こんばんは。
父ちゃんLoveです。

私は双極性障害II型ならびに最近になり発達障害の傾向との診断を受けました。
精神障害者としての人生が始まる前、私は何をしていたと思いますか?

正社員としての社会人生活は約7年半になります。
高卒で就職をした身ですが、5年半で円満退社をし転職をしたのがブライダル業界でした。結婚式場です。
私の専門職は事務です。原価管理、経理、財務、税務(超苦手分野)、経営管理・企画、IR活動と多岐に渡りましたが、中でも経営に携わる仕事に興味を持ったことが仕事の幅や視野を広げてくれました。

製造業からサービス業界の事務職に変わってから、一番大切にしてきてきたものは「お客様」です。
当時の「信念・経営理念」は今でも忘れません。
よく朝礼などで理念の唱和が行なわれる企業があるかと思いますが、私のところも毎朝・昼とありました。
私が転職した会社はそれを決して絵に描いた餅にはしません。「理念の浸透・実践・実行」が全従業員に徹底して教育されてきたこともありますが、そもそも会社のそのような「お客様に対する思いに期待以上に応えたい」という人材が集まった職場であり、人材育成には力を入れ、多くの財産である「人財」を輩出してきました。

私が最初に配属した支店は地元から離れ富山県でした。
初めての独居生活の中で、式場オープン2年目に入る直前での入社だった為、多忙な日々でしたが非常に遣り甲斐を感じていました。
週末になるとプランナーやサービス、厨房スタッフは婚礼業務に入ります。営業は支配人も含め新規顧客の応対に入り成約をバンバン取ってきます。
私は事務職ですから金銭管理や支店総務経理業務は当然のことながらこなしますが、実は当時意外な仕事も行なっていました。
それが新規のお客様へのブランチ作りです。
手が空いているスタッフが私しか居なかったという状況で営業と目が合うと任されてしまうのです。

事務所の狭いキッチンで換気扇を付けて
①超美味い肉を切って塩胡椒して焼く
②①と同時にサラダの盛り付け
③①と同時に冷蔵庫のあるパニーニを焼く→斜め切り
④肉はレアでいいのだがしっかり焼き加減を見る
⑤冷製スープを注ぐ
⑥肉が焼けたら器に盛り付け

ブランチプレート完成!→営業へバトンタッチ!
私のスーツは週末になると大体料理のあとの匂いがつきます。だから、営業は何組ものカップルの応対に入るので匂いのついた格好でフロントへは出れないのです。

次から次へとブランチ依頼が来るので、本来業務はもう1人のスタッフに任せて作っては「営業さん出来ました〜!」と出し、戻ってきたら皿洗い。そして適宜事務所内の冷蔵庫はチェック。
よく何かを盛り付けているときに「スープが足りない、パニーニ残りわずか」とかあるあるなので、厨房まで走って「シェフ!スープをください!」と叫んでいました。
今思うとシェフはオープンキッチンに出ているので居なかったです。まかないをよく作ってくれた◯◯さんがいつも用意してくれたのを思い出しました。
ある時にはキッチンの換気扇を付け忘れて調理をしていて、支配人に「おいっ!換気扇ば!匂い充満しとっと!」と言われたことも(笑)

そんな時、一人の女性営業スタッフがキッチンへやってきて私に言いました。
「今応対したお客様が父ちゃんLoveさんが作ってくれたブランチを美味しい美味しいと言って喜んで完食してくださって、ご成約をいただきました!」
すんごく嬉しそうに私に話しかけてきたんですよね。その営業スタッフはなかなか成約目標が達成できず伸び悩んでいたスタッフでもあったのですが、人一倍笑顔が素敵なスタッフでした。そして、「父ちゃんLoveさんのお陰です。ありがとうございます😊」と言われたその言葉が私がその会社で一番印象に残っていて、一番感動して、嬉しくて、ただただ感謝しかない、本当に恵まれた環境で私はお客様の感動と幸せの為に働いてきて良かったと思っています。
ウェディングのプロとして働く事に誇りを持てるようになったきっかけでもあります。

そして4か月後...支配人にVIPルームへ呼び出されました。福岡本部引き抜きの話が早くも出てしまい、1週間時間をもらい、飛ぶことを決意。
支店から本部。全支店の統括。更には株式上場プロジェクトチームメンバー入り。毎朝会議。
それでも私はお客様第一主義を変えませんでした。
本部の若いスタッフに理念の大切さを伝えたり、現場である支店からの声も無視することなく拾い、互いに支え合い、築き上げた信頼関係を大切に、お客様へと還元していくことで得られる喜びや一体感。とにかく熱く語り続け、さまざまなことを仲間から学んだ環境には感謝しかありません。

月80時間超の残業が続き、心身ともに折れてしまいましたが、そんな私の異変に気付いて、人事部取締役に私のこと注意してみてほしいと言ってくれていた他部署上司がいたり、いい加減に休め休めと電話をくれた仲間もいました。

こうして振り返るときっかけは過労だけが原因ではないのですが、人は心を病むと重大な決断を急いでしまいます。
私はまさにその一人で、大好きな会社を辞めたくないのに「辞めたい」と連呼していました。
上司からは地元への異動も提案されましたがそれでも「辞めたい」の一点張り。これは自分の意思に反して勝手にそうさせてしまうのが怖い症状なんです。
結果、経営会議にて退職が決まったあとに心療内科を紹介され、初診「うつ病」。3ヶ月の休職。
休養中に「辞めたくない」に変わる。

日を改めて最後、人事部取締役と面談した際、
「◯◯さんは素敵な人と幸せな生活を歩んだほうが良いと思います」と言われた時、「それは遠回しの退職勧告という事ですか?」「そういうことです」

私はもう一度大好きな会社に戻りたくて、履歴書を送ったぐらいです。しかし、「現在、事務職は縮小化しており募集していません」

声を大にして言いますが、決して、大きな決断はすぐに出さないでほしい。時間を置いて、とにかく待って、本当の自分の気持ちを整理できるまで結論は急がないでほしい。
貴方の大切な夢、将来を簡単に壊したくないのです。

私は今でも「父ちゃんLoveさんのお陰です。ありがとうございます😊」の言葉に救われ、たとえ過去がどんな形で終わろうとも、その過去が「幸せな想い出」として蘇ったときに、人生の選択肢は間違ってなかったと思えることもあります。

人の数だけ捉え方はあるでしょう。

父ちゃんLove