加藤 啓太(Keita Kato)

早稲田大学社会科学部 上沼ゼミナール(政策科学研究)




テーマ:日本の報道被害救済制度について考える
ケース:法規制で問われるメディアの自律



◇ 章立て ◇

序章: 研究動機  
第1章: メディア規制法案を考える ①メディア規制法案とは?
②個人情報保護法案
③人権擁護法案
④メディア側の法案への反対表明
⑤”新”個人情報保護法の成立
第2章: 報道被害の実例 ①報道被害の定義
②報道被害の実情
③具体的な事例
第3章: 原因分析 犯罪報道の構造的問題 ①被害の構造的問題
②記者クラブ
③メディア・スクラム
④メディア・リテラシー
第4章: 各報道機関の報道被害救済への取り組み    

①メディア責任制度
②報道機関の救済制度
第5章: 海外における報道被害の実例と対策

①報道被害の実例と名誉毀損訴訟
②報道評議会とプレスオンブズマン
第6章: 報道被害を解決していくために ①匿名報道
②メディア責任制度の展開と提言
③報道被害を解決していくために
最終章: 所感




~研究動機~

 「冤罪事件は他人事だと思っていたが、まさか自分がそれに巻き込まれるとは夢にも思わなかった。」
 

 これは1994年に長野県松本市で起こった松本サリン事件で犯人視報道を受けた河野義行さんの言葉である。


河野さんはまったくの無実であるにもかかわらず、メディアによって渦中の人物へとスポットを当てられ、
あわや逮捕の一歩手前まで追い込まれるという重大な報道被害を被った。

 1995年に東京都でオウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、オウム真理教が強制捜査を受け
松本智津夫代表を逮捕し、マスコミ各社、野中広務国家公安委員長(当時)が謝罪するまで一貫して河野氏への疑惑が晴れることはなかった。

 松本サリン事件は、普通の日常を望む一般市民にもその事件が身辺に起こったというだけで、生活そのものを奪われ、ある日を境に犯人に転落してしまう可能性、すなわち誰にでも報道被害が起こり得る可能性があることを私たちに示した事件であった。

 

 ここ数年、メディアの行き過ぎた報道が取り沙汰されているが、政府はそれらの規制を含めたメディア規制法案を国会に提出した。これらの法案は公権力のメディアへの介入であると、各メディアはこぞって反対を表明し、各地で様々なキャンペーン活動を行った。

 ここで特筆すべきことは、メディアによって報道被害を被った松本サリン事件の被害者河野義行さんや桶川女子大生刺殺事件の被害者の遺族である猪野夫妻もまた反対を表明していることである。

 河野さんは「私は報道によって社会的に抹殺されかけた。でも、メディアがなければ、私は逮捕されていた。メディア自身の問題はメディア自身が解決すべきです。」と語っている。

 今日、私たちの日常はメディアの存在を抜きにして考えることはできない、と言っても過言ではないだろう。私たちはメディアから伝わる情報を受動的に受け取ってしまいがちであり、さらにはメディアからの情報は正しいものであると盲従的に信じてしまいがちである。このような事件が再び起きた場合、第二の河野さんを生んでしまう可能性は少なくないと思う。

 もともとマスコミというものに興味があったが、来年からマスコミに就職することが決まった現在、もはやこの問題は他人事ではない。自分自身がメディアの一員として真摯にこの問題に取り組んでいきたいと思い、研究を決意した。


◇ 章立て ◇

第1章: メディア規制法案を考える


①メディア規制法案とは?


 メディア規制法案とは、政府が国会に提出した「個人情報保護法案」、「人権擁護法案」、「青少年有害社会環境対策基本法案」の三点セットをさすものである。
 これらのメディア規制法案は単に表現の自由やメディアに対する規制だけをさしているものではない。
 個人情報保護法案は、2002年8月5日から始動し始めた住民基本台帳ネットワークシステムが管理する個人情報を保護するのに必要であり、また、IT時代を迎えて、個人情報の漏洩や目的外使用が頻発したことから必要とされるものである。
 人権擁護法の制定と人権救済機関の設置には、国内の人権団体などから強い要請があり、国際的に見ても、1993年には国連が人権機関の基準を定めた「パリ原則」が採択され、多くの国で人権機関が設けられた。
 ここでは、これらの法案の中でも、私の研究する報道被害の部分に範囲を限定して見ていこうと思う。



 この十年の日本を振り返ってみると、「松本サリン事件」、「地下鉄サリン事件」、「神戸児童連続殺傷事件」、「和歌山カレー事件」、「大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件」など、大きな事件が起きる度に強制捜査前や逮捕前の集中的な取材・報道や、別件逮捕をめぐる報道、少年が起こした事件の報道と情報公開の関係などが問題となった。
さらには、「桶川女子大生ストーカー殺害事件」、「新潟女性監禁事件」では、被害者の人権を侵害しかねない取材・報道が指摘された。そしてこうした事件の度に、被害者やその関係者からマスコミに対する強い不信の声が起こった。

 事件が起こる。するとテレビ、新聞、雑誌が一斉に、事件や事故の関係者に殺到して報道合戦が繰り広げられる。犯罪被害者の場合でも、本人はもとより家族や周辺の人たちまでが巻き込まれて、人権が無視されかねない事態が頻発している。こうした、いわゆる集団的加熱取材(メディアスクラム)が、マスコミへの嫌悪感を助長している。

 こうした国民によるマスコミへの嫌悪感・不信感の声や、日本弁護士連合会が人権と報道をめぐる問題について本格的な検討を行い、「人権と報道に関する宣言」を採択した一連の流れを受けて、メディア側による自主的な改善の動きが見られた。 *これらは後の章で考察する。

その一方で、報道機関に対して法務省が勧告を行う事態が相次いだ。「東京電力女性社員殺人事件」を報じた『週間大衆』の記事、あるいは「神戸児童連続殺傷事件」に関する『フォーカス』と『週刊新潮』の記事については、少年の顔写真を掲載するなど、少年法で保護されている少年の人権を審判したというもので、この事件については『文藝春秋』、『週間現代』も勧告を受けた。

 そして政府は2001年3月に、「個人情報保護法案」を閣議決定し、議案を国会に提出した。2002年の3月には、これに加えて「人権擁護法案」も提出され、与野党で検討されている「青少年有害社会環境対策基本法案」を加えた三法案については、新聞、放送、雑誌を問わず、マスメディアの側は反対の意向を表明した。

 「個人情報保護法案」はその後、第155回国会で廃案となり、修正され再提出され、第156回国会で平成15年5月23日に可決され成立した。その他の二つの法案についても現在も審議中であり、成立の方向に向かっていくと思われる。

  <個人情報とは>

 個人情報とは氏名、生年月日などの個人を識別できるものから、病歴、犯罪歴、思想・信条などの秘密にしておきたいことなども含まれる。個人情報保護法案とは、文字通りこれらの「個人に関する情報を保護しよう」という法案である。

 昨今の個人情報を保護しようという意識、つまり国民のプライバシー意識の高まりを表す顕著な例がある。
NTT東日本が契約している住宅用加入電話は、2002年3月現在、約1,885万1千件にのぼるが、同社によれば、契約者の約40%もの人たちは電話帳に自分の電話番号や氏名、住所を掲載するのを断っているという。


 一昔前であれば電話帳に登録することは感覚的にごく当たり前のことだったように感じる。しかし、この例から見ても分かるように、プライバシーに対する意識が非常に高まってきたのである。その要因としてあげられるのは、90年代に急進展したコンピューターによる高度情報化と、それを応用したビジネスの展開である。
 個人情報をコンピューターで簡単に整理し必要な形で取り出しやすくなったことにで、セールスの分野ではダイレクトメールや電話による直接の、しかも繰り返しの売り込み手法が普及するようになった。

 そのために必要な個人情報は、本人に断りなく、いわゆる名簿業者が様々な企業の社員名簿や大学、高校の同窓会名簿などを入手して個人情報を売ったり、特定の企業が収集した個人情報を関連会社に流して転用したりしてきている。
誰しもが経験したことはあると思うが、ある日、自分が全然知らないところから、特別セールスや会員募集などの案内はがきが送られてきたり、電話がかかってくるのはそのためである。
 最近、いわゆる「架空請求」問題が世間を騒がせている。アダルトサイトの利用代金が未納であると、第三者がその企業の代理として請求をし、銀行口座などを利用し代金を振り込ませる詐欺事件である。
私のところにも2004年の新年早々、三通も架空請求の郵便が送られてきた。
大量の伝達により感覚が麻痺している方も多いと思うが、携帯電話で送られてくる出会い系のメール、迷惑メールも個人情報流出の一つである。
 これらのことを通じて広がっている「なぜ、自分の名前や住所までが知られているのだろう」という不安が、国民のプライバシー意識の高まりに拍車をかけているといえるだろう。



◇ 章立て ◇

② 個人情報保護法案



個人情報保護法案


<背景>

 国際的に、1960年代後半から個人情報のコンピューター処理が広がりを見せた。それとともに個人情報の保護が関心を集めるようになり、1973年のスウェーデン「データ法」を皮切りに欧米諸国で個人情報保護法制が相次いで整備されていった。
 1980年には、OECD(経済協力開発機構)において「プライバシーの保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告(いわゆるOECDガイドライン)」が採択された。このガイドラインに示されたプライバシーと個人の自由の保護に係る原則(OECD8原則)を国内法の中で考慮すべきことが加盟国に求められた。
 この法案は上記の理由とともに、IT化政策の一環である住民基本台帳ネットワークシステムを管理していく上で必要不可欠なものであるということから法整備が検討されたものである。



この法案は、個人情報を守る仕組みを「基本原則」と「義務規定」の2本立てでつくっている。

 「基本原則」は、次の五項目からなっている。

  • 「利用目的にによる制限」
    個人情報を集める際には、その利用目的を当事者(情報主体)に示すとともに、その情報は目的の範囲内で利用するべきこととする
  • 「適正な取得」
    個人情報は違法でない、適正な方法で集めねばならないとする
  • 「正確性の確保」
    利用するため保管している個人情報は、その内容が月日とともに変わるなどしたら修正し、正確性を保つべきこととする
  • 「安全性の確保」
    個人情報の漏洩や棄損を防ぐよう求める
  • 「透明性の確保」
    個人情報を集め保管している者に対して、情報の当事者が、自身に関する情報を「見せてほしい」、「内容を訂正してほしい」と求める場合には適切に対応しなければならないとする


 この個人情報の取り扱いについて、報道目的、学術、宗教活動、政治活動の四つの分野においては「義務規定」の適用を除外される。「報道であるかどうか」は主務大臣が判断する。
「基本原則」はどの分野においても適用される。なお、報道目的の中にはフリーのジャーナリスト、著述業などは含まれていない。
義務規定の命令違反には、6カ月以下の懲役か30万円以下の罰金が課せられる。





◇ 章立て ◇

③ 人権擁護法案



人権擁護法案


 前述してあるように人権・プライバシー意識の高まりや、コンピューターで個人情報が多量に扱われる時代になったことで、人権・プライバシーを保護する法制度の必要性が高まった。そこで、こうした事情を背景に政府が人権擁護法案をまとめた。しかし、そこにはメディア規制という方向性が残された。
 人権擁護法案はこちらから参照していただくことにして、その要旨を見ていくことにする。
 なお、以下の図は法務省のHPを参照。人権委員会の概略、人権救済の手続きをモデル化したものである。



(法務省のホームページから引用)

 法案の目的は、人権侵害を迅速に排除できる救済機関を設けることである。法案は、「報道被害」を人権侵害の一つとみなし、「救済してほしい」をいう申し立てがあれば、人権委員会が「一般救済手続き」「特別救済手続き」を取ることを可能にする。
 裁判所とは別に新たな人権救済の国家機関を作るということである。この機関は法務省の外局という位置付けになっていて、人権委員会は「法務大臣の所轄に属する」とされている。その機関が対象者に規制権限を行使することになる。

 ≪一般救済手続き≫
強制力を伴わない調査。規制措置としては、助言、紹介、援助、指導、通告等で、言わば緩やかな形で規律をするものである。
 ≪特別救済手続き≫
強制力を持つ。例えば、出頭の強制や文書の提出を強制する等の形で調査。救済方法は調停、仲裁や勧告・公表、訴訟援助、という類型。一番強力なのが、一定の行為の差し止めを裁判所に求め、訴訟を提起するという措置。

規制措置の対象は、
  1. 不当な差別的取り扱い
  2. 差別的言動と性的な言動
  3. 虐待
  4. 報道機関等による犯罪被害者等への人権侵害
  5. それらに準ずる人権侵害
  6. 差別的取り扱いを助長・誘発する行為


 救済対象者を、犯罪行為により被害を受けた者、犯罪行為を行った少年・少女、犯罪行為により被害を受けた者または犯罪行為を行った者の配偶者、直系もしくは同居の親族または兄弟姉妹、と限定している。
 その上で、二種類の侵害行為について次のように規定している。

①私生活に関する事実をみだりに報道し、名誉または生活の平穏を著しく害すること。
②取材を拒んでいるにもかかわらず、「次のいずれかの行為」を継続的にまたは反復して行い、生活の平穏を著しく害すること。

具体的には、
1 つきまとい、待ち伏せ、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所の付近において見張りをし、またはこれらの場所に押しかけること。
2 電話をかけ、またはファクシミリ装置を用いて送信すること。




 
◇ 章立て ◇

④ メディア側の法案への反対表明



<法案への反対声明>

 しかし、救済対象に初めて「報道被害」を含めたことから、憲法で保障された表現・報道の自由に公権力が介入する恐れがあるという見方が広がった。
 「プライバシーの保護」を目的に掲げたこれらの法案も、表現・報道の自由に対する法規制という問題点を抱えているとして、新聞、放送界や日本ペンクラブに所属する作家、フリーライターなどが問題視した。
ここで、その反対声明を業界別に挙げる。そこからこれらの法案の問題点を見ていく。
 具体的な声明の内容は各団体のHP上で確認してほしい。



メディア規制法案に対する反対声明
新聞 社団法人 日本新聞協会
放送 日本民間放送連盟
出版 日本雑誌協会(JMPA)
労働組合 日本ペンクラブ
新聞労連(日本新聞労働組合連合)
民放労連(日本民間放送労働組合連合会)
出版労連(日本出版労働組合連合会)


各団体の主張を要約すると、問題点は以下のようにまとめられる。


<個人情報保護法案>

 表現・報道の自由との関係でまず問題視されたのは「基本原則」である。
 いずれも、プライバシーの保護のためには必要な要素といえる。だが、取材・報道との関連でみると、例えば、様々な疑惑や不祥事の当事者は、自分に関する取材が進められていることに気付いた時点で、「透明性の確保」原則を理由に、取材 記者が集めた情報を「見せてほしい」と要求するような事態が起きる可能性がある。
 取材記者が、疑惑や不祥事の当事者について集めた情報を見せれば、その本人が証拠隠滅を図ったり、実際には訂正しなければならないような誤りがないのに、取材・収集情報の内容を訂正するように求め、結果的に取材を続けにくくしたりする恐れがある。
 政府側は、「『基本原則』は守らなくても処罰されない努力義務にすぎないし、『基本原則』をより詳しく書いた罰則付き義務規定は報道機関には適用しないようにしているから、報道を規制することにはならない」などと説明してきた。だが、「報道によってプライバシーが侵害された」といった訴訟が起こされた場合、裁判官が、その訴訟で問題にされた取材・報道について「『基本原則』に違反していなかったかどうか」を判決の判断基準にする可能性があることは、政府側も否定していない。「基本原則」が訴訟でそのように使われるのならば、単なる努力義務規定ではなく、表現・報道活動を実質束縛する力を持つ規定ということになる。

<人権擁護法案>
  • 新設される「人権委員会」が、政治家や官僚などの思惑に左右されずに調査や救済を実施できる、という意味での「独立性」が確保されるのか
  • 人権委員会が「報道被害の救済」という理由で、実際には必要もないのに取材や報道を妨げるような介入を故意に行う余地があるのではないか
  • 人権委員会が、調停、仲裁や勧告、訴訟援助や、それらの必要性を判断するための調査を適切に行わなかった場合でも、「人権侵害者」とみなされた側は、報道機関も含め、異議申し立てを行うことができず、人権委員会は誰からもチェックされない


<もしこれらの法案が成立したら>

 法案の問題点は、具体的にどういった形で現実化するのか、仮に検察官の家族が何らかの犯罪を起こしたケースと、実際に起きた鈴木宗男代議士(当時)のケースを用いて考えてみることにする。
<CASE 1>

 メディアは、犯罪の動機や経過、背景などを取材するため、検察官の勤務先や自宅を訪ねたり、取材範囲を検察官の兄弟など親族に広げる場合もある。しかし、不祥事の当事者や周辺関係者はふつう、事情を進んで説明してはくれない。逆に、何とか取材を避けようと、普段使う出入り口を変更したり不在を装ったりする。そのため、勤務先や自宅への訪問とか電話連絡は、繰り返し行われがちになる。
 もし、その検察官が「メディアの取材は人権侵害にあたるほどひどい」として人権委員会に救済を申し立てた場合、人権委員会は「つきまとい、待ち伏せ」や繰り返しの電話、ファックスが人権侵害行為に該当する疑いがあるとみて調査に乗り出し、「人権侵害だ」との結論を出す可能性がある。
 また、取材について「報道被害の疑いがある」という理由で人権委員会が調査を行うことにした場合、懸念されるのは、その調査を通じ、誰から取材しているかを知られてしまう事態が起こりかねないことだ。誰から取材し情報を入手しているかを知られれば、そのジャーナリストは情報提供者から信頼されなくなり、取材を続けることは難しくなる。
そのため、「取材源の秘匿」は取材・報道の大原則になっているが、法案のような人権救済システムでは、その原則が守れなくなる恐れがある。


 その判断が恣意的に検察官に有利に行われるのではないかと疑わせるのは、法案第七条によれば、人権委員会は「法務大臣の所轄に属する」とされているため、取材や報道を恣意的に妨げることを可能にするような余地があるからである。
 検察官が勤務する検察庁は法務省に属する官庁である。人権委員会も同じ法務大臣の管轄に属する機関になるとすれば、人権委員会が検察官の絡む不祥事について、メディアが追求しにくくする結論を下す可能性が出てくる。そう見ても不自然ではないだろう。実際、身内意識によるかばい合いや不祥事隠しが、様々な分野で起きてきた現実がある。

 法務省にはまた、出入国管理局とその出先機関、刑務所や拘置所など、これまで人権侵害を起こしてきた組織も所属している。検察官も容疑者の取り調べの際に暴力を振るうなど人権侵害を起こしたことがあるほか、検察庁と密接な協力関係にある警察も同様な問題を抱えている。
 それらの機関の職員がかかわる人権侵害トラブルについて、被害者から救済申し立てが行われた場合、関係職員が「人権侵害者」として扱われないよう、法務大臣や法務官僚が、いわば仲間内の関係にある人権委員会に圧力をかける可能性があるのではないかという問題がある。

 政府側は、人権委員会の委員長と委員は「両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」(人権擁護法案九条)から、委員会の独立性が保たれると説明した。しかし、人権委員会の人選も、どの組織の誰が推薦するのかがカギになるが、人権委員会が法務省の所轄する機関となれば、法務官僚が推薦した委員を中心に構成される可能性が高くなる。
 第三者的な独立性が求められる政府機関であっても、様々な関係者の思惑がらみの人選に巻き込まれるのは現実的に考えられるだろう。
 そのような選任で組織される人権委員会は、法務省所轄機関の職員など「仲間内」にあたる公務員などが起こす人権侵害トラブルを真に公正・中立な立場で調査し、被害者を適切に救済する措置をとれるのかどうか、そうしたトラブルを追求しようとするメディアの取材・報道を恣意的に妨げる恐れがありはしないかが疑問視されたのである。
 国連規約人権委員会は98年に日本の人権擁護体制について最終所見をまとめた。その勧告は「人権侵害の申し立てを調査するための独立の機構の設立」を求めていたが、「法務省の所轄」とされる人権委員会はその趣旨に合う機関とは言えない。





<CASE 2>

 メディアは鈴木氏の様々な疑惑を明らかにするために関係者に取材するが、単にある事実を確認するというだけでなく、疑惑に関する構造的な問題や背景を掘り下げるために鈴木氏の経歴や政治活動についての記録、資産、人脈など、鈴木氏にかかわる情報を集める。
 「目的を明確にし、その目的の範囲内で扱うこと」という基本原則が適用されるならば、記事になる前の段階で鈴木氏に対して「あなたの疑惑を記事にするために情報を集めていますよ」と断らねばならない。「本人が適切に関与できるように配慮すること」であるなら、鈴木氏から「その情報は使ってはいけない」とか、「集めた情報を見せろ」「それは違うから訂正しろ」などと言われかねない。これでは取材や報道がまったく成り立たなくなるだろう。


 法案づくりにかかわった国会議員や行政には「基本原則は罰則がなく、単に努力するよう求めているだけ」という意見が多い。しかしプライバシー侵害などの裁判になった場合、基本原則に反しているかどうかが判決のひとつの判断基準にはなる。

 問題は基本原則ばかりでない。法案は「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」が「報道目的」で個人情報を扱う場合、罰則付きの義務規定を適用しないと定める。だが、ある記事を載せたメディアが報道機関かどうか、目的が報道といえるのかどうか、文学で個人情報を扱うときも報道に該当するのかどうか――という点について判断するのは主務大臣だ。仮に大臣が「これは記事の体裁をとっているけれど『報道』といえませんね」と考えたら義務規定が適用されてしまう。場合によっては懲役刑まで受けてしまう。

 報道被害の規定の文言があいまいであることも、メディアへの恣意的介入を可能にする余地がある。
 例えば、「待ち伏せ」「つきまとい」などの方法も、普段から取材を受ける機会が多い政治家や官僚、芸能人などの場合は「報道被害だ」と感じる可能性は小さいだろう。そのような著名人であっても、取材を妨げようとすれば、このような規定を利用できるというところに問題がある。「みだりに報道し」「平穏を著しく害する」などの要件も抽象的で、ささいな取材トラブルでも「著しい害を与えた」などと解釈される文言である。
 例えば、田中真紀子・衆院議員は秘書の給与支払い疑惑について、2002年8月に国会議員を辞職する以前にメディア側の集中的取材を国会内で再三受けたことから、国会側に善処を申し入れたことがある。この場合に期待された「善処」とは取材の規制ということだったろう。

 そのように、公人であっても自身に不都合な問題でのメディアの取材は何としても避けたいという傾向がある。その取材テーマが法案の規定するような犯罪絡みで、かつメディア側が、嫌疑がかけられている人物の親族などにまで取材を広げようとした場合、法案にある取材手法の制限規定が利用される可能性は否定できない。

 なお、電話やファックスによる取材を報道被害の対象とした規定があるが、北方領土支援事業などをめぐる疑惑が2002年2月以降に浮上し、強制捜査も受けた鈴木宗男・元北海道・沖縄開発庁長官のように、最近では疑惑の対象となった人物が取材をファックスで行うよう求め、ファックスで回答するケースも見られている。

 法案が人権侵害にあたるとしている「付きまとい」「待ち伏せ」などの表現は否定的な印象を与える文言だが、メディアにとって深刻なのは、それらの類型の取材方法は「熱心で粘り強い取材」に欠かせないものだという点である。もちろん、行き過ぎは慎まねばならないが、こうした取材方法を規制できる法律が制定されれば、真実に迫る取材を行いにくくなる可能性が高まることは確かである。



◇ 章立て ◇

⑤ ”新”個人情報保護法の成立


 これらの反対の声から、政府・与党は法案の修正を余儀なくされた。その結果、この法案は国会で計四回継続審議の末に廃案になった。その後与党は新たな法案を第156回通常国会に提出し、平成15年5月23日に可決・成立した。
 個人情報保護関係5法案の中から個人情報保護法に限定して見てみる。

個人情報保護法


 詳しい条文はこちらから参照していただきたい。特に第3条と第50条に注意して見ていただきたい。

第三条 個人情報は、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものであることにかんがみ、その適正な取扱いが図られなければならない。

第五十条 個人情報取扱事業者のうち次の各号に掲げる者については、その個人情報を取り扱う目的の全部又は一部がそれぞれ当該各号に規定する目的であるときは、前章の規定は、適用しない。
 
  1. 放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関(報道を業として行う個人を含む。)   報道の用に供する目的  
  2. 著述を業として行う者 著述の用に供する目的  
  3. 大学その他の学術研究を目的とする機関若しくは団体又はそれらに属する者 学術   研究の用に供する目的  
  4. 宗教団体 宗教活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的  
  5. 政治団体 政治活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的

2 前項第一号に規定する「報道」とは、不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること(これに基づいて意見又は見解を述べることを含む。)をいう。
3 第一項各号に掲げる個人情報取扱事業者は、個人データの安全管理のために必要かつ適切な措置、個人情報の取扱いに関する苦情の処理その他の個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な措置を自ら講じ、かつ、当該措置の内容を公表するよう努めなければならない。

 なお、以下は旧法案との相違点とその要旨である。

    <旧法案との相違点>
  • 基本原則が削除された
  • 報道の定義が明記された
  • メディア等への情報提供者に対して主務大臣が関与をしない
  • フリージャーナリストも義務規定が適用除外になる
  • 著述業も義務規定が適用除外になる


 この法案が大きな議論を呼んだ最大の理由は、個人情報保護と報道の自由をめぐる調整である。メディア自身、個人情報を保護する法律がないのがいいといっているわけではなく、公権力によってメディア規制が行われることが問題だったのである。
基本原則が削除されたからといってベストな法律だったかというと、そうではないようである。基本原則は削除されたが「基本理念」という言葉が残った(3条)。基本原則がより抽象化されたという見方もできる。
 旧法案では基本原則の部分が裁判の基準となりうるかという議論がずいぶんなされたが、今度の法案でも基本理念が同様に基準となり得るのかが争点の一つに挙げられると思う。
その結果はというと、損害賠償請求の場面では基本理念が違法性の判断要素の一つになるだろうということである。
 特徴的なのはメディアの自主性、自主規律に委ねているところである。メディア等が義務規定を適用除外にされたのは、個人情報保護の必要性が乏しいからではなく、主務大臣の関与や罰則が報道の自由等の憲法上の権利に与える影響に配慮したためである。
そうであるからして50条3項で述べられているように、メディアが自主的な個人情報保護措置を厳正に講ずる責務は非常に重いと言えると思う。
 メディアが懸念していたことがとうとう起こってしまった。個人情報の保護に関する法律が成立したことについてだが、できてしまった以上、法を遵守していく姿勢が大切である。批判は多々あるが、誰からも批判なく支持される法律などないものである。
その中で、50条の3項でメディア側の自主性・自主規律に委ねるという方針に私は大きな評価をしたい。

 個人情報の保護に関する法律が可決されたことで、今後メディアへの風当たりはどのように変化していくのか非常に興味がある。メディア側の杞憂に終わるのか、それとも規制強化の一端となっていくのか、今後の展開を追っていきたい。
 程なく人権擁護法案と青少年有害社会環境対策基本法案も可決されるという流れは間違いないだろう。このままなし崩し的に議論が行われていくのだろうか。議論をしすぎるということはないと思う。メディアの大きな転換期であるからこそメディア側も含めて充分に議論してほしい。
 そして、賽が投げられた以上、メディア側の真摯な取り組みとそこから生まれる質の高い取材を期待する。






個人情報保護基本法制に関するこれまでの経緯

<昭和55(1980)年>
9月 プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関するOECD理事会勧告
<昭和63年>
12月16日 「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」公布
<平成11年>
6月28日 総理答弁(参議院本会議:住民基本台帳法一部改正法案質疑)
*修正案附則第1条第2項(※)の「所要の措置」とは、民間部門をも対象とした個人情報保護に関する法整備を含めたシステムを速やかに整えることなどを示すものと認識しております。・・・政府としては、個人情報保護のあり方について総合的に検討した上で、法整備を含めたシステムを速やかに整えていきたいと考えております。
(※)「この法律の施行に当たっては、政府は、個人情報の保護に万全を期するため、速やかに、所要の措置を講ずるものとする。」
7月23日 高度情報通信社会推進本部「個人情報保護検討部会」初会合
11月19日 個人情報保護検討部会「我が国における個人情報保護システムの在り方について(中間報告)」
*我が国の個人情報保護システムの中核となる基本原則等を確立するため、全分野を包括する基本法を制定することが必要である等
12月 3日 高度情報通信社会推進本部決定「我が国における個人情報保護システムの確立について」
*個人情報保護検討部会中間報告を最大限尊重し、我が国における個人情報保護システムの中核となる基本的な法制の確立に向けた具体的検討を進める
<12年>
2月 4日 高度情報通信社会推進本部「個人情報保護法制化専門委員会」初会合
6月 2日 個人情報保護法制化専門委員会「個人情報保護基本法制に関する大綱案(中間整理)」
10月11日 個人情報保護法制化専門委員会「個人情報保護基本法制に関する大綱」
10月13日 情報通信技術(IT)戦略本部決定「個人情報保護に関する基本法制の整備について」
*「個人情報保護基本法制に関する大綱」を最大限尊重し、次期通常国会への提出を目指し、個人情報保護に関する基本法制の立案作業を進める
<13年>
3月27日 「個人情報の保護に関する法律案」提出(第151回国会)
<14年>
3月15日 「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律案等4法案」提出(第154回国会)
12月 6日 「与党三党修正要綱」公表
* 与党三党としては、政府原案に対する修正方針を取りまとめ、政府に提示し、法案の次期通常国会への再提出を求めることとした
12月13日 「個人情報の保護に関する法律案」等審議未了廃案(第155回国会)
<15年>
3月 7日 「個人情報の保護に関する法律案」等再提出(第156回国会)
5月23日 「個人情報の保護に関する法律案」等成立(第156回国会)
5月30日 「個人情報の保護に関する法律案」等公布


(首相官邸ホームページ 「個人情報の保護に関する法律」より参照、一部加筆・修正)



◇ 章立て ◇


~第二章 報道被害の実例~

① 報道被害の定義

一口に報道被害といっても、まずどんなものが報道被害と呼べるのか、さらには具体的にどんな言葉、表現、状態を指すのかを理解しなければならない。

<報道被害の定義>

犯罪その他、社会的に関心のある事件・出来事についてマスコミ報道されるとき、誤った報道、行き過ぎの報道・取材により、報道された方の職業、家族との生活、人間関係などを一挙に破壊してしまうのが、報道被害である。その被害は「社会的抹殺」とも形容されるほど深刻なもので、回復困難となる。


(報道被害救済弁護士ネットワーク LAMVICのホームページから引用)



 被害者が被害回復のために弁護士に相談した実際のケースの中から、被害者が報道被害であると受け取った言葉、表現、状態を列挙してみる。

具体的な被害(事件や事故の被害に遭った方)
  • 「暴走族ではないのに暴走族であるという報道をされた」
  • 「素顔が出てしまったことによってプライバシーがなくなった」
  • 「田舎の親類にいやな思いをさせた」

具体的な被害(被害者・被告人)
  • 「住まいや名前を報じられた」
  • 「根拠のない憶測に基づく悪い話を列挙された」
  • 「事実がはっきりしていない段階で悪人のように報道された」


 ここに挙げられた実際の表現を見て、正直「この程度で」と感じる人はいると思う。というのも、あくまでも報道被害の始まりというものは主観的な感覚に左右されるものだと考えるからである。
ある状況を想定したときに、同じ表現・言い回しを同時に二人の人物に投げかけたときに、それを誉め言葉ととるか、罵詈雑言ととるか。表ととるか裏ととるかは人それぞれである。
 他人の報道被害が対岸の火事であるとのんびりしていると、気づいたときには自分の所にも火の粉が降ってきて、ある日を境に自分が火事の被害を受けないとは限らない。問題が起こってから騒ぐのではすでに遅いのである。あのときに感じた「この程度」の被害が何倍にも膨れ上がり、もう「この程度」ではすまない状態にまでなり、救済・回復が困難な状態に陥ってしまう。

 この問題の恐ろしさは、
①被害が誰にでも及ぶ可能性があること
②「いつ」起こるか分からないこと
③それは急に嵐のように訪れることである。

 高度情報化が進み、誰でもが情報を発信できる今日、私たちに求められているものは、報道被害を対岸の火事として捉えるのではなく、自分の身にも切迫した事象であると真剣に考える真摯な姿勢ではないだろうか。



 
◇ 章立て ◇

② 報道被害の実情


 メディアに被害を受けたと主観的に認識し、それが客観的な普遍性をもつことで、初めて世間で言われる「報道被害」となるのである。よって、メディアの報道によって嫌な思いをしても、人によっては当事者(当該メディア)や世間なり司法の場に訴え出る必要まではないとする人もいる。
というよりもこういうケースの方が現状としては圧倒的に多いといわれている。



被害相談の構図



 報道被害を受けたとき、被害者はまずその当該メディアに抗議、訂正を求める例が多いようである。しかし、この段階で問題が解決することはほぼ無いと言っていい。ここで泣き寝入りをしてしまう場合と、弁護士に相談する場合、BPO(放送倫理・番組向上機構)などの各種業界ごとの相談機関に問題を持ち込む場合に大別される。*なお、BPOなどの各種相談機関は章を変えて考察する。
そこから和解に至るケースと、争いの場を裁判所に移すケースとに分かれる。

 ちなみに現在の日本の法律では、何が名誉毀損に該当するかというようなことは、法律では決められていない。つまり「名誉毀損法」とか「プライバシー侵害法」などという法律は存在しない。
基本的には、民法709条と710条の二つの規定によって、財産的損害だけでなく、名誉毀損などの精神的損害があった場合にも賠償をしなければならないということが定められているだけなのである。
 そして名誉毀損がどんな場合に成立・不成立するかという判断は、裁判所が解釈として打ちだしたものであって、現在の日本の名誉毀損は、判例の積み重ねによって成立・不成立の原則が出来上がっているのである。



<被害の相談件数>

 報道被害者の数は、泣き寝入りなどの潜在的な要素や主観的な要素が絡むために特定することは非常に困難である。これから記す件数は、訴え、もしくは相談としてデータに残っていたものを拾ってきたものである。

  

被害の相談件数

弁護士 ①報道被害救済弁護士ネットワーク
②日本弁護士連合会
598件(2002年2月時点)
①79件(2001年6月18日~6月23日)【一斉相談】
メディア ①放送倫理・番組向上機構(BPO)
②放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)
①127件(2003年7月~11月の分 「問い合わせ」も含む)
②778件(1997~2002年の分)
公的機関①法務省 統計
②「人権侵犯事件」統計資料
①10112件(人権相談事件 平成14年度)
 1260件(人権侵犯事件 平成14年度)
②13件(報道機関等による 平成14年度)




 この表を見て、少ないと感じる人もいるかもしれないが、報道被害には潜在的な被害者の数が非常に多いのである。
結果として訴えでないからといってメディア側がこの問題に座していることは許されないはずである。



 
◇ 章立て ◇

③具体的な事例

 報道被害が発生した際に、重要な要素として以下のようなものが挙げられる。
  1. 報道する対象が公人か私人か
  2. 報道の公益性
  3. 報道された内容の真偽
  4. 取材の十分性

 まず初めに、報道というものは同じような主題を取り上げたものだとしても、対象がだれであるかによって社会的に許容される報道とされたり、許されない報道とされたりすることがある。そのことを不倫報道を例に見ていく。

 一般的な人、つまり私人であれば、誰と交際していようが、そのことは社会一般との関係では意味がないことであり、仮に不倫していたとしても社会全体に告知する必要はない。
 一方、対象が政治家の場合はだいぶ事情が変わってくる。政治家は、市民の私的な生活に関係する法律を制定するから、その人がそのことについてどのような意見をもっているか、自分自身でどのような生活を送っているかということは、市民として関心を抱かざるを得ない。不倫の例でいえば、戦前まではあった姦通罪という罪は、現在の日本にはないが、このような刑罰を作ったり、廃止したりする場合には、議員本人がこの点についてどのような態度をとっているかということが、当然重要である。
 さらに、具体的な法律との関係が直接に問題になっている場合でなくとも、ある人が議員としてふさわしいかどうかは、その人の人柄を離れて判断することはできない。候補者がどのような家庭生活を送っているかは、人柄や人格を判断する材料になるから、一般の人については許されない不倫報道も、政治家についてはむしろ報道されるべきものだと考えられる。つまり、政治家は公人といえる。



 公人には次の人たちが考えられる。なお、公人とされる基準は、他者の人生や生活、生命や権利などに大きな影響を与える立場の者と言えるだろう。

  • 国会議員(政治家、地方の議員や首長も)
  • 高級官僚(公務員)
  • 裁判官
  • 経済界の要人
  • 医師、弁護士
  • 作家、評論家
  • 教育者、宗教者
  • 芸能人
  • プロスポーツ選手

(『報道被害者と報道の自由』から参照)





 問題になるのは、犯罪の被疑者、被告人とされた人たちである。ある事件について捜査が適正に行われているかは、社会全体にとって重大な関心事である。またある人に対する捜査が、憲法や刑事訴訟法などの枠内で適正に行われているかということも、社会全体にとって重要である。
 したがって、被疑者や被告人との関係で、被疑事実や公訴事実に関する報道は相当であるし、これに密接に関係する事項についての報道もやむをえないとみられる。
しかし、これらの人たちは、基本的には私人として取り扱われるべきだろう。

 これから挙げるのは、メディアの報道で実際に被害に遭った事例である。
 公人と私人の具体的な例、精神障害者による事件報道の例、被害者の人権保護に関する例を用いて、上述した要素に照らし合わせて報道被害について考察してみることにする。



[公人の例]

中曽根元首相 株取引による闇政治献金疑惑


 中曽根元首相の政治団体である山王経済研究会の元会計係であった太田英子さんが、株の買占め集団として知られるコーリン産業の代表である小谷光浩代表との間で、1987年8月22日と9月21日の二回にわたって、国際航業の株式一万株を売買しているとされていた。5億1千万円で株式を購入し、一ヵ月後には6億3千万円で売り払ったことで、太田さんはわずか一ヶ月の間で差額の1億2千万円を手に入れた。

 小谷代表は、中曽根元総理の政治団体である山王経済研究会にこの株取引の2、3年前から政治献金を続けていた。太田さんは、この山王経済研究会の職員であり、中曽根首相の金庫番とも言われていた人物だった。太田さんが5億1千万円という巨額の資金をどのようにして準備したのかははっきりしなかったし、個人で用意できる金額とは到底考えられない。そもそも株式を同一人物に売却し、買い戻すことによって、相手方に多額の利益が生じ、自らが多額の損失をこうむることを十分に認識しながら通常の取引が行われるとはどうしても考えられない。

 そこでこれらの事実を踏まえて、朝日新聞は1990年1月1日の一面トップで「これらが株取引を利用した中曽根元首相への政治献金ではなかったのか、という疑いが消えない」という記事を掲載した。

横見出し:「中曽根元首相側近名義で株取引 一億二千万円の差益」
縦見出し:「62年当時『コーリン』10万株譲った一ヵ月後 高値で買い戻す」
一面見出し下:「有価証券取引書」二通が写され、株取引の当事者の名前と印鑑が見える

 この記事に対して、中曽根元首相は謝罪広告の掲載を求めて提訴した。
元首相の主張は
①中曽根元首相がコーリン産業から「濡れ手に粟」の巧妙な政治献金を得ていたという印象を読者に与える。
②本件取引の差益一億二千万円は、太田名義の株取引の形式を採ったコーリン産業の中曽根元首相にたいする実質的な闇政治献金であり、しかも取引当事者の名前が表面化しにくい相対取引の形で「差益」をまるまる手に入れる巧妙なやり方をしたものであり、政治資金規正法で定められた寄付の量的制限を免れるための偽装であるという印象を読者に与える。

というものである。
 そして、これらの点はいずれも事実に反し、清廉性を求められている政治家としての中曽根元首相の倫理性を不当に非難するものであって、その名誉を著しく毀損するとした。その上、総選挙への選挙妨害であるとも主張した。


「報道する対象が公人か私人か」⇒ 中曽根元首相は公人である。
「報道の公益性」⇒ 政治家の倫理性を問う問題であり、十分に公益性がある。
「報道された内容の真偽」⇒ 裁判での結果から記事の正確性は明らかである。
「取材の十分性」⇒ 「有価証券取引書」などの物的証拠をつかんだことからも十分だったといえる。

 この問題の名誉毀損訴訟に関しては、名誉毀損訴訟における報道機関の証明の範囲の明確化という問題に絡めて、第5章で詳しく見ていくことにする。
 なお、この訴訟の一審判決は原告敗訴(朝日新聞が勝訴)、元首相側が控訴したが、最終的に和解。 



[私人の例]

松本サリン事件

 1994年6月27日の深夜、長野県松本市の住宅街で、オウム真理教(当時)により有毒ガス「サリン」が散布され、付近の数十世帯の住民が被害に遭った。7人が死亡、52人が入院という大事件だった。この事件は、オウム真理教の信者たちが、付近に住む裁判官を狙った犯行だった。有毒ガスがサリンと知らず、有機リン系のガスであることを前提に聞き込みを行い、犯行現場の駐車場の隣に住む「河野義行」さんを限りなく黒に近い灰色として容疑者扱いをした。

 翌年、地下鉄サリン事件が発生し、山梨県にある教団施設の強制捜査が行われ、教団代表松本智津夫が逮捕されるまで、一貫として犯人視されていた。その間あらゆるメディアによって様々な報道がなされ、消し去ることのできない重大な報道被害が起こった。以下に報道の表現を挙げる。



    新聞

    6月29日
  • 「この男性は、運搬機器販売、修理会社の松本支店に勤務、二十七日深夜の有毒ガス事件で中毒症状を起こし、市内の病院で入院している。捜査本部は、今回の有毒ガス発生場所がこの男性の自宅と断定、数種類の薬品を使い農薬を調合中に失敗、毒性のガスを発生させたのではないかと見て、容態が回復次第、本格的に事情を聞く方針だ」(朝日新聞)
  • 「惨事 なぜそんなことを 数種類の農薬調合か」(信濃毎日新聞)
  • 「第一通報者宅を捜査『薬剤調合、間違えた』と救急隊に話す」(毎日新聞)

    7月15日
  • 「松本毒ガス 事件直後に会社員が農薬使用をほのめかす 退院待ち聴取へ」(読売新聞)

    7月30日
  • 「松本の有毒ガス事件 三〇~四〇人殺せる薬持っている 男性客がスナックで話す」(産経新聞)

    週刊誌

    7月14日号
  • 「『毒ガス事件』発生源の『奇怪』家系図」(週刊新潮)
 記事中では、家系、戸籍などのプライバシーを先代、先々代にまでさかのぼって書かれていた。しかもそこには事実と反することも含めて、河野さんが犯人であるという印象を作り上げかねない論旨の記事を掲載した。週刊新潮はこの後の8月14日号、11月17日号でも同様の論旨の記事を掲載しつづけた。

 河野さんによれば報道被害は、まず取材要請という形であらわれた。事件の発生とともに、警察のリークを受けてマスコミが押し寄せ、入院中から病室や自宅へと押し寄せた。1日に40~50件くらいの電話(取材要請)があり、事件当初は、勝手に河野宅に上がり込み写真を撮ったり、病室にまで入り込んで写真を撮ることもあった。
さらにこれらの報道で、一度犯人像が出来上がると、それらを鵜呑みにした世間が、無言電話や「人殺し」、「町から出て行け」といった嫌がらせの電話をかけてきた。

 


「報道する対象が公人か私人か」⇒ 明らかに河野さんは私人。『奇形家系図』は行き過ぎた報道だった。
「報道の公益性」⇒ 住宅地において原因不明のガスで8人もの方々が亡くなったことを考えれば、十分に公益性はあると考えられる。
「報道された内容の真偽」⇒ 報道は河野さんを限りなく容疑者に近い印象を与えていたが、事実は全くの無罪だった。
「取材の十分性」⇒ どのメディアも同じ方向性の報道だった。河野さんに反対材料を提示される前に、別の方向性を模索できなかったという意味では不十分。



[私人の例]

桶川女子大生ストーカー殺人事件


 1999年10月26日午後、埼玉県桶川市のJR駅前の路上で、跡見学園女子大二年の猪野詩織さん(当時21歳)が、元交際相手の兄が依頼した男に刃物で刺され、まもなく死亡した。
 詩織さんは、この元交際相手の男から、中傷ビラや怪文書、無言電話といった陰湿なストーカー行為を繰り返され、悩んでいた。殺される三ヶ月前、埼玉県警上尾署に名誉毀損で告訴したが、署員は「警察は忙しい」などと対応、告訴取り下げを求めたり、調書を「告訴」から「届出」に改ざんしたりし、捜査はしていなかった。
県警は同年12月、殺害の実行犯グループ四人を逮捕。行方不明になっていた元交際相手は翌年、北海道で自殺した。

 この間、詩織さんの家族は、様々な「報道被害」に苦しめられた。そのひとつは、詩織さんをめぐる無責任な記事の数々だった。
 容疑者がなかなか捕まらないこともあって、一部報道の対象は、詩織さんの私生活に集中した。
週刊誌などでは、詩織さんを以下のように表現した。
  • 「ブランド依存症」
  • 「奔放」
  • 「キャバクラ嬢」
  • 「風俗嬢」
  • 「付き合っていた男が五人いた」
  • 「都内の風俗店を転々とした形跡もある」
このようなセンセーショナルな記事・放送が相次ぎ、程なく「派手好きで奔放な女子大生」という虚像が作り上げられた。あるテレビ局のワイドショーでは、連日そうした無責任な報道を繰り返した。
詩織さんには実際には事件の約一年前、友人に頼まれて二週間ほど酒を出す飲食店でアルバイトをしたことはあったが、すぐに「私には合わない」と辞めていた。
ブランド品もいくつか身につけてはいたが、いずれも使い古した品だった。うわさ話や他社の記事をつなぎ合わせて「ニュース原稿」にする、およそ犯罪報道の名に値しない、ゴシップ記事が氾濫した。

 父親の猪野憲一さんは、こうした報道に、必ず詩織さんの写真が添えられているのにも我慢ができず、放送に関する苦情や意見を審理する第三者機関BRO(放送と人権等権利に関する委員会機構)へ救済を申し出たり、出版社に抗議したりした。


「報道する対象が公人か私人か」⇒ 明らかに猪野詩織さんは私人。被害者であることからも行き過ぎた報道だった。
「報道の公益性」⇒ 「ストーカー」が広く認知されるきっかけとなった。この事件をきっかけに法整備がなされたことから、十分に公益性はあると考えられる。
「報道された内容の真偽」⇒ その年代にはよくある事柄を一部だけ切り取り、拡大して報道することには疑問。
「取材の十分性」⇒ 警察機構の不正を暴いたという意味では取材が十分なされたといえる。被害者の周辺取材は警察のリークに過度に依存。



[精神障害者による事件報道の例]

大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件


 2001年6月8日、大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校で乱入殺傷事件が起こった。加害者は宅間守被告、8人の児童が命を亡くした。被告は殺人の罪などに問われ、死刑が確定した。
 加害者である宅間守被告は、過去に精神科の通院歴があることから、裁判の過程で精神鑑定が導入され、その責任能力の有無が大きな焦点になった。最終的には責任能力が認められ、死刑が確定した。この間、メディアはいっせいに被告の通院歴や、前の職場での奇行、夫婦間のやり取りなどを連日ワイドショーで報道した。

 被告が精神病であることが疑われたために、メディアは「匿名報道」に配慮すべきであるという問題が指摘された。
また別の問題として、報道が一般市民の精神病患者への不安や偏見を助長するものであるという指摘が、精神病患者やその家族からされた。
社会復帰をめざす、またはすでに復帰を果たしている精神病患者やその家族が、周囲の目に苦しんでいる現実を産み出すという別の被害も起こってしまった。

またこの事件は、加害者とともに被害者(児童)やその遺族も報道被害を被った。実際取材を受けた遺族はこのように述べている。
  • 「自宅前にはカメラとテレビの照明が待ち構えており、撮影を断ろうと警察を通じて一時間近く交渉したが、引いてくれず、家に戻るにはストレッチャ―に乗った子供の遺体を撮られることに耐えなければならなかった」
  • 「インターホンと電話の呼び出し音で気が変になりそうだった。挙句の果てには新聞社に葬儀に入り込まれ、録音された」
  • 「詳しい住所を掲載され、宗教の勧誘が来た」
  • 「子供の無事を確認するため、夢中で構内に走りこんだところ、“お子さんは無事か?”などと質問攻撃に遭った」
いわゆる典型的なメディアスクラムの例である。


* この事件については、第4章毎日新聞社「開かれた新聞」委員会の取り組みの中で詳しく見ていくことにする。
 なお、被害者への取材は公益性が認められるにしても行き過ぎた部分があったといえるだろう。



[被害者の人権保護に関する例]

新宿歌舞伎町雑居ビル火災



 2001年9月1日、東京都新宿区歌舞伎町一丁目の四階建て雑居ビル「明星56ビル」三階付近から出火。この家事で、ビル三階のマージャンゲーム店と四階のキャバクラに煙が充満し、客や従業員ら計47人が病院に運ばれたが、うち44人が一酸化炭素中毒などで死亡した。

 この事件で問題視されたのは、今回の死亡現場、特に四階は、報道により他人に知られたり、記録として残ったりした場合、一般の社会通念に照らして「不名誉な死に場所」と言えるのではないか。「不名誉な場所」での肉親の死を報道されることは遺族にとっても二重の苦しみになるのではないか、ということだった。
ここでも「匿名報道」の問題がついて回ることになる。



 被害者の人権が保護されるべきであるのは言うまでもないが、このような事件の凄惨さを世間に広く知らしめる必要性があるかもしれない。事実、この事件を深刻なものにした雑居ビルの非常階段が使用不可能になっていたという問題点を、メディアが報道したために、同様の状態だった数多くの環境を改善することができた。

* この事件についても、第4章毎日新聞社「開かれた新聞」委員会の取り組みの中で詳しく見ていくことにする。



<新たな形態の被害>

 また、IT化の進行によって、今までは見られなかった新たな形態の被害が姿をあらわした。
それはインターネット上での名誉毀損である。
 厳密には報道とはいえないのかもしれないが、情報の発信の結果被害が発生することからも考察する必要があると感じた。

[インターネットでの被害に関する例]

2ちゃんねる名誉棄損訴訟 女性麻雀士被害



 インターネット掲示板「2ちゃんねる」の管理人を相手取った名誉棄損訴訟で、6月に原告の女性プロ麻雀(マージャン)士、清水香織さん(30)が同掲示板に「整形しすぎ」などと書き込まれたとして提訴した。東京地裁は6月25日、「(整形は)真実とは言えない」として、管理人の西村博之氏に書き込みの削除と100万円の損害賠償を命じた。双方が控訴せず、判決は確定した。
しかし、勝訴した直後、同掲示板に「殺す」などと脅迫的文言を数千件書き込まれる新たな被害を受けた。清水さんが所属する麻雀店のホームページ(HP)上の掲示板にも同様の書き込みが10万件以上あり、HPは閉鎖に追い込まれた。

清水さんを攻撃する以下の書き込みが、2ちゃんねるの掲示板に判決の数時間後から相次いだ。
  • 「殴り殺す」
  • 「とっとと首を吊れ」
  • 「夜道は相当危険」
  • 「整形きもーい(気持ち悪い)」

ネット上で自宅の住所を明らかにされたため、清水さんは実家に戻り、外出を避けた。被害はネット上にとどまらず、嫌がらせや脅迫まがいの電話が店に相次ぎ、清水さんは所属プロなのに店に顔を出せなくなったという。

清水さんが所属する麻雀店のHPも、書き込みに加え、店のメールアドレスに嫌がらせの文言を並べた大量の電子メールが届いた。店は管理不能に陥ったとしてHPを閉鎖した。

 2ちゃんねるの書き込みを巡っては、他にも名誉棄損訴訟が起こされ、昨年12月の東京高裁判決や、今年7月の東京地裁判決も西村氏の削除義務を指摘し、損害賠償を命じている。今年5月には、静岡県の住宅建設販売会社が「暴利をむさぼる悪徳会社」などと書き込まれたとして、1000万円の賠償などを求め、東京地裁に提訴している。

 一方で、勝訴後の「二次被害」を恐れる被害者も多く、現在相談を受けている東京都内の弁護士は「被害者が心配して提訴に踏み切れないままだ」と話している。


 この問題について田島泰彦・上智大教授(メディア法)は以下のように語っている。
ネットでの二次被害を現行法で防ぐのは限界があるが、だからといってネットを規制するような新法にも反対だ。ネットは市民個人が発信し、影響力を行使出来るのが利点で、規制するのは表現の自由からも問題だ。だからこそ、利用者はルールを自ら形成しなくてはならないのに、現状はネットの匿名性に隠れ、やりたい放題となっている。利用者がその実態を直視しなければ、規制しか対抗手段はないと言える。

(毎日新聞社ホームページ 2003年8月13日朝刊記事から引用)


 この問題はネット社会の陰の部分をあらわしたものであると思う。インターネットがもたらす恩恵をこれからも享受できるためにも、利用者の自律に期待したい。

◇ 章立て ◇


~第三章 原因分析~

 第二章で、ごく一部ではあるが報道被害の実例を見てきた。これらの実例を利用し、メディア、公権力(警察)、被害者、一般市民といった観点から犯罪報道の構造を体系的に理解し、報道被害を見ていきたいと思う。
 また、その問題点から「記者クラブ」制度の現状や、将来的な課題、メディア・スクラムの問題、さらには新たに叫ばれている「メディアリテラシー」の概念などを紹介していこうと思う。



① 被害の構造的問題

[被害の構造的問題]


 第二章で報道被害の具体例を考察したことで、構造的問題として以下のことが分かった。
  1. 情報源が警察へのリークのみに依存してしまうこと
  2. 公権力からの情報操作に利用される危険性があること
  3. 被害者・被疑者が反論する機会がないこと
  4. メディア・スクラムが報道被害をより深刻にしていること


 事件・事故が発生したとき、記者はまず警察などの公権力に情報を求める。それは記者クラブを通しての公式の情報提供や、いわゆる「夜討ち、朝駆け」と言われる非公式の情報提供の方法である。記者会見での情報提供はあまり当り障りのない情報に終始することが多く、いきおい重要な情報や新たな情報といったものは「夜討ち、朝駆け」で得られることが多い。そこで得た情報をもとに被害者や加害者の周辺へと取材対象を広げていくのである。これらの作業を繰り返していくことで取材を補足していく。
 その過程において、どうしても情報源が公権力に偏ってしまう、過度に依存してしまうために、公権力の情報の補足に陥ってしまう危険性があるのである。

 そのために上述した2番に関わることであるが、公権力が意図的に流す情報に利用される事態が起こるのである。桶川女子大生ストーカー殺人事件と松本サリン事件からこの事態を見つけることができる。


<桶川女子大生ストーカー殺人事件>

 殺害事件後の記者会見で、捜査本部が詩織さんが当日身に付けていた遺品は「バッグはプラダ」「靴は厚底ブーツ」「黒いミニスカート」などと具体的にあげ、情報操作をしていたらしいことは、いくつかのマスコミが指摘するところだが、そのいっぽうで事件当日、深夜まで長時間の事情聴取を両親に強いたことにも、同じ意図が隠されていたからなのかもしれない。
 情報操作と被害者遺族の「口封じ」。それぞれが情報リークを円滑にするための両輪の役割を果たしたのだろう。目的は「告訴状改ざん」の事実からマスコミの目をそらすためだ。

「虚誕 警察に作られた桶川ストーカー殺人事件」から引用


 公権力による情報操作の典型的な例であり、説明の必要もない事例である。



<松本サリン事件>
夜討ち・朝駆けでのやり取り

記者:「河野さんが容疑者と見ているのか」
県警幹部:「それしか考えられないでしょう。今は(入院中で)他の患者より多少突っ込んで聞いている程度だろうけど、そのうち(警察も)態度を変えなければならないだろうね」

(「『人権』報道 書かれる立場、書く立場」から引用)


 これは7月1日のメモである。こうして河野さんへの犯人視がされていったかと思うと、怖さを感じずにはいられないやり取りである。この非公式の情報をもとに、メディアは河野さんを犯人扱いする情報の肉付け、補足に加担していったのである。
 なぜ、どのメディアも同じ方向性の報道、つまり河野さんを犯人視する報道に陥ってしまったのだろうか。使用された有毒ガスがサリンという、当時まったくなじみのなかったものであったために現場が混乱し、困惑してしまっていたことは理解できる。
しかし、だからこそ冷静で丁寧な報道が心がけられるべきだったし、逆の方向性の報道がなされるべきだったのではないだろうか。



 逆の方向性の報道とは、現在の潮流の真逆の報道を意味する。つまり、被害者が反論する機会、余地が与えられ、その検証をもとに対立軸のはっきりとした報道がなされるべきであると考える。
河野さんは逮捕されるのをくい止めるためにマスコミを活用した。
 河野さんの弁護人である永田恒治弁護士はこのように語っている。
 八月、すぐにでも逮捕されるかもしれないと言う状況の中で、警察に対抗するための武器は世論しかなかった。この捜査の方向は違うのではないかと言う世論を少しでも作っていかなければ、河野さんは守れないだろう。

 そして世論に大きな影響力を与えるのは、やはりマスコミだった。
 マスコミのほとんどが、初期報道で河野さんを犯人扱いしたけれども、「河野さん=犯人」という予断、操作された図式をまず白紙に戻させる。そのためにマスコミにいかに働きかけていくかが、最大の勝負どころになった。(後略)

(「『疑惑』は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私」から引用)


 こうしてマスコミの影響力や取材意図などをかなり緻密に考慮してテレビや新聞などの取材に応じていくことで、少しずつではあるが客観的に事実を事実として検証する動きが見られるようになった。

 このことが示唆することは、一方向的な報道に陥らないためにも被害者・被疑者が反論する機会、すなわち「記者会見」等を今よりも用意に設けることができるようになるべきであるということである。特に一般市民をはじめとする私人の被害者や被疑者がメディアへ容易にアクセスできるように改善する必要があると思う。
 つまり、市民の「アクセス権」と言い換えることもできると思う。
この部分のアクセスが容易になることで、メディア側にも有益な情報が提供され、対立軸が見える、真の意味での公正な報道を可能にすることができると考える。

 4番のメディア・スクラムの問題についてであるが、その問題性については言うまでもない。新聞界では日本新聞協会が「集団的加熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」という声明の形でメディア・スクラムに取り組んでいる。

 以下の節では、構造的問題として挙げられた「記者クラブ」、「メディア・スクラム」について考察する。

 
◇ 章立て ◇

② 記者クラブ

<記者クラブとは>

 記者クラブとは、警察、官庁、政党、財界などの公共性が強い機関の内部に報道機関の記者を常駐させて、ニュース・ソース(情報源)に必要な情報を提供させ、豊富な公共情報を迅速に全国に流す仕組みとして、報道活動の拠点としての役割を果たすもの。

<存在意義>

・ウォッチドッグ(番犬)の役割  ⇒権力を監視する目的
・豊富な公共情報を迅速に全国に流す役割



<設立の経緯>

1890年  時事新報の記者たちが中心となって「議会出入記者団」を組織
帝国議会の取材を当局に要求したことから始まった
その後、「郵便報知新聞」、「東京朝日新聞」、「読売新聞」などがこの記者団に参加

同年10月 「共同新聞記者倶楽部」に発展
その後まもなく「同盟新聞記者倶楽部」に名称を変更
⇒今日の「国会記者会」の前身

戦前・戦中官制主導の運営

戦後 連合国軍総司令部(GHQ)の指令によって親睦団体と位置づけ
その後、新聞協会による記者クラブに関する方針が幾度か変更され
現在の形

  

<記者クラブの始まりと過程>

 『新聞研究』の1965年4月号に掲載された「記者クラブの歴史―その発生と成長―」によれば、1890年(明治23年)の秋に帝国議会が初めて開かれたとき、時事新報の記者たちが中心となって組織した「議会出入記者団」が最初で、彼らは一致して議会の取材を当局に要求した。

 前年の1889年(明治22年)には大日本帝国憲法が秘密裏につくられ、2月11日には、憲法発布の祝賀会が行われたが、国民には憲法がどんなものなのかまったく知らされなかった。そうした経験から、帝国議会の開会にあたって、新聞各社は知る権利を求めて「記者団」を結成したのである。

 この「記者団」には、当時東京で刊行されていた『郵便報知新聞』、『東京朝日新聞』、『東京日日新聞』、『都新聞』、『読売新聞』などの有力紙が加わり、これが発展して同じ年の10月には、「共同新聞記者倶楽部」が誕生した。これはその後まもなく「同盟新聞記者倶楽部」と名称を変え、帝国議会の開会中は全国の新聞183社から300人を超える記者が集まった。これが今日の「国会記者会」の前身である。

 現在、霞ヶ関の中央官庁にはどこでも記者倶楽部が存在するが、そのほとんどは国会のクラブと同じ時期にスタートした。外務省の「霞倶楽部」、農商務省の「采女倶楽部」、陸軍省の「北斗会」などは1894年(明治27年)の日清戦争から1902年(明治35年)の間につくられ、その後にも司法省の「司法記者倶楽部」1905年(明治38年)、内務省の「大手倶楽部」1907年(明治40年)、そして1910年(明治43年)には「兜会」が誕生している。

 最初に共同記者会見を行ったのは1898年(明治31年)に発足した大隈内閣である。それ以前の二つの内閣が新聞の報道によって倒されただけに、メディアの影響力がよく分かっていて、首相官邸に記者クラブをつくることを認めた。
 こうした歴史を見ると、記者クラブは力の弱いメディア側が団結して権力から情報を引き出すためのものとして誕生したことが分かる。
しかしこうした権力とメディアの関係は、昭和に入って戦時体制になるとたちまち変化する。1941年に太平洋戦争が始まるときには、社団法人新聞連盟が設立され、「一県一紙」の目標のもとに、全国で2000紙を超えていた新聞は整理統合された。これに伴って記者クラブも一つの一官庁に一つのクラブしか認められず、規約も統一されてクラブの自主的な運営などはまったく考えられない体制がつくられた。こうして新聞は完全に情報統制のもとに置かれたのである。記者クラブは政府や官庁が出す情報を、国策に沿ってそのまま国民に伝達するだけの機関と化した。

 こうした戦時中の反省に立って、戦後の記者クラブは再スタートした。連合国軍総司令部(GHQ)の指示によって、記者クラブは親睦団体と位置づけられた。そして戦後四年がたった1949年9月、GHQ民間情報教育新聞課長のインデボン少佐は、記者クラブのニュース検閲を撤廃するようにとの声明を発表し、戦前の完成の記者クラブの性格を否定した。
 これを受けて10月には新聞協会が記者クラブに関する方針を発表した。
 その主な点は、
①会見や取材する記者・編集者に一切の制約を加えない、
②記者室、執筆・走稿などに必要な施設の無償かつ自由な利用、
③記者クラブは親睦、社交を目的とし、取材上の問題には一切関与しない、などとなっていた。

 その後新聞協会の記者クラブに関する方針は幾度か変更されたが、1962年7月には、「記者クラブだけの協定は、これを認めない。各社の幹部がその必要を認め、これが各社の協定とならぬ限りは、報道の出先だけの協定を認めることはできない」という方針を出した。これは明らかに、「記者クラブは取材上の問題には一切関与しない」として、記者クラブを親睦団体とした1949年の方針から逸脱するものだった。
 新聞協会がこうした方針を出さざるを得なかったのは、毎日の取材の中で、取材先との間で「紳士協定」という名のもとに、取材や報道を記者クラブが縛る事件が相次いだからである。親睦団体としてスタートした戦後の記者クラブが、実際に取材を進める中で、様々な理由から取材の自由を制限あるいは規制する機関になる危険をはらんでいたのである。



<問題点>

①ニュース・ソース(当局、警察、等)が世論操作を容易にしている
②マスコミを「発表ジャーナリズム」に堕落させる原因をつくっている
③閉鎖性
④費用

 ①ニュース・ソースがいつ、何の情報を発表するかの主導権を握っているために、発表が洪水のようにある中で情報の秘匿が進み、当局の意向が強く反映され恐れがある。また、メディア側が独自の取材で裏づけを行うにしても取材源が権力に頼らざるを得ないので、当局に都合のいい報道となる危険性が常にある。このことは松本サリン事件や桶川女子大生刺殺事件などの例から見ても明白である。

 毎日新聞は1988年2月に、エイズ問題のキャンペーンを開始し、血友病患者の多くがHIVに感染させられたことを告発した。このキャンペーンを行っている間、厚生省クラブに所属する毎日新聞の記者は厚生省当局からほされたという。具体的には厚生省側は土曜日の午後、毎日新聞を除くクラブ詰めの記者を昼食に誘い、そこで当局側に都合のいい情報をリークした。月曜日の各紙朝刊には厚生省の方針に沿った記事が載ることになった。この例のように独自の取材活動をしようとする社があると、役所は記者クラブを使ってほかの新聞記者に情報をリークして操作することが往々にしてある。


 ②霞ヶ関にあるどのクラブでも同様であるが、当局側がマスコミに報道してもらいたい事柄についての配布資料は膨大である。その上に大臣や政務次官、あるいは報道担当官の記者会見は、平均一日1、2回は必ずあるから、記者クラブに属する記者は、そうした発表の裏付け取材をするだけで大変な労力を必要とする。これに時間をとられれ、「発表もの」以外の独自のテーマを取材する時間が少なくなる。こうした状況で時間や日常業務に追われると、いきおい記者クラブで発表を待つことになり、権力の監視どころか、権力側が提供する情報をフォローする事態に陥っているのである。

 ③外国人記者や雑誌社の記者など、記者クラブの加盟各社以外の者が会見に参加したいと求めても、断る場合がほとんどである。そこには取材源との濃密な関係を余所者に乱されたくないという意識や、自分たちの特権を守ろうという意識が働いていることは否めない。時には外部の者を締め出すだけでなく、記者クラブが決めたルールを破った社に対しては、除名あるいは一時的な加盟停止処分にすることもある。こうして既得権を守ろうとする。

 ④基本的に、記者クラブはその部屋と駐車場の使用料や、電話・ファックスの料金、光熱費や水道代などの管理経費を相手方に負担してもらっている。長野県を例にすると、それは推計総額が年間1,500万円にも上る。
 取材先から取材拠点、電話、ファックスなどの通信手段を提供され、あるいは記者クラブの事務を行う人員の提供などを受けるとすれば、それが取材の姿勢にまったく影響を与えないという保証はあるだろうか。



<記者クラブの改革>

「脱・記者クラブ宣言」(2001年5月15日)



 これは改革派知事で知られる長野県知事の田中康夫が、今までの記者クラブのあり方に疑問を感じ、新たな形を模索し、提案をしたものである。つまり「『脱・記者クラブ制度』宣言」と言える。

 これまで長野県には、県庁社内に「県政記者クラブ」「県政専門紙記者クラブ」「県政記者会」の三つの記者クラブが存在した。その部屋と駐車場の使用料に留まらず、電気・冷暖房・清掃・ガス・水道・下水道の管理経費、更にはクラブ職員の給与までもが、全ては県民の税金で賄われてきた。推計での総額は年間1,500万円にも上る。記者クラブの運営は県民の税金でまかなわれているというのに、これらのクラブもご多分にもれず閉鎖的であった。
 そこで、大手のマスコミだけでなく、それ以外の雑誌社やミニコミ、インターネットなどで情報を発信する「表現者」、更にはフリーランスで表現活動に携わる全ての市民が、誰でも自由に会見に参加できる「表現センター」に改組するようにした。コピー、ファックスは実費になり、使用時間等を予約の上、長野県民が会見を行う場としても開放。記者クラブ主催だった長野県知事の記者会見は県主催となった。現在は5階に「仮設表現道場」という形で会見を行っている。

 現場の声として、2002年5月 「記者は考える」というコラムで、朝日新聞長野支局の西本秀記者がこう書いている。
「(前略)使い勝手は以前より劣るものの、『大きな支障はない』というのが正直な実感で、県に余計な借りもない。ただ、だからこそ、忸怩たる思いが残る。知事に摘される前になぜ自分たちで改革できなかったのか、と。(後略)」


「広報メディアセンター」(1996年2月23日)


 記者クラブ改革を提唱した最初の例は、神奈川県鎌倉市の竹内謙市長が鎌倉記者会に提案した「広報メディアセンター」である。

 この広報メディアセンターでは、
①新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、専門・地域・外国紙が自由に取材できる、
②市広報課が記者会見を主催するほか、行政や市民、公共団体の情報提供に便宜をはかる、
③市を拠点とする記者には希望に応じて専用の机や椅子を提供する、
④電話、ファックス、写真現像室を整備し、費用は利用者が負担する、となっている。

≪「脱・記者クラブ宣言」との違い≫

 「広報メディアセンター」の構想は、記者会見の主催者を自治体側とする点や、記者室の利用をクラブ加盟社以外に拡大した点など長野県田中知事の「『脱・記者クラブ』宣言」と重なる所が多いが、常駐記者を認め、スペースや備品の提供は行う点や、政党機関紙や宗教機関紙の記者の会見出席や記者室の利用は、認めない点は、田中知事の「宣言」とは異なっている。

 また、外国メディアが日本の記者クラブの閉鎖性の改善などを求める問題が起きた。
2002年5月、「国境なき記者団」(本部・パリ、オーストリア、ベルギー、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスなどに9支部)が小泉純一郎首相にあて、「記者クラブをフリージャーナリストや外国特派員にも開かれたプレスセンターに変えるために影響力を行使してほしい」との要望書をファックスで送ったりした。



<メディア側の記者クラブ改革案>

 従来の記者クラブへの批判を受けて、メディア側も記者クラブのあり方について様々な改革案を提示している。

    新聞労連 「新聞労連が考える記者クラブ改革案」から(2002年2月8日)

  • 取材センター(仮称)では、必要最低限の設備等を除き、それを超える日常経費(ランニングコスト)については、取材者の自己  負担とする
  • 記者会見への参加は、記者クラブ参加の有無を問わず、取材者のすべてに認める
  • 「黒板協定(しばり)」の原則廃止
  • 報道を理由にした記者クラブによる取材者、特定社への制裁は、認めない
  • 記者クラブを対象とした懇親会は原則廃止、餞別や贈答などはいっさい受け取らない
  • 記者クラブへの参加は、原則として希望する取材者のすべてに開放


    日本新聞協会 「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」から(2002年1月17日)

  • 報道活動に長く携わり一定の実績を有するジャーナリストにも、門戸は開かれるべき
  • 公的機関が主催する記者会見を一律に否定しない
  • 記者会見はクラブ構成員以外も参加できるよう努める
  • 諸経費は、報道側が応分の負担をする


    毎日新聞の労働組合 「ジャーナリズムを語る会」の改革試案から

  • 記者クラブの原則的解放
  • 便宜供与を返上する努力を行い、会社負担への段階的な移行
  • 安易な報道協定の廃止
  • 登院停止を行わない
  • 当局の記者室使用制限を許さず、市民などの自由な出入りを確保する
  • 当局、フリージャーナリスト、市民などを含めた議論の場を恒常的に設置する


 新聞労連の改革案は、日本新聞協会よりも大幅な開放策となっている。
日本新聞協会の見解は、経営者組織の決定であるだけに、各記者クラブへの影響は大きいものがあると思う。
一方、新聞労連の提言はあくまでも「改革案」ではあるものの、現場の記者たちの多くが組合員であるだけに、その持つ意味は重いと考えられる。

<新たな動き>

 記者クラブのあり方、将来に一石を投じる動きを見てきたが、今回のそれは存在そのものを否定する動きである。

 情報を流れ難くしており、また記者クラブメンバー以外の取材を疎外しているという理由で、2002年10月と2003年の10月にEUが記者クラブの廃止を日本に要求してきた。
そもそも外国メディアによる「記者クラブ障壁論」は1960年代後半から提起されるようになり、外国特派員の加入を事実上認めていなかった記者クラブの運用に関して、日本新聞協会は1993年6月、正会員としての加入を原則認める見解を発表した。さらに2002年1月にもより踏み込んだ内容の見解を示した。

 今回の提案に対し、日本新聞協会は12月10日に「記者クラブ制度廃止にかかわるEU優先提案に対する見解」を発表し、「歴史的背景から生まれた記者クラブ制度は、現在も『知る権利』の代行機関として十分に機能しており、廃止する必要は全くないと考える」と返答した。
 この問題は現在も進行中の問題であり、今後の展開を追っていきたい。

 私も記者クラブの存在については否定しない。従来のクラブのあり方について様々な批判を受け、存在そのものまでを否定される提案をだされた。これらの批判から、メディア側が自分たちで改革案を生み出したことは評価できると思う。
 記者クラブは、力の弱いメディア側が団結して権力から情報を引き出すためのものとして誕生したものである。官制主導の報道の是非は戦前・戦中の経験を思い起こせば一目瞭然である。
 長野県や神奈川県鎌倉市の動きは、メディア側の重たい腰を上げさせ、自主的な取り組みを促した意味でも非常に有意義なものだったと思う。この二つの自治体では、現在自治体側が主催となって記者会見を行っている。改革案を飾りのまま終わらせるのではなく、しっかりと改革を進め、再び信頼を得てメディア側が主催の運営を行っていけるように期待する。

 また、上述したメディアへのアクセス権の問題であるが、被害者・被疑者が特に私人である場合、反論というものは非常に困難である。影響力のあるメディアをもっと利用しやすくなるためにも、記者クラブで市民主催の記者会見が開かれるような、もっと市民に開かれた形になることを期待する。

* ここで特異な例として、埼玉県保険金殺人事件について触れる。

 この事件では、疑惑の中心人物が自身の身の潔白を訴えるために、自身が経営する居酒屋やパブで「有料記者会見」を行った。その回数は実に203回を数える。
 結果的にこの人物は逮捕され、一審の埼玉地裁では無期懲役の判決を言い渡された。つまり、この人物はマスコミを利用していたのである。

 メディアへのアクセスを今よりも容易にすることで、同様のケースは増えるかもしれない。しかし、そういった不正は記者の目が暴いてくれることを信用したい。



 
◇ 章立て ◇

③ メディア・スクラム



 メディア・スクラムとは、事件が起きたときにメディアが事件や事故の関係者に殺到して取材の過程で、関係者の人権を無視しかねない取材のことである。
    具体的には、

  • 深夜にまで電話やファックスをする
  • 深夜にまでインターフォンを鳴らす
  • 職場にまで取材しに来る
  • 取材先の路上駐車が渋滞、交通の不便をもたらす
  • タバコの吸殻、食事等のごみを捨てていく

 等が挙げられる。

 取材の対象は小さい子にまで及ぶこともあった。各社にとってはたった一回の電話、インターフォンでも、取材を受ける側にしてみれば何十回も電話やインターフォンを鳴らされることになるのである。

 メディアのこれらの取材方法が問題視され、メディア・スクラムとして認識されるようになった。様々な批判が噴出することとなり、メディア側は改革を余儀なくされた。
 そこで出されたのが、日本新聞協会による「集団的加熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」である。

 その中で、「すべての取材者は、最低限、以下の諸点を順守しなければならない」と記載されている。
  1. いやがる当事者や関係者を集団で強引に包囲した状態での取材は行うべきではない。相手が小学生や幼児の場合は、取材方法に特段の配慮を要する。
  2. 通夜葬儀、遺体搬送などを取材する場合、遺族や関係者の心情を踏みにじらないよう十分配慮するとともに、服装や態度などにも留意する。
  3. 住宅街や学校、病院など、静穏が求められる場所における取材では、取材車の駐車方法も含め、近隣の交通や静穏を阻害しないよう留意する。

 調整は一義的には現場レベルで行い、各現場の記者らで組織している記者クラブや、各社のその地域における取材責任者で構成する支局長会などが、その役割を担うものとしている。解決策としては、社ごとの取材者数の抑制、取材場所・時間の限定、質問者を限った共同取材、さらには代表取材など、状況に応じ様々な方法が考えられている。
 また、現場でメディア・スクラムが調整・解決できない場合に備え、下部組織として「集団的過熱取材対策小委員会」を設置した。



<集団的過熱取材対策小委員会>
    【組織の構成】

  1. 全国紙5社(朝日東京、毎日東京、読売、日経、産経東京)、ブロック紙3社(北海道、中日・東京、西日本)、地方紙4社(火曜会、土曜会から各2社)、通信社2社(共同、時事)、NHKの計15社の編集・報道局次長ないし部長クラスで構成する。1社1人とし、代理出席を認める。
  2. 地方で問題が起きた場合は、当該の新聞協会加盟の地元紙にオブザーバーとしての参加を求める。
    【小委員会の機能・性格】

  1. 現場レベルで調整・解決できない問題を協議する裁定権限を持った機関とする。
    【主な申し立ての手続き】

  1. 集団的過熱取材の被害者・関係者から、直接、小委員会に苦情の申し立てがあった場合は、速やかに当該の支局長会などに連絡し、調整に当たらせる。
  2. 被害当事者・関係者や弁護士などから、新聞協会事務局に直接連絡・申し立てがあった場合は、その旨を協会事務局から速やかに小委員会幹事ならびに小委員会委員に連絡し、小委員会幹事を通じて当該支局長会などに伝える。
    【裁定の内容、決め方、公表、解除】

  1. 裁定の内容は、その都度対策小委員会で協議し決定する。裁定の内容と裁定違反等に罰則は設けない。
  2. 裁定の決定は、大方の合意を得るという観点から、小委員会委員の3分の2以上の賛成とする。委員が欠席の場合には、その社の代理者かまたは小委員会幹事に委任できることとする。
  3. 小委員会は裁定結果を速やかに当該現場に通知し、必要に応じて編集委員会としての見解を公表する。
  4. 解除はケース・バイ・ケースで現場の判断に任せる。解除のために小委員会を招集することはしないが、解除した場合は、小委員会に必ず連絡するよう現場に徹底させる。

(「集団的加熱取材に関する日本新聞協会編集委員会の見解」から引用)

 そして、この声明の中では、被害を防止していくためにはメディア全体の一致した行動が必要なので、新聞メディアだけでなくテレビ、雑誌等のメディアにも働きかけを行っていくと述べられている。
 この問題については、言うまでもなく改善されていく必要性がある。メディア・スクラムについてのメディア業界の一致した見解というものを出すべきであると考える。



 
◇ 章立て ◇

④ メディア・リテラシー



 被害の構造的問題の図で指摘したように、私も含めた一般市民はメディアが流す報道をあまりにも受動的に受け取ってはいないだろうか。そしてその情報を過度に信頼していないだろうか。メディアが流す情報は正しいものである、真実であると、私たちは盲従的に考えがちである。しかし、現実に目を移すと必ずしもそうではないようである。
報道被害の事例を見ると、情報が一方的に氾濫される中でもっと主体的に情報を得ることができ、解釈できれば、「また違った観点が出てくるのではないか」「報道に疑問がわくのではないか」という考えが浮かんでくる。

 ここでは「メディア・リテラシー」という概念を紹介し、私たちがよりメディアに上手に接することができるようなればと思う。
報道被害の絡みでいえば、この概念を知ることで報道被害が「より深刻」にならないようになる可能性があると思う。

メディア・リテラシー(Media Literacy)とは>

 リテラシーとは読み書き能力を意味する。私たち自身がテレビ、新聞、ラジオ、雑誌からマンガ、ポピュラー音楽、映画、ビデオ・ゲーム等のあらゆるメディアを使いこなし、メディアの提供する情報を読み解く能力のことをいう。

[情報が作り上げられる過程]


 事実を取材し、それを情報として伝達していく上で、メディアはそれを報道に堪えうる形に作り上げていかなければならない。事実をどういったアプローチ(観点・側面)で見ていくかによって、必要となる補足が変わってくるし、周辺取材の方向性も変わってくる。多種多様な受け取り方が存在する。 受け取っている情報が必ずしも客観的なものではなく、そこには作り手側の何らかの主観・意図が必ず介在する。

  [情報が報道される過程]


 情報を伝達する時点で、その情報を「規模・順序・時間」等の要素でもってどのように報道するかを考える。
新聞を例に出せば、その記事をどのくらいの量で何面に掲載するかによって、読者の印象がまったく変わってくる。大多数の人に有益な情報、知りたいと思う情報が一面に取り扱われるわけであるが、しかし、新聞の一面に載っているからというだけで大切な情報であるとやみくもに感じる受動的な読者が多いように思う。 本来個人が必要・不必要だと思う記事を取捨選択できることが大切であり、そういう姿勢が求められると思う。





 事実が情報として作り上げられ、報道されていく過程は「料理」に非常に似ていると思う。というのは、料理人はキッチンでいかようにも料理の味付けを変えることができ、私たちはそれを食べるということである。いったいそれがどれだけ食べる人の身になって考えて調理されているのだろうか。
良い料理人ほど料理の感想を聞き、反省し、次回の調理に生かそうとしている。食べる側としてもどんな人がどのように調理しているのか、いったいどんな食材を使っているのかといったことには非常に興味がある。顔が見え、その手法を知ることで安心を得ようとする。
 最近、トレーサビリティー(履歴管理)された食品の販売が目に付く。生産や流通ルートを表示化したものであるが、自分の手に入るまでをすべて知りたいと思う気持ちは、一昔前まで安全であると信じられていたものがどんどん崩れていっている今日、ある種当然の帰結のように思う。報道についても同様のことが言える。今日の報道の現場では、視聴者・読者の身にたって考えているという過度の自負、ワイドショー的なセンセーショナリズムが必要以上の過剰な報道を引き起こしていると思う。視聴者との対話を充実させる必要があるように感じられる。

 ここまで見てきて、私たちが普段接している情報というものが、どのように事実から味付けされて伝達されていくかがある程度理解できたと思う。
つまり「事実は『ありのまま』ではなく、『構成された事実』であり、私たちが受け取っている情報は必ずしも客観的なものではないということに気づいていただけただろう。メディア・リテラシーとは決してメディアを批判するものではない。こういう考え方ができるようになることが、メディア・リテラシーのもつ意味なのである。
メディアとは社会を理解するために私たちに与えられた手段である。メディア・リテラシーを通して現実社会をより理解することが最も大切である。
 メディア・リテラシーを通じて、情報というものを判断するとき常にその対象の「対立軸」を探す姿勢を養っていってほしいと思う。



◇ 章立て ◇

~第四章 各報道機関の報道被害救済への取り組み~

 以前はメディア自身は「報道被害」という問題についてあまり真剣な対応をとっているとは言い難かった。しかし、近年高まるメディアへの批判を受けて、メディア自身も変わらざるをえなくなった。その表れとして生まれたのが、記者クラブの改革であったり、メディア・スクラム解決への取り組みであった。
 「予防・防止」といった観点だけでなく「救済」という観点からもメディアの変化を見ていく必要がある。そこでこの章では、まず初めにメディア責任制度という概念を紹介し、その後各報道機関の救済制度について見ていくことにする。

① メディア責任制度

 報道被害者が名誉を回復するには、日本では今のところ対メディア訴訟を起こす以外にない。こうした被害の救済を、法や裁判でなく、メディアが自主的にメディア全体の責任で行う、というものが「メディア責任制度」である。具体的な機関としては、「報道評議会(プレス・カウンシル)」や「プレス・オンブズマン」がある。
 メディア責任制度の先行事例としてはスウェーデンが有名だが、詳しくは第5章で見ていくことにする。



 
◇ 章立て ◇

② 報道機関の救済制度


 ここでは日本のメディアが導入し始めた「メディア責任制度」について業界ごとに見ていき、第6章でその展開について考えていきたい。



放送倫理・番組向上機構(BPO) *2003年7月1日にBROから改編



   放送倫理・番組向上機構」(BPO)は、放送による言論・表現の自由を確保しながら、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情、特に人権や青少年と放送の問題に対して、自主的に、独立した第三者の立場から迅速・的確に、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的にしています。
 BPOは、従来から活動してきた「放送番組委員会」と「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」、「放送と青少年に関する委員会(青少年委員会)」の3つの委員会を運営する、放送界の自主的な自律機関です。
 BPO加盟の放送局は、各委員会から放送倫理上の問題を指摘された場合、具体的な改善策を含めた取組状況を一定期間内に委員会に報告し、BPOはその報告等を公表します。

(BPOのホームページから引用)



 3つの委員会から成り立っているが、報道被害については「放送と人権等権利に関する委員会(BRC)」が審理する。
 BRCは、放送番組による人権侵害を救済するため、1997年5月にNHKと民放により設立された「第三者機関」である。これまで、報道機関による人権侵害などの権利侵害事案は、放送局との話し合いがつかなければ、裁判に訴えるしか方法はなかった。しかし、裁判は時間や高い費用がかかり、一般には近寄りがたいものであった。そこでBRCは、視聴者の立場にたって、迅速に問題を解決することを任務としている。
 苦情申立人から委員会への審理申し立ては、無料である

<申し立ての手順>
STEP.1【苦情】   放送番組によって人権等が侵害されたと思った時は、その放送を行った放送局に苦情の申立てをする。苦情は、まず放送局が真剣に受け止め解決に当たる。

STEP.2【申し立て】 放送局との話し合いで問題が解決せず、BRCの審理を求めたい場合、電話・ファックス・郵便などの方法でその内容を示す。苦情内容が、BRCで取り扱う範囲のものであれば、事務局から「権利侵害申立書」を送る。必要事項を記入し返送する。

STEP.3【審理】 BRCは、苦情の内容を検討し、審理の対象とするかどうかを決定。BRCは、苦情申立人、放送局側から提出された資料(放送テープなど)を基に審理し、必要に応じて双方の出席を求め意見を聞く。

STEP.4【公表】  審理の結果を、「見解」あるいは「勧告」としてまとめ、当事者に通知するとともに公表。BRCは審理結果を当該放送局に放送するよう求める。

<STEP.2―申し立て>
    【審理の対象となるもの】

  • 放送局の個別の放送番組によって生じた人権侵害
  • 苦情申立人と放送局との間で話し合いがつかない状況にあるもの
  • 放送のあった日から3か月以内に放送局に申し立てられ、かつ、1年以内に「BRC」に申し立てられたもの
  • 原則として人権侵害を受けた個人または直接の利害関係人が申し立てるもの

    【審理の対象とならないもの】

  • 個別の番組でなく、放送全般に対する苦情
  • 裁判で争っているもの
  • 損害賠償を求めるもの
  • NHKと民放連加盟社の放送番組以外のもの


<STEP.3―審理>
    【苦情の取り扱い基準】

  • 名誉、信用、プライバシー等の権利侵害に関するものを原則とする。
  • 放送前の番組にかかわる事項および放送されていない事項は、原則として取り扱わない。ただし、放送された番組の取材過程で生じた権利侵害については、委員会の判断で取り扱うことができる。
  • 審理の対象となる苦情は、放送された番組に関して、苦情申立人と放送事業者との間の話し合いが相容れない状況になっているもので、原則として、放送のあった日から3か月以内に放送事業者に対し申し立てられ、かつ、1年以内に委員会に申し立てられたものとする。
  • 裁判で係争中の問題は取り扱わない。また、苦情申立人、放送事業者のいずれかが司法の場に解決を委ねた場合は、その段階で審理を中止する。
  • 苦情を申し立てることができる者は、当分の間、その放送により権利の侵害を受けた個人またはその直接の利害関係人を原則とする。
  • 放送番組制作担当者個人に対する申し立ては、審理の対象としない。
  • CMに関する苦情は、原則として扱わない。
  • きわめて重大な権利侵害に関する事項については、申し立てを待たずに、委員会の判断により取り扱うことができる。


    【苦情の受理、および審理の手続き】

  • 事案の内容が審理案件に当らないものと判断した場合は審理対象外とし、その理由を付して申立人に通知する。
  • 審理対象に当たる事案についても、なお当事者間で話し合いによる解決の可能性があると判断した場合は、双方の話し合いを求める。話し合いの期間は原則として3か月以内とし、特段の事情がない限り、この期間内で解決しない場合は審理に入るものとする。
  • 双方に話し合う意思がないか、話し合いを継続しても解決の見通しがたたないと判断した場合は、期間の経過を待つことなく審理に入る。


<STEP.4―公表>
    【公開】

  • 事情聴取は、委員会が相当と判断した場合は、公開とすることができる。
  • 委員会は審理に関する議事録を公開する。


    【勧告・見解】

  • 委員会は、審理の結果を「勧告」または「見解」としてとりまとめ、審理の経過を含め、苦情申立人および当該放送事業者に書面により通知する。
  • 通知の内容は、機構の全会員に報告するとともに、苦情申立人および当該放送事業者に公表することを通告した後、機構が委員会名で公表する。
  • 前項の公表にあたり、委員会は、実名で発表することについて苦情申立人の事前の承諾を得る。特別の事情がある場合は、本人の希望により匿名とする。
  • 公表は、記者会見その他適宜の方法により行う。
  • 委員会は委員会の審理の結果を放送することを当該放送局に求めることができる。


 BRCが扱った事例としては、第2章の桶川女子大生ストーカー殺人事件がある。BRCは被害者の父親からの人権侵害の申し立てを受け、1999年12月22日に桶川女子大生ストーカー殺人事件の取材に対して、「被害者や家族のプライバシーを侵害しないように節度を持って取材をするよう」テレビ各社へ要望書を送った。

 BRCは、独自の調査権限がないという不十分さもあるが、日本のメディアの人権侵害救済機関としては、もっとも報道評議会の形に近いといわれている。次から見ていく新聞業界、出版業界の救済機関にとって、今後のあるべき姿として参考になるのではないかと思う。



新聞・通信社


   ここでは報道評議会の一つ前の段階の「日本型オンブズマン」と呼べる新聞界の救済機関を見ていく。
日本新聞協会によるとこれらの機関は、2002年4月現在、中央紙・地方紙・通信社の25社に広がっている。                                                                                                                                                                                                                                                       
日本型オンブズマン機関
社名名称設置時期
毎日新聞社「開かれた新聞」委員会2000年10月
下野新聞社 下野新聞読者懇談会 2000年11月
朝日新聞社報道と人権委員会2001年1月
新潟日報社新潟日報読者・紙面委員会2001年1月
東京新聞新聞報道のあり方委員会2001年1月
読売新聞社新聞監査委員会顧問2001年4月
山形新聞社 山形新聞報道審査会 2001年4月
京都新聞社報道審議委員2001年4月
福島民友新聞社紙面審査委員会2001年4月
西日本新聞社人権と報道・西日本委員会2001年5月
河北新報社読書と考える紙面委員会2001年5月
北海道新聞社 読者と道新委員会 2001年5月
共同通信社「報道と読者」委員会2001年6月
茨城新聞社報道と読者委員会2001年6月
東奥日報社東奥日報報道審議会2001年6月
佐賀新聞社報道と読者委員会2001年6月
山梨日日新聞社 山日と読者委員会 2001年7月
産経新聞社産経新聞報道検証委員会2001年7月
北日本新聞社報道と読者委員会2001年8月
琉球新報社読者と新聞委員会2001年8月
高知新聞社新聞と読者委員会2001年9月
山陽新聞社 報道と紙面を考える委員会 2001年9月
中国新聞社読者と報道委員会2001年10月
宮崎日日新聞社宮日報道と読者委員会2002年2月
南日本新聞社「読者と報道」委員会2002年4月

(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)



 この中から、毎日新聞社の「開かれた新聞委員会」を取りあげ、実際にどのような活動を行ってきたかを、第2章の二つの事例を用いて見てみることにする。



開かれた新聞委員会 毎日新聞社

 委員会は社外の識者によって構成され、この委員会の役割としては次のことが挙げられる。
  1. 記事による名誉やプライバシーに関する問題など当事者からの人権侵害の苦情、講義、意見に対する本社の対応をチェックし、見解を示す〈訴訟などのケースは除く)
  2. 当事者でない読者からの指摘があったり、委員が記事に問題があると考えた場合に意見を表明する。
  3. これからの新聞のあり方を展望しながら、より良い報道を目指して提言する。

 委員は中坊公平さん(元日弁連会長)、吉永春子さん(テレビプロデューサー)、柳田邦男さん(ノンフィクション作家・評論家)、玉木明さん(フリージャーナリスト)、田島泰彦(上智大教授 メディア法)の五人である。記事に対する読者の声とと新聞側の対応をすべて文書化して、これを委員がチェックし、その指摘を紙面に掲載して読者に報告するという形をとった。

<大阪教育大学附属池田小学校での児童殺傷事件>

 毎日新聞は、この事件の容疑者を6月8日の夕刊の時点では匿名で報道、翌日朝刊から実名報道に切り替えた。これは社内の事件・事故報道における人名表記の基準に沿って採られた措置である。警察発表は実名だったが、その後「事件直前に精神安定剤を10回分飲んで幻覚症状」という情報が入り、さらには過去に精神病院に措置入院となっていたことも分かった。
そのために8日の時点では「刑事責任能力」を問えない可能性があるとして匿名報道にし、その後の取材によって刑事責任を問える可能性がでできたとして、翌日からは実名報道に切り替えた。「事件の重大性」にも考慮して実名報道とした。

    <委員の意見>

  • 実名報道に踏み切ったこと、その対応姿勢はおおむね妥当だった(柳田邦男委員)
  • 精神障害者による事件報道では今後、
    1. 実名報道に踏み切った理由について、具体的で説得力ある丁寧な説明をする
    2. 実名、匿名にかかわらず、早い段階で、精神障害者全体への誤解や偏見を助長しないような見出しのつけ方、文脈の作り方、コメントの併記などを配慮する
    ことが必要だ。(柳田邦男委員)
  • この問題は突き詰めると、表現の自由、国民の知る権利と、人権とのバランスをどうとるかという問題に帰着する。(中略)知る権利と人権とのバランスをどうとるか。組織的に過去の事例などを幅広く、深く検討し、その結果を公表する。それだけの手間ひまをかける不断の努力が求められている。(中坊公平委員)
  • 今回の事件の重大性を考えると、偏見の助長につながらないよう配慮をしつつ、精神疾患にもかかわる過去の事件に触れるのは真相究明のためには避けられない。また、事件報道とは別に、精神医療の問題点など精神障害者への偏見を取り除き、社会的理解を促進するようなジャーナリズム活動が期待される。(田島泰彦委員)
  • 被害者である子供へのインタビューなど取材のあり方はメディア全体の問題として検討すべき課題だ。(田島泰彦委員)

(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)



<新宿歌舞伎町雑居ビル火災>

 この出来事については、死者の報道をめぐって、実名・匿名、顔写真掲載の有無で各社の判断が分かれた=別表参照。
 毎日新聞は
  1. なくなった44人全員の氏名を伝えるが、住所は簡略化し、職業・肩書は書かない
  2. 被害者を個別に伝えるときは「女性従業員」など必要に応じて匿名にする
  3. 顔写真は掲載しない
を原則にした。

 次の表は、この事件への各社の対応である。
                                                           
社名記事犠牲者
名簿
顔写真四階の店名
朝日新聞実名実名計12人分を二回に分けて掲載「飲食店」
読売新聞 匿名一部
実名
不掲載 「女性が接客するキャバクラ形式の飲食店」→「飲食店」
毎日新聞実名→匿名
(変更)
実名不掲載「飲食店」
産経新聞客の男性:
実名
女性従業員:匿名
実名男性5人分掲載「キャバクラ」
日本経済新聞匿名実名不掲載「飲食店」

(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)



    <委員の意見>

  • 犯罪者でない以上、被害者のプライバシー保護への配慮があってしかるべきだ。しかし、被害者名が一切伝得られないというのでは、社会的にかえって疑念や不満を引き起こすことになるし、災害の実態が伝わらない。毎日新聞の今回の対応は妥当だ。(柳田邦男委員)
  • 犠牲者名簿の実名表記は安否情報の特定性などの観点から妥当だったと思う。(田島泰彦委員)
  • 記事中の実名、顔写真の扱いは微妙な問題だが、少なくとも無用な職業差別などがあってはなるまい。(田島泰彦委員)
  • どのような(不名誉な)場合であっても、実名で報道してほしい。匿名にされたら自分の存在を無視、もしくは抹殺されたようで不快な感じを抱くと思う。(玉木明委員)

(「開かれた新聞 新聞と読者のあいだで」から引用)



 この出来事では、一部週刊誌などが従業員の少年について詳細に取りあげた。事件の公益性を踏まえても、少年が未成年だったことも合わせれば行き過ぎた報道であり、被害者の人権は守られるべきであったと思う。



   メディアの各業界には「報道倫理綱領」というものが存在する。
日本新聞協会は「新聞倫理綱領」、日本雑誌協会・日本書籍出版協会は「出版倫理綱領」、日本雑誌協会は「雑誌編集倫理綱領」、日本放送協会・日本民間放送連盟は「放送倫理基本綱領」、日本民間放送連盟は「日本民間放送連盟報道指針」、日本新聞労働組合連合は「新聞人の良心宣言」である。

 この一連の報道が各社によってバラバラだったのは、業界ごとの倫理規定の下に、それぞれ自社の倫理規定や基準といったものが存在するからである。
 これらの綱領には曖昧であるという一部からの非難の声があるのも事実である。しかし、被疑者の連行写真を掲載しないなどの一定の効果は見られた。
 この綱領を全てをマニュアル化してしまうと、取材時に弾力性がなくなり、リアリティーのある報道にならない。故にマニュアル化はしないというのがメディア側の言い分である。メディア側の言い分も分からなくないが、表現の自由、公益性・公共性といった文言にいつまでもあぐらをかいていられる時代は終わったと思う。
 一般市民からそっぽをむかれないためにもメディア側の真摯な態度が求められている。

 私自身は考えうるあらゆるケースを想定して一定の規定を設けることは必要だと思う。
どういう場合に匿名なのか、実名なのか。顔写真を掲載するのか、不掲載にするのか。もし掲載する場合には必ず許可をとること、承諾を得られない場合は掲載しないこと。ただし、公人においてはその限りではない、などなど。
  取材方法、取材方針、編集方針、掲載方針をある程度細かく想定する必要性はあると思う。そして、これに非常に参考になるのが、日本新聞労働組合連合の「新聞人の良心宣言」である。具体的な基準がたくさんなされており、大変有益であると思うので一度目を通してほしい。



新聞界では、日本における「報道評議会」の実現に向けて、有益な提唱をしている。それは2000年9月に日本新聞労働組合によって出された「報道評議会」に関する新聞労連原案である。

 しかし、新聞界においてはまだ報道評議会は実現されていない。状況としては、自社内での取り組みとして、第三者の有識者を招いて報道をチェックしている、その一つ前の段階である。
 「オンブズマン制度と呼ぶには程遠く、単なる苦情処理機関にしかすぎない」、「自社に甘い意見ばかりである」という批判も確かにある。確かにまだまだメディア側に及び腰な部分があるとは思う。この段階で少し様子を見て、ある程度形が見えてきてから動き出そうという感じは伺えるが、私はメディアの変化の過程としては漸進的であるし、評価できると思う。ただしここからは本当に良いものであるとメディア自身が認識したならば、ためらわずに改革していく姿勢が必要であると思う。

出版

 週刊誌というメディアは非常に大きなパワーを持っている。それはプラスにもマイナスにもである。プラスの作用は、様々な不正、陰謀を明らかにしてきたということである。私たちが知ることのなかった事実を暴いていく端緒は週刊誌を始めとする「出版」業界の力によるところが大きい。一方、マイナスの作用としては、憶測、推測による記事が多いためか報道被害を生み、名誉毀損訴訟や謝罪広告・訂正記事の掲載といった問題につながることが他のメディアよりも多いことが挙げられる。近年大きな論争を引き起こしたのが、少年による凶悪事件の報道で雑誌メディアが少年の顔写真を掲載したことだった。それ以外にもフライデーなどに見られる芸能人のプライバシー権や肖像権をめぐる問題が後を絶たない。



「雑誌人権ボックス」(MRB)

 日本雑誌協会が加盟各社の合意の下に、各雑誌記事における人権上の問題での異議・苦情の「申し立て受付窓口」を設置した。
 当協会加盟各社発行の雑誌記事上で人権を侵害されたと感じたときは、それに関わる当事者あるいは直接の利害関係人が「雑誌人権ボックス」に異議・苦情の申し立てを行う。それらが当該発行元にフィードバックされ、各社が誠意ある対応をするということになっている。
 当面は、専用ファックスと文書に限って受けることになる。電話での受付は行っていない。

 以下が、MRBの人権救済をモデル化したものである。



(日本雑誌協会のホームページから引用)



 まだMRBは様々なルールの具体的な記述が見当たらず、救済機関とは言えないかもしれない。雑誌によって人権を侵害されたケースで救済として目立つのはどうしても名誉毀損訴訟である。
 名誉毀損にまで持ち込まないように、出版業界はこのMRBの制度、権限を強化していくべきであると考える。
 なお、名誉毀損訴訟については、次の第5章でアメリカの名誉毀損訴訟の事例を見て考察していく。



◇ 章立て ◇

~第五章 海外における報道被害の実例と対策~

 この章では、まず初めにアメリカにおける公人の報道被害の例を取り上げ、第3章の日本の公人の報道被害の例と比較し、名誉毀損訴訟における日米の違いと、そこから導き出される名誉毀訴訟のあり方を考察する。
 次に、報道被害への対策として第4章と絡めてスウェーデンの報道評議会(プレス・カウンシル)とプレスオンブズマンについて考察する。

① 報道被害の実例と名誉毀損訴訟

ニューヨーク・タイムズ対サリバン長官

 1960年3月29日号のニューヨーク・タイムズ紙に「彼らの沸き上がる声を聞け」と題する意見広告が掲載された。これは依然として残る黒人への人種差別を打倒するために合衆国南部で行われていた公民権運動への注意を喚起し、募金を呼びかけるものだった。

 この意見広告に対し、モントゴメリー市のサリバン警察長官を始めとする南部の人種差別政策を実行している指導者たち(知事、市長)がニューヨーク・タイムズ社を相手取って損害賠償を求める裁判を提訴した。
 一審は原告勝訴(ニューヨーク・タイムズ社に請求金額全額の50万ドルの支払いを命じる)。ニューヨーク・タイムズ社はアラバマ州最高裁に上告するが棄却。連邦最高裁がニューヨーク・タイムズ社の上告を受理、アラバマ州裁判所の判決の破棄・差し戻しを命じる判決を出す。

    この判決が名誉毀損訴訟に与えた影響

  • 公務員の公務に関する議論は自由に行われなければいけないという基本理念の確認
  • このような事項についての報道が、公務員個人に対する名誉毀損を構成することは原則的にない

 この判決は、公務員が名誉毀損で勝訴判決を得るためには、当該報道を行うにあたり、報道機関に*「現実の悪意」があったことを、公務員の側で立証しなければならないとした。その根底にあるのは、意図しないでなされた虚偽の報道は、報道の自由全体を守るためには甘受しなければならないという認識であった。

 この事件と第3章で見た中曽根元首相の事件から導き出される、名誉毀損かどうかという要件は以下である。
    アメリカ

  1. 対象者が公人か私人かを判断し、公人である場合には、裁判で原告となった公人の側で、報道機関に「現実の悪意」があったことを立証しなければならない。
  2. 対象者が私人であれば、報道機関に何らかの過失があれば、損害賠償を求めることができる。
  3. どちらの場合にも、報道による名誉毀損の場合には、原告となった者は、報道された内容が虚偽であることを立証しなければならない。

    日本

  1. 報道された内容が、公共の利害にかかわる事実に関するものであること。
  2. 報道の目的が、もっぱら公益を図ることにあったこと。
  3. 報道された内容が真実であるか、仮に真実でなくとも、報道した者がその内容が真実だと信じるについて相当の理由があったこと。

アメリカの方が報道に対する保証が厚いことがわかる。特に公人に対してはそのことが顕著である。
 私は公人の名誉毀損について、権力を監視し、不正を暴くという本来メディアが持つ意味からもアメリカ型が望ましいと思う。
 私人の名誉毀損については報道側に厳しくあるべきであると思う。その意味からもアメリカ型が望ましいと考える。



 公人の中でも芸能人に関する名誉毀損であるが、第4章でも考察したように芸能人がメディアを相手取って行う日本の名誉毀損では、被告は週刊誌を始めとする出版メディアが多い。芸能人を題材にしたほとんどの報道の内容や目的が、公共の利害にかかわる事実や、公益を図ることにあるとは思えない。
 しかし、私の友人がこのように語っていた。
「仕事で疲れた帰りに、頭の固い文章を読む気になる?一日の疲れをとったり、リラックスしたり、嫌なことを忘れたいときにおもしろい記事とか馬鹿らしい記事とかスキャンダルを読みたくなることってあるだろ。」
なるほどと思わせられるところがある。芸能人のスキャンダルにはこのような効能があるのである。
 近年、損害賠償額が高額化の傾向にある。そのこと自体でメディアを牽制することは望ましいとは思わないが、結果として敗訴するメディアが多いことからも、十分な取材というものを期待したい。
 私個人の見解としては、根本的な解決には至らないのだが、そもそもこういった芸能人のスキャンダルへの関心というものが、世の中の不正や諸問題に向いていくべきであると思う。

 
◇ 章立て ◇

② スウェーデンの報道評議会とプレスオンブズマン

 メディア責任制度については、第4章で述べたとおりである。このメディア責任制度の先行事例がスウェーデンで見られ、日本における取り組みにも示唆するところが多いように思う。

 スウェーデンにおけるメディア責任制度は、スウェーデン新聞発行者協会、スウェーデン記者組合、全国パブリシストクラブのメディア三団体が支えている。この三団体でつくる報道協力委員会が報道倫理綱領の制定に責任をもち、メディアが報道倫理綱領を遵守しているかどうかを見守る仕事をプレス・オンブズマン(以下、PO)・報道評議会に委託している。

 市民は、新聞に報道された事実や、その記事によって個人的な被害をこうむったと考える場合、まずPO事務所に苦情を申し立てる。苦情は記事が出てから三ヶ月以内に、問題の記事に関係する個人によって直接、文書で申し立てなければならない。その手続きは無料である。PO自身、自発的に報道を問題にできるし、第三者も申し立てできるが、その際は当事者の文書による承諾が不可欠である。
 申し立てを受けてPOは、新聞社・雑誌社に苦情に関して釈明させる。調査も行う。報道倫理綱領に照らして苦情が正当だとPOが認める場合には、報道評議会へ送付される。報道評議会はPOから送付されてきた苦情を審議し、採決し、新聞を叱責するか放免するかについて裁定を下す。採決で賛否同数の場合は、議長が決定票をもつ。POは原則として報道評議会の審議には参加しない。

 報道評議会は、裁定文(原語は「意見の声明書」)を出すことによって採決を知らせる。新聞・雑誌が叱責された場合は、その裁定文を新聞・雑誌の目立つところに載せ、報道評議会に手数料(一種の罰金)を支払わなければならない。この手数料がPO・報道評議会の運営資金の一部にあてられる。
 POはまた、記事の訂正や苦情申立て人からの反論を新聞・雑誌に載せさせるよう努める。報道評議会に送られない事例の中は、新聞社・雑誌社による謝罪、訂正、反論掲載などの措置(民事訴訟での示談に近い)により苦情申立て人との間で和解が成立する場合が多数ある。

 以上をモデル化したものが次の図である。

[スウェーデンの報道評議会とプレスオンブズマン 新聞・雑誌による人権侵害の救済の仕組み]


(「匿名報道 メディア責任制度の確立を」から参照し、一部修正)



 POや報道評議会は司法機関ではないが、手続きは裁判に似ている。また、報道被害者などの関係者にとって、POへの苦情申し立ては裁判所へいくよりずっと簡単で、はるかに安上がりである。申立て人は新聞社・雑誌社に対して訴訟を起こすことも妨げられていない。しかし、その場合には、裁判に先立ち報道評議会から出された裁定文は、裁判では意味を持たない。
 新聞社に対する罰金の要求が第一の関心ごとであるならば、通常の裁判の名誉毀損所訴訟のような法的手段を利用しなければならない。



 スウェーデンにおいて報道評議会とプレスオンブズマンは十分に効力を果たしているといえる。今までの日本では、メディアが人権侵害という指摘を受けてもまともに取り合ってこなかった。しかし、スウェーデンではこのような機関が存在することで、メディアが真剣にこの問題に取り組まざるを得ない環境を作り出すことに成功している。日本においては以前よりは誠意ある対応が見られるようになってきたが、十分な対応とはまだまだ言い難い。



*「現実の悪意」: 報道機関がその報道内容が虚偽であることを知っているか、またはその真実性をまったく顧慮しないでなされたこと

 
◇ 章立て ◇

~第六章 報道被害を解決していくために~


 犯罪報道による人権侵害、報道被害をなくしていくためにということで「匿名報道主義」、解決していくためにということで「メディア責任制度」という考えが先行研究では提言されている。まずはじめに匿名報道の是非について考察してみることにする。そして次にメディア責任制度の日本における展開と、その提言を見ていくことにする。 

 

① 匿名報道

 現在、日本では実名報道と匿名報道を状況によって使い分けているが、原則的には実名報道というのが犯罪報道の基本である。
 弁護士などはこの犯罪報道について原則匿名で報道すべきであると提言している。この「匿名報道主義」について同志社大学浅野健一教授は次のように述べている。
「権力の統治過程にかかわる問題以外の一般刑事事件においては、被疑者・被告人・囚人の名前は原則として報道しない」と定義した。政治家、上級公務員、警察幹部、大企業経営者、労働組合幹部など社会的に大きな影響力のある「公人」が、その立場や職務を利用して犯罪を犯したと疑われた場合、市民はその公人の名前を知る必要がある(顕名報道)が、一般市民(私人)の事件では、名前を知る必要はない(匿名報道)。

 この原則匿名報道とはスウェーデンに習ったものである。スウェーデンでは「報道倫理綱領」に、メディアが守るべき報道基準が具体的に書かれている。

  • 姓名の報道により、当事者を傷つける結果を招くかもしれないことについて、注意深く考慮しなければならない。とくに一般市民の関心と利益の重要性が明白に存在しているとみなされる場合のほかは、姓名の報道は控えるべきである。(15条)

(「匿名報道 メディア責任制度の確立を」から引用)



 「明白な一般市民の関心と利益が」ないかぎり匿名報道が原則であり、氏名を明らかにする報道(顕名報道)は、例外的扱いとなる。その主な対象は、政治家・高級公務員・財界人・労働組合幹部などの犯罪や「疑惑」、警察などの権力犯罪とされてきた。

 これらがスウェーデンでなりたってきたのは、世界に先駆けて情報公開制度を取り入れるなどに見られるスウェーデンの人権意識の高さに拠るところが少なくない。一方、日本においては人権に対する意識は低いと言わざるを得ない。
 だからこそ導入するべきだという考えもあるが、現実のところは今すぐに日本に導入するのは現状では無理だと思う。メディア側もメディア責任制度には一定の理解を示しているものの、匿名報道の導入にはまだまだ及び腰である。というよりもかたくなに拒んでいるとも言える。

 私自身の考えとしても、匿名報道の導入は現実的には無理であると思う。ただし、匿名報道そのものには反対ではない。業界、各社ごとにある一定の期間、ある特定の事件・事故について試験的に匿名報道を導入する取り組みがあってもいいと思う。
 メディアは匿名報道そのものにアレルギー反応を示すのではなく、そこで得られることから導入の是非について検討する姿勢があって然るべきだと思う。  



◇ 章立て ◇

② メディア責任制度の展開と提言

 今までメディアには、報道被害の「加害者」であるという自覚やこういう事態に対する認識が乏しかった。しかし、公権力からの規制と市民のマスコミへの根強い不信感の板ばさみにあった今、ようやくメディアは重い腰を上げたといえる。
 その動きは第3章と第4章で見てきた通りである。報道被害に対する救済は、決して十分ではない。すなわち、まず自主的な救済として、被害者が直接、報道機関に対して救済を求めても、直ちに救済が実現することはない。
 第4章で見たように「日本型オンブズマン」ともいうべき制度を発足させたところはあるものの、まだ苦情処理的な域をでないものもあり、市民の権利救済の観点から見ると、報道による人権侵害に関して、市民の救済が必ずしも十分に責任をもって、公平に実現されているとは言い難い。
 そこで、今現在あるメディアの救済機関が成熟していくことはいうまでもないが、第5章で紹介したスウェーデンの報道評議会を日本に即した形で導入していくことが望ましいと思う。
 これから紹介する「日本版報道評議会」の案は、「コミッティー21」という報道被害に取り組む七名の有識者が提言しているものである。私自身、この考えに非常に賛同できたのでここで紹介する。





共同提言 ≪メディアと市民・評議会≫を提案する 
―新聞・雑誌・出版に市民アクセスの仕組みを


<コミッティー21>
原寿雄(ジャーナリスト)/前澤猛(東京経済大学教授)
桂敬一(東京情報大学教授)/梓澤和幸(弁護士)
藤森研(朝日新聞論説委員)/田島泰彦(上智大学教授)
飯田正剛(弁護士)


≪メディアと市民・評議会≫
    目的・性格

  1. ≪メディアと市民・評議会≫は、言論・報道の自由を守り、取材・報道による市民の権利侵害を救済し、メディア倫理の維持向上を図ることを目的として、新聞・雑誌・出版界と市民・専門家が共同で設置する自主的な機関である。
  2. 評議会は、その設置・活動などについて、行政機関や国会などからの公的な規制・監督は一切受けない。
    組織・機構

  1. 評議会は、評議会の目的や職務につき理解と見識をもつ者によって構成する。
  2. メンバーの選定に際しては、新聞・雑誌・出版界の関係者とそれ以外の外部の専門家・市民などのバランスに配慮する。
  3. 委員長は、メディアに所属しない外部の者から選ぶこととする。
  4. 新聞・雑誌・出版の言論・報道の自由の侵害に関わる問題を議論し、必要な措置をとるため、評議会の中に*「21条委員会」を別に設置する。
    職務

  1. 評議会は、名誉やプライバシーなど取材・報道・出版による市民の権利侵害を救済し、新聞・雑誌・出版によるメディア倫理の違反を是正し、その回復を図ることを主たる任務とする。
  2. 評議会はまた、21条委員会を通して、新聞・雑誌・出版の言論・報道の自由に対する侵害の問題もとりあげ、必要な場合は一定の措置をとる。
    手続き

  1. 評議会は、市民からの救済・是正申し立ての苦情を受け付け、事案を調査・審理のうえ、適切な措置の助言・勧告等を含む、裁定を下すことができる。
  2. 評議会は、極めて重大な事案については、救済・是正の申し立てを受けなくとも、その職権により事案を調査・審理のうえ、一定の措置を含む裁定を下すことができる。
  3. 評議会は、当事者の申し立てにより、ヒヤリングの手続きを行うことができる。
  4. 評議会および21条委員会は、特段の理由がない限り、その議事等を公開する。
    救済・措置

  1. 評議会は、裁定内容を公表するとともに、違反した新聞・雑誌等に裁定を適切な大きさで掲載することを求めることができる。評議会は、必要と考える場合には、発行者に対して、訂正、謝罪、反論掲載等の措置をとるよう助言・勧告などができる。
  2. 21条委員会は、言論・報道の自由を侵害する事案や問題が生じた場合には、適宜見解、勧告等により意見を表明することができる。

*「21条委員会」:名称は、表現の自由を保障する憲法二十一条に由来する

(「報道の自由と人権救済 《メディアと市民・評議会》をめざして」を引用)





 この提言による評議会が実現されていけば、前述した市民のメディアへのアクセス権が今よりも克服されていくと思う。そうすることでメディア側も市民の声を聞くことができ、それをまた報道に反映していくことができる。そして、そうすべきである。そのためには、評議会のメンバーにメディア側ではない(決してメディアに悪意などを持っているというわけではない)一般市民をもっと認めるべきであると思う。
 この動きと市民のメディアへの参加というメディア・リテラシーの動きが連動して行われていけば、だいぶメディアの風通しがよくなると思う。



◇ 章立て ◇

③ 報道被害を解決していくために

 報道被害を解決していくためには、メディアによる取材時での「予防・防止」と、もし起こってしまった場合の「救済」という二つの取り組みが必要である。
 「予防・防止」という点では、第3章で述べた①記者クラブの改革②メディア・スクラムへの取り組みを見てきた。そして情報を受け取る側の私たちがより主体的に判断できるようにということで、メディア・リテラシーについて見てきた。
 「救済」という点では第4章で各報道機関の報道被害救済への取り組みについて見てきた。さらに第5章では、海外と日本の報道被害の事例を比較し、名誉毀損訴訟について見てきた。また第4章で紹介したメディア責任制度の結実として、第5章で見たスウェーデンの報道評議会をモデルとして、日本型の報道評議会を設立すべきであるという提言を見てきた。

 次に挙げるのは、今まで考察してきたことを踏まえて、私が考える報道被害を解決していくための提言である。

  • 記者クラブの改革、メディア・スクラム改善への取り組みから、一人一人の記者がより人権というものに配慮し、裏づけ取材の徹底を今以上に行っていくこと。
  • 報道する段階においては、試験的に匿名報道を導入し、その影響について調べ、公平・公正な目でその導入の可能性を探る。
  • 現状のメディア責任制度の権限を強化していくこと。
    (社内オンブズマン→社外オンブズマン→報道評議会・プレスオンブズマン)
  • メディア責任制度が広がりをみせていくこと。
  • 第6章で提言した報道評議会を設立すること。
  • メディア・リテラシーの取り組みを広め、より多くの市民がメディアの裏側を知ること。「親近感と監視」
  • 名誉毀損訴訟ではアメリカ型の成立要件を参考にし、公人にはより厳しく、私人にはより手厚く、人権を保護していくこと。

 これらを組み合わせていくことで報道被害を解決していくわけだが、これらすべてに共通して根底に必要とするものは、メディア側の真摯な態度、自助努力であり、市民の参加、監視である。
 これらなしには、報道被害が解決していくことはない。
 メディアがこれほど深刻な報道被害を引き起こし、信頼を失いながらも法規制によるメディアへの縛りはやめるべきであると多くの人が提言している。それはメディア自身に重大な被害を受けた、松本サリン事件の被害者である河野義行さんや、桶川ストーカー女子大生殺人事件の被害者の父親である猪野憲一さんもなのである。公権力からの不当な取り扱いに押しつぶされそうなったとき、救ってくれたのは自身がいったん殺されかけたメディアだった、と後に語っている。



 ここまで「メディア側の取り組みに期待する」や「自助努力に期待する」など批判的な文言を並べ、報道被害の実例を提示するなどメディアの負の部分ばかりを見てきたが、私自身決してメディアを嫌っているわけではない。
 むしろその逆である。メディアのもつ”力”というものに人一倍期待している人間なのである。だからこそ報道被害に真摯でないメディアの態度に憤りを感じるのである。
 メディアの功罪についてよく述べられるが、罪の部分に対しての批判は少なくしていき、功の部分がもっともっと賞賛されるよう、メディアのより一層の努力を期待してやまない。そして、そうできると私は信じている。
 21世紀、22世紀とメディアが、今後も人々の興味・関心のもとであり、人々が生きていく上での活力となれるような報道を心がけていってほしいと切に願う。



◇ 章立て ◇

~最終章 所感~

 報道被害というものを研究して思ったことは、その研究範囲が非常に多岐にわたるということだ。一面的にとらえることはまず不可能であり、様々な角度からの研究を余儀なくされた。到底すべてを網羅できたはいえないし、取り上げた分野についても研究の浅さを恥じずにはいられない。しかし幸いなことに、今後ともこの問題とは切っても切り離せない関係にある。社会人になっても一生涯の研究としてこの問題を追っていきたいと思う。

 私がこのテーマを研究しようと思ったのは、「『疑惑』は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私」を読んだことがきっかけだった。あとがきに、次のくだりがある。
 冤罪は他人事だと思っていたが、まさか自分がそれに巻き込まれるとは夢にも思わなかった。事件発生からわずか二十三時間で警察が犯人のレッテルを作り、マスコミが二日でそれを張ってしまった。世の中スピード時代と言われているが、あまりにも早過ぎはしないだろうか。それに引き替え、潔白の証明が如何に困難で、時間がかかるか身をもって体験した。この時代は事実検証をする時間も許されないほど、追われているのか。

(「『疑惑』は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私」から引用)

 この本を読み進め、あとがきを読んだとき、この言葉ほど私の胸に迫るものはなかった。
 この現実にメディアは目を背けるべきなのだろうか。
 答えは「否」である。
 人権の侵害が急速なスピードでなされていく中、メディアはこの問題に歩みを止めることがあってはならない。
 メディアが市民のそばに真に根ざした形で、報道が成熟していくよう、その一翼を担っていきたい。



数十年後も今と同じ志を持ちつづけていたい

 いったい誰のための報道なのか・・・




◇ 章立て ◇

参考文献

  • 喜田村洋一 『報道被害者と報道の自由』 白水社 1999年
  • 毎日新聞社編 『開かれた新聞 新聞と読者のあいだで』 明石書店 2002年
  • 読売新聞社編 『「人権」報道 書かれる立場、書く立場」』 中央公論新社 2003年
  • 河野義行 『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』 文藝春秋 1995年
  • 鳥越俊太郎、小林ゆうこ 『虚誕 警察に作られた桶川ストーカー殺人事件』 岩波書店 2002年
  • 柏倉康夫 『マスコミの倫理学』 丸善株式会社 2002年
  • 田島泰彦・原寿雄編 『報道の自由と人権救済 《メディアと市民・評議会》をめざして』 明石書店 2001年
  • 浅野健一・山口正紀 『匿名報道 メディア責任制度の確立を』 学陽書房 1995年
  • 『新マスコミ学がわかる。』 朝日新聞社 2001年
  • 「朝日新聞」(紙面およびホームページ『asahi.com』 http://www.asahi.com)
  • 「毎日新聞」(紙面およびホームページ『Mainichi INTERACTIVE』 http://www.mainichi.co.jp)
  • 『ジュリスト』 2003年10月1日号 有斐閣
  • 『出版ニュース』 2004年1月上・中旬合併号 出版ニュース社

参考ホームページ

  • 日本新聞協会ホームページ http://www.pressnet.or.jp/
  • 日本民間放送連盟ホームページ http://www.nab.or.jp/htm/ethics/antireg.html
  • 日本雑誌協会ホームページ http://www.j-magazine.or.jp/FIPP/index.html
  • 日本ペンクラブホームページ http://www.japanpen.or.jp/honkan/seimei.html
  • 日本新聞労働組合連合ホームページ http://www.shinbunroren.or.jp/030411.htm
  • 日本民間放送労働組合連合会ホームページ http://www.iijnet.or.jp/minpo/message/message.html#031210
  • 日本出版労働組合連合会ホームページ http://www.syuppan.net/
  • 放送倫理番組向上機構ホームページ http://www.bpo.gr.jp/brc/f-n-kujou.html
  • 放送と人権等権利に関する委員会機構ホームページ http://www.bro.gr.jp/news/n-k2002.html
  • 首相官邸ホームページ http://www.kantei.go.jp/
  • 法務省ホームページ http://www.moj.go.jp/
  • 総務省ホームページ http://www.soumu.go.jp/
  • 長野県ホームページ http://www.pref.nagano.jp/
  • 神奈川県鎌倉市ホームページ http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/index_other.htm
  • 報道被害救済弁護士ネットワーク http://hodohigai.infoseek.livedoor.net/
  • 日本弁護士連合会 http://www.nichibenren.or.jp/
  • 人権と報道・連絡会ホームページ http://www.jca.apc.org/~jimporen/