松坂桃李主演、三浦大輔監督の『娼年』を観てきた。

原作は石田衣良。一昨年、松坂主演、三浦演出で舞台化され、話題になった作品。

 

三浦大輔の作品は『愛の渦』がそうだが、エロさを期待して観に行くと、いつも期待を裏切られる。そこには性(sex)の下らなさ、可笑しさ、気持ち悪さが、まざまざとあぶり出されている。

 

映画は松坂桃李の生尻のアップから始まる。

ゴツくなく、女性か子どものような可愛らしさのある尻。大学生の主人公リョウは、行きずりの女(階戸瑠李)と自宅で一夜を共にする。

 

「セックスなんて手順の決まった面倒くさい運動ですよ」

と言い切るリョウは、女性にも世の中にも興味が持てず、大学をサボり、バーテンのバイトをしている。

 

階戸瑠李は本棚にあるプラトンの『パイドロス』を手に取り、机の上の学生証を見ると、

「リョウ君って〇〇大なんだ!私、友達に〇〇大の人と寝ちゃったって自慢しよ」と言う。

 

階戸瑠李は、バストを披露しているが、20歳の主人公が寝るにしては、老けすぎている。

 

リョウがバイトをしているバーに、ホストをしている友達が店の客(真飛聖)を連れてくる。

彼女は、実は会員制ボーイズクラブのオーナーで、「女性もセックスもつまらない」と言ったリョウをスカウトする。

 

セックスの試験をすると言われ、真飛と寝ると思ったリョウだが、出てきたのは冨手真妙。

彼女は園子温のロマンポルノ作品『アンチポルノ』ですでに脱いでいるが、元AKB研究生。

顔は可愛いが、身体は少し太め。

 

本当はここが第一の抜きどころとなるはずだが、冨手が全聾だと明らかになり、一気にその気が削がれる。

第一の異化効果

 

真飛は、リョウのセックスを5,000円だと評し、不合格になる。

しかし、冨手がポケットマネー(ベビードールにポケットはないが)から5,000円を出し、ギリギリで合格となる。

なぜ1万円が合格点かというと、このクラブで男を買う場合の最低価格が、1時間1万円だからだ。

 

後で明らかになるが、冨手は真飛の娘。

真飛は昔、娼婦であり、冨手はその時の客との間に出来た子ども。

冨手とのセックスの最中、いざ挿入!となるところで、冨手がリョウの肩を叩き、コンドームの装着を促す。

 

通常、映画の濡れ場では省かれる避妊具の装着が描かれ、ここでも映画への没入が妨げられる(=冷める)。

第二の異化効果。

 

その後、リョウは次々と客を取ることになるが、相手はおばさんばかりで、かつ変態性癖の持ち主ばかり。確かに高級クラブの客なんて、金を持ってる女性ばかりだろうからリアリティはあるが、観ていて楽しくはない。

 

この辺りから、「セックスは楽しいもの」という感覚がなくなってくる。セックスを見ていて、不快になってくるのだ。他人の性欲の気持ち悪さをまざまざと感じる作りである。

 

映画を観たのは平日の夜だったが、劇場は松坂目当てと思われる若い女性ばかり。

その中にひとり仕事帰りのサラリーマンはいかにも場違いだったが、その客層ゆえに上映中は随所で笑いが起こっていた。

 

人前でオシッコをするのが快感だという中年インテリ女性の放尿シーンや寝取られ動画を撮影しようとする男性(西岡徳馬)が、松坂桃李にサングラスをかけて妻とセックスしてくれと言うシーンなど、とくに後者では松坂がグラサン姿で言葉責めをするたびに笑いが起きていた。

 

しかし、こういう性描写で笑いが起こるというのは、観客層がまだ“子ども”だからだろう。

少なくとも私は、これらのシーンで健全な笑いをあげることはできなかった。

自らが健康で健全であり、マジョリティーに属していると、無条件に思い込める年頃でなければ、人間の悲哀と男女の性(さが)を感じてしまうこれらのシーンを、朗らかな笑いに昇華することはできない。

そういう意味でも、本来のターゲットとは違う観客に受容されるこの映画は、特異だ。

 

松坂桃李を観に来たら、こんな過激で(良い意味で)気持ち悪い、映画を見せつけられるのだ。

まあ、そんなことは予告から予想はできるだろうから、それでも観に来てしまう、男性俳優の若い女性ファンというのは、すごいものだ。

さすがに車椅子の西岡徳馬とグラサン姿の松坂桃李が同時に射精し、佐々木心音の裸体に精液がぶっかかるシーンには、あまりにリアルさに、悲鳴が漏れてはいたが。

 

閑話休題。

リョウがバイトをするバーには毎週、大学のクラスメイト(桜井ユキ)がノートを持ってきている。彼女はリョウに好意を抱いているが、リョウが身体を売っていることを知ると彼女は、リョウを罵倒する。

 

しかし、数日後、彼女は客としてリョウの前に現れる。初めは拒否をするリョウだが「セックスのプロなんだから、上手なセックスを見せてよ」と言われ、彼女を抱く。

 

この展開には少し不満がある。

なぜならリョウはセックスの上手さで客を取っているわけではないからだ。セックスの上手さだけでは、ナンバーワンにはなれない。しかも、客が求めているのはセックスだけではないということが、嫌というほど描かれた後だけに、こういう展開は少し違和感がある。

 

ネタバレになるが、リョウは10歳の時に母親を亡くしており、それ以来、母親の幻想を追い求め、現実の女性には興味が持てなくなっている。そんな彼が初めて求めた相手が、母親と同世代の真飛聖だ。

 

しかし、真飛はリョウの求めを拒否する。だが、それには理由がある。真飛は過去の仕事が祟り、エイズに感染しているのだ。リョウは自分の成長を真飛に見てもらおうと、最初の試験と同じように、冨手ともう一度、セックスをしたいと申し出る。

 

冨手はそれを受け入れるが、その直前に上記の秘密を本人の口から知ることになる。最後のセックスシーンは、リョウと冨手のセックスを真飛が見ながら、オナニーをするというもので、振り切れた演出は、完全に監督が遊んでいるとしか思えないほど。(ここでも若い女性客の笑いが起きていた)

 

ラストで、真飛のクラブは警察に摘発され、リョウは元のバーテンのバイトに戻る。そこへ冨手が真飛からの手紙を持ってやってくる。そこには、リョウの母親が、真飛と同じく娼婦だったということが明かされる。真飛のエイズといい、この辺の設定(※)といい、ちょっと安易なところがいかにも石田衣良といったところ。

※母親が娼婦だったという設定は、原作にはないとの指摘を受けましたので、訂正します。

 

最終的に、リョウはもう1人のボーイ(猪塚健太)と一緒に冨手をオーナーに据えて、店を再興する。ラストシーンは、重鎮江波杏子とのラブシーン。幸い松坂桃李が着物の懐に手を入れたところでエンドロールになるのだが、撮影を終えて「無になった」という松坂桃李は、さぞかし過酷な現場だっただろう。

 

最後に全体を通して、疑問を感じたのは、セックス描写での松坂桃李の手マンが激しすぎること。あと、逝く直前の可笑しいほど小刻みな腰振り。この2つは始めから終わりまで、変化がない。

リョウのセックスは仕事を通じて成長したというより、初めからテクニックを持っていたという少年ジャンプ的な才能天賦説が取られていてイマイチ。どうせならスローセックスの名手になるとかの方が説得力がある。

 

それにしても松坂桃李の腰振りは笑える。あれはわざと間抜けな感じにしてやったのだろう。

役者はホントに大変だ。

 

追記

あと、この映画、音楽が良かったので、予告編を貼ります。

 

 

 

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