【0y4m17d】娘が危篤です

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記事タイトルで察された方も多いと思いますが、

この内容には赤ちゃんの死について書いています。

トラウマがある方、苦手な方は何も見なかったことにしてそっとブラウザバックしてください。

何卒、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 

■初めて読む方向けに軽く自己紹介をいたします。

・2019年11月1日~12月23日まで経管長16~17ミリで切迫早産入院50日

・12月25日女の子を出産(母子ともに健康)

→体重は2234gで退院許可が下りず母のみ退院。

自分の実母から「なんで赤ちゃん帰れないの!お前のせいだ!」となじられる。

・2020年1月6日~18日 産後鬱が悪化、錯乱発狂し手足拘束で閉鎖病棟入院。

退院後、自宅育児スタート

 

 

■何があったのか(事実だけ記述します)

 

4月8日(金)の午後、私は昼寝をしていました。

そこにリモートワーク中の旦那が「娘の面倒を見て」と、娘をベッドに置いていきました。

足元で泣いている娘がうっとうしく、私は足で布団を蹴り上げてしまいました。

私はすぐにまた眠ってしまいました。

1時間くらいたった後、泣かない娘の様子を見に来た旦那が発見したのが

折りたたまれた布団の中でうつ伏せの状態で真っ青になっている娘でした。

旦那に起こされた私は、その娘を見た瞬間に119に電話しました。

 

■それから

 

119の指示に合わせて心臓マッサージをしていると、

10分程度で救急車が到着しました。

 

搬送される救急車内で、リーダーらしき救急士のおじいさんに「もう見つけたときには死んでたのね?」と訊かれ、頷いたものの

「死んだの…?でもまだ温かかったし、今も治療してくれてるし」と思いました。

 

私たちは「家族待合室」という場所で

「先生の報告が来るのでお待ちください」と言われ、その指示に従いただ待っていました。

 

私「○○は死んじゃうの?」旦那「分かんない」ただこの会話だけが繰り返されました。

 

地獄のような1時間が過ぎて、先生がいらっしゃいました。

「窒息によって心拍は停止していたけれど、1度動き出しました。ただ、血圧が安定していないので、

5分後、10分後にはどうなるか分かりません。このままここで待機していてください。また呼びますから」

 

■さらに2時間後

 

「また呼びます」から全く連絡がないままその2時間後、

担当の先生が現状の詳細を説明しにいらっしゃいました。

 

「1度動いてくれた心臓は、そのまま動き続けてくれています。

ただ血液検査の値が非常に悪くて…」と、血液検査の結果を詳しくモニターに見せてくれていたのですが、

 

私は机の上に置かれた「残念ながら、現状では数日内に亡くなってしまうと考えられます」という文言から目を離すことができませんでした。

 

■面会

 

そしてICUで私が出会ったのは、娘の変わり果てた姿でした。

 

検査用に体内に何本も入れられている針。青と白のホースの人工呼吸器。

鼻と口につなげられた管とそれを固定するための白いテープ。

 

そんな風になっているのに、

いつでも目を開けてくれそうな感じで眠っている。

血色も良く、長いまつ毛が綺麗で、白くてふくふくで、元気な時と何も変わらないように見えました。

 

でも、決して、動かない。心臓を無理やり動かしているだけで、脳もほとんど機能していないようです。ギリ脳死ではないそうですが、ほとんど変わらないそうです。

脳波チェックでそういった結果を知りました。

 

 

こんなに近くにいるのに、手もあったかいのに、一切反応を示さない、人形みたいな娘。

誰がこんな風にしたんでしょう。

 

■後悔

 

私です。

 

他の誰がなんといおうと、私です。

 

 

お見舞いに来てくれた「あの」実母もすらも

「ごめんなさい」と謝る私に「悪くないよ、誰も悪くないよ、娘ちゃんはそういう定めだったんだよ」と。

 

定めとか運命とか、大っ嫌いです。

 

娘が死んだのは、私の怠慢のせい。

 

私が育児ノイローゼぎみだったから?

私が産後うつで生活リズムが安定してなかったから?

旦那が窒息のおそれのあるベッドに置いて仕事に戻ったから?

旦那が泣いていないことに気付いて確認するのが遅かったから?

 

それも原因の一部かもしれません。

 

 

でも、すべての責は私にあります。私はそう考えます。

 

 

周りの方は、とても優しいです。

「あなたのせいじゃないよ」「自分を責めちゃいけないよ」

ありがとう。その気持ち、気遣い、優しさを受け取ります。

私は笑顔で「はい、ありがとうございます」と答えます。

 

でも、私は決して自分を許しません。

 

■思えば

 

気付いていましたでしょうか。

私、このブログで、娘について具体的に詳細に記述したことってないんです。

 

お食い初めをしたよ、とか。そういうのくらい。

勉強の話とか。育児休暇中にたくさん勉強したい!って内容とか。

 

こうなって初めて気づいたんです。

私は娘を1番に考えてなかった。

いつも自分自身が1番だった。

 

この窒息という大きな事件が起きる前も、ヒヤリハットな事件はたくさんあったのだと思います。

運よく免れていただけかもしれません。

 

でも、今回私は自らの意志で足で布団をかけた。

生後4か月の娘に。ふわふわの羽毛布団を。

状態も確認せず。

 

故意では決してありません。

ただ、読んだ方の中で虐待だと思われる方がいるかもしれないとは思っています。

 

あのとき…あのときだけ、どうして、娘を安全な場所に運ぶのをめんどくさがったんだろう。

どうして、ちゃんと起きて、パパが面倒みてって言ってるから一緒にあそぼっか、って

いつもみたいにできなかったんだろう。

 

 

ただそれだけなんです。

 

 

娘がかわいかった。天使みたいに笑う子だった。

足のムチムチもおなかのぷにぷにも全部大好きだった。

よくおしゃぶりして、そのたびにおててのなかに埃を隠していて、綺麗にしてあげた。

うんちのときは絶対沐浴させてあげた。だって大人だってウォシュレットの方が好きだもの。

 

 

でも、おそらく今日が最後の命でしょう。

 

8日(金)午後に搬送されて、9日・10日と本当によく持ってくれました。

いつ亡くなってもおかしくない状態で搬送されてきて、奇跡的といってもいいくらい、命を繋いでくれています。

 

でも、10日(日)午後、もう心臓が疲れてきたのか、少しずつ血圧が保てなくなってきました。

その都度、強心剤を入れて心臓を動かしているのですが…それも効き目がいつまでもつか分からないそうです。

 

今日、家に帰るとき、何度も何度も「血圧が下がる兆候が見えたら連絡してください」とお願いしました。

 

電話がいつ鳴るのかが恐ろしいです。

もう、次鳴ったら、おそらくその次はないのですから。

 

■最後に 旦那について

 

「娘ちゃん寝てるとき、旦那は何してたの?」という声が聞こえてきそうですが、

旦那は数メートルの距離のところで仕事をしてました。

テレビ会議だったのでイヤホンをしてたかもしれないです。

仕事をしていたから娘の様子を見に行くのが遅れてしまったことを

旦那はずっとずっと後悔しています。

 

布団に持って行くべきじゃなかったと。育児休暇取っとけばよかったと。

 

私と旦那の共通見解は、せめて在宅仕事でなければ違った。

 

旦那が家にいなければ、「私がしっかりしなくては!」と思い、

自分が寝るときも娘を安全な場所に寝かせてから寝るでしょう。

 

外出自粛でストレスが溜まっていなければ。

もっとベビーシッターさんを活用できていたら。

毎月使っている区のショートステイを利用できていたら。

 

 

たらればでしかないのですが、せめてコロナがなかったら、

という思いはあります。でも、それでも、娘を悲惨な姿にしてしまったのは誰でもない、私です。

 

 

■娘が用意してくれた時間

 

搬送されてすぐ亡くなってもおかしくなかった心臓を、なんとか動かしてくれて、

娘は数日の時間を作ってくれました。

 

 

もし、もし運ばれたまま亡くなっていたなら、何の心の整理もつかなかったでしょう。

 

 

私は娘に感謝しています。生まれてきてくれてありがとう。ママに考える時間をくれてありがとう。パパとママの子に生まれてきてくれてありがとう。

 

大きくさせてあげられなくてごめんね。

 

でもね、絶対忘れないよ。一生忘れないよ。

 

もし、もうすこしだけ頑張ってくれるなら、

…明日、5月12日は私の誕生日なんだ。

 

誕生日に眠ってくれるなら、私は、自分の生年月日を書くその度に娘を思い出せる。

でも、疲れちゃったなら、無理しなくていいよ。

 

 

■これから

今晩は安眠剤を3錠飲んだのに全然寝れなかったですが…少し体を横にして休めてから、病院に向かおうと思います。

 

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

 

また、娘の行く末については記事を書きます。

 

 

病院に行く道の仏教寺院に貼られていた言葉

 

「人の生(しょう)を受くるは難(かた)く、やがて死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し」

 

 

 

いま生命あるは有難し。