政府の緊急経済対策の柱の一つである「一律10万円給付」をめぐって、議論が巻き起こっている。世帯主を「受給権者」とし、申請された家族全員の分を一括してその世帯主に支給するやり方への批判や疑問だ。
これでは、例えば世帯主の夫からの暴力(DV)から逃れて別の場所で暮らす妻や、親の虐待で家にいられない子どもに、お金が届かない恐れがある。
指摘を受けて政府も、▽いま住んでいる自治体で、同伴の子どもの分も含めて給付を申請できるようにする▽施設に入っている子や高齢者、障害者には、自治体とその施設が責任をもって支給する――といった措置をとることとした。
DV被害者の場合、申請には相談した先の公的機関や支援団体の証明書などが必要だ。自治体の窓口で説明することに負担を感じる人もいるだろう。担当者はそれぞれの事情を酌んだ、柔軟な対応をとってほしい。
だが、これですべてが解決するわけではない。
DVを受けながらも世帯主の住所にとどまっている場合は、特別の扱いはない。家族も人間同士、暴力や虐待はなくても、その関係は複雑で多様だ。地域による違いもあろう。世帯主に対し、「自分の分の給付金を渡してほしい」と言い出せない人も少なくないのではないか。「外出自粛など不安の中にいるすべての住民に配る」という制度の趣旨に照らして、見過ごすわけにはいかない。
世帯単位の方が事務作業ははかどり、迅速な支給につながるという利点はあるだろう。だが肝心なのは、お金を届けるべき人に確実に届けることだ。個別給付を希望する人には、そうするのが筋ではないか。
東日本大震災の時にも支援金の給付があった。やはり世帯主がまとめて受け取る方式で、同様の問題が指摘された。しかし政府はやり方を見直すことをせず、全国を対象にした今回の施策によって、欠陥が浮き彫りになる結果となった。
根底に見えるのは、家単位でものごとを考え、個人を見ようとしない体質だ。戸主が家族を統率・支配する家制度は戦後廃止され、憲法は個人の尊重や両性の平等をうたう。だが、党の改憲草案から「個人」を削ったり、選択的夫婦別姓制度にかたくなに反対したりと、自民党政権、とりわけ安倍内閣は憲法がかかげる理念の逆をゆく。
世帯単位で設計・運用されている制度はたくさんある。それらは、市民一人ひとりを独立した存在として尊び、その権利を守るものになっているか。「一律10万円給付」は、社会のあり方を見つめ直す機会でもある。
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