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事件記者の目
(2018/01/18)
政府は先月26日の閣議で、名古屋高検検事長に林真琴・法務省刑事局長(司法修習35期)、広島高検検事長に稲川龍也・高松高検検事長(同35期)、稲川氏の後任に小川新二・最高検公安部長(36期)を充てる人事を決めた。青沼隆之・名古屋高検検事長(34期)と斉藤雄彦・広島高検検事長(同35期)は辞職した。
名古屋高検検事長は、検察の序列では、検事総長、東京、大阪高検検事長に次ぐナンバー4のポストだ。初めて検事長になるときは、より小さな格下の高検に配されることが多い。林氏の場合は、事務次官を飛び越しての3階級特進だった、といえる。
林氏は法務省刑事局総務課長、官房人事課長など同省の本流を歩み、「法務・検察のプリンス」と目されてきた。法務省としては、次の次の検事総長への就任を射程に入れた人事だったとみられる。
しかし、当の林氏には、法務事務次官として人事改革など法務行政を刷新したいという思いがあったとされ、不本意な異動だったようだ。元検察首脳の一部は、林氏が辞職するのでは、と心配したが、林氏は異動を受け入れた。
法務・検察幹部が描く人事構想がくるい始めたのは、2016年夏だ。
当時の法務・検察の首脳らは、検事総長を、西川克行氏(現検事総長、当時は東京高検検事長、31期)、稲田伸夫氏(現東京高検検事長、当時は法務事務次官、33期)、林氏(当時も法務省刑事局長)の順番でつなぎたいと考えていた。
林氏の同期には黒川弘務氏(当時は法務省官房長、35期)がおり、そのキャリアや実力は林氏と双璧とみられていた。法務・検察幹部は「林氏が検事総長候補の最右翼」と内外にアピールする意味も込め、2016年夏時点で林氏を事務次官に登用する人事を立案した。
ところが、事務次官だった稲田氏が、自分の後任への林刑事局長の昇格と、黒川氏の地方の高検検事長への転出を織り込んだ人事原案を固め、官邸側と折衝したところ、官邸側は、法務省官房長として法案や予算などの根回しで功績のあった黒川氏を事務次官に登用するよう求め、法務・検察側は、受け入れた。
その際、法務省幹部らは「黒川次官の任期は1年で、必ず林氏に交代させる」との「約束」が官邸との間でできた、と受け止めた。ところが、1年後の2017年夏、官邸は、黒川事務次官の続投を求め、法務・検察は衝撃を受けた。
とはいえ、14年5月末以降、中央省庁の幹部候補600人の人事は、内閣人事局が官房長官のもとで一元管理し、各省庁の局長以上の幹部候補者名簿を作成し、首相や各大臣が協議して決定することになっている。検察という独立性を要求される組織を抱える法務省といえども、逆らうわけにはいかない。半年後の異動で、林氏の次官昇格を目指すことで再び刑事局長留任を受け入れた。
2度あることが3度あっては一大事と、法務省は黒川次官以下が、今回の異動では、黒川氏を地方の検事長に転出させ、林氏を次官に昇格させる方針で、官邸に周到な根回しを行った。
さすがに、官邸も、今回は、林氏の次官昇格を容認したとされるが、意外な伏兵がいた。上川陽子法相だ。法相は、法務・検察幹部の人事権を持つ。国際仲裁センターの日本誘致の方針をめぐる意見の相違などを理由に林氏を次官に登用するのを拒んだとされる。一部には、再度、林氏の留任を、との話もあったようだが、最終的に、上川法相が菅義偉官房長官と直談判し、林氏を地方に転出させる人事を決めたという。
法務大臣が、官邸まで認めた事務方の人事案に横やりを入れるのは極めて珍しい。そのため、法務省内外で、林氏が事務次官になりたくて猟官運動をしたとか、林氏個人に大臣に対する失礼があり、それで嫌われたのでは、などの噂も流れたようだ。そういう事実はない。今回の人事は、あくまで、政治の側の都合によるものだ。菅氏と上川氏は密室でどういう話をしたのか。その内容は、漏れてこない。
さて、肝心の検事総長人事。今年夏に西川検事総長が勇退し、後任に稲田東京高検検事長が就く予定だ。東京高検検事長には、八木宏幸次長検事(33期)が起用されるとみられる。東京高検検事長は検事総長に向けたテンパイポストだが、八木氏はここで退官するとみられる。
稲田氏の次の検事総長の「有資格者」は、実績とキャリアからして黒川氏と林氏の2人に絞られる。法務省の現下の構想では、稲田氏の次は林氏だ。「検事総長ポストを2年間隔でつなぐとすると、年齢の関係で林氏しかいない」(法務省幹部)からだ。
検事総長の定年は65歳。検事長以下の定年は63歳だ。稲田氏は1956年8月14日生まれ。林氏は1957年7月30日生まれで、林氏が63歳になるのは2020年7月だ。
2016年夏に検事総長に就任した西川氏が2018年夏に任期を半年残して稲田氏に総長の椅子を譲り、その2年後の2020年夏に稲田氏は林氏に禅譲すれば、西川、稲田両氏は2年ずつ検事総長を務めることができるのだ。
一方、黒川氏は、稲田氏とわずか半年違いの1957年2月8日生まれ。稲田氏が2018年夏、予定通り検事総長に昇進した場合、黒川氏を検事総長にするには、黒川氏が満63歳の誕生日を迎える2020年2月8日までに稲田氏が辞めなければならない。
仮に、黒川氏から林氏へと同期で検事総長の椅子を引き継ぐとなると、黒川氏は2020年7月までに退官しなくてはならない。2年間で検事総長2人が交代することになり、任期が非常に窮屈なことになる。重責を担う検事総長が半年や1年でころころ代わるのは、国民が望むところではない、だから、林氏しかない、というのが法務省の論理だ。
しかし、検事総長の有力候補である林氏と黒川氏についての法務省の人事構想は、3回にわたって政治の介入で大きく崩れた。果たして構想通りに林検事総長が実現するのか、危惧する元検察首脳もいる。
林氏が地方に去り、実力次官の黒川氏の存在が法務・検察で一層、大きくなったのは誰もが認めるところだ。
黒川氏は、若いころから独特の捜査センスを持ち、特捜幹部から将来を嘱望されていた。しかし、98年に司法制度改革要員として法務省に吸い上げられ、以後、法案のロビーイングや省内外の危機管理のプロとして今にいたる。
自公政権から民主党政権、さらに自公政権へと政権が交代していく間、法務省審議官、官房長、事務次官と、法務省の政官界ロビーイングの先頭に立ってきた。それゆえ「政権との癒着」「不当な捜査介入」などの批判を受けることもあったが、一方で、実務派の検察幹部やOBらには根強い「黒川待望」論があるのも事実だ。
そういう検察サイドの声は別にして、法務省官房長、事務次官として長く、官邸や政界との窓口を務めた黒川氏に対し、政治の側が親近感を持ち、論功行賞で検事総長にしたいと思っても不思議ではない。
大阪地検の不祥事以降、鳴りを潜めていた特捜検察だが、リニア新幹線談合事件への積極的な捜査など復活の兆しも見え始めた。背後に潜む構造的な腐敗にメスが入れば、政権運営に影響するのは必至だ。「政治の側にとって暴走とならない」よう検察に対する重しの役割を期待するかもしれない。
いずれにしろ、次の次の検事総長を黒川、林…「続きはログイン・ご購入後に読めます」
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