宮崎のC61

1971年10月の奥羽本線秋田~青森電化でそのまま廃車になるかと思われた青森区のC61は6両全機宮崎に移動した。
南宮崎以南はイベント運転以外は入線せず、南宮崎~延岡でC57とともに客貨で活躍した。
2号機は1972年梅小路開館で移動、残りの5両も1974年の電化を前に検査期限切れのものから休車になっていった。
最後まで残った18号機は1974年4月の電化直前まで使用されていたという。

宮崎に移動した2・18・19・20・24・28の6両のうち2号機は梅小路へ、廃車の早かった24・28号機は解体されたが
18号機は出水駅側線で保管の後一部を残し解体、
2009年現在福岡県の汽車倶楽部に前頭部、旧博多駅記念碑に動輪が保存されている。
19号機は霧島市(旧国分市)城山公園20号機は伊勢崎市華蔵寺公園に保存。
2009年6月、20号機の復活が報道された。


1973年夏、翌年の電化を前にポールのたち始めた南延岡に到着する535レ C6120。
右端に高千穂線用のC1255が見える。


1973年8月5日 宮崎機関区 C6119


1973年8月5日 宮崎機関区 C6120


1973年8月5日 宮崎~南宮崎 大淀川橋梁
夕方の通勤列車を引くため南宮崎まで単機回送するC6119 単536レ


1973年8月5日 宮崎~南宮崎 大淀川橋梁
さきほどのC6119が536レを引いてやってきた。


1973年8月6日 宮崎機関区 C6120


1973年8月6日 宮崎~南宮崎 大淀川橋梁 536レ C6120


1973年8月6日 宮崎~南宮崎 大淀川橋梁 536レ C6120


1973年8月7日 宮崎駅ホームより C6119 DF5056 C6118


1973年8月7日 宮崎 C6118


1973年8月8日 宮崎~南宮崎 大淀川橋梁 535レ
ハドソンが朝の光に浮かぶ。


1973年8月11日 隼人 メインロッドを外されペンキナンバーで留置されていたC6128。


1973年12月21日 宮崎機関区
再訪したときは18号機だけになっていた。


1994年8月12日 梅小路蒸気機関車館 C612

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