紹介しておきます。参考になさればと思います。

エリコ・ロウ『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社
・心が乱れたり、体が病んだら歩いてきた道を振り返ってみる。
・家族のあいだに調和が保てれば人生は成功だ。
・泣くことを恐れるな。涙は心の痛みを流し去ってくれる。
・過去を忘れ、心から怒りを消し去れ。どんな強い人間もそんな重荷に耐え続けることはできない。


 このページについて、危険だと言う方がありますが、その方は本当に治せるのでしょうか。心の病はカウンセリングで相手の主張を聞けば治るとか、悪い心の癖が鬱病の原因だから矯正すれば治ると考えておられる方のほうが、危険だと思います。ご自身の経験がどれほどのものか知りませんが、そのような方法で、本当に再発しないようにできますか。今の精神科医は、鬱病になったらこれから薬を飲みながら死ぬまで頑張らないようにしなさいと言います。でも、本当にそれで治ったと言えるのでしょうか。自分自身が深い鬱病を何年も経験し、その中でまた以前のように頑張れる、自信にあふれた自分を取り戻した経験のある人が、カウンセラーになるべきです。難しい医学本の知識をベースに、さも分かっているかのように学者の名前と理屈を並べ、マニュアル通りにカウンセリングをし、それだけが治せる方法だと勘違いしておられる方は、カウンセラーや精神科医をやめていただきたいと思います。鬱だった友人は何年も精神科にかかって、結局麻薬に手を出して廃人になりました。今の精神科医は、その責任を取れますか。いいかげんな治療しかできない人こそ危険だと思います。
 精神科医は、理屈の名称を覚えることを第一にするのではなくて、そこから自分の人間観や人生観を見直すべきです。たとえば「ロジャースでは治らない。」といって馬鹿にするのではなく、ロジャースの人間観を自ら学んでものにする姿勢が大事だと思います。理論は古くてもそのアプローチの根底に流れる人に対する優しさを知った上での最新理論なり心理テストであれば、正しい効果を上げるはずです。実存主義や、論理療法、行動療法、ゲシュタルト療法、交流主義、エコグラム、エンパワー理論など、カウンセリングには様々な理論がありますが、その根底に流れる人間観や人生観を見間違えると、適切なときに使う機会を逃して、治せるものを治せなくします。方法論の研究や習得は精神科医の重要な仕事です。治せる機会をものにするためには多くの理論に目を通しておくことが大事です。またカウンセリングの理論は学術的な興味本位ではなく、人の心の病を治したいという切実な思いから派生していることを決して忘れないでいただきたく思います。


以上。



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