誕生、闇の巫女

とある村に生まれた双子の姉妹。姉のラーナと、妹のリアナ。
瓜二つの美しい容姿、清楚で奥ゆかしい性格により人々から愛される、まさに光のような姉妹だった。
両親を早くに失ったものの、いやそのせいか、姉妹仲も非常に良かった。
しかし巫女の家系に生まれたため、彼女らのどちらかはいずれ光の巫女として女神ルシリスに仕える定めにあった…。

「姉さん…私たち、離れ離れになってしまうの?」
近々巫女が決まろうとしていたある朝、リアナは不安そうな瞳でラーナに聞いた。
「…そうよ。私たちのどちらかはこの村に残り、そしてもう一人は…」
光の巫女となれば村を離れ、光の大神殿で暮らさなければならない。それがしきたりであった。
姉としてラーナは覚悟を決めていたが、リアナは慣れ親しんだ人々との別れを拒み続けていた。
「いや…。私、離れ離れになりたくない。この村の人たちとも、そして姉さんとも。
きっと姉さんが巫女に選ばれる…そうしたら私、一人になってしまう。選ばれた姉さんも神殿で一人…そんなの、耐えられない」
「リアナ…私も嫌よ。けれども、これは巫女の家に生まれた者の運命なの。巫女としての使命を放棄するわけにはいかないわ」
「でも…選ばれても選ばれなくても離れ離れなんて…たった二人の姉妹なのに!」
今にも泣き出しそうなリアナの肩に、ラーナは優しく手を置いた。
「リアナ…あなたはこの世界が好きでしょう?この世界を創造してくださったルシリス様を愛しているでしょう?
父さんと母さんは病で亡くなってしまったけれど、私たちはひとりぼっちじゃないわ。
家族を与えて下さった、女神様に感謝をしなければ。それが巫女になるということなの。
大丈夫、神殿に行っても永遠に会えないわけではないわ」
瓜二つでありながら自分よりはるかに落ち着いた姉の言葉に、リアナはまだ悲しそうにしながらもうなずいた。
「…そうね、姉さん。ごめんなさい、わがまま言って」
「いいのよ。じゃあ、父さんと母さんに報告に行ってくるわね。
あなたは家にいてくれるかしら?もしかしたら今日にも神殿からの方がいらっしゃるかもしれない」

村はずれにある両親の墓の前で、ラーナは静かに手を合わせて祈った。
「父さん、母さん…あと数日で、おそらく私は光の巫女に任命されます。
そうなればなかなか会いに来れなくなるし、リアナは悲しむでしょう。優しくて、感情的な子だから。
どうかリアナをお守りください。私も、巫女に任じられれば精一杯のお勤めを果たすつもりです」
一礼して立ち上がり、その場を去ろうとした時。

「…誰?」
彼女の研ぎ澄まされた魔力の才能が、何かを察知した。危険で、恐ろしいものを。
「そこにどなたかいますね?出てきなさい」
薄暗い木立の方をじっと見つめ、ラーナは静かに、しかし鋭く言った。
それに応えるかのように、声が聞こえた。
「ふふふ…さすがは巫女の素質を備えた娘よ。よくぞ私に気づいたものだ」
静かな男の声。それを耳にした途端、ラーナは金縛りにあったような感覚を覚え、びくっと体を震わせた。だが、ただの恐怖ではなかった。
低く、柔らかく、それでいて底知れない力を感じさせる声。恐ろしさと甘さを兼ね備えた、妖艶な声。
それには、普通の人間ならばその一声だけで正気を失うほどの魔力がこもっていた。
「す…姿を、現しなさい!」
自分の声とは思えないほどか細い声に驚いたラーナだったが、その強靭な意志だからこそ抵抗し得たのだ。
普通の娘であればもはやその場に崩れ落ち、声の命ずるがままになっていたところである。
声の主もそのことに驚いたらしい。
「ほほう…まさか私の声に抗う娘がいるとはな。思った以上の力よ」
木立の中から、ゆっくりと長身の男の姿が現れた。
どうやら最近増えてきた魔物の類ではなく、人間のようだ。恐ろしい怪異を想像していたラーナは一瞬安心した。
だがその姿を目の当たりにして、彼女はすぐに逃げなかったことを後悔した。
全身を覆う黒いマントからは禍々しい妖気が漂い、忌まわしさと背徳的な妖しさを放っている。
長い髪に、黒い兜とも面ともつかぬもので目元を隠してはいるものの、その容姿が絶世の美男子であることは疑いようもない。
凶暴な魔物であった方が何倍もマシだった。
この男は誰よりも美しく、恐ろしく、呪われており、魅力的だ。
恐怖で息もつけないはずなのに、目を離せない。邪悪なものと相対しているのに、胸が高鳴っている。
もはや逃げ出すことは不可能だった。体が男の方へ駆け出そうとするのを、止めることしか出来ない。
「はあ…はあ…ううっ…!」
激しく息をつき、頬を高潮させながら必至で耐えるラーナを、男は面白そうに見つめている。
「ほう…我が姿を見てもなお、己を失わぬとは!これは素晴らしい」
「あっ…あなたは、何者です!ただの…っ、人間にしては、あ…邪悪すぎます!」
何か言葉を発しなければ、頭がおかしくなりそうだった。
心の誘惑と必死で戦い、焦るラーナをじらすように、男はくっくっと静かに笑っている。
「本来は意思を奪い、奴隷にしてから教えるつもりだったが…よかろう。私の魅了術にここまで耐えた褒美に教えてやる。
我が名はボーゼル。闇の王子にして、混沌の神カオスに仕えるもの」
「か…カオス!?」

巫女候補であるラーナがその名を知らないはずはなかった。光の女神ルシリスと敵対し、常に争いと混乱をもたらす神。
そしてそれに仕える「闇の王子」の伝承も、断片的にではあるが伝え聞いていた。
文字通りの甘言で人心を惑わし、世界を混乱に陥れたという闇魔道士。それが目の前にいる。にわかには信じられないが、その力は本物のようだ。
「ルシリス様の敵ということは…まさか、光の巫女を狙って…!」
ラーナの言葉に、ボーゼルはにいっと不気味に笑った。
「そのつもりではあったが…どうやら出会ったのは、光の巫女ではないようだ」
「…!?」
言葉の意味が飲み込めないラーナに、ボーゼルは冷たく言い放った。
「お前かその妹か…どちらかが巫女になるのだろう?
だとすればお前では役不足だ。候補が二人いるのであれば、より純粋な心と魔力を持つ方に軍配が上がる」
「純粋…な?」
「人間どもが、無邪気、と呼ぶものかもしれんな。
余計な気を遣わず心の赴くままに生きる分、純化された思考と魂が構築される。
それを考慮すれば、どちらが巫女として選ばれるかは自明の理…

そう、お前は巫女になれぬのだ、ラーナ!」

静かながら鋭いその言葉は這うように耳だけでなく、ラーナの全身を駆けずり回り、脳内で何度も反響した。


私は…光の巫女に、なれない?


本当のところ、ラーナが巫女に選ばれる確証があったわけではなかった。
だがラーナはリアナよりも気配りが出来、魔力も高く、常に妹のことを気にかけてきた。
そのためリアナも周囲の村人もラーナを巫女当確として考え、いつしかラーナもその自覚を持つようになってきた。
そう考えた本来の目的は、村を離れる寂しさをあきらめで紛らわすこと。
そしてリアナにも自分がいなくなると覚悟させ、彼女の心の負担を少しでも軽くするためだった。

だがいつの間にか、自分が巫女になるのが当然だという気持ちが芽生えていた。
そしてボーゼルが彼女の前に現れたことで、その気持ちは無意識のうちに確信に変わってしまった。自分を、狙ったのだと。
それだけに、自分が巫女になれないというボーゼルの言葉は相当な衝撃を与えた。
そしてボーゼルの魔力ある声によって、その衝撃は何十倍にも膨れ上がり彼女の心を打ち砕いたのである。

「そんな…巫女になれないなんて…私は、何のために、決心をしたの…」

放心状態になったラーナは、気づかなかった。
少しはなれたところにいたボーゼルが、ゆっくりと間合いを詰めてきていることに。
絶えず彼女の耳を刺激し、肌をくすぐるその声に、彼女の意識は完全に捕らわれていた。
「そうだ。お前は巫女にもなれず、この村に残るのだ。
なって当然と思い込んでいた愚かなお前を、村人たちは指差して笑うだろう。
その一方で、魔力の才能の差を天性の心で逆転したリアナには賞賛ばかり浴びせられる。…実力以上に、な。
妹が光の象徴になる一方で、お前は生涯恥を背負いながら、村で空しく過ごすことになる」
「う…ああ…そ、そんな…」
ボーゼルのねっとりと絡みつくような声のせいか、それとも魔法の力なのか、なぜかラーナの眼にはその情景が鮮明に映った。
目の前に立っているボーゼルの姿など全く見えていない。
「それだけではない。お前が巫女になったとすれば、変わらず故郷の妹と両親の墓のことを想うだろう。
だが、天真爛漫なリアナが巫女になったとすればどうかな?
巫女としての環境にすぐ慣れ…そして故郷のことなど忘れてしまうだろうな。
姉のことなど、何かのきっかけでもない限り思い出しはすまい。下手をすれば一生…な」
「リア……ナ…!!」
ラーナの虚ろな眼に、くっきりと映った。巫女の地位に慣れ、姉のことなど念頭から忘れ去ったリアナの姿が。
豪華な衣装に身を包み、日々多くの人間に讃えられ、もてはやされる。存在を忘れ去られ、誰にも必要とされない自分とは全く対照的に。
その一方で、自分は村でも巫女失格として笑いものになり、誰にも相手にされなくなる。

「い、いやああああ…!」
彼女はその場に崩れ落ちた。己自身がくだらない存在になってしまったように感じて。
その目に、自分の素朴ながらも清潔な服が薄汚く朽ちた幻が映る。
そうしてみすぼらしい姿に成り果てたラーナを、妹は蔑んだように見下ろす。

「リアナ…助けて…」
「ごめんなさい、姉さん。私は光の巫女として、闇を抑えるのに忙しいの…」
「そんな…!お願い、見捨てないで…助けてください、巫女様ぁ…!!」
「さようなら…。もう光輝(ひかり)の一族に属しない姉さんとは、二度と会うこともないわ…」

畏れながらも憧れてきた神殿にも、大好きだった村人にも、そして大事にしてきた妹にも見捨てられる。
巫女の座を逃せば、それが現実なのだ。ラーナはそう思い込んでしまった。
一度妄想に捕らわれると、さらに忌まわしい光景が次々と眼前に浮かんでくる。
「リアナ…わたし、を…見捨てないでぇ…あんなに…優しくしたのに…どうして」
頭を抱えてもがき苦しむラーナの肩を、ふっと優しくつかむ手があった。
顔を上げると妄想がかき消え、代わって甘く微笑むボーゼルの顔があった。
「あっ…!?」
端正な顔立ちにどきりとするラーナの耳に…いや脳内に、直接ボーゼルの声が響き渡る。

「それが、巫女となれなかったお前の末路だ。
リアナはずっと無垢を装い、巫女になろうと企んでいた。
心の中ではずっと、一心に心配してくれるお前のことを指差して笑っていたのだ。
そしてその陰謀は、もうすぐ成功しようとしている」
「り、リアナ…!そんな…私が、何のためにずっと…」
甘い声に導かれ、ラーナの脳内でリアナに対する怒りの念が渦を巻いていく。
そしてその怒りは何倍にも増幅され、はっきりした形になっていく。
「リアナ…かわいい妹だと思っていたのに、私を…よくも…」
そこにボーゼルの低い声が、ラーナの心に点った炎の燃料として注ぎ込まれた。
「どうだ、ラーナ?私が与える力を使って…巫女になり、光の巫女に対する力を得たいとは思わぬか?」
「み…巫女の?」
いったいボーゼルがどのような力を持っているのか、ラーナは完全に忘れ去っている。
頭の中にあるのは巫女の座を失うことへの恐怖、そして妹に対する嫉妬と憎しみの念だけ。
そしてボーゼルの声と姿に、気づかないうちに彼女は魅了されていたのかもしれない。
ラーナの答えは早かった。
「お願いします…どうか、私に巫女の力を…!」
にいっと邪悪な笑みが、ボーゼルの口元に浮かんだ。

何かを唱えて腕を掲げると、黒いマントが音もなくその手に握られていた。
「これをまとえば、お前の体に力が流れ込む。
ただしそれは、お前の望む力ではないかもしれん。
もし望まぬ力であれば、すぐにそのマントを脱ぎ捨てるがいい。私は止めはしない」
ラーナは無言でうなずいた。それさえまとえば巫女の力が手に入る。
みじめな思いをしなくてもよくなる。
ばさり、とその細い双肩にマントがかかる。
闇そのもので染めたような漆黒の表面と、鮮血のような赤で彩られた裏地。
ほどなく、眠る前に暗闇の中で目を閉じているような心地よさと、血が体内を流れるような生き生きした感触が伝わってきた。
「ああ…」
ほうっとラーナはため息をついた。
これが新しい巫女の力なのだ。何と優しく、そして力強いのだろう。

だが……すぐにその気持ちよい感覚は消え去った。
「…えっ?」
一瞬の沈黙の後―――すぐさま新しい力が流れ込んできた。
先ほどよりもはるかに速く、強く、そして激しく。
だがその力は、ラーナにとっては全く異質のものだった。
「うっ…ああっ!?うあっ…ああ…やああああ!!」

全身が総毛立つような不条理で忌まわしい感覚。あまりにも強すぎる力。
逃げ出したいほど怖く、それでいてその身を任せたくなるような素敵さ。
この感覚を、いつかどこかで…いや、つい先ほど感じたような…
流入する魔力に我を失いそうになりながら、ラーナは必死にそれを思い出そうとした。
膨大な苦痛と恐怖、その合間に感じる妙な気持ちよさに顔を歪めながら記憶をたどるラーナの目に…
面白くて仕方ないという表情のボーゼルが映った。
「ふふふ…くくく…はっはっはっは!」
もはや笑いを隠そうともしない彼を見て、ラーナは思い出した。
ボーゼルから放たれていたのと同じ、闇の妖気だ。
では、今自分に入ってくる力は――――――!
「ま、まさか…はうっ、あなたは…ああっ…わ、私に、闇の力を!」
「その通り。光の巫女候補だけあって、強い光の力を持っている。
そのぶん、心に宿った闇も大きいだろうと思って接触してみたが…
意志力や魔力だけでなく、闇との適応性まで思った以上に強い。
たかが人間と思っていたが、心底驚かされたぞ!見るがいい、自分の姿を」
ボーゼルの言葉に促され己自身の体に目をやったラーナは、悲痛な悲鳴をあげた。

「い、嫌あああっ!!」
肩に羽織ったマントから、膨大な邪気が放たれている。
それは霧のようにラーナの身を包むだけでなく、物質化してその身を包み始めていた。
服の隙間から入り込み、体にぴったりと張り付き、その体を縛り付け、そして着ている村娘の衣を溶かしていく。
すでに首から鎖骨の部分までは、黒く光沢のある物質に包まれ、細い体のラインをくっきりと見せていた。
「暗黒のマントも、美しい素体を得られてご満悦のようだ。
その衣に身を委ねきった時、お前は『闇の巫女』として目覚めるのだよ」
ボーゼルがさも可笑しそうにつぶやく間にも、黒い物質はラーナの身体を這ってその身を包んでいく。
くすぐったく、異様な刺激を感じる一方で、それがまるで肌の一部のような感覚に襲われる。

「あんっ…ひあっ……?」
次第に恐怖感が薄れ、体に走る快感が大きくなっていく。すでに胸の上まで物質が這い降りている。
今の形状からするとレオタード状の姿を為そうとしているのかもしれない。
身体をきゅっと締め付けるその感覚は苦しいが、身に闇の気が宿るにつれて苦しさが次第に薄れている。
このまま下半身まで包み込まれれば、もはや心地よさに負けてしまう。
今なら、必死で引きちぎれば何とかマントごと脱ぎ捨てられるかもしれない。
いや、脱がないといけない。自分を取り戻すために…!
「あああ…くうっ……!」
心の葛藤と必死で戦いながら、彼女はマントと黒い物質に手をかけた。
強い精神の抵抗を受け、マントの侵食が一瞬止まった。

だがその瞬間、声を聞いてしまったのだ。耳元と、彼女の内側の両方から。

「ラーナよ…このボーゼルを拒むのか?お前の力を必要としている私を」
『嫌…この気持ちいい衣と、膨大な力の両方を捨てて、何が残ると言うの?』

びくっと彼女の動きが止まった。
(なんて、心地よくて素晴らしい声なの…この方が私を必要としているんなんて…
それに、そう…この感覚を捨てたとしても、残るのはリアナだけ…あの、小憎らしい妹…光の巫女の座を私から奪った…
このままにしていれば、私も巫女になれるというのに…なぜ抵抗する必要が…)
心の闇が広がったのを感知して、闇が再び蠢き始める。
(でも、闇に身を完全に委ねては…ただ、少し…あと少しだけ…)
己を保とうとするラーナの理性に、甘い気持ちが生じた。
暗黒物質に対して中途半端な理性で臨むことは何の抵抗にもならない。むしろ、自分が正気だと思ったまま邪気に取り付かれていくだけだ。
案の定、黒い気は気体から液状物質と化し、高速でラーナの肢体を流れ落ちていく。
柔肌を撫で回していく人ならざる触感に、彼女はだらりと手を垂らしたまま為されるがままになっていった。
「はぁうん…もう少し…だけ…んうぁん…もっと…っ」
胸から腰、腰からヘソに来たところで、ラーナは精神の抵抗を諦めた。
「あんっ…ああ、暗黒…闇…ステキ…ぃ」
体中に闇の魔力が満ち、血液に混じって循環を始めた。びくっ、びくっと身体が脈動する。
「あ、ああっ、闇が…力が…もっとぉ…もっと、私を、はぅっ、捕らえて…!」
その言葉に、暗黒の衣が激しく走り出す。ヘソからその下へ、そして…
「は、はふうっ、はあっ…あああーーーーーーっ!!!」

漆黒のレオタードとマントに包まれ、座り込んだままぐったりとうなだれたラーナの身から闇の魔力がほとばしった。
細く長い足に左右非対称のニーソックスとブーツが巻きつき、腕には刺々しい小手がしっかりと固定された。
そして最後に、その肩に禍々しい形状の肩当が付き、マントをぴたりと体の一部のように止めた。
ぼんやりと座ったままのラーナに、ボーゼルが声をかける。
「闇の巫女よ。立ち上がり、名乗るがいい。お前は何者だ」
ぴくり、とラーナの体が反応した。
ゆっくりと彼女は立ち上がると、顔を上げた。
暗黒の力が完全に身体と心に張り付いた快感で、うっすらと頬に色がついている。
口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。恍惚とした冷笑が。
だがもとの澄んだ瞳は面影もなく、それに代わって赤い冷酷な双眸がうつろにボーゼルを見つめている。
彼女の口が開き、ゆっくりと言葉が漏れ始めた。
「私は…。
ボーゼル様の忠実なしもべにして、カオス様の復活を願う、闇の巫女にございます…」

その言葉を口にすると、ラーナの赤い瞳に濁った輝きが宿った。
「ボーゼル様…誰よりも美しく恐ろしき我が君。
巫女として選ばれ、この身を支配していただけて、本当に光栄です」
「ふ…そうであろう、ダークプリンセス」
「だーく…ぷりんせす…?」
「そうだ。お前の双子の妹と似た名前ではなく、暗黒に選ばれたお前だけの名だ」
一瞬何の反応も示さなかった彼女だが、すぐにうなずき言った。
「はい、ボーゼル様。私は闇の巫女、ダークプリンセス。
人間どもに代わって魔物の支配する混沌の世を導くために…
わたくしをご自由にお使いくださいませ」
一礼してそう言うと、彼女は憎憎しげにそばにある両親の墓に目をやった。
無機質な笑みを浮かべていたその顔に暗い影がさし、低く冷たい笑い声が漏れた。
「妹など産まなければ、私がお前たち人間の敵になることなどなかったでしょうに…。
しかし、私はもう身も心も闇に委ね、闇のために尽くす運命。
まずはあの光の巫女から血祭りに挙げ、暗黒の世の第一歩を…」
村の方を向こうとしたダークプリンセスに、ボーゼルは首を振って言った。

「待て、ダークプリンセスよ。今は早い」
「なぜです、ボーゼル様。今すぐあの光の巫女を殺さねば、光輝(ひかり)の者たちが力を増して…」
わずかに不満を顔に出した彼女の顔を、ボーゼルはくいっと指で自分の方に向けた。
驚きと興奮で体を震わせたダークプリンセスにボーゼルは静かに言った。
「よいかな。光と闇の巫女が揃う時、最高の力を持つ二振りの剣が目覚めるのだ…。
それが揃わねば、この世に完全なる混沌をもたらすことはできん。
そのためにも、お前の妹はしばらく泳がしておく必要があるのだ。
どうだ?強大な闇の力と至高の混沌を見てみるよりも、すぐ妹を殺す方がいいか?」
その声を聞いているうちに、ダークプリンセスは喉をなでられた猫のように目を細めた。
「いいえ、ボーゼル様…仰せのままに致します。
このダークプリンセスは、あなた様の下僕ですから。
それに…今以上の闇をこの身に宿し、さらなる享楽を味わいたく思います」
「くっくっく…それでよい。では、行くぞ。お前の闇の力をさらに引き出すためにな」
「はい。ボーゼル様のお望みのままに」

ダークプリンセスが呪文を唱えると、足元の影がぶわっと広がり、彼女とボーゼルを飲み込んだ。
影が消えた後には、わずかに残ったラーナの衣服の切れ端以外、何も残っていなかった……

ラーナ失踪の報は、すぐに村と光の大神殿にもたらされた。
リアナは嘆き悲しみ、神殿に捜索を頼もうとしたが、神殿側も困惑して速やかな行動には移れなかった。
巫女の座をまだ決めかねて会議を重ねていた矢先のことだったからだ。
調査によって墓地から闇の力が感知され、ラーナが闇の手先にさらわれたのはほぼ確実になったものの
その行き先はまったく分からず、まるで影に飲み込まれたようだと人々は噂し合った。
とはいえこれで光の巫女はリアナに確定した。
突然のことで大神殿側には迎え入れる準備も整っておらず、やむなく巫女の衣だけが彼女に送られた。
数ヶ月後には正式な迎えがやってくるはずだが、それまでは村で光の巫女として控えていてほしいとのことだった。

白地に赤の模様が入った、腹部が大きく露出している上着。
すらりとした足が映える、丈の非常に短いタイトスカート。
巫女の証である装束を着て恥ずかしそうに笑うリアナを、見つめる影があった。

「偽りの照れ笑いを浮かべながら、本心ではご満悦だろう…光の巫女」
魔力の鏡に映るリアナを見つめ、彼女と瓜二つの女性が静かにつぶやいた。
『光の巫女って、恥ずかしいわ…でも、この世界の光を守るためにがんばらないと』
村人と話すリアナの言葉に、くすりとダークプリンセスは笑った。
「光と闇、どちらの巫女が強いかしら…すぐに分かるわ」
『それに…姉さんをさらった闇の勢力は、この世界にいてはいけないわ』
真剣な顔で言ったリアナ。だが、ラーナは冷たい一瞥を放っただけだった。
「偽善を続けるのか…光輝の勢力らしいわ」
じっとリアナを見つめる彼女の後ろに、翼竜がばさりと舞い降りた。
「エスト、ボーゼル様は何と?」
「人間ノ王共ヲダマシ、タタカワセロトノゴ命令デス」
「そう…このダークプリンセスの魔力をもってすればたやすいこと。
見ているがいいわ、光の巫女…人間の愚かさと暗黒の強さを」