第二章
第二章
緑の池はナパージュの中心地にあります。その池の真ん中にある小島で元老会議が開かれます。これも前にいた世界と同じでした。
ソクラテスとロベルトが着くと、元老会議が行われているところでした。池の周囲では何匹かのツチガエルがそれを見守っていました。
見覚えのあるカエルが何やら叫んでいます。ガルディアンです。お腹の中の九本の皺が特徴的です。前の世界では、プロメテウスと敵対しているカエルでした。
ガルディアンが大きな声で言いました。
「私はプロメテウスの行動を非難します」
何匹かの元老が「そうだ」と叫びました。ガルディアンの仲間たちでした。
「彼はチェリー広場の件をすべて打ち明けなければなりません」
またガルディアンの仲間の元老が「そうだ」と叫びました。同時に、池の周囲を見守っていた何匹かのツチガエルも拍手をしました。プロメテウスはしかめっ面をしています。
「チェリー広場の件って何のことですか?」
ソクラテスは池の周囲にいた一匹のツチガエルに尋ねました。
「プロメテウスが一年前にチェリー広場でパーティーを行なって、自分のお気に入りのツチガエルを何匹か呼んだんだ」
「それがいけないことなんですか?」
「パーティーの客たちに、チェリー広場のハエを何匹か提供したんだ」
「それは悪いことなんですか?」
「チェリー広場のハエは、本来はナパージュのカエルたち全員のものだからね。それを自分のパーティーに呼んだカエルたちに与えたんだから、プロメテウスは責められても仕方がないだろう」
「なるほど」とソクラテスは言いました。「それで、ハエを何匹くらいあげたんですか」
「十匹のカエルに対してハエ一匹だったかな」
「えっ」とロベルトは驚いた声を出しました。「十匹のカエルにハエ一匹? たったそれだけ?」
「数の問題じゃないだろう! たとえハエの足でも、勝手にそんなことをするのは許されることじゃないだろう。チェリー広場のハエはナパージュみんなのものなんだから」
ツチガエルは怒ったような顔で言いました。「というわけで、ガルディアンはああやって、一年以上、プロメテウスを糾弾しているんだ。今日も朝から六時間も喋っている」
「そういうことですか」
見ると、ガルディアンはますます興奮して喋っています。
「ところで、ウシガエルの国で怖い病気が流行っているって知っています?」
ソクラテスは話題を変えて訊きました。
「ああ、知っているよ」
ツチガエルは何でもないというふうに答えました。
「怖くないのですか?」
するとそのツチガエルは意外そうな顔をしました。
「どうして怖いの? ウシガエルの国の話だろう」
「でも、ナパージュにもウシガエルがたくさん来てるんじゃないですか」
「それがどうしたの? ナパージュで病気が広がることはないよ」
「どうして、そう言えるんですか?」
「どうしてって――そんなの知るかよ」
そのツチガエルは面倒くさそうに答えると、もうそれ以上は喋りたくないとばかりに、横を向きました。
ソクラテスは仕方なく、元老会議に目をやりました。いつのまにかガルディアンではなく別の元老が喋っていました。さっきガルディアンに声援を送っていた元老です。
その元老は言いました。
「私もプロメテウスにチェリー広場の質問をします。その後で、もし時間があれば、ウシガエルの国で流行っているという病気についても質問します」
初めて例の病気の話が出たので、ソクラテスとロベルトは集中して、その元老の話を聞きました。ところが、彼の話は延々とチェリー広場の話だけで、結局、病気の話はまったく出てきませんでした。
次に出てきた元老もガルディアンの仲間でした。
「今、ナパージュは大変な問題に直面しています。ウシガエルの沼で流行っているという病気も大きな問題です」
「お、ようやく病気の話になるかもしれないぞ」
ロベルトの言葉に、ソクラテスは「待っていた甲斐があったな」と言いました。
元老は続けて言いました。
「その中で一番大きな問題であるチェリー広場について質問します」
ソクラテスは心の中で、ええっ! と声を上げました。ロベルトも呆れた顔をしています。
結局、この日の元老会議ではウシガエルの沼で流行っているという病気の話はほとんど出ませんでした。ガルディアンの仲間の元老たちがプロメテウスに言っていることは、「ハエをプレゼントした説明をしろ」ということと「責任を取れ」ということばかりでした。
「ずっと聞いているけど、誰も病気の話をしないね」
ソクラテスがロベルトに言うと、ロベルトは「もしかすると、たいした病気じゃないのかもしれないね」と言いました。
「そうなのかなあ」
「もし、本当に怖い病気なら、元老会議で話題にしているはずだよ。誰も話題にしないということは、別に怖い病気じゃないんだよ」
「でも、スチームボートは恐ろしい病だと言っていたよ」
「大袈裟に言ったんだよ。高い空の上からだから、よく見えなかったんじゃないのか」
「でも鷲の目はすごくいいと言うぞ」
ソクラテスがそう言うと、ロベルトも「うーん」と言って首を捻りました。
その時、岸にいたカエルが小島の元老たちに向かって大きな声を上げました。見ると、一匹の年取ったツチガエルが何やら大きな声で言っています。
「ウシガエルの国で病気が流行っているんだぞ! 知っているのか」
「あれは誰?」
ソクラテスは横にいたツチガエルに尋ねました。
「あれはイエストールだ」
「どういうカエルなの?」
「メスガエルの顔を美しく整える技を持ったおかしなカエルだ」
すると、その隣にいた別のカエルがにやりと笑って、「イエストールは若いオスガエルのチンチンを整える技も持っているぞ」と言いました。その途端、周囲のカエルたちが何匹か笑いました。何かよくわかりませんが、どうやらナパージュでは有名なカエルのようです。
イエストールは元老たちに向かって言いました。
「ウシガエルの国は大変なことになっている。いますぐウシガエルたちをナパージュに入れないようにするべきだ」
元老たちはちらっとイエストールの方を見ましたが、その言葉に耳を傾ける元老はいませんでした。池のほとりにいたツチガエルたちもイエストールの言葉には関心を払わないようでした。
「ウシガエルをナパージュに入れたら、ナパージュでも病気が流行る。だから、彼らを入れては駄目だ」
イエストールは何度も言い続けましたが、その声に耳を傾けるカエルはほとんどいませんでした。それどころか、「うるさい!」とか「引っ込め!」というヤジが方々から起こりました。イエストールは悲しげな顔をして、すごすごとどこかへ行ってしまいました。
「イエストールが言っていたことをどう思う? ソクラテス」
「さあ、ぼくには判断がつかないよ。ただ、イエストールの言っていることはツチガエルたちには相手にされていないようだな」
「元老たちもうんざりした顔をしていたね」
ロベルトはまた「うーん」と言って首を捻りました。
「デイブレイクに訊いてみようか。彼なら何でも知っているみたいだから、何か情報を教えてくれるかもしれない」
「どこにいるのかな」
「前の世界と同じなら、ハスの池の集会場じゃないかな」
「行ってみよう」
ハスの池に行くと、デイブレイクが中央のハスの葉に乗っかって、池に浮かぶツチガエルたちに演説をぶっていました。前の世界で見た光景と同じです。
「皆さん、聞いてください。今日も元老会議でガルディアンがチェリー広場でプロメテウスに説明を求めたのですが、プロメテウスは答えようとしませんでした。こんな横暴が許されていいはずがありません」
池に浮かんでいた何匹かのカエルは「そうだ、そうだ」と言いました。
「私ももう一年もチェリー広場の話をしています。しかしプロメテウスはのらりくらりとかわすばかりで、全く説明をしようとしません」
池に浮かんでいたカエルたちはまた「そうだ」と言いました。
「皆さん、何か私に訊きたいことはないですか?」
デイブレイクがそう言ったので、ソクラテスが手を挙げました。
「お、最近、ナパージュにやってきたアマガエル君ですね。何が聞きたいのですか?」
「ウシガエルの沼で流行っている謎の病気について教えてください」
デイブレイクは途端にうんざりした顔をしました。
「そういう噂があるのは事実です。今日もイエストールが実にくだらないことを喚いていましたね。ウシガエルの国で病気が流行っているから、ナパージュにウシガエルを入れるな、とね。君はそれを聞いたのでしょう」
「はい」
「イエストールは大袈裟に言ってるだけです。むやみやたらに皆の恐怖心を煽っているだけです。ウシガエルをナパージュに入れるななんて、とんでもない主張です。ウシガエルを排除するようなことを言ってはいけません。それよりも、ともに手を洗おう、です」
デイブレイクを取り囲んでいたツチガエルたちは拍手をしました。デイブレイクは満足そうに頷きました。
「ウシガエルの病気は怖いぞ!」
突然、池の岸の方から、そう怒鳴る声が聞こえました。池に浮かんでいたカエルたちが一斉に声のした方を向きました。
声の主はハンドレッドでした。
「イエストールの言っていることは正しい。ウシガエルの沼で流行っている病気はとんでもなく恐ろしい病気の可能性がある。もし、そうなら大変なことになる。今すぐにウシガエルが入ってくるのを止めるべきだ。さもないと、ナパージュにも病気が広がるかもしれない」
デイブレイクは苦々しい顔をしました。そして池に浮かぶカエルたちに向かって言いました。
「皆さん、今の言葉を聞きましたか。ハンドレッドはウシガエルを意味もなく差別したのです。皆さんが証人です。あいつは『カエルを差別するカエル』です。つまり最低のカエルです。それだけじゃありません。ハンドレッドは、昔ナパージュのツチガエルが罪もないウシガエルを大量に殺した事実をウソだと言っています。あいつは過去の事実を捻じ曲げてしまう大ウソつきなのです」
デイブレイクの周囲にいたカエルたちは「そうだ、そうだ」と声を上げました。ハンドレッドは「馬鹿どもが!」と言って、その場を立ち去りました。
「ハンドレッドはデイブレイクの言う通り、『カエルを差別するカエル』だよ。ぼくらのこともクソアマガエルと言っていたし」
ロベルトは憎々しげに言いましたが、ソクラテスは、いつもの口の悪さはともかく、今のハンドレッドの言葉にウシガエルを差別する言葉があったのか疑問でした。ハンドレッドはウシガエルが恐ろしい病気を持っているかもしれないから、ナパージュに入れるのをやめろと言ったとしか聞こえませんでした。しかしそのことをロベルトには言いませんでした。
デイブレイクが再びチェリー広場の話を始めたので、ソクラテスとロベルトはそっと池から離れました。
「やっぱりウシガエルの沼で流行っているという病気はたいしたことがないんだよ」
ロベルトはソクラテスに言いました。
「そうかなあ。ぼくはまだどこか心配なんだけど。ウシガエルの沼では、病気に罹ったウシガエルが沼の端に閉じ込められているというし」
「ウシガエルの沼で流行ったとしても、ナパージュで流行るかどうかはわからないじゃないか」
そう言われると、ソクラテスもたいしたことにはならないような気がしてきました。
二匹が歩いていると、さっきハスの池から出て行ったハンドレッドと一匹のツチガエルが何やら言い合いをしていました。二匹とも大声で怒鳴り合い、今にも殴り合いが起きそうな雰囲気です。
ソクラテスとロベルトは急いで喧嘩を止めに入りました。
「どうしたんですか。喧嘩はやめましょう」
「喧嘩なんかしてないよ」ハンドレッドは言いました。「こいつが間違ったことを言っていたから、正しいことを教えてやっていたんだ」
「何を言っているんだ。間違ったことを言っていたのはハンドレッドの方だ」
「何の話ですか」
「ウシガエルの病気の話ですよ」
ハンドレッドと言い合いをしていたツチガエルが言いました。
「あ、俺は、エコノミンと言います。ハエの評論家です」
「ハエの評論家って何ですか」
「ハエがどのように増えたり減ったりしているかを研究しているのです。どこにいけばハエがたくさんいるかも知っていますよ」
エコノミンは少し得意気に言いました。
「それはわかりましたから、ウシガエルの病気で、どういうふうに言い分が食い違ったのですか」
「ハンドレッドは、この病気は恐ろしい病気だというのですが、それは完全なデマだということを教えてあげていたのです」
「デマなんですか」
「そうですよ」エコノミンは胸を張って言いました。「あんなもん、風邪みたいなものです。いや、風邪の方がずっと怖いと言えます」
「お前はウシガエルの沼の病気についてなにを知っているんだ」
ハンドレッドは言いました。「もしナパージュに入ってきて、広がったらどうなるかわからないんだぞ」
ソクラテスはそうかもしれないと思いました。デイブレイクもそうでしたが、この病気についてはきっと誰もよく知らないのです。
「これだから、素人は困るよ」エコノミンはバカにしたような笑みを浮かべました。「病気というのはどんなふうにしても食い止められないんだよ。仮に今、ウシガエルがやってくるのを止めても、結局は何らかの形で入ってくる。ウシガエルが入ってくるのを止めても、ナパージュでの病気の流行を少し遅らせるくらいしか効果がないんだよ。ちゃんとそういうデータがあるんだ。俺は常にデータに基づいて喋っている。ハンドレッドみたいに根拠のない勘では喋らない」
「でも、もし病気の流行が遅れせられるなら、それって効果があるということじゃないんですか」
ソクラテスはエコノミンに質問しました。
「どうせ病気が流行るなら、そんなことしてもしなくても同じじゃないか」
そう言われれば、そんな気もしてきました。
「それに、ウシガエルがナパージュに入ってくるのを止めろというのは、もう無茶苦茶な意見なんだ。なぜかというと、もうすぐ梅の花の咲くシーズンがやってくるが、このシーズンはウシガエルたちがお祝いの祭日で、毎年、この時期に、ナパージュに大量のウシガエルがやってくるんだ。これってどういうことかわかるか?」
エコノミンの言葉にソクラテスは首を横に振りました。
「ウシガエルたちがナパージュに大勢やってくるということは、お土産として大量にハエを持ってきてくれるということなんだ。ナパージュにはそれを当てにして生活しているツチガエルがたくさんいる。今、ウシガエルが入ってくるのを止めたら、多くのツチガエルが困るんだよ」
ソクラテスはなるほどと思いました。エコノミンの言うように、ウシガエルがナパージュに入ってくるのを止めたとしても、結局、病気が広がるのを遅らせる効果しかないのだったら、今この季節に止めるのは無駄かなという気がしてきました。それに実際、病気はどうなるかわかりません。入ってこないかもしれないし、入ってきたとしても流行しないかもしれません。しかしウシガエルが来なければ確実にハエは入ってきません。
それにデイブレイクも、この病気はたいしたことがないようなことを言っていました。元老たちも問題にはしていませんでした。
「おい、ハンドレッド」エコノミンは言いました。「もしウシガエルがナパージュに入ってくるのを止めて、彼らのハエを当てにして暮らしているツチガエルが困ったら、お前がその責任を負えるのか」
しかしハンドレッドも黙っていません。
「それじゃあ、エコノミンに訊くが、もしウシガエルが大量に入ってきて、その結果、ナパージュに病気が広まったら、ハエどころではなくなるぞ」
「だから、それは止めても止めなくても、同じことになると言っているだろう。今は、大量に入ってくるウシガエルを止めることのデメリットが大きすぎると言っているんだよ。そんなに病気が怖いなら、お前は自分の洞窟の奥に入って、誰とも会わずにずっと引き籠ってろ。それをしないで、怖い怖いというやつは、ウソつきだ」
ハンドレッドは、「じゃあ、引き籠っていることにするわ」と言って、くるりと背を向けました。
そして二三歩行きかけて足を止め、振り返ってソクラテスとロベルトに向かって言いました。
「何も知らないクソアマガエルに忠告しといてやる。例の病気から身を守るには、水仙の花で口と鼻を覆うといい。まあ、絶対ということはないが、気休めにはなる」
「水仙の花ですか」
「早いとこ、探して取っておいた方がいいぞ。ぼやぼやしてると、そのうちどこ探しても見つからないってことになるからな」
ハンドレッドはそれだけ言うと、手を振って去っていきました。
「ああいう奴が一番困るんですよね」
エコノミンはソクラテスとロベルトに向かって言いました。「とにかく危ない危ないと言って、やたらと恐怖心を
ソクラテスは「正しく怖がる」とはどういうことなのか意味が分かりませんでしたが、
「じゃあ、ウシガエルの病気というのは怖くはないんですね」
ロベルトがエコノミンに尋ねました。
「私の知っているデータだと、ただの風邪ですね。神経質になることはない。私は常にデータに基づいて喋ります。憶測や勘で喋ることが一番危険なのです。その証拠に、元老たちも誰もこの病気を心配していません」
「そういうことだよ、ソクラテス」
ロベルトはすっかり安心したようにソクラテスの肩をぽんと叩きました。
なるほど言われてみればそうかもしれないとソクラテスは思いました。元老もデイブレイクも、それに多くのツチガエルも心配はしていません。危険だ危険だと声を上げているのは、変わり者のイエストールと嫌われ者のハンドレッドだけです。
それでも、ソクラテスは心から安心することはできませんでした。なぜか気持ち悪い不安がどうしても拭えなかったのです。でもそのことはロベルトには言いませんでした。
* * *
まもなく梅の花が咲き、ウシガエルのお祝いシーズンになりました。エコノミンが言っていたように、ウシガエルの沼からたくさんのウシガエルがナパージュにやってきました。
美しい泉や池、あるいは森や草原には、どこへいってもウシガエルの姿がありました。ナパージュのカエルたちの中にはウシガエルの機嫌を取ったり、ナパージュを案内してハエをもらう者がたくさんいました。
その間も、イエストールはいろんな場所で、「ウシガエルをナパージュに入れては駄目だ」と声をあげていました。イエストールがあまりにも何度も言うので、ツチガエルたちの中にも不安がる者が出てきました。
ハンドレッドもたまに洞窟から出てくると、イエストールと同じようなことを言っていました。ただし、ハンドレッドの場合は、「ウシガエルは最低だ」とか「あいつらは汚い」とか余計なことを言うので、あまり真剣に聞くカエルはいませんでした。
ところが、ある日、ナパージュにいた一匹のツチガエルが、肺がおかしくなる病気になりました。例のウシガエルの沼で流行っていた病気とまったく同じ症状です。しかもそのツチガエルはウシガエルたちを案内してハエを貰っていたカエルでした。
急にツチガエルの中に不安が広がり始めました。
ナパージュの中に、「ウシガエルをナパージュに入れるのは危険ではないか」というツチガエルが出てきました。
「なんだか、変な具合になってきたな」
ロベルトが言いました。
「うん。イエストールの言っていたようなことになったら大変だ」
二匹がそんなことを話していると、ローラが歌をうたいながら通りがかりました。
「あら、アマガエルさんたち、どうしたの?」
「あ、ローラさん」ロベルトが言いました。「例の病気が流行ったらどうしようという話をしていたんです」
するとローラはおかしそうに笑いだしました。
「そんなの心配いらないわ」
「そうなの?」
「そうよ」
「どうしてそう言えるの?」
「お祭り広場でマイクたちが言っていたもの」
「マイクが?」
「ナパージュにも、カエルの体の具合を見ることができるカエルがいるのよ。私たちは体の具合が悪くなると、そういうカエルたちに見てもらうのよ。そういうカエルを私たちはディーアールって呼んでいるんだけど。ディーアールたちからは、体によく効く虫とか草とかをもらうの」
「へー、そうなのか」
「でね、最近お祭り広場に、マイクがいろんなディーアールたちを呼んできて、話をさせているの。どのディーアールも、全然心配いらないって言っていたわ」
「本当?」
「ウソだと思ったら、お祭り広場に行ってみたらいいわ」
ローラはそう言うと、また歌をうたいながら去っていった。
「行ってみるか、ソクラテス」
「そうだな」
二匹はお祭り広場へ行きました。
お祭り広場は相変わらずのすごい人出ででした。中央でマイクが喋っています。
「皆さん、今日は、今、話題の例の病気についてのお話をしましょう。といっても私は病気のことはよくわかりません。それで今日はディーアールのロックさんに来てもらいました。ロックさんはカエルからカエルにうつる病気に関してはすごく詳しいカエルです」
マイクに紹介されてロックが現れました。
「えー、皆さん、例の病気ですが、心配することはありません」
ロックは言いました。
「そんなに簡単にかかる病気ではありません。たとえば今、ウシガエルの一部で大流行しているという話ですが、私ならそこへ行っても普通に歩けますよ。今、一部のカエルは、水仙の花で口と鼻を覆えば病気から身を守れると言っていますが、はっきり言います。水仙の花なんかほとんど効果は期待できません」
お祭り広場にいるカエルたちから安堵の声が漏れました。
また別のディーアールが出てきました。
「皆さん、今、ロックさんが言ったとおりです。ウシガエルの国では大流行しましたが、ナパージュでは、そんなに大変なことにはなりません」
そのディーアールは自信たっぷりに言いました。
「というのは、ナパージュはウシガエルの国に比べて、清潔だからです。水も空気もきれいです。こういう国ではあんな病気は流行らないのです。それに、ツチガエルは奇麗好きです。何より、ナパージュでは私たちのような、病気のカエルを元気にするディーアールたちがたくさんいます。だから、ナパージュでは例の病気は流行りません」
ソクラテスは聞いていて、なるほどと思いました。たしかに言われてみれば、ウシガエルの国とナパージュとでは環境がまるで違います。ウシガエルの国で流行ったからといって、ナパージュで流行るとは限りません。
その日の元老会議で、長老格の一匹であるツーステップが、「ウシガエルの国が今、病気で大変みたいだから、元老たちだけでも、ハエを送ろう」と言い出しました。元老たちは皆キョトンとした顔をしましたが、ツーステップは大真面目な顔で続けました。
「ウシガエルとナパージュは隣同士で、仲良しの国だ。そんな国が病気で苦しんでいるのを見て、だまってはいられない。そうだろう」
元老会議を見守っていたツチガエルたちも多くは首をかしげていました。
「どうしてツーステップはあんなことを言い出したの?」
ソクラテスはそばにいたツチガエルに訊きました。
「さあ」そのツチガエルも肩をすくめました。「ただ、ツーステップはとかくの噂のあるカエルで、なんでもウシガエルからずっと贈り物をもらっているという噂だよ」
「本当なんですか」
「噂だからどこまで本当かはわからない。でも、ウシガエルからいろんなものを裏でもらっている元老は少なくないということもよく聞くよ」
ソクラテスは驚きました。
「今度、ウシガエルの王様をお客様としてナパージュに呼ぶのも、裏でツーステップがプロメテウスに指示したという話だよ」
「プロメテウスは元老のトップでしょう。ツーステップはトップよりも偉いんですか」
「プロメテウスが元老のトップになれたのは、ツーステップの後押しがあったからだと言われている。最近、ナパージュに多くのウシガエルが入ってくるようになったのも、裏でツーステップが指示しているという噂だよ」
ソクラテスは、もしそれが本当なら、とても危険なことのように思いました。ウシガエルが入ってくることがいい悪いという以前に、ナパージュの国の元老にウシガエルたちの意向を背負ったものがいるということがです。ソクラテスはそれが噂であってほしいと願いました。
次の日、ナパージュのツチガエルの中に、また病気に罹るカエルが出ました。このカエルもウシガエルを案内していたカエルです。ウシガエルから病気を移されたとみて間違いないようです。
ツチガエルたちの間に、再び、病気を恐れる声が増えてきました。誰かがこの病気を「ウシガエル病」と名付けましたが、デイブレイクの仲間たちが「その名前はウシガエルを不当に貶める」と抗議し、代わりに「新しい病気」と呼ばれるようになりました。
次の日、「新しい病気」にかかった三匹目のツチガエルが出てきました。ここへきて突然、ツチガエルたちの間にこの病気は恐ろしいものであるという共通認識が生まれてきました。そして、ウシガエルをナパージュに入れるのは危険ではないのかということを言い出すツチガエルたちが以前より増えてきました。
しかし元老たちはウシガエルをナパージュには入れないということを決めようとはしませんでした。またいつもは元老たちのやることに反対ばかりしているデイブレイクも、このことに関しては何も言いませんでした。
「どういうことだろう」ロベルトは首をひねりました。「俺たちみたいな門外漢が見ても、新しい病気はウシガエルが持ち込んでいるとしか思えないんだが」
「さあね、ディーアールのロックはお祭り広場で、いまだに、新しい病気はたいした病気ではないと言っているみたいだしね」
ソクラテスは答えました。
「でも、ウシガエルの国では、たくさんのウシガエルが死んだという噂があるぞ。それなのに、今みたいに、ウシガエルがどんどんナパージュにやってくるというのは、どうなんだ?」
「ぼくにそんなことを聞いてもわからないよ。元老たちにはそれなりの考えがあるのかもしれない」
「元老会議に行ってみようか」
二匹は元老会議が開かれている緑の池に向かいました。
その途中、ハンドレッドにばったりと出くわしました。
「ああ、間抜けのアマガエルコンビだな。水仙の花は手に入れたみたいだな」
「ハンドレッドさんに言われて、その日のうちに見つけました」
ハンドレッドは「がはは」と笑いました。「わしの言うことを聞いてよかっただろう」
ソクラテスは、そんなことを言わなければいいのにと思いながら、「はい」と答えました。
「それで慌ててどこへ行こうとしているんだ」
「元老会議を見に行こうと思って」
「何のために?」
「新しい病気がウシガエルが持ち込んでいるかもしれないのに、ウシガエルをナパージュに入れ続けているのはどうしてかと思って」
「そんなもん、理由は一つだ」ハンドレッドは言いました。「最初はあいつらがバカだったから、ウシガエル病なんかたいしたことがないと思っていたんだ」
「そんなことはないでしょう。元老ですよ」
ハンドレッドは笑いました。
「元老なんか、どいつもこいつもたいした頭を持っていない。普通のツチガエルと同じ程度かそれ以下なんだ。わしみたいな頭のいいカエルから見れば、かなりのバカの集まりだ」
ソクラテスはそのあまりの口の悪さと傲慢ぶりに呆れました。
「お前たち、わしが無茶苦茶言ってると思っているな。しかし、そういうお前たち自身、この病気はたいしたことがないと思っていただろう。元老たちも同じように思っていたはずだ」
ソクラテスは痛いところを突かれて、うっとなりました。
「たしかに、ぼくらも最初はたいしたことがないと思っていました。でもそれは、ディーアールたちがそんなに恐れる病気ではないと言っていたからです。普通のカエルよりもずっと病気や体のことに詳しいカエルたちが言ってるから、信用しても仕方がないじゃないですか」
「イエストールもディーアールのひとりだが、そっちは信用しないのか」
そう言われてソクラテスは返答に困りました。
「イエストールやわしはお祭り広場には呼んでもらえない。そもそもお祭り広場に呼ばれて皆の前で話ができるのは、マイクのお気に入りばかりなんだが、この病気に関しても、マイクが呼ぶのは『この病気は全然怖くない』と言うやつばかりだ。だから、多くのツチガエルもたいしたことはないと思ったんだ。多くのツチガエルもそうだから、元老たちもたいしたことがないと思い込んだんだ」
ハンドレッドはさらに言いました。
「ウシガエルのお祝いの季節には、大量のウシガエルがナパージュに来ることがわかっていた。つまりナパージュのツチガエルたちはウシガエルがお土産に持ってくる大量のハエがほしかったんだ。エコノミンも言ってただろう。ウシガエルのハエが入ってこなかったら、ナパージュのカエルたちが困ることになるって」
ソクラテスは頷きました。
「それにだ、誰だって病気は怖い。ウシガエルの国の噂を聞いたら、そんなことがナパージュでは起こらないようにと願うだろう。いや、起こってほしくないと思うんだ。そしていつのまにか、起こるはずがないと思ってしまうんだ。そして、仮に病気が入ってきても、たいしたことにはならないだろうと思い込んでしまうというわけだ」
ソクラテスは心の中で、うーん、と唸りました。言われてみれば、そうかもしれないと思ったのです。というのも、自分たちもいつのまにかそんなにひどいことにはならないだろうと思い込んでいたからです。しかし今となっては、なぜそう思ってしまったのか、自分でもわからなくなってしまいました。
「でも、ハンドレッドさん」ソクラテスは言いました。「今は多くのツチガエルがこの病気は怖いと言い始めていますよね。それって元老たちも同じように思い始めているってことはないのですか」
ハンドレッドはにやりと笑いました。
「おそらく元老たちも、今頃は青ざめているだろうよ」
「それなら、ウシガエルがこれ以上、ナパージュに入ってきてはいけないということを決める可能性がありますね」
「ないね」
ハンドレッドはあっさりと答えました。
「どうしてですか」
「もうすぐウシガエルの王様をナパージュに呼ぶことになっているからな。それを前にして、ウシガエルはナパージュに入ってくるなとは言えんさ」
ソクラテスは「あっ!」と小さな声を上げました。そう言えば、これはナパージュにとって、すごく大きな行事だとデイブレイクも言っていました。
「でも、ウシガエルの王様が来ることも大事かもしれないけど、ナパージュのカエルの命の方が大切じゃないんですか?」
「そんなこと、わしに聞いても知らんがな」
「ところで、それに関して訊きたいことがあるんですが、ウシガエルの王様がナパージュに来るということは、ナパージュにとってもいいことなんでしょう」
ハンドレッドは笑うのをやめて、「よくないことに決まってるじゃないか」と吐き捨てるように言いました。
「えっ!」
ソクラテスとロベルトは同時に驚きの声を上げました。
「ウシガエルの王様は、ウシガエルの沼に住むウシガエル以外のカエルを毎日いたぶって殺してるんだ。これに対して世界のカエルが非難してるが、やつは知らん顔だ。こんなやつをお客様として呼んでいいはずがないだろ」
「でも――デイブレイクは素晴らしいことと言っていましたよ」
「あいつはウシガエルが好きでたまらないからな。ナパージュよりもウシガエルの方が好きなんだ。そもそも、昔、ナパージュのツチガエルが罪もないウシガエルを大量に殺したというウソを広めたのもあいつだからな」
「そうなんですか? デイブレイクがそんなウソを?」
「まあ、もともと初めに嘘をついたのはウシガエルだけどな。だけど、世界は誰も信用しなかったので、ウシガエル自身もそのうち言わなくなった。それから何年も経って、当のウシガエルもそんなウソを言っていたのを忘れた頃になってから、突然、デイブレイクが大きな声で言い出して、世界中に広めたんだ。それを聞いてウシガエルも騒ぎだした」
「そうだったんですか」
「情けないのは、ナパージュのツチガエルまでそれを信じてしまったことだ」
「どうして信じてしまったんですか?」
「長い間、デイブレイクはツチガエルたちに、自分こそがナパージュの良心と思い込ませていたからだ」
ソクラテスはなんだかわからなくなってきました。はたして嫌われ者のハンドレッドの言うことを素直に信じていいものだろうかと思いました。デイブレイクはハンドレッドのことを「大ウソつきだ」と言っていました。
「デイブレイクのやつは、ナパージュを
ソクラテスは以前の世界を思い出しました。たしかに以前の世界では、デイブレイクは毎日、そんなことを言っていたような気がしました。
「そう言えば、前にこんなこともあった」ハンドレッドは言いました。「南の原っぱに、とてもきれいな木があった。ところがある時、その木にひどい傷がつけられていた。デイブレイクは大きな声で言ったよ。『この美しい木にこんなひどい傷をつけるのがナパージュのツチガエルだ。ツチガエルは心の
「本当なら、その通りですね」
ハンドレッドは笑いました。
「ところが、実際にその木に傷をつけたのは、デイブレイク自身だったんだ。それを見ていたツチガエルが何匹もいてわかった」
ソクラテスとロベルトは同時に「えー!」と声を上げました。
「なんのためにそんなことをしたんですか」
「さっきから何度も言ってるだろう。デイブレイクはナパージュとツチガエルを貶めたいからだ」
ソクラテスはハスの葉の上で喋っていたデイブレイクの言葉を思い出しました。彼は、自分がちゃんと見張っていないと、ツチガエルたちはまた悪いことをすると言っていました。もしかしたら、デイブレイクは、ツチガエルは本当は悪いカエルだと思い込んでいるのかもしれません。でも、たとえデイブレイクの見方が正しくても、ウソはいけないと思いました。
「まあ、それはともかく、ウシガエルの王様を呼んだ手前、プロメテウスは、ウシガエルたちをナパージュに入れないようにはしない。というか、できない」
ソクラテスは、いくらウシガエルの王様が大切でも、そのためにナパージュのツチガエルの命を危険に
ハンドレッドはにやりと笑いました。
「お前、今、プロメテウスがウシガエルを止めないのは別の理由があるんじゃないかと思っただろう」
図星を突かれて、ソクラテスは少し動揺しました。
「たしかにプロメテウスは実は善良なツチガエルだ。ウシガエルを止めない理由は別にあるのかもしれん」
「それはなんですか」
「ウシガエルの国から入ってくるハエや虫はナパージュの多くのツチガエルにとっても、今や欠かせないものになってしまった。ウシガエルを怒らせば、彼らのハエを当てにしているツチガエルの中には困るやつが多数出るということだ」
どうやらこの世界ではウシガエルの国とナパージュの関係は切っても切れないもののようです。
「つまり、ウシガエルのお陰でナパージュも少しは潤っているわけですね」
「最初はな」とハンドレッドは言いました。「しかし、すぐにツチガエルが研究した虫やハエを増やすノウハウまで、全部やつらに取られてしまった。今ではウシガエルからおこぼれを貰う始末だ。それでもナパージュのツチガエルはウシガエルからもらえるわずかなハエや虫をありがたがっているんだ」
その話は前にスチームボートも言っていたのを思い出しました。スチームボートは「腰抜けのカエルだよ」と笑っていました。
「ウシガエルの奴らは、ツチガエルのお陰で美味しいハエや虫をたらふく食べて、今度はナパージュにやってきて住み始めたんだ」
「それもプロメテウスが認めたんですか?」
「そう見てもいいだろう。プロメテウスが元老のトップになってから、ウシガエルが沢山やってくるようになったからな」
「プロメテウスはウシガエルとは仲がいいんですか」
「よくないだろう」
「なら、なぜそんなことをしたんですか?」
「プロメテウスが元老のトップになれたのは、同じ元老の長老であるツーステップが応援してくれたからなんだが、こいつは昔から、ウシガエルから大量のハエや虫を貰っているという噂だ。ほかにも元老の中にはウシガエルからこっそりとハエを貰っているのがいるらしい。そういう奴らがプロメテウスに、ウシガエルのために
同じ話を前にも別のカエルから聞きました。でも、それは本当なんだろうかとソクラテスは思いました。
「信じられないという顔をしているな」
ソクラテスは頷きました。
「今、言ったことは何の証拠もない。見たわけじゃないからな。しかし、プロメテウスが元老のトップになってから、ウシガエルがナパージュにどんどんやってくるようになったのも、そこら中に住みだしたのもたしかだ。その事実を、お前はどう思う?」
「でも、それって、ウシガエルが多くのハエを持って来てくれるからでしょう」
「まあな」ハンドレッドは言いました。「今では、ナパージュのツチガエルたちは、ウシガエルのハエがなければ生きていけないくらいになってしまったんだ」
ソクラテスは何と言っていいかわからなくなりました。
「でも、ツーステップが一番悪いのなら、プロメテウスはむしろ被害者なんじゃないですか」
「被害者か――」ハンドレッドは皮肉っぽい笑みを浮かべました。「そういう見方もできるが、わしに言わせれば、単なる優柔不断だな。プロメテウスがツチガエルの人気を得たのも、『三戒を破棄する』と勇ましいことを言ったからだ。ナパージュでは何年もそんなことを言った元老は誰もいなかった。それでプロメテウスは人気を得て元老のトップにまでなった。ところが、トップになってからは、『三戒』の破棄なんか全然やろうとしない」
「そうなんですか」
「もともと『三戒』というのは、ツチガエルが作ったものじゃない。スチームボートが勝手に作ったものだ。お前たち、これを守れ、とな。つまりツチガエル自身の意志はどこにもなかったんだ。ところが、それをツチガエル自身が破棄できないんだ。これをどう思う?」
「どう思うって言われても――それってツチガエルが決めることでしょう」
「たしかにそうだ。ツチガエルたちが選んだ元老が決めるべきことだが、元老たちはまったくなにもやろうとしない」
「実際にツチガエルたちは『三戒』の破棄を望んでるんですか」
ハンドレッドは腕組みしました。
「そのあたりは微妙だな。というのは、デイブレイクが毎日、ハスの葉の集会で、三戒はとても大切だと演説してるし、お祭り広場でもマイクがいつも言ってる。デイブレイクやマイクの言ってることを毎日聞いているツチガエルは、『三戒』というのはこの世で最も素晴らしいものだと思い込んでいる」
ソクラテスの
でも、前の世界では、プロメテウスの懸命の努力で、「三戒」を破棄するかどうか、ナパージュのツチガエルたち全員で決めることになりました。そしてわずかな差ながら、「三戒は破棄しないで残す」ということになりました。その結果、ナパージュは奪われ、ツチガエルたちは悲惨な目に遭いました。しかし、この世界は前の世界とは微妙に違うようです。それだけに、ソクラテスは何が正しいのか、よくわからなくなりました。
「プロメテウスは『三戒』は破棄しないくせに、この前はとんでもない規則を決めたんだ。ハエを十匹食べたら、一匹はナパージュの国に差し出せというものだ。大勢のツチガエルが、今はハエが足りないのでやめてほしいと頼んでるにもかかわらず、強引に決めてしまった」
ソクラテスとロベルトは顔を見合わせました。前にいた世界では、プロメテウスは勇敢な元老でしたが、どうやらこの世界では少し違うようです。
「ハンドレッドさんの言うことを聞いていると、プロメテウスが、ウシガエルがナパージュに入ってくるのを止めないのは、ウシガエルの王様をお客様として招いていることと、ウシガエルの国で虫を育てているツチガエルのお願いを聞いてるからなんですね」
「そういうことだな。いや、それは違うというツチガエルもいるがな。そういう奴は、元老たちはお前なんかよりももっと深いことを考えているとか抜かしやがる。そういうことを抜かすカエルに、じゃあ、たとえばどんなことだと聞いてやれば、何も答えられないんだ。ただ、何の根拠もなく、元老たちは深いことを考えていると無条件に思い込んでいるだけなんだ」
ソクラテスはハンドレッドの言葉になるほどと思うところもありましたが、あまりの口の悪さに閉口しました。
「でもな」とハンドレッドは言いました。「実は、プロメテウスがウシガエルを止めない本当のところは別にある」
「本当は何なんですか?」
「プロメテウスのガッツがないからだ」
「ガッツですか――」
「ウシガエルをナパージュに入れないなんてことをやれば、大変な騒ぎになる。まず、ウシガエルが怒るし、お客様としてやってくる王様の件もある。ウシガエルの国で虫を育てているツチガエルも困る。やってくるウシガエルが持ってくるハエを頼みとしているツチガエルも困る」
「たしかに大変なことになりますね」
「要するに、そういう大変なことを背負いたくないというだけのことだ。もし、実際にそんなことをして、例の新しい病気がウシガエルの国でひゅーっと収まってしまったらどうなると思う?」
「プロメテウスはナパージュのカエルに袋叩きにされますね」
「そういうことだ。実際に、病気なんかたいしたことがないと言ってるディーアールは多いしな。つまり、プロメテウスはそういうリスクを取る勇気がなかったということなんだ」
ハンドレッドは珍しく真剣な表情でまくしたてました。
「いいか、よく聞け。元老みたいな仕事は誰でもできる。どんなバカでもやれるんだ。わしでもできる。しかしそれは何も起こらない平和な状態でのことだ。もし、今回のように今まで見たこともない事態に直面したら、その時こそ元老の真価が問われる」
ソクラテスは思わず頷いてしまいました。
「でも、初動が遅かったのはたしかですが、こんな事態になってしまったら、さすがのプロメテウスや元老たちも、ウシガエルをナパージュに入れないということを決めるでしょう」
ソクラテスの言葉に、ハンドレッドは「さあ、それはどうかな」と言いました。
「どうしてですか?」
「さっき言っただろう。ナパージュのカエルたちは、昔から、何か恐ろしいことが起こりそうな時でも、たいしたことにはならないと考えるんだ。そんなにひどいことにはならないだろうと。それと、もうひとつ、昔からナパージュは大きな決断ができないんだ。決めるのも動くのも、ものすごく遅い。こうした方がいいとわかっていても、なかなか決められない。動けない。だから、今はウシガエルをナパージュに入れるのは危ないと多くのツチガエルが気付いているが、動けない」
そう言われて、前にいた世界でもナパージュはそうだったとソクラテスは思いました。あの時も、ウシガエルたちにやられそうになっても、ツチガエルたちは最後まで動きませんでした。『三戒』を破棄すれば、ナパージュを守れたかもしれないのに、結局、その大きな決断をできないまま、最終的には国そのものが滅んでしまいました。ローラの最後のセリフも、「ひどいことにはならないわ」というものでした。
「すると、ナパージュはどうなりますか」
「さあな、ウシガエル病が広まるか、広がらないかは運だな。要するにプロメテウスは運に賭けたというわけだ」
ソクラテスの胸に不安がいっぱいに広がりました。
「ハンドレッドの言っていたことをどう思う」
洞窟から離れると、ロベルトが言いました。
「プロメテウスが運に賭けたと言うのは本当だと思う。実際に、病気が広まるかどうかはわからないからな。でも、ぼくらは病気が広まったことを考えて、用心しておくべきだと思う。水仙の花をもう少し取っておこう」
「そうだな。自分たちの身は自分たちで守らないとな」
二匹は水仙が咲いている池のほとりまでくると、いくつかの花をちぎりました。
「これだけあれば、しばらくは持つだろう」
二匹が新しい水仙を鼻と口に当てていると、ばったりとローラに会いました。
「何をしているの、ふたりとも。水仙の花を口にくっつけたりして」
ローラは笑いながら言いました。「もしかして、新しい病気が怖いの?」
「万が一の用心だよ」
「大袈裟ね」ローラは言いました。「あの病気は風邪みたいなものだと、ディーアールたちは言ってるわ。たとえかかっても、ひどいことにはならないって」
「そのカエルの言うことは間違いないの?」
「間違いないわ。だってお祭り広場で言ってたんだもの」
「お祭り広場で言ってることは正しいの?」
「あなた、何も知らないのね」ローラは呆れたような顔をしました。「ナパージュではお祭り広場で喋るカエルの言うことは、みんな聞くのよ。マイクはちゃんとしたカエルしか呼ばないんだから」
「マイクってそんなにすごいの?」
「ナパージュでは、賢い人はデイブレイクの言うことをしっかり聞くの。でもデイブレイクの言うことは時々難しいから、わたしみたいなあんまり賢くいないカエルは、お祭り広場でマイクの言うことを聞くのよ。マイクはデイブレイクの言ってることを、わかりやすく伝えてくれる。実はここだけの話、マイクはデイブレイクの弟なのよ」
ソクラテスはそうだったのかと思いました。マイクの言っていることがデイブレイクの言っていることとよく似ていたのはそのためだったのです。
「デイブレイクやマイクと違う意見は、お祭り広場では聞けないの?」
「デイブレイクやマイクと違う意見?」ローラは言いました。「それって間違った意見でしょう。そんな意見、聞く必要もないじゃない」
「たとえば、ハンドレッドとかがお祭り広場で喋ることはないの?」
「あの嫌われ者!」
ローラは声を上げました。「あんなバカで下品なカエルの言うことなんか誰も聞かないわ。言ってることは全部間違いだし。マイクが呼ぶわけがないわ」
「ハンドレッドが間違ってるという証拠は?」
「だって、デイブレイクがいつも言ってるわ。ハンドレッドはどうしようもない嘘つきだって」
「他にもそう言ってるカエルはいる?」
「知らないわ。興味ないもの」
ローラはそう言うと、また歌をうたいながらどこかへ行ってしまいました。
「元老会議へ行ってみるか」
ふたりは元老会議が行われている池に向かいました。
ソクラテスとロベルトが緑の池に着くと、ちょうど元老会議が始まるところでした。池の周囲にはいつもよりも多くのカエルたちがいました。
最初に若い元老が池の周囲に集まっていたカエルたちに向かって言いました。
「えー、皆さんに発表することがあります」
そのカエルはもったいぶってひとつ咳払いをしました。
「春にウシガエルの王様がナパージュに来られる予定でしたが、ウシガエルたちの病気が大変だということで、秋以降に延期になりました」
周囲のカエルたちに少しどよめきが起こりました。
「聞いたか、ソクラテス」ロベルトは言いました。「ウシガエルの王様が来られなくなったということは――」
「ウシガエルをナパージュに入れない決定をするためのハードルが、ひとつなくなったということになるな」
ロベルトは頷きました。
若い元老に代わって、プロメテウスが立ち上がりました。
「ツチガエルの皆さん」とプロメテウスは言いました。「わたしたちはさきほど、ウシガエルの国から来た病気を持ったウシガエルを入れないことを決めました」
周囲からぱらぱらと拍手が起こりました。ロベルトとソクラテスは思わず顔を見合わせました。
「全部のウシガエルを入れないんですか」
デイブレイクが怖い顔をして訊きました。
「いいえ」とプロメテウスは答えました。「病気でないウシガエルは入ってきてもらってもかまいません」
デイブレイクは満足そうに頷きました。
池のほとりにいた一匹のカエルが手を挙げて質問しました。
「どうやって病気のウシガエルかどうかを見分けるのですか?」
「水際作戦で食い止めます」
プロメテウスはそう言って胸を張りました。
「ナパージュに入ってくるウシガエルに、あなたは病気ですかと訊ねます。病気と答えたウシガエルはナパージュに入れません。これでナパージュには病気はまったく入ってこなくなります」
池の周囲にいたツチガエルたちは一斉に拍手しました。
しかしソクラテスは、それってそんなに完璧な作戦なのだろうかと思いました。もしウシガエルが嘘を言っていたらどうなるのでしょう。仮に嘘でなくても、病気の症状がまだ出ていないケースもあるはずです。そういうウシガエルも「病気ではない」と答えるでしょう。そう考えると、この水際作戦はプロメテウスが胸を張るほど素晴らしいものには思えませんでした。