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【社説】

こどもの日に考える 「やさしさ」が育てる未来

 切ない、そしてもどかしい「こどもの日」です。コロナ禍で思ったように遊んだり、学んだりできない状況が続きます。こんな時期だけれど、こんな時期だからこそ、未来を担う世代への願いと、支えるべき社会の責任について考えたいと思います。

 休校が決まった二月末、自由学園最高学部(大学部)の渡辺憲司学部長は「『今本当のやさしさが問われている。』コロナ対策に向けて」と題したブログを書きました。そこでは、感染症関係の学会で出会った研究者の言葉が引用されています。

◆感染症で恐ろしいのは

 「感染症は勿論蔓延(もちろんまんえん)が恐ろしい。しかしもっと恐ろしいのは病いに対する人々の差別と偏見です」

 ハンセン病に対する隔離政策、エイズや水俣病の人たちへの差別…。新型コロナウイルスで、感染症の誤った歴史が繰り返される危険があります。医療従事者や家族が、周囲の心ない言葉や対応に傷つき苦しんでいるという現実がすでにあります。感染した人や家族の家に投石や落書きするなどの陰湿な嫌がらせも明らかになっています。悲しいことです。

 「正義と柔軟な感性を持つ若さこそ社会と家庭を思いやりとやさしさに包まれた場所に引っ張って行けるのです」。そう若い世代への期待を記した渡辺さんに「やさしさ」の意味するところを尋ねてみました。

 「『やさしさ』は『痩せし』。自分の身を痩せさせることであり、辛(つら)いことでもあるんです」

 新型コロナウイルスは誰でも感染する可能性があります。不安や恐怖にのみ込まれそうになります。自分も痛みを感じている中で、相手の憂いをくみ取ることができるかどうか。やさしくするって、実は大変なことなのかもしれません。

◆大林宣彦監督の言葉

 福島の人々を取材していると、二〇一一年の東京電力福島第一原発事故の後に起きたことと、今の状況を重ねて心配する声を聞くことがあります。福島ナンバーの車が県外で差別的な扱いを受けたり、その後も避難した子どもたちがいじめられたりしました。「あの時と同じようなことが、コロナで起きてほしくない」。その声は切実です。

 四月に亡くなった映画監督の大林宣彦さんは一四年、福島の高校生に向けて、励ましの言葉を贈っています。高校生を対象にした映像フェスティバル。相馬高校放送局の作品「ちゃんと伝える」を、大林さんが特別賞に選び、その表彰式の席上でのことです。

 「痛みを感じる体験をした人の方が、うんと人を思いやったり、やさしくなったりする能力を神様から与えられている。(福島の高校生の)作品を見せてもらうことは被災の状況や悲しいことを超えて、人間の勇気ややさしさや失っちゃいけないものを再認識させてくれる力がある」

 晩年に「この空の花-長岡花火物語」(一二年公開)などの戦争三部作を撮った大林さんは同じ席でこんなことも言っています。「悲しいこと、辛いことは忘れることで生きていられるってこともある。自分たちはそれでいいけど、未来の子どもたちが歴史を知らないと同じ過ちを犯すから、やっぱり伝えておこうと」

 社会が差別や偏見に満ちた暗い方向へと転がってしまうのか、それともつながりを深めて問題解決にあたる方向へと歩みだせるのか。私たちは今そのことが問われています。周囲の苦しみもくみ取りながら考えたこと、感じたことは、コロナ後の社会の針路を定めていく原動力になっていくでしょう。そして若い世代には、それをさらに次世代に伝えていく時間もたっぷりあります。

 さて、この原稿を書くにあたり、自由学園の渡辺学部長からは、一つ注文を受けています。こどもの日はむしろ、子どもを包み込む社会がどうあるべきかを書くべきだと。政治家から子どもや若者を思いやる肉声が聞こえてこないことに、教育者として怒っていました。

◆大人がまず身を削って

 休校が続き、経済的に困っている家庭の子どもたちの栄養状態が心配されています。閉鎖的な環境で、虐待やDVの問題もいっそう深刻になっています。大学生たちはアルバイトがなくなり、退学を考えるなど深刻な経済状況が明らかになってきています。

 子どもや大学生の困難はコロナ禍で生じたわけではなく、もともとあった問題があらわになったという側面があります。社会はそこからまず反省をしなければなりません。そのうえで十分な手だてを講じていかなくては。将来を担う世代のために、身を削って「痩せし」にならなくてはいけない責任はまず大人たちが負うべきです。

 

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