『スカーレット』という作品自体がものすごい領域に入ってきたなと思いました
-前回のインタビューでは、喜美子(戸田恵梨香)と八郎が結婚したところまでをうかがいました。その後、意見の食い違いやすれ違いがあり、二人が別れてしまったシーンは衝撃的でした。当時の心境について教えてください。
「陶芸家同士の夫婦として、クリエイターとしての考え方の違いがどうしても埋められなかったということだと思うのですが、この辺りの葛藤は演じながらもいろいろと考え、戸田さんともいろんな話し合いをしながら、最終的に別れまで持って行ったという感じです。陶芸家同士にしか分からない、夫婦にしか分からない気持ちがとても繊細にリアルに台本に描かれていたので、『スカーレット』という作品自体がものすごい領域に入っていった、とても重要な時期だなと感じていました。陶芸家・川原喜美子が花開いて爆発していく、その瞬間を目の当たりにできたというだけでも、この作品に参加できてよかったなと心から思いました。こういう脚本をいただいた限りは、全身全霊で演じなければ、という思いで収録に臨んでいました」
穴窯の作品を見た瞬間、涙が抑えられませんでした
-喜美子が成功させた穴窯で、八郎が無言で涙を流すシーンも印象的でした。
「穴窯でたたずむ八郎を撮った日のことはよく覚えています。台本には(八郎が立ち尽くしている)としか書かれていなかったのですが、長く八郎を演じてきて、喜美子と生活をしてきた歴史があるので、どうしてもそれを自分のことのように思えてしまい、自分の中でもいろんなことを経て、あの喜美子の自然釉を見たときにはもう、涙が止まらなくなってしまって。カメラさんも技術さんも演出の方も、みなさんびっくりしたと思います。『めちゃめちゃ泣いてる、この人』って(笑)。
映像作品で『泣く』ときにはポイントをおさえないといけないと思うんです。芝居をする上では視聴者の方に感情を伝えることがすべてですが、泣いてしまうとかえって気持ちが伝わらないという場合もあります。それとは逆に涙を流すことで強く伝わりすぎてしまうという場合もあります。キャラクターの性格、シーン全体のこと、もっと言えば『スカーレット』という作品を通して、涙を流すということをシビアに考えていかないといけないのですが、このシーンに関してはそのような芝居の計算ができないかもしれないと思ったので、事前に演出の方に『もしかしたら僕、泣いてしまうかもしれません』と相談しました。演出の方には『いいと思うよ、とりあえずやってみよう』と言っていただきました。そしたら案の定、『よーいスタート』でものすごい作品を目の当たりにし、陶芸家として負けたという気持ち、喜美子を信じてあげられなかった、もうここにはいられないという気持ち、そして何よりも武志(中須翔真)に申し訳ないと思ったその瞬間に武志の顔が頭に浮かんできて、気づいたら泣いていました。この作品を見て八郎は信楽を去り京都に移る決意をするのですが、それはまだ小さい息子と離れて暮らすということなので、武志に対する申し訳なさでいっぱいで...。陶芸家として父親として、いろんな気持ちが押し寄せてきました」
出演していない1週間も『スカーレット』のことばかり考えていました
-喜美子と八郎が離れて暮らすようになってから十数年後、武志が無事大学を卒業したことを機に八郎は喜美子のもとを訪ねました。約1週間の不在ののち、十数年、年を取った八郎を演じるにあたり、どのような役作りをされたのでしょうか。そのときのお気持ちもあわせて聞かせてください。
「さっきも言ったように『スカーレット』がすごい領域に入ってきていて、その中で生きていかなければならないことプラス、48歳というこれまた未知の領域に違和感なく溶け込めるのだろうかということをよく考えました。特殊なメイクをするわけでもなく、できることといえば髪形を変えて白髪を少し入れることぐらいで、八郎がこの十数年、どんな生活をしてきたかをお芝居だけで表現しないといけないので、それについてはよく考えました。具体的にどなたかを参考にしたわけではないのですが、イメージとしては全体的に重心を下に持っていく感じです。とはいえ、実際の48歳の方はそんなに老けているわけではなく、はつらつとした方が多いので、やりすぎないように気をつけました。
物語の中では十数年という年月が流れていますが、実際には1週間しかたっていないんですよね。でもその1週間が僕にとってはかなり大きくて、1週間ぶりにNHK大阪に来たとき、懐かしいな、と思えたんです。そこで46歳になった喜美子を目の前にして、ものすごく久しぶりな気持ちになりました。これが"朝ドラ"というものなんだなと思ったと同時に、自分がどれだけこの作品に入り込んでいるのかもよく分かりました。戸田さんのお芝居も若いころとは違っていて、すっかり46歳の喜美子なんですよね。すごいなと思いました」
-大阪を離れていた1週間も「スカーレット」が頭から離れなかったですか?
「はい。もうずっとみんなどうしてるかなとか、そんなことばかり考えていました。僕らは視聴者の皆さんより一足先に完パケ(完全に編集ができている状態の映像)をいただくので、武志が大学に合格して『桜、咲きました!』と言っているところや、『お父ちゃんとたぬきそば食べた』と言っているところを見て、ひとりで泣いていました。『何で泣いてんねやろ』って自分でも思うんですけど(笑)、僕が知らないところでこんなに大きくいい子に育ってくれた武志の姿を見ると、もう無理でしたね」
ナチュラルで無邪気な健太郎君は武志そのもの
-その八郎さんが知らない間に大きくなった武志を演じる伊藤健太郎さんの印象を教えてください。
「健太郎くんは幼少期の武志を演じていないので、物語の中の武志像をつかむのがすごく難しかったんじゃないかと思うのですが、そういうことを感じさせない、素直でいい子な武志そのものを演じてくださっています。健太郎くん自身がナチュラルで飾らない俳優さんなので、そこがとても武志らしくて、なんの違和感もなかったです。健太郎くんと僕は実年齢では10歳ぐらいしか違わないので、親子に見えるのかなという不安はあったのですが、僕は僕なりに年相応の芝居をしっかりやろうと気持ちで演じていました。ただ、健太郎くんは背が大きいので、居間で座っているような2ショットだと、身長的にはどっちが息子だか分かんないな、と思いながら(笑)。見方によっては、成人した息子を持つ父親の『オレより大きくなりやがって』というやつなのかもしれませんね。とにかく、一緒にやっていて楽しかったです」
武志のことを思うと、今すぐにでも涙が出そうになります
-白血病で食べ物の味が分からなくなった武志が、初めて八郎に気持ちをぶつけるシーンも印象的でした。
「ここまでくると本当に積み上げてきたものを信じるしかないな、という気持ちでした。武志と過ごした時間、八郎として生きてきた時間を信じてセリフ通りに演じていくしかないのですが、それをしっかりやれば届くと信じてやりました。
それにしても親って難しいんだなとつくづく思いましたね。八郎は武志の思春期を共にできなかったので、こういうときの子どもへの接し方がよく分からないんですよね。武志に『お父ちゃんの卵焼き、この先何回作ってもろても味分からへん。こんなんなる前に作ってくれたらよかった』と言われたとき、十数年家を空けてしまったこと、武志と一緒にいられなかったことをすごく後悔しました。八郎はその後悔を一生抱えていくんだと思います。武志との時間を取り戻そうと一生懸命になるあまりに傷つけてしまった。でもそれが親ということなのかもしれない、とも思うし。やっと父親に言いたいことを言える父子の関係性が作れたという気持ちが、次のシーンの『うれしかったけどな』というセリフにつながるのかなと思いました。
ただ、このあとの武志のことを思うと...。きのうも健太郎くんとそんな話をしていたのですが、武志の病気のことに関しては、もう無条件に涙が出てきてしまいそうになるんですよね。今、ここで泣け、と言われてもすぐ泣ける状態です(笑)。それぐらい八郎にとって武志は宝物なんです。もちろん喜美子にとっても。自分の命を犠牲にしてもいいぐらい僕らにとって武志はすごく大切な存在なので、できる限りのことをしてあげたいと心から思いましたし、『いつもと変わらない一日』を過ごしたいという武志の思いを尊重してあげたいなと思いました」
距離は問題ではなくお互いの存在そのものがかけがえのないもの
-武志の死後、喜美子と離れて長崎で陶芸家として再出発することを決めた八郎の選択をどう思われますか。
「八郎と喜美子に関しては、もう距離の問題ではないんですよ、きっと。ここにいようが、遠くに離れていようが、二人にとって距離は問題ではなく、お互いの存在そのものがかけがえのないものなんだと思います。だから台本を読んだとき、武志の死を無駄にしないためにも長崎でもう一度挑戦しようという八郎の選択は間違っていないと思いました。のちのち一緒に暮らすことになるのか、そういった未来のことに関しては、ご覧になってくださった皆さん一人一人の想像の中にあると思いますし、それがドラマの楽しいところだと思います」
目の前のことを一生懸命やった結果『スカーレット』に出会えた。そのやり方は今後も変わりません。
-「八郎沼」ということばが話題になるほど、『スカーレット』出演を機に時の人となった松下さんですが、ご出演前とご出演後でどのような変化がありましたか?
「実は内面的にはそんなに変わっていないかもしれません。『スカーレット』が終わっても八郎の人生が続いていくように、僕の人生も続いていきます。もちろん『スカーレット』がくれたもの、教えてくれたことはたくさんあるので、それを胸に秘めて、また、今まで通り作品に向きあっていくしかないなと今はそんなふうに思っています。目の前のことを一生懸命にやった結果、『スカーレット』に出会えたので、これからもそのやり方で目の前の芝居に向きあっていけば、また新しい出会いが待っているような気がしています。きっと僕自身は、10年たっても、20年たっても、同じ事を言っていると思いますし、そこは変わらずにいたいなと思います」
役を生きることの難しさと楽しさ。そしてその喜びを『スカーレット』が教えてくれました
-胸に秘めた部分もあるとは思いますが、『スカーレット』がくれたもの。何かひとつ具体的に教えていただけますか?
「役を生きるということの難しさと楽しさと。それを感じることができる幸せを、『スカーレット』が教えてくれた気がします。
僕はこれまで舞台を多く経験してきましたが、公演期間中は、毎日同じセリフ、同じ動きを同じ相手にやる、その繰り返しなんです。けれど、たった一行のセリフでも、何万通りもの言い方があって、千秋楽が終わって家に帰る途中に『あのセリフ、あの言い方じゃなかったかも』と気づくことすらあるんです。ことばというものはきっと、何十回もかまないと中にある本当においしい味は分からないんだと思います。役というものも一緒で、やればやるほど、その人物が分かってくるということを『スカーレット』で学びました。3か月スパンのドラマが多い中、8か月もの間、八郎という役を演じさせていただき、役の深いところまで掘り下げられたこと。こんなに幸せなことはないと、心から感謝しています」
第26週、第27週は皆さんの想像の中にあります
-最後に視聴者の皆さんにメッセージをお願いします。
「第26週、第27週と彼らの人生は続いていきます。喜美子と八郎が武志の死をどのように受け止め、どう生きていくのか。特に喜美子に関してはこの25週の間で、十分に描かれてきたと思いますし、最後の穴窯に向かってまきを入れている姿からも、いろいろなことが想像できると思います。たくさんの出会いと別れを経た二人、そして二人だけではなく『スカーレット』に出てきた登場人物一人一人の未来を想像していただけたらうれしいです」