毎日新聞は1988年2月に、エイズ問題のキャンペーンを開始し、血友病患者の多くがHIVに感染させられたことを告発した。このキャンペーンを行っている間、厚生省クラブに所属する毎日新聞の記者は厚生省当局からほされたという。具体的には厚生省側は土曜日の午後、毎日新聞を除くクラブ詰めの記者を昼食に誘い、そこで当局側に都合のいい情報をリークした。月曜日の各紙朝刊には厚生省の方針に沿った記事が載ることになった。この例のように独自の取材活動をしようとする社があると、役所は記者クラブを使ってほかの新聞記者に情報をリークして操作することが往々にしてある。
②霞ヶ関にあるどのクラブでも同様であるが、当局側がマスコミに報道してもらいたい事柄についての配布資料は膨大である。その上に大臣や政務次官、あるいは報道担当官の記者会見は、平均一日1、2回は必ずあるから、記者クラブに属する記者は、そうした発表の裏付け取材をするだけで大変な労力を必要とする。これに時間をとられれ、「発表もの」以外の独自のテーマを取材する時間が少なくなる。こうした状況で時間や日常業務に追われると、いきおい記者クラブで発表を待つことになり、権力の監視どころか、権力側が提供する情報をフォローする事態に陥っているのである。
③外国人記者や雑誌社の記者など、記者クラブの加盟各社以外の者が会見に参加したいと求めても、断る場合がほとんどである。そこには取材源との濃密な関係を余所者に乱されたくないという意識や、自分たちの特権を守ろうという意識が働いていることは否めない。時には外部の者を締め出すだけでなく、記者クラブが決めたルールを破った社に対しては、除名あるいは一時的な加盟停止処分にすることもある。こうして既得権を守ろうとする。
④基本的に、記者クラブはその部屋と駐車場の使用料や、電話・ファックスの料金、光熱費や水道代などの管理経費を相手方に負担してもらっている。長野県を例にすると、それは推計総額が年間1,500万円にも上る。
取材先から取材拠点、電話、ファックスなどの通信手段を提供され、あるいは記者クラブの事務を行う人員の提供などを受けるとすれば、それが取材の姿勢にまったく影響を与えないという保証はあるだろうか。
<記者クラブの改革>
「脱・記者クラブ宣言」(2001年5月15日)
これは改革派知事で知られる長野県知事の田中康夫が、今までの記者クラブのあり方に疑問を感じ、新たな形を模索し、提案をしたものである。つまり「『脱・記者クラブ制度』宣言」と言える。
これまで長野県には、県庁社内に「県政記者クラブ」「県政専門紙記者クラブ」「県政記者会」の三つの記者クラブが存在した。その部屋と駐車場の使用料に留まらず、電気・冷暖房・清掃・ガス・水道・下水道の管理経費、更にはクラブ職員の給与までもが、全ては県民の税金で賄われてきた。推計での総額は年間1,500万円にも上る。記者クラブの運営は県民の税金でまかなわれているというのに、これらのクラブもご多分にもれず閉鎖的であった。
そこで、大手のマスコミだけでなく、それ以外の雑誌社やミニコミ、インターネットなどで情報を発信する「表現者」、更にはフリーランスで表現活動に携わる全ての市民が、誰でも自由に会見に参加できる「表現センター」に改組するようにした。コピー、ファックスは実費になり、使用時間等を予約の上、長野県民が会見を行う場としても開放。記者クラブ主催だった長野県知事の記者会見は県主催となった。現在は5階に「仮設表現道場」という形で会見を行っている。
現場の声として、2002年5月 「記者は考える」というコラムで、朝日新聞長野支局の西本秀記者がこう書いている。
「(前略)使い勝手は以前より劣るものの、『大きな支障はない』というのが正直な実感で、県に余計な借りもない。ただ、だからこそ、忸怩たる思いが残る。知事に摘される前になぜ自分たちで改革できなかったのか、と。(後略)」
「広報メディアセンター」(1996年2月23日)
記者クラブ改革を提唱した最初の例は、神奈川県鎌倉市の竹内謙市長が鎌倉記者会に提案した「広報メディアセンター」である。
この広報メディアセンターでは、
①新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、専門・地域・外国紙が自由に取材できる、
②市広報課が記者会見を主催するほか、行政や市民、公共団体の情報提供に便宜をはかる、
③市を拠点とする記者には希望に応じて専用の机や椅子を提供する、
④電話、ファックス、写真現像室を整備し、費用は利用者が負担する、となっている。
≪「脱・記者クラブ宣言」との違い≫
「広報メディアセンター」の構想は、記者会見の主催者を自治体側とする点や、記者室の利用をクラブ加盟社以外に拡大した点など長野県田中知事の「『脱・記者クラブ』宣言」と重なる所が多いが、常駐記者を認め、スペースや備品の提供は行う点や、政党機関紙や宗教機関紙の記者の会見出席や記者室の利用は、認めない点は、田中知事の「宣言」とは異なっている。
また、外国メディアが日本の記者クラブの閉鎖性の改善などを求める問題が起きた。
2002年5月、「国境なき記者団」(本部・パリ、オーストリア、ベルギー、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスなどに9支部)が小泉純一郎首相にあて、「記者クラブをフリージャーナリストや外国特派員にも開かれたプレスセンターに変えるために影響力を行使してほしい」との要望書をファックスで送ったりした。
<メディア側の記者クラブ改革案>
従来の記者クラブへの批判を受けて、メディア側も記者クラブのあり方について様々な改革案を提示している。
新聞労連 「新聞労連が考える記者クラブ改革案」から(2002年2月8日)
- 取材センター(仮称)では、必要最低限の設備等を除き、それを超える日常経費(ランニングコスト)については、取材者の自己
負担とする
- 記者会見への参加は、記者クラブ参加の有無を問わず、取材者のすべてに認める
- 「黒板協定(しばり)」の原則廃止
- 報道を理由にした記者クラブによる取材者、特定社への制裁は、認めない
- 記者クラブを対象とした懇親会は原則廃止、餞別や贈答などはいっさい受け取らない
- 記者クラブへの参加は、原則として希望する取材者のすべてに開放
日本新聞協会 「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」から(2002年1月17日)
- 報道活動に長く携わり一定の実績を有するジャーナリストにも、門戸は開かれるべき
- 公的機関が主催する記者会見を一律に否定しない
- 記者会見はクラブ構成員以外も参加できるよう努める
- 諸経費は、報道側が応分の負担をする
毎日新聞の労働組合 「ジャーナリズムを語る会」の改革試案から
- 記者クラブの原則的解放
- 便宜供与を返上する努力を行い、会社負担への段階的な移行
- 安易な報道協定の廃止
- 登院停止を行わない
- 当局の記者室使用制限を許さず、市民などの自由な出入りを確保する
- 当局、フリージャーナリスト、市民などを含めた議論の場を恒常的に設置する
新聞労連の改革案は、日本新聞協会よりも大幅な開放策となっている。
日本新聞協会の見解は、経営者組織の決定であるだけに、各記者クラブへの影響は大きいものがあると思う。
一方、新聞労連の提言はあくまでも「改革案」ではあるものの、現場の記者たちの多くが組合員であるだけに、その持つ意味は重いと考えられる。
<新たな動き>
記者クラブのあり方、将来に一石を投じる動きを見てきたが、今回のそれは存在そのものを否定する動きである。
情報を流れ難くしており、また記者クラブメンバー以外の取材を疎外しているという理由で、2002年10月と2003年の10月に
EUが記者クラブの廃止を日本に要求してきた。
そもそも外国メディアによる「記者クラブ障壁論」は1960年代後半から提起されるようになり、外国特派員の加入を事実上認めていなかった記者クラブの運用に関して、日本新聞協会は1993年6月、正会員としての加入を原則認める見解を発表した。さらに2002年1月にもより踏み込んだ内容の見解を示した。
今回の提案に対し、日本新聞協会は12月10日に
「記者クラブ制度廃止にかかわるEU優先提案に対する見解」を発表し、「歴史的背景から生まれた記者クラブ制度は、現在も『知る権利』の代行機関として十分に機能しており、廃止する必要は全くないと考える」と返答した。
この問題は現在も進行中の問題であり、今後の展開を追っていきたい。
私も記者クラブの存在については否定しない。従来のクラブのあり方について様々な批判を受け、存在そのものまでを否定される提案をだされた。これらの批判から、メディア側が自分たちで改革案を生み出したことは評価できると思う。
記者クラブは、力の弱いメディア側が団結して権力から情報を引き出すためのものとして誕生したものである。官制主導の報道の是非は戦前・戦中の経験を思い起こせば一目瞭然である。
長野県や神奈川県鎌倉市の動きは、メディア側の重たい腰を上げさせ、自主的な取り組みを促した意味でも非常に有意義なものだったと思う。この二つの自治体では、現在自治体側が主催となって記者会見を行っている。改革案を飾りのまま終わらせるのではなく、しっかりと改革を進め、再び信頼を得てメディア側が主催の運営を行っていけるように期待する。
また、上述したメディアへのアクセス権の問題であるが、被害者・被疑者が特に私人である場合、反論というものは非常に困難である。影響力のあるメディアをもっと利用しやすくなるためにも、記者クラブで市民主催の記者会見が開かれるような、もっと市民に開かれた形になることを期待する。
* ここで特異な例として、埼玉県保険金殺人事件について触れる。
この事件では、疑惑の中心人物が自身の身の潔白を訴えるために、自身が経営する居酒屋やパブで「有料記者会見」を行った。その回数は実に203回を数える。
結果的にこの人物は逮捕され、一審の埼玉地裁では無期懲役の判決を言い渡された。つまり、この人物はマスコミを利用していたのである。
メディアへのアクセスを今よりも容易にすることで、同様のケースは増えるかもしれない。しかし、そういった不正は記者の目が暴いてくれることを信用したい。
◇ 章立て ◇
メディア・スクラムとは、事件が起きたときにメディアが事件や事故の関係者に殺到して取材の過程で、関係者の人権を無視しかねない取材のことである。
具体的には、
- 深夜にまで電話やファックスをする
- 深夜にまでインターフォンを鳴らす
- 職場にまで取材しに来る
- 取材先の路上駐車が渋滞、交通の不便をもたらす
- タバコの吸殻、食事等のごみを捨てていく
等が挙げられる。
取材の対象は小さい子にまで及ぶこともあった。各社にとってはたった一回の電話、インターフォンでも、取材を受ける側にしてみれば何十回も電話やインターフォンを鳴らされることになるのである。
メディアのこれらの取材方法が問題視され、メディア・スクラムとして認識されるようになった。様々な批判が噴出することとなり、メディア側は改革を余儀なくされた。
そこで出されたのが、日本新聞協会による
「集団的加熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」である。
その中で、「すべての取材者は、最低限、以下の諸点を順守しなければならない」と記載されている。
- いやがる当事者や関係者を集団で強引に包囲した状態での取材は行うべきではない。相手が小学生や幼児の場合は、取材方法に特段の配慮を要する。
- 通夜葬儀、遺体搬送などを取材する場合、遺族や関係者の心情を踏みにじらないよう十分配慮するとともに、服装や態度などにも留意する。
- 住宅街や学校、病院など、静穏が求められる場所における取材では、取材車の駐車方法も含め、近隣の交通や静穏を阻害しないよう留意する。
調整は一義的には現場レベルで行い、各現場の記者らで組織している記者クラブや、各社のその地域における取材責任者で構成する支局長会などが、その役割を担うものとしている。解決策としては、社ごとの取材者数の抑制、取材場所・時間の限定、質問者を限った共同取材、さらには代表取材など、状況に応じ様々な方法が考えられている。
また、現場でメディア・スクラムが調整・解決できない場合に備え、下部組織として「集団的過熱取材対策小委員会」を設置した。
<集団的過熱取材対策小委員会>
【組織の構成】
- 全国紙5社(朝日東京、毎日東京、読売、日経、産経東京)、ブロック紙3社(北海道、中日・東京、西日本)、地方紙4社(火曜会、土曜会から各2社)、通信社2社(共同、時事)、NHKの計15社の編集・報道局次長ないし部長クラスで構成する。1社1人とし、代理出席を認める。
- 地方で問題が起きた場合は、当該の新聞協会加盟の地元紙にオブザーバーとしての参加を求める。
【小委員会の機能・性格】
- 現場レベルで調整・解決できない問題を協議する裁定権限を持った機関とする。
【主な申し立ての手続き】
- 集団的過熱取材の被害者・関係者から、直接、小委員会に苦情の申し立てがあった場合は、速やかに当該の支局長会などに連絡し、調整に当たらせる。
- 被害当事者・関係者や弁護士などから、新聞協会事務局に直接連絡・申し立てがあった場合は、その旨を協会事務局から速やかに小委員会幹事ならびに小委員会委員に連絡し、小委員会幹事を通じて当該支局長会などに伝える。
【裁定の内容、決め方、公表、解除】
- 裁定の内容は、その都度対策小委員会で協議し決定する。裁定の内容と裁定違反等に罰則は設けない。
- 裁定の決定は、大方の合意を得るという観点から、小委員会委員の3分の2以上の賛成とする。委員が欠席の場合には、その社の代理者かまたは小委員会幹事に委任できることとする。
- 小委員会は裁定結果を速やかに当該現場に通知し、必要に応じて編集委員会としての見解を公表する。
- 解除はケース・バイ・ケースで現場の判断に任せる。解除のために小委員会を招集することはしないが、解除した場合は、小委員会に必ず連絡するよう現場に徹底させる。
(「集団的加熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」から引用)
そして、この声明の中では、被害を防止していくためにはメディア全体の一致した行動が必要なので、新聞メディアだけでなくテレビ、雑誌等のメディアにも働きかけを行っていくと述べられている。
この問題については、言うまでもなく改善されていく必要性がある。メディア・スクラムについてのメディア業界の一致した見解というものを出すべきであると考える。
◇ 章立て ◇
被害の構造的問題の図で指摘したように、私も含めた一般市民はメディアが流す報道をあまりにも受動的に受け取ってはいないだろうか。そしてその情報を過度に信頼していないだろうか。メディアが流す情報は正しいものである、真実であると、私たちは盲従的に考えがちである。しかし、現実に目を移すと必ずしもそうではないようである。
報道被害の事例を見ると、情報が一方的に氾濫される中でもっと主体的に情報を得ることができ、解釈できれば、「また違った観点が出てくるのではないか」「報道に疑問がわくのではないか」という考えが浮かんでくる。
ここでは「メディア・リテラシー」という概念を紹介し、私たちがよりメディアに上手に接することができるようなればと思う。
報道被害の絡みでいえば、この概念を知ることで報道被害が「より深刻」にならないようになる可能性があると思う。
<
メディア・リテラシー(Media Literacy)とは>
リテラシーとは読み書き能力を意味する。私たち自身がテレビ、新聞、ラジオ、雑誌からマンガ、ポピュラー音楽、映画、ビデオ・ゲーム等のあらゆるメディアを使いこなし、メディアの提供する
情報を読み解く能力のことをいう。
[情報が作り上げられる過程]
事実を取材し、それを情報として伝達していく上で、メディアはそれを報道に堪えうる形に作り上げていかなければならない。事実をどういったアプローチ(観点・側面)で見ていくかによって、必要となる補足が変わってくるし、周辺取材の方向性も変わってくる。多種多様な受け取り方が存在する。
受け取っている情報が必ずしも客観的なものではなく、そこには作り手側の何らかの主観・意図が必ず介在する。
[情報が報道される過程]
情報を伝達する時点で、その情報を「規模・順序・時間」等の要素でもってどのように報道するかを考える。
新聞を例に出せば、その記事をどのくらいの量で何面に掲載するかによって、読者の印象がまったく変わってくる。大多数の人に有益な情報、知りたいと思う情報が一面に取り扱われるわけであるが、しかし、新聞の一面に載っているからというだけで大切な情報であるとやみくもに感じる受動的な読者が多いように思う。 本来個人が必要・不必要だと思う記事を取捨選択できることが大切であり、そういう姿勢が求められると思う。
事実が情報として作り上げられ、報道されていく過程は「料理」に非常に似ていると思う。というのは、料理人はキッチンでいかようにも料理の味付けを変えることができ、私たちはそれを食べるということである。いったいそれがどれだけ食べる人の身になって考えて調理されているのだろうか。
良い料理人ほど料理の感想を聞き、反省し、次回の調理に生かそうとしている。食べる側としてもどんな人がどのように調理しているのか、いったいどんな食材を使っているのかといったことには非常に興味がある。顔が見え、その手法を知ることで安心を得ようとする。
最近、トレーサビリティー(履歴管理)された食品の販売が目に付く。生産や流通ルートを表示化したものであるが、自分の手に入るまでをすべて知りたいと思う気持ちは、一昔前まで安全であると信じられていたものがどんどん崩れていっている今日、ある種当然の帰結のように思う。報道についても同様のことが言える。今日の報道の現場では、視聴者・読者の身にたって考えているという過度の自負、ワイドショー的なセンセーショナリズムが必要以上の過剰な報道を引き起こしていると思う。視聴者との対話を充実させる必要があるように感じられる。
ここまで見てきて、私たちが普段接している情報というものが、どのように事実から味付けされて伝達されていくかがある程度理解できたと思う。
つまり「事実は『ありのまま』ではなく、
『構成された事実』であり、私たちが受け取っている情報は必ずしも客観的なものではないということに気づいていただけただろう。メディア・リテラシーとは決してメディアを批判するものではない。こういう考え方ができるようになることが、メディア・リテラシーのもつ意味なのである。
メディアとは社会を理解するために私たちに与えられた手段である。メディア・リテラシーを通して現実社会をより理解することが最も大切である。
メディア・リテラシーを通じて、情報というものを判断するとき常にその対象の
「対立軸」を探す姿勢を養っていってほしいと思う。
◇ 章立て ◇
以前はメディア自身は「報道被害」という問題についてあまり真剣な対応をとっているとは言い難かった。しかし、近年高まるメディアへの批判を受けて、メディア自身も変わらざるをえなくなった。その表れとして生まれたのが、記者クラブの改革であったり、メディア・スクラム解決への取り組みであった。
「予防・防止」といった観点だけでなく「救済」という観点からもメディアの変化を見ていく必要がある。そこでこの章では、まず初めにメディア責任制度という概念を紹介し、その後各報道機関の救済制度について見ていくことにする。
報道被害者が名誉を回復するには、日本では今のところ対メディア訴訟を起こす以外にない。こうした被害の救済を、法や裁判でなく、
メディアが自主的にメディア全体の責任で行う、というものが「メディア責任制度」である。具体的な機関としては、「報道評議会(プレス・カウンシル)」や「プレス・オンブズマン」がある。
メディア責任制度の先行事例としてはスウェーデンが有名だが、詳しくは
第5章で見ていくことにする。
◇ 章立て ◇
ここでは日本のメディアが導入し始めた「メディア責任制度」について業界ごとに見ていき、第6章でその展開について考えていきたい。
放送倫理・番組向上機構(BPO) *2003年7月1日にBROから改編
放送倫理・番組向上機構」(BPO)は、放送による言論・表現の自由を確保しながら、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情、特に人権や青少年と放送の問題に対して、自主的に、独立した第三者の立場から迅速・的確に、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的にしています。
BPOは、従来から活動してきた「放送番組委員会」と「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」、「放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)」の3つの委員会を運営する、放送界の自主的な自律機関です。
BPO加盟の放送局は、各委員会から放送倫理上の問題を指摘された場合、具体的な改善策を含めた取組状況を一定期間内に委員会に報告し、BPOはその報告等を公表します。
(BPOのホームページから引用)
3つの委員会から成り立っているが、報道被害については「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」が審理する。
BRCは、放送番組による人権侵害を救済するため、1997年5月にNHKと民放により設立された「第三者機関」である。これまで、報道機関による人権侵害などの権利侵害事案は、放送局との話し合いがつかなければ、裁判に訴えるしか方法はなかった。しかし、裁判は時間や高い費用がかかり、一般には近寄りがたいものであった。そこでBRCは、視聴者の立場にたって、迅速に問題を解決することを任務としている。
苦情申立人から委員会への審理申し立ては、
無料である
<申し立ての手順>
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STEP.1【苦情】 | |
放送番組によって人権等が侵害されたと思った時は、その放送を行った放送局に苦情の申立てをする。苦情は、まず放送局が真剣に受け止め解決に当たる。
|
STEP.2【申し立て】 | | 放送局との話し合いで問題が解決せず、BRCの審理を求めたい場合、電話・ファックス・郵便などの方法でその内容を示す。苦情内容が、BRCで取り扱う範囲のものであれば、事務局から「権利侵害申立書」を送る。必要事項を記入し返送する。
|
STEP.3【審理】 | | BRCは、苦情の内容を検討し、審理の対象とするかどうかを決定。BRCは、苦情申立人、放送局側から提出された資料(放送テープなど)を基に審理し、必要に応じて双方の出席を求め意見を聞く。
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STEP.4【公表】 | | 審理の結果を、「見解」あるいは「勧告」としてまとめ、当事者に通知するとともに公表。BRCは審理結果を当該放送局に放送するよう求める。
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<STEP.2―申し立て>
【審理の対象となるもの】
- 放送局の個別の放送番組によって生じた人権侵害
- 苦情申立人と放送局との間で話し合いがつかない状況にあるもの
- 放送のあった日から3か月以内に放送局に申し立てられ、かつ、1年以内に「BRC」に申し立てられたもの
- 原則として人権侵害を受けた個人または直接の利害関係人が申し立てるもの
【審理の対象とならないもの】
- 個別の番組でなく、放送全般に対する苦情
- 裁判で争っているもの
- 損害賠償を求めるもの
- NHKと民放連加盟社の放送番組以外のもの
<STEP.3―審理>
【苦情の取り扱い基準】
- 名誉、信用、プライバシー等の権利侵害に関するものを原則とする。
- 放送前の番組にかかわる事項および放送されていない事項は、原則として取り扱わない。ただし、放送された番組の取材過程で生じた権利侵害については、委員会の判断で取り扱うことができる。
- 審理の対象となる苦情は、放送された番組に関して、苦情申立人と放送事業者との間の話し合いが相容れない状況になっているもので、原則として、放送のあった日から3か月以内に放送事業者に対し申し立てられ、かつ、1年以内に委員会に申し立てられたものとする。
- 裁判で係争中の問題は取り扱わない。また、苦情申立人、放送事業者のいずれかが司法の場に解決を委ねた場合は、その段階で審理を中止する。
- 苦情を申し立てることができる者は、当分の間、その放送により権利の侵害を受けた個人またはその直接の利害関係人を原則とする。
- 放送番組制作担当者個人に対する申し立ては、審理の対象としない。
- CMに関する苦情は、原則として扱わない。
- きわめて重大な権利侵害に関する事項については、申し立てを待たずに、委員会の判断により取り扱うことができる。
【苦情の受理、および審理の手続き】
- 事案の内容が審理案件に当らないものと判断した場合は審理対象外とし、その理由を付して申立人に通知する。
- 審理対象に当たる事案についても、なお当事者間で話し合いによる解決の可能性があると判断した場合は、双方の話し合いを求める。話し合いの期間は原則として3か月以内とし、特段の事情がない限り、この期間内で解決しない場合は審理に入るものとする。
- 双方に話し合う意思がないか、話し合いを継続しても解決の見通しがたたないと判断した場合は、期間の経過を待つことなく審理に入る。
<STEP.4―公表>
【公開】
- 事情聴取は、委員会が相当と判断した場合は、公開とすることができる。
- 委員会は審理に関する議事録を公開する。
【勧告・見解】
- 委員会は、審理の結果を「勧告」または「見解」としてとりまとめ、審理の経過を含め、苦情申立人および当該放送事業者に書面により通知する。
- 通知の内容は、機構の全会員に報告するとともに、苦情申立人および当該放送事業者に公表することを通告した後、機構が委員会名で公表する。
- 前項の公表にあたり、委員会は、実名で発表することについて苦情申立人の事前の承諾を得る。特別の事情がある場合は、本人の希望により匿名とする。
- 公表は、記者会見その他適宜の方法により行う。
- 委員会は委員会の審理の結果を放送することを当該放送局に求めることができる。
BRCが扱った事例としては、第2章の桶川女子大生ストーカー殺人事件がある。BRCは被害者の父親からの人権侵害の申し立てを受け、1999年12月22日に桶川女子大生ストーカー殺人事件の取材に対して、「被害者や家族のプライバシーを侵害しないように節度を持って取材をするよう」テレビ各社へ要望書を送った。
BRCは、独自の調査権限がないという不十分さもあるが、日本のメディアの人権侵害救済機関としては、もっとも報道評議会の形に近いといわれている。次から見ていく新聞業界、出版業界の救済機関にとって、今後のあるべき姿として参考になるのではないかと思う。
新聞・通信社
ここでは報道評議会の一つ前の段階の「日本型オンブズマン」と呼べる新聞界の救済機関を見ていく。
日本新聞協会によるとこれらの機関は、2002年4月現在、中央紙・地方紙・通信社の25社に広がっている。
日本型オンブズマン機関
社名 | 名称 | 設置時期 |
毎日新聞社 | 「開かれた新聞」委員会 | 2000年10月 |
下野新聞社 |
下野新聞読者懇談会 |
2000年11月 |
朝日新聞社 | 報道と人権委員会 | 2001年1月 |
新潟日報社 | 新潟日報読者・紙面委員会 | 2001年1月 |
東京新聞 | 新聞報道のあり方委員会 | 2001年1月 |
読売新聞社 | 新聞監査委員会顧問 | 2001年4月 |
山形新聞社 |
山形新聞報道審査会 |
2001年4月 |
京都新聞社 | 報道審議委員 | 2001年4月 |
福島民友新聞社 | 紙面審査委員会 | 2001年4月 |
西日本新聞社 | 人権と報道・西日本委員会 | 2001年5月 |
河北新報社 | 読書と考える紙面委員会 | 2001年5月 |
北海道新聞社 |
読者と道新委員会 |
2001年5月 |
共同通信社 | 「報道と読者」委員会 | 2001年6月 |
茨城新聞社 | 報道と読者委員会 | 2001年6月 |
東奥日報社 | 東奥日報報道審議会 | 2001年6月 |
佐賀新聞社 | 報道と読者委員会 | 2001年6月 |
山梨日日新聞社 |
山日と読者委員会 |
2001年7月 |
産経新聞社 | 産経新聞報道検証委員会 | 2001年7月 |
北日本新聞社 | 報道と読者委員会 | 2001年8月 |
琉球新報社 | 読者と新聞委員会 | 2001年8月 |
高知新聞社 | 新聞と読者委員会 | 2001年9月 |
山陽新聞社 |
報道と紙面を考える委員会 |
2001年9月 |
中国新聞社 | 読者と報道委員会 | 2001年10月 |
宮崎日日新聞社 | 宮日報道と読者委員会 | 2002年2月 |
南日本新聞社 | 「読者と報道」委員会 | 2002年4月 |
(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)
この中から、毎日新聞社の「開かれた新聞委員会」を取りあげ、実際にどのような活動を行ってきたかを、第2章の二つの事例を用いて見てみることにする。
開かれた新聞委員会 毎日新聞社
委員会は社外の識者によって構成され、この委員会の役割としては次のことが挙げられる。
- 記事による名誉やプライバシーに関する問題など当事者からの人権侵害の苦情、講義、意見に対する本社の対応をチェックし、見解を示す〈訴訟などのケースは除く)
- 当事者でない読者からの指摘があったり、委員が記事に問題があると考えた場合に意見を表明する。
- これからの新聞のあり方を展望しながら、より良い報道を目指して提言する。
委員は中坊公平さん(元日弁連会長)、吉永春子さん(テレビプロデューサー)、柳田邦男さん(ノンフィクション作家・評論家)、玉木明さん(フリージャーナリスト)、田島泰彦(上智大教授 メディア法)の五人である。記事に対する読者の声とと新聞側の対応をすべて文書化して、これを委員がチェックし、その指摘を紙面に掲載して読者に報告するという形をとった。
<大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件>
毎日新聞は、この事件の容疑者を6月8日の夕刊の時点では匿名で報道、翌日朝刊から実名報道に切り替えた。これは社内の事件・事故報道における人名表記の基準に沿って採られた措置である。警察発表は実名だったが、その後「事件直前に精神安定剤を10回分飲んで幻覚症状」という情報が入り、さらには過去に精神病院に措置入院となっていたことも分かった。
そのために8日の時点では「刑事責任能力」を問えない可能性があるとして匿名報道にし、その後の取材によって刑事責任を問える可能性がでできたとして、翌日からは実名報道に切り替えた。「事件の重大性」にも考慮して実名報道とした。
<委員の意見>
- 実名報道に踏み切ったこと、その対応姿勢はおおむね妥当だった(柳田邦男委員)
- 精神障害者による事件報道では今後、
- 実名報道に踏み切った理由について、具体的で説得力ある丁寧な説明をする
- 実名、匿名にかかわらず、早い段階で、精神障害者全体への誤解や偏見を助長しないような見出しのつけ方、文脈の作り方、コメントの併記などを配慮する
ことが必要だ。(柳田邦男委員)
- この問題は突き詰めると、表現の自由、国民の知る権利と、人権とのバランスをどうとるかという問題に帰着する。(中略)知る権利と人権とのバランスをどうとるか。組織的に過去の事例などを幅広く、深く検討し、その結果を公表する。それだけの手間ひまをかける不断の努力が求められている。(中坊公平委員)
- 今回の事件の重大性を考えると、偏見の助長につながらないよう配慮をしつつ、精神疾患にもかかわる過去の事件に触れるのは真相究明のためには避けられない。また、事件報道とは別に、精神医療の問題点など精神障害者への偏見を取り除き、社会的理解を促進するようなジャーナリズム活動が期待される。(田島泰彦委員)
- 被害者である子供へのインタビューなど取材のあり方はメディア全体の問題として検討すべき課題だ。(田島泰彦委員)
(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)
<新宿歌舞伎町雑居ビル火災>
この出来事については、死者の報道をめぐって、実名・匿名、顔写真掲載の有無で各社の判断が分かれた=別表参照。
毎日新聞は
- なくなった44人全員の氏名を伝えるが、住所は簡略化し、職業・肩書は書かない
- 被害者を個別に伝えるときは「女性従業員」など必要に応じて匿名にする
- 顔写真は掲載しない
を原則にした。
次の表は、この事件への各社の対応である。
社名 | 記事 | 犠牲者 名簿 | 顔写真 | 四階の店名 |
朝日新聞 | 実名 | 実名 | 計12人分を二回に分けて掲載 | 「飲食店」 |
読売新聞 |
匿名 | 一部 実名 |
不掲載 |
「女性が接客するキャバクラ形式の飲食店」→「飲食店」 |
毎日新聞 | 実名→匿名 (変更) | 実名 | 不掲載 | 「飲食店」 |
産経新聞 | 客の男性: 実名 女性従業員:匿名 | 実名 | 男性5人分掲載 | 「キャバクラ」 |
日本経済新聞 | 匿名 | 実名 | 不掲載 | 「飲食店」 |
(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)
<委員の意見>
- 犯罪者でない以上、被害者のプライバシー保護への配慮があってしかるべきだ。しかし、被害者名が一切伝得られないというのでは、社会的にかえって疑念や不満を引き起こすことになるし、災害の実態が伝わらない。毎日新聞の今回の対応は妥当だ。(柳田邦男委員)
- 犠牲者名簿の実名表記は安否情報の特定性などの観点から妥当だったと思う。(田島泰彦委員)
- 記事中の実名、顔写真の扱いは微妙な問題だが、少なくとも無用な職業差別などがあってはなるまい。(田島泰彦委員)
- どのような(不名誉な)場合であっても、実名で報道してほしい。匿名にされたら自分の存在を無視、もしくは抹殺されたようで不快な感じを抱くと思う。(玉木明委員)
(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)
この出来事では、一部週刊誌などが従業員の少年について詳細に取りあげた。事件の公益性を踏まえても、少年が未成年だったことも合わせれば行き過ぎた報道であり、被害者の人権は守られるべきであったと思う。
メディアの各業界には「報道倫理綱領」というものが存在する。
日本新聞協会は「新聞倫理綱領」、日本雑誌協会・日本書籍出版協会は「出版倫理綱領」、日本雑誌協会は「雑誌編集倫理綱領」、日本放送協会・日本民間放送連盟は「放送倫理基本綱領」、日本民間放送連盟は「日本民間放送連盟報道指針」、日本新聞労働組合連合は「新聞人の良心宣言」である。
この一連の報道が各社によってバラバラだったのは、業界ごとの倫理規定の下に、それぞれ自社の倫理規定や基準といったものが存在するからである。
これらの綱領には曖昧であるという一部からの非難の声があるのも事実である。しかし、被疑者の連行写真を掲載しないなどの一定の効果は見られた。
この綱領を全てをマニュアル化してしまうと、取材時に弾力性がなくなり、リアリティーのある報道にならない。故にマニュアル化はしないというのがメディア側の言い分である。メディア側の言い分も分からなくないが、表現の自由、公益性・公共性といった文言にいつまでもあぐらをかいていられる時代は終わったと思う。
一般市民からそっぽをむかれないためにもメディア側の真摯な態度が求められている。
私自身は考えうるあらゆるケースを想定して一定の規定を設けることは必要だと思う。
どういう場合に匿名なのか、実名なのか。顔写真を掲載するのか、不掲載にするのか。もし掲載する場合には必ず許可をとること、承諾を得られない場合は掲載しないこと。ただし、公人においてはその限りではない、などなど。
取材方法、取材方針、編集方針、掲載方針をある程度細かく想定する必要性はあると思う。そして、これに非常に参考になるのが、日本新聞労働組合連合の
「新聞人の良心宣言」である。具体的な基準がたくさんなされており、大変有益であると思うので一度目を通してほしい。
新聞界では、日本における「報道評議会」の実現に向けて、有益な提唱をしている。それは2000年9月に日本新聞労働組合によって出された
「報道評議会」に関する新聞労連原案である。
しかし、新聞界においてはまだ報道評議会は実現されていない。状況としては、自社内での取り組みとして、第三者の有識者を招いて報道をチェックしている、その一つ前の段階である。
「オンブズマン制度と呼ぶには程遠く、単なる苦情処理機関にしかすぎない」、「自社に甘い意見ばかりである」という批判も確かにある。確かにまだまだメディア側に及び腰な部分があるとは思う。この段階で少し様子を見て、ある程度形が見えてきてから動き出そうという感じは伺えるが、私はメディアの変化の過程としては漸進的であるし、評価できると思う。ただしここからは本当に良いものであるとメディア自身が認識したならば、ためらわずに改革していく姿勢が必要であると思う。
出版
週刊誌というメディアは非常に大きなパワーを持っている。それはプラスにもマイナスにもである。プラスの作用は、様々な不正、陰謀を明らかにしてきたということである。私たちが知ることのなかった事実を暴いていく端緒は週刊誌を始めとする「出版」業界の力によるところが大きい。一方、マイナスの作用としては、憶測、推測による記事が多いためか報道被害を生み、名誉毀損訴訟や謝罪広告・訂正記事の掲載といった問題につながることが他のメディアよりも多いことが挙げられる。近年大きな論争を引き起こしたのが、少年による凶悪事件の報道で雑誌メディアが少年の顔写真を掲載したことだった。それ以外にもフライデーなどに見られる芸能人のプライバシー権や肖像権をめぐる問題が後を絶たない。
「雑誌人権ボックス」(MRB)
日本雑誌協会が
加盟各社の合意の下に、各雑誌記事における人権上の問題での異議・苦情の「申し立て受付窓口」を設置した。
当協会加盟各社発行の雑誌記事上で人権を侵害されたと感じたときは、それに関わる当事者あるいは直接の利害関係人が「雑誌人権ボックス」に異議・苦情の申し立てを行う。それらが当該発行元にフィードバックされ、各社が誠意ある対応をするということになっている。
当面は、専用ファックスと文書に限って受けることになる。電話での受付は行っていない。
以下が、MRBの人権救済をモデル化したものである。
(日本雑誌協会のホームページから引用)
まだMRBは様々なルールの具体的な記述が見当たらず、救済機関とは言えないかもしれない。雑誌によって人権を侵害されたケースで救済として目立つのはどうしても名誉毀損訴訟である。
名誉毀損にまで持ち込まないように、出版業界はこのMRBの制度、権限を強化していくべきであると考える。
なお、名誉毀損訴訟については、次の第5章でアメリカの名誉毀損訴訟の事例を見て考察していく。
◇ 章立て ◇
この章では、まず初めにアメリカにおける公人の報道被害の例を取り上げ、第3章の日本の公人の報道被害の例と比較し、名誉毀損訴訟における日米の違いと、そこから導き出される名誉毀訴訟のあり方を考察する。
次に、報道被害への対策として第4章と絡めてスウェーデンの報道評議会(プレス・カウンシル)とプレスオンブズマンについて考察する。
ニューヨーク・タイムズ対サリバン長官
1960年3月29日号のニューヨーク・タイムズ紙に「彼らの沸き上がる声を聞け」と題する意見広告が掲載された。これは依然として残る黒人への人種差別を打倒するために合衆国南部で行われていた公民権運動への注意を喚起し、募金を呼びかけるものだった。
この意見広告に対し、モントゴメリー市のサリバン警察長官を始めとする南部の人種差別政策を実行している指導者たち(知事、市長)がニューヨーク・タイムズ社を相手取って損害賠償を求める裁判を提訴した。
一審は原告勝訴(ニューヨーク・タイムズ社に請求金額全額の50万ドルの支払いを命じる)。ニューヨーク・タイムズ社はアラバマ州最高裁に上告するが棄却。連邦最高裁がニューヨーク・タイムズ社の上告を受理、アラバマ州裁判所の判決の破棄・差し戻しを命じる判決を出す。
この判決が名誉毀損訴訟に与えた影響
- 公務員の公務に関する議論は自由に行われなければいけないという基本理念の確認
- このような事項についての報道が、公務員個人に対する名誉毀損を構成することは原則的にない
この判決は、公務員が名誉毀損で勝訴判決を得るためには、当該報道を行うにあたり、報道機関に*「現実の悪意」があったことを、公務員の側で立証しなければならないとした。その根底にあるのは、意図しないでなされた虚偽の報道は、報道の自由全体を守るためには甘受しなければならないという認識であった。 |
この事件と第3章で見た中曽根元首相の事件から導き出される、名誉毀損かどうかという要件は以下である。
アメリカ
- 対象者が公人か私人かを判断し、公人である場合には、裁判で原告となった公人の側で、報道機関に「現実の悪意」があったことを立証しなければならない。
- 対象者が私人であれば、報道機関に何らかの過失があれば、損害賠償を求めることができる。
- どちらの場合にも、報道による名誉毀損の場合には、原告となった者は、報道された内容が虚偽であることを立証しなければならない。
日本
- 報道された内容が、公共の利害にかかわる事実に関するものであること。
- 報道の目的が、もっぱら公益を図ることにあったこと。
- 報道された内容が真実であるか、仮に真実でなくとも、報道した者がその内容が真実だと信じるについて相当の理由があったこと。
アメリカの方が報道に対する保証が厚いことがわかる。特に公人に対してはそのことが顕著である。
私は公人の名誉毀損について、権力を監視し、不正を暴くという本来メディアが持つ意味からもアメリカ型が望ましいと思う。
私人の名誉毀損については報道側に厳しくあるべきであると思う。その意味からもアメリカ型が望ましいと考える。
公人の中でも芸能人に関する名誉毀損であるが、第4章でも考察したように芸能人がメディアを相手取って行う日本の名誉毀損では、被告は週刊誌を始めとする出版メディアが多い。芸能人を題材にしたほとんどの報道の内容や目的が、公共の利害にかかわる事実や、公益を図ることにあるとは思えない。
しかし、私の友人がこのように語っていた。
「仕事で疲れた帰りに、頭の固い文章を読む気になる?一日の疲れをとったり、リラックスしたり、嫌なことを忘れたいときにおもしろい記事とか馬鹿らしい記事とかスキャンダルを読みたくなることってあるだろ。」
なるほどと思わせられるところがある。芸能人のスキャンダルにはこのような効能があるのである。
近年、損害賠償額が高額化の傾向にある。そのこと自体でメディアを牽制することは望ましいとは思わないが、結果として敗訴するメディアが多いことからも、十分な取材というものを期待したい。
私個人の見解としては、根本的な解決には至らないのだが、そもそもこういった芸能人のスキャンダルへの関心というものが、世の中の不正や諸問題に向いていくべきであると思う。
◇ 章立て ◇
メディア責任制度については、第4章で述べたとおりである。このメディア責任制度の先行事例がスウェーデンで見られ、日本における取り組みにも示唆するところが多いように思う。
スウェーデンにおけるメディア責任制度は、スウェーデン新聞発行者協会、スウェーデン記者組合、全国パブリシストクラブのメディア三団体が支えている。この三団体でつくる報道協力委員会が報道倫理綱領の制定に責任をもち、メディアが報道倫理綱領を遵守しているかどうかを見守る仕事をプレス・オンブズマン(以下、PO)・報道評議会に委託している。
市民は、新聞に報道された事実や、その記事によって個人的な被害をこうむったと考える場合、まずPO事務所に苦情を申し立てる。苦情は記事が出てから三ヶ月以内に、問題の記事に関係する個人によって直接、文書で申し立てなければならない。その手続きは無料である。PO自身、自発的に報道を問題にできるし、第三者も申し立てできるが、その際は当事者の文書による承諾が不可欠である。
申し立てを受けてPOは、新聞社・雑誌社に苦情に関して釈明させる。調査も行う。報道倫理綱領に照らして苦情が正当だとPOが認める場合には、報道評議会へ送付される。報道評議会はPOから送付されてきた苦情を審議し、採決し、新聞を叱責するか放免するかについて裁定を下す。採決で賛否同数の場合は、議長が決定票をもつ。POは原則として報道評議会の審議には参加しない。
報道評議会は、裁定文(原語は「意見の声明書」)を出すことによって採決を知らせる。新聞・雑誌が叱責された場合は、その裁定文を新聞・雑誌の目立つところに載せ、報道評議会に手数料(一種の罰金)を支払わなければならない。この手数料がPO・報道評議会の運営資金の一部にあてられる。
POはまた、記事の訂正や苦情申立て人からの反論を新聞・雑誌に載せさせるよう努める。報道評議会に送られない事例の中は、新聞社・雑誌社による謝罪、訂正、反論掲載などの措置(民事訴訟での示談に近い)により苦情申立て人との間で和解が成立する場合が多数ある。
以上をモデル化したものが次の図である。
[スウェーデンの報道評議会とプレスオンブズマン 新聞・雑誌による人権侵害の救済の仕組み]
(「匿名報道 メディア責任制度の確立を」から参照し、一部修正)
POや報道評議会は司法機関ではないが、手続きは裁判に似ている。また、報道被害者などの関係者にとって、POへの苦情申し立ては裁判所へいくよりずっと簡単で、はるかに安上がりである。申立て人は新聞社・雑誌社に対して訴訟を起こすことも妨げられていない。しかし、その場合には、裁判に先立ち報道評議会から出された裁定文は、裁判では意味を持たない。
新聞社に対する罰金の要求が第一の関心ごとであるならば、通常の裁判の名誉毀損所訴訟のような法的手段を利用しなければならない。
スウェーデンにおいて報道評議会とプレスオンブズマンは十分に効力を果たしているといえる。今までの日本では、メディアが人権侵害という指摘を受けてもまともに取り合ってこなかった。しかし、スウェーデンではこのような機関が存在することで、メディアが真剣にこの問題に取り組まざるを得ない環境を作り出すことに成功している。日本においては以前よりは誠意ある対応が見られるようになってきたが、十分な対応とはまだまだ言い難い。
*「現実の悪意」: 報道機関がその報道内容が虚偽であることを知っているか、またはその真実性をまったく顧慮しないでなされたこと
◇ 章立て ◇
犯罪報道による人権侵害、報道被害をなくしていくためにということで「匿名報道主義」、解決していくためにということで「メディア責任制度」という考えが先行研究では提言されている。まずはじめに匿名報道の是非について考察してみることにする。そして次にメディア責任制度の日本における展開と、その提言を見ていくことにする。
現在、日本では実名報道と匿名報道を状況によって使い分けているが、原則的には実名報道というのが犯罪報道の基本である。
弁護士などはこの犯罪報道について原則匿名で報道すべきであると提言している。この「匿名報道主義」について同志社大学浅野健一教授は次のように述べている。
「権力の統治過程にかかわる問題以外の一般刑事事件においては、被疑者・被告人・囚人の名前は原則として報道しない」と定義した。政治家、上級公務員、警察幹部、大企業経営者、労働組合幹部など社会的に大きな影響力のある「公人」が、その立場や職務を利用して犯罪を犯したと疑われた場合、市民はその公人の名前を知る必要がある(顕名報道)が、一般市民(私人)の事件では、名前を知る必要はない(匿名報道)。
この原則匿名報道とはスウェーデンに習ったものである。スウェーデンでは「報道倫理綱領」に、メディアが守るべき報道基準が具体的に書かれている。
- 姓名の報道により、当事者を傷つける結果を招くかもしれないことについて、注意深く考慮しなければならない。とくに一般市民の関心と利益の重要性が明白に存在しているとみなされる場合のほかは、姓名の報道は控えるべきである。(15条)
(「匿名報道 メディア責任制度の確立を」から引用)
「明白な一般市民の関心と利益が」ないかぎり匿名報道が原則であり、氏名を明らかにする報道(顕名報道)は、例外的扱いとなる。その主な対象は、政治家・高級公務員・財界人・労働組合幹部などの犯罪や「疑惑」、警察などの権力犯罪とされてきた。
これらがスウェーデンでなりたってきたのは、世界に先駆けて情報公開制度を取り入れるなどに見られるスウェーデンの人権意識の高さに拠るところが少なくない。一方、日本においては人権に対する意識は低いと言わざるを得ない。
だからこそ導入するべきだという考えもあるが、現実のところは今すぐに日本に導入するのは現状では無理だと思う。メディア側もメディア責任制度には一定の理解を示しているものの、匿名報道の導入にはまだまだ及び腰である。というよりもかたくなに拒んでいるとも言える。
私自身の考えとしても、匿名報道の導入は現実的には無理であると思う。ただし、匿名報道そのものには反対ではない。業界、各社ごとにある一定の期間、ある特定の事件・事故について試験的に匿名報道を導入する取り組みがあってもいいと思う。
メディアは匿名報道そのものにアレルギー反応を示すのではなく、そこで得られることから導入の是非について検討する姿勢があって然るべきだと思う。
◇ 章立て ◇
今までメディアには、報道被害の「加害者」であるという自覚やこういう事態に対する認識が乏しかった。しかし、公権力からの規制と市民のマスコミへの根強い不信感の板ばさみにあった今、ようやくメディアは重い腰を上げたといえる。
その動きは第3章と第4章で見てきた通りである。報道被害に対する救済は、決して十分ではない。すなわち、まず自主的な救済として、被害者が直接、報道機関に対して救済を求めても、直ちに救済が実現することはない。
第4章で見たように「日本型オンブズマン」ともいうべき制度を発足させたところはあるものの、まだ苦情処理的な域をでないものもあり、市民の権利救済の観点から見ると、報道による人権侵害に関して、市民の救済が必ずしも十分に責任をもって、公平に実現されているとは言い難い。
そこで、今現在あるメディアの救済機関が成熟していくことはいうまでもないが、第5章で紹介したスウェーデンの報道評議会を日本に即した形で導入していくことが望ましいと思う。
これから紹介する「日本版報道評議会」の案は、「コミッティー21」という報道被害に取り組む七名の有識者が提言しているものである。私自身、この考えに非常に賛同できたのでここで紹介する。
共同提言 ≪メディアと市民・評議会≫を提案する
―新聞・雑誌・出版に市民アクセスの仕組みを
<コミッティー21>
原寿雄(ジャーナリスト)/前澤猛(東京経済大学教授)
桂敬一(東京情報大学教授)/梓澤和幸(弁護士)
藤森研(朝日新聞論説委員)/田島泰彦(上智大学教授)
飯田正剛(弁護士)
≪メディアと市民・評議会≫
目的・性格
- ≪メディアと市民・評議会≫は、言論・報道の自由を守り、取材・報道による市民の権利侵害を救済し、メディア倫理の維持向上を図ることを目的として、新聞・雑誌・出版界と市民・専門家が共同で設置する自主的な機関である。
- 評議会は、その設置・活動などについて、行政機関や国会などからの公的な規制・監督は一切受けない。
組織・機構
- 評議会は、評議会の目的や職務につき理解と見識をもつ者によって構成する。
- メンバーの選定に際しては、新聞・雑誌・出版界の関係者とそれ以外の外部の専門家・市民などのバランスに配慮する。
- 委員長は、メディアに所属しない外部の者から選ぶこととする。
- 新聞・雑誌・出版の言論・報道の自由の侵害に関わる問題を議論し、必要な措置をとるため、評議会の中に*「21条委員会」を別に設置する。
職務
- 評議会は、名誉やプライバシーなど取材・報道・出版による市民の権利侵害を救済し、新聞・雑誌・出版によるメディア倫理の違反を是正し、その回復を図ることを主たる任務とする。
- 評議会はまた、21条委員会を通して、新聞・雑誌・出版の言論・報道の自由に対する侵害の問題もとりあげ、必要な場合は一定の措置をとる。
手続き
- 評議会は、市民からの救済・是正申し立ての苦情を受け付け、事案を調査・審理のうえ、適切な措置の助言・勧告等を含む、裁定を下すことができる。
- 評議会は、極めて重大な事案については、救済・是正の申し立てを受けなくとも、その職権により事案を調査・審理のうえ、一定の措置を含む裁定を下すことができる。
- 評議会は、当事者の申し立てにより、ヒヤリングの手続きを行うことができる。
- 評議会および21条委員会は、特段の理由がない限り、その議事等を公開する。
救済・措置
- 評議会は、裁定内容を公表するとともに、違反した新聞・雑誌等に裁定を適切な大きさで掲載することを求めることができる。評議会は、必要と考える場合には、発行者に対して、訂正、謝罪、反論掲載等の措置をとるよう助言・勧告などができる。
- 21条委員会は、言論・報道の自由を侵害する事案や問題が生じた場合には、適宜見解、勧告等により意見を表明することができる。
*「21条委員会」:名称は、表現の自由を保障する憲法二十一条に由来する
(「報道の自由と人権救済 《メディアと市民・評議会》をめざして」を引用)
この提言による評議会が実現されていけば、前述した市民のメディアへのアクセス権が今よりも克服されていくと思う。そうすることでメディア側も市民の声を聞くことができ、それをまた報道に反映していくことができる。そして、そうすべきである。そのためには、評議会のメンバーにメディア側ではない(決してメディアに悪意などを持っているというわけではない)一般市民をもっと認めるべきであると思う。
この動きと市民のメディアへの参加というメディア・リテラシーの動きが連動して行われていけば、だいぶメディアの風通しがよくなると思う。
◇ 章立て ◇
報道被害を解決していくためには、メディアによる取材時での
「予防・防止」と、もし起こってしまった場合の
「救済」という二つの取り組みが必要である。
「予防・防止」という点では、第3章で述べた
①記者クラブの改革、
②メディア・スクラムへの取り組みを見てきた。そして情報を受け取る側の私たちがより主体的に判断できるようにということで、
メディア・リテラシーについて見てきた。
「救済」という点では
第4章で各報道機関の報道被害救済への取り組みについて見てきた。さらに
第5章では、海外と日本の報道被害の事例を比較し、名誉毀損訴訟について見てきた。また第4章で紹介したメディア責任制度の結実として、第5章で見たスウェーデンの報道評議会をモデルとして、日本型の報道評議会を設立すべきであるという提言を見てきた。
次に挙げるのは、今まで考察してきたことを踏まえて、私が考える報道被害を解決していくための提言である。
- 記者クラブの改革、メディア・スクラム改善への取り組みから、一人一人の記者がより人権というものに配慮し、裏づけ取材の徹底を今以上に行っていくこと。
- 報道する段階においては、試験的に匿名報道を導入し、その影響について調べ、公平・公正な目でその導入の可能性を探る。
- 現状のメディア責任制度の権限を強化していくこと。
(社内オンブズマン→社外オンブズマン→報道評議会・プレスオンブズマン)
- メディア責任制度が広がりをみせていくこと。
- 第6章で提言した報道評議会を設立すること。
- メディア・リテラシーの取り組みを広め、より多くの市民がメディアの裏側を知ること。「親近感と監視」
- 名誉毀損訴訟ではアメリカ型の成立要件を参考にし、公人にはより厳しく、私人にはより手厚く、人権を保護していくこと。
これらを組み合わせていくことで報道被害を解決していくわけだが、これらすべてに共通して根底に必要とするものは、メディア側の真摯な態度、自助努力であり、市民の参加、監視である。
これらなしには、報道被害が解決していくことはない。
メディアがこれほど深刻な報道被害を引き起こし、信頼を失いながらも法規制によるメディアへの縛りはやめるべきであると多くの人が提言している。それはメディア自身に重大な被害を受けた、松本サリン事件の被害者である河野義行さんや、桶川ストーカー女子大生殺人事件の被害者の父親である猪野憲一さんもなのである。公権力からの不当な取り扱いに押しつぶされそうなったとき、救ってくれたのは自身がいったん殺されかけたメディアだった、と後に語っている。
ここまで「メディア側の取り組みに期待する」や「自助努力に期待する」など批判的な文言を並べ、報道被害の実例を提示するなどメディアの負の部分ばかりを見てきたが、私自身決してメディアを嫌っているわけではない。
むしろその逆である。メディアのもつ”力”というものに人一倍期待している人間なのである。だからこそ報道被害に真摯でないメディアの態度に憤りを感じるのである。
メディアの功罪についてよく述べられるが、罪の部分に対しての批判は少なくしていき、功の部分がもっともっと賞賛されるよう、メディアのより一層の努力を期待してやまない。そして、そうできると私は信じている。
21世紀、22世紀とメディアが、今後も人々の興味・関心のもとであり、人々が生きていく上での活力となれるような報道を心がけていってほしいと切に願う。
◇ 章立て ◇
報道被害というものを研究して思ったことは、その研究範囲が非常に多岐にわたるということだ。一面的にとらえることはまず不可能であり、様々な角度からの研究を余儀なくされた。到底すべてを網羅できたはいえないし、取り上げた分野についても研究の浅さを恥じずにはいられない。しかし幸いなことに、今後ともこの問題とは切っても切り離せない関係にある。社会人になっても一生涯の研究としてこの問題を追っていきたいと思う。
私がこのテーマを研究しようと思ったのは、「『疑惑』は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私」を読んだことがきっかけだった。あとがきに、次のくだりがある。
冤罪は他人事だと思っていたが、まさか自分がそれに巻き込まれるとは夢にも思わなかった。事件発生からわずか二十三時間で警察が犯人のレッテルを作り、マスコミが二日でそれを張ってしまった。世の中スピード時代と言われているが、あまりにも早過ぎはしないだろうか。それに引き替え、潔白の証明が如何に困難で、時間がかかるか身をもって体験した。この時代は事実検証をする時間も許されないほど、追われているのか。
(「『疑惑』は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私」から引用)
この本を読み進め、あとがきを読んだとき、この言葉ほど私の胸に迫るものはなかった。
この現実にメディアは目を背けるべきなのだろうか。
答えは「否」である。
人権の侵害が急速なスピードでなされていく中、メディアはこの問題に歩みを止めることがあってはならない。
メディアが市民のそばに真に根ざした形で、報道が成熟していくよう、その一翼を担っていきたい。
数十年後も今と同じ志を持ちつづけていたい
いったい誰のための報道なのか・・・
◇ 章立て ◇
- 喜田村洋一 『報道被害者と報道の自由』 白水社 1999年
- 毎日新聞社編 『開かれた新聞 新聞と読者のあいだで』 明石書店 2002年
- 読売新聞社編 『「人権」報道 書かれる立場、書く立場」』 中央公論新社 2003年
- 河野義行 『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』 文藝春秋 1995年
- 鳥越俊太郎、小林ゆうこ 『虚誕 警察に作られた桶川ストーカー殺人事件』 岩波書店 2002年
- 柏倉康夫 『マスコミの倫理学』 丸善株式会社 2002年
- 田島泰彦・原寿雄編 『報道の自由と人権救済 《メディアと市民・評議会》をめざして』 明石書店 2001年
- 浅野健一・山口正紀 『匿名報道 メディア責任制度の確立を』 学陽書房 1995年
- 『新マスコミ学がわかる。』 朝日新聞社 2001年
- 「朝日新聞」(紙面およびホームページ『asahi.com』 http://www.asahi.com)
- 「毎日新聞」(紙面およびホームページ『Mainichi INTERACTIVE』 http://www.mainichi.co.jp)
- 『ジュリスト』 2003年10月1日号 有斐閣
- 『出版ニュース』 2004年1月上・中旬合併号 出版ニュース社
- 日本新聞協会ホームページ http://www.pressnet.or.jp/
- 日本民間放送連盟ホームページ http://www.nab.or.jp/htm/ethics/antireg.html
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- 日本ペンクラブホームページ http://www.japanpen.or.jp/honkan/seimei.html
- 日本新聞労働組合連合ホームページ http://www.shinbunroren.or.jp/030411.htm
- 日本民間放送労働組合連合会ホームページ http://www.iijnet.or.jp/minpo/message/message.html#031210
- 日本出版労働組合連合会ホームページ http://www.syuppan.net/
- 放送倫理番組向上機構ホームページ http://www.bpo.gr.jp/brc/f-n-kujou.html
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- 首相官邸ホームページ http://www.kantei.go.jp/
- 法務省ホームページ http://www.moj.go.jp/
- 総務省ホームページ http://www.soumu.go.jp/
- 長野県ホームページ http://www.pref.nagano.jp/
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- 報道被害救済弁護士ネットワーク http://hodohigai.infoseek.livedoor.net/
- 日本弁護士連合会 http://www.nichibenren.or.jp/
- 人権と報道・連絡会ホームページ http://www.jca.apc.org/~jimporen/