世川行介放浪日記

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鈴木清順監督『肉体の門』

2014年03月25日 22時55分45秒 | 映画感想文篇


         鈴木清順監督『肉体の門』


 鈴木清順の『肉体の門』を観た。
 このドラマで主演の宍戸錠と野川由美子は、僕のあまり好きな役者ではないので、
 作品の存在は知ってはいたけど観ずに来たが、
 なかなかの傑作だった。

 僕の知識の中では、
 鈴木清順という映画監督は、「様式美の監督」、
 という先入観があって、
 いくつか観た作品は、
 例えて言うと、
 『東京流れ者』、『チゴイネルワイゼン』、『陽炎座』など、
 それらは、まさにそうだったので、
 この『肉体の門』もそうかと思っていたけれど、
 この作品だけは、そうではなかった。
 お蔭で、最後まで観続けることが出来た。
 

 笠原和夫・五社英雄の作品では、
 パンパン集団のボス「関東小政」が主役だったが、
 鈴木清順の作品では、その配下(?)の「ボルネオマヤ」が主役だった。
 ボルネオで戦死した兄の話ばかりをするからの命名だという。
 その「ボルネオマヤ」の役を、若い日の野川由美子が演じていた。
 ストーリー的に言うのなら、
 原作を大幅に改ざんしたのは、きっと、笠原和夫の方なのだろう。


 僕は、ある意味頓馬な男なので、
 タイトルの『肉体の門』、の意味を、この歳まで深く考えずにきたが、
 先日、笠原版『肉体の門』を観ながら、
 やっと、
 「肉体の門」とは女性の性器のことであることに気がついた。
 なるほどね。「肉体の門」か。
 言い得て妙である。

 「妙」って、「奇妙」のことじゃないからな。SOBA屋のじじい。
 こんな但し書きまで書かねばならないネット荒野。


 笠原版『肉体の門』に出てくるパンパンたちは、
 のっけから何処かに<暗さ>を漂わせていたが、
 鈴木版『肉体の門』では、
 前半戦のパンパンたちは、やけに明るく、
 その描き方が、僕には好感が持てた。
 鈴木版パンパン曰く。


      病気と妊娠はパン助の敵。


 御説御尤。
 脱帽した。


 この女たちの<明るさ>は、
 太宰治言うところの、


       明るさは滅びの姿であろうか。
       人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ。


 の<明るさ>とは、
 質を異にする、もっと動物的で野放図な<明るさ>で、
 それは、僕の嗜好と合致していて、
 心地よかった。


 しかし、
 途中から、
 パンパンたちが、宍戸錠演ずる伊吹という男に恋情を抱き始め、
 その心理葛藤の果てに、
 伊吹が殺され、女たちは「仲間」でなくなってしまう。
 その手の湿っぽい男と女たちの話は、
 老いた僕には、あまり感動を与えなかった。


 こうした敗戦期の映画や、
 深作欣二のやくざ映画を観る度に思うのだが、
 この国に、
 だんだん、
 「野放図」の居場所がなくなっていく。
 肉体をネクタイで締めつけるだけじゃなく、
 精神も、生活も、ネクタイで絞めつけなければならない、
 そんな息苦しい時代が始まっていて、
 それは、高度管理社会では当たり前のことなのかもしれないが、
 「野放図」を偏愛してきた僕には、
 なんともやりきれない。

 まあ、
 あと10年ほどのことだから、
 やり過ごせばいいのだろうけども。




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1 コメント

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反骨精神 (PineWood)
2015-07-15 20:22:50
今回戦争を諷刺した(春婦傳)も本作と併せて見たので鈴木清順監督の反骨精神みたいなものを強く感じた。漫画家の水木しげる氏も同じかも知れないが、戦中の軍隊の規律、占領下の軍の態度など受け入れ難いものへの反抗精神が庶民の感情の中にあってそれが清順映画をヒット作にしたのだろう。前者のモノクロームの美学があり、後者はカラフルだが木村威夫のセットといいカメラワークといい、見事でした!

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