三池の「臼(水)かぶり」祭り
毎年、成人の日の夜は「臼(水)かぶり」祭りがおこ
なわれます。今年は10日で、朝から粉雪がちらつく天
気で寒い日でした。
子どもたちは寒かろうと思いながら三池の弥剣神社
に行くと暖をとるため焚火のまわりに半そで短パン裸
足姿の子どもたちと白装束に身を固めた青年が時間が
来るのを待っておられました。
神事の後子どもたちは学年ごとに並んでバケツの水
を頭からかぶって火災よけを念じました。青壮年は勇
壮に水の入った100キロ近い木臼を抱え上げ頭にかぶり
後ろに跳ね上げてくれました。臼かぶりが終わると、
松飾り等の「どんど焼き」があり、粥を振舞ってくれ
ました。
はじめの挨拶の中にこの神事の由来について説明が
あり、説明書も配られました。説明書には次のように
書かれていました。
臼(水)かぶり
明治元年1868年三池上町・寺町の80戸を焼失した
大火のあと、火災除けの祈願として始まったのが
「三池の臼(水)かぶり」と伝えられ、今日に至って
います。
この行事は、大寒の正月15日に白装束に身を固めた
上町・寺町の氏子達が、三池弥剣神社(祇園宮)の氏
子中(三池第一、材木町、神田脇)の家々を隈無く二
度駆け巡り、三度目には法螺貝の音に励まされ、うず
たかく積まれ、水を灌いだ臼を豪快にかぶり捨て、あ
るいは家々の門前に置かれた臼やバケツをかぶり、氏
子中の火災除けを祈りながら駆け抜けていったものだ
そうです。
初めは青年壮年を中心とした行事であったが、次第
に小学校高学年を中心としたものに変わり、最近また
、青壮年の方も参加されるようになりました。
大寒のみぞれのなかを白装束の子供達が、氏子中の
火災除けを念じながら、けなげにも走る様は、また別
の趣があったことと思います。年齢の違う子供達が同
じ祭りに参加したという体験は、のちに同じ地域社会
に暮らすものにとって、貴重な共通の思い出となった
事でしょう。
だが、交通事情の悪化にともない、氏子中巡行が危
険となり、「臼(水)かぶり」は中止のやむなきに至
り、昭和58年、四半世紀を経て、伝統行事の保存を願
う神社保存会と上町・寺町の氏子を中心に、祇園内境
内において「臼(水)かぶり」を復活させた次第です。
復活させて29年経過しますが、今ではすっかり定着
をし、奇祭故に大牟田市民はもとより、遠方からも多
くの見物者やカメラマン、あるいは報道陣で溢れ、毎
年テレビ放映されるまでに至りました。
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