大林宣彦が小津安二郎に見ていた映画人の凄み
戦争を描かないことが戦争を描く手法だった
一例を挙げれば、登場人物の目線を合わせることで映像をつなげる手法があります。こうしたやり方は“映画ならではのうそ”だといえます。目線を揃えさえすれば、Aさんを撮った1カ月後にBさんを撮っても、二人で語り合っているようにも見せられるからです。戦争世代の先輩たちはそういうことを当たり前のようにやっていました。
新しい映画をつくろうとしている自分たちは、そういう技法を踏襲していてはいけないのではないか。
トリュフォーはそんな気になったのではないかと思います。
かといって小津さんのやり方をまねようともしないで開発したのが「往復パン」です。AからBに回して、BからAに戻るという撮り方です。これもまた、プロなら絶対にやってはいけないといわれていた技法だったのに、彼らはあえてそれをやりました。
小津さんのアマチュアリズムにならった部分があったのだと思います。目線を合わせるカットバックはやめて往復パンにすることで、ちょっとだけ未来の映画をリアルに描こうとしたのかもしれません。
リアルに描いているだけでは映画芸術にならない
ただし、ただリアルに描いているだけでは映画芸術にはなりません。ヌーヴェルヴァーグの監督たちはトリュフォーに限らず、さまざまな技法、表現方法を用いるようになっていったのです。
ロジェ・ヴァディム監督の『血とバラ』という映画があります。吸血鬼伝説を題材にした映画ですが、その中でも戦争の忌まわしさが描かれています。政治家や経済家はいつも庶民の血を吸うことによって権力を高めているということが、この映画の中からは読みとれます。
こういう表現をするのがフィロソフィーのプロです。
このような歴史を学んでいくと、それぞれの映画で「どうしてこのような撮り方がされているのか」といったことがわかってきます。
戦後の日本の監督たちもヌーヴェルヴァーグの監督たちも、同じ志を持っています。それでいながら一人ひとりがまったく違う映画づくりをしています。ぼくたち敗戦後の子どもたちは、こうした映画を観ながら育ってきたのです。