目次
炎上した発言
製造業は,景気が回復すれば増産すればいい
→ 製造業を見下している 等と炎上
製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。
科研費も自分のことばかり言う
→ 研究者を見下している 等と炎上(ただし平田オリザ自身も研究者)
「例えば漫画を読むと感染するウイルスが…」
→ 漫画家を見下している 等と炎上
スポーツイベントは無観客でも成立する
→ スポーツを見下している 等と炎上 また,関連して,野田秀樹さんの意見書も一部で批判されています. 意見書 公演中止で本当に良いのか
演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。
演劇はなぜ特別か
以上が炎上するほどの発言か,個人的には疑問です. ただ,平田オリザさんの発言の真意は多少わかりにくく,それが炎上した一つの要因でしょう. 実際,演劇は,スポーツ・製造業・漫画等と何が違うのか を理解できた人は少数ではないでしょうか. 以下では,平田発言の理解を試みます. キーワードは2つです.1.相互行為に関しては,内容は少し理屈っぽくなります.
- 相互行為
- 代替可能性
1. 演劇は「生」「相互行為」の芸術である
演劇とは,俳優が劇場で観客に何かを演じてみせる芸術・娯楽です. 特に,観客が現地で, 生で鑑賞する(ライブである) ことが重要です. 単に,「生で鑑賞するから,メディアの臨場感が高い(空間が広い,音響に迫力がある等)」ことが演劇の価値だというわけではありません. 「演劇は,俳優と観客(または観客と観客)の間の 相互行為である」 点が他の芸術・娯楽と比べて特別なところです. 演劇が相互行為である,とは,演技(俳優 ⇒ 観客),鑑賞(観客 ⇒ 俳優)という2つ行為が,同じ場(劇場)で行われるということです. つまり,演劇の観客は,劇場では,主体(演劇を見る)であると同時に,客体(俳優や他の観客に見られる)でもあるということです.
「観客も見られている」という状況は,鑑賞という体験自体に影響します. 例として,「1分ほど,セリフもBGMもない無音の場面を用意する」という演出を考えます. 演劇であれば,観客はその場面の間,何か音を立てて演出の邪魔にならないように気をつけるはずです. 咳払いをしないだけでなく,座席の軋み音が鳴らないようにすら気を遣うかもしれません. もし,くしゃみでもしようものなら,ひょっとするとその後の演劇の内容に影響するかもしれません. 演劇では,無音の演出は,観客に「息を呑み,音を立てないようにする」という緊張感を与える効果があります.
一方で,テレビドラマで同じ無音の演出があった場合はどうでしょうか. この場合,何か音を立てたところで,自分(とせいぜい一緒に見ている家族や友人)しか影響を受けません. 仮にくしゃみをしたところで,放送内容が変わってしまうことはありえません. 劇場に比べれば,無音の演出が与える緊張感はかなり弱いといっていいでしょう. 以上の例のように,同じ演出であったとしても,相互行為であるかどうかによって,鑑賞の体験は異なるものになります.
演劇の脚本・俳優の演技は,相互行為があるという前提で準備されます. 無音の演出は,「観客が緊張感を持つ」効果を見越しています. 天井からワイヤで俳優が下りてくるという演出は,「他の観客からも驚きの視線が集まり,場に一体感が生まれる」効果を見越しています. ジョークの演出は,「他の観客も笑い,場が明るく・軽くなる」効果を見越しています. または,それらの演出が狙ったとおりの効果を持つか,観客を観察しながら,新しい表現方法を試行錯誤をする場でもあります.
このように,演劇とは相互行為という特殊な装置であり,その装置の上での表現を追求する芸術・娯楽です. これが,演劇の大きな特徴であり,存在意義です.
2. 演劇DVDはドラマ・映画で代替できてしまう
「コロナで演劇業界・劇団が危ない」と言ったときに,容易に思いつく対策は,
- 演劇を収録したDVDを販売する
- 演劇を収録した動画をYoutubeで公開する
等でしょう. しかし,演劇が映像化されると,上で言ったような「相互行為」という特徴が失われてしまいます.
もちろん,演劇DVDが全くの無価値であるとは思いません. 確かに,脚本のストーリーや役者の演技力,音楽を楽しめるという価値があります. しかし,これらの価値は,ドラマや映画など,他の映像メディアでも代替可能です. むしろ,ドラマや映画は,演劇に比べると,時間・空間的に自由です. 例えば,複数カットから一つのシーンが作れますし,各カットは異なるロケ地でもいいわけです. 映像作品としての表現の幅は,演劇よりも広いです. 演劇DVDは,表現の幅が狭く,かといって相互作用という特徴も失った,いわば悪いところ取りの芸術・娯楽です.
もしかすると,「私はドラマや映画よりも演劇風の映像作品が好きだ」という人もいるかもしれません. しかし,そういう人は少数でしょう. また,その少数の人も,「生で演劇を鑑賞したときの体験」が前提にあって,その延長として,映像作品を鑑賞することが好きなのではないでしょうか. 生の演劇なしに,演劇DVDのみで芸術・娯楽として成立するのは困難であるように思います.
批判の再確認と反論
製造業に対する無理解か?
まず,文脈として「製造業等と演劇とは産業構造が異なる.したがって,適切な支援方法も異なる.従来の国の支援システムは製造業向きであり演劇には不向きである」ということを言おうとしていた,ということは押えるべきでしょう.(それでほとんど解決かもしれませんが)
製造業には,「生産 ⇒ 消費」という時系列が存在します. 消費が回復すれば,大量に生産し,それを流通させ,消費させることが(原理の上では)可能です. 対比するなら,演劇は「生産(演技)⇔ 消費(鑑賞)」という相互行為です. 消費の場で生で生産する必要があるため,消費が回復しても,生産量に制約があります.
文脈を読めば,製造業との対比は,この点を説明するためのものだと理解できます. つまり,「製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。」という発言は, 「他に問題がなければ,製造業には増産により解決できる 可能性がある 」ということを意味しています. 逆に,「演劇は他に問題がなくても,原理上,演劇は 増産不可能である 」ということが主張です. この論点のためには,「製造業が増産により回復しようとしたとき,どのような現実問題が存在するか」は直接関係ありませんし, それについて平田オリザさんが何かを主張しているわけでもありません. したがって,製造業に対する無理解という非難は的外れです.
ここでの話題は,想像するに,国の「無利子無担保融資」による企業支援策のことでしょう. 融資とは,いつかは返済するお金です.返済するときには,「通常の支出」と合わせて「融資の返済」を出費する必要があります. このためには,「通常の収入」以上の収入が必要です. 製造業は,消費が回復すれば増産により十分に収入を回復することは可能かもしれないが,演劇は増産できないので,上手く行きそうにない(融資だけでは結局潰れてしまう)という主旨だろうと想像します.
確かに,そうすると,文科省から補助金のような形になるのでしょうか. そもそもコロナ以後,上映すらどれくらいできるのかわからない演劇に対し,どこまで補助金を出すべきか,ということが論点になりそうです.
研究者を見下しているか?
まず,彼自身が研究者であり科研費申請者であることは一つの文脈です.
その上で,製造業に対する発言は,「演劇を特徴づけるための比較対象」であり,優劣を論じているわけではありません. むしろ,演劇の存在価値が微妙であり,客観的に見ればむしろ劣っていると判断される可能性があるからこそ,支援の必要性を発信しているのでしょう. 本人のツイートの通り,ここで言われているのは「意義・社会的位置づけ」であり(それがそもそも伝わっていないことが問題なのですが), 科研費申請では普通に記述されることだと言う主張は妥当でしょう.
漫画家を見下しているか?
ちょっとこれはそもそも「なんで漫画家を見下していることになるのか」を私が理解できませんでした. 「オリザは〇〇を見下している」と言いたい人のオモチャになっただけで,真面目に論じる価値はあまりなさそうだと感じます.
彼の例えを補足するなら, 「ある日(○年○月○日)以降に 執筆された漫画を読むと,あるウイルスに感染する」という仮定をおいているのでしょう. ○年○月○日以降は,新しい漫画は生産されませんから,アシスタントは不要になってしまいます. しかし,漫画家は,○年○月○日以前に生産された漫画による収入(印税)は受けられるだろう,ということです.
おそらく,演劇の業界でも,過去の資産で収入が得られる立場と,得られない立場があるのでしょう.
スポーツを見下しているか?
これも製造業の発言と同じで,「原理上」「可能性として」無観客でも成立するか,ということを論じているものと思われます.
上で何度か書いた通り,演劇は,無観客(+映像配信)では,受け手の経験が変化するため,芸術・娯楽として,もとの演劇とは全く異なるものとなっていまいます(「相互行為」). なお悪いことに,映像化された演劇には,ドラマや映画といった上位互換メディアが存在し,演劇である必要性が低いのです(代替可能性). したがって,演劇は無観客+映像配信では「原理上」存続しえません.
スポーツはどうでしょうか. 確かに,無観客になれば盛り上がりにかけるなどの悪い影響はあるでしょう. しかし,スポーツが無観客 + 映像配信になったとしても,娯楽としての価値は根本からは損なわれません. 特に,映像配信されたからといって,代替可能な映像メディアが存在するわけではありません. したがって,ここでも,「原理上は」「可能性としては」「演劇とは異なり」スポーツ中継は無観客+映像配信でも成立しうるという主張です. 例えば,「スポーツが無観客+映像配信」で収益を上げるために国が支援策をうち,仮にそれが上手くいったとしても, 演劇の支援はそれとは同じ方法では成功しないわけです. ここでも,「実際にスポーツが無観客+映像配信で収益を上げようとしたときに,どのような現実問題が存在するか」は直接関係ありませんし, それについて平田オリザさんが何かを主張しているわけではありません. また,スポーツについて,映像配信になっても(演劇にはない)一定の価値を認めているからこその上記の発言です. したがって,スポーツを見下しているという非難は的外れです.
なぜ炎上したか
端的に,「比喩で言おうとしている内容が難しすぎた」んだと思います. 演劇の芸術としての特徴なんて,演劇に興味のない人に説明するには,かなりの情報量が必要です. なお悪いことに,ネットでは,「よくわからない人のよくわからない発言」は,「頑張って解釈しようとする対象」ではなく,「曲解して叩く対象」です. 曲解されないためには,大半の人が無理なく理解できる内容に絞って情報発信をするべきだったのかもしれません. 例えば,
- 目の前で生で演じることが,ドラマや映画にはない演劇の魅力だと思っている.
- だから,映像配信だと文化が廃れてしまうと思っている.
- また,演劇の公演スケジュールは実はタイトなので,仮に今後演劇を見たいという人が増えても,売上増に伸びしろはなさそうだ.売上に伸びしろがない上に,負債が膨らんだ状況なので,文化の保存のためにも,現行の融資とは別の支援が欲しい.
くらいでしょうか.