数字つき低音とコードネーム [音楽理論]
長年の疑問
ギターではあまり関係ないですが,古楽アンサンブルでは数字つき低音というものが使われます。
低音楽器用と共通の左手で弾く通奏低音に,右手で弾くべき和音が数字で表されていて,主にチェンバロ奏者用です。この数字つき低音というのは,ポピュラー分野でおなじみのコードネームのようなものだとよく言われます。
コードネームのようなものとは昔から耳学問で聞いていますが,具体的にどこが同じで,どこが違うか私はトンと知りませんでしたが,先日妻たちの古楽アンサンブルの指導者の方が,バスのドに6と付いていればAmだと説明されたので,「ああなるほど」と一部疑問が氷解しました。ついでに,どんなものなのかもう少し調べてみました。
概要
・数字が付いてない場合は,35のことでバスがドならばドミソの和音です。コードネームでいうとCです。
・バスに6と付いていれば,5の代わりに6度の音をつけるということ。すなわち,バスがドならばドミラの和音です。ドミラの和音というのはラドミの第一転回形のことですから,コードネームでいうとAm/Cということになります。上で挙げたのはこれでした。
・なお,上の例で6が付いていたら,C6ではないかと思われるかもしれませんが,C6はドミソに6度のラを(ソの代わりにはでなく)追加したものですから,数字つき低音では,ドのバスに56と書かれます。
・バスに4と付いていれば,3の代わりに4度の音をつけるということですから,やはりドにつけばドファソ,コードネームで言えば,Csus4と思われます。
・バスに46と付いていれば,3の代わりに4度の音,5の代わりに6度の音をつけるということです。そうするとドファラ,これはファラドの第二転回形のことですから,F/Cということになります。
・バスに7と付いていれば,これは基本形に7度の音をつけるということです(基本的にはセブンスと同じことだと思われます)。
・場合に応じ,9というのもあります。これはかならずしもナインスとは同じことではないのかもしれませんが,9の音も属音の属音ですからあり得る音でしょう。
・臨時記号が付く場合もあります。
ざっといえばこんなところで,数字付き低音が付いているバロックの合奏曲をすべてコードネームに翻訳することは可能でしょうが,発想の出発点が異なるので却ってメンドウになるところはあると思われますし,その必要性もないでしょう。
まとめ
コードのキーノートで示すのがコードネーム。ベースノートにつけるコード構成音で示すのが数字付き低音ということです。ですから,数字付き低音では,和音の転回とかコードでいうオンコードとかは一切関係なく(もちろん結果論的に和声論やコード理論で言えばそうなっているという解釈は当然出来ますが),より実践的記譜法といえるでしょう。
ジャズ・セッションを全く譜面に書いてやったら(やらないでしょうが)面白くない様に,古楽アンサンブルの演奏でもリアライズした楽譜を使うのはオモロくないようです。その辺似ていると言えるでしょう。
私は古楽アンサンブルの担当する訳でもなければ,即興演奏をする訳でもありません。コード進行もよくは知りませんが長年の疑問が晴れたというそれだけです。右に有名なヴィヴァルディの四季の春の冒頭の楽譜を示します。最下段の低音に付いているものがそうです。チェンバロ奏者はそれを読み取って右手の伴奏和音を適宜解釈した上で,音を多少増やしたり減らしたりして演奏するのだそうです。
ギターではあまり関係ないですが,古楽アンサンブルでは数字つき低音というものが使われます。
低音楽器用と共通の左手で弾く通奏低音に,右手で弾くべき和音が数字で表されていて,主にチェンバロ奏者用です。この数字つき低音というのは,ポピュラー分野でおなじみのコードネームのようなものだとよく言われます。
コードネームのようなものとは昔から耳学問で聞いていますが,具体的にどこが同じで,どこが違うか私はトンと知りませんでしたが,先日妻たちの古楽アンサンブルの指導者の方が,バスのドに6と付いていればAmだと説明されたので,「ああなるほど」と一部疑問が氷解しました。ついでに,どんなものなのかもう少し調べてみました。
概要
・数字が付いてない場合は,35のことでバスがドならばドミソの和音です。コードネームでいうとCです。
・バスに6と付いていれば,5の代わりに6度の音をつけるということ。すなわち,バスがドならばドミラの和音です。ドミラの和音というのはラドミの第一転回形のことですから,コードネームでいうとAm/Cということになります。上で挙げたのはこれでした。
・なお,上の例で6が付いていたら,C6ではないかと思われるかもしれませんが,C6はドミソに6度のラを(ソの代わりにはでなく)追加したものですから,数字つき低音では,ドのバスに56と書かれます。
・バスに4と付いていれば,3の代わりに4度の音をつけるということですから,やはりドにつけばドファソ,コードネームで言えば,Csus4と思われます。
・バスに46と付いていれば,3の代わりに4度の音,5の代わりに6度の音をつけるということです。そうするとドファラ,これはファラドの第二転回形のことですから,F/Cということになります。
・バスに7と付いていれば,これは基本形に7度の音をつけるということです(基本的にはセブンスと同じことだと思われます)。
・場合に応じ,9というのもあります。これはかならずしもナインスとは同じことではないのかもしれませんが,9の音も属音の属音ですからあり得る音でしょう。
・臨時記号が付く場合もあります。
ざっといえばこんなところで,数字付き低音が付いているバロックの合奏曲をすべてコードネームに翻訳することは可能でしょうが,発想の出発点が異なるので却ってメンドウになるところはあると思われますし,その必要性もないでしょう。
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コードのキーノートで示すのがコードネーム。ベースノートにつけるコード構成音で示すのが数字付き低音ということです。ですから,数字付き低音では,和音の転回とかコードでいうオンコードとかは一切関係なく(もちろん結果論的に和声論やコード理論で言えばそうなっているという解釈は当然出来ますが),より実践的記譜法といえるでしょう。
ジャズ・セッションを全く譜面に書いてやったら(やらないでしょうが)面白くない様に,古楽アンサンブルの演奏でもリアライズした楽譜を使うのはオモロくないようです。その辺似ていると言えるでしょう。
私は古楽アンサンブルの担当する訳でもなければ,即興演奏をする訳でもありません。コード進行もよくは知りませんが長年の疑問が晴れたというそれだけです。右に有名なヴィヴァルディの四季の春の冒頭の楽譜を示します。最下段の低音に付いているものがそうです。チェンバロ奏者はそれを読み取って右手の伴奏和音を適宜解釈した上で,音を多少増やしたり減らしたりして演奏するのだそうです。
手元の「ポケット楽典」には、音程数字に関して、バロック時代には和音の根音や転回という概念がまだ一般化してなかったから…と書いてありました。
似てはいますが微妙な違いがあるんですね。
私はコードネームに慣れちゃってるので、そっちで考えた方が早いです。
普通のクラシックのピアノ曲でも、楽譜の(分散)和音中心の箇所に、コードネームを書いて読みやすくしてる人は結構いますね。
by REIKO (2015-03-16 22:27)
手許にあるバッハのフルートソナタの楽譜にも通奏低音がついています。最初の方のソナタはチェンバロの音符がしっかり記入されているのに、後ろの方のソナタは楽譜にはチェロが入っていないのに、チェロの音が入っていたり、楽譜に入っていないチェンバロの装飾音が聞えてきたりして、レコードを聴いていた頃、この楽譜はどうなっているのだろう、と疑問に思ったものです。
転回と言う考えが発達していなかったと言うのは一つの見方ですが、より倍音を正確に聴き取っていた為別の和声として捉えていたこともあると思います。
by アヨアン・イゴカー (2015-03-16 22:51)
REIKOさん,ありがとうございます。
数字付き低音はポリフォニーからホモフォニーあるいは機能和声への移行期に出て来たのかな?と勝手に想像します。
ポピュラー的に言えばコード進行よりもベースランニングの方を重視した方式だったのでしょう。そもそも機能和声でないですから,キーノートとベースノートの区別など無かったのでしょう。メジャーとマイナーの区別も無いです。
コードネームも強力な方法ですが,バッハの曲にコードネームで書いてみたことがありますが却って煩雑な上,どのコードに当てはめて良いか分からない部分も出てきましたので止めたことがあります。古典派以降の和声やポピュラーには強力な方法だろうと思います。あと旋法を使ったものも,コードの当て方が私には良くわからないのです。
数字付き低音はシンプルなだけに却って強力な面もあると思います。
by Enrique (2015-03-17 12:13)
アヨアン・イゴカーさんありがとうございます。
今でいう転回和音を,別の和音として捉えたのではないかというのは,おっしゃる通りだと思います。
ドミソの和音は基本形で,シレソの和音はソシレの和音の第一転回形,ドファラの和音はファラドの和音の第二転回形,とか楽典で習い,何かしっくり来なくても,疑問を挟むと叱られましたが,その点数字付き低音だとそのような余計な概念を入れずに,感じたままにシンプルで合理的かもしれません。ただ左右で重複を避ける音とかに和声的な配慮もあるようです。
音の数が即興的に任されているところを見ても,和音というよりは低音の動きを重視したということが言えるのでしょう。
結果として一緒であってもアプローチが異なるので,言語が異なる様にたとえ相互に翻訳可能であっても,一部納まりの悪い部分はあるかもしれません。
by Enrique (2015-03-17 12:14)