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魅魔竜伝 ‐壱‐ 作者:北原樹恒
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六章

「……許せない……許さない……」

 カムィは口の中で、何度も何度も繰り返していた。

 竜族、だって?

 この、一見可愛らしい金髪の少女が?

 私を汚した魔物が?

 よりによって竜族だって?

 竜族――最強の魔物。

 生まれ故郷の村を滅ぼしたのが竜族。

 母を、姉を、親戚や友人たちを殺したのが竜族。

 魅魔師の里で生き残った者は二十人に満たず、その多くが傷ついていた。

 気を失っていたカムィは、ライケとタシロに連れてこられた隣村で目を覚まし、そこで母親の死を知らされた。

 母は、魔物の一体と刺し違えて息絶えていたらしい。

 村を襲った三体の竜族のうち、残りの一体の行方はわからなかった。ただ、魔物のものと思われるおびただしい量の血の痕が、村の外へ続いているのだけが見つかったという。

 その後、魅魔師の里の僅かな生き残りは、付き合いの深かった近隣の村で暮らすことになった。

 あの事件以来、カムィは変わった。生前のシルカをも凌駕する強い魅魔の力が発現するようになり、人間に害を為すか否かに関わらず、魔物を狩ることだけにすべてを費やしてきた。

 そして十年が過ぎ――

 今、最大の仇が目の前にいる。

 竜族。

 許せない、許さない。

 自分は、こいつらを滅ぼすために今日まで生きてきたのだ。

 傍らに、引き裂かれた衣服が落ちていた。手を伸ばして短剣を抜く。

 装飾の施された柄を、両手で握りしめる。

 腰が抜けていて、脚に力が入らなかった。それでも震える脚で立ち上がる。

「…………許さない!」

 萎えた脚は体重を支えることができず、よろけて倒れそうになる。そのまま体重を預けて、身体ごと体当たりしていった。

 不思議そうに目を見開いている魔物の少女に向かって。

 刃が根本まで肉に埋まる、確かな手応えが伝わってくる。

「……え?」

 なにが起こったのかわからないといった表情で、魔物は自分の胸を見下ろす。

 そこには短剣が深々と突き刺さっており、赤黒い血が滲み出てきていた。

「な……なんで……?」

「……私の……血は、たっぷりと飲んでいるな?」

 そう、本当にたっぷりと。

 並の魔物相手の狩りなら、血は一、二滴しか要しない。この魔物は、それとは比べものにならない大量の血を口にしている。カムィの肌を切り刻み、純潔を奪い、流れ出た血のすべてを啜っているのだ。

 それは、魔物の身体を完全に支配できるほどの量。

 武器など用いず、言霊の力だけで魔物に死をもたらすことができるほどに。

 しかしカムィは、そんな簡単に片付く手段を選択するつもりはなかった。

 シルカは、原形をとどめないほどずたずたに喰い千切られたのだ。

 こいつを、同じ目に遭わせてやる。

 思うように動かないこの身体でも、自分の手で一寸刻みに切り刻んでやらなければ気が済まない。

「なんでぇ……見えてたのに……、身体が……動かないよ……うぁっ!」

 根本まで突き刺さった短剣を一気に引き抜く。

 傷口から鮮血が噴き出す。

 抜いた短剣を頭の上まで持ち上げ、再び叩きつけるように振り下ろす。

「あああぁっ!」

 血飛沫。

 甲高い悲鳴。

 黄金の髪が揺れる。

「許さない……殺してやる……殺してやる!」

 二度、三度。繰り返し刃を突き立てる。

 その度に紅い飛沫が飛び散る。

「いっ、痛ぁいっ! な……なんでっ」

 魔物は腕を上げて顔や首を庇おうとするが、その肉体はいうことを聞かず、微かに震えるだけだ。

「動かない……身体、動かないよっ」

 動くわけがない。

 魅魔の血をあれだけ貪ったのだ。

 カムィは軽い目眩を覚えるほどに血を流している。その血をすべて啜ったのだ。

 その罪は、己の生命で贖うしかない。

「やっ、やだぁっ!」

 鮮血にまみれてゆく魔物の身体。

 全身が深紅に染まるまでに、さほど時間はかからなかった。

 それでも、まだ生きている。

 相手は強靱な生命力を誇る竜族だ。この小さな刃では、たとえ魅魔の血を塗っていても簡単に絶命はしない。それに激昂のあまり、急所を狙おうにも微妙に手元が狂ってしまっている。

 しかし、時間の問題だ。

 短剣による傷のひとつひとつは大きなものではないが、それでも一突きごとに、魔物を確実に死の淵へと追いつめていく。

「いやっ、嫌ぁっ! 死にたくない! 死にたくないよぉっ!」

 魔物が泣いている。顔が、血と涙でぐしゃぐしゃになっている。

「……やかましい!」

 短剣を振り下ろす手に、さらに手に力を込める。悲痛な声で泣き叫ぶ魔物を黙らせるために。

 太い血管を貫いたのか、鮮血が水鉄砲のように噴き出してくる。

 一瞬、手が止まる。

 小さく深呼吸して、もう一突き。

「……いや……ぁ、や……」

 声に力がなくなってくる。

 身体から力が抜けていく。

 もうすぐだ。

 もうすぐ、死ぬ。

 もうすぐ、殺せる。

 魅魔師として独り立ちして以来、竜族を倒すのは初めてだった。

 いや、そもそもあの事件以来、竜族に遭うのも初めてだった。竜族は極めて数が少ない上に、本来は滅多やたらと人を狩る性質でもない。

 だから、初めてだった。

 初めて、仇を討てる。

 仇敵を倒せる。

 このために生きてきた。

 このために戦い続けてきた。

 そう考えれば、かつてない悦びと達成感を覚えてもいいはずだった。

 なのに――

 どうしてだろう。

 心が昂らない。

 むしろ、冷めてゆく。

 魔物の娘の生命が失われてゆくのと歩調を合わせるように、短剣を握る手から力が抜けそうになる。

 歯を食いしばってまた握りなおす。

 魔物にとどめを刺すために。

 最後の力を振り絞るために、息を吸い込む。

 短剣を振り上げる。

「……おね……たす……て……、死にたく……よぉ……」

 か細い声で呻いている魔物。

 飛び散った血が、周囲の草を深紅に染めている。

 もう、ほとんど意識もないのだろう。黄金の瞳は輝きを失い、焦点も合っていない。

 カムィは唇を噛んだ。

 もう一度、手に力を込める。死にかけた魔物を睨め付ける。

 竜族は、仇。

 母の。

 姉の。

 故郷の村の。

 なのに――




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