新学習指導要領の改訂は、日本の企業文化の否定

2016年03月26日 10:42

学習指導要領の改訂
平成32年度には、学習指導要領が改訂される。小学校で英語が教科として本格的に導入されるほか、高校の学習内容も大学入試の抜本的改革を視野に大幅に改定され、地歴や理数などの分野で新科目が設けられる見通しとなった。

新学習指導要領の素案は、日本社会を「将来の予測が困難な複雑で変化の激しい社会」と位置づけたうえで、育成すべき能力として、(1)主体的な判断(2)議論を通じて力を合わせること(3)新たな価値の創造の3つを提示。物事を多角的・多面的に吟味する論理的思考のほか、自国文化や異文化への理解を教育することの必要性を強調している。

理想は高邁だが、実社会との乖離はいかんともしがたい。

しかし、こういった能力は、日本の伝統的な企業では歓迎されるのだろうか。甚だ疑問である。なにより教育現場が拒否反応を示すだろう。(3)新たな価値など創造されては、教師は学級を統率できなくなる。私が教員になったとき、学校は勉強を教える場所だと思っていた。しかし、現実はちがった。学校は2016年の今日でも「空気を読む」ことを徹底して叩きこむ場であった。

20160326新たな価値の創造は根づくか
以前のように世界での競争も今ほどは厳しくなく、変化が緩やかな時代では、各事業部門からのボトムアップで事業を決め、経営トップの役割は「人身掌握」(その定義も曖昧だが)でよかったのかもしれない。(3)新たな価値の創造が重要なのは、議論の余地がない。

が、日本の職場におけるコミュニケーションの問題は、ビジネスのもっと根幹的な問題にかかわる。製造業が強かった時代は、周囲にあわせたり、グループで仕事をしたりする、協調性を重視したコミュニケーションは効率的だった。しかし、知識産業が重要性を増す世界では、人と異なることを考えつくことこそ強みになる。知識産業の世界では、重要なのは、言われたことを正確にこなすことではない。市場に存在しない製品やサービスを発想すること。人と同じ意見、同じ発想では、画期的な商品やサービスが生まれない。

「同調圧力」を醸成できるかどうかが学級経営の巧拙
戦前の軍国の時代は、兵役牢獄国家と言われるほど、上からの厳しい管理の社会だったという。この一斉管理方式は、有無を言わせず一方的に教え込むには都合のよいシステムなので管理するものにとっては楽だが、管理されてしまう方からしてみると、どうなのだろうか。実は、学校内にはいまだに、この一斉管理方式が幅を利かせている。なにかといえば、校庭で「集合!」「気をつけ!」「右へならへ!」と掛け声をかけられる。

(現代の教育業界で)指導力があるということで有名な教師の著書から引用しよう。
例えば、全校朝会で

①朝礼の間、どこを見ているか?
②あいさつの声はどのくらいか?
③例をする時の角度はどのくらいか?全員そろっているか?
④「前にならえ」の号令でどれくらい動くか?
⑤終了した後、どのような姿で教室に戻っていくか?

をきっちり教えるのがよい教師だと述べている。しかもこの著者はカリスマ教師だ。その一糸乱れぬ整然とした行動は、さぞ気持ちのよいものだろう。

つまり、「全体進め!」と軍隊式に整列させられていた時代とあまり変わっていないのである。日本の教室では、今でもこのように巧妙に「空気を読む」教育が徹底されているのである。こうして、上司の意向を忖度して、不正会計までしてしまう土壌は、子どものうちから培われる。

平成32年度改定の学習指導要領が、画餅に帰すことのないことを願うばかりである。

中沢 良平(元小学校教諭)

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中沢 良平
元教員、ギジュツ系個人事業主

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