グーグルがトロントで夢見た「未来都市」の挫折が意味すること

グーグルの親会社であるアルファベット傘下のSidewalk Labsが、カナダのトロントで進めてきた「未来都市」のプロジェクトから撤退することが決まった。先進的なコンセプトで注目された一方で、住民たちから収集したデータの扱いなどが議論を呼んできた今回の計画。その挫折によって、スマートシティの実現までに解決すべき多くの課題が改めて浮き彫りになった。

Toronto

PHOTOGRAPH BY SIDEWALK LABS

グーグルの親会社アルファベット傘下のSidewalk Labs(サイドウォーク・ラボ)が、トロントのウォーターフロント地区の一部を再開発するプロジェクトに5,000万ドル規模を投じると発表した2017年。その計画は、あまりにできすぎた話であるように思えた。

もとは工業用地だった12エーカー(約48,560平方メートル)の街に木造の高層ビル群を建築し、そこで生活と仕事ができるようになる──。遠くない時期にそうなると、サイドウォーク・ラボはトロントの住民に約束したのだ。

建物に使う木材は、低価格でよりサステナブルな建築資材を利用する。新しいタイプの光る敷石で舗装された街路は、瞬時にデザインを変えられる。家族連れで歩き回れる街は、時間帯などによって自律走行車のための道路に切り替えられるのだ。

ごみは地下のダストシュートを通って捨てられ、歩道には発熱の機能がある。数千世帯が暮らすことになるアパートメントのうち40パーセントは、低所得者と中所得者に優先的に割り当てられる予定だった。そして都市生活を最適化するために、サイドウォーク・ラボが街中でデータを集めるはずだった。

関連記事グーグルが計画中の未来都市「IDEA」は、徹底したデータ収集に基づいてつくられる

これらの夢は、すべて5月7日(米国時間)に終わりを告げた。サイドウォーク・ラボの最高経営責任者(CEO)のダン・ドクトロフが、同社が開発への参画をとりやめることを発表したのだ。元ニューヨーク副市長のドクトロフは、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)を原因のひとつに挙げて、Mediumへの投稿に次のように書いている。

「経済的に不安定な状態が過去に例のない規模で世界中で起きており、トロントの不動産市場も例外ではありません。このため計画の中核的な部分を犠牲にせずにプロジェクトの収益性を確保することが、非常に困難になっています」

何度も遅延を繰り返した理由

だが実際のところ、サイドウォーク・ラボのヴィジョンはパンデミックが発生するずっと前からトラブル続きだった。プロジェクトが始まった当初から、アルファベットがどのようにデータを集めて保護するのか、誰がそのデータを保有するのかを懸念する進歩的な活動家の批判に晒されてきたのだ。

関連記事グーグルはトロントにとって、本当に「よき管理人」なのか? 未来都市が生み出す「情報の価値」の真実

これに対して地元オンタリオ州の首相で保守派のダグ・フォードは、納税者がプロジェクトの予算に見合った恩恵を受けられるのか疑問に感じていた。ニューヨークに本社を置くサイドウォーク・ラボは、プロジェクトの知的財産の所有権や資金調達を巡り、現地のパートナーであるウォーターフロント地区の再開発当局を相手に交渉を続けていた。なかでも資金調達が最も重大な問題だった。

事業者側はトロント市の予測不可能な政治に当惑することもあったようだ。こうしてプロジェクトは何度も遅延を繰り返した。

一連のパートナーシップは昨年の夏、サイドウォーク・ラボがもっと野心的で派手なマスタープランを発表したことで、さらに大きな壁に阻まれることになった。マスタープランは州政府の想定をはるかに上回る1,524ページもの内容で、同社は完成までに最大13億ドルを投じると謳っていたのだ。

そもそも再開発当局は、サイドウォーク・ラボによるデータ収集や地区の管理についての提案の一部が「合法であるかどうか」すら怪しいのではないかと考えていた。こうしたなか、同社は再開発地区への公共交通機関の乗り入れを実現するために、州政府に数百万ドルの投入を求める提案を出していた。そこに当局は拒否反応を示すと同時に、同社が単独でプロジェクトを完成させることは不可能であると改めて認識したのである。

「スマートシティ」全般への疑問

サイドウォーク・ラボのドクトロフは、この壮大なマスタープランが今後も役立つ可能性があると述べている。同社が2年半のプロジェクト期間中、市民のデータ管理について真剣に検討したのは事実だろう。この3月には、同社の幹部たちが『WIRED』US版の取材において、いかに完全な透明性をもってこの問題にアプローチするのかを語っている(こうした取り組みでは不十分であるとの指摘もある)。

ドクトロフによると、今回の事業だけでなく、都市のモビリティやインフラのさまざまな問題に取り組んできた出資先企業の活動で得られた知見は、今後も生かされるのだという。

そうは言っても今回のプロジェクトの中止によって、最先端のテクノロジーと民主的な統治機構との統合を目指す「スマートシティ」という発想そのものに対する疑問が生じてくる。

このスマートシティという“バズワード”は、まるで格言のようになっていた「データは新しい石油である」という言葉にほとんど疑いの目が向けられていなかった時期にはもてはやされた。ところが、テック企業への反発が高まるにつれ大きな逆風に直面した。都市とその住民が、自分たちのデータがシリコンヴァレーの企業にどう扱われるのかについて、次第に不信感を抱くようになったのだ。

パンデミックの時期に計画が終わることの意味

この種のプロジェクトで生じる問題を解決するには、理論的には草の根の活動から始めていくやり方がある。「こうした事業を、サイドウォーク・ラボや地域の未来を再構想しようとする大手テック企業が次に実施するときは、地域コミュニティとの密接なコミュニケーションが伴ってくるでしょう」と、ノースイースタン大学の公共政策大学院でリサーチと政策におけるビッグデータの活用について研究しているダニエル・オブライエンは語る。

矛盾した話ではあるが、データの収集と監視が新型コロナウイルスの感染拡大を遅らせる重要な手段であると見られるようになったタイミングで、トロントのプロジェクトは中止となった。グーグルはアップルと共同で、感染者と非感染者の濃厚接触を自動的に追跡するスマートフォン向けの技術を開発した。両社によるとデータは必ず匿名で記録される仕組みになっており、濃厚接触の追跡によって米国人の多くが自宅待機から解放されるのだという。

データで何ができるのか、そして何をすべきなのか──。世界は、この命題を解き明かすための壮大な実験場になろうとしている。いまのところ、その役割をトロントで捨て去られた計画の断片が果たすことはないだろう。

※『WIRED』によるスマートシティの関連記事はこちら

SHARE

新型コロナウイルスのワクチンを「数カ月」で完成させる:英研究チームが挑む史上最速の量産への道のり

新型コロナウイルスワクチンの開発に、いま世界中の科学者たちが取り組んでいる。こうしたなかオックスフォード大学の研究チームが、史上最速ともいえる数カ月というスピードでワクチンを完成させる難題に挑んでいる。秋までに100万本を量産するという目標を、研究チームはいかに達成しようと考えているのか。

TEXT BY SABRINA WEISS
TRANSLATION BY CHIHIRO OKA

WIRED(UK)

potential vaccine for COVID-19

CARL RECINE/REUTERS/AFLO

世界保健機関(WHO)は2018年、パンデミック(世界的大流行)を引き起こす危険性が高く、最優先で研究開発を進めるべき感染症のリストに「疾病X(Disease X)」を加えた。疾病Xとは、ほかの感染症とは異なる未知の伝染性疾患のことを指す。

関連記事対策が存在しない「疾病X」の脅威に、人類はどう備えるべきなのか

この「X」という文字は、現時点では人間での発症が確認されていないが警戒が必要な病原体を意味する。新型コロナウイルス(正式名称は「SARS-CoV-2」)は、まさにこれに相当するものだ。わたしたちはいま、疾病Xが実在する世界を生きていることになる。

新型コロナウイルスの存在が確認されてから、全世界の死者数は25万人を超え、多くの国でロックダウン(都市封鎖)が続いている。ワクチンがなければ流行を完全に止めることは難しい。そして英国では、記録的とも言える速さで開発が進んでいる。

実証プロジェクトとして開発がスタート

ワクチンが承認されるまでには、通常は何年もの時間がかかる。新型コロナウイルス感染症「COVID-19」のワクチンの開発は全世界で100件前後が進行中だが、このうちオックスフォード大学の研究チームは、今年9月末までに100万人分の製造を目指す方針を明らかにした。実現すれば人類史上で最速記録になることは間違いないが、成功するかどうかはまったくわからない。

現時点で臨床試験の段階まで進んでいるワクチンは、6種類しかない。オックスフォード大学のプロジェクトも、そのうちのひとつだ。同大学のワクチンでは、ラッサ熱や中東呼吸器症候群(MERS)のワクチンにも使われるアデノウイルスベクター(ChAdOx1)と呼ばれるウイルスベクターを用いている。

オックスフォード大学教授で開発プロジェクトを率いるサラ・ギルバートは、1月初めに武漢で新型コロナウイルスによる感染症が流行しているというニュースを耳にしたとき、チャンスかもしれないと考えたという。ギルバートは最近の記者会見で、次のように話している。

「興味をもちましたが、感染がどこまで広がるかはわかりませんでした。研究室の同僚と話し合って、『疾病X』を念頭に置いた実証プロジェクトとして、ワクチンの開発に取りかかることを決めたのです」

研究開始から3カ月で治験

中国当局は1月10日にSARS-CoV-2の完全なゲノム配列情報を公開したが、ギルバートのチームはその直後に研究に着手し、わずか3カ月後には「ChAdOx1 nCoV-19」と名付けられたワクチンの治験が始まった。第1相試験では550人にChAdOx1 nCoV-19、対照群としてやはり550人に髄膜炎および敗血症のワクチンをそれぞれ接種する。

英政府は、このワクチン開発に2,000万ポンド(約26億4,000万円)の助成金を交付することを決めている。200人のスタッフが交代で、オックスフォード、サウサンプトン、ブリストル、ロンドンの各試験センターを訪れる被験者の血液を採取し、スクリーニングを進めているところだ。なお、ロンドンのセンターはインペリアル・カレッジ・ロンドンに置かれているが、同大学も独自にワクチン開発に取り組んでおり、こちらは6月から臨床試験を始める計画だ。

治験の協力者には、最高で625ポンド(約82,000円)が支払われる。オックスフォード大学のワクチンは、チンパンジーアデノウイルスにSARS-CoV-2の「スパイク」のゲノム配列を組み込んで体内に送り込む。スパイクとはコロナウイルスの表面にある突起のことで、ウイルスベクターは細胞に侵入して目的の遺伝子を発現するが、複製能力はもたないため発症はしない。

秋までに100万本を量産へ

こうして開発チームは、被験者が新型コロナウイルスに感染しないか追跡することになる。だが、この過程で国内の感染拡大に歯止めがかかって感染者数が徐々に減少した場合、必要なデータを収集するには最長で6カ月かかる可能性がある。これはかなり厳しい開発スケジュールの最初のハードルになると考えられている。

一方、第1相試験が成功すると、55〜70歳および70歳以上を対象とした試験が始まる。70歳以上の高齢者は、感染に対して最も脆弱で免疫力も低下していることから、ワクチンの効果がうまく出ない可能性がある。なお、イングランドおよびウェールズでは4月第2週のCOVID-19による死者の4割近くが75〜84歳だった。

オックスフォード大学教授で開発チームの一員でもあるアンドリュー・ポラードは、「高齢者で免疫がうまくつかない場合、ワクチンの量を増やすことも検討しています」と話す。

秋までに100万本という量産目標を達成するために、治験の結果を待たずにバイオ医薬品メーカー7社と製造委託契約が結ばれた。内訳は英国企業が3社(ポール、コブラ・バイオロジクス、オックスフォード・バイオメディカ)と欧州企業が2社、残りはインド企業と中国企業で、中国企業は世界最大規模の生産設備を擁する。

リーズ大学の分子ウイルス学教授ニコラ・ストーンハウスは、これについて賢明な戦略だと評価する。開発が成功すれば全世界で数億本規模の需要が見込まれ、これに対応するには複数の国で生産するのが理想だという。例えば、B型肝炎のワクチンは1981年以降は少なくとも7カ国で生産されているが、2017年に英国が全新生児への摂取を導入したときには世界的な品不足が起きた。

山積する課題

オックスフォード大学の取り組みが成功するかどうかは別として、政府や製薬企業は常に複数のプロジェクトを並行して進めるべきだと、英国免疫学会のダグ・ブラウンは指摘する。低価格で量産可能なワクチンが期待通りのスケジュールで利用可能になるかわからなくても、開発プロジェクトには投資を続ける必要がある。ブラウンは「有望な開発案件を支援し、英国だけでなく世界各国での量産を目指さなければなりません」と話す。

オックスフォード大学のワクチンは科学的にも生産体制の面からも、まだたくさんの課題がある。量産が可能になるまでには長い時間がかかるだろう。それに新型コロナウイルスについて不明な点も多い。例えば、集団免疫を確立するには、どれだけの人にワクチンを接種しなければならないのかといった問いには、答えが出ていない。

感染力が非常に強いはしかでは、人口の95パーセントにワクチンを接種しないと集団免疫は成立しない。新型コロナウイルスでは、感染拡大の初期段階では基本再生産数は2〜3程度だったと考えられている。この場合、人口の60〜80パーセントにワクチンを接種しなければならない。

英保健省は4月23日、イングランドの20,000世帯を対象に新型コロナウイルスの感染検査を実施する計画を明らかにした。ワクチンの接種プログラムを策定する上で、感染実態を把握することは必要不可欠だ。

ブラウンは「特定のグループから接種を始める可能性はあります」と言う。「その場合、優先すべきなのは感染した場合に危険性が最も高いと考えられているグループなのか、それとも感染率が特に高いグループなのか。子どもから接種していくのか、成人の就労者からとりかかるのか。こういったことは、現時点ではまだ何もわかっていないのです」

SHARE