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魅魔竜伝 ‐壱‐ 作者:北原樹恒
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七章

 なのに、どうしてだろう。

 結局あの時、とどめを刺せなかったのだ。

 重ねてしまった。

 血まみれで泣いているカンナの姿と、泣き叫びながら魔物に喰い殺された姉の姿を重ねてしまった。

 どうしてだろう。

 外見は似ても似つかないのに。

 どうしてしまったのだろう。

 泣いて命乞いをしていたのは、魔物なのだ。竜族なのだ。

 人間の天敵ではないか。

 なのに、情けをかけてしまうだなんて――

「……くそ。やっぱり、あの時に殺しておけばよかったんだ」

 不愉快な夢から覚めたカムィは、忌々しげに吐き捨てた。

 嫌な夢を見た。

 初めてカンナに出会った時の夢。

 子供の頃の夢。

「……くそっ」

 周囲を見回すが、カンナの姿はない。

 当然だ。魅魔の力で「立ち去れ」と命じたのだから。

 近くに清水を湛えた泉を見つけ、着物を脱いで身体を浸した。

 身体が、特に下半身が血で汚れている。

 怪我ではない。経血に汚れたカンナの舌で舐め回されたためだ。

「……ったく」

 鳥肌が立つほどの冷たい水が、目を覚ましてくれる。意識がはっきりして、身体の奥でくすぶっていた火照りが鎮まってゆく。

 全身を丹念にぬぐって、血と汗と泥の汚れを落とした。そうすることで、カンナに犯された事実も洗い流してしまいたかった。

 しかし。

 掌で肌を撫でていると、思い出してしまう。

 カンナの指の感触を。舌の感触を。

 頭を強く振って、忌まわしい記憶を振り払おうとする。

 あの後――

 結局殺せなかったカンナを、魅魔の血で支配して、下僕として使役することにした。

 その事はいい。

 確かに、魔物を狩る上では役に立った。

 カンナはまだ子供とはいえ、仮にも竜族なのだ。並の魔物など片手でひねり殺せる力を持っている。カムィが武器を取ることなしに魔物を狩ることもできた。

 しかし。

「う……」

 嫌な記憶が甦る。

 この一ヶ月、何度カンナに犯されただろう。

 口づけ、抱擁、そして……

 魅魔の血で支配下に置いているとはいえ、四六時中、一挙手一投足までカムィの指示で動いているわけではない。基本的には、カンナは自由意志で行動できる。

 だから、隙を衝かれたこともあった。

 拒みきれなかった。先手を取られたら、拒むことは困難だった。

 相手は竜族。血の支配下にあっても、圧倒的な魅了の力は健在だ。

 理性がどれほど拒もうとしても、肉体はあの快楽を求めてしまう。

 いったい、どれほど恥ずかしいことをされただろう。

「…………やっぱり、殺しておけばよかった」

 朱くなった頬を隠すように、カムィは顔まで泉の中に沈めた。


* * *


「……カムィは、あっちにいるのかぁ」

 カンナは不愉快そうにつぶやいた。

 もちろん、姿が見えているわけではない。気配を感じるほど近くでもない。

 だけど、わかる。

 ある方向へ向かおうとすると、いきなり脚が動かなくなる。目に見えない重圧を感じる。身体が、そちらへ進むことを拒否している。

『二度と私に近づくな』

 体内の魅魔の血が、カムィの言葉に従ってカンナを操っている。

 いい気持ちはしない。自分の身体を他人に操られているなんて、屈辱であり、不愉快でもある。

「まったく、もぅ!」

 唇をとがらせ、ぶつぶつと文句を言う。

「どうして、気持ちよくして怒られるのかわかんないよ!」

 納得できない。

 あんなに感じているではないか。

 あんなに悦んでいるではないか。

 口では反対のことを言っているが、身体は正直だ。カンナの愛撫に応え、さらなる快楽を求めている。

 なのに、行為が終わるとカムィは怒り出すのだ。

「正気保ってたって、普通はめろっめろなのにっ!」

 カムィだけだった。これまでに喰ってきた他の娘たちとは違う。

 普通は、カンナが黄金色の視線を向けるだけでたちまち魅了され、自ら進んで身体を、血を、差し出してくるものだ。そしてただ一度の行為で正気を失い、与えられる快楽を貪るだけの存在に変わる。

 カンナは何日かの間その血を楽しみ、飽きたら骨も残さずに貪り喰って終わり。腹が空いたら、また新たな獲物を探す。

 それだけだった。

 だけど、カムィだけは違う。

 ちゃんと感じているくせに、身体は快楽の虜になっているくせに、事が終わるとすぐに正気を取り戻してカンナを叱るのだ。

 自分も楽しんでいたくせに。人間同士では決して味わえない至上の快楽に酔っていたくせに。

「なんだい、カムィなんか……エサのくせに生意気だ」

 地面を蹴る。

 千切れた草が数本、風に舞った。


* * *


 断末魔の魔物の咆哮が、樹々の枝を震わせる。

 それも長くは続かず、やがて、騒がしかった森は急に静かになった。

 一抱えもある太い樹が何本も倒れている。

 その傍らで、カムィは肩で息をしていた。

 足下には、羆に似た姿の魔物の亡骸が横たわっている。おびただしい量の血が、周囲の草や地面を朱に染めている。

 カムィも血まみれだったが、そのほとんどは魔物の返り血だった。自身も無傷ではないが、深手は負っていない。

「……くそっ、雑魚のくせに手間かけさせやがって」

 忌々しげに死体を蹴飛ばす。

 この魔物を探し出してとどめを刺すまでに、三日もかかってしまった。それほどの強敵ではなかったはずなのに。

 腕が鈍っているのだろうか。

 だとしたら、何故?

 考えたくもないが、どうしても意識してしまう。

 ……カンナがいないせいだろうか。

 気配を消して潜んでいる魔物を狩り出すにも、とどめを刺すにも、確かにカンナは役に立った。カムィは己の血を餌に魔物を誘い出し、あとはカンナに命じるだけで片付いたのだ。

 最初から最後まで、自分一人で魔物を狩ったのは久しぶりだ。カンナと出会ってからは初めてだろう。

「……くそっ!」

 唾を吐き捨てる。

 頭を強く振る。長い黒髪が風を受けて広がる。あの人懐っこい、可愛らしくも憎らしい顔の記憶を振り払おうとする。

 どうにも不愉快だ。

 魔物を倒したのに、少しも心が晴れない。

 永遠に追い払ったはずの魔物の少女のことが、抜けない棘のように心に引っ掛かっている。

 考えたくもないのに。

 忘れたいのに。

 気にかかって仕方がない。

 あれから五日が過ぎている。カンナは今頃なにをしているのだろう。

(――っ!)

 そこでふと、大変なことを思い出した。

 カンナは、魔物なのだ。

 放っておいたら、また人間を襲っているかもしれない。

 外見に騙されてしまいがちだが、カンナはあれでも竜族だ。その気になれば、一人でも街のひとつくらい簡単に滅ぼせる力を持った魔物なのだ。

 腹を空かせたら、なにをしでかすかわかったものではない。

 なにを考えていたのだろう。あんな危険な魔物を野に放つだなんて。

 責任を持って支配下に置いておくか。

 殺してしまうか。

 どちらかを選択しなければならなかったはずだ。

 このまま放っておいては、またどこかで犠牲者が出る。

 やっぱり連れ戻すべきだろうか。

 しかし今さら、あの顔を見るのも不愉快だ。

 どうしたらいいものだろう。

 様々な想いが交錯する。

 この日は結局、結論は出せなかった。


* * *


「喉……乾いた、な……」

 川の岸辺に腰掛けたカンナは、大きく口を開いて喘いだ。

 傍らには、大きな鹿の亡骸が横たわっている。毛艶の具合からすると死んでから間もないもののようだが、大きく剔られた傷からは一滴の血も流れ出してはおらず、身体は半ば干涸らびているようだった。

 カンナの口の周りだけ、べっとりと血で汚れている。長い舌が無意識に動いてそれを舐め取る。

 腹が空いていた。

 喉が渇いていた。

 満たされない。

 どうしても満たされない。

 どれほど獣の血肉を喰らっても、この餓えは満たされない。

 どれほど瑞々しい果実であろうと、この渇きを癒してはくれない。

 こんなものではだめだ。

 獣なんか。果実なんか。

 この餓えを、渇きを、癒してくれるのは獣なんかじゃない、果実なんかじゃない。

 生きていくことはできる。

 獣の血肉でも、甘い果実でも、生きていくことはできる。

 だけど、決して満たされることはない。

 この餓え。この渇き。

 それでも、生きていくことはできる。

 死ぬことはない。死ぬことはできない。

 いっそ死んだ方が楽になれるほどの、餓えと渇きに苛まれ続けても。

「……あ」

 気配を感じて顔を上げた。

 川の向こうに人間がいる。

 近くにある集落から来たのだろう。川縁の軟らかな土に生えた野草を摘んでいる。

 カムィよりも少し年下くらいと思われる少女。

 その白く細い首筋に、視線が吸い寄せられる。

 ゴクリ……

 喉が鳴る。

 血が欲しい。

 新鮮な血。

 生きている人間の血。

 あの細い首に牙を突き立てて生き血を啜ったら、どれほど気持ちいいだろう。餓えも、渇きも、たちまち癒されるに違いない。

 ……襲ってしまおうか。

 簡単なことだ。

 娘の前に進み出て、黄金の視線を向けるだけでいい。

 それだけで魅了できる。あの娘は自ら進んで、その肢体を差し出してくる。

 思うがままに血肉を喰らうことができるのだ。

 そう、簡単なこと。

 一度立ち上がりかけて、しかしすぐにまた腰を下ろした。

 頭を左右に振る。

 だめ。

 だめなのだ。

 人間を襲ってはいけない。

 どうして?

 どうして、襲ってはいけない?

 ずっと、そうやって生きてきたはずなのに。

 ……わからない。

 もう、わからない。

 だけど、人間を襲ってはいけない。

「……だめ……だめなの……、でも……喉、渇いた……よ」

 ゆっくりと倒れるように、カンナはその場に横になった。


* * *


 妙だ。

 小さな泉のほとりで休憩しながら、カムィは首を傾げた。

 カンナと別れてから十日になるのに、竜の被害が出たという噂を聞かない。

 人の集まる場所を通りかかるたびに探りを入れてみたが、この辺りでは最近、魔物の被害は出ていないようだ。

 おかしい。

 どこで、なにを喰っているのだろう。

 最後に飲んだカムィの血の効力など、せいぜい五、六日しか続かない。今はもう、カンナを縛るものはないはずなのだ。

 なのに、何故?

 どこか遠くへ移動したのだろうか。噂もすぐには届かないくらい遠くへ。

 そうかもしれない。

 噂がカムィの耳に入るところで人間を襲えば、狩られることは嫌というほどわかっているだろう。

 竜族は魔物の中でももっとも高い知能を持つのだ。あえて火中の栗を拾わず、魅魔師のいない土地へ移動するくらいの知恵が働かないはずがない。

「……くそっ」

 腹立たしい。

 カンナが、ではない。

 自分の迂闊さが。

 なんたる失態だろう。

 人間の手には負えないあの魔物を、自分の手の届かないところへ追いやってしまうだなんて。

 くそっ!

 くそっ!

 くそっ!

 カンナに不覚を取った時以来の大失態だ。

 こちらから探しに行くべきだろうか。

 そうするのが一番いいとわかっていながら、どうしてもその気になれない。

 しかし。

 いや、でも。

 この十日間、数え切れないほどに繰り返してきた葛藤。

 答えは出ない。

 小さく嘆息しながら、泉の水を汲もうとする。

 ……と。

 不意に、感じた。

 魔物の気配。

 瞬時に全身の神経を研ぎ澄まして気配を探る。

 そして緊張を解いた。

 これは、かなり遠い。カムィが魔物を感じ取ることのできるぎりぎりの距離。すぐには脅威とはなり得ない。

 それに――

 この気配、憶えがある。

 この気配は……そう、一番なじみ深い魔物のものだ。

 向こうもこちらに注意を向けている気配がある。だとしたら一人しかあり得ない。

「なんだ……ついてきてるのか。未練たらしい奴」

 小さくつぶやいたところで、水面に映った自分の顔に気づいた。

 ……いったい、なにを笑っているのだろう。

 手に持った水筒を乱暴に泉の中に入れる。鏡のような水面が乱れ、カムィの顔が消えた。


* * *


 その気配は、本当に微かなものだった。

 カムィだから気づいたのだ。普通の人間はもちろん、並の魅魔師ですらなにも感じなかっただろう。

 だから、カムィを責めることはできない。

 その、遠く微かな気配が、カンナと似てはいるが、まったく同一ではないことに気づかなかったとしても――


* * *


「あ……ぁ、喉……渇いた……」

 カンナは、口を開いて苦しそうに喘いでいた。

 喰い千切られた獣や鳥の亡骸や、一口囓っただけの紅い果実といったものが散らばる中で、砂漠で力尽きた人間のように苦しみもがいている。

 どうやっても餓えが満たされない。渇きが癒されない。

 獣の血でも、果汁でも。

 満たしてくれるものは、たったひとつだけ。

 いま望むものは、ひとつだけ。

 人間の……

 いや、違う。

 違う。

 そうじゃない。

 人間、じゃない。

 欲しいものは、ひとつだけ。

 ほら。

 目を閉じると浮かんでくる。

 紅い瞳で、こちらを睨んでいる顔。

 そう。

 欲しいものは、たったひとつだけ――

「カ……」

『苦しそうね』

 突然の声。

 自分よりもずっと大人っぽいその声に、はっと顔を上げる。

 一瞬、求めていた人物かと思った。

 だけど、違う。

「だ……れ……?」

 横たわっているカンナを見下ろす人影。逆光になって顔ははっきりと見えない。それでも、口元が笑っているのが見えた。

『捨てられたの? 可哀想に』

 哀れむような言葉とは裏腹に、この状況を楽しんでいるような笑み。

 かすかに開いた唇の隙間から、鋭い牙が覗いている。

「……あ」

 外見は、人間だ。

 カムィよりももっと年上の、妖艶な雰囲気を漂わせた美しい大人の女性。

 だけど、人間ではない。

 背中まである、明るい朱の髪。

 輝くような赤銅色の瞳。

 どちらも、人間にはあり得ないもの。

 それ以外の姿形と、まとっている気配は、まったく人間と変わらないのに。

「……仲……間?」

 そう。

 仲間。

 魔物、だ。

 もっと正確にいえば、もっとも強い力を持つ魔物。

 ――竜族。

『お嬢ちゃん、名前は?』

「カ……ン、ナ」

『私はイメル。言うまでもないだろうけど、あなたの仲間よ』

「仲……間?」

 そう、仲間。

 同じ種。

 イメル――雷光を意味するその名前は、カンナと同じく、偉大なる竜の末裔であることの証。

 初めてだった。

 親の許を離れて以来、同族に遇うのは初めてだった。

『渇いているのね。可哀想に……ほら』

 イメルは、呆然としていたカンナの頬に手を当てて上を向かせた。

 顔が近づいてくる。

 長い舌を伸ばし、そこへ自分の牙を突き立てる。

 滲み出てくる紅い血。

 芳醇な香りが本能を刺激する。

「あ……ぁ……」

『私の血なら、とりあえずの渇きは癒えるでしょう。今のままじゃ、動くこともできないわ』

 唾液に混じって、舌の上に広がっていく紅い液体。

 その鮮やかな色彩に、意識が囚われる。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 あれが欲しい。

 あれなら。

 あれなら。

 癒してくれるのかもしれない。

 如何ともしがたいこの餓えを、この渇きを。

 震える手を伸ばす。イメルの顔に。

 震える舌を伸ばす。イメルの口に。

 舌先が触れる。

「……っ!」

 瞬間、全身が痺れるような衝撃が走った。

 美味しい!

 なんて、力に満ちた血!

「は……ぁっ!」

 ひと舐めしてしまったその後は、無我夢中だった。

 精一杯に舌を伸ばす。小さな傷から滲み出てきた唾液混じりの血を、一滴残らず貪る。

 餓えが、渇きが、癒されていく。

 衰弱しきっていた身体に、力が甦ってくる。

 この血なら――

「はっ……はぁっ……あっ」

 爪が喰い込むほどの力でイメルにしがみついて、必死に舌を絡める。

 もっと。

 もっと。

 もっと。

 もっと。

 もっと、欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しいっ!

 涙が……

 どうしてだろう、涙が溢れてきた。

 どうしてだろう、理由はわからない。

 止まらない。

 止まらない。

 もう……

 もう……充分なはずなのに。

「どうして……」

 まだ、舌が動いてしまう。血を貪ろうとしてしまう。

 イメルにしがみついた手は、離れようとしない。

 だって。

 だって。

「どうして……どうして、オナカいっぱいにならないの……?」

 足りない。

 足りない。

 満たされない。

 美味しい血なのに。

 力溢れる血なのに。

 だけど……違う。

 違う、違う、違う、違う!

 イメルの血は美味しくて、力に溢れている。

 だけど『甘く』ない。

 カムィの血のように、甘くないのだ。

「どうして……」 

『……私の血じゃ満たされない?』

 カンナは泣きながらうなずいた。

『そうよね、当然だわ。魅魔の血の味を知ってしまったんですもの』

「魅魔……」

 魅魔の血。

 魔物を酔わせる至上の血。

 そうだ。

 あの血じゃなきゃだめだ。

 魅魔の血じゃなきゃだめだ。

 甘い、気が遠くなるほど芳醇な香りを放つ、カムィの血じゃなければ。

『わかるわ』

 イメルが耳元でささやく。カンナの内腿を指先でなぞりながら。

『もっとも純粋な魅魔の血を受け継ぐ娘。彼女の血は素晴らしいわ。この世にふたつと残っていない至高の血……よねぇ?』

「……っ、ん……」

 太腿を上ってくる指が敏感な部分に触れ、カンナの身体が小さく弾む。

「あ……や、ぁん……」

 耳を軽く噛まれる。そのまま、耳たぶをくすぐるようにささやかれる。

『あの血が欲しいのでしょう、ねぇ?』

「う……ぅ……」

『正直に言ってごらんなさい? あなたの本心を』

「――っ」

 指が、入ってくる。

 全身が強張る。

 落雷に打たれたような衝撃だった。

 何度も何度も、身体が痙攣を繰り返す。

「あ……ぁ、あっ……」

『欲しいのでしょう? あの魅魔の血を、あの竜殺しの娘の血肉を、喰らいたいのでしょう?』

「……う……う、う……ん、うん……欲しい……欲しいの」

 カンナはうなずいていた。うなずかなければいけない気にさせられていた。

 イメルの言葉と、中で動いている指に操られるように、何度も首を振る。

『素敵でしょうね、あの血を、あの肉を、思うがままに喰らったら。……どうして、そうしないの?』

「どうして、って……」

 どうして……どうして?

 ……そうだ。

 いったい、どうしてだろう。

 どうして、そうしなかったのだろう。

 カムィが魅魔師だと気づかなかった最初こそ不覚をとったが、魅魔の技の秘密はもう知っている。なんとでもやりようはあるはずだ。

 いつもカンナを睨みつけているようなカムィだって、その気になればいくらでも隙は見出せる。

『魔物の霊長である竜族が、人間ごときに支配されて恥ずかしくはないの? 人間に支配されて、一滴の血のために尻尾を振って……おかしな話じゃない?』

 そうだ。

 そうだ。

 そんなのおかしい。

 間違っている。

 本来、逆であるべきなのだ。

 竜族は、この地上で最強の存在ではないか。人間は、竜族に与えられた極上の餌なのだ。

『カンナ……その名の意味をわかっているの? あなたはただの竜族ではないのよ?』

「わかってる……わかってるよ。でも……」

 でも。

 でも。

 どうしてだろう、決心がつかない。

『我慢してどうなるの? その渇きは決して癒されない。だからといって、それで死ぬわけでもない。永遠に苦しみ続けるだけ。苦しみから解放される方法はひとつだけ。あなたも、わかっているのでしょう?』

 わかっている。

 よくわかっている。

 方法はひとつだけ。

 カムィを襲い、血肉を喰らって殺せばいい。

 あの血肉をすべて喰らえば、カンナはもっともっと、ずっと強くなれる。

 カムィを殺せば、もう魅魔の力に縛られることもない。

『大丈夫、あなたらならできる。二度と魅魔師ごときに不覚をとることなどない。私も力を貸してあげる』

「ん……ぁ……ぅ」

 指の動きが速くなる。無理やり、言葉を絞り出させようとする。

『永遠に苦しみたいの? やりなさい、他に術はないのよ』

 やりなさい――

 耳元でささやかれる、強制の言葉。

 有無をいわせず、相手を従える力を持った言葉。

 竜族には、その力がある。

 そしてなにより、耐え難い渇きがカンナの理性を奪っていた。

「…………うん」

 カンナはうなずいた。

 そうだ。

 もう一度、力強くうなずく。

 イメルの言葉に従えば、もう苦しまなくても済むのだ。




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