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魅魔竜伝 ‐壱‐ 作者:北原樹恒
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五章

 それは、十年以上も昔。

 カムィが五歳になって間もない頃のことだ。

 当時カムィは、母サスィと、双子の姉のシルカとともに、故郷の村で暮らしていた。

 山間の小さな村。そこは何百年も昔から、魅魔の一族が暮らす地だった。

 多くの魅魔師が住む村。

 もっとも純粋な魅魔の血が受け継がれている村。

 母は、その中でももっとも強い力を持った魅魔師だった。

 優しくも厳しい母と長老たちの許で、カムィとシルカは物心ついた頃から、魅魔師として闇の眷属と戦う術を仕込まれていた。

 優れた魅魔の血を引く一族の末裔として、二人にかかる期待は大きかった。

 しかし――


「ああ、カムィ。こんなところにいたんだ、探したよ」

 背後からの聞き慣れた声に、いちいち振り返りもしなかった。ただ黙って、目の前のせせらぎを見つめている。

 無視されたことを気にも留めず、声の主はカムィの隣に腰を下ろした。

 カムィはちらりと一瞬だけ視線を向ける。目が合って、慌てて視線を前に戻す。

 十歳という年齢の割には背が高く、大人びて見える少年。五歳のカムィから見れば、もう大人といってもいい。

 従兄のタシロ。カムィにとって、生まれた時から傍にいた兄のような存在だ。

 だから。

 タシロがなにも言わなくても、なんのために自分を探しに来たのかはわかっている。

 そして。

 カムィがなにも言わなくても、タシロもわかっていることだろう。なぜ一人でこんなところにいるのか。

 沈黙が続く。

 川のせせらぎだけが鼓膜を微かに震わせている。

 やがて――

「どうして黙ってるの?」

 先に沈黙に耐えきれなくなったのは、カムィの方だった。

「母様に言われて、連れ戻しに来たんじゃないの?」

「それがわかっているなら、どうして修行をさぼってこんなところにいるんだ?」

 からかうような口調にかちんと来る。それがこの従兄の癖であることはわかっていても。

「……私は、必要ないもの」

 短い沈黙の後、ぽつりと言った。

「修行なんてする必要はない。ううん、するだけ無駄。母様も、お祖父様もお祖母様も、シルカさえいればいいんだから」

 ぶっきらぼうに言ったつもりだったが、最後の方は涙声になった。

 涙が溢れてくる。

 哀しいからじゃない。

 悔しいから。

 だから、涙が出る。

「……だから……私なんて、必要ない」

 悔しい。

 悔しくて仕方がない。

 姉妹なのに。

 双子なのに。

 外見は瓜ふたつだ。母親はともかく、祖父母でさえ間違えることがあるほど姿形は似ているのに。

 同じ血が流れているはずなのに。

 たったひとつだけ、違っていることがある。

 どうしてこんなにも違うのだろう――魅魔の力だけは。

 シルカの力は、既に、並の魅魔師を凌駕するほどに強くなっていた。母サスィに匹敵する才能だと、大人たちはもてはやしている。

 それなのにカムィには「魅魔の素養はある」という程度の力しか発現していなかった。年齢を考えればそれでも充分に立派なものではあるのだが、なにしろカムィの一族は特別な家系であり、周囲の期待度も違う。

 サスィは本当に、群を抜いた力の持ち主だった。長い魅魔師の歴史の中でも一、二を争うと言われるほどだ。その娘が並の魅魔師では許されない。

 しかも、双子の姉は母親譲りの才能を持っているのだ。なまじ外見がそっくりなだけに、カムィはなおさら劣等感を刺激された。

 他人の視線が痛い。

 期待外れの能力にがっかりした、つまらないものを見るような蔑む目が自分に向けられている――実際には考え過ぎなのかもしれないが、劣等感に包まれたカムィにはそうとしか感じられない。

 自然と人目を避けるようになり、村の外で一人で過ごす時間が長くなった。

 魅魔の修行も身に入らなかった。

 いくら修行しても、シルカとの圧倒的な才能の差を思い知るばかりだ。この差は修練で埋められるものとは思えなかった。

 魅魔師の里にとっては、シルカさえいればいい。

 自分は、いらない人間。

 そんな考えに囚われていた。

「カムィが必要ない人間? なにを馬鹿なことを」

 いつも明るいタシロが軽く笑い飛ばす。

「カムィは充分に強い力を持ってるだろ? そんなことを言ったら俺なんか……」

「でも、兄様は剣を使えるもの」

 一般に、魅魔の力は女性の方が強く発現する。たとえ魅魔師の家に生まれても、血の力だけで魔物を倒せるほどの力を持つのは女だけだ。

 それが叶わぬ男は、剣の扱いを学ぶ。力の足りない血であっても、刃に塗ればその威力を倍加させ、魔物に対して有効な武器に変えるには充分なのだ。

 そうした者たちは魅魔剣士、あるいは単に魔剣士と呼ばれる。

 しかしカムィは女だ。

 最高の力を持った魅魔師であることを望まれる身だ。

 その期待に応えられない自分が悔しい。

「とにかく、村に戻ろう」

 立ち上がったタシロに腕を掴まれる。

「やだ、戻らない」

 意固地になって腕を振り払うが、すぐにまた掴まれてしまう。

「やだと言っても連れて帰るよ。今すぐカムィを連れ戻せって、サスィ様の命令なんだ」

 カムィの意志を無視して、強引に引っ張っていく。

 まだ十歳といっても、さすがは剣士の修行をしているだけのことはあった。小柄なカムィを引きずっていくだけの力はある。

 しばらくじたばたと暴れていたカムィだったが、やがて抵抗しても履物が汚れるだけだと悟り、仕方なく自分の足で歩き始めた。村に入ったらタシロの隙を衝いて逃げ出し、どこかの倉にでも隠れようと考えながら。

 ところが――


* * *


 わずかな時間で一変していた村内の様子に、二人は声を失って立ちつくした。

 大きく見開いた目に、見慣れた普段の村とはまるで違う光景が映っている。

 ひどい有様だった。

 あちこちの家は半壊し、火の手が上がっているものさえある。

 そこかしこには、見知った隣人たちが倒れている。武器を手にしているものも多い。彼らの周囲の土は、流れ出た血が黒い染みを作っていた。

 まるで、戦の跡だ。

 ある意味、そうかもしれない。しかし正確にいえば、これでは戦いではなく一方的な殺戮だ。

 そして戦いの相手は、人間ではあり得ない。

「まも……の……?」

 そうとしか考えられない、この惨状。

 しかし、それこそあり得ないことだ。

 そう、思っていた。

 魅魔師の里が魔物に教われるだなんて、初めてのことだ。少なくとも、カムィやタシロが知る限りではそのはずだ。

 こんなの、あってはならないことだ。

 魔物は普通、自分から魅魔師を襲うことはない。狩られる時の反撃以外では、相手が魅魔師とわかっていて戦いを挑むこともない。

 魅魔師が手強い敵であることを知っているからだ。

 そして魅魔師も、闇雲に魔物を狩るわけではない。あくまでも、魔物による被害が目に余る場合だけだ。群からはぐれた仔鹿が狼に襲われるのが当然のことであるように、不用意に夜道を歩いていた人間が魔物の餌食になったとしても、それは致し方ないことなのだ。

 それが、魅魔師と魔物との、暗黙の了解だった。

 遠い昔から、そういうことになっていた。

 なのに――

 白昼堂々、魅魔師の里が教われるだなんて。

 しかも、この惨状はどうだろう。

 そこかしこに、無惨に引き千切られた死体が折り重なっている。

 こんなこと、あっていいはずがない。

 一人でも魔物を狩れるほどの力のある魅魔師や魅魔剣士だけでも、この村には二十人以上いるのだ。他人と力を合わせれば魔物と戦える者を含めれば、戦力はさらに何倍にもなる。

 それが、こんな一方的に。

 まさか――

 二人とも同じことを考え、しかしその考えを口にすることを躊躇った。

 あり得ない。

 しかし、こんなことができる魔物は、他に存在しない。

「……お、お前たち、無事だったのか!」

 突然建物の陰から飛び出してきて叫んだ人影に、二人は短い悲鳴を上げた。しかしよく見ればそれは、タシロの父のライケだった。カムィにとっては伯父である。肩のあたりがざっくりと剔られ、額からも血を流していた。

「と……父さんっ! どうしたの、いったい?」

「魔物……竜族だ。くそっ、奴らいきなり……。タシロ、お前はカムィを連れて逃げろ! 竜が三体もいては、いくらなんでも太刀打ちできん!」

「竜族? 三体っ? いったいどうしてっ」

 にわかには信じられない。

 竜族なんて、魅魔師であっても一生遭うことのない者が大多数であるほど数が少ない。同時に三体だなんて、魅魔師の里が襲われること以上にあり得ない話だ。

 しかし、それが現実だった。

「知るか! とにかく、サスィが敵を食い止めているから、今のうちにお前らは逃げろ! 私はシルカを探してくる」

 ライケは二人を、隣村へ向かう道の方へと促した。カムィの手を引いて走り出そうとしたタシロだったが、しかしカムィはその場に踏みとどまっていた。

「カムィ!」

「……こっち」

 ぽつりとつぶやいて、逆の方向へと歩き出す。

「え?」

 声が、聞こえたのだ。

 カムィにだけ。

 耳に届いた声ではない。

 夢でも見ているかのように、頭の中に声が直接響いてきた。

「こっち……呼んでる……」

 呼んでいる。

 カムィを。

 この声は、カムィを呼んでいる。

 泣き声。

 泣き叫ぶ声。

 泣きながら絶叫している。

 この世で一番、なじみ深い声。

 助けを呼んでいる。カムィを呼んでいる。

 カムィは走り出した。急がなければならない。一瞬遅れてタシロとライケが続いてくるが、振り返りもしなかった。

 全速力で走る。

 声のする方向へ。

 声に導かれるまま大きな家の陰に回り込んだところで、見えない壁にぶつかったかのように立ち止まった。

 頭の中で叫び続けていた声が、ひときわ大きな絶叫と共に止む。

 目に映ったのは、あまりにも衝撃的な光景だった。

 一体の魔物。

 外見は人間と寸分違わないが、まとっている気配がまるで違う。

 手と、口の周りを深紅に染めた魔物が手にしているのは、小さな人間の死体。

 ずたずたに喰い千切られたそれは、人間の死体というよりも、単なる肉塊のように見えた。

『……ちょうどいいところに、お代わりが来たか』

 血肉を貪っていた魔物が顔を上げる。黄金色の視線がカムィを貫く。

『さすがはあの御方が選んだ娘。極上の血だが、子供過ぎてちょっと喰い足りないと思ってたんだ』

 魔物が立ち上がる。カムィに向かって歩を進めてくる。

「あ……あ……」

 無惨に喰い千切られた肉塊を手にしたまま、ぎらぎらとした欲望に満ちた瞳を向けている。

 顔はおろか、人間であったことすら判別するのが難しい血まみれの肉塊。

 しかし、カムィにはわかっていた。

 それは、カムィの半身。

 同じ血肉を分けた存在なのだ。

「う……ぁ……」

 こんな……

 こんなの……

 いなくなればいい、と思ったことはある。

 シルカさえいなければ、自分はもっとも純粋な魅魔の血の後継者であり、次代の、もっとも力のある魅魔師になれる、と。

 シルカさえいなければ。

 そう思ったことは一度や二度じゃない。

 だけど。

 こんなの……

 こんなこと……

 ……許せるはずがない。

 あっていいことではない。

 こうして現実を目の当たりにして、はっきりとわかった。

 自分とシルカは、同じ血肉を分けた存在。本来ひとつになるはずだった生命が、たまたまふたつに分れて生まれてきただけなのだ。

 だから。

 痛い……

 痛い!

 全身が引き千切られる痛みに襲われる。

 あれは、あの魔物が手にしているのは……

 あれは、私。

 許せない。

 許せない。

 許せない。

 許せない。

 許せない。

 許せない!

 許せるはずがない。

 許していいはずがない。

 自分を殺した魔物を!

 魔物が腕を伸ばしてくる。

 指の先には、鋼よりも硬く鋭い爪が並んでいる。

 長い爪の先から滴り落ちる鮮血。

 それはカムィにとって、もっとも大切なもの。

 カムィの身体に流れるのと同じ、もっとも純粋な、もっとも尊い魅魔の血。

 そう。

 それは、カムィの血肉なのだ。

「ぅ……う…………う」

 喉の奥から呻き声が漏れる。

 魔物の爪が、カムィの喉にかかる。

 その瞬間――

「う……わぁぁぁぁ――――っっ!」

 カムィは絶叫した。

 無意識のうちに、身体の中から噴き出してきた叫びだった。

 それはカムィの、シルカの、魂の叫び。

 魔物に貪り喰われたシルカの血肉が、その声に応える。

 肺の中が空っぽになっても叫び続けるカムィが気を失った時――


 彼女を殺そうとしていた最強の魔物は、身体に傷ひとつないまま息絶えていた。



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