Q:文化への影響はどのように考えていますか?
今回負債を負ってしまって、演劇をやめてしまう人もいるかもしれない。あるいはこの2~3年演劇を上演できなくなる人もいるかもしれない。その中に、あしたの野田秀樹さんやあしたの三谷幸喜さんがいるかもしれないです。若い才能が離れていってしまうこと。それは、個人の問題ではなく、最終的に社会全体の損失でしょう。文化芸術の連続した線が途切れてしまいますので。
もちろん私たち作家とか芸術家はこういう状況も糧にして、作品を作らなければいけないんですけど、それは演劇を続けられればの話ですから。劇場や映画館がなくなったら、私たちが表現する場もなくなりますからね。
先日ベルリンの副市長の方と同じネットの番組に出たんですけれども、その副市長がおっしゃったのは、「このままウイルスを殺せても、殺した瞬間に文化もすべて死んでいたらウイルスを殺した意味がないではないか」と。清潔な社会に戻りました。でも映画もない、演劇もない、歌も聞こえてこない、絵画も生まれてこない。そういう社会でいいんですかっていうことです。
Q:日本だけでなく、世界中でいまその危機にあるということですね。
そうですね。ただ海外の方が圧倒的に文化に対する支援がもともと強い。日本は文化政策が非常に弱いところにこれが直撃してしまったので、非常に苦しい状況にありますね。ドイツの文化担当の大臣は「芸術はただ単に必要不可欠なものだけでなく、生命維持装置だ」とまでおっしゃっている。人々が生きていくうえでどうしても必要なものなんだということですよね。
芸術というとすごく高尚なものに聞こえるんですけど、そうじゃないんです。例えばカラオケでストレスを解消する。でもそのカラオケは何かの楽器によって演奏され、楽譜によって記録されてきたわけですよね。西洋音楽という芸術の長い営みの恩恵を、カラオケという大衆芸能として私たちは享受している。
そして、日本では、社会における芸術の役割は大規模災害に鍛えられて高まってきたともいえるんですが、今回は状況が違う。
1995年の阪神淡路大震災のときは、避難所などにアーティストが訪れても、「こんなときにそれどころじゃない」と言われていました。それが、いろいろな蓄積から医療関係者の方のご理解も深まってきた。2011年の東日本大震災のときには、発災から3日間、1週間は命を守ることが大事だけれども「落ち着いてきたら今度は心身の健康ですね」と。そういうときに、スポーツも含めて広い意味で「文化の役割が必要なんだ」ということは認識として日本でも広まったと思っていたんです。
ところが今回、見えない敵で、しかも先が見えない。本来は、芸術の役割を果たすべきときなのに、集まってはいけない。これは私たちも想定していなかったんですね。やはり私たちの一番の強みはライブ、人と人がふれあうことなので、それができないというのはつらいですね。こういう状況でアートに何ができるかということは、私たちに突きつけられた課題でもあるわけです。
Q:いつから活動を再開できるかわからないという中で、どのような支援を求めていますか?
大変なのは国民みんな一緒ですから、どうにかしのぐしかないんですが、やはりその次の段階では、文化政策としての支援は何か用意していただかないといけないかなと思います。お金の問題だけでなく、表現の場を奪われてしまったということがあるので。
例えばこの状況が終息した段階で、政府や自治体が空いている劇場を借り上げて、上演の機会を与えて、そこに支援するなど、特例的な枠組みというのも考えられるんじゃないかと思います。
(兵庫県豊岡市での稽古の様子 2020年3月)