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読書人紙面掲載 特集
更新日:2018年11月16日 / 新聞掲載日:2018年11月16日(第3265号)

絓秀実氏・外山恒一氏・佐藤零郎氏鼎談
“八九世代”はいかに闘ってきたか
「全共闘以後」(イースト・プレス)をめぐって

第4回
失敗こそ書き残す

佐藤 零郎氏
佐藤 
 本の内容について、もう少し話したいんですが、いくつも印象的な記述があったと思います。たとえば六章で、洞爺湖サミット反対闘争のことを書かれています。僕も同じ時期に、伊達市のキャンプにいたんですよ。そこで外山さんとすれ違っている。この本には、伊達キャンプは、党派のごりごりの活動家が多かったと書いてあります。確かにその通りであり、自分にとっては、宮沢直人さんらと出会えたのが大きかった。宮沢さんらは、決して若い人たちを頭ごなしに止めるようなことはしない。僕らがデモの途中で、一車線に押し込めようとする警察官とバチバチやりあったときも、大半のデモの主催者は、ハネる連中として、警察と同じように規制をかけるんですが、そうではなく、一緒にハネながら再びデモ隊の中に入って行ったり、別の場所でハネて、警察の側の規制を一カ所に集中させないようにしていたり、一緒にデモしてて楽しかったし、デモの細部の中に創意工夫がありました。ほっけの会の宮沢さんの立場を表わす印象的な言葉が、一九一頁にあります。「ほっけの会の行動というのは、どんなに今この時点で少数派であっても、それが大衆的な行動に向けて開かれているって側面を重要視してるんだよ。突入するのが今は5人、10人であっても、それが突破口となって、ことによっては群衆が百人、2百人とそれに続くかもしれないっていう、そういう“開かれた”ものでなくてはいけないと考えてる」。こういう部分がすごくいいと思うんですね。
外山 
 洞爺湖サミット反対闘争では、北海道現地での行動がことごとく悲惨な結果となって、準備過程ですごく熱心に参加が呼びかけられていたのと対照的に、事後は多くの人が黙り込んでしまった。本にも書いた通り、首都圏からの遠征組の活動家達の人間関係にも亀裂が入ったし、思い出したくもない汚点なんでしょうね。しかし誰もが口をつぐむ結果、失敗が教訓にならない。それなりに高揚した運動でも、悲惨な終わり方をするとその部分は語られない。だからこそ僕はそういう部分も書き残しておきたかった。

佐藤さんの映画『月夜釜合戦』についても話したいんですが、今回の僕の本でも大きな欠落になってるのが、関西の運動史なんです。これは書いた通り、九〇年前後、福岡と東京と札幌のラジカルな若者グループの間には連携が実現した一方、関西のグループとは知り合わなかった。釜ヶ崎暴動に首都圏から遠征して参加した人が数人、僕の周辺にいる程度です。だから釜ヶ崎の問題自体を僕はあまり分かってないんです。
絓 
 僕もよくわかっていない。六〇年代後半から、東京では山谷に入っていく。太田竜的に言えば、辺境に退却する新左翼系がいましたが、私は距離を置いていましたから。佐藤さんはどういう経緯で、関わるようになったんですか。
佐藤 
 たまたまです。元々、京都造形大の佐藤真さんの授業のもぐり学生だったんですよ。ドキュメンタリーの講義を受けていて、最初に撮りたいと思ったのが、京都の家の近所で野宿しているおっちゃんだった。夜回りについていったりしているうちに、大阪の野宿者支援をやっている人たちと出会って、釜ヶ崎にいくことになったんです。行政との交渉をカメラに収めたり、そこからは運動に随伴する感じです。あるいは警察官とやり取りする時にも、カメラがあった方が証拠の映像を残せるし、安全ですからね。二〇〇五年ぐらいのことです。それがきっかけで、長居公園の強制立ち退きの際、ドキュメンタリーを撮ることになりました。
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この記事の中でご紹介した本
全共闘以後/イースト・プレス
全共闘以後
著 者:外山 恒一
出版社:イースト・プレス
「全共闘以後」は以下からご購入できます
「全共闘以後」出版社のホームページはこちら
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