挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
落第剣士の剣術無双~無限地獄を突破した俺は、気付いたら最強になっていた~ 作者:月島 秀一
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
2/3

落第剣士と無限地獄【二】

 目を開けるとそこは、何もない真っ白な世界だった。

 眼前に立つのは巨大な牛頭鬼(ミノタウロス)……ではなく、立派な顎鬚(あごひげ)を蓄えた謎の老剣士。


 正直、何がなんだかさっぱりわからなかった。


「こ、ここはどこだ? あなたはいったい誰なんですか? いや、そんなことよりもみんなは……あの化物は!?」


 慌ただしく周囲に目を向けながら、矢継ぎ早に質問を繰り出す俺に対し――謎の老剣士は、ただ一度コクリと頷いた。


「気持ちはわかるが、まずは一度落ち着くがいい。そんな状態では、まともに話しもできんからな」


 彼はそう言って、俺の周囲をゆっくりと歩き始めた。


「はじめに、これだけは伝えておこう。――時近(ときちか)よ。お前の父と母は殺され、弟と妹は食われた。突如出現した牛頭鬼(ミノタウロス)によってな。あれは夢でもなんでもない、全て現実に起きたことだ」


「……っ」


 さっきまでの壮絶な出来事は、全て悪夢だったんじゃないか? そんな甘い考えは、真っ先に斬り捨てられた。


「……それじゃ、俺も殺されたんですか?」


「いや、お前は幸運にも命を拾った。――ふむ、この場合は必然的(・・・)()と言った方がより正確だな」


「……?」


 俺が小首を傾げていると――彼は「こっちの話だ」と苦笑し、話を進めた。


「この白い空間は、『時の世界』という特別な場所だ。現実世界からは完全に切り離され、いかなる手段を持ってしても干渉できんようになっておる。――ただし、何事にも『例外』は付きものじゃ」


 謎の老剣士はそう言って、ジッとこちらを見つめた。


「『黒影(くろかげ)の血』を引き、『並外れた素質』を持つ者が、深い絶望の中で『鍵』へ願いを託す。これが時の世界へ到達する唯一の方法だ」


「鍵って……これのことですか?」


 俺は腰に差した一振りの刀を掲げる。


「左様。『時渡の刀』、かつての儂の愛刀じゃ。時近(ときちか)牛頭鬼(ミノタウロス)に殺される直前、その刀を引き抜いてこの世界へ逃げ延びたというわけだ」


 懐かしむように、慈しむように、それでいてどこか悲しそうに――彼は時渡の刀を見つめた。


「さて、順番が前後してしまったが、一応自己紹介をしておこうか。儂は時の神――『時の盟約』により、これまでずっと黒影家を支えてきた守り神じゃ」


 本当かどうかはわからないけど、謎の老剣士は自らを時の神と名乗った。


 外見年齢は七十歳ほど。背中まで届く白髪は、全て後ろに撫で付けられている。身長はおよそ百八十センチ。白眉(はくび)の下には、鷹のように鋭い目が光り、立派な白い顎鬚が存在感を主張していた。

 その顔には、深い(しわ)がいくつも刻まれているけれど……精悍(せいかん)な顔立ち・ピンと伸びた背筋・重心を悟らせぬ立ち姿、老いた弱々しさなんか微塵も感じられない。

 左腰に古びた木刀を差し、真っ白い着物に身を包んだ彼は、どこか浮世離れした雰囲気を(かも)し出していた。


「俺は黒影時近と――」


 とりあえず、こちらも自己紹介を始めると、


「――あぁ、よいよい。先も言ったが、儂は黒影家の守り神じゃ。お前のことは……いや、黒影家(おまえたち)のことは知り尽くしておる」


 時の神様はそう言って、小さく首を横に振った。


「そんなことよりも――喜べ、時近。お前は今『絶大な力を得る可能性』を、『全てを取り戻す千載一遇の好機』を手にしたのだ!」


 彼は大きく両手を広げ、よくわからないことを口にした。


「……全てを取り戻す?」


「左様。時臣(ときおみ)千代(ちよ)時男(ときお)時子(ときこ)――かけがえのない家族を取り戻す、最初にして最後の機会だ!」


 その瞬間、俺は思わず目を見開く。


「ど、どういうことですか!?」


「ふっ、ようやく目に光が戻ったのぅ」


 時の神様は満足気に頷き、詳しく語り始めた。


「儂はその名の通り、『時を司る神』。かなり大きな力を使うことにはなるが……本気を出せば、世界の時間を巻き戻すことも可能じゃ」


「世界の時間を……巻き戻す……!?」


「うむ。そうすれば、覆水(ふくすい)は盆に返り・落ちた林檎(りんご)は枝に戻り・死人(しびと)は息を吹き返す。例えば今この瞬間、世界の時間を一日ほど巻き戻したとすれば――いったい何が起こると思う?」


「今日一日の出来事が、全てなかったことになる……?」


 俺が恐る恐るそう答えを返すと、彼は今日一番の笑みを浮かべた。


「正解じゃ。とてつもない規模の『過去改変』が起こり、あの悲劇は全て時の彼方へ消え――新たな歴史が紡がれていく。そして世界でただ一人、時近だけが知っておるのだ。この先二十四時間以内に発生する事象――牛頭鬼(ミノタウロス)の襲撃を!」


「そ、それじゃもし……。もし俺があの化物が襲撃してくる時間を見計らって、みんなをどこか安全な場所へ連れ出したとしたら……。そうしたら、歴史は変わるんですか!? 父さんも母さんも時男も時子も、みんな死なずに済むんでしょうか!?」


(しか)り」


 時の神様は多くを語らず、ただ一度力強く頷いた。


「でも、本当にそんなことが……?」


 世界の時を巻き戻し、過去を改変する。

 それはまさしく『神の御業(みわざ)』と呼ぶにふさわしい奇跡だ。


「まぁ、いきなりこんな話をされても「はい、そうですか」とはいかんじゃろうな。――『百聞は一見に如かず』、見るがいい」


 彼はそう言って、真っ直ぐ右腕を伸ばした。


 すると次の瞬間――俺の体にあった裂傷と打撲がたちまちのうちに消え去り、さらには衣服にこびりついた血の跡と汚れもなくなった。


「これは……!?」


「ふっ、驚いたか? 『時の秩序』を使って、お前の(・・・)肉体と(・・・)衣服の(・・・)時間を(・・・)一時間ほど(・・・・・)巻き戻した(・・・・・)のだ(・・)牛頭鬼(ミノタウロス)との戦闘が始まる前にな」


「時の秩序……っ」


『秩序』とは、神様にのみ許された超常の力だ。

 一般によく知られているのは、無から有を産み出す『創造の秩序』や異なる二点を結ぶ『空間の秩序』あたりだろうか。


(とにかく、これはもう間違いない……っ)


 目の前の老剣士は、正真正銘『本物の神様』のようだ。


(一日……。一日もあれば、あの地獄を回避できる……ッ!)


 絶望に侵された心へ、じんわりと温かい熱が戻ってきた。


「時の神様、どうかお願いします。その力を使って、時間を巻き戻してください……っ」


 俺が頭を下げて必死に頼み込むと、


「よかろう。――ただし、一つだけ条件がある」


 彼はそう言って、人差し指をスッと立てた。


「条件、ですか……?」


「そうだ。もしも時近が『無限地獄』を突破することができたならば――世界の時間を巻き戻し、あの悲劇をなかったことにしてやろう!」


「無限地獄……?」


 そういえば……この不思議な世界に足を踏み入れた直後、時の神様がそんなことを言っていた気がする。


「無限地獄とは、時の秩序によって生み出された『時の止まった世界』。これよりお前はそこへ入り、『無限』にも等しい時間を使って、『地獄』のような修業をするのじゃ!」


 彼はさらに話を続ける。


「この無限地獄を突破する方法はただ一つ、術者である儂に一太刀を入れること。これを達成した暁には、時近は『絶大な力』と『過去を改変する権利』を手にするのだ!」


「『落第剣士』の俺が……『神様』に一太刀を入れる……」


 正直言って、それは全く現実味のない話だ。


(だけど、それでも……ッ)


 俺は強く拳を握り締め、勢いよく顔を上げた。


 すると――。


「水を差すわけではないが、これだけは先に言っておこう。儂の修業は、厳しいなんてものではないぞ? 毎日毎日、血反吐をはくような それでもやるのか? それだけの覚悟が、断固たる決意が――お前にはあるのか?」


 時の神様は真剣な表情で、ジッとこちらを見つめ、俺の覚悟を問いただした。


 しかし、答えはとっくの昔に決まっていた。


「――はい、もちろんです!」


 もう一度みんなに会うためなら、どんなことだってやるつもりだ。


「ふっ、いい返事じゃ。それではこれより始めようか。時の秩序・無限地獄を!」


 彼がそう叫んだ次の瞬間、『時の世界』は崩壊し――俺たちは『無限地獄』へ入っていった。



 無限地獄の舞台は――なんと黒影家(うち)の裏手にある『霞山(かすみやま)』だった。

 なんでも俺と時の神様が記憶を共有している黒影(くろかげ)家周辺ならば、『創造の秩序』で比較的簡単に具現化できるらしい。


(あまり難しいことは、よくわからないけれど……)


 全く知らない場所よりは、慣れ親しんだ霞山(かすみやま)の方がずっと落ち着くので、これはけっこうありがたい。


 ただ……休息の場として黒影家(うち)を使うのは、正直かなりキツイものがあった。


 いつもと違って、誰もいない家。

 ただいまと言っても、返事のない我が家は……まるで別もののように冷たく感じた。


(父さん・母さん・時男・時子……。俺がなんとかするから、もうちょっとだけ待っていてくれ……っ)


 決意を新たにした俺は、それから来る日も来る日も地獄のような修業に励んだ。


 最初の一年は、身体能力の向上を目的とした基礎練習だ。


 午前六時、小鳥のさえずりが鳴り響く中――。


「か、かかか、神様……!? もう、一時間は経ちましたよね!?」


 上半身裸になった俺は、滝に打たれていた。


「うぅむ、まだ随分と余裕がありそうじゃな……。やむを()ん、十分ほど追加しようか」


「そんな殺生(せっしょう)な!?」


 無限地獄には四季があり、それは『約一か月ごと』というとんでもない速度で移ろっていく。


 そして今日は――冬。


(気温零度を下回る極寒の中、ひたすら滝に打たれ続けるこの修業は……冗談抜きで本当にキツイ……ッ)


 三十メートルもの高さから落下する水は、まるで鉛のように重い。


(それが途切れることなくひたすら全身を打ちつけるのだから、ほんともうたまったものじゃない……)


 しっかりと両足に力を入れ、重心を真下に置かなければ――あっという間に体をもっていかれ、そのまま下流へ運ばれる。

 しっかりと顔を上げ、体全体で落水を受け止めなければ――首への過負荷で意識を刈り取られ、問答無用で下流へ流される。

 しっかりと気を張り、一糸乱れぬ強靭(きょうじん)な心を持たなければ――雑念が姿勢を乱し、気付いたときには下流でプカプカと浮いている。


(これが地獄のような修業であることに疑いの余地はないけど……)


 そこには確かに『()』があった。


 重心を真下へ置き・顔を上げて視界を広げ・強靭な精神力を持つ――どれも剣士にとって、必要不可欠な要素だ。

 それがこの滝行一つで全て鍛えられるのだから、優れた修業法であることは間違いない。


(だけ、ど……ッ。もうそろそろ、限界、だ……)


 視界が白く染まり、気を失いかけたそのとき、 


「――そこまでじゃ」


 時の神様が、滝の流れ(・・・・)()止めた(・・・)

 時の秩序を発動させ、『滝の時間』を停止させたのだ。


「は、はぁはぁ、ぜひゅぜひゅ……っ」


 俺はその場で四つん這いになり、ガチガチガチと全身を震わせながら必死に呼吸を整えていく。


「――時近、よく頑張ったな」


 彼は柔らかく微笑み、ポンポンと背中を叩いてくれた。

 この労いの言葉が、とても温かくて……本当に嬉しい。


「よし、それでは次の修業へ移ろうか」


 この切り替えの早さが、とても冷たくて……本当に憎らしい。


 それから俺は冷や水でびしょ濡れになった体を拭き、いつもの着物を羽織った。


「あぁ……温かい……」


 衣類の防寒性にうっとりとしながら、重たい体を引きずって山の(ふもと)へ向かう。


 次の修業は……これまた本当にキツイやつだ。


「ふんぎぎぎぎ……ッ!」


「ほれほれ、もっとシャキシャキと足を動かさんか。こんな調子では日が暮れてしまうぞ」


「は、はぃ……ッ」


 身の丈ほどもある大岩を背負った俺は、亀のような歩みで霞山(かすみやま)を登って行く。

 これは、(ふもと)に置かれた石を頂上まで運ぶ修業だ。


(最初の方は、両手で抱えられるぐらいの石だったんだけれど……)


 一日また一日と経過するごとに、神様は創造の秩序を使って一回り大きな石を用意した。

 その結果、今や背中に担がなくてはならないほどの大岩と化しているのだ。


 ……ホントウニ、アリガタイ。


「ふんぐ、ごごごご……ッ!」


 荒い鼻息を立てながら、力強く大地を踏みしめ――傾斜の急な険しい山道を登って行く。


 これはもう単純に腕と脚がキツイ。

 それに重たい岩を支えるため、首周りの筋肉や背筋と腹筋もキツイ。


 つまるところ、もう全部キツイ。


 さらに景色が変わらないところもまた、この修業の苦しさに拍車を掛けていた。


(右を見ても左を見ても、木・木・木ィ……!)


 どこもかしこも木ばかりなのだ。


(いや、そりゃ山の中だから当然のことかもしれないけどさ……ッ)


 代わり映えのない景色の中、ひたすら体に鞭を打ち続けるのは、精神衛生上とてもよろしくなかった。


 それから数時間後、


「お、終わり、ました……っ」


 なんとか霞山(かすみやま)の頂上へたどり着いた俺は、岩に押し潰される形で倒れ伏した。


「まさかもうこの大きさの岩に対応するとはのぅ……いい調子じゃ。さぁ、軽い昼食にしよう」


「は、はい……!」


 朝のうちに用意した塩むすびをしこたま食べ、キンッキンに冷えた小川の水をこれでもかというほど飲み――再び修業を始めた。


 本日最後の修業は、神様との組手(くみて)だ。


 山の麓――黒影家の前へ場所を移した俺と神様は、徒手(としゅ)のまま激しく視線をぶつけ合う。


「……」


「……」


 十秒・二十秒・三十秒と経過したあるとき――遥か遠方で大きな鳥が飛び立ち、神様の視線がほんのわずかにそちらへ動いた。


(今だ……!)


 俺はありったけの力で地面を蹴り、彼の懐深くへ潜り込む。


「――ぃよし、取ったぁああああ!」


 神様の襟元(えりもと)をしっかり掴み、流れるような動きで背負い投げを仕掛けた。


 しかし、


「――甘い」


「え?」


 俺の投げはいとも簡単に返されてしまい、


「う、うぉおおおお……がっ!?」


 気付いたときには、真っ逆さまになって頭から地面に激突していた。


「い、()つつつ……ッ」


「ふっ、儂を投げ飛ばそうなど百年早いわ」


 彼はパンパンと手を払い、不敵な笑みを浮かべた。


 その後も散々好き放題に投げられ、頭にいくつものたんこぶをこさえたところで――。


「うぅむ、もうすっかり真っ暗じゃのぅ……。よし、今日のところはここまでにしようか」


「……あ、ありがとうございまし、た…………」


 やっと・ついに・ようやく、本日の修業が全て終了した。


 黒影家に戻った俺は、明日に疲れを残さないよう全身の筋肉をゆーっくりと伸ばしていく。

 神様はその間、囲炉裏(いろり)でお鍋を作ってくれていた。


 ぐつぐつと煮立った鍋からは、だし汁のいいにおいが漂ってくる。


(あぁ、これはもうたまらないな……っ)


 彼には意外にも家庭的なところがあり、毎日こうして晩ごはんを作ってくれていた。

 それがまぁ黒影家の味というか、なんというか……凄く懐かしい(・・・・)感じがして、じんわりと心に()みるのだ。


「――さぁ、出来たぞ。遠慮せず、好きなだけ食べるといい」


 神様はそう言って、湯気の立ち昇る小皿をこちらへ突き出した。


「ありがとうございます!」


 そこには熱々のだしにひたった豚肉と野菜が、これでもかというほどよそわれていた。


「いただきます!」


 元気よく食前の挨拶をした俺は、


「はむ、はぐはぐ……はむはぐぐぐぐ……ッ!」


 凄まじい勢いで、目の前の『栄養』を吸収していく。


「……相変わらず、とんでもない食いっぷりじゃのぅ」


「食べなければ、体がもたないんで」


 俺は真顔で即答した。

 神様の課す地獄の修業を耐え抜くには、尋常ならざる栄養が必要なのだ。


「くくっ、そうか。ならば、死ぬほど食べるがいい」


「はい!」


 そうして晩ごはんをお腹いっぱい食べた俺は、洗い場で後片付けを済ませ、寝支度を整えていく。


 神様はその間、ただただジッと囲炉裏の火を見つめていた。

 何故だかわからないけど、その背中はとても寂しそうだった。


(……これはいい機会かもな)


 俺は彼の右隣に腰を降ろし、これまでずっと気になっていたことを質問してみることにした。


「あの……。実は以前からお聞きしたいことがあったんですが、いいでしょうか?」


「ん……? あぁ、構わんぞ」


「ありがとうございます。それでは早速――神様はあの何もない真っ白な世界で、いったい何をしていたんですか?」


 彼はほんのわずかに目を見開き、それからゆっくりと髭を揉んだ。


「儂はのぅ……『時の盟約』を果たすため、『約束の時』を待ち続けておるんじゃ。千年もの間、あの場所でずーっとな……」


 神様はどこか遠いところ見つめながら、静かにそう語ってくれた。


「その……時の盟約と約束の時って、どういうものなんですか?」


「それは……今の(・・)時近には(・・・・)まだ(・・)言えん(・・・)。ただ――この先お前が真っ直ぐ進めば、いつか打ち明けられるときが来るだろう」


 神様はそう言って、ポンポンと俺の頭を叩いた。


「さぁ明日も早い。今日はもうそろそろ寝る時間だぞ?」


「そう、ですね……」


 どうやらこれ以上、今は話してくれなさそうだ。

 俺はゆっくりと立ち上がり、寝室へ足を向ける。


「――おやすみなさい、神様」


「あぁ、おやすみ」


 こうして無限地獄でのとある一日が幕を下ろしたのだった。



 そうして一年間、俺は徹底的に……いや本当やり過ぎなんじゃないかというぐらい、徹底的にしごき抜かれた。


 そのおかげで、身体能力は見違えるほどに向上した。

 今では早朝の滝行は六時間。巨岩を背負っての山登りは、下りも合わせて三往復もこせるようになった。


(残念ながら、神様との組手で一本は取れなかったけど……)


 それでも体捌(たいさば)きは、まるで別人のように成長した。

 当初の目標である『身体能力の向上』は、十分達成できたと言えるだろう。


 それから先の一年は、ひたすら剣術の基礎を磨いた。

 最初は素振りから始まり、各種斬撃への防御術、立ち回りなど、ありとあらゆることを叩き込まれた。


 そうして剣術の基礎を身に付けた後は、剣術の応用――流派の技を学んでいく。


 神様は本当に凄い人で『火の太刀』・『水の太刀』・『雲の太刀』など、この世に存在するありとあらゆる流派に精通しており、俺はそのうちの一つ『黒の太刀』を教えてもらった。


 なんでもこれは、彼が最も得意とするものらしい。


 壱式(いっしき)から拾弐式(じゅうにしき)までの多種多様な斬撃、その全てを会得するまでに三年もの月日を要した。


(ここまでの修業に費やした期間は――五年)


 思い返してみれば、本当に地獄のような五年間だった。


 全身に及ぶ筋肉痛と打撲、幾度となく破れた手のマメ。

 ただ歩くだけでも鈍い痛みが走り、お茶碗を握ることさえ苦痛に感じた。


 そのおかげもあってか、最近は痛みに対して強く……いや、鈍くなってきた。


(きっと心が疲れ過ぎて、感覚が麻痺してしまっているのだろうな……)


 こうして身体能力を磨き、剣術の基礎を学び、流派の技を習得した俺は――いよいよ『最後の修業』、神様との真剣勝負を行う。


 時は早朝、場は黒影家の正面。


 俺は抜き身の時渡の刀を握りながら、彼は古びた木刀を持ちながら、互いに視線をぶつけ合った。


「……行きますよ?」


「うむ、遠慮はいらん。殺す気で来るがいい」


 短くそう言葉を交わした後、俺は力強く地面を蹴り付ける。


「はぁああああ――セェイ!」


 袈裟切り・斬り上げ・斬り下ろし・突き・薙ぎ払い、これまでの過酷な修業で身に付けた斬撃を全力で放っていく。


「ほぉ……悪くない」


 神様はそれをときに躱し、ときにいなし、ときに斬り払い――こともなげに(さば)いていった。


「くっ……。こ、の……!」


 俺がさらに一歩踏み込んだそのとき、


「――悪くはないが、少々攻め急ぎ過ぎじゃのぅ」


 横薙ぎの一閃が、俺の脇腹を打ち抜く。


「が、はぁ……っ!?」


 凄まじい衝撃が腹部を走り、肺から空気が絞り出された。

 転げ回るほどに痛かったけれど……なんとかそれを噛み殺し、すぐに神様の方へ向き直る。


「はぁはぁ……。もう、一本……お願いします!」


「ふっ、よかろう。何度でも向かって来るがいい」


「はい……!」


 それから俺は、何度も何度も彼に剣を向けた。


 しかし、


「うぉおおおお!」


「――もっと脇を締めろ」


「がっ!?」


「はぁああああ!」


「――ほれ、足元が留守になっておるぞ?」


「はぐっ!?」


「こ、このぉおおおお!」


「――踏み込みが甘い」


「へぶっ!?」


 俺の斬撃はいとも容易く捌かれ、その度に痛烈な一打が体を襲った。


「真剣で斬られたときの痛みは、こんなに甘いものじゃない。『痛み』とはこれから長い付き合いになるんじゃ、今のうちから慣れておくといい」


「は、はぃ……」


 それから三年間、俺は来る日も来る日も神様に挑み続けた。


 しかし、どれだけやっても彼に一太刀を加えることはできず……。

 ここまで順調に進んできた修業が、一気に暗礁(あんしょう)へ乗り上げた。


「……行くぞ、時近」


「はい」


 神様はここ最近、めっきり言葉数(ことばかず)が減った。

 きっといつまでも成長の兆しがない俺に対し、呆れているのだろう。

 その後さらに二年が経過したある日、俺たちはいつものように黒影家の前で向き合っていた。


「――残念じゃが、どうやらお前には『剣術の才能』がないらしい。修業はもうこれっきりで終わりにしよう」


 神様はそう言って、右手を前にかざす。

 すると――創造の秩序が発動し、時渡の刀とそっくりの贋作(がんさく)が生み出された。


「せめてもの情けじゃ。儂がこの手で、幕引きにしてやろう」


 彼はゆっくりと抜刀し、正眼の構えを取る。


「か、神様……? いったい何を言っているん――」


 俺がそう呟いた次の瞬間、


「――ぬぅん!」


「……っ!?」


 とてつもない斬撃が、目と鼻の先を通過した。

 振り抜かれた刃は頭髪を断ち、そのままの勢いで豆腐のように地面を斬った。


 俺は大きく後ろへ跳び下がり、ひとまず距離を取る。


(ほ、本気だ……っ)


 木刀ではなく真剣、稽古ではなく本番。

 殺意の(こも)ったその一撃は、体の芯を凍えさせるほどの迫力があった。


「――構えろ、時近。次は外さんぞ?」


 彼は鷹のように鋭い目で、ジッとこちらを見つめる。


「なん、で……どうしてですか? どうして急に終わりだなんて言うんですか!?」


「同じことを二度言わせるな。――お前には呆れるほど『剣術の才能』がない。この十年で、それが嫌というほどわかった。これ以上はもう時間の無駄じゃ」


「確かに俺には、才能がありません……。だけど、剣とは決して『才能』で振るうものじゃない! 自分自身の根源――『心』で振るうものなんだ!」


 父さんの最期の言葉、それを否定させるわけにはいかない。


「……ふん、口だけは一端(いっぱし)じゃのぅ。ならば問おう。お前の剣に『(まこと)の気持ち』は載っておるか? その一振りに『(まこと)の覚悟』はあるのか?」


「……っ」


 その問い掛けに対し、俺は咄嗟に答えることができなかった。


「この無限地獄におる限り、時間は無限のように存在する。しかし、時近はそれに甘えて、『今』をおろそかにしていなかったか? 『次』を見て、どこか気を緩めていなかったか?」


 ……確かに、その通りだ。


 俺の心には、甘えのようなものがあった。

 今日が駄目でも明日が、明日が駄目でも明後日が――。そんな先延ばしの、どこか弱気で臆病な気持ちがあった。


「あるかどうかもわからぬ明日へ望みを託し、今を死ぬ気で生きようとせん。そんな腑抜けた心持ちでは、この無限地獄を突破することなど未来永劫(えいごう)できぬわ!」


 神様は語気を荒げ、勢いよく斬り掛かってきた。


「ぐ……っ」


 俺は全神経を集中させ、迫りくる斬撃を紙一重で(さば)く。


(お、重い……っ)


 彼の斬撃は、信じられないほどに重かった。

 そこには単純な『技量』以上の差が、『覚悟』の差があった。


 どうやら神様は、とてつもなく大きなナニカを背負っているらしい。


「お前はあの日(・・・)、その身をもって理解したはずだ! この世界はどこまでも残酷で、不条理と不合理に満ちておるということを……!」


 彼は鋭い斬撃を繰り出しながら、声を大にして叫んだ。


 俺は歯を食いしばりながら、あの地獄の一日を思い出しながら、必死にその攻撃を防ぎ続ける。


「死が目前に迫ったあの(・・)瞬間(・・)を思い出せ! あのときお前は何を思った、何を憎んだ、何を願った!」


 神様は語気を荒げ、さらに攻勢を強めていく。

 完全に防戦一方、反撃を挟む余地もない。


「父と母は殺され、弟と妹は食われた! あの悲劇を覆したくはないのか!? 大切な家族を守りたくはないのか!? お前の『覚悟』とは、その程度のものだったのかッ!」


 言い切ると同時、大上段からの斬り下ろしが放たれた。

 俺は剣を水平に構えて、なんとかその一撃を受け止めたが……。


(なんて力だ……!?)


 その威力に耐え切ることができず、遥か後方へ吹き飛ばされ、


「か、は……っ」


 大木に全身を打ち付け、そのまま重力に引かれて地面にずり落ちていく。


(く、そ……っ)


 明滅する視界、失われた平衡感覚。

 薄れゆく意識の中、俺の脳裏をよぎったのは――命の灯が消えるあの瞬間(・・・・)だ。


 牛頭鬼(ミノタウロス)と戦い、瀕死の重傷を負った父さん。

 彼はまともに呼吸できない状態でありながら、俺のことを信じて残された家族のことを託した。


(……そうだ)


 禁じ手を使ってまで、牛頭鬼(ミノタウロス)の足止めをしてくれた母さん。

 彼女はその身を焦がす激痛に(さいな)まれながらも、最後まで俺たちに逃げるよう言ってくれた。


(俺にはまだ……)


牛頭鬼(ミノタウロス)に食い殺されてしまった、時男と時子。

 二人は最後の最後までこんな弱い俺を信じ、必死に助けを求めていた。


(やるべきことが……。やらなければいけないことがあるんだ……ッ)


 朦朧(もうろう)とする意識を殴り付け、ゆっくりと二本の足で立ち上がる。


(……全部、神様の言う通りだ。俺には――俺の剣には、『気持ち』が足りなかった)


 神を斬るという強固な『覚悟』が。

 世界を改変するという強靭な『意思』が。


(そして何より、みんなを守るという強い『決意』が……!)


 覚悟を決め、意思を固め、決意を(みなぎ)らせたその瞬間――体の奥底から不思議な力が湧いてきた。

 それと同時に時渡の刀の鮮やかな刀身が、夜闇(よやみ)のような『黒』へ染まっていく。


「ふっ、長かったのぅ。ようやく目覚めたか……」


 漆黒の刀を見た神様は、まるでこの瞬間を待ち望んでいたかのように微笑んだ。


(これはまさか……『因子の力』……!?)


 いやでも、それはあり得ない(・・・・・)

 都で適性検査を受けたあのとき、はっきり『無因子』だと宣告されたはずだ。


 そうして俺が困惑していると、


「――時近よ。今のその状態を、感覚を、心の在り方を、決して忘れるな。記憶ではなく、体の芯へ刻み込め」


 神様はそう言って、静かに剣を構えた。


「……はいっ!」


 この力がなんなのか、そんな細かいことは後でいい。

 今この瞬間にすべきことはたった一つ、目の前の『神』を斬ることだけだ。


 俺と神様は何も語らず、ただ視線をぶつけ合った。


 そして――まるで示し合わせたかのようにして、同時に動き出す。


「――はぁああああああああ!」


「ぬぅおおおおおおおお!」


 互いの雄叫びが響き、二本の刀が交錯した。


 その一瞬で、決着はついた。


「――見事、じゃ」


 神様の持つ刀が真っ二つに折れ、その胸元に大きな太刀傷が走る。


「はぁはぁ……っ。や、やった、ついにやったんだ……ッ。あの神様に……一太刀を入れたぞ……!」


 十年以上もの歳月を掛けた過酷な修業、それが今ようやく実を結んだ。


(父さん、母さん、時男、時子……。俺は、兄ちゃんはやったぞ……! これでまたみんなで一緒に……ッ)


 胸の奥底から込み上げる熱い思いを噛み締めながら、ゆっくりと顔を上げた。


 するとそこには、負傷した胸部を治療する神様の姿があった。

 彼が指先で胸元を撫でれば――そこにあった太刀傷は、まるで時を巻き戻すみたいに塞がっていく……はずだった。


(……あれ?)


 しかし、『時の秩序』はいつまで経っても発動せず、傷口からはただただ鮮血が滲み出すばかりだ。


「神、様……?」


 不審に思ってそう声を掛けると、


「ふっ……。やはり、限界じゃ、の……」


 彼はポツリと呟き、その場で膝を突いた。


「か、神様、大丈夫ですか!?」


「……あぁ、心配は無用じゃ。ただの斬撃では、『神』を滅ぼすことはできんからのぅ……。少し安静にしておれば、やがて傷は塞がっていくだろう……」


 神様はそう言って、ゆっくり呼吸を整えていく。


「よ、よかった……」


 俺がホッと安堵の息をつけば、彼はよろめきながらも二本の足でなんとか立ち上がった。


「儂のことはさておき……よくやったな、時近。ここまで本当によくがんばった」


「あ、ありがとうございます……っ」


 彼に褒められるのなんて、いったい何年ぶりのことだろうか。

 その言葉はじんわりと胸に浸透していき、温かい感情が込み上げて来た。


「それと……その、なんだ……先はひどいことを言って、すまんかったのぅ。もう時間がなかったゆえ、少々荒療治(あらりょうじ)を取らせてもらった」


「いえ、気にしないでください。それよりも『時間がない』って、どういうことですか?」


 この無限地獄にいる限り、時間は無限のように存在する。神様は以前、そう言っていたはずだ。


「……『時の秩序』の連続行使により、儂はひどく消耗してしまった。もはやこの世界を維持することはおろか、(ろく)に時を巻き戻せんほどに、な……」


「なっ!? そ、それじゃ――」


「――案ずるな。あの悲劇を回避するのに必要な時間は、儂が責任をもって作り出す」


 彼ははっきりそう断言した後、ゴホンと咳払いをした。


「それではこれより無限地獄を解き、世界の時を巻き戻そうと思うのじゃが……。その際、お前の『記憶の時』も同時に巻き戻させてもらうぞ」


「記憶の時を巻き戻す……?」


「うむ。まぁ早い話が、儂に関する全ての記憶を消し去るのじゃ」


「ど、どうしてそんなことをするんですか!?」


 神様との修業の日々は、確かに地獄のように苦しかった。

 しかし、今となってはそれも大切な財産だ。

 それに何より、恩人である彼のことを忘れたくはない。


「今はまだ詳しく話せんが……。現実世界には、儂を狙う『悪しき敵』がおるのじゃ。そやつは恐ろしく強いうえ、多種多様な力を操る。人間の記憶を読み取るなど、造作もないことだろう」


 神様の言葉からは、隠しきれない強烈な敵意が読み取れた。


「儂と時近の繋がりを知れば、そやつは間違いなくお前の命を狙う。まぁ遅かれ早かれ、いずれは嗅ぎ付けて来るじゃろうが……。可能な限り、それは先延ばしにしたい。そのための時間稼ぎとして、ここでの記憶は消しておかねばならぬのだ」


「……わかりました」


 俺は仕方なく、コクリと頷いた。

 神様が何か大きなものを背負っていることは、さっきの剣戟(けんげき)を通じて既に知っている。


(記憶が消えるのは、確かに悲しいけど……)


 ここで変に駄々をこねて、彼を困らせるようなことはしたくない。


「ふっ、そう寂しそうな顔をしてくれるな。何もこれが、今生(こんじょう)の別れではないのだからのぅ」


「また、会えるんでしょうか?」


「もちろんじゃ。お前がこのまま真っ直ぐに育てば、いつか必ず(・・)相まみえるときが来る。時近の成長した姿が見られるそのときを、楽しみにしておるぞ」


 彼はそう言って、優しく頭を撫ぜてくれた。


「時の神様、今まで本当に……本当にありがとうございました……っ」


 俺は十年分の感謝を込めて、しっかりと深く頭を下げた。


「……この先、つらいことも苦しいこともあるじゃろう。しかし、お前ならばどんな困難にも打ち勝てる。儂はそう信じておるぞ」 


「はい……!」


 神様は優しく微笑むと同時に右手を薙いだ。

 すると次の瞬間――無限地獄の舞台であった霞山(かすみやま)が、俺たちの立つこの世界が、光の粒子となって崩壊していく。


「――達者でな」


「神様もお元気で……!」


 こうして無限地獄を突破した俺は、元の世界へ帰還したのだった。


「――時近、本当の(・・・)無限地獄(・・・・)はここからじゃ。しかし、お前ならいつか絶対に突破できる。儂は……()は、そう信じているぞ」

※とても大事なおはなし!


広告の下にあるポイント評価欄【☆☆☆☆☆】から、1人10ポイントまで応援することができます!(★1つで2ポイント、★★★★★で10ポイント!)

10ポイントは、冗談抜きで本当に大きいです……!


どうかお願いします!

『面白いかも!』

『続きを読みたい!』

『陰ながら応援してるよ!』

と思われた方は、下のポイント評価から評価をお願いします!


今後も『毎日更新』を続ける『大きな励み』になりますので、どうかよろしくお願いいたします!


↓広告の下あたりにポイント評価欄があります!

  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。