爆笑・太田と田中麗奈の芸能事務所社長の関係
2009.10.21 (Wed)
「田中麗奈ちゃんの事務所(テンカラット)の社長は、オレの中学の同級生なんだよ。小林栄太朗っていうんだけどね。オレが前室にいたら、『よう!』って挨拶に来たんだよ。最初は、『誰だ?こいつ』って思ったんだけど、よく見たら中学生の同級生だった」
「噂で聞いてたし、田中麗奈ちゃん、大沢あかねからも聞いていた。でも、この業界にずっといても、今まで会ったことが無かったんだよ。…あいつとは、ケンカばっかりしていた。オレと同じで、あいつも隅っこで悪巧みばかり考えているような奴だった」
「あと、小杉ってやつもいたんだけど、そのチンケな三人が集まって、イタズラばっかりしていた。授業中に互いのクラスに行って、画鋲を投げたり、黒板消しをバンバン叩いたりしていた。あいつは、その手の奴だったんだよ」
そこから、互いの接点について以下のように語っていた。
「その頃は、芸能の話なんかをしたことはなかったんですよ。…でもね、オレが大学生の頃、日芸に入ったということをアイツが聞きつけたんだよ。その頃、アイツはどこかの事務所にいて、『映画を撮ろうと思うんだけど、太田、脚本を書いてくれないかな?』って頼まれたことがあった。『ホット・ロード』の脚本を頼まれたんだ」
「それで、その脚本はちょっと書いたんだけど、頓挫したんですよ。今から考えれば、無茶な話ですよね。20歳そこそこのオレが、人気漫画の脚本なんか書けないですよ」
「そこから20年ぶりくらいに会ったんですよ。それでね、『オレは、中学校の頃にお前のことを見て、そこで、誰かを売り出す仕事をしたいって、そう思うようになったんだよ。最初に思ったのは、お前がきっかけなんだ』って言い出した。オレは、そんなことを聞いたこともなかったから、『はぁ?』って聞き返した」
「でもね、隣にいた田中麗奈ちゃんは『社長は、いつもその話をするんですよ』って言ってた。どうやら、本当のことらしいんだ。ちょっと嬉しいよね。でも、なんで言わないんだってことだけどね」
「大学時代の脚本の件は、まぁオレがブッチぎっちゃったんだけどね。待ち合わせに行かなかったから。すっかり忘れていて」と話していた。
その時に脚本を書いて持って行っていたら…と考えると、今の彼らとはまた別の人生が待っていたのではないか、と考えさせられる話だった。
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