【エイプリルフール】アンソニー王、夢を見る・再掲載5月14日まで
2020年 05月05日 (火) 22:50
見覚えのない城の壁 ―― 手元には異教徒の歴史書。
ベルベットスリッパを履きガウンをまとい、視界の端にはベッドが見える。
「閣下。約束通り、お試し品をお持ちしました」
王妃の生母の母国語で話し掛けてきた誰か。楽しげな低い声に覚えはない。
覚えのない人間をプライベートに立ち入らせることはないのだが……そちらへと視線を向けると、極北でも希有といっていい緑色の瞳と金髪の、美しい若い女が透明なトレイを持って立っていた。
トレイに載っている皿に盛られているのは菓子のようだが ―― 菓子と分かるが、その菓子がどのようなものかは分からない。
「楽しみに待っていたよ……」
楽しみと言っているのは自分なのだが、楽しさとははんなのか? 分からず ―― もう一度……
※※ ※ ※ ※ ※
『陛下』
アンソニー王は聞き覚えのある声に呼びかけられ、目を開けた。
『居眠りとは珍しいですな』
目の前にいたのは、今し方見ていた夢に登場していた女性と同郷の男。
『そうか』
―― いや、違うか
アンソニー王は内心で訂正した。
同じ言葉を使っていたので「同郷」と判断したが、言葉を除けば|あれ《・・》はこの世の者とはおもえぬ美しさを持っていたと。
『ええ。居眠りするほど暇な陛下に、お願いがございます』
『何だ、ヒースコート』
執務机を挟んだ向かい側にいるヒースコートも容姿は優れているが、|あれ《・・》はそういう類いではなかったと、いまさらながらアンソニー王は思い ―― 夢なのだということを実感した。
そんな夢を自分が見るのは、不思議というよりは不愉快であったが。
『一週間後に任務を終えて帰国するロスカネフの若手士官たちに、会ってやって下さいませんか。いい土産話になりますので』
『よかろう。それでいつだ?』
『帰国前日に』
『何名だ』
『三名の駐在武官補佐です。うち一名は女で、帰国後退役が決まっております』
『結婚か』
『はい。一緒に派遣されてきた、同い年の士官と。……ですので、陛下』
ヒースコートは執務机に両手をつき身を乗り出す。
偉大なる国王に対し、非礼極まりないが、アンソニー王はこの男の非礼ながら、洗練され気品すら感じられる行動を諫めたことはない。
『なんだ?』
『気に入っても手出しはしないでくださいね』
『……ふん。心配ならが会わせねばよかろう、ヒースコート』
『あなたが心を奪われないことは知っておりますが、それでも忠告したくなるほどに美しい娘なのですよ』
ヒースコートの言葉に、アンソニー王は思い当たる節があった。
『急死した補佐の代わりに九ヶ月ほど前にやってきた、芸術彫刻のような人間というのか?』
『それです。陛下のお耳にも届いておりましたか』
『ああ。彫刻な』
夢で不可思議な菓子を持ってきた人物は、芸術彫刻のようと言われれば見えなくもないが、笑顔を浮かべた姿からアンソニー王は彫刻らしさなど微塵も感じられなかった。
そして面会当日 ―― 城の見学をしている彼らに声を掛けてやるという形が取られた。
三人の若い武官たちは、ロスカネフ人らしく背が高く足が長いのだが、その中で一際目立つ長身の人物がいた。
白い肌と整った顔だちは、王城や大聖堂にある芸術彫刻の最高峰と言われたほうが、しっくりとくるほど。
『あの金髪で背が最も高いのがわたしが言った娘で、イヴ・クローヴィスと言います』
ヒースコートがアンソニー王の耳元で囁く。
『ああ、あれが……どこかでちらりと見かけたのかも知れないな』
『それはないでしょう』
『何故だ?』
『あなたの記憶力と、あの娘の美貌が交差しながら”どこか”でなどという曖昧なことは起こりません』
ヒースコートの言葉にアンソニー王の理性は納得したが、
―― ではあの夢は?
今まで死んだように眠っていた感情が、その意見に反発する。
異国の王を前に直立不動の体勢を取った三人に、彼らの母国語で話し掛け ―― |面白くはない《・・・・・・》が若い二人の結婚に祝いの言葉をかけた。
アンソニー王から祝福の言葉をもらった二人は恐縮し ―― あの夢で見た柔らかな笑顔とは程遠かった。
彼らは帰国の途に就いた。
アンソニー王は彼らのその後は知らないが、王宮見学のとき、肩が触れるほど側にいて笑顔で話をしていた、将来を誓い合った若い二人はきっと幸せであろうと ―― アンソニー王はイヴ・クローヴィスに|直接《・・》会うことは二度となかった。
※※ ※ ※ ※ ※
また見覚えのない城の一室で、美しい顔だちの男と向かい合い ―― わたしはその男に教えている。
癖のある灰色の髪の男が顔を上げると、狼よりも狼らしさを感じさせる琥珀色の瞳がわたしを見つめ、ドアを指さす。
そのタイミングでドアが開く。ドアを開けたのはジュストコールを着用したシャルルの特徴を兼ね備えた人物で、現れたのはイヴ・クローヴィス。
「一休みしましょう!」
わたしが城で会ったときよりもイヴ・クローヴィスより髪は長く伸び、優しげな笑みを浮かべている。その手にはトレイ ―― 厚手の大きなカップから湯気がのぼっている。シャルルと瓜二つの人物はワゴンを押して室内に入り、ドアを閉めた。
「これはなんだ? イヴ」
「ホットミルクにバターを落としたものです。ジークもどうぞ、はい」
なぜわたしが見ず知らずの男と並んで座り、厚手で円柱型のカップで温かいミルクを飲まねばならぬのか? だが|その《・・》わたしは違和感など覚えず、それどころか当然だとすら思っている。
「味見しましたけど、とっても美味しかったですよ。まあ、わたしはもう少し甘みが強いほうが好みですが……そんな顔しないでください。するのは分かっていましたけれどね」
声は紛うことなくシャルルだった ―― シャルルがいまも生きていたら、こんな感じだったのだろうか?
「熱いので、ちゃんと冷ましながら飲んでくださいね」
イヴ・クローヴィスとほぼ年が変わらぬであろう、ジークと呼ばれている男は、
「子供扱いされてますね」
「子供ですからね!」
自らを子供と認める表情を浮かべ、カップを両手で持ち息を吹きかける。
「妃殿下」
「はい、なんでしょう? ベルナルドさん」
シャルルはイヴ・クローヴィスを妃殿下と呼び、妃殿下と呼ばれたイヴ・クローヴィスはシャルルをベルナルドと呼ぶ。
「その人は不器用極まりないといいますか、適温の料理しか食べたことがないので、吹いて冷ますという、庶民ならば子供でもできるようなことができません。お手数ですが、吹いて冷ましつつ飲ませてやってくださいませんか? 温めにしようとした妃殿下に、熱々にしてくださいと頼んだわたし対して、感謝してくださいよ」
わたしは笑い、
「感謝してやろう」
「感謝されてる感じがしないわ。こんな尊大な感謝、見たことな……いと言えないのが」
イヴ・クローヴィスも笑い、
「息を吹きかけ、冷ましてもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼むよイヴ」
笑みの残る珊瑚色の唇が湯気を吹き、
「熱かったら、もう少し吹きますから。どうぞ、飲んでみてください」
わたしはカップを受け取った。
きっとこれは美味しいのであろう ―― だがわたしはこれを飲むことはできない。