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更新日:2018年11月16日
/ 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)
絓秀実氏・外山恒一氏・佐藤零郎氏鼎談
“八九世代”はいかに闘ってきたか
「全共闘以後」(イースト・プレス)をめぐって
第3回
革命は必ずや起きる
絓 秀実氏
外山
それぞれの時期の自分の思いも含めて、端折ったことは多々あります。しかし、実際に書き終えて僕が期待しているのは、この本に登場する諸運動の当事者たち、あるいはそれらの近傍にいた人たちが、その経験を自らの言葉で語り始めることです。そのためにも、こういう通史的なものがまず一度提示される必要がある。全体の流れが見えないと、自分たちのやったことを、時代状況と無関係な、突発的な試みだったと過小評価しかねませんし、それでわざわざ語ろうとしてこなかった人もいると思う。あるいは、こんな評価は心外だ、と憤慨して語り始めるのでもかまわない。さらには、僕が書かなかった部分、書けなかった部分についても語ってほしい。僕が直接は知らないことも書いてますから、事実誤認もあるかもしれません。テント芝居の歴史なんか、聞きかじったことを書いただけで、僕より圧倒的に詳しい当事者がいくらでもいる。その人たちに、もっと正確なことを語ってほしい。絓
こういう歴史記述は、全部見聞できるはずがない。誤りがあるのは当然であって、それは今後、いろんな人が修正していけばいい。そのための叩き台としては、十分な本になっている。しかしながら、こうやって感想だけを話していてもしょうがないので、もう少し突っ込んだ話をします。全共闘の時は、ここで描かれたようなおもしろ主義的運動は、アナキズムの運動と非常に似ていると、そんな言い方がよくされました。本の記述に則せば、外山さんは、社会民主主義から運動に入り、アナーキーな運動を経て、「ファシスト」を自称するようになる。「主権」を問題にしたということだと思う。この展開自体、六八年以降の運動史の、様々な思想的な困難を体現していると思うんですね。これまで繰り返し展開されてきたことでもある。外山
アナキズムを無邪気に称揚する動きが、特にここ数年目立ちますが、そういう動きに僕は否定的です。アナキズムを掲げながらも、現実的な態様としては、それらは「社民・最左派」でしかありえないんですから。僕自身、当初は保坂展人の影響下で、社民的なところから出発し、徐々に過激化してきたものの、しょせんは社民・最左派にすぎないという限界を突破できずにいた。僕のファシズム転向は、アナキズムでいくら過激化しても結局は社民でしかありえない限界を突破する方途です。その辺は、絓さんが一連の「六八年論」で提起してきた問題に繋がってると思う。つまり、七〇年代以降、新左翼運動のヘゲモニーは諸党派からノンセクトに移行した。七〇年の「華青闘告発」によって、綱領的な真理の体系を担う諸党派は否定され、その後も軍事的・政治的には諸党派が優勢でありつつ、思想的には、個別の課題を担うノンセクト的な運動が勝利を収めた。しかし、そういう歴史観を提示した絓さん自身、ある時期から、党派なるものの必要性を遠回しに言っているように、僕には感じられるんです。絓
そのことは、ごく初期から書いていると思います。華青闘告発の限界、今で言えばPCの限界ですね。華青闘告発でPC的な問題が浮上するのは必然的なことなんですが、そこが市民運動や行政に回収されてしまう危うさについては、以前から書いている。つまり華青闘告発の時には、告発した主体は台湾人留学生であり、簡単に言えば第三世界論つまりアイデンティティ・ポリティクスの立場で語られていたわけです。ところがそれ以降、両者は、世界的にヘゲモニーを持てなくなってしまった。しかしながら、今なお、PCは猖獗を極めている。これは非常にまずい事態だと思っています。華青闘告発の時には党派もアイデンティティ・ポリティクス=ナショナリズムの立場だった。私は何らかの党は必要であるとは漠然と考えていた。けれども結局は現実的に、共産主義が不可能になっていく。いくつかのメルクマールがありますが、七〇年代における各国共産党のプロレタリアート独裁放棄、九一年のソ連邦消滅で共産主義が崩壊する。その時に、もう党というものは考えられなくなってしまった。しかし同時に、リベラルの限界も露呈するのです。外山
自らをリベラルから切断するために、党が必要だということですよね。「六八年論」を通して、どちらかと言えば全共闘のノンセクト性を称揚してきたかに見える絓さんが、党の必要を言い始めた。その場合の党とは、党なるものは華青闘告発で否定されたんだ、ということを踏まえた党でなければならないということでしょう。絓
ひと言で言えば、「革命は必ずや起きる」と言いつづけるということです。外山
僕自身の問題意識も、結局は同じような道筋で変遷してます。共産党より軟弱なリベラルから出発して、二、三十年かけて、ノンセクトの党、アナキストの党が必要だという認識に、僕も行き着いた。振り返れば、間もなく復刊になる『歴史からの黙示』を七〇年代初頭に書いた千坂恭二さんは、当時からアナキスト党を志向していました。今回の本で紹介したドブネズミ系の諸運動の中でも、中川文人さんの一派は、八九年の段階で、無自覚ながら「ドブネズミの党」あるいは「軍」のようなものを組織してます。つまり、そういう動きはこれまでも水面上にちらちら出てきてたのに、意義を理解されないまま、突然変異的なものとして切り捨てられてきた。しかし華青闘告発から約半世紀、ここに来てようやく、絓さんは絓さんなりの、僕は僕なりの、千坂さんは千坂さんなりの言い方で、アナキスト党あるいはノンセクト党が必要だという認識を表明している。そういう流れだと思いますね。絓
もう一点、外山さんの本に批判があるとすれば、やはり天皇制の問題が抜けているということです。六八年の運動というのは、基本的に戦後民主主義(戦後憲法体制)批判だった。それが最近、戦後民主主義が再復活している。その時に、戦後民主主義のシンボルが天皇になっているわけです。たとえば内田樹や白井聡らを含めて、リベラルあるいは左翼だと思われている人間が、天皇主義者を宣言している。これからも、どんどん出てくるでしょう。しかしよく考えてみれば、戦後憲法には、一条から八条まで天皇条項があり、九条がつづき、日本国民は平和を愛する国民なんだから、天皇が戦後民主主義の象徴であるのは当たり前の話です。天皇制を守っていれば、リベラル・デモクラシーを守ることになる。それが戦後体制だった。けれども天皇を象徴とした戦後民主主義というのは、本当に正しいのか。この点について、もっとも考えたのが三島由紀夫と大江健三郎です。今日はそこまで踏み込むことはできませんが、そもそも天皇制をどう考えるのか。華青闘告発以降、新左翼も天皇制を「戦争責任」というかたちで問題にし始め、「全共闘以後」の時代の課題は、反天連にしろ「秋の嵐」にしろ、ある意味では、その文脈にあった。外山さん自身は「ファシスト」という立場もあって、この点については曖昧たらざるを得ないように思うんですが――。外山
立場もあるし、実際に僕は今では天皇制に好意的ですから(笑)。戦後民主主義批判に関して言えば、天皇制の問題とは別に、絓さんの本を読み返してみて考えたことがあります。要するに全共闘は、「戦後体制とは戦時体制である」と告発したわけですよね。「戦後」と言っても、平和でも何でもない。特に五五年体制は、まさに冷戦というれっきとした戦争の、戦時体制だった。今のところ、そのことを指摘した読者はいませんが、僕は今回の本でも「戦後」という言葉は、引用以外では一回も使ってません。「戦後」なんて時代は、仮にあったとしても敗戦直後の数年間だけでしょう。冷戦も戦争で、現在進行形の反テロ戦争も戦争です。この本にも書いた通り、日本はオウム事件を機に、世界に先駆けて反テロ戦争に突入した。今も昔もリベラルは「僕たち戦争を知らない世代」などとつい言ってしまう、その嘘を突きたかった。絓
「戦後」というパースペクティヴの欺瞞性については、六八年では津村喬などが盛んに言っていたわけですが、今は保守派の方が実証的にも踏み込んでいて、リベラル派はあまり言いませんね、すっかり、「戦後天皇制民主主義者」になっている。この記事の中でご紹介した本
「全共闘以後」出版社のホームページはこちら
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