読書人紙面掲載 特集
かつて組合に所属する労働者がそのことに「おのれの誇り をもってい」たのは、ヘーゲルが指摘するとおり、たとえそれが経験的には局所的な労働だとしても市民社会の普遍性に参与していること、そしてその自覚が理由に挙げられる。だがそれに加えて、労働組合の民主性についても触れなければならない。労組において、縁の組織化で個々の偶然的かつ特殊的な利益及び不利益を共同で配慮し如何ともし難い運の波を補いあい、以て市場に対抗する傾向を有するのは――もちろん生産力の増強、経済成長を企図しつつも――兄弟愛的と呼びうる互酬的な平等性の契機を内包しているからだ。すなわち、その民主主義的平等はたとえ理想的な自由競争の勝者であれ、特権的に富を独占または寡占し多数を支配下に置く超越者が誕生するのを許さず、幅はあるにしろ、成員のだれしもが「ひとかどの」者であるべく、互酬制によって兄弟のごとき水平関係を保たんとする。堅固な地盤を築いた労組が世界資本主義の市場原理が強まるにつれ、競争力の減退を招く阻害要因として非難されたのは、だから故ないことでない。しかし、兄弟愛的な連帯であるかぎり、それがしばしば一国主義ないしナショナリズムと親和的となるのもまた訝しむにたりず、隆盛を誇った時期においてそれはヘテロ健常男性的であり、事実労働者の中心的地位をそれが占めたことは否定できない。ついでながら付言すれば、現在、例えば反緊縮による経済成長と社会保障の充実を唱える――当然ながら竹中平蔵や日本維新の会の面々を唾棄しているが、労組には好意的でないらしい――層のなかに、限られた男への女の集中を招く自由恋愛――競争?――を呪い、「ひとかど」たる証に一夫一婦制の保証、詰るところ男に対する女の平等な再分配を訴えてはばからないいわゆる「非モテ」が一定数含まれ支持を得ているのも、必ずしも奇妙な光景ではない。
これと比して、1990年代後半以降のアンソニー・ギデンズ的な「第三の道」――トニー・ブレアの登場をマーガレット・サッチャーが言祝いだ逸話が示すとおり、それは新自由主義と別のものでない、為念――は、「競争参加動機のある者への再分配」により「十分な雇用可能性」を保証する「機会の平等」の提供を以て、結果の是正を伴う民主主義的平等に代え、社会的包摂を図る。注意すべきは、これこそ――保証される事前の機会が充実し行き届いたものであればあるほど――それら助成や支援や指導研修を介したさまざまな包摂の機会の提供を経たうえでの現状に関しては、ほかに転嫁するのが難しい自己責任へと帰結する傾向が極めて強いことだ。そこでは啓蒙――社会的包摂のための手引が施されるのだが、ほどなくして次のごとき声がついて廻る。「十分な可能性」は平等に用意してある、事態を改善するために必要な指導も率先して提供した、あとは貴方次第――自由!――だったわけだがこのざまはなんだろう、貴方が窮状を訴えるとしてもそれについてはもう、自由な市民である貴方自身の責任といわざるを得ない、のみならず社会 ( は貴方に随分奉仕したし、できるかぎり貴方のために努力したのに貴方の方は社会 ( にその与えた分だけでも報いたとは到底いえない、いやはや貴方はなんて罪深い‐劣悪schlechtなのか――。芳しくない負の結果の原因にしばしば挙げられる「競争参加動機」の欠如やら「ヤル気」の不足はただ特殊な個人の損失を意味するだけでなく、また負の自己利益により社会の公益を損なうからだけでもなく、社会からの事前の贈与 ( に対して返礼しないどころか場合によっては事後の再建 ( まで要求する――そうして際限のない事前の贈与 ( へ転化する――と捉えられるために――民主主義でなく自由主義のもとでこそいっそう――罪深く解される。もちろん現在の日本において、事前の機会の提供に不足は多々確認できるとしても、それを徹底した帰結としての自責含めた自己責任論の猖獗だけはとうから眼に見えており、先だって「無駄」云々の声とともに醸成されているのが実態だろう。あるいは、その自責に苛む帰結を、そこに至る前に悟り、だからあらかじめケアを拒否し、輝かしい社会の光――啓蒙から引き篭り、「暗黒 ( 」に耽る者が現われたとして、それを一方的に責めたて断罪することには躓きを覚えもする。
ちなみに近年ではかくなる機会の提供を行なうもののなかに、最初からかなりの報酬を取り分として得ていくキャリア・コンサルタント的な企業も増えている――例えば今年6月1日に発表された「東大・京大2021卒の就職人気ランキング」ではその上位12位中10社をコンサルティング企業が占めている――。社会信用システムに関していえば、確かにAIによる信用スコアの算出はしばしば各々にとって不合理と映るが故に受容可能な不可知の運と捉えられやすいが、むしろ日々の自己反省‐自己啓蒙――否、自己啓発Self-enlightenment?――を伴い、いましがたの傾向の補強ともなるのではないか。それが支持の一因であるのか否か、有言実行よろしくみずからも「再チャレンジ」により、惨めな第一次の記憶を払拭するほどに「成功 ( 」しえた――支持率‐信用度は安定している――第二次安倍政権にしても、「若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある方々も、一度失敗を経験した人も、みんなが包摂され活躍できる社会」を提唱しているのは口先だけの美辞麗句では必ずしもないと認識しなければならない。その文言を踏まえるに「一億総活躍社会」もまた基本的にこの道 ( の延長上に置かれている。
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更新日:2019年6月14日
/ 新聞掲載日:2019年6月14日(第3293号)
長濱一眞長編時評(上半期を振り返って)
啓蒙の弁証法?
――「一億総活躍社会」にようこそ
第3回
民主主義と自由主義
かつて組合に所属する労働者がそのことに「
これと比して、1990年代後半以降のアンソニー・ギデンズ的な「第三の道」――トニー・ブレアの登場をマーガレット・サッチャーが言祝いだ逸話が示すとおり、それは新自由主義と別のものでない、為念――は、「競争参加動機のある者への再分配」により「十分な雇用可能性」を保証する「機会の平等」の提供を以て、結果の是正を伴う民主主義的平等に代え、社会的包摂を図る。注意すべきは、これこそ――保証される事前の機会が充実し行き届いたものであればあるほど――それら助成や支援や指導研修を介したさまざまな包摂の機会の提供を経たうえでの現状に関しては、ほかに転嫁するのが難しい自己責任へと帰結する傾向が極めて強いことだ。そこでは啓蒙――社会的包摂のための手引が施されるのだが、ほどなくして次のごとき声がついて廻る。「十分な可能性」は平等に用意してある、事態を改善するために必要な指導も率先して提供した、あとは貴方次第――自由!――だったわけだがこのざまはなんだろう、貴方が窮状を訴えるとしてもそれについてはもう、自由な市民である貴方自身の責任といわざるを得ない、のみならず
ちなみに近年ではかくなる機会の提供を行なうもののなかに、最初からかなりの報酬を取り分として得ていくキャリア・コンサルタント的な企業も増えている――例えば今年6月1日に発表された「東大・京大2021卒の就職人気ランキング」ではその上位12位中10社をコンサルティング企業が占めている――。社会信用システムに関していえば、確かにAIによる信用スコアの算出はしばしば各々にとって不合理と映るが故に受容可能な不可知の運と捉えられやすいが、むしろ日々の自己反省‐自己啓蒙――否、自己啓発Self-enlightenment?――を伴い、いましがたの傾向の補強ともなるのではないか。それが支持の一因であるのか否か、有言実行よろしくみずからも「再チャレンジ」により、惨めな第一次の記憶を払拭するほどに「
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