「かつて縫製業が盛んだった香港では、ミシンなどのスキルを持ったお母さんたちが多くいるが、彼女らはもはやスキルを生かす場所がない。そんな中、自分の技術を使いたいと協力してくれた人もいる。彼女らの子どもが彼女らから学んでマスクを作っているケースもある」と鄭さんは教えてくれた。ちなみにHK Maskに限らずマスクを自宅で作ろうとしている人たちは増えているようで、「香港でミシン入手が難しくなっている」とも鄭さんは言っていた。
政府に頼らずに問題を解決していく
これらの一連の動きに鄭さんは「メイカームーブメント」との類似性を見いだしているという。鄭さんは「今回プロジェクトに参加している他の人がそのことを意識しているかはわからないが、私はこのプロジェクトはまさにメイカームーブメントの一つだと思う」と言う。
メイカームーブメントとは「多様な人々がものづくりに関わる動き」を指し、特に個人レベルでそれが進んでいることをいう。3Dプリンターやレーザーカッターなどが普及することで、工場を持たなくとも個人が作りたいものを自らの手で少量生産できるようになってから注目された動きだ。HK Maskはこのような高度な機材を必要としないものの、個人が好きな方法でものづくりに参加し、そのための方法が広く共有されているという点でメイカームーブメントと共通している。大企業や政府などの権力や資金があるものに頼る必要はない。「ものづくりが民主化されている」と言える。
今回のプロジェクトは政府から全く支援を受けてない。「政府を待っていても仕方なく、助成金を申請する気はない」とプロジェクト関係者は口をそろえる。中にはいくら抗議活動をしても変わらない政府を批判し続けても仕方がないので、自分で問題を解決していくことが重要だと感じているという人もいた。香港で長引く抗議活動は反政府活動を生み出してきた一方で、政府へ期待することを諦めて自分たちで問題を解決しようとするコミュニティーも生み出している。この、批判しても変化しない政府の批判ばかりをするのではなく自分たちのできることをやるべきだという言説は、以前取材した航空業界の新しい労働組合からも聞かれた(関連記事)。
また、博士のFacebookページのカバー写真には「黄色と青色(の対立)に関係なくマスクが香港を救う」と記されている。黄色は抗議者寄りの人々、青色は香港政府・警察寄りの人々を指す。異なる政治的思想を持つ両者の間で対立するばかりではなく、まずは手を動かすべきだという考え方も彼らの中に根ざしていると言えるだろう。
抗議活動を通した知の共有の促進
香港の抗議活動は、明確なリーダーがいない分散型の抗議活動だと言える。匿名性の高いSNS「テレグラム」を使い、もともとは互いにつながっていない一般市民が自主的に動き、知識を共有する仕組みができあがった。テレグラム上では、香港の地下鉄の駅の空調の仕組みから警察に追われたときに逃げ込むためのビルのパスワードまで共有されている。新型コロナウイルス流行以降は、3Dプリンターでマスクフィルターを試作した人々が試作の過程でどのように失敗したか、またどうすればうまくいくかというノウハウまでも共有するようになった。
HK Maskが抗議活動で生み出された流れによって大きな動きになったと筆者が感じるのは、発起人の鄺士山博士が抗議活動での催涙弾の使用への批判などを通してインフルエンサーになったからだけではない。多くの香港市民が抗議活動を通してこのような市民活動への関心を深め、自身の利益に関係なく知識をシェアし行動する人が増えた。鄺士山博士の呼びかけに応じて集まった人が多くいたことは、その表れと言えるだろう。
一連の抗議活動が生み出した、政府や大企業に頼らない分散型の情報共有のノウハウは、一般市民に共有され抗議活動以外の分野でも生かされるようになった。こうした香港社会の変化が、市民活動と社会的企業、NGO(非政府組織)との関係性にどのような影響を与えるかにも今後注目していきたい。
コメント2件
庵富
面白い着眼点ですね.政府をあてにしない,という点ではアメリカでも似たような潮流があるのですが,3Dプリンタを使ってフェイスマスク(正確には透明なシートを頭に固定する部分)を作るデータなんかの共有が進んでいるそうです.互助の精神もありますが,
自分のことは自分で,という自衛の意味もあるのでしょうね.(ただ,それが高じて自衛の為に銃を,となるところがアメリカらしいといえばらしいのですけれど.)
...続きを読むM
>政府や大企業に頼らない分散型の情報共有のノウハウは、一般市民に共有され抗議活動以外の分野でも生かされるようになった。
これは、香港の抗議活動から生まれた良い影響ですね。古いでしょうが、華僑の人達は、国家の助けがない状態で、それぞれが助
け合って生きてきた歴史がありますから、それが今度はネットの世界で活かされるというのは何だか嬉しい話です。...続きを読むコメント機能はリゾーム登録いただいた日経ビジネス電子版会員の方のみお使いいただけます詳細
日経ビジネス電子版の会員登録