七走一坐**肺がんとの共存生活**

わたしは、31歳の時に肺がんステージⅣbを宣告されました。今同じ悩みを抱えている方がいたら少しでも救ってあげたい。そんな想いからブログを書くことにしてみました。

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ありがとう。

こんにちは。

 

お久しぶりです。

なかなかブログを更新する時間が無くてこんなに遅くなってしまいました。

 

わたしはだいぶ元気になりました。

先週の水曜日の、診察ではまた肝臓の数値が良くなかったのと、アルブミン値まで下がってしまってました。

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1週間ジカディア休薬してました。

そのお陰か吐き気もなく、元気も少し取り戻しました。胃腸の調子も良くなかったので整腸剤も出して貰ったら、水下痢も良くなり、

スープばかりの生活からご飯が食べられるように。

アラブミン値戻ってるといいなあ。

体重もマイナス9Kgからプラス2Kgに。

 

そういえば、3/9は娘の4歳の誕生日でした。

産むのが本当に大変だった我が子。

陣痛時間24時間。

懐かしいなあ。それでももうこんなに大きくなって、いつも「ママ大好き!」と満面の笑顔で言ってくれる。

ありがとう。ママをママにしてくれた大切な宝物。大好きで仕方ないよ。

そして3/14はわたしの誕生日。

たくさんのおめでとうをありがとうございます。

また1つ歳を取れた事、本当に感謝、

来年も生きてお祝い出来ますように。

たくさんの優しいフォロワーさんたちのお陰でわたしは元気に生きられています。

ありがとうございます。

いつも感謝の気持ちを忘れずにいたいと思っています。

 

 

そして我が家、念願の一軒家を建てました。

がんとわかる前からマイホームを建てようと計画していて、設計の段階でがんが見つかってしまい、泣く泣くそのハウスメーカーさんは断念。

マイホームを建てることが夢だったわたし。

本当にショックでした。

でも諦めきれず、後日違うハウスメーカーさんで旦那が建ててくれることに。

いつもは本当に「嫌な奴!」って思ってたけど、夢を叶えてくれて本当にありがとう。

すごく嬉しかった。引越しの準備もわたしが入院していた為、1人でほとんどやってくれた。

念願のマイホーム。

どんなに嬉しかったことか。

お金はない我が家なのに、ちゃんと考えて建ててくれたと思ったら本当に嬉しいよ。

だから治療費の貯金が持つ限りは頑張って生きるからね。

生きて恩返しするね。

 

 

話は変わりますが、わたしがすごく応援してたご夫婦から突然ブロックされてしまいました。

それは本当にショックで…涙しました。

とても優しい奥様と、一生懸命闘い続ける旦那様。我が家とはかけ離れた本当に愛のある家庭だなといつも微笑ましく見させて貰っていました。

そんなMさんとYさんが大好きでした。

きっとわたしのだらしない態度で愛想を尽かしてしまったんでしょうね。

それでもわたしはこのご夫婦をいつまでも応援し続けます。神社に行く時も必ず最初にお願いするのはこのご夫婦のこと。それくらい生きてて欲しいと願っているからです。

どんな逆境にも負けずに乗り越えて欲しいです。わたしなんかよりもずっとずーっと長く行き続けて欲しいです。

 

本当に2人が大好きでした。

ありがとうございます。

これからも勝手に応援させて頂きます。

そして、不快な思いをさせてしまったようなことがあったのなら申し訳ございません。

この御家族に幸せがもっともっと溢れますように…

わたしはずっと願っています。

悪夢

こんばんは。

 

 

最近薬のせいなのか嫌な夢をよく見る。

家族に見放されてもう死ぬしかなくなる夢や、知らない誰かにずっと追いかけられる夢、もう治療法はなくなりましたと先生に言われ、どうにかしてくださいと泣き縋る夢。

本当に色んな悪夢をみます。

そのせいか、いつも中途覚醒

1時間毎に起きてたりする。

 

そんな時起きて相手してくれる人がいるとほっとするんだ。

怖い世界から助けて貰ったよう。

救世主なんだ。

 

でも誰もいないと絶望。

悲しくて涙が止まらなかったりもする。

そんな時は薬を飲んで落ち着ける。

それでも流れる涙。

いつしか疲れて寝ている。

でもまた悪魔から目覚める。

 

そんな事の繰り返し。

いつからだろう。朝までゆっくり寝れなくなったのは。

もっとゆっくり寝たいな。

子どもは寝相が悪いから蹴飛ばされたりするんだけど、その小さな手に指を置くとぎゅっと握ってくれる。

その瞬間は本当に幸せ。

でもすぐに離されてしまう。

 

誰か好きな人がぎゅっと手を繋いで寝てくれたら、もしかしたらゆっくり寝られたりしないかな。

 

あー…朝までぐっすり寝たいよー。

よく寝たなー!って思いたい。

もうそんな日はやってこないのかな。

 

たくさん寝られる事も幸せな事だったんだなって思った。

 

がんじゃなかったら、こんなに苦しむこともなかった。

がんじゃなかったら、いつも通り仕事して家事育児して我慢しながら生き続けてた。

 

どっちの苦しみの方がマシなんだろう。

 

わからない。

 

でも、やっぱり健常者ってだけで幸せの数は多かったと思う。

幸せをたくさん感じたかった。

わたしには何が残るんだろう。

 

わたしも手は大きくないから、この小さな手を包み込んでくれる人がいたらいいな。

 

寂しくない世界に行きたい。

 

 

わたしはいつまで孤独なんだろう。

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気持ちの変化

こんにちは。

 

 

最近は実家で過ごしているので旦那とも喧嘩することなく、穏やかに過ごしています。

 

でも退院して悲しいこと。

やっぱり先生に会えないのはつらい。

先生が癒しだった。

心の安定剤だった。

 

幸せってなんなんだろう。

ふと気づく幸せはわかる。

でも自分から見つける幸せってどんなこと?

それって本当に幸せなのかな。

無理に幸せって思うようにしてるんじゃないのかな。

わたしにはわからない。

 

最近は突然悲しくて泣き出したり、心の具合が良くないみたい。

鬱ってこわいね。

 

治療費のこと、今後のこと、治療法のこと。

心配だらけ。

わたしのがんはすさまじい速さで大きくなるすごい嫌な奴なんだ。

お願いだから早くブリガチニブ承認して。

ジカディアがダメになったら、もう点滴しかないの。

CVポート入れるのも怖い。

抗がん剤の副作用もこわい。

いつまで生きられるのかな。

次々と亡くなる仲間たちに本当に胸が締め付けられる思いなの。

 

もしそっちに行ったらみんなと会えるかな。

会ってたくさんお話出来たらいいな。

特にみゆきさん。

あなたはわたしの中で誰よりも強く勇ましい女性でした。

 

次は自分か。

そう思う度に辛くなる。

でもみんなと話せるならそれも悪くないのかもね。

 

死ぬ前、苦しみたくないな。

だから延命措置はして欲しくないの。

生き地獄は嫌だ。

 

でも何より怖いのは子どものこと。

子どもを置いて行くのだけは本当に嫌だ。

泣く姿を思うだけで胸が苦しい。

大好きな大好きな宝物。

 

その為にはまだまだ生きないといけないのに、食欲はないし、治療費もない。

貯金が尽きたら……

 

考えただけで怖い。

 

でももうあと僅か。

1年持つかな…

 

旦那は絶対に払ってなんかくれない。

緩和ケアで痛みを和らげながらこの世を去って行くのかな。

 

わたしの人生本当に波乱万丈だったな。

 

小さい頃から我慢ばかり。

出会う男は悪いやつばかり。DVもあったな。

友達にもあんまり恵まれてないのか、今じゃ誰も連絡なんかくれない。

 

だから頼れるのはTwitterの仲間たちだけ。

みんなには本当に助けられてる。

嫌な人もたまにはいるけど、でもわたしのこと守ってくれる人の方が遥かに多い。

フォロワーも気付けばもうすぐ3000。

こんなにたくさんの人に見守られて、わたしは幸せです。

 

穏やかに過ごして行けますように。

ジカディアも長く使えますように。

 

こうやって生きていられるのは先生のお陰。

先生、ありがとう。

いつまでも大好きな先生。

手を握って欲しいな。抱きしめて欲しいな。

会いたいよ先生…

 

あと、20日も待てない。

 

時間早く過ぎてくれないかな。

 

 

 

今日も明日も明後日もずっと、みんなにとって素敵な日でありますように。

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子どものいびきと無呼吸

こんにちは。

 

 

実はうちの子、とてつもないいびきをするんです。

心配で、すぐある耳鼻科に連れて行きましたが、おじいちゃん先生全く喉は見てくれず、アレルギー性鼻炎だけを指摘。

なのでセカンドオピニオンを、前にアデノイド肥大やってる子のお母さんに連絡つけてもらい、その耳鼻科を受診。

やっぱり、いびきの原因は「扁桃腺肥大」と「アデノイド肥大」でした。

1週間お薬で様子見ましたが、やっぱり変わらず、無呼吸もいびきもあったので、結局手術をすることに。

紹介状を書いてもらい、わたしのかかりつけ医へ。

採尿、採血、心電図、レントゲン。

やりましたが、どれもいい子にして一切泣かずやっていました。

その度に「いい子だねえ」と言われ、ちょっと嬉しそう。

でも本当にいい子でわたしもびっくり。

 

その後先生からのお話。

全身麻酔や、どうやって切除するかの説明。

正直心配でした。

こんな小さいのに全身麻酔。痛みとか大丈夫なのかなあ…とかもう不安だらけ。

 

次の受診は麻酔科の受診。

そして19日に入院して20日に手術。

入院は1週間くらい。

保育園おやすみすることになるけど大丈夫かなあ。

心配だな。

 

心配だらけだけど、やるしかないから!

頑張って貰おう。

わたしも気を強く持って頑張らないと!

 

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退院してから…

こんばんは

 

1/16に退院してから、メンタルクリニックを受診して、だいぶ心のケアがされるようになりました。

 

そして一昨日は受診日。

 

検査項目は…

✱採血

✱レントゲン

✱CT(造影なし)

でした。

 

採血はもう慣れたのか、針が刺さってるのを見ることも出来るようになりました。

慣れって怖いですね。

CTもレントゲンもあっさり終わり、診察までが長い長い……

一昨日は結構待ちました。

待ち時間は、鬼滅の刃読んだりして時間つぶしてました。

 

そしてようやく呼ばれました。

中待合室とか行くまでもなく真っ直ぐ診察室に行ったので、いつものお祈り出来なかった…

 

でも結果は腫瘍が小さくなってるとの事。

CT見たら、わたしでもわかるくらいにスッキリ小さくなってました。

ジカディアはすごい変な味で吐き気するんですが、頑張って3錠ずつ飲んだ甲斐あったな。

そう思いました。

本当に嬉しかった。頑張れば寛解も夢じゃないかも。そう思ったり…

 

わたしの目標!!寛解状態!!

 

ステージ4でも寛解状態になってるという報告をある人から受けて、わたしも後に続きたいなって思いました。

 

きっと叶えてみせる。

元気になってまた前の生活に戻るんだ。

そんなこと出来たらどんなに幸せだろう。

わくわくは止まらない。

 

頑張った分、幸せが舞い込んできますように…

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10時間の車の旅

こんにちは。

 

 

実は昨日、ハマーさんというわたしのフォロワーさんが10時間もかけてわたしに会いに来てくれました。

ハマーさんはツイキャスにもよく来てくれる人で割と仲良しの人。

Twitterからリアルで会うのはこれで4人目。

なんだかとても嬉しかったです。

お土産に、今テレビで話題のプリンを買ってきてくれました。

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それがこれです。

 

わたしは真ん中の、ハマーさんは右側のを2人で食べました。

すごくとろけるような食感のプリンで人生で1番美味しいプリンに出会いました。

 

それから2人で写真も撮りました。

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ハマーさんは顔出しNGなのでスタンプで失礼します。

わたしの顔はもうお馴染みだと思うのでスルーで(笑)

2人でみゆきさんの話もしました。とっても悲しかったけど、強く生きてて素敵な人だったよねって。

ハマーさんとはもっとたくさん話していたかったけど、何せ片道10時間。

あっという間に時間は過ぎてしまいました。

 

また会おうねと約束してさようならしました。

 

ありがとうございます。

ハマーさんはいつもわたしに寄り添ってくれる優しくて頼もしい人。

相談にも乗ってくれたりする。

 

またぜひ来てください。

 

 

もうすぐわたしの誕生日…

プレゼントも募集してます。出来ればスイッチ…(図々しいやつ)

 

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脱走

こんにちは。

 

わたしは何かいつもまちがえている。1つの事に集中してしまうと目の前が見えなくなっちゃう。

昨日、本当に死にたいと思って、病院で泣き叫びました。でも叫んでも泣いてもなんにも解決しない。

思ってることが違うから。

そして、看護師さんは何もわかってくれない。だって看護師さんだって元気な人だもん。わたしの事なんて分かるわけない。

将来が見えないわたし。

わたしには何も無い。

周りのみんなは幸せそうなのにわたしだけなんで…

つらい。

苦しい。

なんでわたしだけこんなに必死に我慢して生きなきゃ行けないの?わからない。

甘えてると思われても構わない。

だって本当に頑張ってきたから。

一人で何もかもやってきた。

なのに何も報われない。わたしって何なんだろう。

報われないことばかりで嫌気がさす。

真っ暗闇の中を1人でずっと歩いてる感じ。

だから昨日病院を抜け出した。

抜け出したって気づかれない病院。

看護師さんもわたしのことなんて何も気にかけてないんだろうな。

もう疲れちゃったよ。

きっとこの先も変わらず1人だから。

大変なのはわたしだけ。

まだ冬の寒空はとても冷たくて私の体を冷やしていった。

雪も溶けて雨が降った後なのか、地面はツルツル。

何度も転びそうになりながら歩いた。

その時も何度も死が過ぎった。

このまま車にひかれれば…

この川に飛び降りれば…

でもその覚悟はなかった。

黙々と寒空を歩き続けた。

気付くと実家の前にいた。

帰るかは何度も悩んだ。

どうせわたしなんかいなくても誰も心配なんてしないから。

でも冷えきった身体はもう限界だった。

だって薄いパジャマにカーディガンだけだもの。

よくここまで歩いたと思うほどだった。

だから、家に帰ることを決心した。

 

チャイムを、鳴らした。

 

慌てて出てきた母の様子で病院から連絡来たのだろうと予想がついた。

 

「どうしたの?!」

 

慌てて聞く母。

 

 

「病院の人たちは何もわかってくれない。だから帰ってきた」

 

そんなような事を言ったと思う。

 

 

わたしがいなくなっても何もわかってくれない病院の人達が嫌になってしまった。

 

寄り添ってなんかくれない。

中には「笑わなきゃダメ」「泣くと免疫力が低下する」「もっと強くならないと」

って言う人もいた。

 

それって寄り添いの言葉なのかな?

違うと思う。

わたしにとっては追い打ちをかけられてるだけ。

 

こんな病院もうやだ。

先生しかいい人がいない。

 

でも、結局帰ってきちゃった。

 

いやだな。

憂鬱。

 

もう、わたしの居場所はどこにもないみたい。

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