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【麒麟がくる第17回】
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目を見張る合戦シーン!映像の工夫次第
道三と高政が激突する。
「長良川の戦い」が始まりました。
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藤田伝吾も槍を取って走り、光秀は馬で走っています。日本は馬が小さいこともあり、騎兵はグループ単位で移動するものです。
機会があれば、モンゴル軍の戦いや、ナポレオン戦争あたりを描いた作品の観賞をお勧めします。騎兵の運用の独自性がわかりやすくなりますので。
ここで、殺陣なのですが。
きっちり2020年代になってきたと思えます。蹴りを多用しつつ、見栄えよりリアリティ重視、重々しくてとてもよいのです。
2000年代は『マトリックス』あたりもあって、ワイヤーアクション全盛期になったものですが。あれは中国の伝統である武侠ものの「軽功」の表現です。
そのため、必ずしも日本の武芸とはかみ合わせが良いとは言えない。忍法表現には向いているかもしれません。個人的にワイヤーアクションは大好きですが、用途次第でしょう。
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『真田丸』あたりでも、合戦シーンがお粗末でいい加減にしてくれとさんざん突っ込みましたが。
本作では、劇的に改善してきましたね。
エキストラを集められないとか。そもそも予算がないとか。『真田丸』のオープニング映像を実写と思い込みつつ、頑なにVFXを否定する層への迎合とか。
迷走が激しく、このままでは本当に危ないと思っていたんですけどね。
かなり工夫を凝らしていますね。早朝だから、朝霧を効果的に使っている。映像の工夫次第できっちりと迫力は出せるはずで、本作はそこを組み立ててきている!
こんな時代ではある。けれども、私は絶滅しそうな日本の時代劇がきっちりと息をしているのが確認できるから、そこに大きな喜びを感じます。
「高政ァ! 一騎打ちじゃ!」
光秀は、河原で戦う光安を発見しました。
「叔父上!」
「十兵衛、この河原は駄目じゃ。敵は山のようにおる」
そう言う光安は、脚を負傷していました。
戦場で移動力が落ちることは危険です。光安の言うことはその通りではありますが、川を越えねば道三に辿り着けません。
光安から先へ行くように促され、光安は左馬助に任せて光秀は単騎で駆け抜けます。長谷川博己さんは乗馬もお上手です。
周囲の景観は美濃ならではですね。世の中が落ち着いたら、是非とも岐阜県観光はしていただきたいところです。
あの川で分断されているところ。その川とセットで城があるところ。たまらないものがあります。
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戦いは一進一退の攻防を繰り返しながら、高政自らが大軍を率いて押し寄せることにより、勝敗は決定的となりました。
掛かり太鼓の音が響く中、光秀は道三を探します。波を描いた旗指物が折れ、踏まれ、無残な様相を呈しています。
高政は危ないと家臣に言われようとも、先陣にいるようです。
そこへ、霧をついて道三が駆け抜けて来ました。
道三は、家臣が話していても歌うばかりで、策すら出さなかった。あれも悲しいしおかしい話であって、道三は賢いことはわかっているわけです。
その道三に誰も意見をふらない。道三は自分がやる気を出さないと、動かないタイプなのでしょう。
『真田丸』の真田昌幸は、こう言ったものです。
「わしにやる気がないから全く進まんのじゃ」
こういうタイプは、やらない時はともかくやらないのですね。
そしてここでの道三は、自身のやる気を全てこの突撃に賭けていた。光秀すら知らない策を、一人でやることにした。
足利義輝もこのあと体現することになりますが、総大将が武力で突撃なんて、もう終わりといえばその通りではあるのです。道三の年齢を考えると、息子に勝てるとも思えません。
「高政ァ! 一騎打ちじゃ!」
「それはまた大仰な負けとわかった悪あがきか! 構えー!」
高政はそう父に応対する。頭巾をずらす道三を見て、高政はこう言い切ります。
「手出し無用!」
「そなたの父は……成り上がり者の道三じゃ!」
槍を振り回し、合わせる両者。
撮影がかなり大変だったそうですが、それはそうでしょう。こういう長柄武器は重たいし、バランスを崩すと転びそうになる。実に難しいものです。
「負けを認めよ! 命までは取らぬ、我が軍門に降れ!」
「己を欺き、偽りを言う者の軍門には降らぬ! ならば聞く、そなたの父の名を申せ、父の名を申せ!」
「黙れ油売りの子! 成り上がり者! 蝮の道三!」
武芸では高政が勝っているようで、心理戦では道三が勝利をしています。
普通の人間とは、反論させるとなるとガードが崩れて、自分の手の内を明かしてしまうもの。
でも、この会話ですが、道三はちょっと違います。高政の嘘を見抜いている。嘘をついていることそのものが弱点だと、的確に突いています。
一方で高政は【自分が言われたら嫌なこと】で反撃している。それが道三には通じない。
道三を明確に傷つけるようなことは言えずに、かえって自分のコンプレックスをばらしています。
高政には、【自我】がない。自分自身に自信がない。【自我】が確立されていれば、コンプレックスに対応できたはず。
自分自身の努力とは無縁の血筋という【虚像】を埋めたために、混乱してきているのです。
道三は【自我】がある。だからこそ、侮辱されてもなんとかなる。油売りの子であることは、むしろ彼の誇り。蝮呼ばわりをされようが平然としているのです。
「父の名を申せ! はっはっはっはっは、父の名を申せ!」
「はっはっはっは、我が子よ高政よ、この期におよんでまだ己を飾らんとするか! その口で皆を欺き、この美濃をかすめとるのか! おぞましき我が子、醜き高政!」
「黙れ!」
「そなたの父はこの斎藤道三じゃ! 成り上がり者の道三じゃ!」
「黙れ……黙れ〜! 討て! この者を討て!」
ついに高政は、そう言ってしまう。
一騎打ちを放棄したわけですから、ある意味これは高政の敗北なのです。
倒れ込む道三を前に空を見上げるしかない高政
その刹那――。
「高政!」
道三は雑兵によって、槍で両側から刺されました。
血を吐き出します。
ドローン撮影でしょうか。上空から見下ろすように、我が子に歩み寄る道三。そしてそのまま抱きつくようにして倒れ込みます。
「我が子……高政……愚か者。勝ったのは道三じゃ……」
そう言い、息絶える道三。
高政は空虚な目を潤ませながら、泣くことすらできずに呆然とするのでした。
総大将の一騎打ちとは、あまりやらないものです。最上義光みたいにやらかして家臣が激怒した、そんな伝説持ち大名もいないわけではありませんが。
ただ、そこを踏まえた上でも、本作は脚色してこうしてきた感はあります。
父子の会話、両者にあるもの、ないもの、高政破滅へのフックを描く上でも、必要なものではあったと思えます。
高政が道三を父だと思っていなかったのか。一騎打ちをしたのか。蝮という名前そのものは後世のものであるとか。そこは描きたいテーマにそって取捨選択をしていると思える、そんな手堅い本作です。
「敵の大将・道三を討ち取ったり! 道三を討ち取ったり! おおー!」
そう勝利を喜ぶ兵を前にして、高政は呆然として空を見上げています。
父殺しか……こういうことはシェイクスピアというより、オイディプス王ですかね。ギリシャ悲劇か。
シェイクスピアに近いと私が感じたのは、織田信秀と信長ですかね。もう先がないと悟った父王が、うつけの我が子と心を通わせる『ヘンリー四世 第二部』です。
そのとき「何者じゃ!」という声が響きます。
光秀が捕らえられていました。
「この者、明智と申しておりますが……」
高政は腕で人払いをして、光秀と向き合うのでした。
裏切るのではく表返る
「殿……道三様……貴様」
光秀が愕然とする中、高政は苦々しげにこぼします。
「蝮の罠にはめられた。殺せば親殺しの汚名がさきざきつきまとう……蝮の狙い通りだ」
光秀は呆然としつつ、道三の遺骸を見ているのでした。
「十兵衛! そなたは間違いを犯した! わしの元に参らず、敵に寝返り、わしを裏切った。今一度機会を与える。ただちにわしのもとに参れ。わしの行う政を助けよ。さすればこたびの過ちは忘れよう」
これも勝手な理屈には思える。明智の所領を取り上げようとしていて、何を言っているのでしょうか。そう言いたくはありますが、光秀は高政を支えるとは言っていますので。どちらにも言い分はあります。
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「裏切るのではない。表返ったのじゃ」
こういうことを『真田丸』の真田昌幸がケロリとぶちかましていた。あれはギャグっぽい語り口でしたが、光秀や道三もそういうことには思えてきます。
光秀は裏切れないものがある。自分の心です。
高政を支えると言った時も、道三についた時も、彼は自分の心に従ったまでのこと。
【本能寺の変】の動機も、もう明瞭になっているとは思えるのです。
光秀は裏切らない。自分の本心に立ち返るのです。
「ときは今 あめが下知る 五月かな」
本能寺の変の前に詠んだ連歌の発句(和歌ではありません)の解釈がよくどうこう言われますが。
本作は日本史と日本文学の知識だけではなく、別分野の最新知見も入れているので注意をした方がよろしいかと思います。狙いは確実にありますね。
閑話休題。
光秀が高政と向き合います。
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