愛知崋山の天井画よみがえる 豊橋、白黒写真頼りに描く
七十五年の歳月を経て、江戸の名画が豊橋によみがえった-。一九四五年六月の豊橋空襲で焼失した文人画家渡辺崋山(一七九三~一八四一年)作の天井画を、豊橋市の日本画家鈴木一正さん(56)が新たに制作した。一枚の小さな写真から崋山の描いた輪郭を導きだし、一年ほどかけて丁寧に描き上げた。完成した六十センチ四方の天井画は二月、元あった吉田天満宮(豊橋市)へと寄進された。 よみがえった天井画「月に雁(かり)」は、翼を広げた二羽の雁が月を背に飛んでいる構図。吉田天満宮が一八四〇年ごろに複数の書家に作成を依頼した天井画の一つ。幕末に現在の田原市内で蟄居(ちっきょ)していた崋山も知り合いから内密に依頼されて描いた。ただ、完成からおよそ百年後に豊橋空襲で社殿が焼失。保管されていた天井画も焼かれ、その後は絵の構図や色彩といった詳細は不明になっていた。
名画復活のきっかけは四年前にさかのぼる。豊橋市図書館副館長で、主幹学芸員の岩瀬彰利さん(56)が戦前の豊橋市について調べていた際、吉田天満宮に崋山の絵があったことを知った。さらに資料を探すと、初代豊橋市長だった大口喜六(一八七〇~一九五七年)が戦前に出版した本の中に、小さいながらも崋山の絵の写真が載っていた。 「豊橋の街に崋山の絵があったとあまり知られていない」(岩瀬さん)。もう一度、豊橋の地に天井画をよみがえらせたいと、神社の氏子でつくる運営委員会が日展画家でもある鈴木さんに制作を頼んだ。 写真の発見で、大まかな構図は判明したが白黒写真であったため、色彩など依然分からないことは多かった。そのため、鈴木さんは崋山作品を多く収集する田原市博物館に話を聞き、崋山の画風や色づかいなどを勉強。自身の作風とも合わせて、昨年二月から一年間かけて仕上げた。鈴木さんは「写真が小さくて不鮮明だったので復元はできなかった。その分、先人の作品に思いをはせながら描いた」と話した。 運営委員会長を務める高津政義さん(80)は「天井画の制作は長年の夢だった。これから市民の方たちに間近で見てもらう機会をつくりたい」と意気込んだ。 (酒井博章) <渡辺崋山> 江戸時代後期の蘭学者で、画家。江戸麹町の田原藩邸に生まれ、40歳で藩家老に就任。1人の餓死者も出さずに天保の飢饉(ききん)を乗り切るなど優れた藩政で知られた。しかし、幕府の異国船打ち払い政策を批判したことで「蛮社の獄」で高野長英らと共に投獄され、国元での軟禁を命じられた。晩年は生活のために画業に専念したが「罪人身を慎まず」との悪評に追い込まれて自害した。代表作は国宝「鷹見泉石像」など。 PR情報
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