24歳で月収220万稼いで起業した俺の半生。人生は希望と絶望で溢れてる。

俺(@korobl0g)は24歳で月220万を稼ぎ、会社を立ててフリーランス×経営者となりました。

だけど、もともとは高校を中退し不良少年となった貧乏育ちのニート、結果うつ病で周りには迷惑しかかけてきませんでした。今日は、そんな俺が「ある事」で人生が動き出し、長年の夢だった自由をフリーランスとして手に入れる話をしていきます。

夢が見つからない人、夢を諦めそうな人、何をしても仕事が続かない、生きる意味がわからないような人へぜひ最後まで読んで欲しい。

きっと「人生を再スタートするキッカケ」になると思います。

仏と呼ばれた幼少期

仏と呼ばれた幼少期
1995年8月21日、福岡県那珂川町五郎丸、
俺は元プロボクサーで男気が強く一切弱音を吐かない飲食店勤務(CoCo壱)の父、そして少し気の弱い心優しい母の長男として生まれる。

両親
画像:両親

俺は常に指をしゃぶって一切文句も言わず、ニコニコしながら何をしても怒らない子供だったらしい。

飲食店勤務の父なので、当然お金があるわけもなく、幼少期は託児所に預けられ両親は共働きで朝から晩まで働いていた記憶がなんとなく残ってます。父は典型的な仕事人間で、朝から夜中まで毎日働き詰めで帰ってくるのは朝方。俺はよく朝方まで父が帰ってくるのを起きて待っていました。

父が帰ってくるのを起きて待っていました

心優しい母

当時、父はフランチャイズオーナーから「いずれ店を任せるから」と言われていたらしく、もともと経営者としてやっていきたい人だったらしいのでそのために努力していたそうです。でも、いくら働けど働けどその話は一切進まず、我慢の限界に達した父は「いつになったら店を任せてもらえるのか」とオーナーに文句を言い店を任せる話を進めたらしいんですが、その時に任されたのがど田舎の誰も客が入ってないような店。結果、話が違うと揉め事になり、辞職という道を選ぶことに。

それでも父が家で弱音を吐いている姿は一度も見た事がない。でも、一度だけ父が俺のためにブチギレたのを見た事があります。

託児所で虐待を受ける

当時通っていた託児所の男性職員の保育士が、子供が寝ないと蹴る殴るといった虐待行為をしてました。

俺はその男からよく叩かれ、本当に怖かった記憶があります。それを母に話したところ、母はひどく怒り託児所に電話し文句を言ってたけどなんせ気が弱い母はすぐに何も言えなくなった。初めて父が怒った姿を見たのがその時です。母から電話をとりあげ、普段はニコニコして弱音は吐かない優しい父が、ものすごい剣幕で怒鳴り散らかしているのを見ました。

子供ながらに、怖かったあの男が震え上がって父に謝罪をしている姿を見たときは、本当にかっこよかった。そして「2度とお前んとこに子供は預けん!」と吐き捨て電話を切り、そのまま席に座って新聞を読んでた姿はマジで世界一かっこいい父親だったと思う。

転校生となりイジメめられる毎日

そこから父は転職し、オフィスワークでそこそこいい給料をもらえる会社へ就職する事ができ、俺は小学生となりました。

最初の一年は本当に楽しい毎日で、毎日キラキラした小学校生活だったのを覚えてます。俺は人気者で、担任の先生がクラスのムードメーカーですよと母に言ってたらしく、本当にたのしかった。でも父の仕事で、2年生に上がると同時に転校する事に。あそこから、俺の学生生活は地獄と化す。

綺麗な都会の小学校から、いきなりど田舎の山の頂上にある小学校へ転校した時は、本当に同じ世界なのかと不安と驚きを感じたのを今でもよく覚えてます。そして、右も左もわからないなか始まった転校生生活。タイトルの通り、俺は転校生という理由だけでいじめられる事に。

  • 登校したら上靴が無い
  • 机に「ウザい」「キモい」「死ね」の落書き
  • 毎日日直にさせられ雑用を強要される
  • 掃除の時間は雑巾掛けのみ、ほうきは禁止
  • 雑巾掛けをしていたらほうきで叩かれる

こんな毎日で、本当に毎日泣きながら学校に通ってましたね。我慢の限界がきて、母に「学校行きたくない」と言うも、母は厳しい人だったので「ダメ、学校はちゃんと行ってきなさい」と言い俺を送り出すだけでした。

今その話をすると、母は「あの時行かなくていいよって言ってあげればよかったのにね…本当に…。」と今でもそのことを悔やんでいて、泣きながら1人で歩いていく俺を見送りながら泣いていたらしいです。俺としてはあの時行ってこいと突き放してくれたことは本当に感謝しています。おかげで反骨精神が鍛えられた。

先生という生き物が嫌いになる

イジメはずっと続いていたので、俺は担任の先生に「あの子とあの子にイジメられる」と助けを求めました。チクるのも怖かったし、精一杯の勇気を振り絞りながら出した言葉に、担任はこう言った。

「イジメなんてありません。作り話はやめなさい。」

絶望した。毎日日直にさせられるような一目瞭然の事実があるのに、担任は見て見ぬ振り。この時、俺の中で初めて心の闇のようなものが生まれた気がする。「ウザい」「キモい」「死ね」という言葉なんて、こっちに来るまで聞いた事もないような汚い言葉だった。全てイジメられたから知ってる。なのに、作り話?ああ、大人は俺を助けてはくれないんだな。と子供ながらに悟った。

その後、連絡帳を先生に提出するとき連絡帳いっぱいに「死ね」という言葉を書きまくって提出した。親も呼び出され怒られたが、全く聞く耳なんてもってなかった、聞かなかったのはお前だ、当然の報いだという、当時の俺の精一杯の仕返しだったから。

イジメっ子にブチギレる

事件が起きたのは、図工の時間だった。

俺がイジメられているのは周知の事実で、担任はクズなので授業中に子供が席をたっても何も言わない、全て見て見ぬ振り。だからいじめっ子はもはや鎖のついてない闘犬だ。図工の時間になって、俺のとこにくると作っていた粘土をとりあげ、グチャグチャにされた。でも俺は我慢した、怖かったから。

ここで事件が起こる。いじめっ子は隣の女子にまで無駄に絡み、女子の作った粘土を見てバカにした。それを見ても周りは何も言えず、女の子は泣き出してしまった。泣いている女の子を指差して笑っているいじめっ子を見て、俺の中で何かが吹っ切れた。

気付いたらいじめっ子の顔面を思いっきり殴り、いじめっ子は驚いた顔で地面に倒れていた。多分父譲りだと思う。自分の事ではあまりキレないが、目の前で女の子が泣かされているのを見るのは心底我慢できない。

これ以降、その子からイジメられる事はなくなり、友達も増えていった。

見下され続ける学生時代

イジメがなくなり、段々と学年もあがっいったものの、俺は小中ともにいい思い出は一つも無い。

母が育児ノイローゼ?のような状態になり、特に悪い事をしてなくても何かしらで怒られ、厳しく育てられた俺は、周りの友達が持っているゲームソフトやおもちゃなんて一切持ってなかった。

「ゲームなんてしたらバカになる。」

これの一言で、俺は外でボールで遊ぶか縄跳びをするかみたいな遊びしかできなかったからだ。

周りの友達はみんなでゲームをしてるので、そりゃあ羨ましいなんてもんじゃない。俺はいつも借りて遊ぶだけ。当然「貸して貸して」と毎日言ってくる奴が周りにいたら、こいつ呼んだら自分がゲームできる時間が少なくなるし呼びたくないという感情になるのは当たり前。

俺はイジメられはしないものの、段々と仲間はずれにされていった。友達の家に行っても、俺は話に入れないし貸してと言えば嫌な顔をされるので、ニコニコして見てるしかない。つらくなって外で縄跳びしながら気を紛らわしていたのをよく覚えてる。

しかも、俺の趣味や得意分野が見下される大きな要員になった。

  • 絵がうまい
  • 物語を読むのが好き
  • 文章を書くのがうまい

今でこそ、俺のデザインセンスやライティングセンスはビジネスとして最大の武器になってるけど、学生時代にこんな事ができてもなんの意味も無い。

運動がてんでダメなので、休み時間にサッカーや野球をする時も、俺がいけば嫌な顔をされ、いつも余り物。大人になって考えてみれば、運動よりも素晴らしいセンスだし運動なんてできなくても何も困る事なんてないけど、小学生にはあまりにも残酷すぎた。地獄だ。

周りが当然できる事ができない、できても何も嬉しくない事ができる。今は個人の時代だからこそ、多様性が重視されているからこれは才能だと言われるけど、当時はただの拷問でしかなかった。

この時から、俺は22歳までずっと「普通になりたい。」と願うようになる。

祖父の死、弟の誕生

祖父の死、弟の誕生
俺は生粋のじいちゃんっ子だった。とにかくじいちゃんが大好きだった。じいちゃん家に行けば、ずっとじいちゃんにつきまとい一日中虫獲りに連れ回して、一緒に銭湯にいきスイカバーを買ってもらうのがいつも楽しみで、両親よりもじいちゃんが好きでした。

イジメられてつらい時も、じいちゃんといるとつらい事は全て吹き飛んでいた。今でも「ゆうちゃん来たんね〜!」と俺の耳に噛み付いてくるじいちゃんの声を鮮明に覚えてる。

そして俺が3年生になった時、じいちゃんのガンが見つかった。

俺は幼かったので、すぐに治ると思っていつもお見舞いにいくと「早く元気になって虫捕りにいこ!」と言ってた。だけどその願いが叶う事はありませんでした。2度とじいちゃんと虫捕りする事も、銭湯にいく事も、スイカバーを買ってもらう事もできませんでした。今でも思い出すとつらくなって泣きそうになるし、もう一度会いたいと思う。初めて人の死を経験したあの日は、人生で一番泣いた日。

享年65歳。じいちゃんとドライブしたり、酒飲んだりしたかったよ。

弟が生まれました

そしてその年、弟が生まれました。ずっと一人っ子として育ってきた俺は、本当に嬉しかったしよく面倒を見てたと思う。でも、いまだに弟とじいちゃんを会わせてあげたかったと思う毎日です。

チビデブとバカにされ続ける小学校生活後半

チビデブとバカにされ続ける小学校生活後半
小学5年生あたりから、俺はブクブク太った。もうバカにされる要素を全て手に入れた無敵状態である。

  • 身長143センチ
  • 体脂肪率30%超え
  • 運動音痴
  • 趣味が隠キャ

おかげさまで毎日チビデブと呼ばれ、俺は笑いながら「やめろよ〜チブデブじゃねえしw」と言いながら、心はズタボロだった。

修学旅行でも、やっぱりあまりものなので組みたくない奴と組まされ結果何も楽しく無い修学旅行となり、今となってはほとんど覚えてない。ただひたすらに、楽しく無い、つらい、バカにされたくない、という劣等感を感じ続ける日々だった記憶しか残っていない。

人格が変わる中学生時代

人格が変わる中学生時代

中学生になり、俺は身長を伸ばしたいという欲求だけでバスケ部に入った。結論身長は21センチ伸びたけど、それでも165でストップ。まあ今は人としての自信しかないのであまり気にしてないけど

小学生時代、チビやデブ、運動音痴でひたすらバカにされていた分、とにかく周りを見返したくてバスケ部に入ったのが運の尽き。

「才能がなかった」

本当に、驚くほど球技が苦手で、先輩、同期、後輩全てにイジメられるだけだった。正直バスケ部での記憶は、毎日バカにされて悔しくて悔しくて、毎日やめたいと考えていた記憶しか残ってません。それでも負けたくない一心で、必死に毎日笑ってごまかす日々でした。

毎日やめたいと考えていた記憶しか残ってません。

当時のバスケ部のキャプテンはいまだに殺したいと思うし、同窓会があるなら全力でマウントをとりにいくと思う。廊下ですれ違えば殴られ蹴られ、みんなの前でバカにされ、本当にクズはどの時代もクズ。どんなにいい人間になっていようが、俺は今あいつと会ったら多分ぶん殴ると思う。

父の会社が倒産

父の会社が倒産
これが俺の人生の別れ目。

父が働いていた会社が突然倒産。

父は無職になった。

その会社の上層部は、倒産寸前までその事実を隠し、突然の通告だったらしく転職先も何も見つかっていない状態。会社の上層部が残った金を全て持って逃げていったらしい。控えめにいって地獄に堕ちろ。

そこからうちは4人家族で父さんはバイト、母さんは保育士として働き始めました。しかし、年齢が年齢なのでろくな就職先は見つからず、どんどん貧乏になっていきました。

なけなしの年金で通わせてもらった学習塾

この年、俺は高校受験の時期がやってきた。でも「私立なんて行く金はないから公立しかダメ。」と親に言われていたので、親に嘆願し塾に通わせてもらう事に。ばあちゃんが少ない年金から、毎月塾代を払ってくれた。ありがとうばあちゃん。

これまで、努力なんてした事がなかった俺が、人生で初めて死ぬ気でした努力。担任に絶対無理と言われ続けた進学校への合格を目指し、勉強以外の全ての時間を犠牲にしてとにかくやった。お金がないから他の子は豪華な昼飯や夜飯を食べてる中、俺は質素な飯。またバカにされる。でももう関係ない。「悔しいけど、お前らより俺は苦労してるんだから、俺が一番結果を出せる人間だ。」と考えられるようになってきていた。そして、周りは落ちた人間ばかりの中、一番無理と言われていた俺だけが合格。

俺がこれで学んだのは、勉強ができるから偉いとか、勉強は必要か必要じゃないかとか、そんな話じゃない。人間死ぬ気で努力したって言える経験は絶対に一度しておくべき。この経験があれば、どこまで落ちこぼれても「俺ならできる」という自信が持てる。

Twitterで俺は自信家として有名だけど、自信の根になっているのはこの期間。そしてこの期間で、恩師である「塾長」と出会う事になった。

合格後、塾長と2人きりで話した時に「祐也が一番がんばった。あんなに努力できるやつはおらん。」こう言ってもらえたのが、俺の初めての自信。

あの頃は、周りは豪華な飯を食って俺は質素な飯。俺の親はなんて情けないんだと恥じてた。けど違うよね。どれだけお金がなくても、しっかり飯を持たせてくれて、応援してくれて、お金があるから豪華な飯を用意してくれる親よりも、お金がなくても絶対に飯を食べさせてくれる親の方が何倍も偉大だと思う。

地獄の高校時代

世の大人はよくこんな事を言う。

  • 大人の言う事は聞くべき
  • 学歴がすべて
  • 常識を持て

バカみたいな夢を追う事、自分を信じて突き進む事はまだまだ全否定される世の中だと思う。幼い頃から親の言う事を聞いて、親に迷惑をかけないよう良い子で生きないとダメだと感じながら、毎日「人と違う事」を恥じ、隠して生きてきた。それが正しいと洗脳されてたから。

「大人の言う事は間違っている」と気づいたのが、この高校時代。あれだけ死ぬ気で努力して、絶対に無理と言われた結果を出して入学した高校が、とんでもないクズ高校だった事がきっかけ。この時から、努力は何も意味がない、人間逃げて逃げて、どれだけ努力せずに楽にうまく生きれるかが全てだと知った。

  • 先生は教祖
  • 先生にイジメられる
  • 部活に入れないと仲間外れ
  • 過保護な親と甘えた子供にうんざり

こんなとこ。俺は初日で先生の態度に腹が立ち文句をいった。

一番ヤバかったのが、柔道の時間に柔道部の生徒が素人に絞め技をキメると、そのまま落とせと命令。やられた人は白目を剥いて泡を吹き気絶した。やりたくないとも言わずにやる奴もどうかと思うが、それを見て笑っていた先生が一番サイコパス。マジで頭おかしい。

その先生は怖いで有名で、誰も口答えしないなか俺は毎日文句を言ってたからだと思う。通学路を一回間違えただけで、半年ほど毎朝1時間早く登校させられ、素手でトイレ掃除をさせられた。

俺の目の前で道を間違えてる子がいても「今度は気を付けろよ」で終わり。俺の中でどんどん大人への不信感は募っていくばかり。

そんなザコキャラの周りの生徒は、親にお小遣いを貰って自由に悠々と生きてる。俺はもちろんお小遣いは0。10キロくらい先のマックに毎日チャリをこいで放課後バイトの日常。

でもバイト禁止の学校だったので、まるで俺は犯罪者だった。

先生にイジメられ、友達はできず孤立、放課後は汗だくでチャリを10キロ漕いで夜までバイト。なのに悪者のような扱い。今でも思い出すだけで最悪な気分になる。

親友との絶縁

ちょうどこの時、親友ともう2度と関わらない。絶交だ。

と何が原因で喧嘩をしたのかはあまりおぼえてないけど、ここから1年間、親友と関わる事もなくなった。

唯一心からなんでも話せる親友だったので、完全に孤独となった。この結果、このあと起こる1年間の地獄を孤独に耐えるしかない日々が始まる事に。

家庭崩壊

父は相変わらず職が安定せず、精神共にボロボロになっていたので、だんだんと気性があらくなっていった。高校に入って絶望し、勉強しなくなった俺に対して毎日ブチギレてくる。

でも家には幼稚園児の小さな弟、そして母さん、俺の3人しかいない。八つ当たりするなら俺が一番やりやすいんだとどう考えてもわかるので、俺は母さんと弟の盾にならないとと思い、毎日毎日、突き飛ばされたりいきなり怒鳴られても何も言わずに耐えた。

学校に行けば先生にイジメられ、友達はうわべで何の絆も感じないただの友達ごっこ、家に帰れば母と弟の盾。これが1年間続き、俺の心はどんどん消耗していった。毎日地元の夜景を見る高台で号泣する日々。でも家では笑顔でいるよう心がけた。つらいのは父さんも一緒だと思ってたから。

精神崩壊

そんなある日、俺が電気を付けっぱなしで、消せと父さんに言われたので「ちょっとこのテレビのコーナー見終わるまで待って!」と言ったら、いきなりブチぎれられて投げ飛ばされた。

もう限界。耐えられない。頭がおかしい。思わず今までの我慢が全て爆発する。

「いい加減にしろ!俺がどんだけ耐えとると思っとるんや!!なんも知らんでわけのわからん事でブチギレてくんなこのクソじじいが!!ろくに稼げもせんくせに!!」

思わず出た言葉だった。言っちゃいけない言葉だとわかってたけど、俺の気持ちを理解してほしいという精一杯の言葉で、もうこれしか俺にはありませんでした。でもこの時言われた言葉で、全て無駄だったと気付きます。

「つらいのは自分だけと思うな」

俺がどれだけ父さんの気持ちを考えて我慢してると思ってんの?つらいのは自分だけって思うな?父さんがつらいのわかるけん盾になったんやろうがこの1年間さ?なに?何もわかってなかったと?

もう頭が真っ白になった。全てがどうでもよくなった。つらいから支えようとしてたのは俺だけで、誰も俺の味方なんてしてくれないんだと理解する事に。今まで大人の言う事を聞いて生きてきた分、大人の言う事と全て真逆の事をしてやろうと決意。春休み中の事だったと思う。

春休みがあけて、学校が始まった。

でも体が動かない。布団から出れなくなってしまい、理由もなくひたすら涙が溢れ出した。

俺が壊れた瞬間だった。

塾長に救われる

それから3ヶ月ほど。

部屋から出なくなった俺はもう死のうと思った。電車に飛び込むつもりで駅に向かったものの、塾が駅の近くだった事もあり、気づいたら塾のドアを開け、塾長の顔を見た瞬間泣き崩れた。泣いてばっかりだ。

塾長は突然現れて泣き出す俺を見て、何も言わず俺が喋りだすのを横で待ってくれた。

少し落ち着いて、俺はこの1年間の事を全て話した。初めて人に話したので、もう涙が止まらないとかのレベルじゃなかったと思う。

  • 努力が全て無駄になったこと
  • 先生にいじめられていること
  • 友達ごっこに疲れて孤独なこと
  • 家では弟と母の盾になっていること
  • 誰にも言えず毎日下校中に泣いていたこと
  • 死のうと思っていること
  • 誰にも認めてもらえないこと
  • 誰でもいいから、頑張ったと認めて欲しいこと

全部話した。この時塾長に言われた言葉が、今の俺を作っていると思う。

「自分ががんばったと心から思えるなら、それはがんばった証。誰がなんと言おうと関係ない。誰かに認めてもらおうなんてしなくていい。よくがんばったな、祐也。」

本当に、この言葉がなかったら俺はあの日絶対に死んでた。本当に、本当に、塾長ありがとう。あの言葉は今でも俺の人生の指針です。

親友と仲直り

塾長と話した帰り道、親友と絶交して既に1年が経過していた。この間一度も連絡してなかったし、向こうから連絡がくる事もなかった。

でも勇気を振り絞って連絡し、今の状況を軽く説明して会って話そうと言うと、すぐに駆けつけてくれた。久々の再会で少し気まづいかと思ってたけど、まるで昨日会ったかのように普通に話せたのをよく覚えてる。

この1年間居場所がなかった事、学校で先生にイジメられている事、家に帰れば毎日八つ当たりを受ける事、もう全てに疲れた。もう無理だ、学校なんて行きたくないと、俺は親友の前で号泣しながらすべてを話した。親友の前で泣くのはこの時が初めてで、あいつはまるで自分の事のように、泣きながら聞いてくれた。

「お前大変やったんやな。なんか…ごめん。なんも知らんで、なんもしてやれんかった。ごめん。本当お前はもう、よくがんばったと思うよ。」

俺の話を聞いて涙を流してくれた人は、あの時の親友だけだ。初めて全てを話して、全てを認めてくれた友達も、親友のみ。それは24歳になった今でも変わらない。

親友と高校をやめる。そしてグレる

この時、親友も家庭崩壊が起き精神的にボロボロになっている事を聞いた。

父親の浮気が発覚し、父親への不信感と憎悪が溢れぶつける場所もなく、家でも外でも喧嘩ばかりの毎日だったそう。俺が知ってる親友の家庭は本当に温かい家庭で、そんな事が起きているなんて想像もしなかった。

そして、同じく高校の友達ごっこに疲れている事、孤独を感じていた事。工業高校に通っていた親友は、自分の将来に全く役に立たない事を覚える毎日に疑問を感じ、家に帰っても居場所がないという話をしてくれて、お互いに居場所が全くなくどん底の1年間を過ごしてきた事を知った。

あの日、まだ子供だった親友と俺は決意する。

「高校やめよう。」

今でもあの日の親友の顔や、1人じゃないと知った時の安心感は忘れられない。自分の為に泣いてくれる人がいるというのは、本当になによりも心の支えになる。強くなれると知った日でした。

父を殺します。

「高校中退」

あんなに努力して入った進学校をやめるというのは、当時の俺にも大きな決断だったし、親は魂の抜けたような顔をしていた。父さんはもちろん大激怒である。でも曲げない、もう親の言う通りにはならない、この世の大人全てが間違った人間だ、俺はがんばったんだから間違っていない。こう信じて、4ヶ月不登校のまま親と揉め続け、結果高校中退の道を選んだ。

定時制の高校に通うという条件付きだったけど、これは俺が望んで出した提案だった。さすがに中卒はヤバイというのはわかってたので、とりあえず高卒の資格だけはとっておこうと親友と話して決めていたからだ。

進学校をやめて、底辺高校へいく選択を聞いた当時の高校の先生は「そんな事したらろくな大人にならない」と俺にいったけど、今ではあの先生の何倍も稼いでる。今でも思う、やっぱり世の中の大人のほとんどがろくな意見を言わない、結局人生は自分次第。

俺が高校をやめたあと、父のあたりはさらに強くなった。

  • 万引きで警察に呼び出される
  • 昼夜逆転生活の完全ニート
  • 門限なんて完全無視、夜中に補導される毎日
  • 派手髪ピアスの完全ホストルックス

これまで、しっかり勉強して門限通りに帰り、進学校に通う一般的な高校生から、いっきに不良少年へなったからである。でも何を言われても「お前のせいでこうなった。」と、俺なりの必死の抵抗だった。何を言っても認めてもらえない、何をしても否定される。それならこうなってやる。本当にそれしか考えていなかったと思う。

結果、父とは会話もなくなっていき、喧嘩以外で話す事は数年なかった。

そしてあの日、俺の手には包丁が握られていた。

父を殺そうと思った。

夜中、両親が寝ている部屋へ包丁を持って入り、本当に刺すつもりだった。でもここで、夜中に階段を上がる音で弟が目を覚まし「兄ちゃんなんしようと?」と幼いかわいい声で俺に声をかけた。

この時ハッと我に帰り「俺は何をしてるんだ」と自戒の念に苛まれた事をよく覚えてる。すぐに包丁を隠し「ううんなんもしてないよ、ごめんね起こして」と言い両親の寝室を出た。

人を殺す人間の気持ちが初めてあの時わかった。自分ではどうにもならない。俺はいつ包丁を取り出して寝室にいったのかすら覚えてなかった。あまりに強い憎しみを持つと、人間はそうなる。あの時弟がいなかったら、俺は「父親殺し」でニュースになっていたんじゃないかと思う。

日雇いバイト生活

日雇いバイト生活
高校をやめてからは、とにかくお金がないので日雇いの力仕事をこなしながら生きていた。

  • コンサート会場の設営
  • 土木作業員の補助
  • 夜間工事

こんな仕事をするようになって、初めて社会の厳しさを知った。

学歴もスキルもない人間は、とにかく体力勝負の仕事をするしかない。あまりに残酷な現実。でも、もうどうでもよかった。俺の人生なんて何をしてもどうせつらい事しか起こらない。どうせ何もできない。夢も希望も無駄。努力は裏切る。そう感じていた。

不良仲間がいっぱいできて、毎日コンビニや駅でたむろする毎日。喧嘩して負けたり、恋をしたり。あれはあれで、めちゃくちゃ楽しい日々だったな、と今になって思います。

その後、好き放題生きて定時制高校へ一年遅れで編入する。

18歳、恋をする

はじめて本気で恋をした。

新入生徒が密集する中、ひときわ目立つかわいい彼女を見た時、純粋に恋をした。あんな一目惚れをしたのは、人生であの時だけだと思う。

その後、新しくできた当時の後輩が彼女と知り合いだったので、後輩づてに連絡先を聞いてGET。初めてLINEの通知がきた時、親友と電車の中で叫んでハイタッチしてました(笑)

そして猛烈アタック、無事お付き合いする事に。俺の一生分の青春がスタートした。

もう一度夢を探す事を決意

彼女には有名ダンサーになるという夢があった。既にダンス教室の子供の部でインストラクターを務めていた彼女は、当時まだ16歳。

彼女の家も貧乏で、それでもバイトをしながら毎月家にお金をいれ、家族の料理を作り、何より驚いたのが高校に入った理由だった。

もともとダンスで有名な高校に行きたかった彼女には、中学生の弟がいた。彼女はとても家族想いで、自分がそのダンス高校にいけば弟が公立高校の受験に落ちた時、私立に行くお金はないからという理由で、弟のために夢を捨てて学費の安い定時制高校に入学。ダンスの道は自分で切り開く。という話を聞いた。

俺にはあまりに衝撃的すぎた。年下の女の子なのに、俺と同じ家が貧乏という状態でここまで差があるのか、と劣等感に苛まれた。

  • 夢なんて持っても無駄だ
  • 努力なんてする価値ない
  • なんとなく生きてればいい

自分が恥ずかしくなった。

高校やめて、自分を守るために築き上げた価値観が、一瞬にしてブチ壊された。当時の俺なんて、金も知識も人脈もないただのクソガキだ。彼女の足下にも及ばない。圧倒的クズだというレッテルを自分に貼らざるを得なかった。

こうして、俺はもう一度人生の目標を探そうと決意。彼女においていかれるのが怖かったんだと思う。

幸せな日々、失う事への恐怖

幸せな日々、失う事への恐怖
画像:付き合い始めの頃の写真

俺は狂ったように彼女に惚れ込んだ。

ロシアのクオーターかハーフかとよく間違われるほどの美人な彼女。

何も持っていない人生に絶望した俺を愛してくれた彼女の存在は俺の中で何ものにも変えられない特別な存在だった。

画像:彼女と花見にいった時の写真
画像:彼女と花見にいった時の写真

高校の就職説明会みたいな奴の時の写真
画像:高校の就職説明会みたいな奴の時の写真


今見ても思うけどプリクラって盛るとかのレベルじゃないよね笑

見ての通り、1年程度で心から笑えるようになってるし、見た目も落ち着いて青年になってきてるんですよ。

心理カウンセラーを目指す

彼女と付き合って、夢を探し続けた結果。俺は心理カウンセラーになりたいと考えます。

この時は、既に大人への憎しみや努力なんて無駄だという思考からもだいぶ解放されてきて、昔の自分のようにつらい学生生活を送っている子たちを少しでも救いたい。自殺する子が少しでもいなくなれば、と考えるようになってました。

「塾長に救われた俺が、今度は誰かを救う側になりたい。」と常に言うようになり、彼女も応援してくれて、親友も親も応援してくれていました。

でもこの時、心理カウンセラーはまだ日本ではあまり盛んではない職業で、正社員として働くのもなかなか難しい世界だったので、公務員になれだの普通の会社に務めろだの言う奴もめっちゃいた記憶がある。けど俺は好きな事を仕事にして生きていくとずっと言ってたので、そんな声には一切耳を貸さなかった。

ここから、不良行為は一切やめ大学受験にむけてもう一度勉強を始めます。彼女にふさわしい男になって、誰かの為に生きる人生を本気で掴みにいこうと決心した。今の俺じゃ彼女を幸せにできない、だから死ぬ気でやる。その一心で。

大学受験失敗

毎日学校で学習室にこもって勉強して、土日も図書館みたいなとこにこもって勉強。完全に受験生モードでした。

そして受験当日、彼女が弁当を作ってくれて、俺は彼女に見送られ、弁当箱と受験票、筆箱を握り締め受験会場へ。

結果は惨敗。

多分めちゃくちゃつらかったんだと思う。この時の事をほとんど覚えてないんです。

でも、彼女が優しく「また頑張ろ!もう一回やれば絶対ゆうやくんならできるよ!」と励ましてくれた事をなんとなく覚えています。

父は予備校に70万円募金した

夢を諦めきれない俺は、父にどうしてもカウンセラーになりたいから、もう一度だけチャンスをくれ。予備校にいって浪人させてくれと懇願。

不良だった俺が、夢を見つけて一生懸命夢を追っている姿を見て、父は応援してくれていたんだと思う。すんなりOKしてくれた。父はお金がないという恥を捨て、親戚に頭を下げすぐに予備校代を借り払ってくれた。

もうやるしかない。やれる事は全部やった。予備校生はバイトもする時間がないので、毎日おにぎり1個でがんばった。

でもここで事件が起こる。

彼女と別れる事になりました。

夢の代償

受験失敗、浪人、極貧生活というトリプルパンチで、俺は精神的にそうとう参っていた。彼女との時間も一切とれなくなり、だんだんとすれ違いが増えていった。

ある日、小さな事で喧嘩になり、俺はどうしてこんなに頑張ってるのにわかってくれないんだ。寂しいとかそんな事言ってる場合じゃない。という感情がどんどんエスカレートしてしまい、「お前に何がわかる?バイトと学校しかしてねえくせに俺の何がわかる?それでがんばった気になるな!」と思わず言ってしまった。

そんな事は一切思ってない、でも感情を抑えられなかった。ずっと彼女に劣等感を感じて、彼女の夢をずっと応援できなかった。でも頑張ってるのは誰よりも知ってたし誰よりもすごいと思ってた。誰かに認められたいと願うばかりで、一番大切な人を心から認めてあげる事が俺にはできていなかったと今ならわかる。

この言葉は彼女を深く傷つけてしまい、今でも本当に申し訳なさしかない。

彼女を幸せにしたいと願って見つけた夢が、夢を追う事に夢中になりすぎて、一番大切な人を失う事になった。

目標の損失

彼女を失った事で、完全に目標を追う理由がなくなってしまった。

予備校の自習室で勉強中、急に目の前が見えなくなった。

何も考えていないはずなのに、涙がとまらなかった。

それ以降、俺は夢を追う気力もなくなり、ただただ自暴自棄に。

そのまま予備校はやめる事に。また夢も希望もない毎日を生きていく日々が始まった。

人によっては、ただの子供の失恋で人生を無駄にしてると映ったかもしれないけど、この時の俺には彼女が全てだった。甘ったれてるしどうしようもないクソガキだけど、今もう一度あのつらさを経験すると考えたら、正直耐えられる気がしない。

あれほど本気になったのは、いまだかつて無いのがその証拠。

フリーターになる

とりあえず仕事しないといけないので、ガソリンスタンドの時給800円バイトを友人の紹介で開始する事に。

この時から、俺は趣味に没頭するようになった。憧れだったバイクを買って、汗水たらして働いたお金をカスタムパーツとガソリン代に注ぎ込む毎日。


画像:人生初ツーリング


画像:雑誌に載った時

バイクに乗ってると嫌な事を忘れられた。バイクと女遊びでとにかく彼女の事を忘れようと必死になっていた。

無料マッチングアプリでセフレを作ったり、よくわからん変な女を後ろにのせて走ったり。毎週そんな事してたと思う。

でもバイトはまったくもってうまくいかなかった。セルフではなくフルサービスのガソスタだったので、常に走り回って夏は暑いし冬は寒いしで最悪。何よりきついのがヘルニアでした。

走るとすぐに腰が激痛になり、他のバイトや社員から仮病だとレッテルを貼られ、ヘルニアで休む時は本当に心苦しかった。

あまりの痛さに裏でうずくまっていると「仮病使うな」と罵られ蹴られた事は今でも忘れない。結局、そのバイトは1年でやめて、派遣社員としてケータイ販売の仕事についた。

悪徳クルマ好きおじさんにカモられる

悪徳クルマ好きおじさんにカモられる
この時、俺はロードスターという車がほしくてフルローンで購入したんですが、これが最大のミス。

欲しい感情だけに流されて、本来40万程度で変える過走行オンボロ車を相場の2倍以上の100万円で即決してしまった。

壊れない、いいタマだの色々言われ、何も知らない俺は全部信じて全財産1万円なのに100万の買い物。バカだ。

結局、納車されて半年も経たずに壊れまくりで、保証すら一切ついてなかった。全部自腹だ。働いても働いても金が足りなくなった。

  • ブレーキが3ヶ月に一度効かなくなる
  • 真夏にエアコンが効かなくなる
  • オープンカーならではの布の天井が秒で破れて雨漏りしまくり
  • 突然ヘッドライトがつかなくなる

言い出したらキリがないけど、車屋の話は全部嘘。マジで壊れる。多分修理費目当てで売り付けられたんだろうね。

ここまで壊れると、さすがに支払いがヤバイので仕事をしないといけない。たかがローンや修理費だけど、仕事がすぐ無くなって収入が0になる事が多く、俺にとってはとんでもない請求額だった。

どこで働いてもクビになる

  • 居酒屋
  • コンビニ
  • 工場
  • 介護職
  • 飲食店

言い出したらキリがないけど、ほぼ全て2ヶ月以内でクビになりました。

ここで初めて、自分は社会不適合者なんだという事実を知り、圧倒的絶望。

それでも車は壊れ、ローンの支払いはとまらず、結局日雇いの土木作業員として働くしかない日々を過ごす事に。

これの何がつらいかって、飲食店や工場は人間的な問題でクビになるのに、肉体労働はヘルニアでまともに動けない。そして何より、社会の底辺として世界に見下されて生きているという実感がハンパじゃない。

でも支払いはくるから働かないとまずいし、でもクビかヘルニア。治療に通うお金もない。本当にお金がない人間は何もできないと毎日実感する日々でした。

フリーランスになりたいと考えるようになる

こんな生活を続けた俺は、ひたすらネットで人生について検索するようになった。

  • 「仕事 クビになる」
  • 「仕事 続かない」
  • 「在宅 仕事」
  • 「人生 おわった」
  • 「人生 絶望」
  • 「死にたい」

こんな検索をずっとしてたと思う。バイクに乗ってる時だけが唯一心が休まる時間だったので、夜中に1人でよく走ってました。

夜は眠れなくなり、あまりの虚無感に朝突然現実逃避で寝ずに京都へいった事もあります。片道750キロ。

現実逃避で朝から熊本へ飛び出した時
画像:現実逃避で朝から熊本へ飛び出した時

でもこのあと、支払いに追われ結局バイクは手放す事に。号泣しながら「絶対にお互いビッグになってまた会おう」と約束し、16万円と引き換えになりました。

残ったのは、所有者がローン会社なので手放すにも手放せないオンボロ車だけ。


画像:ムカついてスピードを出しすぎ車が一回転して起こした事故

都会に出たら稼げると勘違い

この時は、ちょうどアムウェイやニュースキンの全盛期。

フリーター×副業で稼げる道があると、高校時代からのとある友人から話を聞き、即博多近辺のコールセンターへ派遣で入社。都会で一花咲かせようと考えます。

先に結論からいうと、その友人から詐欺られました。

友人は俺が支払いに追われている事も知っていたので「お前の力になりたい」と話を持ちかけられたのがきっかけ。もちろん最初は怪しいと思ってたけど、さすがに友人が自分を詐欺るなんて思いもしないので、俺は言われるがままとあるビルのオフィスへ足を運びました。

そこに待っていたのは、ブランドものを身につけ誰でも稼げるとよくいる詐欺師のテンプレみたいな人。

こいつ
画像:詐欺師本人(名前:飯沼友基)

この時、俺は田舎の支払いに困った21歳の若者。少し疑う気持ちはあったものの、友人から「この話を断ったらもうお前にしてやれる事はないし、これを断る奴なんて一生稼げんよ。」と言われ、バカな俺は詐欺師の言われるがままサラ金を駆けまわり現金60万円を握り締め、詐欺師に手渡しました。

会社名はSoft-EXという会社で、次亜塩素酸水のレンタル空気清浄機のオーナーになる事で、レンタル料が毎月振り込まれるというもの。今だに詐欺だ詐欺じゃないだのとごちゃごちゃ言ってるけど、お金は必ず支払うし、支払いができなくなったら保証会社が立て替えると言ってたのに振り込まれた金額はその後1回、2万円弱のみで、今ではあの60万円がどこにいったのか全くわからない状態。詐欺以外のなにものでもないですね。

あれから4年、こんな感じで必ず払うというメールがくるだけで、実際全く払われてない。

1月31日にメールすると書いてあるけど、きてない。


画像:メール履歴(日時をご覧ください)これ全部、払いますって言ってるだけ。


画像:2017/06/30日に支払いますという旨

今だに支払いなし。これが詐欺の実態。

保証会社が立て替えるのも嘘、空気清浄機をすぐに手放せばほぼ損なしというのも嘘、手離させてくれない、お金を返してくれと連絡しても一切返金対応もしてもらえない。なのでこの記事で晒す事にしました。

代表者名も載ってますね。

消費者センターに見捨てられる

詐欺被害にあったら、消費者センターがなんとかしてくれると聞いた事があったので、俺は詐欺と知ってすぐに消費者センターへ駆け込んだ。

けど、言われた言葉はこう。

「相手が払わないと言ったら払ってもらえないし、集団訴訟起こしてもいいけど結局お金は帰ってこない。訴えるにしても、裁判費用がかかって結局損をする、だから助ける事はできない。」

詐欺にあっても、しっかりお金が戻ってくるなんて甘い事を信じてた俺が甘かった。世の中は汚い。詐欺は許されないし裁かれるけど、被害にあった人のお金は帰ってこない。

ちなみに、Soft-EXの代表も俺を騙した社員は、今も裁かれる事なく平然とシャバの空気を吸ってます。

結局ね、詐欺にあっても誰も助けてはくれないよ。自分の身は自分で守るしかない、これを痛感した大事件でした。

コールセンターをクビになる

今回の件で毎月ほぼ利息の返済が増え、バイクは手放し車は壊れ、ローンは延滞。年金などの税金関係も延滞。

もう完全にオワコン状態の時、働いていたコールセンターから突然電話があった。詐欺にあったとわかった直後の話。

「申し訳ないけど、明日からこなくていいよ。」

突然仕事を失った。泣きながらクビにしないでと電話越しに嫌いな上司に頭を下げまくった記憶があります。でも、答えは冷たく「申し訳ないけど無理やねえ」の一言で、電話を切られた。

もはやつらいとかいう次元じゃないので、放心状態で当時付き合っていた彼女の家に帰る事にした。

彼女に浮気される

この頃、スタンドバイト時代に知り合った元モデルの女の子と付き合っていた。極度のメンヘラやったよね。

詐欺にあい仕事もクビになり、彼女になんて言おうかと考えながら帰宅していると、突然知らない男が現れ「おいお前塚本やろ?ちょっとこい。」と呼び出された。ずっと俺を待っとったらしい。

服の隙間から入れ墨が見えるガラの悪い男で、突然こんな話をしだした。

「お前ありか(←彼女の名前)にひどい事しよろうが。浮気されようとか家で毎日怒鳴られるとか、色々きいとったい。殺すぞ。」と、いきなり喧嘩腰で全く心当たりのない言いがかり。わけがわからん。

彼女がまたメンヘラ発動して「ああ、また自分の都合の良いように話して男を弄んでるわけね。」と理解し、毎日料理洗濯などの家事をこなして、休日は彼女が行きたいという場所に連れて行ってデートもして、浮気なんてカケラもしてない。とありのままを話したらマジで驚いた顔してたけど、俺が一番びっくり。

結局その男も彼女の話が嘘だったと気付いたものの、彼女に惚れてるもんだからどうしようもない。その男は彼女に何度もアタックして、俺と付き合っているにも関わらず彼女はなぜか俺を悪者にしたてあげ彼女はそいつと浮気。クソだ、クソすぎる。

その後彼女を呼んで3人で話した結果、彼女はこう言った。

「ゆうやくんに浮気されると思ったから、先にしてやるって思った。でも好きなのはゆうやくんで、この人は遊び。だから別れたくない。」

もはや何を言ってるのか理解できない。浮気される要素なんて1つもないのに1人で被害妄想を膨らませて1人で暴走して、罪のない男を弄んで承認欲求を満たしてるだけのクソ女。

「わけがわからん。毎日料理作って帰りを待って、家事もしてどこでも連れてったやん。どこに浮気要素あるん頭おかしいやろ、無理やわ。好きでもないこの男に一生股開いとけ。帰る。」

俺はこう言って車に乗り、実家へ帰った。もう何もかもどうでもよかった。別れたあと、ものすごいつらさがくるかと思ったけど、案外何も感じない。

こうして俺は、副業をしつつ働いて、彼女と半同棲しながら野心を燃やして生きる男から、詐欺に会い職を失い彼女に浮気され何もかも失った男になった。真夜中の帰宅路、俺は1人で泣きながら笑っていた。ボロボロのスポーツカー、響き渡る爆音の音楽、1人で笑いながら泣く男。人間どん底に落ちると、笑うしか無くなってくる。

人生がどうでもよくなった瞬間。この時、完全に全てを諦めた。

俺、ニートになる。

  • どこで働いてもクビ
  • 力仕事はヘルニアで無理
  • 金も知識も人脈もなし
  • 鳴り止まない取り立て電話

現実は厳しすぎる。

このあと何度か働きはしたものの、続かない。結局、俺は請求書がきても見て見ぬ振りをし、完全に働く事もやめ何もしなくなった。

父が連帯保証人になっていたので、請求は父に全て丸投げ。顔をあわせれば喧嘩になり、殺すぞと毎日のように言われ「殺してくれ。」と頼んだ事もある。

家に弁護士がきて、当時全財産300円だった俺は200万円の一括請求書を渡された時はもはや笑った。請求書は家族に隠して、公園で燃やして無かった事にした。

そして、家に帰ると父に半殺しにされるような日常になったので、俺は家を出た。行く場所もないしお金もない。スーパーの駐車場で寝泊りの生活。

人生初めてのヒモ生活

そんな時、コールセンターで仲良くなった一つ年上の女性(あゆみ)に連絡し、彼女の家に泊めてもらった。コールセンター時代から俺に好意を持ってくれていたらしく、俺にとっては正直都合の良い女でしかない。飯を用意してくれて、住む場所をくれて、セックスできて、働かない俺を一切責めない。今考えると信じられないクズだけど、もうどうでもよかった。

俺は何もしなくてもクズなんだから、何をしてもクズに変わりはないんだと自分に言い聞かせて、そのままヒモ生活へと堕ちていく。

精神科通い

顔を合わせれば殴りかかってくる父から逃亡し、女の家に転がり込み、父がいない時だけ帰って飯を食い、夜は駐車場で寝るか女の家で泣いているか。そんな状態でボロボロになりながら「なんでクビになるんだ」と嘆く俺を見て、ある日「精神科にいこう」と母が言った。俺はそのまま精神科へ。

「どこか普通の子と違う」と、俺が幼いころから感じていた母は発達障害を疑って先生に検査を依頼。心理テストのような検査をさせられた。

結果は「注意欠陥多動性障害」。

ADHDと呼ばれるものでした。ケアレスミスや不注意が多く、俺が仕事をクビになる理由はだいたいこういった事が原因で、俺の場合は衝動的な言動が多く無意識での失言などでコミュニケーションがうまくとれなかったりする症状。

ここには書いてないけど、心当たりは星の数ほどあった。この症状が強すぎて社会になじめず、俺のように社会不適合者として生きる中で二次障害として鬱を発症するケースが多いらしい。

小学校、中学校、高校。どれを取っても馴染めず、結果高校の時も鬱のようになり学校へ行けなくなった。ADHDと診断された時は、正直ほっとしたよね。自分が普通じゃない事、普通になりたいと願ってもうまくいかない事、全てに理由をもらえたから。

「しょうがなかったんだ」

心が少し楽になっていった。

ADHDで悩む人の多くは、一見普通の人間です。人は障害というと外見的なものでしか判断しないので、ADHDは「そんなの誰でもあるよ」とか「甘え」とか言う人が多い。けど現実は違う。俺みたいに社会に馴染めず苦しんでいる人が大勢いる。普通になりたいと願いながら、理解されない世界で苦しんでいる人がたくさんいる。俺はそんなADHDの人の希望の星になりたいし、ここまでADHDでたくさん苦しんだけど、今はADHDは最強の武器だと思ってる。どうか周りにADHDのちょっと変わった子がいて悩んでいたら、そんなの誰でもあるとか言わないでください。本当に理解できる人は、誰でもあるなんて口が裂けても言えないレベルで理解できる人です。

障害者就労支援での就職を考える

ここまで数々の仕事をクビになった俺は、障害者雇用を勧められた。

大手企業が障害者枠の採用を行っているので、その枠での就職。正直これを言われた時は本当に地獄だった。Twitterで障害者雇用で生きている人のツイートを漁りまくったら、人間として扱われていないという過酷な労働環境が目に見えたからだ。

ADHDでもうまく生きれるんだとほっとしてすぐ、また絶望。俺はそれ以来、精神科に通うのをやめてあゆみの家に引きこもるようになった。

人生の転機が訪れる

ある日実家に帰ると、父がいた。普段なら、父は俺を見るとすぐに怒鳴りこんでくる人なのにあの日だけは違った。俺が発達障害だったと診断されて、鬱になり絶望している事を理解してくれようと頑張ってくれていたらしい。その日父が俺にこんな事を言う。

「お前文章得意やけん、ライターでもしたらどうや。」

当時の俺は「ライターってなんだ?」って感じのイメージだったけど、父のこの一言が、後に俺の人生を大きく変えるきっかけとなる。

友達にバカにされて一念発起

元カノに浮気され、あゆみの家に引きこもるようになってから、俺は友達との連絡を全て断つようになっていた。こんな情けない自分を見せられるわけがない。会えば働けとバカにされるし、ADHDだと言っても理解してもらえない、恥ずかしさと恐怖から完全に消息不明になっていた。

3ヶ月ほど連絡を断った頃、親友から生きてるのか本気で心配してると言われたのがきっかけで久々に連絡を返し、その日の夜友達の前に顔を出した。

ヤンキー時代からの友人で、圧倒的に友達もクズだったので会いやすかったのもある。その日は悪友1人と親友と俺の三人で会い、久々にワイワイと話してたのしかったけど、その中で悪友に言われた一言に俺はマジで腹が立った。

「お前そんなんじゃ女に捨てられるぜwwwwww俺は働いて家賃払いよるし、女にかっこい悪いとこばっか見せんなよ。」

言ってる事は全く間違ってないし、正しい。けどお前が言える事じゃねえ。

  • 日雇いで5万円の家賃だけ稼ぐ
  • 家賃以外の生活費全て彼女持ち
  • 基本家でゲーム
  • 就職するも秒で飛ぶ
  • 働いてと彼女に言われるもゲームに没頭
  • 俺には夢がある!起業するからあと10年待って!と言い目標額は60万

控えめにいっても圧倒的にクズ。マジでお前だけには言われたくない。

「俺はこんなやつにバカにされて何も言えないほどのクズに成り下がってるんだ」と痛感し、本当に今の自分を殺したくなるほど悔しかった。

この時、もう逃げるのはやめようと思う。本当に本当に、心から悔しい一言だった。

好きな事で生きていきたいと本気で考えるようになる

ここまで俺は、あゆみが仕事に行っている間、布団から一歩も出ずカーテンは締め切って真っ暗な部屋に閉じこもっていた。

そんな生活を半年ほど続けたと思う。誕生日にあゆみに買ってもらったゲームをしたり、スマホゲームをしたり、といった生活。

でも友達からバカにされて以来、なんとか行動しようとやる気を出せるよういろんな記事や動画を見るようになっていた。

この時見つけたYoutubeが、俺にヒントをくれる。

✔クリスの部屋

俺がこの記事を書いている現時点で、この人のチャンネル登録は36.8万人。俺がこの動画を見つけた時は、まだ1万人いってなかった気がする。でも、このクリスさんの動画でめちゃくちゃ勇気が湧いたのは今でも忘れられない。俺が人生を見つめ直すために必要な心構えと勇気をもらった、心から尊敬する人です。

今まで、とりあえず働いてお金を稼いで支払いをしないといけないという毎日だったけど、よく考えてみると、まだ高校生だったあの日、俺は大切な彼女を幸せにしたいならまず自分がやってて幸せな仕事をしないといけない。自分が幸せじゃないのに大切な人を幸せになんてできない。

こう考えて、心理カウンセラーを目指していたのを思い出します。

ここから、給料や勤務時間で会社を選ぶのはやめよう。俺が得意な事、やりたい事を仕事にしようと考え、クリスさんの動画を全て見てやりたい事を探すようになりました。

フリーランスという夢を見つける

会社に入ってもすぐにクビになる。人と働いてもなかなかうまくコミュニケーションが取れない。工場で毎日同じ作業をしながら人生を終えるなんて嫌だ。

こんな事を考えひたすらネットで情報を集めまわった結果、見つけたのが「フリーランス」という職業。

  • 会社に縛られない自由な生き方
  • 好きな時間に好きな場所で働ける
  • 人間関係を気にしなくていい

まさに俺が理想とする世界。やっと答えが見つかった気がした。

いつまでも家に閉じこもってても何も変わらない、いつまでもあゆみに迷惑をかけられない。恩返しをして、俺は俺なりに努力しないと人生終わる。

ここから俺は、フリーランスになるためにはどうすればいいのか?と色々模索することに。

俺、ライターになります。

「お前文章得意やけんライターでもしたらどうや?」

父さんが言ったこの言葉を思い出し、俺はライターについて調べまくった。

  • ライター稼業でフリーランスになれること
  • スキルが身についていろんな応用ができること
  • パソコン一つでどこでも仕事ができること

完璧だ。俺、ライターになる。

こう決心して、まずはライターとしてスキルをつけようと考え完全未経験でもライターとして働ける会社を探した。

「ライター 求人 福岡」

こんな検索ワードでしたね。懐かしい。でもここで一つ問題が。

ケータイ代すら払えなくなってたので、既にケータイは強制解約、面接にいこうにもWi-Fiがないと外で連絡が取れない状況。でも応募には電話番号が必要でした。

でもなんとしてでもライターとしてスキルをつけたかった俺は、次の日かけこみで会社に突撃。

「ここで働かせてください」といきなり初対面の相手に頭を下げ、そのまま面接してもらえる事に。

社長に呼び出される

その日は社員だけが出勤している状態で、社長は不在でした。面接をしてもらえただけありがたいけど、できれば社長に会って熱意をアピールしたかったと後悔していると、一通のメールが届きます。

とにかく思いついたら行動って感じで動いてたので、履歴書すら持って行ってなかったみたいですね…(笑)

というわけで、もう一度会社へ行く事へなりました。会社へいくと、その日は社長がいて、もう一度面接すると言われ突然社長との面接が始まった。

これが、俺の人生を変える師匠との初対面だった。

  • SEOって知ってる?
  • WordPressって知ってる?
  • アフィリエイトって知ってる?

当時の俺はそんな世界見た事もないので、当然「知りません!」としか答えられなかった。

今でこそSEOについて解説したり、WordPressの設定なんか秒で終わらせてアフィで19記事100万とか、23記事で半年の合計収益500万円とかだけど、スタートはこんなん。

SEO?WordPress?なんかかっこいい〜!くらいでしか思ってなかった。3年前の事だ。

それでも、全力で記事を書かせてくださいと懇願した。なんでもやるといった。翌日、ケータイは使えないのでメールで返事くださいというわけのわからん要求をしたので、メールが届いた。

メールが届いた

マジで1人で叫んだ。あまりの嬉しさに飛び上がった。

多分受験受かった時と同じくらい嬉しかったと思う。ただのバイト面接に受かっただけだけど、初めて自分の好きな事を仕事にするという長年諦めていた夢に近づけた気がしたから。

すぐに返信して、初出勤までひたすらSEOについて勉強してたのを思い出す。

師匠に弟子入り

出勤初日、右も左もわからない俺に社長はこう言った。

「2週間後までに1日3記事書けるようになれ、できなかったらクビ。」

これを言われた時はゾッとしたけど、同時に絶対にやってやろうと思った。工場での真っ暗な更衣室で絶望しながら作業着に着替えて楽しくない作業を永遠にするわけじゃない。

PCで自分の書きたい事を書いて、それでお金をもらう。信じられないほどクリエイティブな仕事。それだけで、がんばる理由は十分だった。

その後、1週間弱で1日3記事のハードルをまずはクリアして、その後はひたすらに記事を書きまくった。

最初は上司もいたけど、上司をぬいて3ヶ月で正社員登用される事になり、SEOメディア部署は俺が管理することになりました。

これまで何をしてもうまくいかなかった俺が、初めて社会でうまくいっている実感と、久々の給料、そして初めての正社員生活。目の前には、29歳にして年商2億を作った起業家の社長という師匠がいる。俺はだんだんと自信とやる気を取り戻していった。

とにかくこの時、俺はここで失敗したら本当に人生が終わる。なんとしてでもここで結果を出さないといけない。そのためには、まず社長に弟子だと認めてもらえるくらいに頑張らないといけない。とにかくこの一心で死ぬ気で学び続ける日々を過ごす。

努力をすると、批判される話

師匠はどんな仕事も爆速で1人でこなしてしまう、信じられないようなすごい人。

  • セールスライティング
  • WEBデザイン
  • SEO対策
  • 広告代理業
  • ホームページ作成

入ってくる仕事入ってくる仕事全てを、高いクオリティで一瞬でこなしてしまう姿は本当にかっこよかったし、本当に憧れだった。

なので、俺は絶対にこの人みたいになると決めて、師匠のスキルは全て奪うつもりでつきまとった。仕事がおわっても、残業代はいらないので教えて欲しいととにかく色々聞きまくって、師匠は面倒見のいい人なので、たとえ夜中の1時になろうが笑いながら教えてくれた。

そんな生活をずっと続けていると、当然給料はあがってくる。そうすると起こるのが批判だ。これまで友達と思っていた人が、俺が成長していく事に嫉妬してどんどん俺の悪口を言い出した。

  • 「あいつまたなんか変な事始めたやんw」
  • 「なん調子のっとん?どうせすぐ諦めるやろw」
  • 「あいつには無理。どうせ何してもクズw」

これまで友達と思っていた人に浴びせられた言葉。正直めちゃくちゃショック。

悔しくて悔しくて堪らない、言い返したい。でもなんの結果も出してない、フリーランスになるという夢も口だけで何も叶っていない。

その時、絶対にこいつら全員見返して叩きのめしてやる。と俺は心に誓った。


画像:当時のツイート

その後自分のアフィリエイトサイトを立ち上げ、まだWordPressの設定方法なんかもわからないので、うろ覚えの知識とGoogle検索だけで1日かけて作ったと思う。

それから書いて書いて書きまくった。

当時のリア垢のツイート
画像:当時のリア垢のツイート

会社でも、

家でも、

とにかく書いた。

過労で倒れた事もあるけど、すぐに立ち上がって記事を書いた。

「今まで何度も逃げ続けてきた。ここで逃げたら、もう俺には2度とチャンスはないぞ?」

毎日こう言い聞かせて満身創痍でがんばった。

会社でも自分のブログでも、朝から晩まで作業をこなしても売上は高校生のバイト代以下、もちろん絶望。

友達にも会社でも、俺はフリーランスになって会社をたてて社長になる。これしか言ってなかったとおもう。ブログやめたいとか、絶対無理だとか、周りの友人には絶対に言わなかった。俺ならできると言い続けて、本当に強がりに強がりを重ねて帰ってもアクセスは増えず収益も上がらない日々。

負けそうになった時は、社長に弱音を吐いた。「もう無理ですよ。本当にできるんですかこんなの。」

何度も言った。けど、社長は厳しいけどいつもこの言葉を言ってくれた。

「弱音ばっか吐くな。そんなんじゃフリーランスになるって夢も叶わんぞ。必ず収益が出る時はくるから、今は耐えて書け。バコっと稼いだ時、その苦労は一瞬にして無くなるけん。」

俺は社長のこの言葉を盲信し、社長にだけ弱音を吐きつつがんばってたと思う。厳しい事を言ってくれるのが社長だけだから。

人間死ぬ気で努力してる時に、努力してない人間に相談なんてしても全く意味がない。

  • 「無理しすぎちゃダメ」
  • 「がんばりすぎ」
  • 「身体こわすよ」

こうやって心配の言葉をかけてくれるけど、その人たちは果たして成功してるのか?っていう本質だよ。

  • 無理な結果は無理しないと出せない
  • 努力にやりすぎもクソもない
  • 身体なんてぶっ壊れるまでやれ

全て社長から教わったこと。俺は甘い言葉を言われたらすぐになまけてしまうタイプなので「大丈夫」としか言わなかった。

遊びなんていかない、ゲームなんてしない、全ての時間をブログに費す。

友達が夜中にカラオケに行ったり、車で走りにいったりボーリングにいったり飯を食ったりしてるのが本当にうらやましかった。でも「いや記事書かんといかん。」と、遊びの誘いも断り続けた。


画像:当時のリア垢ツイート

そんな生活を1年間続けた頃、

初めて自分のサイトから収益が出た。

ここから俺は、会社のムカつく部署に配属されたバイトの男の子を引き抜き、徹底的にノウハウを叩き込む。これはなぜかというと、その子はケンタッキーのバイトをしながら自分でECサイトを立ち上げ、服を輸入して毎月7〜8万稼いでるような有能だったから。(※後に彼は億り人になります。)

周りの意識の低さと、何も教えてもらえない環境に絶望していた彼を、社長に頼んで俺のSEOメディア部署へ配属。毎日彼が書いた記事を添削し、俺は他の作業をしながら家に帰っても朝方まで記事を書く。

この結果、彼が作ったサイトは月商200万円のアフィリエイトサイトになった。

会社での売上は作った。あとは個人で作るだけだ。

ここから俺は、ガス無し風呂なしの毎日ゴキブリが出る築40年のアパートで、毎日カセットコンロで鍋でお湯を沸かして、手洗い場にお湯をためてコップで身体を洗うような生活から、とりあえずシャワー付きのトレーニングジムに通えるようになった。

毎日、会社が終わったらジムによってシャワーを浴び、帰ったら記事を書く。この生活を繰り返した。

そしてブログ収益は6桁に到達し、23歳で月収40万円を達成。


画像:当時のリア垢ツイート

彼女がクズ化する

こうして俺が努力している中、あのどん底時代を支えてくれたあゆみはどんどん働かなくなっていった。


画像:当時のリア垢ツイート

こんな感じで、俺は精一杯恩返ししてるつもりだった。

でも、だんだんと俺のお金に頼り出し、それはエスカレートしていった。もちろん、恩があるので最初はなにも思わなかったし、きっと俺が成長してるのを見て一緒に成長しようと思ってくれるはずだと思ってた。何度も喧嘩して、頼むから一緒にがんばろう、俺だけじゃきついと懇願した。

けれどどんどん態度は急変。最後の方は、俺が夜中に仕事を終えて帰ってきたら、ほとんど1日休んでるはずなのに犬のうんこが部屋中に散らばって、あゆみはゲーム。飯はスーパーの激安弁当だ。

いつも、俺を全力で支えると口だけ達者な彼女を見るのは、もう我慢の限界だった。

彼女へ家をプレゼント

俺は、どんどんクズになっていく彼女に見かねて、環境を変えようと決心。

もう収入も安定してきたし、周りの同世代より圧倒的に稼いでる。貯金も少しならあった。なので俺は2人で引っ越そうと提案、あゆみは快諾してくれた。

俺は精一杯の恩返しがしたかったので、彼女が住みたいと言っていた街の不動産へ行き、2人でいろんな家を内覧。その中の一つが本当に気に入ってくれてたので、俺は貯金全額はたいてすぐにその家を契約、鍵をサプライズプレゼントした。

案の定彼女はとても喜んだけど、家具家電まで全て揃えるお金はもうなかった。なので、とりあえずテレビとドンキの5000円のエアーベッド、冷蔵庫だけを準備して、ここから2人で買い揃えていこうと約束。

彼女は、これを機にやりたかったエステティシャンに転職すると約束した。

でも彼女は、なにも変わらなかった。

いくら待っても、彼女は何も行動しないし相変わらず派遣で少し働いて、あとは家でYoutubeを見てるだけだった。

俺がこの1年半死ぬ気で努力して貯めたお金を全額使って家を用意し、恩返ししようとしても受け取ってくれない。

結局俺だけその家へうつり、彼女は転職したらすぐに行くと約束したはずなのに、面接に一回行っただけらしい。


画像:当時の新居

こんな広い家に、なんで俺は1人でいるんだと、本当に意味がわからなかった。


画像;寂しくて親友を呼んだ時の写真。

結局、何を言っても変わらない彼女に限界を感じ、俺は別れを告げた。クズだった俺を支えてくれた彼女には感謝している。

でも、人生をよくする為に他人の事で消耗している暇はもうない。

よく考えてみれば、高校時代。夢を追う彼女に劣等感を感じ応援できない本心と、夢を見つけても失敗したら挫折する弱い男。彼女は必死に俺を変えようと支えてくれていた。でも俺は、結局自分の事で精一杯になって、そんな彼女の想いを踏みにじるような言葉を吐き捨て彼女を傷つけた。

因果応報だ。自分のした事はそのまま返ってくる。

この時から、俺は本気で恋愛する事をやめ、仕事に没頭した。もっと立派な男になりたい、とにかくそう思った。

人生初めての一人暮らしを開始

彼女と別れ、つらくなるかと思ったけど、これが全くつらくなかった。逆に、やっと自分の思い通りに、誰にも気を遣わずに努力できる、成り上がれると考えると幸せだった。

毎日ゴキブリが出て、くっそ狭い作業スペースに極寒のコップ風呂。車で寝泊りする生活もあった。あの生活からやっと抜け出し今の家にきた時は、本当に感無量。

画像:前の家の作業スペース。PCとマウスをおくので限界。
画像:前の家の作業スペース。PCとマウスをおくので限界。

1人でお湯をわかして湯船につかった時、思わずガッツポーズをしながら「俺はやった!」と風呂場で叫んだ時の達成感は絶対に忘れられない。

ブログ収入が70万円を突破

この時、俺は本業に注力し、嫌いな会社の人間に毎日いい顔をしながら売上は俺一人で作る。という状態で個人ブログはほぼ記事を更新していなかった。でも収入は右肩上がり。

この時は、彼女と別れたばかりで、仕事の人間関係はクソ。俺が売上を作っても「みんなでやりました!」と俺をずっと批判してた連中が調子に乗ってるのが本当にいやで、仕事が終われば飲んで踊って、遊びまわった。

会社内で先輩の椅子を蹴り飛ばしてキレた社員も、俺が史上初だったと思う。とにかくストレスがすごかった。


画像:調子のって遊びまわってたとき

「ブログで稼いでも、アプデでいつ無くなるかわからない。」というこれまでの経験から、ブログ収入のみで独立なんてありえないと考えていたけど、正直もう会社の同僚に批判され続ける毎日に疲れていた俺の頭に「独立」という二文字が浮かぶ。夢だった。

あのどん底時代から、やっと見つけた自由への道。そのためにここまで頑張ってきたけど、いざお金を手にしたらそれを守る意識ばかりで挑戦する勇気をなくしていた。

焼き鳥のおいちゃんに相談しにいく

ここには書いてないけど、17歳のヤンキー時代から、家の近くで焼き鳥屋台を営むおいちゃんがいた。

↑こんな人

おいちゃんには、彼女ができた、仕事が見つかった、借金で死にそう、なんでも話してきた。けど、今の会社に入って俺が努力してきた事は、忙しすぎて行く暇もなく仕事してたのであまり話してなかった。

独立するか悩んでいた時、ふとおいちゃんの焼き鳥を食べにいった。久々に会ったおいちゃんに、俺はいつもこれまでの事を話す。

「おいちゃん!俺この2年めっちゃ頑張ってきたよ!んで今独立するか悩んどって、正直不安っちゃんね。どうしよう〜おいちゃん〜!」

するとおいちゃんがいきなりこんな事を言う。

「手を見せろ。」

普通に意味がわからんけど、言われるがまま俺は手を出すと、おいちゃんは俺の手を見てこう言った。

「独立しろ。お前は今から金持ちになる。有名人にもなる。いろんな人が祐也のとこにきて、これからどんどんお前の周りには人が集まってくる。絶対に独立しろ。でも注意せないかんのは、悪い大人もたくさん寄ってくる、金目当てで。だから、人を見極める力をつけろ。」

俺もこの時初めて知ったけど、おいちゃんは小さい頃から人の手を見ればその人の人生がわかるらしく、当たりすぎていろんな人を泣かせたので誰にも言わない事にしてたらしい。

8年間お世話になって初めて聞いた事だったし、おいちゃんはそんな変な嘘をつく人じゃないので、俺は盲信した。これが、俺がフリーランスになる勇気をもらった最初のきっかけ。

この時俺はTwitterなんてやってもないし、俺がインフルエンサーになるなんて自分でも思ってなかった。おいちゃんはまだガラケーしか使った事のない人で、SNSなんてものも知らない。そんな中で、有名人になるって言ったのはマジですごい。というよりもはや怖い。

社長が師匠に変わった日

翌日、社長に独立しようか悩んでいる事を話した。めちゃくちゃ怖いことも、焼き鳥のおいちゃんに言われた事も、全て話した。

あの時の師匠の言葉は忘れない。

「お前は独立しても1人で稼いでいける実力はもう十分にある。よく考えてみろ。ずっと言い続けた夢を叶えるチャンスが今目の前にあるのに、それを逃して一生後悔するか?失敗したら失敗したでまた立て直せばいい。食いっぱぐれたら食パン買ってやる。」

才能がない、嫌ならやめろ、カス、右腕どころか足の小指にすら届かんと俺を罵り一切褒める事がなかった社長が、初めて心から俺を認めてくれた瞬間だった。

ずっと追い続けて、こんな人になりたい、この人に認められたい、この人を超えたいと願って、どれだけバカにされても、どれだけストレスを抱えても「うるせえ」と1人で努力してきたこの2年間が、ようやく俺の圧倒的自信に変わった日。

その日、フリーランスになると決めた。

そのまま俺は辞職届を書いた。師匠は卒業ソングを流し、呑気に「レッドカーペット敷いてやろうか?」と言いながら笑っていた。

世の中で、辞職届をタバコ吸いながら卒業ソングと共に、会社の社長と爆笑しながら書いた男なんて、多分俺だけだと思う。

旅立ちの日

2019年8月30日、最後の出勤日。

師匠が寿司を奢ってくれた。2人でワイワイとこれまでの事を語りながら、これからのビジョンを考えた。

✔ 身につけたスキル

  • セールスライティング
  • SEOライティング
  • WEBデザイン
  • HTML&CSS
  • LP制作
  • 動画編集
  • 広告運用全般

金も知識も人脈もないただの若造が、師匠をおいかけてここまできた事が本当に信じられなかった。

それでも俺はやった。
そして夢を叶えた。
俺はフリーランスだ。

インフルエンサーを目指す。

俺がライティングを極めた時に、一番参考にした人がいる。

みなさんご存知、マナブさん(@manablog)である。

マナブさんがここまで出てこなかったのは、もう昔すぎていつから見ているのか覚えていないから。この記事を書いている段階でマナブさんのフォロワー数は23.7万フォロワーだけど、俺が見つけた時は1.5万とかそのくらいだった。

俺はこの人の生き方が本当に好きで、本当に尊敬してたし大好きだった。マナブさんのようになりたいと思って、なおさらフリーランスを目指す事ができた。

だからこそ、俺がこれからやるべき事はアフィリエイトではない。インフルエンサーだと考える。

そして生まれたのが今のコロブ、俺である。

コロブになった理由


画像:Twitter開始1週間くらいのアカウント

この時から、俺は絶対にインフルエンサーになれる確信があった。誰よりもわかりやすく知識を解説できる腕があったから。

とにかく有名になるために、俺が学んできた事を全力で発信した。

最初の2ヶ月くらいは全然伸びず、誰にもできない企画なんかをやって力ずくで伸ばした。

こんな企画をやりながら、どんどんいろんな人に知られていく中で、俺はだんだんと目指す方向が明確になっていく。

フォロワーは友達だと思う話

Twitterをがんばりだして、まず感じたのが人の温かさ。

これまで、努力をすると批判しかされてこなかった俺を、多くの人が応援してくれた。俺にはそれが信じられなかった。

誰かの役に立ちたいという、高校生の頃に描いた夢が、違う形で実現していくのを毎日肌で感じる。

  • 世の中の人間は全員バカだ。
  • 何をしてもどうせ批判ばかり。
  • 誰もバカにできないくらい成り上がる。

こんな感じで、これまで俺の中にあった感情がどんどん消えていく。

俺がやりたかった事はこれだ。

と心の底から思った。

✔オフ会で会ったメンバーは、とにかく優しくておもしろくて、本当に最高の仲間だった。

オフ会で写真撮るの忘れてて…なかったですすいません…笑

✔大好きな3人と集まって焼肉食べた。

✔ 写真のメンバー

こうして、俺が見てきた世界とはまるで別世界のような温かい人たちがたくさんいる事を俺は実感し、

本当に人を大切にして生きて行こう

俺の人生は「金を稼いでバカにしてきた奴を見返す人生」だと思ってたけど、そうじゃなかった。俺は「多くの人の役に立つ人生」を生きたいんだ、心からそう思えた。

フォロワー1万人到達

そしてTwitter開始から半年、俺は1万フォロワーを達成。

このLiveを見て、たくさんの温かい言葉、応援メッセージをもらった。

✔10000ジャストでメッセージをくれるアホとか、

✔JKフェチのど変態がお祝い画像をくれたりとか、

✔無料でイラストアイコン書いてくれる神絵師とか、

✔大好きな大好きな大好きなわっこねえさんの神絵とか、

✔バイク納車を祝ってもらったりとか(載せろって脅された)、

✔髪も切ってもらったよ
あとフォロワーに髪も切ってもらったよ
✔アホ3人天才1人(俺)でモンハンもしてるよ
あとフォロワーに髪も切ってもらったよ<

とにかく、俺はみんなが大好きだ。

そして新たな実績をつくる

そして過去最高売上額220万円という実績を作ることもでき、弁護士の請求書を燃やして逃げたあの日から、本当に俺はよくここまでやってきたと思う。

でも、お金は正直いくら稼いでも満足はしないんだろうなと悟った。

100万稼ごうが200万稼ごうが、もっともっと上がいる。俺はこんなとこで満足するような男じゃないので、今やっとスタートを切ったつもりでがんばっています。

そして、この記事もその努力の一つ。

誰かの人生を変えるきっかけを作る人生

先月、教え子の月商売り上げが900万を突破し、年商にすると1億を突破。ケンタッキーのアルバイトから俺の部下になり、一生懸命育ててきた大事な教え子が、

「塚本さん!!俺、億り人になりましたよ!!」

って報告をくれた。本当に嬉しかった。人の成功はこんなにも嬉しい事なのかというほど、本当に嬉しかった。

そしてつい先日、オフ会の時、会社でセクハラを受けていて、いつか独立してフリーランスになりたいと言っていたわっこねえさん(@wakkoii)に「わっこねえさんならイラストで独立できるからやってみて」とした何気ないアドバイスが、わっこねえさんの夢を叶えるきっかけになってもらえた。

こんな感じで、夢を叶える人は必ず共通点がある。もちろん俺にもある。

それは、行動すること。

たとえどんな地獄でも、どんな状況でも、夢にむかって諦めず突き進めば、必ず夢は実現できる。俺が夢を叶えた分、今度は誰かの夢を叶える人生を俺は生きたいと思う。

俺はこれから、受けた恩を全力で返して行こうと思います。

母さんの夢だった、子供からディズニー旅行をプレゼントされる事。コロナで延期になったけど、もう準備した。ばあちゃんを飯にもつれていって、今月は誕生日なのでプレゼントをあげようと思います。次の目標は、父さんに車を買ってあげる事。

そして今月、自分へのご褒美で長年の夢だった大型バイクの夢も叶える事ができました。

幼い頃から社会不適合者で、どこにいっても居場所がない。親を泣かせて友達を捨て、ここまで俺は全力で突っ走ってきました。どれだけバカにされても、どれだけ自分はダメだと思っても、何度も立ち上がって歯を食いしばって掴んだ今の人生です。これは、俺1人じゃ絶対にできなかった事。

家族、親友、師匠、おいちゃん、塾長、教え子、そしてこれを見てくれているみんなの支えがあってこその俺です。もしこの人たちがいなかったら、俺は確実にこの世にはもういなかった。

それでも俺はここにいる。
素晴らしい人たちに囲まれた俺の人生、
やっと立てたスタートライン。

今度は俺が。誰かの支えになって誰かを助ける側になる番だ。

俺が伝えたいこと

ものすごい長文になりましたが、ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。

最後に、俺が伝えたい事をまとめて、心をこめて書いていこうと思います。

俺のように、社会に馴染めずどこにいっても通用しない。人に見下され自信をなくし、自分の存在意義がわからないような人でも、人生を変える方法は無限にある事を知って欲しい。

・神はなんで俺にこんな仕打ちをする?
・俺がどんな悪い事をしたっていう?
・どうせ俺はこんな運命だ。

こんな事を考えてた昔の自分に、神も運命もねえ。自分の人生は自分で切り拓くんやと言いたい。ここまできて、神様のおかげなんて思った事はない。神がどんな仕打ちをしても、俺には勝てなかった。どんな運命を与えても、俺には通用しなかった。俺の道は俺が決める。

人生を変える方法は、このくらいの気概をもって絶対に負けない事。本当にこれだけだと思う。

今あなたが嫌いだと思っている世界は、あなたが選んでしまった世界。だからこそ、その世界を抜け出す選択をしてほしい。行動する勇気を持って欲しい。

普通の価値観、社会のレールから外れることは悪い事、こういう洗脳のような考え方に疑問を感じ、飛び出そうとしても失敗ばかり。自分の決断は間違っていたんじゃないか、もう人生どうにもならないんじゃないか、そんな事を考えている人は、その考えが間違ってる。

人生は自分で切り拓くもの。どんな選択をしても、自分の選択には必ず意味がある。俺が高校をやめずに、普通に会社員として生きていたら、今この記事を書く事も絶対になかったはず。それでも、学歴を捨てて就職先もなく、クビになりまくって、あの選択は間違っていたんじゃないかと考える日もあったけど、後悔はしてなかった。

何度も死のうと思っても、死ななければOK。どんなにつらい経験も、どんなに苦しい環境も、いつか必ず自分のタメになる日がくる。こうやって、笑って話せる日が必ずやってくる。そうしたらこんな風に、手に入れた幸せを大切な人へわけていく人生を歩んで行って欲しい。

これは、独立初日にカフェのテラスで仕事をした時です。

工場の夜勤で、真っ暗な更衣室で絶望しながら着替えた日、スタンドで倒れ込んでも蹴られて罵られた日。こんな風に仕事ができる日がくるなんて想像もしてなかった。騙されバカにされ借金抱えてバカみたいな夢だけ語って、俺ならできると口だけ抜かして…悔しくて悔しくて殺してやろうと何度も思った。それも全部が最高の経験だった。

母さんに「なんで俺なんか産んだんだ、余計なお世話」だと言って母さんを傷つけた日もある。でも今は心から「俺を産んでくれてありがとう」と言えるようになった。

世の中詐欺や悪徳ビジネスで溢れているし、狭い価値観を押し付けてくるクソみたいな大人ばっかり。

それでも、そんな奴らは全員無視でいい。あったかくて優しくておもしろくて、本当に素晴らしい人はこの世に数えきれないほどたくさんいる。

そんな人たちへ、この記事を通して、俺の経験や思いが少しでも希望や勇気を与えられたら俺は嬉しいです。どんなにクソみたいな人生でも、人生は希望の光で溢れてる。

俺はそんな人生が大好きだ。

父さん、母さん、ここまで育ててくれてありがとう。

ーおわりー

天国のじいちゃんへ

じいちゃん、見てる?俺夢叶えたよ。

今ね、インターネットでちょっとした有名人っちゃん俺。いっぱい応援してくれる人がおって、いろんな人に尊敬してますとか大好きですとか言われて、本当に幸せっちゃん。俺が必死に誰かの為に情報発信をしたら、それで実際にお金を稼いで俺に稼げましたって報告してくれる人がいっぱいおるっちゃん。すごいやろ?家族全員泣かせて、それでもバカにされ続けても俺夢諦めんかったよ。独立したよ、フリーランスになったよ、社長になったよ。

家族の恥として生きてきた俺を、じいちゃんも心配して見てたと思う。でも、いつもじいちゃんがそばで見てくれてるって気がするし、きっとこれを書いてる今も、見てくれてると思う。俺はどうしようもないクズで口悪いし考え方汚いし、決して理想の大人とは言えない人間やけど、父さんみたいに強い男に少しでもなれた気がするし、母さんみたいな優しい人に少しでも近づけたと思う。

街を歩けば全員に見下されてると感じて、コンビニで買い物してもこの店員は俺の事どんな目で見てるんだろうとか気にして、そんな毎日でも俺はここまできたよ。師匠、親友、家族、いろんな人に支えられて俺はいつも誰かの後ろを走る人間から、先頭を走り続ける人間になったよ。

夢を諦めた日、自殺しようとしてもできなかった日、何を頑張っても失敗ばっかの人生やったけど、自分で道切り開いたよ。俺がおじいちゃんになって、そっちに行ったらまた耳にかじりついてね。よく頑張ったって褒めてね。じいちゃんに褒められるような人間になれるように、俺はこっからも走り続けるよ。その時は一緒に酒飲もうね。

27 件のコメント

  • Twitterから来ました。
    いつもTwitter拝見してます、楽しみにもしてます。
    ありがとうございます。
    でも無言ですみません。
    記事を読んでパワーを頂きました、
    本当にありがとうございます。
    生まれて初めてWebのコメントしました。

  • コロブさん、お疲れさまです!!!

    塚本祐也さんの、自分の人生を生きる覚悟、周りに居る人達への感謝が溢れた作品ですね!!!

    ホントに沢山のメッセージが詰まっていて、今後の自分の在り方を考え直そう!!!って、なりました!!!コロブさんの言葉で人生変わった人って、マジで沢山いらっしゃると思います!!!!!フォローしてなくても、コロブさんのメッセージを目にして考え方や自分の在り方を変える人も居るはずです!!!!!!少なくとも、私は変わりました!!!!

    塚本祐也さんの『 人と成り 』尊敬してます!!!!!!!

    沢山のGIVEありがとうございます(*^^*)!!!!!!!!
    コロブさんに収益報告出来る様に努力します!!!

  • Twitterではなくこちらで感想を送ります。
    非常にかんがえることができる内容でした。
    心に響きました。

    私はコロブさんのダブルスコアのおっさんですし、生活する環境も全く異なりますが、気持ちを奮い立たせていただき、非常に影響を受けました。

    この世界に生きる事って子孫をはじめとする残すことも大切ですが、どれだけの影響を残すかも醍醐味だとおもいます。

    私も『必ずやる!』
    と影響をうけました。

    今後もコロブさんのご活躍を私の位置から応援しております。
    ありがとうございました。

  • コロブさん、こんにちは!

    いつもTwitter拝見しています!
    たまに目を疑うような凄いコメントをされているので、どんな人なのかなーっと思い、少しだけ見るつもりが最後まで読み切ってしまいました!

    よくこんなに詳細に覚えているなーとか
    文章まとめるの上手だなーとか
    絶対この人、良い人だなーとか
    まだまだ自分は努力が足らないなーとか
    色々考えながら読ませて頂きました!

    私もブログ、仕事、副業など、
    頑張りたいと思います。
    今後も応援しております。失礼します!

  • 拝読致しました。
    文章、とても綺麗で読みやすかったです。
    涙が溢れる程に感情移入できるライティングスキルです。化け物です。
    映画として1本作れるんじゃないか?と、
    思うくらいに濃ゆい四半世紀の人生でした。

    最後の「俺が伝えたいこと」にある、
    “神がどんな仕打ちをしても、俺には勝てなかった。どんな運命を与えても、俺には通用しなかった。”
    ↑カッコイイっス。

    神がいたとするならば、
    神の決めた運命のシナリオに用意されていない行動を起こした人が成功をする。
    行動しなくちゃ、何も変わらないって、心から伝わる言葉でした!

    ご家族や親友、師匠はもちろん、いじめっこやクソ先生含め、これまで関わってきた人達がいまの素敵なコロブさんを形成しているんですね。
    人との関わりって面白いですね。

    塚本祐也さんのこれからの人生がさらに発展することを祈念いたします。おっぱい。

  • なんて長いプロフなんて思いました。
    これまで長いと言われてきたイケハヤさんより長いと思います。
    最後まで読んでしまいました。

    もっとブログ、YouTubeがんばろうと思いました。
    いい報告ができるようにがんばります。
    ありがとうございます。

  • なかなかの波乱万丈人生。
    でもそれをバネにして成功に繋げる精神力の強さ。
    素晴らしいです!!

    僕は今まで自分に言い訳して嫌なことから逃げてダラダラと生きてきました。

    だけど副業しようかなと思ったことがキッカケでネットビジネスを知り、今まで自分は苦手だし無理だと思っていたネットで稼ぐとゆうことに本気で取り組んでみようと決意しました。

    もう30歳オーバーだけど、無理かどうかは自分次第!努力すればきっと報われる!と信じて諦めないで頑張ります!!

    コロブさんのブログを呼んで力をもらいましたありがとうございます!!

    • がんばってください!少しでも勇気になってもらえたなら、俺は嬉しいです。ありがとうございます(T ^ T)

  • こんにちは。初めてブログにコメントを残します。
    ユウセイというものです。

    Twitterのアイコンは色黒の金髪の格好つけた男のイラストです。

    この度、僕もブログを開設するにあたって自己紹介文を考えていあたのですが、あまりにも長文で大丈夫かなと思っていました。

    ですが、小中学生の時にいじめられていて、失恋でかなりショックを受けたというコロブさんの人生と所々類似していたので、僕も長文の自己紹介文でいこうと思えました。

    僕はまだまだこれからの身なのですが、コロブさんやマナブさんを目指して頑張ります!!

    僕のブログもよろしければ見て下さい。

    長文失礼しました。

    • マナブさんと並べておいかけるなんて言われるのは本当光栄です、コメントありがとうございます、俺もがんばります( ;∀;)

  • 最近アフェリエイトを始め、コロブさんを見つけここに辿り着きました。
    めちゃくちゃ感動しました!!
    記事を書いて書いて書きまくる姿勢や逆境に立ち向かう精神など見習えてるところが満載です。
    私もコロブさんみたいにフリーランスで稼ぎたいです。
    これからも応援しますし、勉強させて頂きます。

  • 同じ24才に泣かされこんなに勇気をもらえるとは…

    俺自身も学生時代いじめられるわ、会社クビにされるわ詐欺師に500万かもられるわで完全に社会不適合者やなと感じた時期がありました。

    でも俺はブログで自由とお金を手に入れるて世界中の子どもを笑顔にするってゆう夢があります。

    まだほんまに貯金ゼロでスマホ代払うのがやっとの状態ですが、少しずつお金を貯めてコロブさんのnote買って人生逆転してやります!

    • めちゃくちゃ似てますね…世界中の子供を笑顔にするのも大事ですが、まずは自分が心から笑えるように今はがんばってください!俺も同じこと考えてましたけど、自分が心から笑えた時初めて本当に人を救える人間になれるんだと僕は感じました。

      スマホ代払うのがやっとの気持ち、めちゃくちゃわかります。俺も働き出してすぐは、アイコスの3000円のケースを買えただけで何かを買う余裕ができたと本当に心から喜んでました。どん底は経験したら最強の武器になります。使いこなすのが難しいだけ。

      僕は先にいますが、藤原さんが這い上がってくるのを待っています。俺もマナブさんをおいかけてるので、お互い進み続けましょう!

  • はじめまして。
    最近、ブログを始めてコロブさんにたどり着きました。

    めちゃめちゃ文章に惹かれました。
    これからもコロブさんに勝手に刺激をいただきながらがんばります

  • うまく言葉が見つかりませんが、生きててくれてありがとうございます
    私も人よりは壮絶な人生を歩んできましたが、その度に『私には乗り越える力があるから与えられた使命なのだ』って言い聞かせました

    Twitterでは、実績が出るまでは言いませんが、コロブ師匠のブログ動画で最近寝る時間も惜しんで学ばせてもらってます。私が稼げたらコロブさんのおかげです。子供のため一人暮らしの母親のため、姉の病気のため私も頑張ります。私の癌は見解してるので大丈夫です

    成果がでたら私のことも褒めてくださいね
    いつもありがとう、コロブさん

    コロブさんを見つけることができて本当に良かったです
    綺麗事しか言わないのは私の性にあわないので、ありのままのコロブさんは最高っす

    これからも宜しくお願いします

    • 嬉しすぎます。絶対成果出ます。最後までやりきったら出ない人なんていませんから。応援してます。本当にありがとうございます!

  • はじめまして、ゆいままと申します。
    いつも、ブログ・YouTube・Twitterを拝見しています。

    いま、仕事でweb関係の業務をしているのですが、
    諸々の知識をコロブログやYouTubeで勉強させていただいています。

    私にとっては、コロブさんの言葉が一番わかりやすく大変勉強になり、また、感謝しております。
    本当にありがとうございます。

    このような情勢ですが、どうぞお身体ご自愛ください。

    • うわあ〜嬉しいありがとうございます泣

      俺も会社で学んでる時マナブさんが一番わかりやすくてマナブさんみて学んでました!

      本当に嬉しいですありがとうございます✨

  • ありがとう。ごめんなさい不器用で。頭の中いくら探しても。ありがとうしか出なくて。ありがとう

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