安倍晋三首相はじめ、都道府県知事、政令市長、市長など指導者の『天災に対する危機管理意識』が、極めて低下している

2019/11/09 ブログ
logo


安倍晋三首相はじめ、都道府県知事、政令市長、市長など指導者の『天災に対する危機管理意識』が、極めて低下している」-安倍晋三首相は、気象庁が10月11日、史上最強と恐れられた台風19号が伊豆半島に上陸しそうになって注意喚起していたのに、午後6時34分、東京・有楽町のフランス料理店「アピシウス」で、谷内正太郎前国家安全保障局長、山内昌之東大名誉教授、辻慎吾森ビル社長らと食事し、午後9時40分、公邸に帰ってきていた。
千葉県の森田健作知事は、県内に甚大な被害をもたらした台風15号が上陸した翌日の9月10日、千葉県の最高責任者として、県庁にいなければならないのに、芝山町の自宅を訪れていたことが、11月7日の定例記者会見で明らかになった。神奈川県の黒岩知事は、神奈川県西部の山北町では10月13日未明、台風19号で取水施設がダウンし約2500世帯が断水したため、山北町が自衛隊に給水車の派遣を要請する可能性があるかもしれないと連絡すると、午前8
ごろに3トンの水を積んで到着したにもかかわらず、「公共性、緊急性、非代替性の3要件を満たしていない。」として自衛隊の給水活動を認めなかった。
自衛隊は県知事の要請がなければ動けないため、給水せずに3トンの水を持ったまま帰っていった。いずれも、国や地方自治体の最高指揮官として、失格である。


 ここで2016年6月6日の拙記事の内容だが、再度参考までに紹介しておこう。
 鎌田要人元参院議員(元鹿児島県知事)は、「鹿児島県知事時代、県から容易に離れることができなかった。とくに台風シーズンともなれば、台風の通り道である鹿児島県は、いつ水害、土砂崩れなど災害に見舞われるかわからず、活火山である桜島が、いつ爆発するかわからないからだ。この結果、家内(妻)をどこにも旅行に連れて行ってやれなかった」と県知事として持ち場を離れることが許されない責任の重さを語っていた。強面の内務官僚らしからぬ
「ざっくばらんな人物」だった。
 鎌田要人元参院議員は、鹿児島県日置郡田布施村大字尾下(のちの金峰町、現南さつま市)出身。鹿児島二中(現甲南高校)、七高造士館を経て東京帝国大学卒業後の1943年、内務省入省。朝鮮総督府へ出向、静岡県副知事、消防庁長官、自治事務次官などを歴任、1977年)に鹿児島県知事選に立候補して初当選、1989年まで3期12年務めた。退任後の1989年、参院議員選挙に鹿児島選挙区から自民党公認で出馬して、初当選。2001年まで2
期12年務めた。都道府県知事は、やはり「国家国民を第1」に考える政治家、行政官でなければ、務まらないということを、身をもって示した偉大な人物であった。

 国の各省庁のなかには、「事件官庁」と呼ばれる役所がある。警察庁・警視庁、防衛省・3自衛隊、財務省・国税庁・金融庁、厚生労働省、法務省・公安調査庁、国土交通省、海上保安庁・気象庁である。事件・事故ばかりでなく、地震・火山爆発・台風・大雨・河川氾濫氾濫・山崩れなど自然災害に対処しなければならない。
 「河川護岸工事、山崩れ防止砂防ダム造りに手を抜いてきた安倍晋三首相の内政軽視が、甚大な被害を招いて死傷者が増大している」-これでは、自衛隊明記の憲法改正どころの騒ぎではない。
 黒岩祐治知事は10月16日、「町民の皆さんのお怒りは至極当然。心からおわび申し上げたい」と陳謝したけれど、謝れば済むという話ではない。被災者目線で行動した山北町の湯川裕司町長と、権威を振りかざした黒岩祐治知事の行動の差にネット上が大炎上する事態となった。それ以前に、山北町は神奈川県に「自衛隊に内々に派遣を依頼している」と伝えていたのに、黒岩祐治知事は、県は給水車が到着してからも「公共性、緊急性、非代替性の3要件を満たしていない。県の方で給水車が用意できるので、そちらを優先して欲しい。」と自衛隊の派遣を認めなかった。自衛隊は県知事の要請がなければ動けないため、給水せずに3トンの水を持ったまま帰っていった。県の給水車が山北町に到着したのは、その5時間後だった。

 自衛隊の出動については、1995年1月17日5時46分52秒に発生した兵庫県南部地震による阪神淡路大震災時のケースが、参考になる
 当時は、災害が起きても、都道府県知事からの要請がなければ部隊を派遣してはならない、とされていた。陸上自衛隊第3師団はすぐに姫路や福知山の部隊などを神戸に向かわせていた。しかし、貝原俊民知事の要請がないので神戸に入ることはできず、手前で待機していた。自衛隊を憲法違反として否定している兵庫県選出の土井たか子衆院議長がいるので、何を言われるかわからないと恐れていた。自衛隊は、再三県庁に電話連絡するけれども、貝原俊民知事
は、県庁に到着していなかったので、連絡が取れない。県庁職員がやっと電話に出たので、これをもって貝原俊民知事の要請があったものと見做して、ようやく動きだしたという。しかし、自衛隊が足止めされていた間にも、多数の死傷者が出ていた。
 石原信雄元内閣官房副長官(在任 1987年~1995年)は、「実際には、知事の要請がなくても自衛隊は、出動できた」と話していた。1926年群馬県に生まれ、旧制太田中学(現・太田高校)、桐生工専中退、旧制第二高等学校(現・東北大学教養部)を卒業。 1952年東京大学法学部卒業後、地方自治庁(現総務省)入庁。1982年自治省財政局長に、1984年自治事務次官に就任した。
 自衛隊法によると、災害派遣を命ずることができる者は、防衛大臣のほか、政令の指定により、次の者がいる。
 自衛隊法上その他の行動においては、内閣総理大臣や防衛大臣などの承認や命令が必要とされるなど非常に制限が多いが、災害派遣は、災害時の秩序維持において有用で、武器の使用については治安出動とは異なることから、都道府県知事のほか、海上保安庁長官、管区海上保安本部長及び空港事務所長からの要請により、駐屯地司令など2佐程度の自衛官でも命ずることができる非常に緩やかなものである。また、市町村長、警察署長その他これに準ずる官公署の
長から災害派遣に関する依頼を受け、直ちに救援の措置をとる必要があると認める場合にも、部隊等を派遣することができる。