「同盟国でもない韓国は、間もなく消滅する」ので、海上自衛隊の山村浩海上幕僚長(海将)は、「10月14日、相模湾で行われる海上自衛隊の観艦式に韓国海軍を招待しない」と発表した
海上自衛隊の山村浩海上幕僚長(海将)は9月24日、「10月1
で行われる海上自衛隊の観艦式に韓国海軍を招待しない」と発表し
軍は2018年10月10日から14日にかけて、済州島で実施さ
旗(自衛艦旗=かつての軍艦旗)掲揚自粛を求めてきた。これに対
衛隊は「国際法に裏付けられた海軍の常識から見て、降ろす選択肢
して、護衛艦派遣を見合わせる措置をとった。韓国は、「日本の旭
チス・ドイツのヒトラー総統が掲げた党章ハーケンクロイツ、鉤(
想起させるので、自衛艦に掲げるのは、好ましくない」と抗議し続
しかし、この考え方は、「旭日旗」の成り立ちと意味を知らない無
ている。「旭日旗」は、伝統的に天皇が紋章として使用し、今日で
実上の家紋として使用している「十六八重表菊」が、慣例として国
扱いを受けている。日本の在外公館では「菊の御紋」が掲示されて
日旗」は、この「菊の御紋」の代用旗である。その証拠に「16条
が、中心の日章から四方に伸びている。「菊の御紋」と「ハーケン
鉤(かぎ)十字」と同列に扱うのは、言語道断、無知の極み、それ
「天皇」に対する非礼、不敬というほかない。そもそも大日本帝国
(初代フィリピン総督タフト国務長官とセオドア・ルーズベルト大
れて大韓帝国を保護国にした。つまり、「ロシア=ソ連」からの侵
て、戦前35年間保護したのであり、植民地にしていたわけではな
のことから山村浩海上幕僚長の発表は、当然の処置であった。また
鮮半島統一により、間もなく同盟国でもない韓国は、消滅が決まっ
で、いまさら韓国海軍を招待する必要もすでになくなっている。上
く近くにいる吉備太秦は、以下のように説明している。
朝鮮戦争終戦宣言、米朝平和条約締結、朝鮮半島統一のための実務
は、すでに始まっている。北朝鮮の担当者は、金明吉・元ベトナム
まっている。元ベトナム大使ということが大きい。彼が国連総会で
のではないか。文在寅大統領とトランプ大統領は、9月22日に首
ている。そこで、トランプ大統領は文在寅大統領に引導を渡した。
ついて、日本のマスコミはほとんど報道していない。
トランプ大統領は「在韓米軍は撤退する。韓国は、北朝鮮との統一
る人間はチンタオに行け。財閥に反対するやつらも、ベトナムに工
いるのだから、そっちに行け。もう同盟国ではない。北に逆らうの
どうぞ逆らって下さい。米国は一切守りません。なぜ日本とあんな
か。自業自得じゃないか」と言った。だが、文在寅大統領は相変わ
工がどうだ、従軍慰安婦がどうだ、保証がどうだと言っている。韓
すでに終わっているところに、さらに今回の首脳会談でトドメを刺
文在寅大統領が「再度米朝首脳会談をやって下さい」とトランプに
ところ、トランプ大統領は「いやもう、その必要はない」と言った
う、調印式をする際の衣装として、ベトナムのアオザイのような服
どのような色の服を着るのかまで全部指定されており、中国にも韓
鮮にも通達が出ている。ただ、トランプ大統領にはさすがにアオザ
るわけにはいかないので、彼への服の指定の通達は出していないよ
いえ、通達は出ているので10月下旬くらいには調印式になるだろ
り先立って、北朝鮮と米国が、首脳会談ではなく、いきなり二国間
行って、その後に4か国が集まり調印式を行う流れになる。
時期は10月下旬を予測しているけれど。遅くとも年内にはそこま
たぶん、10月下旬から11月になるだろう。これでもう、南北朝
鮮が韓国を統一する形となり、韓国は消滅する。中国も、実質、我
になっているが、国際条約上においても管轄下になる。
「天孫人種六千年史の研究 第1巻」(スメル學會伊予国一宮大山祇神社・
元宮司・三島敦雄著、板垣英憲解説、ともはつよし社刊)の「第二
室の淵源 第三章 菊花紋章は旭日の美術化」について、次のように説明して
いる。
「世界に於いて十六弁の菊花紋章は、何と申してもバビロニア、ア
が本源である」「バビロニアには我が国の菊花紋章があめばかりな
亀甲、三枡、三階菱、四ツ目結、九曜等我が国の紋が明確に存在す
ロニア、アッシリアの菊花紋は、旭日の変化である」
日本民族は、紀元前4000年に中東は、現在のシリアに発祥する
ル民族を祖とする。海洋民族フェニキアもいた。「天孫人種六千年
世界最古の皇室を誇る。その紋章が、菊花紋である。これをナチス
ヒトラー総統が掲げた党章ハーケンクロイツ、鉤(かぎ)十字と同
は、根本的に間違いである。
世界最古の皇室を誇る故に、世界銀行・IMFの最上層「300人
「300人委員会」(今回メンバーを入れ替えて王侯182人=小
議員を含む、これに財閥200人を加えて計382人)のトップに
ントリー」である日本として上皇陛下の側近A氏(旧日本興行銀行
えられていることを忘れてはならない。上皇陛下を戴く世界支配層
ドマン・ファミリーズ・グループ」と呼ぶ。
【参考】
『小中学校の教科書が教えない 日の丸君が代の歴史』(板垣英憲著・同文書
院刊・1999年7月8日)
第3章 対外的な地位確立のために歩んだ国旗「日の丸」の歴史
三つの「国旗」があった
明治政府は明治元年、いまの内閣に当る最高官庁である「太政官」
た。明治三年(一八七〇)二月二十七目(太陰暦では一月二七日)
第五十七号」を発した。「郵船商船規則別冊之通御定二相成候条、
候」と題し、「御国旗に寸法別紙之通に候事」として、別に「御国
についても公布した。大中小の日の丸の寸法を詳細に定めている。
決められたのである。郵船・商船の船印としての「日の丸」の寸法
ぎないのに、「御国旗」と称していた。
鎖国から開国へ踏み切った末期の徳川幕府でさえも、列強に伍して
有するからには、「日の丸」の船印を掲げなければならなかった。
徳川幕府の政策を受け継いで、日本国籍を表す船印とした。明治政
ちは徳川幕府の閣僚たちと同様、日本総船印すなわち国旗と考えて
ある。武家出身の官僚たちのほとんどは、統一的な国家意識がまだ
のである。日の丸は、決して明治政府のシンボルとして誕生したの
た。
商船国旗が決められたのに続いて、明治三年(一八七〇年)六月(
日付の、太政官布告第三五五号により陸軍で日の丸を使用し、十一
十月三日)付、太政官布告六五一号では「海軍御旗章国旗章並諸旗
海軍でも使用することになった。いずれも白地に紅色の丸である。
縦横の比や日の丸の直径・位置などがそれぞれ違っており、陸軍御
形に近いうえ、十六条の旭光が中心の日章から四方にのびるいわゆ
あり、後年の陸軍の連隊軍旗や海軍の軍艦旗に近い旗であった。
日本陸軍の軍旗(連隊旗)は、明治七年一月に近衛歩兵連隊が編成
明治天皇から授与されたのが最初で、赤色の旭光十六条が描かれて
旗が同じく十六条の旭日旗であった。海軍は明治二年(一八八九年
りに軍艦旗を使うようになる。
「日の丸」の規格は太政官布告五七号では、縦横比七対十、日章直
五分の三一日章の中心は、旗面の中心から横の百分の一だけ旗ざお
政官布告六五一号では縦横二対三、日章の直径は五七号に同じで、
は旗面の中央となっている。両布告に若干の相違があり、後年、国
ついて意見が別れる原因となった。それでも一般国民はこだわるこ
「日の丸」に親しんできた。
日本の国旗の掲揚の仕方については、(1)国旗(日の丸)を門に
合は、門内からみて右に掲げる。(2)国旗を門に二本掲げる場合
立してもよいが、前者が望ましい。(3)高い建物の窓とかバルコ
日の丸をたらす場合は、旗ざおを水平にしても、いくらか斜めにし