重低音の唸り声が響いていた。
月光が差し込む洞窟の深い闇の奥から聞こえるその唸り声は、怒りに満ちたものだったが、とても弱々しい。
聖王国の王都ホバンスから遥か南にある山脈にこの洞窟はあった。
それ程大きくはない洞窟の奥には、複数の影が蠢いていた。
「―これからどうするの?」
影の男は、一番大きい影の人物に問いかけた。
「決まっているだろう。南に行くしかない。」
その人物は、そう言うと洞窟の入り口付近まで行き、慎重に周りを見渡した。
月光に僅かに照らされたその顔は、人間のものではなかった。
人間に近い顔立ちをしてはいるが、その口からは大きな牙が生えており、顔の大半が漆黒の体毛で覆われていた。そう紛れもなく、その男は、―獣人である。
何よりも、下半身は四足獣のそれであった。
「南にいってどうなるんじゃ?」
洞窟の奥にいた小さな影がそう語りかけて獣人の男に近づいた。
その小さい影の男もまた、全身が茶色い体毛で覆われていた。顔ははっきり言って猿。―猿人である。
要所、要所に毛皮製の衣服を着用しているが、人間にしてみたら、パン一状態と変わらない。
「ジジイは、黙ってついてくればいいんだよ。誰のお陰で生きてられると思ってんだ!」
「なんじゃと!それはこっちのセリフじゃ!この前、儂がこの森の果物を獲ってやってんじゃろうが!それにさっきから変な唸り声あげてうるさいんじゃ!」
「しょうがねぇだろうが、腹減っていらついてるんだ!」
「こっちだって、腹減ってるわ!」
獣人、猿人の口喧嘩が始まった。
「はい、はい、そこまでにして頂戴。」
それを静観していた影の男が、二人の前に立ち、その長い両手で、二人の頭を押さえながら言った。
その男もまた、人間とは、全く異なる姿をしていた。
長くて細い腕、細い脚、カマキリとバッタを足して二で割ったような顔、いや頭部をしていた。―虫人(?)である。
「止めんなよ!今日こそこのジジイの息の根止めてやる!」
「こっちこそお前の尻の穴に石を詰め込んでやるわ!」
「あ、それ少し気持ちいいかも~」
その虫人の男(?)の言葉で周りには静寂が訪れた。
「と、とにかく南にいくしかないだろう。それとも北に戻るっていうのか?」
獣人-アズロの言葉に、猿人、虫人、まだ、洞窟の奥にいる者達も、一瞬大きく息を飲んだ。それが、どんなに恐ろしいことであるのか理解しているからだ。
「わかってくれたようだな。ここにはもう、目ぼしい食料もない。それに、ここにいたら、北の聖王国の連中がやってくるかもしれない。俺たちが生きていくためには、南に向かうしかないんだ。」
アズロ以外の他の者たちは、黙って下を向き頷いた。
約一年前、それは俺の前に現れた。
その圧倒的な力に恐怖して従っていた者もいたが、俺にとっては、理想の支配者だった。長年の人間との小競り合いに飽き飽きしていたからだ。
その強さとカリスマ性に惹かれた。そして、その支配者―ヤルダバオト様と共に、聖王国を蹂躙した。
まさに、生きいる実感というのは、この事だと感じるままに、蹂躙を楽しんだのだ。
今となっては、黒歴史ならぬ、暗黒歴史であろう。
しかし、終わりは突然訪れた。
そう、本当に突然訪れたのだ。
魔導王―アインズ・ウール・ゴウン、すべては奴が現れたせいだ。
今でも目を閉じれば、あの時の光景が脳裏に浮かぶ。ヤルダバオト様と魔導王の凄まじい戦いが…
俺は、死ぬことなど恐れてはいないと思っていた。人間共との戦いの中で死にそうになった事はあるが、最後まで、勇ましく戦えると思っていた。
だが、ヤルダバオト様という光を失った時、俺は気づいたら逃げ出していた。
俺は恐怖したのだ。あの魔導王という存在に。
それからは、他の敗走した亜人と共に、逃亡生活の幕開けだ。
住処のあるアベリオン丘陵は、魔導国の支配下になったと聞く。まだ、亜人の支配下にあった人間共の収容所を廻り、南下するしか選択肢はなかったのだ。
幸い聖王国は、現在、北と南で分裂同然の状態になっているため、この場所まで、無事に辿り着き、生活が行えていた。
しかし、実りが少ない土地のため、数か月で食料という食料は獲り尽くしてしまった。もう、ここいても死を待つばかりである。
それならば、南下して人間共の村を襲うなりして、再度、拠点を作る必要がある。
こちらの戦力は、十三人。小さな村なら問題なく占領できる。
「じゃあ、明日の朝に出発する。準備しとけよ!」
その言葉は、洞窟内に大きく響いた。しかし、猿人は眉を顰める。また、虫人もその触角を小刻みに動かしていた。
「おい、ジジイ、ガラム、なんか文句でもあるのか?」
アズロは、二人に詰め寄る。
「こいつ、気づかんのか?相変わらず鈍感じゃの。」
「まあ、そういう所が可愛いんじゃない。」
二人は顔を合わして談笑する。
「お前たち、何…」
ガラムの手がアズロの口を塞いだ。
「近づいてくるわ。」
ガラムが小さな声でアズロの耳元で囁いた。アズロは慌てて周りを見渡した。
見れば洞窟の外の木々の奥から複数の人影が近づいてくる。灯りらしき物も持ってはいなかった。
月が出でいるとはいえ、今は真夜中だ、しかもこんな辺境の森である。尋常じゃない。
「何者だ?人間か?何人いる。」
アズロは、焦りながらガラムに問いかけた。
アズロの種族は、感覚が鋭い、そして夜目も効くためである。おそらく大体の状況は掴めていると考えたからだ。
「人間。十人。でもおかしいの。生気を感じないのよ…」
ガラムが触覚をピヨピヨを回転させて慌てていた。相変わらず、表情はわからない奴だが、わかりやすい奴だ。
「ゾンビとかかの?」
目を暗闇に慣らそうとしているのか、ジジイが目を瞬きして森の奥を覗き込む。
それならば、こんな真夜中に灯りもなく辺境の森にいる理由の説明がつく。
ゾンビはアンデッドの中でも、スケルトンに次ぐ最弱モンスターである。
いくら敗走兵の俺達でも赤子の手をひねるよりも簡単だ。
いきなりの襲撃で、取り乱してしまったが、平静を取り戻し、息を吐いた。
「だったら楽勝だな。しかし、残念だ。ゾンビなら喰えそうもないな。」
アズロは、手を広げ、残念そうに首を振る。
「私だったらいけるかも。」
また、ガラムの言葉で周りには静寂が訪れる。
「じゃあ、明日の出発の景気づけに狩ってやるか!」
アズロは、背中に携えていた大剣を抜き、構えた。
森の中の人影が、月夜に照らされる。
その姿を見たとき、アズロ達は一瞬、息が止まった。
その人影は、紛れもなく人間だった。
付け加えるならば、聖騎士と呼ばれていた人間達と同じ鎧、剣、槍を身に着けた兵士であった。
間違いなく、ゾンビではない。目にも生気がみなぎっているのか薄っすらと赤く光っていた。
「な、なんじゃ、あいつら。どうしてこんなところにいるんじゃ?」
ジジイが取り乱しがら慌てふためいた。
「亜人狩りか…」
声を漏らすようにアズロは呟いた。
あの戦いから約半年、聖王国では亜人を狩るために編成された部隊があるという噂を聞いたことがあった。
アズロ達は辺境に逃れることで、運良く遭遇しないで来れたが、その運もこれまでという事だ。
「アズロ、どうするの?」
ガラムは、そう言ってアズロの肩に手を当てる。すると、アズロは、小刻みに体は震えているのを感じた。
「ア、アズロ?」
ガラムはアズロに心配そうに声をかける。
アズロは下を向き、ただ黙っている。
しかし、アズロは理解していた。その震えは、恐怖によるものではなく、武者震いだという事に。
今まで、敗残兵としてただ見苦しく逃げ回ってきた。自分が何のために生きているか分からなくなる程に。
(そう俺には戦士なんだ。人間共を皆殺しにするために、生きているんじゃないか。)
久々に対峙した人間を見たとき、心の奥に眠っていた情熱が蘇った。
「おおおおおおおおお‼」
アズロが雄叫びをあげる。
「ジジイ!ガラム!殺るぞ!」
晴れ晴れとした顔でアズロは、二人を見つめた。
「奥の奴らも出来い!殺らなきゃ殺られるぞ!」
その言葉を聞いた亜人たちが一斉に洞窟の外に飛び出した。
「コーなったらヤってやる」
「ヤルヤル!」
「ギャーギャー」
「ウオオオオ」
その数、アズロ達を含めた十三名。
アズロ―獣身四足獣
ガラム―人蜘蛛
ジジイ―石喰猿
翼亜人、鉄鼠人、etc
様々な亜人からなる亜人部隊である。いい意味で。
悪い意味では、それぞれの種族の敗残兵、嫌われ者、はみ出し者、etc。であるが、
それぞれの種族が集まったからこそ、それぞれの長所を活かして、短所を補い、ここまで逃げてこられたといってもいい。
普通、違う種族の亜人同士では対立、殺し合いが当たり前の中、アズロ達はこれまでの逃亡生活で奇跡的に固い絆で結ばれた仲間となっていた。
「来やがれ!人間共!」
亜人達の先頭に立ち、兵士の前にその大きな剣を振りかざした。
「あれ?こんなところに亜人がいる~」
アズロの前に立っていた兵士が周りの兵士にいやに落ち着いた声で語りかけた。
「あ、ホントだ」
「へー珍しい。もう絶滅したと思ってたよ。」
周りの兵士たちも異常なほど落ち着いていた。これから、ここで生死を賭けた戦いが起こる気配がない程に。
「お前達、儂達を探していたのではないのか?」
ジジイが兵士に問いかけた。
「えっ。違うけど」
「なあ、上官の命令で付近を捜索していただけだよなぁ」
「本当、面倒くさいよなぁ」
兵士たちが、緊張感のない声で談笑を始めた。
「・・・・・」
アズロ達は、狐につままれたような顔をして、ただ立っていた。
そして、アズロは他の亜人達からジッと睨まれる。
それはそうだ。バレてないのに自分達から姿を現したのだ。バカの所業である。
(う、ごめんなさい。)
アズロは心の中で皆に謝る。
それにしても、この人間達の態度には驚かされる。
(なんだ?亜人と人間って会えば殺し合うのが習わしじゃなかったのか?)
そう、いままで対峙した人間にこのような態度を取られたことはないし、これまでの亜人生で人間とこれほどコンタクトした事もなかったからである。
(もしかして、戦わずに済むのか?)
さっきまで、やる気満々であったが、このまま戦闘が始まれば、こちらにも必ず、犠牲者がでる。戦わざる状況でないならば、今は戦闘を回避する方が得策だろうと考えた。
「じゃあ…」
アズロが口を開いたその時、
「じゃあ。せっかく会えたんで戦いましょうか?」
一番前に立っていた兵士が(人間の表情は分かりずらいが、たぶん)笑顔で言った。
アズロは絶句した。
今まで、こうも緊張感のない戦場を経験した事がない。
「それでは、ハンデとして私一人で戦いますね。」
これまた、絶句である。
アズロから見てその兵士は、アズロの半分ほどの大きさしかなく、細いし、青白い顔をしていた。人間の歳はよくわからないが、おそらく人間で言ったら成人したてというところだろうか。
「ふざけるな。俺一人で相手してやる」
さすがにアズロにもプライドがある。一騎打ちを申し出た。
「そうですか。私はどっちでもいいですが。」
若い兵士はまた(多分)笑顔で答えた。
月明かりの中、森の広間でアズロと若い兵士が対峙する。その距離三メートル程。アズロにとっては一足の間合いである。
周りの亜人達は真剣な目でアズロを見守る。
それに比べて兵士達は、緊張の欠片もなく
「がんばれよ~亜人さん~」
「ダウンしたら罰ゲームだからな~」
明らかにふざけていた。
アズロの怒りは頂点に達した。今まででこれほど馬鹿にされた経験がなかったからだ。
同族に馬鹿にされた事はあったが、まだ、その時は相手にも馬鹿にしてやろうという意思があった。
しかし、これは違う、こいつらは俺達を馬鹿以下の存在、言い換えるなら虫以下の存在として見ているのだ。(あ、ごめん。ガラム)
「じゃあ、そっちからどうぞ~」
若い兵士が剣を抜き、こちらを指しながら言った。
「俺は、獣身四足獣の戦士、アズロ。貴様の名は?」
こちらも剣を構えて、若い兵士を指す。
「そういうのいいんでチャチャとやっちゃいましょうよ~」
若い兵士は、片手で剣を持ち、ゆらゆら揺らしながら挑発してきた。
その言葉にアズロは顔を歪めた。そして、アズロの頭の血管が切れる音が聞こえた。それと同時に、アズロはその四足で踏み込み、若い剣士にその大剣を振りかざす。
反応できていないのか若い兵士は片手に剣を持った状態で微動だにしなかった。
高速に振り下ろされた剣の残像が若い剣士の頭部に突き刺さる寸前、
(殺った!)
アズロは確信した。
(やはり、俺は人間などより強いのだ。このまま他の人間共も殺ってやる!)
―ガキィィィィィン‼
周りに大きな金属音が響く。それと同時にアズロの手に剣を持っていられない程の衝撃が走った。
次の瞬間、アズロは自分の目を疑った。
自分の大剣の半分が砕かれていた。
そして、その剣が折られる瞬間も見ていたのだ。
そう、剣が頭部に直撃する瞬間。若い兵士は、剣を持っていない方の腕で刀身を強打し、そして折ったのだ。その速度は、動体視力に自信があるアズロでも残像ぐらいしか捉えられなかった。
「な、なんなんだ。貴様は」
その一撃は、アズロの心を砕くには十分の一撃であった。アズロとて、この剣を素手で砕く事は出来ない。
若い兵士の腕を見るとアズロはさらに驚いた。兵士の腕はさっきの強打で骨が砕かれたのか原型を留めておらず。ただの肉塊と化していた。
そして、それでも兵士の(多分)笑顔は崩れていない。
「き、貴様は、人間ではないのか?」
人間は、我々亜人から比べたら脆弱で、家畜も同然である。少し、捻っただけで泣き叫ぶ種族のはずだ。
俺の大剣を素手で砕き、ましては腕が肉塊と化しても平然と笑っていられる者が人間のはずがない。
「僕、”人間です。”なんて言いましたっけ?」
若い兵士のその言葉に、アズロは、ガラムの言葉を思い出す。
(「生気を感じない」、人間の姿をした化け物、痛みを感じないアンデッド)
アズロは初めて遭遇したのだ。話は聞いた事があった。でも信じていなかった。きっと、自分を騙す為に作れたホラ話だと思っていた。
闇に生き、人間の形をしながら、その数倍の力を持ち、痛みを感じず、老いもせず。ひたすら血を求める化け物―吸血鬼(ヴァンパイア)
「それと私、この中で一番下っ端なんですよね。」
若い兵士の更なる言葉は、アズロを心を更に打ち砕く。
「さて、続きを始めましょうか?」
アズロはその言葉に絶望した。周りの亜人達も。