思考の無限のループ∞

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おはようございます。
父ちゃんLoveです。

今年の八月に私は主治医の診察での一言で、標題の通り思考の無限ループ♾に陥りました。
今はどうかと言われたら、グルグル回っていませんが、常にモヤモヤしたものを胸に抱えたまま、自然と答えが見つかるのを待っています。

非常に哲学的な分野かもしれませんが、私は社会人生活の中で哲学本ばかり読み漁っていた人間でもありました。(過去形)

「人はなぜ働くのか?」
実は、今の私にはもうやる気スイッチがないのです。生きてるって凄いことですが、私の残り約50年の人生って?
生き甲斐とか必要ですか?
なくてもいいじゃん。って思ったりもする自分がいるのです。

2019.8.9 主治医診察にて、心に刺さった言葉。
「いずれは就労移行とかA型事業所などに行けるといいね」
私は発病後にも職を転々としています。
就労継続支援A型事業所での勤務期間が一番長く、元々持っていたPCスキルを上げ、資格は4つほど取得しましたが、自己都合で退職しています。
その後も障害をオープンに採用された会社もありますが、今年の夏に退職勧告を受けて辞めたのを最後に、現在は無職。

私はもう働くつもりはありませんでした。
就労意欲もないですが、その背後には私にとっての生き甲斐は「仕事」ではないということ。
しかし、稼がねば暮らしていけない。
そして、ある人の言葉をきっかけにこのままずっと一人世帯で生きていくと決めています。

人生あと50年...
身内の援助はいずれ打ち切られていく。
障害年金だけで生活が困窮すれば、最終的には生活保護でしょう。
親にも最終手段は生活保護だと言われています。

しかし、生活保護になれば働く努力が義務となります。働きたくても働けない方は世の中にたくさんいるかもしれませんが、私の場合、働くこと自体に生き甲斐を見出せなくなったのです。
私は一人でひっそりとお金にならなくても楽しいと思える事をしながら生活していきたいだけ。

集団・対人交流は苦手かつストレス。
別に死にたい気持ちなどさらさらありません。
でも生きていく為に必要なのはやはり「お金」。
否応なしに働きながらも働くことへの喜びなどを見出せるかもしれません。

今の私の「ありのまま」の気持ちは、
「働かない選択肢による経済損失と生活資金が減っていく事による生活の質の低下」よりも、お金には変えられない何かを見つける為の生活を優先したい。
勿論、病気の治療も続けながら。
それが小さな幸せなら、生きる意味はそこにある、と考えているのです。

「遠い先々の不安」と「今の自分の気持ち」に挟まれて葛藤中であります。

この葛藤や漠然としたモヤモヤには逆らわず、自然と何かが見えてくるのを待つしかないものとも思います。

父ちゃんLove