その日は、突然起こった。
亜人狩り部隊として参加していたレメディオスは、王都ホバンスから遥か南の山脈に差し掛かろうとしていた。
小高い丘の上に立ち、周りを見たレメディオスは、絶望した。
そこには、存在価値のない土地が広がっていた。
木々は痩せ細り、自生している植物もない。川もなく、土を掘っても湧き水も出ないであろう。当然、住んでいる獣などいないであろう。
確保していた軍用食もあとわずかの状態であった。
自然の恵みを期待してこの場所まで足を進めたのだ。その惨状がこれである。
「隊長どうでしたか?」
能天気な隊員が、レメディオスに声を掛ける。
「ああ。何とかなりそうだ。」
レメディオスは、悟られないようにできるだけ大きな声で言った。
「どうでしたか。よかった。ここら辺を捜索して早く王都に帰りましょう!」
数日、少ない食料にて生きながらえていた隊員が、空元気のような声で言った。
(絶望だ)
ここで少なくとも王都に帰るだけの食料を確保しようと考えていたが、その考えが甘かった。考えてみれば、自分は王都の近辺の土地しか知らない。
だが、自分の直感を信じて、ここまでの道中を歩んできたが、全く自分の知識など役に立たないと改めて悟った。
しかし、ここまで自分を信じて付いてきた隊員たちを裏切るわけにはいかない。
これまで、敗残兵となった亜人を共に狩りながら、レメディオスの部隊はかつての聖騎士団を思わせる結束で結ばれていた。
(ここでこの部隊を終わらせてなるものか!)
レメディオスは、固く決意をして周辺の捜索を買って出た。
実りの何もない平野にそれは突然訪れた。
荒野の先には、複数のテントが張り巡らせてあり、その中心には明らかに人間がいるであろう建造物が建っていたのだ。
そう、教会である。
なぜ、このような所に教会があるのか、不思議には思ったが、その時のレメディオスは、危機感は覚えなかった。
周りは、日が暮れたのか薄暗く、冷たい風が流れていた。
すぐにレメディオスは、所持していたアイテムを熾した火に投げ入れると、黄色い狼煙が上がった。
火に投下すると特定の色の狼煙が上がる聖騎士御用達の信号である。
その信号を目にした隊員たちがレメディオスの元に集う。
レメディオスを含め、総勢、八名、最初は二十名であったが、その数はこれまでの亜人討伐、サバイバルにて、今はその数まで減ってしまった。
「隊長。何か見つけたんですか。」
「あれを見ろ」
レメディオスは嬉しそうにその教会を指さした。
レメディオスは、発見した教会へと向かう。気づくと周りは夜の闇へと誘われていた。
レメディオス達がテントを横切って教会に向かおうとすると、横のテントからムズムズと動き出す音がした。
レメディオスを先頭に部隊は、剣を抜き戦闘態勢に入る。
これまでの戦闘でレメディオスの部隊は、かつての聖騎士団に劣らない程の手練れの部隊となっていた。
そのテントから一つの影が頭を覗かせる。
「なんですか~あなた達は?」
若い男が顔を出して緊張感のない声を出した。
その男は、明らかに人間であった。しかも若く、細く、青白い顔をしていた。
(なんだ、この部隊も食料が足りてないのか?)
半ば、失望したが、この規模、そして建造物があるという事は、そこそこの食料は確保していると考える。
「休んでいるところ、すまなかった。」
レメディオスは剣を鞘に納めて、言った。それに合わせて、他の隊員たち剣を納める。
「私は、聖王国亜人狩り部隊のレメディオス・カストディオ。貴殿等の指揮官に会わせて頂きたい。」
レメディオスを胸を張り声を張り上げる。
(隊長カッケー!)
(さすが隊長だ!)
(………好きだ。)
背後の隊員たちは各々、これまで自分達を支えてきた隊長に対する思いを巡らせていた。
「あー。そうなんですか~。 でも僕一番下っ端なんで、向こうのテントの中で寝ているオッサンに声を掛けて貰えますか?」
そういって二つ先のテントを指さした。
若い兵士はそう言うと「まだ、寝たりないわ」と小さく呟き、テントの奥に消えていった。
レメディオスをは啞然とする。確かに今は、聖騎士団隊長としての任にはついていないが、名乗りを上げた聖騎士がこのような対応をされる事は、かつてなかったからである。
しかし、明確に返答をした事を無下にもできぬか…。そう思い、言われた通りのテントの前に立ち、先程のように名乗りを上げた。
「な、レメディオス・カストディオですと!」
テントの中から驚いた声が聞こえ、その主が顔を出す。
「わ、私は、南の聖王国が貴族、コルデオ・ドル・ケーレと申します。」
その声と共に、頭がデカい、しかし、体は小さい、良くて四頭身、悪ければ三頭身の中年の男がテントから飛び出してきた。
その頭は、キッチリ七三分けになっており、何かで固めているのか髪の毛は月夜に輝いていた。
「わかった。では貴殿等の指揮官に会わせていただけるかな?」
全然、わかってはいなかったが、とりあえずレメディオスは要求を伝える。
「はい、畏まりました。」
コルデオは二つ返事で答えた。
コルデオを連れ立って、レメディオス達は、テントの中央の教会へと向かう。
その教会に向かうにつれ、その教会の大きさが、通常よりも遥かに大きいことに気付いた。
建造物はそれ程でもないが、それを支える土台部分が建造物の敷地の二倍以上の大きさであったのだ。レメディオスは疑問を覚える。
(この建造物はどういう目的で作られたのだ。簡易的な建造物であればここまで大袈裟な基礎工事の必要ではないのではないか?それとも、実りのないこの土地に永住する目的で建てられたのか?)
そんな疑問を抱いている間に、教会の扉の前に、立った。
その扉は、重厚で、簡易的に造られた建造物ではもったいない質感をしていた。
コルデオは、その細腕で重厚な扉をまるで苦も無く両開きに開ける。
(やはり、この建造物は一時的簡素な素材で建設しているな。)
レメディオスは、この扉は、見た目だけで安物の軽い素材でできていると確信した。
扉の奥には、まさに教会の礼拝堂が広がっていた。
その造りは、レメディオスが今まで見てきた礼拝堂よりも奇麗であった。
コルデオに連れ立って、レメディオス達もその中に入る。
レメディオス達が入るとその扉はゆっくりと閉まっていった。
普通であれば、危惧することであるが、ここは教会、聖なる場所であるこのような所に罠などある訳がない。レメディオスはそう思った。
コルデオが礼拝堂の通路を進む。
奥には、女性と思しきシルエットが見えた。
その女性は頭から黒いローブを纏い、後ろ向きでひざまずき、その祭壇に祭られている紫色の服を着た銀髪の人形に祈りを捧げていた。
おそらく、この女性が彼らの上官なのだろう。
コルデオはその女性に近づき、言った
「聖王妃様。ご面会ですぞよ。」
その言葉に真っ先に反応したのは、レメディオスだった。
「貴様!何を言っている!聖王妃カルカ・ベサーレス様は天に召されたのだ!あの方指しおいて聖王妃を名乗るものなど許されるはずがない!」
レメディオスの大声は礼拝堂内に大きく響いた。
「レメディオス!あなた、そのすぐに頭に血が上る癖直さないと。ケラルトにしかられるわよ!」
そう言うと、黒いローブの女性はレメディオス達方に振り返る。
その女性―カルカ・ベサーレスの顔を見た時、レメディオスの瞳には自然に涙が溢れた。
そう命を懸けて守ろうとして、でも守れなかった。自分のすべてを捧げても惜しくはないと思った唯一の人物が、再び、自分の目の前に現れたのだ。
(―これは夢なのか?)
レメディオスは、自分の頬を人生の中で一番強くつねる。しかし、痛みは感じなかった。目の前の奇跡には、どんな痛みも、悲しみも感じない。
(-はは、やっぱり夢だ…)
レメディオスが自分の頬の肉をその手でそぎ落としそうになってるところで、背後にいた隊員がレメディオスの腕に飛び掛かり、その行為を制止する。
「隊長!夢じゃないですよ!」
「しっかりしてください、隊長!」
他の隊員達も全員でレメディオスに飛び掛かり、その体を取り囲んだ。
その衝撃でわずかな痛みを感じたレメディオスは、
「これは、夢ではないのか?」
小さく呟く。
「夢じゃないです!」
「聖王妃様は生きておられたのです!」
「……好」
各々の隊員たちが、レメディオスを囲み、歓喜の声を上げていた。
その声に、レメディオスの瞳から涙が溢れ出した。
なんだ、この涙は。カルカ様とケラルトが亡くなったと知った時、もう、尽きたはずではなかったのか?
レメディオスは涙を拭う。こんな恥ずかしい姿を主の前で見せられるはずがない。
カルカの前まで行き、レメディオスはひざまずき言った。
「このレメディオス、カルカ様が生きていると信じておりました。」
カルカはその言葉を聞き、笑顔で言った。
「ありがとう。レメディオス。じゃあ死んで。」
レメディオスは耳を疑った。
(今、カルカ様は何を言われたのか?)
聞こえてはいたが、その言葉を受け入れることはできなかった。
「レメディオス聞こえなかったの?死んでっていったの。」
またまた、しっかり聞こえてはいたが理解ができない。
「カルカ様。今日はお疲れのご様子ですので、お休みになられては?」
レメディオスは、聞こえなかった事にした。
カルカは少し拗ねた態度で腕を組み、
「じゃあ、まずは貴方の部下から死んでもらうから」
そう言うと手を挙げた。
すると、それと同時に礼拝堂の椅子の下から無数の影がレメディオスの背後の隊員達を襲う。
レメディオスは背後、振り返ると、そこには二十人以上の兵士に隊員達がが押し圧し潰されていた。
慌てて、レメディオスはカルカに振り返った。
「何をされるのですか!カルカ様」
「何って、私達の仲間にしてあげようとしてるんじゃない。」
その笑顔の中に、真っ赤な瞳、口から覗かせる牙が、レメディオスの瞳に写る。
(吸血鬼―ヴァンパイア)
「貴様、よくも騙したな。カルカ様の姿をして!」
レメディオスは、激高し、叫んだ。
「レメディオス。勘違いしないでね。私は、カルカなのは間違いないから。」
困った顔をしてカルカは言う。
「カルカ様がヴァンパイアになどなる筈がない!」
「そうね。私もまさかヴァンパイアになるなんて思ってなかったけど。彼のお方に気に入られちゃってね。」
「彼のお方?」
「そう、私の主様」
レメディオスは無い頭で考える。
(どこの誰だか知らないが、カルカ様をヴァンパイアとして復活させて、この聖王国を狙っているのか!)
「これから、王都ホバンスに攻め込んでみんな仲間にしようと思ってるの。」
カルカは、平然と言う。
「カルカ様、どうしてそのような事をされるのですか?あなたは、この聖王国の聖王妃様です。国民を愛していらっしゃらないのですか?」
まだ、カルカに理性があると信じるレメディオスは、訴えるように語りかけた。
「何を言っているの?愛しているから仲間にしてあげるんじゃない?」
(だめだ。カルカ様は何者かに操られているだ )
「それに、南の聖王国は皆仲間にしちゃったから、もう、北に行くしかないのよね。」
これまた、軽い口調でさらっと凄い事を言う。
「南の聖王国が…」
レメディオスは、絶句する。
カルカは笑顔で首を縦に振った。
「でも、みんな弱くて少し退屈してたの。ちょっと、面白くしようか?」
そう言うと、カルカは魔法を唱えだした。カルカの前に小さな黒く炎に燃える魔方陣が複数展開した。それはめまぐるしく形を変えながら、詠唱されている。
レメディオスの直感が告げていた。今が攻撃の最大のチャンスだと。
しかし、レメディオスの体は、ピクリとも動かなかった。
決して魔法の力などで動かないのではない。自分がどうしていいかわからず動かないのだ。
詠唱が終わった直後、カルカはその手のひらをレメディオスに向けた。
その途端、レメディオスの体は、黒い炎に包まれた。
薄っすら目を開けた時、そこには天高く丸く満ちた月があった。
レメディオスは荒野の中で仰向けで寝そべっていた。
レメディオスは思った。
(ああ、悪い夢を見てしまった。)
カルカ様がヴァンパイアになるとか、隊員達が全滅するとか、有り得ないだろ。
目線を横に逸らすとそこには、いつもの隊員Aがひざまずいてレメディオスを見下ろしていた。名前が何だったのか未だに覚えられないでいた。
「隊長。」
「どうした。」
名前がわからないから、いつもこうした会話になる。
「カルカ様から伝言です。」
その言葉に、レメディオスの躰は硬直した。
「おまえ、今、何を言った?」
「カルカ様から伝言です。」
隊員Aはまた、同じことを言う。
「貴様、それは私の夢の話で…」
「夢じゃないんです。」
隊員Aは少し寂しそうに言う。
よく見れば、隊員Aの体はいつにも増して青白い、そしてその瞳には薄っすら赤い光が宿り、口から八重歯がちょこんと飛び出していた。
そして、自分の両腕を見ると血の気がなく灰色になり、皮が所々剥がれていた。
そう、すべて現実だったのだ。
「なんだかわからないが、私は死ぬんだな?」
レメディオスはすべてを諦めた顔で隊員Aに問いかけた。
「いえ、まだ死にませんよ。」
隊員Aは笑顔で答える。
「カルカ様から伝言です。”十日後、王都ホバンスを攻めます。止められるなら、止めてみなさい” だそうです。それともう一つ― 」
満月の光が二人を照らす中、隊員Aはレメディオスに優しく語りかけた。