異文化・「進化論」・日本人・メモ

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 この矛盾に耐えられず現地で成功したい人は「じゃあ自分にとって、邪魔な日本文化を捨てよう」と切り捨てて西洋化しちゃうんですよね。そのこと自体は日本人が外国で生き残る道だからいいのですが、自己正当化するために「日本文化は古い考え(なので捨てた俺は悪くない)」と強弁するんです。それでこのインタビューを真に受けた人は「そっか、やっぱり日本文化はダメだ」と思い込んじゃうんです。そうじゃないんです。この人の内部で西洋と日本文化の融合が上手く行かなかっただけなんですよ。とは言っても相反する文化を抱き合わせた、武満徹さんのようになるのは難しい話なんですが……


 これはかなりの本質情報です。何故欧米帰りの知識人が、揃いも揃って西洋礼賛になるのでしょうか。その理由は二つの文化の摩擦に精神が耐えられないので、片方を貶めてバランスを取るのです。というわけでバイリンガルになれてもバイカルチャルになるのは、相当タフでないと出来ません。ものすごく大事なことを書いたので、これは分かってくれる人には分かってもらいたいです。日本人の日本文化ディスりというのは、こういう内面の葛藤から発生したものなのです。その事情を理解せずに、彼らの言い分だけ信じて安直に日本文化を否定するのは間違いなんです。


 何でしつこく書くかというと、真に受けた文科省の人やら大人やらが「やっぱり日本文化は遅れてるんですね」「世界で通用するために変えましょう」と浅知恵でくだらないことをやり始める危険があるからです。21世紀は日本文化を世界に分かってもらうために、発信して広める時代なんですよ。

 「進んでる/遅れてる」という素朴な「進化」史観ベースの「文化」「文明」観を刷り込まれてきた本邦近代このかた150年の呪い、というのは正直、あるとは思う。欧米彼の地での「進化論」がどういう背景や文脈で結像しているのか、それ自体の歴史・文化論的な背景については漠然としかわからないけれども、少なくとも本邦での文脈でのそれは、元祖彼の地とはまた違う拗れ方をした受容になっているのは、まあ、間違いないところだろう。
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 生物学的進化論の受容の歴史、とかになるとそれなりに汗牛充棟、生物学史から生命論だの何だのと、純正人文系の門外漢がうっかり口をはさめるようなものでもなさげなものの、どうも傍目で眺める限りは例によって京都系の色彩が強くなるみたいで、まあそれは「思想史」の、それも「社会思想史」という看板に関わる京都学派的な芸風とも関わってくるらしく、それはそれでまた別のお題になってくるような気もする。
 純正人文系脳からすると、関心の焦点になるのは社会進化論の脈絡の方。ということはスペンサーなわけだが、熊楠とスペンサーの繋がり具合などは、それこそ柳田との「違い」を考えてゆく上でも興味深い補助線になり得るとは思う次第。
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 まあ、熊楠が標準にならないのは良くも悪くも言わずもがなだろうが、日本人の意識に社会進化論的なものさしが漠然とした規準として沈み込まされていった過程では、そのとりあえずの終着点である「現在」というイメージが、それ自体ほとんどの国民常民にとっては絵空事に等しかった「西洋」「欧米」から、徐々に日々生きるこの眼前の日本と重ね合わされてゆくこともまた、ひとつの「歴史」の道行きとしてあったのではなかろうか、とかいろいろと例によって。たとえば、「八紘一宇」で「大東亜共栄圏」的な「東洋の盟主」イメージが世俗的な想像力に合焦結像してゆく段において、そういう進化論的なものさしのとりあえずの終着点としての「現在」がある程度〈リアル〉に感じられるようになってきていた経緯もあるんじゃないだろうか、とか。

 前にも書いたでしょうが手塚漫画に出てきて明治時代の洋行帰りの官僚。西洋文化を「文明」と信じ、それを身につけた事を鼻にかけながら、内心は劣等感に苛まれる。妻には「旗本の娘の分際で!」と罵るなど旧階級意識もしっかり引きずる。こうした人物は昔も今も実在しそうだと思いますわ。

 芸術家で美食家だった北大路魯山人は、渡仏中に訪れた有名鴨料理店で、「ソースが合わない」と味だけを評価して、持参したわさび醤油で食べたという傲岸不遜な逸話を残してますが、逆に西洋文化には、そこまで強烈な自国の文化への自負がないと対等に渡り合えないという、重要な示唆もあると思います。

*1:オスカー2度目の受賞というカズ・ヒロの受賞スピーチに関連して軽く議論になっていたのだが、彼のこの事案がここで言われてるような事例にあたるのかどうかはともかく(なにせソースがソースだし……)、一般論としていわゆる「出羽守」的心性に向かってゆく経緯というのは、なるほどこんなもんかもしれんなぁ、と。

*2:『読売新聞』2001年7月27日夕刊、らしい。