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ニュースを問う子宮頸がんをなくすために 本庶教授の訴え(下) 森若奈(社会部)
「この治療は、例え話をすると感染症におけるペニシリン。感染症がほぼ大きな脅威でなくなったと同じような日が、遅くとも今世紀中には訪れるというふうに思っております」 二〇一八年のノーベル医学生理学賞の受賞が決まった同年十月。京都大で開かれた記者会見で、同大特別教授の本庶佑さんは、自らが発見した免疫の働きに関与するタンパク質「PD-1」と、そこから生まれたがん免疫療法について、細菌感染症を劇的に減らした薬に例えた。 この日、本庶さんの受賞の一報で騒々しくなった社会部の片隅で、私は会見をインターネット中継で見ていた。遠い将来を見据えた本庶さんの言葉の重みに、静かに心を打たれていた。 続く同年十二月、ストックホルムで授賞式前に開かれた会見では、本庶さんは子宮頸(けい)がんワクチンについてわざわざ触れた。このワクチンの問題に興味を持っていた私にとっては、本庶さんがこの問題に言及したことが驚きだった。本庶さんはマスコミがこのワクチンの副作用ばかりを取り上げ、結果的に接種率の低下につながっているとして「マスコミに大きな責任がある」と呼び掛けたのだ。 なぜ自身の専門外であるワクチンの問題に言及したのか。そもそも本庶さんの専門分野である免疫の仕組みの研究と、免疫を獲得するためのワクチンの話は、遠く離れていないのではないか。一九年三月、本庶さんに取材を申し込んだ私は、直接尋ねてみた。「遠くないです。同じことです。原理的には」。本庶さんは淡々と答えた。 そこから本庶さんは、生命科学を理解するために必須の「科学リテラシー」の大切さについて語り始めた。「科学というのは難しい。特に科学でもね、人の問題っていうのは難しいんです」「生物っていうのはね、まず一人一人が違う。一人の体の中に十の十三乗くらいの細胞がある。その細胞が一個一個、全部違っている。人間になると、(その人をとりまく)環境も一人一人違う」 子宮頸がんワクチンの副作用を巡る問題を念頭に、本庶さんは力を込めた。「だから『イエス、ノーで白黒で出さないと科学でない』と考える人がいると、それはまあ、科学を理解していない」 ◆大量のデータで分析ある薬やワクチンが効果があるのか、ないのか。その副作用はあるのか。数人の人が対象の実験では、分かるわけがない。だから、大量の事象データを基に確かめるために疫学や統計学がある。疫学は、本庶さんの言葉を借りると「なるべく大きい集団でもって、ちゃんとした比較対象と比較して、有意な差があるかどうかを調べる」学問だ。 疫学は、十九世紀のコレラとの闘いから始まったといわれる。新型コロナウイルス感染症という未知の感染症が広がる中、この学問の大切さは社会に広く理解されていることだろう。 私が取材をしている子宮頸がんも、ヒトパピローマウイルス(HPV)が引き起こす感染症の一つだ。子宮頸がんワクチンが、子宮頸がんの前がん病変を減らすことは世界中で認められ、現在、このワクチンは七十カ国以上で定期接種の対象となっている。 取材を始めて知ったことだが、HPVが子宮頸がんの原因であることを発見したハラルド・ツア・ハウゼンさんもまた、本庶さんと同じノーベル医学生理学賞を〇八年に受賞している。取材で出会った、現役の産婦人科医で富山県議の種部恭子さんは、これが大発見だったと振り返りながらこう話した。「現場の産科医は『出産を経験した人の方が子宮頸がんになりやすいのって何だろうね』と言っていた。(性交渉で感染する)ウイルスが発見されて、それが原因だったことが分かった」。この発見がワクチンの開発につながった。 ◆先人の知見を足場にこの話を聞いた時、私の心に「巨人の肩の上に立つ」という言葉が、ふと浮かんだ。先人たちが積み上げてきた努力と知見の上に立つと、遠くが見渡せる、という意味の言葉だ。 本庶さんはノーベル賞が決まった日、感染症との闘いに触れながらがんの撲滅を見据えた。本庶さんの言葉どおり、人類は多くの感染症を克服したことは間違いない。だが、今も感染症との闘いは続いている。新型コロナウイルス感染症はもちろん、毎年日本で約三千人が命を落とす、子宮頸がんに関しても同じだ。 子宮頸がんワクチンに関して取材を進める中で、長年ワクチンによる予防の大切さを訴えてきた産婦人科医や疫学・公衆衛生学者、感染症医らと出会った。それだけではない。このワクチンについて冷静に、科学的な議論をしなければいけないと警鐘を鳴らしてきた、ジャーナリストや記者の存在も知った。 先人たちが積み上げてきた知見の上、肩の上に私も立っている-。引き締まるような思いと、「マスコミには責任がある」と指摘する本庶さんの言葉。それが、私がこのワクチンについての記事を書いている理由なのだと思う。 PR情報
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