生きることと死ぬこと

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こんばんは。
父ちゃんLoveです。

久しぶりにブログを更新します。
3月に入ってから過去数年の3月を振り返ってもこんなに酷い気分の落ち込みや寝たきり生活はなかったのではないかと思うくらい今年の3月は調子が悪いと言えます。
その不調の要因として考えられることは幾つか私自身の頭の中で把握はできていました。

ひとつは、3月20日は亡き父の誕生日だということ。
私は5年目に入った今年の3月、何故か父の誕生日をずっと意識するようになり心の何処かに引っかかったままでした。当初この日はプロ野球の開幕戦だった日でもあります。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて公式戦の開幕は延期となりました。すると3月20日から野球が消え、父の誕生日が浮き彫りとなったのです。フラッシュバックが度々訪れ不安定になりました。

ふたつめは、私にとってよく面倒をみてくれてお世話になった看護師長の存在です。3月と言えば年度末。その師長さんは去年から諸事情により休暇中で、現在病棟師長は他の病棟からの人員異動調整で構成されています。休暇中の師長さんは今年度で定年により師長は退く予定が結局、早い段階で身を引かざるを得ませんでした。私はその師長さんの4月以降の去就についてずっと引っかかっています。最後に顔を合わせた日はいつだったか定かでありません。最後に当直をしていた頃に電話で言い合いになったままの関係。とてもスッキリしないままこのまま引退するのか、それとも嘱託として戻ってくるのかまったく見当もつきません。ただただ心配で不安な要素であることは間違い無いのです。4月に入りこの不安がもしかしたら消えるかもしれませんがあくまでも可能性の話です。

みっつめは、私には祖母が1人います。離れて暮らしていますが、今年で90歳になります。足が不自由な生活となり、週二回デイサービス、月二回ショートステイを利用しています。食欲もあり元気であることは親戚から聴いています。しかし、年齢的に高齢者です。今は元気と頭では理解できても祖母に万が一の事があった時、私は間違いなく情緒不安定になると思っています。身内を亡くした喪失感を味わっているからこそ、正直に言うとそれが怖いのです。でも、祖母には長生きをしてほしいと心から思っていますし、いつも手紙にもそう記して送っています。人生100年時代。祖母が長生きすることを願う分だけ、私はいつ訪れるか予測できない不安と葛藤を抱えて生きていかなければなりません。それが今は苦しいと言うのが本心でもあります。人はいつか必ず死ぬ。そう分かっていても我が家系は順番がかなり狂ってしまったのもあり、いつどこで誰なんて言い切れませんが、順番的に次は祖母なのは事実。生きるって難しいなと思い知らされます。

最後によっつめ。私は次の4つの言葉「仲間、友達、家族、笑顔」これらが眩しすぎて涙が出るほどつらいです。明るくてポジティブな言葉を否定するつもりはないのです。ただ、今の私にはこれらが受け入れられません。理由は昔、仲間と共に切磋琢磨しながら働いた思い出、友達が一定数いて友情の大切さを感じた懐かしい思い出、4人家族のうち1人が虹の向こう側へ逝き、他2人とは更にバラバラになった現実、皆んなの笑顔が眩しい、心から素直に笑い合えた日はいつだったかだろうか。そんなネガティブ思考な自分を脱せずにいて、今は強い刺激となる4つの言葉からなるべく回避しようとしています。

いつか不安という重りを下ろせるように、どんな過去や言葉にも縛られずに受け入れられるように。
生きることと死ぬことは常に隣合わせであることをもっとラクな気持ちで捉えられるようになれたら、一歩前進です。
「私は生きる」その決意に変わりはありません。
世の中の皆んなが平凡であり幸せに暮らせる世界でありますように。

父ちゃんLove