「『憲法9条を守れ』と叫ぶ人たちが見て見ぬふりする『最大の矛盾点』 改正議論本格の前に確認しておこう 」(現代ビジネス)
→ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54417
「戦争放棄」は日本の専売特許?
今週も憲法改正問題について書く。多くの人は憲法9条と聞くと、つい戦争放棄などを定めた条文に目が行ってしまう。だが、実はそれよりも「国連憲章」をしっかり読んだほうがいい。平和を実現する考え方は、そこに示されているからだ。日本国憲法には、国連憲章の考え方が色濃く反映されている。象徴的なのは、他国への武力行使を原則として禁じた憲章第2条4項だ。それは、こう記している。
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。(http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/)
ここにある「武力による威嚇又は武力の行使」という言葉には聞き覚えがあるだろう。憲法9条にも出てくる文言だ。9条1項は次のように書いている。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
これを読んだだけでも、憲章2条4項と憲法9条1項の類似性は明白である。それも当然だ。時系列を振り返ると、米国が中心になって作った国連憲章に連合国が調印したのは1945年6月だった。2カ月後に日本が降伏し、連合軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサー将軍は翌年2月に日本政府に憲法草案を提示した。
政府はマッカーサーの草案を多少、手直ししたが、骨格はそのまま受け入れた。占領軍の指示は拒否できなかったからだ。それで「戦争放棄」や「戦力不保持」「交戦権の否認」などが決まった。
「戦争放棄を掲げた日本の憲法は世界のお手本だ」などと語る人々もいるが、戦争放棄は日本国憲法が世界に先駆けて掲げたわけではない。先に国連憲章が戦争を禁止している。付け加えれば「戦争の違法化」は国連憲章が最初でもない。1928年のパリ不戦条約で初めて明示された。
自衛隊はなぜ生まれたのか
憲法が46年11月に公布された後、大事件が起きた。1950年6月、北朝鮮が朝鮮半島の38度線を超えて韓国を攻撃し、朝鮮戦争が勃発したのだ。東京のマッカーサー司令部は事態に慌てて、韓国を防衛するために日本に駐留していた米軍を残らず朝鮮半島に送り込んだ。すると、日本に兵隊がいなくなってしまった。当時の日本は武装解除していて、日本独自の軍隊はなかった。
一方、日本共産党は当時、暴力革命を目指していた。マッカーサーはもぬけの殻になった日本に共産革命が起きるのを心配して、日本政府に再軍備を要求した。吉田茂首相は軍国主義の復活を懸念したが、拒否はできなかった。
政府は2カ月後の50年8月、要請を受け入れて「警察予備隊」を創設した。これが自衛隊の前身である。外形的に見れば、マッカーサーは自分が作った憲法で戦力不保持を決めておきながら、自分で破った形になる。ここをどう考えるか。
「マッカーサーのご都合主義」といえば、そうとも言える。
先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54332)では、篠田英朗・東京外国語大学教授の説を紹介しながら、憲法9条2項がいう戦力は「国権の発動たる戦争をする、禁止された戦力」であり、国連憲章が例外的に認めている武力行使をする軍隊ではない、と書いた。ここは、すぐ後で説明する。
マッカーサーがどのように憲法9条と日本の再軍備の「辻褄合わせ」を考えていたのか、私は歴史の専門家でないので、なんとも言えない。ただ、彼は職業軍人であって、法律家ではなかった。だから、彼にとっては9条の解釈問題より、日本の無防備状態のほうがはるかに現実的な心配だっただろう、とは推測できる。
その後、マッカーサーは最高司令官を解任されたが、米国政府も日本の再軍備を積極的に推し進めたのは事実である。日本が51年にサンフランシスコ講和条約に調印して独立を回復した後、警察予備隊は52年に保安隊に改組され、54年に自衛隊として発足した。米国は「自衛隊が9条違反」と考えなかった証拠とみてもいい。
自衛隊が戦える「条件」
なぜ、米国は日本に再軍備を促したのか。それは共産主義勢力に対抗するために、日本の軍備を必要としたという政治的理由が大きかった。加えて、国連憲章が例外的に「軍隊による武力行使」を認めていたからでもある。それは次の憲章第42条に記されている。第42条 安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
ここに示されているように、国連安保理は第41条で定めた経済制裁や運輸通信手段の断絶によっても不十分なときは、加盟国の陸海空軍を動員して、最終的手段として武力行使もできる。それから第51条だ。
第51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
他国から攻撃された国連加盟国は安保理が動くまでの間、個別的または集団的自衛権を行使して反撃できる。以上のように、国連憲章は(1)安保理が認めるか(2)安保理が動かない間は、個別または集団的自衛権の行使として武力行使を容認していた。
だから、日本が自衛隊を保有したとしても(1)か(2)の武力行使をする軍隊であれば、米国は容認できた。逆に言えば、自衛隊という軍隊は(1)か(2)以外の武力行使はできない。それ以外の軍隊は、米国から見れば「トンデモナイ存在」なのである。
「9条平和論」の矛盾
以上が前回コラムで指摘したポイントだ。今回、あえて念入りに繰り返したのはなぜか。冒頭に記したように、日本では憲法問題を考えるとき、あまりにも憲法の条文自体にこだわりすぎて「ああでもない、こうでもない」と解釈論ばかりが大手を振ってまかり通っているからだ。それでは本質を見失ってしまう。
憲法9条改正問題の本質は「日本の平和と安全をどう守るか」である。
条文解釈論が焦点になったのは、篠田教授が『集団的自衛権の思想史』(風行社)や『ほんとうの憲法』(ちくま新書)で強調しているように、多くの憲法学者があたかも「憲法はオレのもの」と言わんばかりに、憲法解釈を独占してきた事情もある。
そして、左派勢力は多数派の憲法学者による解釈を「錦の御旗」にして「9条を守れ、9条が日本の平和を守った」などと宣伝した。
脱線するが、彼らは歴代自民党政府を「対米従属」などと批判してきた。そうであるなら米国が作った「憲法を守れ」と叫ぶのではなく、彼らこそが自主憲法制定を唱えるべきだったのではないか。護憲派が政府を対米従属と批判するのは本来、倒錯している。
「憲法学者」が正しいとは限らない
私は憲法の解釈をするなら、まず国連憲章を前提にすることが重要と考える。国連憲章こそが国際社会の平和と秩序を保つ基礎になっているからだ。この点は、これまでのコラムで何度も指摘してきた(たとえば、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38926)。解釈の出発点は、憲法が禁止した「国権の発動たる戦争」が「国連憲章が認めた(1)と(2)の武力行使」も含むのかどうかだろう。「含む」と解釈するなら、憲法は憲章が認めた武力行使も禁じている話になる。逆に「含まない」なら、禁じていない。
私は「含まない」と判断する。同じ米国が起草したのだから、憲法も国連憲章の考え方を基礎にしている、と考えるのが自然だからだ。国連憲章を棚に上げて「集団的自衛権は違憲だ」などと叫ぶ憲法学者は根本から間違っている、と言ってもいい。
日米安保条約も国連憲章も集団的自衛権を前提にしている。とりわけ、旧安保条約は前文で国連憲章が個別的及び集団的自衛権を認めていることを記したうえで「これらの権利の行使として」日本が国内に米軍基地を置くことを希望する、と明記した(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43908)。
それを違憲というなら、日米安保条約を締結し(1951年)、国連に加盟した(56年)日本政府の行為が違憲という話になってしまう。
以上を踏まえたうえで、どう憲法を改正するかは政治と国民の判断である。
私は現行の憲法は自衛隊を禁止していないと思う。であれば、上に述べた理由で、あえて「戦力不保持」と「交戦権の否認」を掲げた9条2項を削除しなくともいいと思う。自衛隊は「禁止された戦力」ではないからだ。
ただ、やがて国民の理解が深まって「戦力不保持と自衛隊の存在は紛らわしい」という話になれば、戦力不保持規定を外しても、もちろんかまわない。それは、もしかしたら最初の改正ではなく、2度目、3度目の改正をするときの課題かもしれない。
憲法改正論議はこれから本格化する。強調したいのは、憲法学者が専門家であるからといって彼らが正しいわけではないという点である。これも、かねてコラムで指摘してきた(たとえば、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43719)。彼らの「トンデモ論」に惑わされてはいけない。
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