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【土日限定】カエルの楽園2020 作者:百田尚樹
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第一章




       第一章




 朝日とともにソクラテスとロベルトは目が覚めました。昨夜の雨はすっかり止んでいました。

「気持ちいい朝だな」

 ソクラテスは言いました。東の空には朝日が昇っています。空は雲一つありません。

 泉からいい香りの風が吹いてきました。二匹のアマガエルはその空気を胸いっぱいに吸い込みました。

「ああ、まったく、この国の自然は素晴らしい。ウシガエルに占領されていなかったら、本当にカエルの楽園だったんだけどなあ」

「もうそんなことを言ってもしかたがない。そろそろこの国を出る準備をしようか」

 二匹のカエルは立ち上がりました。

「最後だから、もう一度この国をしっかり見ておかないか」

 ロベルトの言葉にソクラテスは同意しました。

 二匹はまず初めてローラと会った湿原に行ってみました。ウシガエルに会うのが嫌だったので、茂みの中を通りました。しばらく歩くと、泉に到着しました。

「懐かしいな」ロベルトは言いました。「ナパージュにやってきて、初めて入った泉だよ」

「ああ、長い旅を終えて、この泉に飛び込んだ時は、生き返るかと思ったな。それくらい気持ちよかった」

「ローラに出会ったのもここだったな。ローラは優しいカエルだったな」

 ソクラテスは頷きました。ローラはよそ者のアマガエルの自分たちに対しても全く警戒心を持たず、それどころか怪我をしていたロベルトの足を舐めてくれさえしました。

「でも、優しかったのはローラだけじゃない。ナパージュのツチガエルたちは誰もが親切だった。世界のいろんなカエルを見てきたけど、こんなにも心穏やかで優しいカエルはどこにもいない」

「そんないいカエルがどうしてウシガエルたちにあんな目に遭わされなくちゃいけないんだ」

 ロベルトは怒ったように言いました。ソクラテスは「まったくだ」と答えました。

 その時、突然、ロベルトがソクラテスの背後を見て、驚愕の表情を浮かべました。

「どうしたんだ?」

 そう言って後ろを振り返ったソクラテスも次の瞬間、言葉を失いました。そこにはローラが微笑みながら立っていたからです。

「き、君はローラ?」

 ソクラテスはやっとの思いで口にしました。

「あら? どうして私の名前を知ってるの?」

「どうしてって――」ソクラテスは言いました。「だって、君はローラじゃないか」

 ソクラテスは頭の中が真っ白になりました。ロベルトも同じだったようで、泉の淵に立ったまま、口を半開きにしたままでした。

 いや、ローラのはずがない、とソクラテスは心の中で呟きました。だって、ローラは昨日、ウシガエルたちに弄ばれた末に殺され、自分たちはその遺体を埋めた――。

「あなたたちを見るのは初めてだけど、どうして私の名前を知ってるの?」

「ぼくらを見るのは初めてだって?」

 ロベルトが驚いたように言いました。

「そうよ」

「だって、ぼくらはずっと友達だったじゃないか」

「おかしなことを言うのね。今ここで初めて会ったのよ」

 ロベルトは何か言おうとしましたが、ソクラテスはそれを制しました。

「ごめん、君はぼくらが知ってるツチガエルにすごく似ていたので、つい知ってるって言ってしまったんだ」

「そうだったのね。でも、そのツチガエルもローラっていうのね」

 ローラはにこにこしながら言いました。

 ソクラテスはローラをじっと見ました。どう見てもローラです。声も表情もまったく同じです。なのに、なぜぼくらを知らないと言うんだろうとソクラテスは思いました。それに第一、彼女は死んだはずではないか。

「じゃあね、アマガエルさん」

 ローラはそう言うと、手を振って去っていきました。

「どういうことだ、ソクラテス。あれはローラだろう」

「ぼくもそう思う。でも、彼女はぼくらを知らないと言う。どうなっているのか全然わからないよ」

二匹はそれ以上考えることをやめました。


 二匹のアマガエルは、今度は北の洞窟に向かいました。かつて嫌われ者のハンドレッドが住んでいたところです。

 ハンドレッドはナパージュがウシガエルに占領された時、真っ先に食べられてしまいました。ウシガエルの口の中に体が半分のみ込まれても、最後まで悪態をついていました。

 洞窟の前まで来ると、食べ物のカスが今も散乱していました。ハンドレッドは食べ物の残りかすを散らかす癖がありました。

「なんだか、この食べカスを見ていたら、ハンドレッドを思い出すよ」

「口が悪いし、憎たらしいカエルだったけど、いなくなると、それでも寂しい気持ちになるね。でも、主は死んでも食べかすだけは残ってるんだね」

 その時、洞窟の奥から「喧しいぞ」という声が聞こえてきました。ソクラテスとロベルトは互いの顔を見合わせました。その声に聞き覚えがあったからです。そう、ハンドレッドの声です。

 やがて洞窟から一匹の年取ったツチガエルが姿を現しました。それを見た二匹は息を呑みました。それはまさしくハンドレッドだったからです。

「ハンドレッドさん?」

 ハンドレッドはじろりとロベルトを睨みました。

「気安くワシの名前を呼ぶな。クソガエルが」

 ハンドレッドはそう言うと、地面に唾を吐きました。

「ぼくらを覚えてますか?」

「覚えてますかだと? 今初めて会ったクソアマガエルをどうやったら、覚えていられるんだ。訳の分からないことを言うな」

「え、覚えてないの?」

 ロベルトは言いましたが、ソクラテスの疑問は、なぜ死んだはずのハンドレッドが生きているのかということでした。しかも、ぼくらの名前は全然覚えていない。ローラと同じです。

「ワシの眠りを邪魔しやがって、とっと失せろ」

 ハンドレッドはそう言うと、再び洞窟の奥へ消えていきました。

「これはどういうことだ」

 ロベルトの言葉にソクラテスは首を振りました。

「よくわからないが、もしかしたら、何もなかったことになっているんじゃないか」

「何もなかったって、どういうことだ?」

「それって、俺たちがローラやハンドレッドに会っていないってことか」

 ソクラテスは頷きました。

「ローラに会っていないどころか、ぼくらがナパージュに来たこと自体がなかったことになっているのかもしれない。つまり、ぼくらは過去の世界に戻ったのかもしれない」

「過去だって?」

「うん。だからローラもハンドレッドも生きてるんだよ。それに、ふたりともぼくらを覚えてないということは、ここはぼくらがナパージュに到着する前の世界かもしれない。そうとでも考えないと説明がつかない」

「すると」ロベルトは腕組みしながら言いました。「この国はまだウシガエルに占領されていないってわけか」

「そうみたいだ」

 ロベルトは「うーん」と唸りましたが、急にソクラテスの方を向いて言いました。

「俺たち、どうやって過去に戻ったんだ」。

「わからない。でも、ぼくたちが過去に飛ばされたのは、考えてみると大きなチャンスかもしれない」

「チャンス?」

「ぼくたちはこれからナパージュに何が起こるか知っている。ということは、ぼくらはこれから起こり得る未来を変えることができる可能性があるということだ」

「俺たちが、あの最悪の未来を変えることができるかもしれないってことか」

 ロベルトの目が大きく開きました。

「俺はローラを救いたい。ハンドレッドなんてどうでもいいが、他のツチガエルたちを救いたい」

 ロベルトは興奮しながら言いました。

「ぼくも同じ気持ちだ。ぼくらが過去に飛ばされたのは、もしかしたら、そういう使命を持たされたのかもしれない」

「きっとそうだよ!」

 ロベルトはそう言った後で、ふと疑問を口にしました。「でも、過去と言っても、どれくらい過去なんだろう」

「さあ、そこまではまだわからない」

「スチームボートはいるのかな」

「たしかめてみよう」

 ソクラテスとロベルトは、自分たちの記憶にあるスチームボートがいた岩山に向かいました。

 途中、何匹かのツチガエルに会いましたが、ソクラテスとロベルトを知っているカエルは一匹もいませんでした。でも、彼らは見ず知らずの二匹に丁寧にお辞儀してくれました。

「なんだか平和そのものだな」

 ロベルトが道すがら呟きました。

「うん、前に来た時と同じだ。それにツチガエルたちが皆、気立てがよいのも一緒だ」

 やがて二匹は岩山の麓に着きました。見上げるような高さです。二匹がいた時には、この頂にスチームボートがいました。

 ソクラテスとロベルトは岩山を必死で昇りました。

 頂上にたどり着くと、そこには一匹の年老いた大きな鷲が寝ていました。

「スチームボートさん」

 ソクラテスが声をかけると、スチームボートは目を開けました。

「誰だ、お前たちは。ナパージュのカエルたちではないな」

「ぼくたちはよその国から来たアマガエルです。生まれた国を追われて、この国にたどり着きました」

「なるほど、それで記憶にないわけだな」

「変な質問をすることをお許しください」ソクラテスは言いました。「スチームボートさんはナパージュを去る気はないですか」

「ここを去る? どうしてだ」

「これは仮定の話ですけど、もしナパージュのカエルたちが、スチームボートさんに出て行ってくれと頼んだらどうします?」

「そういう声があるのか?」

「いいえ、これはぼくが考えただけのことです」

 スチームボートは少し考える様子を見せました。

「ずいぶん前に、別の国でそういうことがあった」

「えっ」

「わしがまだ元気だったころ、ナパージュ以外のカエルの国にも、巣を持っていた。そのうちのひとつが、ここからはるか南の池にあった」

「その巣はどうなったんですか」

「ある日、その国のカエルたちが、わしに出て行ってほしいと頼んできたので、出て行ってやったよ」

「そんなことがあったのですね」ソクラテスは言いました「それで、どうなりました」

 スチームボートは苦笑いを浮かべました。

「わしが巣を出て行った途端に、その国はウシガエルに池のひとつを奪われよった」

「ええっ!」

 ソクラテスとロベルトは同時に声を出しました。

 それって、ナパージュと同じじゃないかとソクラテスは思いました。いや、このままいけば、ナパージュもその国と同じになってしまう。現に、一度見た未来がまさにそうだった。スチームボートが去った途端、ナパージュにウシガエルが大挙して押し寄せてきたのだ。

「それで、スチームボートさんは、その国に戻ったんですか?」

 スチームボートは首を振りました。

「もう巣は壊れていて、戻るところはなかった」

「でも、勝手に池を取るなんて、ウシガエルはひどいことをしますね」

「本当はそこは池でも何でもないところだった。ウシガエルが勝手に掘り返して、水を引いて、無理矢理に池にしたんだ」

「そうなんですか」

「ウシガエルのやつが奪ったのは、その国だけじゃない。あちこちのカエルの国の地面を掘って、自分たちの池だと主張しておる」

「ひどい」とロベルトが言いました。

「まったくだ。それで、わしはウシガエルが次に狙いそうなあたりを飛んでやるんだ。そうすると、やつらはその時だけ、少しはおとなしくなる」

「ウシガエルもスチームボートさんが怖いんですね」

スチームボートはまんざらでもない顔をしたものの、すぐに暗い表情になりました。

「しかし、わしも年老いた。いつまでも飛ぶことはできない。わしが飛ぶことができなくなったら、そこら中がウシガエルの池だらけになってしまうかもしれん」

 ソクラテスはそんな未来は絶対にごめんだと思いました。

「ただ、ウシガエルたちを図に乗らせたのは、わしのせいもあるかもしれん」

「そうなんですか」

「少し前、ウシガエルたちが困っている時に、わしが空からいろんな食べ物を落としてやったのだ。ウシガエルの奴らは以前から乱暴者だったが、その頃は弱っていたから、少し気の毒になってな。それに、食べ物をばらまいてやったら、少しはまともなカエルになるかもしれんと考えたのだ。ところが、ウシガエルたちは食べると元気になって、急に暴れ出したんだ」

 ロベルトが「最悪のカエルですね」と言いました。

「まったくだ」スチームボートは苦笑いした。「しかし、ウシガエルたちに食べ物を恵んだのはわしだけじゃないぞ。実はナパージュのカエルたちもウシガエルの国に援助していたんだぞ」

「ええっ!」

 ソクラテスとロベルトは驚きの声を上げました。ナパージュがウシガエルの国に援助していたなんて信じられません。

「それって本当ですか?」

「本当だ。ナパージュのカエルたちは、ああ見えてなかなか頭のいいカエルでな。ウシガエルの国に、ハエの幼虫を大量に送ったんだ。なんでも、ウシガエルの国で、それをハエにして、一部をナパージュに送り返してもらって、自分たちが食べようというんだな。ウシガエルに幼虫を育てさせて、自分たちは労せずしてハエを手に入れるというわけだ。もちろん、幼虫の一部はウシガエルたちが食べるのだろうが、それは織り込み済みだったんだろう」

 ソクラテスは賢いやり方だなと思いました。ナパージュのツチガエルたちにもなかなかしたたかな一面があったのです。

「ところがだ」スチームボートは言いました。「ナパージュはウシガエルたちを甘く見ていた。ウシガエルたちは幼虫の多くを食べて、どんどん力をつけていった。そして、ナパージュには約束よりも少ないハエしか渡さなかった」

「ツチガエルは怒ったでしょう」

「もちろん怒ったさ。ウシガエルに残りの幼虫を返せと言った。しかしウシガエルは、そんなことを言うなら、幼虫も卵も全部取ってしまうぞ、と開き直った。今まで通り、わずかなハエを送ってやるから、それで我慢しろと」

「ツチガエルたちはどうしたんですか」

「我慢したんだ。幼虫を全部取られるよりはましだと思ったんだろうよ。わしから見れば、腰抜けのカエルたちだ」

 スチームボートは笑いましたが、ソクラテスは笑う気にはなれませんでした。ナパージュのツチガエルたちは心優しいカエルです。おそらくウシガエルと争いになるのを避けたのだろうと思いました。そう言えば、「三戒」の最初には「カエルを信じろ」とあります。二番目は「カエルと争うな」です。ツチガエルたちは、「三戒」の教えを忠実に守ったんだろうなと考えました。

「でも、ウシガエルたちはナパージュのツチガエルに感謝したんでしょう」

 ロベルトの言葉に、スチームボートは大きな声で笑いました。

「あいつらが感謝なんかするわけがない。恩を仇で返すのがウシガエルだ。幼虫を食べて力をつけたウシガエルたちは、今度はナパージュの南の崖を登り出した」

 ウシガエルが南の崖を登り出したのはそういうことだったのかとソクラテスは思いました。

「もともと南の崖はナパージュのものだったんでしょう」とロベルトが訊きました。

「そうだ。ウシガエルたちがまだ元気のなかったころは、南の崖はナパージュのものだと認めていた。ところが元気になって大きくなると、そこは昔からウシガエルたちのものだと言い始めた」

「本当はどちらのものなんですか?」

「昔からずっとナパージュのものだ」

 ソクラテスはそれを聞いて少しほっとしました。

「ナパージュに巣があるから、わしも時々は、南の崖の近くを飛んでやることにしている。わしが飛ぶと、ウシガエルたちも怖がって、それ以上は登ってこない」

 ソクラテスとロベルトはそれを聞いて安心しました。

 でも、とソクラテスは思いました。スチームボートがいる間はたしかに南の崖は守られるだろう。しかしスチームボートが去れば、たちまち南の崖は危うくなる。自分たちが見た未来のように、ナパージュのツチガエルたちがスチームボートを追い出せば、南の崖はウシガエルたちに取られる。そしてそれを足がかりにされて、やがてナパージュ全部を占領される――。そこまで考えて、ソクラテスは背筋が寒くなりました。

「スチームボートさん、お願いがあります」

 ソクラテスは言いました。

「なんだ?」

「いつまでもこの国にいてください」

「どうしてよそ者のアマガエルがそんなことを頼むのだ? ツチガエルがいてくださいと言う限りはここにいる。しかし彼らがもう出て行ってくださいと言えば、いつでも出て行く。あるいはツチガエルたちが持ってくる食べ物が少なくなっても、出て行く」

 ソクラテスはそうならないように祈りました。

「今日はありがとうございました」

 ソクラテスとロベルトはそう言うと、スチームボートに別れを告げて、岩山を降りました。


「どうやら、俺たちが過去に来たのはたしからしいな」

 岩山を下りたとき、ロベルトが言った。ソクラテスは頷きました。

「けど、どこか変な気がするんだよ。なんか、前にいた時と少し様子が違う感じがするんだ」 

「そうなのか」

「ツチガエルとウシガエルたちの関係が前と少し違うようだ。ハエの幼虫の話なんて、前は聞いてない」

「たしかにそうだな。どういうことだろう」

「さあ、それはよくわらない。ツチガエルたちに話を聞いてみよう。そうすれば何かヒントが摑めるかもしれない」

 二匹はお祭り広場へ向かいました。

 途中で、森の中にある泉に寄って喉を潤そうとロベルトが言ったので、ソクラテスも賛成しました。その泉はとても気持ちのいいところで、ナパージュの名所のひとつでした。

 泉のほとりまで来た時、ソクラテスとロベルトの足は止まりました。そこには有り得ない光景がありました。なんと、泉に二匹のウシガエルが下半身を浸していたのです。

「なんで、ウシガエルがあんなところに!」

 ロベルトが訊きましたが、ソクラテスに答えられるわけがありません。

 二匹は呆然としてウシガエルを見ていました。しかし更に驚くべきものを目にしました。それはツチガエルがウシガエルに近づいて、何やら楽しそうに喋っていることです。

「どうしてウシガエルとツチガエルが仲良くしてるんだ?」

 ロベルトの質問に、ソクラテスは「ぼくに訊いたってわからないよ」と答えました。

 ソクラテスは混乱しそうになりました。前にいたときのナパージュではこんな光景は見たことがありません。ナパージュで一番人気のある泉に、ウシガエルが堂々と入って、ツチガエルと楽しそうに話をしているだなんて――。

「たしかにびっくりはしたけど」とロベルトは言いました。「よく考えてみると、ウシガエルとツチガエルが仲良くしてるなんて、いいことじゃないか」

 ソクラテスはまだ頭が整理できていなくて、すぐには同意できませんでした。

「ぼくたちもウシガエルと話をしてみないか」

 ロベルトはそう言うと、ソクラテスが止めるよりも前に、ウシガエルの方に向かって歩き出しました。

「ウシガエルさん」

 ロベルトは声を掛けました。ウシガエルがロベルトの方を見ました。

「やあ、アマガエル君、君もよそからナパージュに遊びに来たのかい」

「うん。そんな感じかな」

「ナパージュはいいところだな。空気は綺麗だし、水は美味い。おまけに食べ物は新鮮ときている」

 ソクラテスも勇気を振り絞って、ウシガエルに近づきました。そして彼らに質問しました。

「ウシガエルさんは、ナパージュに遊びに来たのですか?」

「まあね。ちょくちょく来ているんだ」

 ちょくちょくだって――。ソクラテスは心の中で、思わずそう言いました。

「ウシガエルさんはナパージュに来ることができるんですか」

「来られるよ。以前はそう簡単には来られなかったけど、最近はナパージュが積極的に、ぼくらに来てくださいと言うんで、ぼくらもよく来るようになったんだ」

 ソクラテスの頭はまた混乱してきました。ぼくらが前にいた世界とはまるで違う。同じナパージュとは思えないほどだ。

 しかしウシガエルはさらに驚くべきことを言いました。

「ここはぼくらの国よりも住みやすい。だから、近いうちに、ここに住むことにしたよ」

 ソクラテスは思わず「えっ」と言いました。「ウシガエルがナパージュに住めるんですか」

「住めるよ」ウシガエルは平然と答えました。「もう何匹もナパージュに住んでいるウシガエルがいる。ウシガエルの町まであるんだよ」

 ソクラテスとロベルトは顔を見合わせました。

 その時、「そこにいるのはアマガエルさんじゃないの?」と声をかけてきたカエルがいました。声のした方を見ると、ローラでした。

「ウシガエルさんとお友だちになったのね」

 ローラは嬉しそうに言いました。

「ウシガエルさんて、いいカエルさんでしょう」

 ソクラテスは曖昧に頷きました。ウシガエルがいいカエルかどうかはまだわからなかったからです。

「ナパージュにはいろんな国からいろんなカエルが来るのよ。遊びに来るカエルもいれば、ここに住むカエルもいる。世界のカエルはみんな仲良しなのよ」

 世界の国で様々な迫害を受けてきたソクラテスは、そんなことはないと思いましたが、口にはしませんでした。

 気が付けばウシガエルは泉から出て、どこかへ行っていました。

「ローラさんは、ウシガエルがナパージュに来てもなんとも思わないんだね」とソクラテスは言いました。

「あら、アマガエルさんはおかしなことを言うのね」ローラは顔を曇らせました。「ナパージュではそんなことは言わない方がいいわよ。この国ではツチガエル以外のカエルの悪口を言うと、罰せられるのよ」

「――知らなかった」

「ナパージュのツチガエルは、他のカエルの悪口は言わないのよ」

「でも、ハンドレッドには、さっき、悪口を言われた」

 ローラはますます顔を曇らせました。

「ハンドレッドは例外よ。ナパージュ一の嫌われ者なんだから、相手にしたら駄目よ」

 ソクラテスとロベルトは頷きました。

「ところで、ナパージュでは、他のカエルも、ツチガエルの悪口を言ったらいけないんだよね」

「それは自由よ」

「えっ!」

「ナパージュに昔から住んでいるヌマガエルは、しょっちゅうツチガエルとナパージュの悪口を言ってるわ」

「たしかヌマガエルって、ナパージュのカエルじゃないよね」

「でも、長く住んでるから、ナパージュのカエルみたいなものよ」

「それなのにナパージュやツチガエルの悪口を言うの? それっていいの? おかしいじゃないか」

「あら、あなた『表現の自由』って言葉を知らないの? いいこと? 表現の自由というのはとても大切なことなのよ。ナパージュでは、それが認められているってわけ。わかる?」

「それはわかるけど。それなら、ツチガエルが他のカエルの悪口を言ってもいいんじゃないの?」

 ローラはうんざりした顔をしました。

「どうして他のカエルの悪口なんか言いたいの? そんなことをしていたら、世界は平和にならないじゃない。ナパージュのツチガエルは平和を愛するカエルなのよ」

「それなら、他のカエルもツチガエルの悪口を言ってはいけないんじゃないか」

「あなたって、頭が悪いの? さっき表現の自由がどれだけ大切か教えてあげたでしょう」

 ソクラテスはそれ以上は何も言えませんでした。

「話は変わるけど」とロベルトが口をはさみました。「さっき、ウシガエルとツチガエルが仲良しだって言っていたけど、南の崖はウシガエルに脅かされているんじゃないの」

「ああ、その話ね。ウシガエルが南の崖をよじ登ってくるとかでしょう。でも、滅多にないんでしょう」

「滅多になくても、よくないんじゃないの」

 ローラは少し考えるように首をかしげました。

「よくわからないけど、それはそれ、これはこれじゃないの? ナパージュに住んでいるウシガエルや遊びに来るウシガエルたちはいいカエルばかりよ」

「南の崖を登るウシガエルは? いいウシガエルなの?」

 ローラはため息をつきました。

「あなたたちは、よっぽどひねくれた性格してるのね。話していたら、うんざりしてきたわ。じゃあね」

 ローラはそう言うと、歌いながら去っていきました。


「ますます、わからなくなってきたな」

 ロベルトが言いました。

「いや、ぼくには何となくわかってきたことがある」

「それはなんだ?」

「ここはたしかに過去の世界だ。と同時に、パラレルワールドなんだよ。つまりもともとぼくらがいた世界とは少しだけ違う世界なんだ。ぼくらは過去に戻された時に、パラレルワールドに入ってしまったんだ」

 ロベルトは「うーん」と唸りました。「そんなことってあるのかい」

「でも、そう考えると、全部つじつまがあう。ここはぼくらが前にいたナパージュと同じところもあるけど、違うところもある。たとえばウシガエルとの関係なんか全然違う」

「たしかに」ロベルトは頷きました。「すると、ぼくらが見た未来は起こらずに済むのか」

「ナパージュのツチガエルがウシガエルと仲良くしているところを見ると、もしかしたら、そんな未来は起こらないかもしれない。しかしそう結論付けるのはまだ早いかもしれない」

「そうだな」

「お祭り広場に行ってみないか。あそこなら、いろんな話を聞くことができる」

「マイクのところだな。よし、行こう」

 二匹のアマガエルはお祭り広場へと向かいました。


 お祭り広場は、前と同じように大勢のカエルたちで賑わっていました。ソクラテスの記憶にあるお祭り広場の光景と同じでした。この広場はナパージュの人気者たちがよく来るので、それを目当てに、いつも多くのツチガエルたちが集まっています。

 中央の広場でマイクが喋っていました。これも前の世界と同じです。

 マイクの一言一言に、集ったツチガエルたちは大笑いしていました。マイクはカエルたちを楽しませる喋りが非常に上手いカエルでした。

 マイクがいったん下がると、今度は若いメスガエルたちが出てきて歌を歌い始めました。それを見て、周囲の若いオスガエルたちが歓声を上げました。これも前に見た光景です。

 メスガエルが歌い終わって引っ込むと、再びマイクが現れました。

「皆さん、嬉しい報せがあります。今度、ナパージュの国に、ウシガエルの国の王様がお客さんとしてやってきます」

 一部で拍手が起きましたが、大半のカエルたちはたいして興味がなさそうに聞いていました。

「我々の国ナパージュには、どんどんウシガエルがやってきています。彼らはナパージュに来る時にたくさんのハエをお土産に持ってきてくれるので、とてもありがたいことです」

 また一部のカエルたちから拍手が起こりました。

「どうやら、この世界では、ウシガエルは歓迎されてるようだな」

 ロベルトが言いました。

「そうみたいだな。ハエをたくさん持ってきてくれるって言っていたしな」

「この世界ではウシガエルは悪いカエルじゃないみたいだな」

 ソクラテスが頷こうとした時、後ろから「お前らはバカか!」と言う声が聞こえました。振り返ると、ハンドレッドが立っていました。

「ウシガエルが持ってくるというハエは、本当はナパージュのハエだ」

 ハンドレッドは吐き捨てるように言いました。

「そうなんですか」

「もとはと言えば、だ。というのは、前にウシガエルが飢えて貧しい時に、ナパージュは大量のハエの幼虫を送ってやったんだ。ハエになれば、その一部を返してくれたらいいという約束でな」

 その話はスチームボートもしていたことをソクラテスは思い出しました。

「ウシガエルのやつらは、その幼虫を大量に育てて、ものすごく増やすことに成功した。もっとも、その増やし方を教えたのもナパージュのツチガエルたちだけどな」

「そうなんですね」

「やつらは大量のハエをもりもり食べて、やたらと元気になると、今度は恩を忘れて、南の崖を登り始めやがった」

「でも、滅多に登ってこないんでしょう」

「バカかお前ら」ハンドレッドは言いました。「あいつらは毎日、来てるんだ」

「でも、ローラは滅多に来ないって言っていました」

「あんなバカ娘がなにを知っている。あいつの頭の中は歌だけだ。知識と言えば、バカのマイクが喋っていることしかない。で、マイクは南の崖の話なんか絶対にしないからな」

 そうだったのか、とソクラテスは思いました。

「でも、ウシガエルは友好的でもあるんですよね」

「あいつらが友好的なはずはない」ハンドレッドはそう言って唾を地面に吐きました。「あいつらが笑顔を見せるときは、あいつらが苦しい時だ」

「でも、今、ウシガエルたちがたくさんナパージュに来てるんでしょう。さっきも見ましたが、ツチガエルたちと仲良くやっていましたよ」

 ハンドレッドは「ふん!」と言いました。

「ウシガエルのハエを貰って喜んでいるツチガエルが増えてきたのはたしかだ。最近、ウシガエルのやつらは、この国にも住み始めやがった。それもこれも、プロメテウスのやつが、積極的にやつらを呼び込んでいるからだ」

 ソクラテスはプロメテウスの名前が出てきたので、驚きました。プロメテウスと言えば、前いた世界では、ナパージュをウシガエルから守ろうと頑張っていた元老です。そのために「三戒」を破棄する運動もしていました。そのプロメテウスがウシガエルに、どんどん来てくださいと言うなんて、いったいどういうことなんだ――。

「プロメテウスがウシガエルを入れるようになったんですか」

「そうだ。プロメテウスが元老のトップになってから、ウシガエルがどんどんやってきやがった。要するにプロメテウスが考えたことだ。おかげで、ナパージュの人気スポットではウシガエルの姿を見ないことはない。それどころか、最近はナパージュに住むやつまで出てきやがった。これも増える一方だ。しかし一番腹が立つのは、あいつらはわしらがケガをした時に使う癒しの泉の水を勝手に飲むんだ」

「癒しの泉って何ですか?」

「不思議な泉でな。わしらツチガエルがケガをしたり病気になったりしたときに、その泉の水を飲むと病気がよくなり、ケガの治りが早くなる。その泉の水は昔はちょろちょろとしか出てなかったが、わしらの祖父や父が何年も何年も頑張って周囲を掘って、たくさんの泉の水が出てくるようにしたんだ」

「そんなに素晴らしい水なら、どのカエルが使ってもいいんじゃないですか」

 ロベルトがそう言うと、ハンドレッドは「馬鹿め」と言いました。

「その水が無尽蔵にあれば、そうしてもいいだろう。しかしその水の量は限られている。ツチガエルが使うだけでぎりぎりなんだ。それなのに、最近はその水を飲みにたくさんのウシガエルがやってくる」

「じゃあ、ウシガエルには使わせなければいいじゃないですか」

 ソクラテスがそう言った途端、「そんなことを言うもんじゃない!」という声が聞こえました。

 声のした方を見ると、そこには見覚えのあるカエルの姿がありました。前の世界で見たデイブレイクです。デイブレイクは怖い顔をして、ロベルトを睨んでいました。

 ハンドレッドはデイブレイクの顔を見るなり、地面に唾を吐いて、その場を立ち去りました。

「君たちは誰だ」

 デイブレイクはソクラテスとロベルトに尋ねました。

「ぼくらはナパージュにやってきたアマガエルです」

「ハンドレッドの言うことなんかまともに聞くことはないぞ。あいつは嘘つきで、とんでもないカエルだ」

 デイブレイクはそう言った後で、今度は諭すように言いました。

「さっき、君たちはウシガエルに癒しの水を使わせなければいいじゃないかと言ったが、それはとんでもない誤った考えなんだぞ。そういうのを排他的な考えというのだ。君たちのようなよそ者にはわからないだろうが、ナパージュはツチガエルたちだけのものじゃないんだ。もうそんな時代じゃない。この国にやってきたすべてのカエルはナパージュの恩恵を受けるんだ。ウシガエルを差別するなんてことは許されん。ウシガエルだけじゃないぞ。ナパージュにいるカエルたちには、すべてツチガエルと同等の権利が与えられるべきなんだ。ナパージュこそ、まさしくカエルの楽園だ。どうだ、素晴らしいだろう」

「素晴らしいです!」

 ロベルトは感極まったように言いました。

「おい、聞いたか、ソクラテス。ナパージュって、まさにカエルの楽園じゃないか」

 しかしソクラテスはすぐには同意できませんでした。それで、デイブレイクに尋ねました。

「ナパージュって、そんなに豊かな国なんですか」

 デイブレイクはいい質問だと言うふうに頷きました。

「ナパージュは決して豊かな国ではない」

「それなのに、よそからやってきたカエルたちにもツチガエルと同じようにしてあげてもいいんですか」

「いいんだよ」

「だって、癒しの水も量は限られているんでしょう」

「そんなことはたいした問題ではない」

 デイブレイクは笑って手を振った。

「とにかくナパージュは平等な国なんだ。だから、君たちのような他の世界から逃げてきたカエルたちにも公平に与える」

 ロベルトは「ありがとうございます!」と言って、デイブレイクの手を握りました。

 しかしソクラテスはロベルトとは別のことを考えていました。限られた量なのに、そんなことは関係ないなんて言えるのだろうか。それに、ツチガエルとよそからやってきたカエルが同等の扱いというのは正しいのだろうか。それは嬉しいことだが、自分たちはもともとナパージュで生まれ育ったカエルではない。この国に来たのもつい最近のことだ。それがこの国で生まれて何年も生きてきたツチガエルと同じような恩恵を受けるのは、何かおかしいんじゃないだろうか。

 それで、その疑問を口にしました。

「君の考え方は古い考え方だな。時代はどんどん変わっているんだ。今や、世界中のカエルの国は、自分の国のカエルだけを大切にするのはやめようという考え方に変わってきているんだ。大昔からその国に住んでるカエルも、今日よその国から来たばかりのカエルも、すべて平等という考え方だな。そしてナパージュもそうだ」

「そうなんですか」

「実はナパージュも昔はそうではなかった。しかし私が長い間かかって、そういう考え方をツチガエルたちに教えてきたんだ」

 デイブレイクはそう言って胸を張りました。

 ソクラテスは曖昧に頷きましたが、心の中では疑問が生まれていました。それってたしかに素晴らしいけど、そうなると国って何のためにあるのだろうと思ったのです。生まれた国が気に入らなければ、気に入った別の国に行けばいいということになる。それが正しいのか間違っているのか、ソクラテスには判断ができませんでした。それで、今度は別の質問をしました。

「微妙な質問なんですが、ウシガエルはナパージュにとって危険なカエルではないのですか?」

 デイブレイクは大仰に顔をしかめました。

「そういう根も葉もないデマを言う奴がいるんで困ってるんだ。私が保証するが、ウシガエルは非常に善良なカエルだ。悪意とか敵意とかはまったく持っていない。しかし、ナパージュのツチガエルの中には、ウシガエルは非常に恐ろしいカエルだと吹聴して、ツチガエルとウシガエルの友好を壊そうとしている奴らがいるんだ。ハンドレッドなんかはその筆頭だ」

 ソクラテスはそうなのかと思いました。たしかに前にいた世界ではウシガエルは残酷なカエルでしたが、この世界ではそうではないようです。でも、ハンドレッドの性格は前の世界と変わらず、ここでも同じように皆に嫌われています。

「でも、南の崖は、ウシガエルが昇って来てるんですよね」

「あんなのはどうということはない。そもそも、南の崖がナパージュのものであったという事実はない」

「え、そうなのですか?」

「あ、いや、まあ、私も詳しくは知らんが、南の崖に関しては、ウシガエルにもウシガエルの言い分があるんだろうから、彼らを一方的に責めるのはよくない。そんなことをしていたら、お互いがいつまでも仲良くなれないだろう。相手の言い分に耳を傾けることも大切だ」

 ロベルトは大きく頷きました。

「それにだ」デイブレイクは言いました。「ナパージュは昔、ウシガエルと争った時、彼らにひどいことをたくさんした。大量のウシガエルを殺したんだ」

 その話は前の世界でも聞いた気がしましたが、ソクラテスは敢えて訊きました。

「優しいツチガエルがそんなことをしたのですか? 私は世界を放浪してきて、様々なカエルに出会いましたが、ナパージュのカエルくらい優しいカエルはいないと思いました」

「そういう優しいカエルを悪魔に変えてしまうのが、争いというやつなんだよ」

 デイブレイクは悲しげな表情をしました。そして続けました。

「だからこそ、わたしはナパージュがもう二度とそんな残酷なことをしないように、毎日頑張っているんだよ。もし、私が元老会議を見張っていなければ、元老たちはまたナパージュを争いをする国にもっていってしまうだろう」

 その言葉を聞いて、ロベルトは感心したように頷きました。

「さっきマイクが、今度、ウシガエルの王様がナパージュに来ると言っていましたが、それは本当ですか?」

 ソクラテスは訊きました。

「本当だよ。素晴らしいことだ。桜の花が咲くころに、ウシガエルの王様がおこしになる。これで二つの国はいっそう仲良くなるだろう。プロメテウスが招待したんだ。無能なプロメテウスにしてはよくやったよ。これだけは評価してやらんといかんな」

 デイブレイクはそう言って笑いました。

「私は忙しいので、あまり長く話すことはできないが、わからないことがあれば、いつでも聞きに来なさい。何でも教えてあげよう」

 デイブレイクはそう言うと、去っていきました。

「たしかにソクラテスの言うように、この世界は前にいた世界とは微妙に違ってるね」

 ロベルトは言いました。

「一番違っているのは、ナパージュとウシガエルがうまくやっているということだね」

 その言葉にソクラテスは頷きました。ウシガエルの王様をナパージュに招待するなんて、相当仲良くないとできません。実際、この世界ではナパージュとウシガエルの国は、かなり親しくやっているようです。その証拠に何匹ものウシガエルがやってきています。

「でも、それなのに、南の崖にはしょっちゅうウシガエルが登っていると言うぞ」

 ソクラテスの言葉に、ロベルトも「そうだな」と言いました。

「ハンニバルに会いに行くのはどうだろう。この国にハンニバル兄弟がいれば、だが」

「行ってみよう」

 二匹は前の記憶を頼りに、ハンニバル兄弟が住んでいた東の岩山に向かいました。


 東の岩山に辿り着くと、ハンニバルが岩場で体を鍛えていました。

「やあ」

 ハンニバルはソクラテスたちを見ると、トレーニングをやめて、声をかけてきました。

「君たちはこの国に最近やってきたアマガエルのソクラテスとロベルトだね」

「どうしてぼくたちの名前を知っているのですか?」

「ぼくらはいろんな情報を常に集めている。だから、君たちが来た時から知っているよ」

 ソクラテスは驚きました。ハンニバル兄弟は力が強いだけではなかったのです。

「ハンニバルさんにお尋ねしたいことがあって、やってきました」

「何だい?」

「ウシガエルとナパージュは本当に仲がいいのですか?」

 ハンニバルは微妙な表情をしました。

「それは私の口からは何とも言えないな」

「でも、仲が悪いというわけではないんですよね。だって、ナパージュに何匹もウシガエルが入ってきています」

「入ってきているどころじゃないよ。最近はナパージュに何匹も住んでいる。それもナパージュの土地にね。ウシガエルの住んでいる地域にはツチガエルが入れないところもあるくらいだ」

「え?」

「あそこもそうだ」

 ハンニバルが西側にある高台を指さしました。見ると丘の上にウシガエルが何匹かいて、こちらを見下ろしていました。

「彼らは少し前からあそこに住んでいる。そして、いつもこちらを見ている。あまり気持ちのいいもんじゃないね。なぜなら、ぼくたちの行動が全部丸見えになっているんでね」

「そこに住むなとは言えないんですか」

 ハンニバルは肩をすくめました。

「ウシガエルはナパージュのどこに住んでもいいと、ナパージュの元老たちが認めているのでね。だからウシガエルたちは、ナパージュの気に入ったところに自由に住むことができる。そしてウシガエルが住んだ土地はウシガエルのものになるんだ」

「ナパージュの土地なのに?」

「そうだよ」

「それって、なにかおかしくないですか」

「そういうことは口にしない方がいい」ハンニバルは言いました。「排他的と言われる。あるいは『カエルを差別するカエル』と言われる。ナパージュでは『カエルを差別するカエル』と言われたら生きていけないよ」

 それを聞いてソクラテスは思わず口を(つぐ)みました。

「じゃあ、ウシガエルの沼にツチガエルが住んでもいいんですか」

「それはウシガエルが認めていない」

 ロベルトが「ええっ」と声を出しました。「それって不公平じゃないですか」

「ぼくも不公平だと思うけどね。大昔に元老たちが認めたんだから、しかたがない」

「昔からなんですか」

 ハンニバルは頷きました。

「ただ、昔はウシガエルたちは貧しくて、ナパージュには来られなかった。仮に来たとしても、ナパージュの方がはるかに豊かだったから、貧しいウシガエルは住むことができなかったんだ。でも最近、ウシガエルたちはナパージュよりも豊かになって力を付けたので、どんどんやってくるようになった。たくさんのハエを持ってきて、それをツチガエルにプレゼントして、その代わりに住んでいる土地を譲ってもらうというわけだ」

「ナパージュのツチガエルは、ハエと交換に土地をあげるのですか」

「そういうことだ」ハンニバルはそう言ってもう一度西の高台を見上げました。「あの丘には前にツチガエルが住んでいた。でも、ウシガエルのハエと交換して土地を譲り渡した」

「そもそも、どうして、ウシガエルはナパージュに住むんですか?」

「ナパージュがいいところだからじゃないかな。ウシガエルの沼は水も空気も悪くて、住んでいるだけで体が悪くなるという噂がある。だから多くのウシガエルが水も空気も奇麗なナパージュに住みたがっている」

「ウシガエルの沼にはたくさんのウシガエルがいるんですか」

 ロベルトが訊きました。

「ナパージュのツチガエルの十倍以上はいるよ」

「そんなに!」

 ツチガエルの十倍もウシガエルがいるなら、いつかナパージュの土地が全部ウシガエルのものになってしまうということもあるんじゃないだろうかとソクラテスは考えました。一割来ただけで、ツチガエルよりも多くなります。そうなれば、ナパージュはツチガエルの国とは言えなくなります。さっき、デイブレイクが言った「ナパージュはツチガエルたちだけのものではない」というセリフが実感として蘇ってきました。

 しかしそれがいいことなのか悪いことなのか、ソクラテスにはわかりませんでした。というのも、もしナパージュがツチガエル以外のカエルに対して厳しい国だったら、自分たちもここにはいられなかったからです。ツチガエルが優しくしてくれたから、自分たちもナパージュに住むことができる。ということは、ナパージュがウシガエルに優しくするというのも間違いとは言えないんじゃないかと思ったのです。

「一つ教えてください」ソクラテスは言いました。「ウシガエルとツチガエルがそんなに仲がいいなら、どうして南の崖をウシガエルは取ろうとしているのですか」

「ウシガエルは戦うウシガエルたちをたくさん養成している。それはものすごい数だ。彼らは戦うための訓練を毎日している。そしてそのためのカエルをすごい勢いで増やしている。南の崖をよじ登ってくるのは、そういう戦いのために訓練されたウシガエルたちだ」

「それって――ナパージュをやっつけようという意味ですか」

「それはわからない。ぼくたちはウシガエルの意図を判断できない。それを判断するのは元老たちだ。ぼくらはただ、南の崖はナパージュのものだから、そこを取られないように、頑張るだけだ。今も、弟のワグルラとゴヤスレイが南の崖に向かっている」

「そうだったんですね」

「じゃあ、ぼくはまたトレーニングをするから」


 東の岩山を離れた後、ロベルトは言いました。

「どういうことなんだ、ソクラテス。ナパージュとウシガエルは仲良しなのか、それとも仲が悪いのか。ウシガエルはナパージュにたくさん遊びにやってくるばかりか、何匹も住んでいる。でも一方で、南の崖を取るために戦うウシガエルをたくさん養成している。これはどういうことなんだ」

「ぼくにもわからない。でも、前にいた世界より複雑な世界だということはたしかみたいだ」

「そうだな。前に俺たちがいた『カエルの楽園』はかなり単純な世界だったようだ」

 その時、頭上に暗い影が見えました。見上げると、スチームボートがすぐ上を飛んでいました。

 スチームボートは羽ばたきを緩めると、ソクラテスとロベルトの前に降り立ちました。

「岩山の頂上からお前たちの姿が見えたので、飛んできたのだ」スチームボートが言いました。「お前たちにひとつ知らせておいてやろうと思ってな」

「なんですか?」

「ウシガエルの沼に、恐ろしい病気が流行りだしたようだ」

「なんですって」

「さっき、ウシガエルの国の上を飛んだ時に見た。どうやら奴らは、その病気にかかったウシガエルたちが外に出られないように、沼の端に閉じ込めているようだ」

「その病気に罹ると、どうなるんですか」

「肺がおかしくなるらしい」スチームボートは自分の胸を羽で叩きながら言いました。「それで運が悪いと死ぬ」

「その病気って、ウシガエル以外のカエルも罹るんですか」

「すべてのカエルに罹る病気らしい」

ソクラテスはぞっとしました。もし、それなら大変なことです。

「カエルだけじゃない。もしかしたらわしにも罹るかもしれん。用心するに越したことはない。まあ、一応、お前たちにも知らせておいてやろうと思ってな」

 ソクラテスは「ありがとうございます」と礼を言いました。

「ツチガエルたちにも知らせたんですか」

「元老たちには知らせておいた」

 スチームボートはそれだけ言うと、再び羽根を大きく広げて飛び立っていきました。

「ソクラテス、とんでもないことになったな」

 ロベルトは言いました。

「うん。その病気がナパージュに入ってきたら、大混乱になる」

「元老会議も今頃きっと、大騒ぎになってるぞ。どうする?」

「行くしかないよ」

 ソクラテスとロベルトは、元老会議が行われている緑の池に向かいました。

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