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【土日限定】カエルの楽園2020 作者:百田尚樹
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終章①




   終章①(バッドエンド)




 それから何日かが経ちました。

 移動の制限が引き延ばされたことによって、ナパージュの多くのツチガエルたちは空腹の限界を迎えていました。噂では餓死したカエルも何匹か出たそうです。

 しかしツチガエルたちの努力の甲斐があって、病気にかかるカエルは少なくなりました。なんと、移動の自由を止める前よりも少なくなったのです。

「ソクラテス、俺はもう腹が減って死にそうだよ」

 ロベルトが言いました。

「ぼくもだよ。でも、病気の蔓延を防ぐために、ぼくたちも頑張らなくっちゃ。ツチガエルたちを見習って」

「うん」

「今日はやっと菖蒲の花が咲いた。菖蒲の花が咲く日に、移動の自由を再開するとプロメテウスは言っていた。元老会議に行って嬉しい報せを聞こう」

 ソクラテスとロベルトが空腹で足を引きずるようにして元老会議が行われている池にたどり着くと、そこには多くのツチガエルが集まっていました。どのカエルも痩せて今にも倒れそうです。

 まもなく元老たちが島に上がりました。元老たちは皆、太っています。それを見て周囲のカエルたちから小さなどよめきが起こりました。

 プロメテウスが元気よく立ち上がって言いました。

「皆さん、とうとう菖蒲の花が咲きました。今日まで長い辛抱をありがとう。心から礼を言います」

 カエルたちの間にホッとした空気が生まれました。

「皆さん、聞いてください。私たちは行動の自由の禁止をいつまで続けるか、何匹かのディーアールを招いてずっと会議をしてきました。ディーアールたちは、病気が減ったのは移動の制限を厳しくしたからだというのです。つまり行動の自由の禁止は明らかに効果があったのです。そして、せっかく効果が出て病気が少なくなったのに、今ここで、移動の自由を緩和すると、再び病気が増える可能性があるというのです」

 プロメテウスは元老会議ではっきりと言いました。

「わたしはナパージュのカエルたちの命を何よりも心配しています。そこで、移動の制限をさらに引き延ばすことにしました」

 元老会議に集まっていたカエルたちから、驚きと失望と絶望の声が起こりました。

「皆さん、辛いでしょうが、ここが踏ん張り時です。ここで気を緩めると、ナパージュは西の国のようになって地獄を見ることになります」

 ツチガエルたちにプロメテウスの言葉が虚しく響きました。

 元老会議を取り囲んでいたカエルたちの中には、デイブレイクもいました。彼の口癖は「何よりも大切なのは命だ」ですから、当然、賛成のはずなのに、彼もまたその顔には明らかに失望の色がありました。というのも、彼もまたハエを食べる量が減って痩せていたからです。

「いい加減にしろ!」

 一匹のカエルが叫びました。

「病気は感染するかしないかわからないが、ハエを食べないと確実に死ぬんだ」

 何匹かのカエルが「そうだ、そうだ」と言いました。

 プロメテウスは困ったような顔で、ガルディアンの方を見ました。ガルディアンはそれには気付かないふりをして、隣の元老と何やら話していました。

 プロメテウスは次にツーステップの方を見ましたが、ツーステップは眠ったふりをしています。ソクラテスはツーステップが直前まで目を開けていたのを知っていました。プロメテウスは次にバードテイクの方を見ました。バードテイクは下を向いて、なにやら探しています。

 プロメテウスは仕方なく、叫んだカエルの方を向きました。

「皆さんが苦しんでいるのはわかります。私も苦しいのです。しかし、ここで移動の自由を認めてしまうと、せっかく収まりかけていた病気が再び、勢いを盛り返す可能性があるのです」

「それ、誰が言ってるんだ」

 別のカエルが言いました。

「ですから、私たちが集めたディーアールたちです。皆、この病気をどうやって防ぐかを真剣に考えてくれました。その結論は、いまここで移動の自由を認めると、再び病気が広がる可能性があるということでした。これは私の意見じゃないんです」

「お前の意見はどうなんだ!」

「私はこの病気の専門家ではないので、迂闊なことは言えません」

「それって、ディーアールたちに責任をおっかぶせてるだけじゃないか」

 プロメテウスは困った顔をしました。

「皆さん、冷静になってください。皆さんも病気で死にたくないでしょう」

「病気で死ぬのは年老いたカエルがほとんどだと言うじゃないか。壮年のカエルや若いカエルは、年老いたカエルの犠牲になれって言うのか」

「では、あなたは自分のために、年老いたカエルは死んでもいいと言うのですか」

 プロメテウスが強い口調で言うと、そのカエルは黙ってしまいました。

「皆さん、いいですか。カエルの命は平等です。年老いたカエルも、壮年のカエルも、若いカエルも、オタマジャクシも、みんな尊い命です。みんなでその命を守っていこうじゃありませんか。自分だけのことを考えるのはやめましょうよ」

 デイブレイクがぱちぱちと力のない拍手しました。ソクラテスは、デイブレイクがプロメテウスの演説に拍手をするのは初めて見ました。

「じゃあ、移動の制限はいつまで続くのですか?」

 別のカエルが訊きました。

「それは今ここで言えることではありません。病気の拡がり次第ですから」

「それはおかしい!」

 突然、ガルディアンが叫びました。

「お前も元老のトップなら、いつ終わるか言え。説明すべきだ」

 ガルディアンの仲間の元老たちが「そうだ、そうだ」と叫びました。そして口々に「説明しろ、説明しろ」と言いました。プロメテウスは苦しそうな顔をしながら、じっとうつむいたまま黙っていました。


 その夜、お祭り広場には、マイクたちがプロメテウスの決定に怒りの声を上げました。

「とんでもないことです!」マイクは怒りに震えて言いました。「私たちに死ねと言うのでしょうか」

 見ると、マイクの身体も痩せ細っています。

「今日はいろんなカエルを呼んでいます」

 マイクに紹介されて、出てきたのはエコノミンです。

「私が最初に言っていたことが正しいということがおわかりいただけましたか。この病気はたいしたことがないと言っていたでしょう。病気を怖がり過ぎると、病気で死ぬよりも、飢えて死ぬのです」

 次に出てきたのは、エコノミンと同じくハエの研究をしているカエルでした。

「一刻も早く、移動の自由を再開すべきです。プロメテウスは間違っている」

 その後に出てきたカエルたちも皆同様にプロメテウスを非難しました。不思議なことに、前に病気が怖いと言っていたカエルたちはほとんど登場しませんでした。

 お祭り広場にデイブレイクの姿もありました。それを目ざとく見つけたマイクは、デイブレイクに意見を求めました。

「あー、私はですね」

 デイブレイクは日ごろのはきはきした様子ではなく、少しゆっくりと喋り出しました。

「病気は恐ろしいということは皆さん、周知の事実です。病気を防ぐ一番の手段は何かと言えば、移動の制限です。この何日か移動の制限を行なったおかげで、病気は少なくなりました。そうですね」

 デイブレイクは念を押すように言いました。

「しかしながら、移動の制限は、多くのカエルから、ハエを食べるチャンスを奪うことになりました。今も、空腹で苦しんでいるツチガエルがたくさんいます。移動の制限と病気の蔓延は、相反する性質を持ちます。つまり――」

 デイブレイクはここで息継ぎをしました。

「この病気は大変厄介な病気ということです。この病気に対して私たちがやるべきは、互いの知恵を出して戦うということです」

 デイブレイクはそれだけ言うと、中央から引き下がりました。

「デイブレイクは、結局何が言いたかったんだ?」

 ロベルトはソクラテスに訊きました。

「さあ、頑張れということじゃないの」

 ソクラテスは投げやりに答えました。デイブレイクの言うことなんかまともに聞いてなかったからです。

「何を頑張るんだ」

「知らんがな」

 ソクラテスは思わず、ハンドレッドの口癖の言葉で答えていました。


 それから何日か経ちました。

 病気はさらに減っていきましたが、ツチガエルたちが空腹のために次々と倒れていきました。その多くが壮年のカエルや若いカエルたちです。

 さすがにその状況を重く見たプロメテウスは、ある日突然、移動の禁止を解きました。

「病気に詳しい委員たちは、まだ移動の制限を続けるべきだと言っていますが、私の権限で、今日から移動を自由にします」

 しかしもうその頃には、ほとんどのツチガエルが弱ってしまって、満足に移動ができない有様になっていました。

 プロメテウスは、ようやく「ハエを十匹食べたら一匹をナパージュに差し出す」決まりをやめました。しかしもうその頃には、ハエを差し出せるツチガエルはほとんどいなくなっていました。


 ナパージュにはもう以前の活気は戻りませんでした。

 一方、ウシガエルの国はナパージュよりも早くに病気から立ち直っていました。聞くところによれば、ウシガエルたちも最初は移動の自由を制限していたようですが、途中から「病気は罹ってから直せばいい」のだと割り切り、どんどん移動の自由を認めたそうです。そのために多くのウシガエルが病気で亡くなりましたが、もともと数の多いウシガエルは何とも思わなかったようです。むしろ数が減った分、残ったウシガエルの食べるハエと虫の量が増えて、いっそう元気になり、力を付けました。

 南の崖はほとんどウシガエルが占領した状況になりました。ハンニバル兄弟も食べるハエが減ってしまったことで、すっかり元気がなくなり、南の崖を見張ることさえできなくなっていたからです。

 噂ではスチームボートも病気に罹って弱ってしまい、今では飛ぶこともできなくなったということです。西の国もたくさんのカエルが亡くなり、ウシガエルの国に対抗できる力はなくなってしまいました。いや、それどころか、ウシガエルから大量のハエをもらって食いつないだほどで、ウシガエルと仲良くせざるを得なくなりました。

 その頃にはナパージュにもウシガエルが大量にやってきていました。移動の自由を認めたときに、ウシガエルがナパージュに来てもいいとなっていたからです。それを決めたのはツーステップだという噂です。

 ウシガエルたちは、以前はツチガエルたちが住んでいた池や泉に、どんどん住み始めました。空腹で多くのツチガエルが亡くなっていたからです。今ではもうナパージュの国かウシガエルの国かわからなくなりました。

 ソクラテスとロベルトは、体が小さいため、少しのハエでも十分だったので、ツチガエルほどは弱りませんでした。

 ある日、二匹は森の中を歩いていると、一匹のカエルが倒れているのを見つけました。

 近寄ってみると、それはローラでした。

「ローラ、大丈夫か」

「あら、アマガエルさんね」

ローラの身体は哀れなくらい痩せ細っていました。

「ローラ、もう自由に移動してもいいんだよ。それにもうハエを差し出さなくてもよくなった」

 ローラはにっこりと微笑みました。

「それはよかったわ」

 それがローラの最期の言葉になりました。




後書き


 古来、「寓話」とは、人間社会の営みを動物や虫を擬人化して描くことで、読者の興味を惹き、また人間関係や物語の構造を簡潔にして理解しやすくするためのものでした。

古いおとぎ話や童話、あるいは宗教的説話などの多くも、こうしたスタイルで語られてきました。

近代に入って、「寓話」はしばしば難解で高尚な文学の一ジャンルとなりました。そこに使われる比喩や暗喩は読者の謎解きと道具として用いられます。また言論弾圧を避けるという意味の「寓話」もあります。全体主義国家や共産主義国家では、言論の自由がなく、そのために小説家は、権力者や社会機構を、別のものに喩えて描くという方法を取りました。

しかし私が生きている現代日本はそうではありません。表現の自由もあり、何を書いても国家に拘束されることはありません。

それなのに、なぜ私が「寓話」というスタイルで物語を描いたのか。

『カエルの楽園2020』は、ある意味、現実をそのままなぞっている「寓話」です。そこには近代的寓話に見られるような捻りや謎はありません。しかし私は敢えてそうしました。というのは、現代社会を「カエルの世界」に置き換えることで、見えてくるものがあるのではないかと考えたからです。

私たちはふだん、新聞で論説委員が書いた社説やコラムを読みます。またテレビでコメンテーターや学者が語ることを聞きます。国会で議員たちが国政を論じているのを見ます。彼らはいずれも高学歴で知識も教養もあります。それだけに、その発言ももっともらしく聞こえます。しかし、彼らをカエルに置き換えて、同じセリフを言わせてみると、現実生活では気付かなかった滑稽さ、愚かさ、間抜けぶりなどが見えてくるのではないでしょうか。

もちろん、これは私の自己満足かもしれません。作品は著者の手を離れた時から、読者のものです。皆さんがこの作品をどのように解釈されるのも自由です。

長い物語を読んでくださって、ありがとうございます。



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