2005年10月

2005年10月31日

内紛と暗闘に揺れる老人介護施設「桜湯園」

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第1弾
系列会社も次々に営業停止 

写真:「桜湯園」サイトより


綿密な乗っ取り計画進行中
 今年5月18日だった―。突然〝正体不明の男〟が現れ「会社に一切入るな」と役員を締め出した。この法治社会に信じ難い奇怪な乗っ取り劇が展開中だ。

 介護つき有料老人ホームの草分けとして知られる『桜湯園』(本部・東京)は現在、創業地の伊豆修善寺をはじめ27ヶ所に施設を有し、常時1500~1800名の入所者を抱える介護ヘルパーホームの老舗である。まだ「介護」という言葉が今ほど認知されていない1983年の創設で、かつて富士通や資生堂などの重鎮家族が入所。その居心地の良さ、家族の形が評判となった。
 たった6床のグループホームからスタートした手探り介護事業を、今や限りなく家族に近い存在の『桜湯園』に育て上げた功績は、業界で高い評価を得ている。
 その経営企業『日本シルバーサービス株式会社』(以降、日本シルバーと略)に何と信じ難い「乗っ取り劇」が襲ったのは5月だった。
 日本シルバー株主で取締役の山口百合恵氏が証言する。
「5月18日の朝、突然当社に仲山武士という、これまで一面識もない〝当社の相談役を名乗る者〟が現れ、<会社には一切入るな。会うなら外で>と指示してきた。この日から私は、日本シルバーの取締役にもかかわらず会社に入ることができなくなった」
 仲山は2人の警備員つきで会社に居座る。これが衝撃の幕開けだった。後日、詳報するが日本シルバーには関連会社が6社ある。『㈱トータルライフプロデュース』『㈱グローバルジャパン』『㈲カスタマーサービス』『㈲NSホールディング』『アメニティリンクス㈱』『㈱日本シルバーサービス』だが、これらの会社が担当していた印刷・広告・宣伝・給食・人材派遣などの業務の取引停止を次々と、日本シルバーが通告してきたのである。それが5月23日だ。
 取引停止とはつまり会社倒産に追い込むこと。慌てて日本シルバーに駆け込み「乗っ取り」側に恭順した社には、支払いを現金で取引再開のアメ作戦を展開。そうでない社は業務閉鎖になった。
 日本シルバーの創業者は越智哲男氏。4年前に娘婿の楡井信彦と、腹心だった大平浩に経営を譲ったら、大金を動かせるので六本木で豪遊、不正増資の悪行に走る。そして〝謎の男〟と組んで会社乗っ取りに出たという次第。

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2005年10月27日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載  (54)

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    談合屋「鹿島東北支店」伊東尚海・復権   その⑤

大成建設がなぜ指名から外されたのか?その理由を前出の談合屋は次のように証言した。「大成建設が指名から外されたのは、これはどうしても理解できない不可解なことだ。大成建設を指名から外したのは、直接的には太田実町長の仕業でしょう。要するに大成建設には取らせたくないのでしょう。」

このようなケースは本当に稀なことではないか。発注側が大手ゼネコンの1社だけを外すなどは普通では考えられないことだ。何か、発注者側が余程都合が悪いことがなければ考えられないことなのだ。

次に考えられるのが、落札した日本国土開発と仕切り役の伊東尚海さんの連携工作説も流れていた。「入札参加の指名メンバー(13社)を決めたのは役所だが、そのようなメンバーを指名するように工作したのは日本国土開発と尚海さんじゃないの。日本国土開発がいくら町長と話が出来ているからといって、単独で決められる訳がない。この指名メンバーは尚海さんの了解を受けていることは間違いない。」と断言した。

「鹿島と大成は仲が悪くて有名な話、大成建設を外す話なら尚海さんも首を横に振る筈がないもの。なんせ、大成の談合担当者は尚海さんの大学の先輩に当たるそうだが、尚海さんのイジメは半端じゃなかったからな。犬猿の仲だから尚海さんはOKした筈だよ。」

この時、本紙記者は偶然にも国分町の飲食ビルのエレベーターの中で尚海さんとバッタリ顔をあわせた。記者は伊東尚海さんにこの「道の駅」新築工事の指名参加メンバーの選定に際して関与したか、ズバリ伺ったら、尚海さんは「その話はしたくない。あなた(東北レポート)とは話をしない。」とそっぽを向いた。

大人気ない態度を示した尚海さんだったが、こちらは腹を立てずに笑顔で「まぁ~一杯やりましょう。」と声をかけたら黙っていた。後からついてくるものと思い先にエレベーターを降りたら、何と後ろからついて来る素振りを見せながら、一目散に走り出した。

いやはや嫌われたものである。彼は国分町の路地裏に消えた、さすがはミスター談合屋、逃げ足は速かった。もっと堂々と威厳を保った談合屋であって欲しかった。

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2005年10月26日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載  (53)

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談合屋「鹿島東北支店」伊東尚海・復権  その④

 合併の是非をめぐって町を二分した状態が続いていた河北町(太田実町長)が小船越字二子北の国道45号線沿いに建設する「道の駅」(仮称)の新築工事の入札が平成16年5月21日に実施され、中央ゼネコンの中堅会社・日本国土開発が予定価格にドンピシャリの10億5千万円で落札して世間を驚かせた。

 談合は何のためにやるかといえば、各会社が平等に仕事を取って回せることと、もう一つは予定価格スレスレで落札することによって、工事がうまみのあるもの(利益が確保される)になる事があげられる。

 その意味からすれば予定価格に対する落札率が100パーセントという数字は、落札した業者にとっては最高の結果といえる。この入札は大手・中堅のゼネコン13社が参加して行なわれたが、これを仕切ったのは尚海さんである。

 山形県知事への笹かまぼこ事件以来、尚海さんは表に出ないようにしていたが、この辺りからは堂々と表舞台に現れて仕切りを始めていた。この尚海さんの復権に対して、他社の談合屋で異議を唱える者は殆どいなかった。

 それだけ東北地方における鹿島の存在とは大きなものであり、逮捕されたのならいざ知らず、世間を騒がせた位では何の影響も与えなかったということである。益々「鹿島支配」は揺るぎ無いものになって行った。

 この入札をめぐっては様々な情報が飛び交いゼネコン疑惑発覚かと大手マスコミも騒いだ。当時取材したメモを見ながら関係者の証言を整理してお伝えしよう。

 疑惑の第一は先ず予定価格が事前に漏れた可能性が高かったこと。その理由は10億5千万円という予定価格にドンピシャの100パーセントの落札率となった点であった。これは誰の目から見ても偶然とは思わない。

「通常、本命業者が決まれば、町発注者側に配慮して、満額ではなく94パーセント前後で落札するのが常識だ。ところが、日本国土開発は疑惑が持たれることを百も承知で異例のドンピシャで落札。裏に何かあるんじゃないですか?」

 続いて満額で落札した理由を苦笑しながら「答えは一つ」と話した。最大の疑惑は指名メンバー(13社)に、当初、本命と見られていた大成建設が指名されていなかったことだ。これほど、不思議なことはない。

 大成建設は大手ゼネコンであり、かつ河北町役場の建設工事を請け負った実績があった。なぜ、大成建設を指名から外さなければならなかったのか?この謎については、明日書く事にする。

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2005年10月24日

鹿島「コラッセ」に地震被害②

8bc5d924.jpg 何故なら、この最新ビルは「震度7にも耐えられる耐震免震構造が売り」(同ビル関係者)だったが、先の地震の福島市における震度は5だった。まさか福島駅西口付近だけが震度7以上ということは有り得ないから、耐震7を売り物にしているのに、震度5で天井が剥落し、壁にヒビが入ったことになるのだ。
 口の悪い業者に言わせると「震度4以上の地震なんて、そうザラにあるわけがないのだから、震度5だろうが震度7だろうが、そんな事態は起きないことを前提にしている限り同じ」ということになる。
 しかし、天下の「鹿島」がそんないい加減な工事をするわけはないだろうから、耐震7なら間違いなく、その通りの構造になっているはずだ。
 つまり「鹿島」の会社定義による耐震とは、建築物が倒壊したり崩壊しない限り、天井が落ちたり、壁にヒビが入ったりしたぐらいでは立派に地震に“耐えた”ことになるのだろう。
 それを「手抜き工事」などと大騒ぎするのは、仕事を取れない三流土建屋がやっかみ半分で煽っているだけ…というのが「一人勝ち」の本音かも知れない。
 しかし、問題は別のところにある。八月十六日の地震から早や二ヶ月も経とうとしているのに剥落・ひび割れを一向に補修もしないのは一体どういう了見なのか。その方がゼネコンの企業倫理・社会責任から見て大問題ではないのか。
 どうせJVならではの責任問題、責任転嫁、誰がどれだけ負担して補修するのかで今の今まで放置しているのだろうが、県都の玄関として実にみっともないではないか。
 「鹿島」にゼネコンのプライドがあるなら自己負担で、とっとと直すべきであろう。

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central_press at 14:42|Permalink特報!事故・事件 

鹿島「コラッセ」に地震被害①

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天の怒りで「手抜き」がバレた?

 阪神淡路そして新潟中越と、大地震による人的・物的な大被害の記憶も生々しい本年八月、あわや福島宮城大地震かと早とちりさせるような地震が福島県を直撃した。
 幸いにも死者や大したけが人もなく、道路その他の物的損害も当初に心配されたほどではなかったが、この天災によって思わぬ風評被害に見舞われるゼネコンが出現した。
 それが他ならぬ「鹿島」、他人くたばれ我が繁栄と同業者が揶揄する「鹿島」、小泉流弱肉強食の勝ち組だけ生き残り政策に便乗している「鹿島」である。
 この天下の大ゼネコンが、天の怒りに直撃され、手抜き工事の旧悪が露見したと、もっぱらの大評判なのだ。
 問題の舞台となったのは、県都福島の新名所「コラッセふくしま」である。この本県以外には通用しないユニークな名前を冠したビルは、二年前に鳴り物入りで大々的にオープンしたばかり。地元業者だけで十分に対応できる建築工事なのに、なぜか大手ゼネコンをアタマに据えたJV入札で、メデタく鹿島グループが落札し、総工費は限りなく百億円に近い99億8200万円の巨額に上ったことも話題となった。
 さて、その「天下の」「名門の中の名門」「ゼネコンの雄」「一人勝ちの」「談合屋の」「時として談合破り」と様々に評される鹿島の“手抜き工事”は事実なのだろうか。
 論より証拠、コラッセふくしまの天井と内壁の一部には、今も八月の地震で生じた剥落とひび割れがくっきりと残っているのだが、これは業者に言わせると「あってはならない被害」であるそうだ。(つづく)

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central_press at 14:08|Permalink特報!事故・事件 

2005年10月21日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載  (52)

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談合屋『鹿島東北支店』伊東尚海、復権に向け動き出す。その③

長年にわたって公共事業と共に生きた男、大林組の東北支店営業部長のK氏は1999年の10月末に定年退職した。同時に談合組織からも惜しまれながら自然退職という形となった。

かって談合4天王の呼ばれ、鹿島の伊東尚海、ハザマのK氏、戸田建設のY氏と共に門脇氏の後を継いで大いに談合に力を発揮してきた。彼と親しい間柄だった談合屋はこう語って彼の引退を惜しんだ。

「Kさんは『談合の神様』とも言われ、常に東北地方の発展に向け、真面目に業者間の調整に取り組んできた。尚海さんように自社だけの利益を追及するようなことはせずに全体の利益のために動いておられた。」

伊東尚海さんを始め組織の若頭ハザマのK氏、西松建設のY氏、鉄建建設のO氏、奥村組のN氏、安藤建設のM氏、三井不動産建設のT氏、フジタのI氏、森本組のS氏、鹿島の小野寺章、熊谷組のE氏らが今日あるのは皆このK氏のおかげである。

この年の暮れにK氏の送別会が「割烹・松竹」で行われ、二次会は「バーオロオロ」や「「クラブ舞」などで行われた。注目の尚海さんの姿はこの時はなかった。しかし、後日行われた仙台ホテルでのK氏のお別れ会(昼食会)には、久しぶりに顔を出した。

ただし参加者の多くは冷たい視線を送り、本人もそれを意識してか余り口数は少なかった。ともあれ、これで「尚海さんが復帰か?(談合組織に)」との噂は業界に広く伝わって行った。関係者の最大注目であった、尚海さんの復帰は果して本当なのか?当時、当社は直接鹿島東北支店に聞いてみた。

「そのような事に対してお答えすることは出来ませんが、伊東支店次長は最近は出社しております。」これで完全復帰とはまだ早い。なぜなら、談合組織のボスは殆ど出社しないのが「定説」だからだ。

裏でサブの小野寺章、連絡屋の白川信宏課長代理、使い走りの中島孝課員に指示を出しているのではないか?と他社の談合屋は語っていた。ある若手の談合担当者は談合人生の岐路に立つ伊東尚海氏のことを次のように話した。

「最近、夜の国分町にも堂々と出没、バーオールドタエにもよく姿を見せている。まだまだやる気は十分でだいたい鹿島が引退させないよ。小野寺では他社が言うこと聞かないからね。」

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2005年10月19日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載  (51)

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談合屋(伊東尚海)復権に向け動き出す―  その②

写真で掲載した『取調(増収賄事件)を受ける者のために』は、当社東北レポート社が作成した8ページのパンフである。当社がこれを作成するきっかけは、当時、東北レポート新聞紙上に掲載していた『連載・東北事件簿』に関係する。

当社はこの頃、毎日のように裁判所に足を運び、刑事・民事の裁判を傍聴して記事を掲載していた。また、必要な場合は直接被疑者に面会して、事件の詳しい概要を読者に伝えていた。

この企画が非常に読者に喜ばれ、弁護士や裁判官ではないが、いろんな事件に関する相談を受けていた。受けていたと言っても金銭を貰っていた訳でなく、相談を受け、正式に弁護士を紹介するなどしていた。

当時、鹿島東北支店の笹井氏から「当社でも逮捕者が出るかもしれない。社員が疑心暗鬼になっており、少しでも心を落ち着かせる意味からも、何か逮捕された時の“対策マニュアル本”のようなものはないか?」と依頼があった。

さっそく本屋に行って探してみたが見つからないので、知り合いの弁護士に協力を頂いて作成したものが、この写真で掲載したパンフレットである。この中には次のような文がある。

「取調べを受ける者の供述が、贈収賄事件の捜査・立件で占める地位。この事犯は“被害者なき犯罪”と言われており、金品の授受の有無、その金品が職務に関する賄賂であるか否か、請託の有無、内容などは、捜査官がいわゆる科学的捜査によって解明できる性質のものでなく、その事実認定のためには、被疑者の自白、その他関係者の供述こそが不可欠であるとされる」

逮捕された時の心構えと言うか、罪に問われないようにするにはどうすれば良いかが書かれてある。このパンフレットは50部以上作成し鹿島に渡した。おそらくは尚海さんも目にした筈だ。
(※出版予定の『東北ゼネコン談合の闇・鹿島支配』には、この全文を掲載する)

当社がこのパンフを作成したことが、後日どういうわけか、捜査当局にバレた。その為に当社は仙台地検や県警から睨まれ一時出入禁止の処分を受けたことを最後に付け加えておく。

なお、この時、当社の記者が初めて伊東尚海さんに挨拶をして立ち話ながらインタビューすることが出来た。尚海さんは微笑みながら「両親は元気です」と答えた。これは記者が尚海さんの実家にお伺いしたことを話題にしたからであった。

笹井氏と伊東氏、それに記者の三人で一杯飲む約束がなされたが、それは果たせなかった。尚海さんはそれっきり連絡はなかったし、記者の方から電話をすることでもないのでそのままになってしまった。

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2005年10月18日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載(50)

談合屋(伊東尚海)・復権に向け動き出す   その①

笹かま事件で一時は失脚か、と思われた尚海さんであったが、不起訴処分となって、これまでの蟄居生活がまるで嘘だったかのように表舞台へと登場し始めた。

2003年の1月17日、鹿島東北支店の広報課長を務めた笹井三久氏(60)の出版記念パーティーが三越仙台支店8Fランドマークで開催された。当社(東北レポート社)もこの出版記念パーティーに招かれたので出席した。本のタイトルは「追憶・我が人生60年のよもや話」であった。

笹井氏は40年間鹿島に勤務したが、その人柄から多くの人々に愛され、鹿島以外にも多くのファンが詰めかけた。笹井氏はこの年に定年を迎え、その後は鹿島の系列会社である鹿島東北興産の管理部長になられた。

このパーティーの発起人は同支店の菅原章司氏、上妻一郎氏などが出席したが、このパーティーに伊東尚海さんの姿があった。この時は珍しくゼネコン汚職時に仙台の営業所長であった鈴木和巳氏もお見えになっていた。

発起人の代表である菅原氏や来賓の秋葉賢也県議らが「笹井さんはジャーナリストとしての魅力もある。」「今年の直木賞は笹井さんで決まり。」などと言った祝辞を述べ、続いて、笹井氏とは中央ゼネコンの総務部でつくる任意団体「十五日会」の仲間の一人だったT氏が「笹井さんには公私にわたって大変お世話になりました、特にマージャンでもお世話になりました。笹井さん、サンキュウー(三久)」と挨拶した。

笹井氏がステージにあがり「今後は『国分町物語・昼の働き蜂が夜の蝶に』でも執筆、出版をめざしたい。」と話すと、会場に呼ばれていた国分町のママやホステスさんから一斉に大きな拍手が起き、暫く鳴り止まなかった。

この本は笹井氏が鹿島東北支店に勤務した40余年を振り返り、それを自分史として「追憶」という形でまとめたものである。本は5章構成になっており、中でも4章においては、広報課長時代に経験したゼネコン汚職事件での、マスコミ対応策を詳しく書いておられる。

序文の中で、平成5年6月29日のマスコミ報道から同年10月22日の仙台・宮城ルートでの逮捕・家宅捜索までの4ヶ月間のマスコミへの対応を通じ、笹井氏なりの状況判断を綴った箇所は、当事者であっただけに生ナマしいものだ。

この中で笹井氏は地元宮城県を代表する河北新報を厳しく批判している。全くの調査不足であり、担当記者は勿論の事、デスクの常識を疑うとか、書いた記事に責任を持たない体質を手厳しく叱っていた。

ところで、このブログを見てきた方は、何故この出版パーティーに東北レポート新聞社が招かれていたのかを不思議に思ったのではないか。記者はこのゼネコン汚職時には鹿島に出入して、鹿島の依頼で様々な動きをしていたのである。実は驚かれたかもしれないが、そのような歴史的事実もあったことをここで始めて明らかにしておきたい。

どのような協力をしたのかについては明日書かせてもらうことにする。

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2005年10月17日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載(49)

帰ってきた談合屋「鹿島東北支店」伊東尚海  その⑥

笹かまぼこ騒動以来、姿を見せなかった尚海さんが、久しぶりに顔を出したのは、調整の仕切りの場所ではなく、仲間の葬儀場だった。尚海さんの大先輩、業界の発展に尽力された中堅ゼネコン元副支店長K氏が1999年9月20日に交通事故でなくなった。享年64歳だった。24日には若林区の妙心院で葬儀、告別式が行われた。

この葬儀には元東北談合会の天皇とまで称された門脇一韶にぴたりと寄り添う伊東尚海の姿が見られた。建設関係の人達、更には政界関係者ら総勢約300人程の参列者が最後の別れを告げた。

友人代表として鴻池顧問のA氏が弔辞を読み、K氏が好きだった名曲「シクラメンのかおり」が流れ参列者の涙を誘っていた。K氏は書道の名人としても知られ、一方では歌唱力も抜群で「霧の摩周湖」や「シクラメンのかおり」を得意としており「国分町の布施明」として名を馳せた。

このK氏の葬儀の裏方の主役は伊東尚海さんであった。尚海さんはこの日は久しぶりの晴れ舞台であった。かっての親分である門脇氏を立てながら、自らは一歩下がって歩いてはいるが、はやりその目や顔つきからは談合屋としての輝きがほとばしっていた。

この頃の東北談合組織の実態は伊東尚海不在を良い事に、かってな振る舞いが横行していた。しかし、ハザマのK、戸田建設のY、大林組のK、鉄建建設のO、熊谷組のE、らの談合5人衆によって運営されてきた。

このまま伊東尚海が引退となってしまえば、この5人の中から仕切り屋のボスが誕生する筈であった。ポスト尚海の熾烈な争いが起きようとしていた矢先だったのである。

このような時に絶妙なタイミングで尚海さんは門脇親分を連れ立って現れた。これで事実上勝負があったようなものだ。なんせ、天皇とまで称された門脇親分に逆らえる談合屋などいないからだ。

この頃、各社の談合屋から証言を取ってあるので、それをいくつか紹介しよう。「尚海さんより正式な脱会届けは提出されていません。今は模様眺めの状態です。いずれにしても組織分裂をさけるため、指名競争入札より話し合いで決めたい。随意契約が望ましい」(隠れ尚海派)要するに選挙ではなく談合でボスを決めたいと言う事だ。

若い談合屋は「古い体質に嫌気がさした。いい形のものがあれば考えて欲しい。場合によっては若手グループで大変革を起こしても良い。○○さんも同じ考えだ。※中堅ゼネコン談合屋」

笹かま事件を理由に組織として尚海さんを除名にすることも可能ではあった。しかし、それを言い出すだけの勇気のある人物がいなかった。尚海さんはこの葬儀の後に事実上の復権をなした。その後は揺るぎ無い力を保持してきた。

しかし、現在は極めて微妙な空気が立ち込め始めた。この日刊中央通信社のブログと単行本の発行が迫ってきたからだ。談合屋の皆さんは寄れば、この話で持ちきりであるとか。もう、責任をとって辞めるしかないのでは、皆口々に語っているそうだ。それほどまでに今回の追及は堪えられるか、どうかの正念場に差し掛かっていると言っても過言ではない。

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2005年10月14日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載(48)

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帰ってきた総会屋・「鹿島東北支店」伊東尚海  その⑤

鹿島東北支店次長・伊東尚海こと伊東尚一郎が山形県知事に笹かまぼこと偽って現金2000万円を届けた贈賄事件は、仙台オンブズマンが告発したものを9月17日、山形地検が刑事責任は問えないとして「嫌疑不十分」で不起訴処分とした。注目されたオンブズマンと談合屋の対決は、結局のところ談合屋のKO勝ちで決着した。

鹿島本社はこの山形県地検の最終決定を見て動き出す。経営者会議が開催された。経営者会議とは常務以上の取締役が毎週火曜に定例的に開かれるもので、臨時としては木曜日もある。ここで仙台支店の伊東氏の処分が話し合われた。役員の中には厳しい処分(懲戒免職)を求める声もあったが、大多数の役員が今回の事件は「不問に付す」とした。

「これで伊東尚海さんもひと安心だ。最近は社内にいることが多い。サブの小野寺章、連絡屋・白川信宏(課長代理)、使い走りの中島孝課員らが頑張っている。新東北電力ビルも決まりだろうと白川が話していた。」これは当時取材に応じた他社ゼネコン幹部の言葉だ。

ただ嫌疑が晴れても尚海さんは、業界の談合には顔を出さず、もっぱら裏で指図をしていた。彼尚海さんが本格的に顔を出すのはまだ暫く過ぎてからであった。

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central_press at 18:08|Permalink談合 

2005年10月12日

「新町・日航社長を叱る」

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おそろしや「事故は起こしていない」発言

 トラブル続きの日本航空では10月5日に、「事業構造および費用構造改革をスピーディーに実行していくために」持株会社と事業会社の1社化、つまり事業会社と旅客販売会社との合併を発表。02年10月にJAL(日本航空)とJAS(日本エアシステム)が経営統合をして以来、とかく複雑機構と悪評だった社内システムに、修正の着手が見られることになった。
 3年前の経営統合で、JALグループは、持株会社の『日本航空JAL』と事業会社の『日本航空インターナショナル』『日本航空ジャパン』になった。その下に旅客販売会社の『ジャルセールス』があって、『ジャルトラベル』各社および「各旅行会社」へ搭乗券を販売する構図だった。
 それを06年10月1日に、国際旅客事業および貨物事業を担当する『日本航空インターナショナル』を存続会社として、国内旅客事業を担当する『日本航空ジャパン』を合併させ、事業会社の統合を図ることにしたもの。
 経営統合後3年――数日前に記者は「気が緩んだ。ミスはゼロにできない」発言をした深井祥治・日航運航本部長のコメントを叱った。管制官の許可を得ずに離陸するミスが相次いだ謝罪記者会見で「夜間のフライトなので気が緩んでしまった。人間のやることなのでミスはゼロにできない」とコメントした件だ。
 ところが、この当社の記事を見てTV局記者が日航の幹部に話したところ、なんと、「トラブルは増えているが、事故は起こしていないから…」という言葉が聞かれたというのだ。一連のトラブルやミスは、いつそのまま大事故に繋がるか分からないケースばかりである。こんな開き直りとも受け取れる言葉が幹部から聞かれるというのは、新町社長以下、役員にもそうした気運がある証左と言えないか。
 日航では、1976年から82年頃に就航した老朽化の目立つDC‐10型機をはじめ、就航から20年以上経つ初期型ジャンボ機が未だに飛び続けている。それを思うと、ミス続き、トラブル続きの日航機に乗る気が失せるのは当然だ。人々の「JAL離れ」は加速するだろう。(つづく)

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2005年10月11日

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載(47)

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帰ってきた談合屋・「鹿島東北支店」伊東尚海  その④

 伊東尚海は本当に運が強いというか、ラッキーだった。本来は逮捕されてしかるべきなのに、お咎め無しの判断が下った訳だから、本人としても安堵したことだろう。では、何故逮捕されなかったのか?その辺りを検証していくことにしよう。

 まず、各人の証言が曖昧であり、それを任意の調べでは仔細な点まで詰める事が出来なかった。これは捜査上のミスであり汚点となる。伊東尚海さんは病院に逃げ込んでしまい、一時、捜査当局もその行方をつかめていなかった。

 仮に尚海さんを逮捕して、現金入りの「笹かまぼこ」については認めても、その犯罪性については頑強に否定する事は目に見えていた。現金を何のために持参したのか?その具体的な目的がはっきりしなかった。

 現金供与に際して具体的な請託がなく「賄賂の申し込みではなく政治献金だ」と尚海さんが言い張る以上、それを突き崩すだけの証拠がなければならない。一番やっかいな問題なのは、金の出処であった。

 当初からこの資金は鹿島一社で用意したものではなく、談合組織に加盟している何社かが共同して調達したということになっていた。こうなると、尚海さんは鹿島の社員として持参したのか?それとも談合組織の仕切り屋として持参したのかが判然としてこない。

 これまでも政治献金を先輩の門脇氏などが、取りまとめて政治家に持参するケースは度々あった。もし、仮に金の出処が鹿島以外にも数社あるとなれば、これは賄賂という性格は薄まってくる。

 また、受け取った方は返しているので、犯罪性を問うことは極めて困難だった。現に高橋・山形県知事は「現金の存在は知らなかった」として供述調書の作成も拒否したと言われる。

 直接受け取ったのは知事でなく出納長であり、この件については刑事告発はしていない。公務員は何人であっても、職務上、刑事事件の可能性があると考えた時は告発しなくてはならない。

 しかし、山口出納長は「笹かまぼこ」を儀礼的に受け取ったとしか認識していないので、捜査当局へ告発するまでの意思を示さなかった。これらの状況がすべて尚海さんには都合よく働いたのである。

 市民オンブズマンの検察庁への告発も、まともには取り上げてもらえなかった。確かに検察庁には警察とはまた違った捜査権がある。しかし、一旦警察が捜査を終了したものを、独自に行なうことは出来ても、それをやろうとした場合、それはそう容易いことではない。

 捜査においては警察と検察は互いに協力しあう立場にあり、この件は複雑で困難な事件として協議の上、事実上の集結を見たのであった。

「疑わしきは談合屋・伊東尚海の利益」となった。

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2005年10月08日

東北談合のボス 鹿島東北支店  連載(46)

   帰ってきた談合屋・「鹿島東北支店」伊東尚海(しょうかい) その③

告発は地検にとっては捜査の端緒の一つである。しかし、この端緒に基づき捜査するか、どうかは検察官が判断する。告発状は地検がその「内容を十分に理解でき」その上で必要な捜査を実行に移す意欲を湧かせるに足りるものであることが必要だ。

しかし、残念ながら検察官が意欲を駆り立てられるような告発状には程遠いものだった。この告発に対して尚海さんは危機感を抱いたのか、仲間の談合屋を動員して反撃に出た。本来談合屋は余り表には出たがらない。しかし、この時ばかりは談合屋の方から近づき積極的に語ってのである。

「奴等は記者会見を開いて『告発した。』という事実が欲しいだけ、ましてや不起訴処分になったら、検察審査会に申立てすることを提出時の記者会見で明らかにするなど、どう考えてもおかしい。圧力をかけているようなものだ。」

「市民オンブズマンは税金の無駄遣いを告発するために起きた市民運動でしょう。検察だって国民の税金でまかなわれている。立証が不可能な事件をいたずらに告発しても、それは告発権の乱用だよ。」

この告発は結局「嫌疑不十分」ということで返された、予想された事とはいえ伊東尚海さんを喜ばせる結果となった。検察審査会もこの問題を取り上げる事はなく、尚海さんに自信を持たせることにしかならなかった。「何をやっても、捕まらない。」という間違った認識を与えてしまったのである。

では、なぜこの「笹かまぼこ事件」は不問にされてしまったのか。現金を持参したのは事実であり、にもかかわらず逮捕・拘留されることもなかった。尚海さんは「大物が動いて助かった。」かのようなことを言っていたそうだが、果たして真相はどうだったのか?次号で検証を試みたい。

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central_press at 17:04|Permalink談合 

2005年10月06日

「正吉福祉会」第14弾

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「事前談合」疑惑!

国交省などに監査依頼!

 また杉並以前に終った狛江正吉苑でも大林組との間でトラブルがあり、その処理も前述の組織の人が動き処理されたと聞きました。社会的にも信用が最優先であるべき社会福祉法人としての行動とは思えません。
 私としても、これらの事すべて監督官庁である東京都、厚生労働省に報告し法人への細かい調査、監査を依頼する準備を済ませました。公に公表し判断いただくのが最良だと判断いたしました。個人的な問題処理に必要な資金にしろ融資を受けるまでの理事長独特のリップサービスであったにせよ話をそのまま理事会に報告し通しておいてくだされば今回の様な事は起こらなかったと思います。今回の様に一切知らない理事会への報告も一切なかったでは本当に通らないことです。あの事業は税金による社会福祉事業です。公正な入札という点からも最初から大成単独というのもおかしい話です。
当然、数社による入札は形式上行われましたが、全て大成の方で段取りをとって進めました。俗に言う事前談合に当たります。このことも当然、東京都、厚労省、国交省に資料を添え調査、監査依頼を早急に行ないます。
その場その場で個人的な処理問題が終れば後はすべて忘れられるというやり方としか思えません。
そんな事情もありましたので私も理事長の立場も考え、正吉会にうかがった時も一切この話などはしておりません。
 理事の方が一緒での話は当然初めてでした。今までは理事長一人での交渉ばかりでした。その事もあり詳細を言わなかった事も今となっては悔まれます。
 私が甲11号証の乙、甲に号証の乙に書きましたこと一切事実です。この事と今回の経緯書をよくご理解いただきたいと存じます。
 私も理事長個人の立場、社会福祉法人の立場、両面から問題にならないようにと考え理事長をカバーする意味からも私の方から寄付した形をとりましょうとか、私が勝手にやりましたという話にすれば当然これまでの全ての事を考えて下さり、真実を報告してくれると最後まで期待したが間違いでした。それと私が理事長個人から借入れがあるかに言われてますが、それは全て前述の借入金の迷惑料の一部として全て先方
に渡したものです。前述の組織の人からもこの事をきっかけに資金要求を受け、多額の提供をさせられました。全て銀行を通して行ないましたので明確に残っております。
 私の勝手な理屈かも知れませんが、正吉会にからむ人たちからのいろんなキツい要求がなければ(すべてとは当然申しませんが)私の今回の大成の事件もここまでの形にはならなかったと反省いたしております。櫻井氏を私に改めて5~6年前に紹介した服部氏も正吉会の櫻井氏とは親しかったようです。狛江正吉苑を一緒にやったと申しておりました。彼も杉並の仕事で返すということで前の6,000万円とは別に8
00万円を前述の清水組に振り込みさせました。その保証として私共、園田設計の小切手を清水組に預けさせられました。これは現在もそのままです。服部氏はその当時、清水氏に対し櫻井氏が必要なものだと申しておりました。経緯について前後するところ多々あると思われます。
 内容すべて事実です。この内容を十分に考慮頂きご判断下さい。また工事を請け負った大成の担当役員T氏も正吉会の櫻井さんとは、こわくてもう2度と仕事はしたくない、何がでてくるか分からないと私に話したことも追記させて頂きます。
 私も監督官庁への監査依頼、談合調査等含め早急に行ないます。社会福祉法人として二つの顔があるとしか思えなくなりました。
 全て公にし公的に明確にして頂きます。
 櫻井理事長の個人的な問題解決の為だったかどうかはよく分かりませんが、理事会として報告を受けてなかった事も一部事実かも知れません。
 この処理の為に私としては十分協力をさせて頂いたつもりでした。その事がこんな形になりましたこと本当に残念です。

平成17年9月17日
園田哲雄
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central_press at 15:29|Permalink福祉・医療・病院 

東北談合のボス・鹿島東北支店 連載  (45)

  帰ってきた談合屋・鹿島東北支店伊東尚海(しょうかい)  その②

オンブズマンの告発については評判がいまいちだった。「売名が狙いかー」とか「いたずらに告発すべきでない。捜査のムダ=血税のムダ使いだ。」などの声が上がっていた。確かに何人でも犯罪行為があると考えられる時は告発することが出来る(刑法239条1)この告発は国民の権利として認められているものであり、これを受けた検察官は「原則」として告発を受理する義務があり拒否できない。

しかし、この告発は余りにもお粗末であった。というのは自らが調査した資料に基づく告発というよりは、これまで新聞で報道された内容をマル写したようなもので、これでは提出するに価しないものであったとされても仕方がない。

検察庁は『サッチー騒動の再現」を恐れてこれを受理した。「サッチー騒動」とはテレビのワイドショーを賑わしていた野村沙知代さんの公職選挙法違反(経歴詐称)の疑いで、芸人の浅香光代さんが東京地検に告発したものの、同地検が受理をしなかったために、国民の間に反発が起き後日受理に踏み切った経緯があった。

仙台地検も同様で、先ず提出された告発文が幼稚なものであったとしても、「サッチー騒動」もあり、受理しないと「受理しないのはけしからん」と騒がれるを懸念して受理せざるえなかったのが実情だった。

当時、この問題で仙台市民オンブズマン・庫山事務局長に告発に至る経緯などについて、疑問点をぶつけて取材してあるので、それを紹介しよう。

=時効間近でもあり、このままでは社会正義に照らしても好ましくないので告発した。「売名行為では?」との声も承知しているが、不起訴処分になっても「検察審査会」に申し立てます。

=「税金の無駄遣いだ。」との声もあるが、に対しては「そういう声もあるなら、そう書いてもらってけっこうだ。」と答えた。また、証拠資料として告発状に送付したものは、新聞報道記事からの抜粋5通、談合情報1通、報告書1通だけであるとした。

=本日(8月24日)までに地検より何らかの告知はありましたか?との問いに対しては「一度もない。」としたうえで、苛立ちを隠せない様子だった。

この告発がお粗末過ぎたというのは、伊東尚海さんの肩書が違っていた事である。告発状には鹿島東北支店業務部次長と記してあったが、これは談合屋を業界では「業務部」と呼ぶから早とちりしたのではないか。

この違いを指摘したら「総務部と間違ったのかな?」(庫山氏)と答えた。本人も全く分かっていないようだった。念のため鹿島始め他のゼネコンにも「業務部」というのはあるのですか?と聞いてみたら、各ゼネコンとも「あるわけないでしょう」(笑い)

=証拠資料として添付したものは証拠能力はあるのか?と伺ったら、「証拠能力はなくても参考資料にはなる」(庫山氏)これでは結果はおのずと明らかだった。

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central_press at 13:11|Permalink談合 

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