〈地理学のガイドマップ〉第4回
記事一覧
第1回:地理学って何を研究してるの?
1.地理教育の目標
2.地域
(1)さまざまな地域概念
(2)地域を研究する学問
3.空間と場所
(1)空間
(2)場所
(3)スケール
4.環境と風土
(1)環境決定論と環境可能論
(2)環境改変と環境認知
(3)環境問題と風土論
5.景観と風景
(1)景観
(2)風景
おわりに
―――――――――
第1,2回では地理学の中身、第3回ではさまざまな地理学コミュニティを見てきました。
地理学は地図を使った手法を得意としていますが、今回は、地図を使って最終的に何を明らかにしたいのか、そしてそのためにどのような考え方が必要になるのかについて解説していきます。
地理教育では「地理的な見方・考え方」なんていう言い方がされたりしますが、「地理的」って…何…?
地理学の最終目標となる基礎概念から、地理的な見方とは何なのかを考えていきましょう。
学問の目標とは何か。
さまざまな見解があるとは思いますが、その一つに、成果の社会還元が挙げられます。
研究によって培われた知識体系を、社会に普及させること、近年ではアウトリーチと呼ばれたりもしますが、こういった活動も学問の役目の一つです。
地理学は伝統的に教育と深く結びついてきました。
社会科の中に設けられる科目としての「地理」は、私たちの多くが初めに触れる「地理」でしょう。
そこには、地理的成果の中でも特に子供たちに伝えたいエッセンスが詰まっています。
とすれば、地理教育の内容を見ることで、地理学の本質的な部分も見えてくるはずです。
―――――――――
地理総合では、以下のような目標が掲げられています。

参考:『平成30年改訂高等学校学習指導要領』※pdf
地理総合では「地理的な見方・考え方」や「公民としての資質・能力」を養成することが目標とされています。
細分化された3つの目標のうち、(1)は調査のプロセス、(2)は課題を考えるための概念、(3)は課題解決のための態度について述べています。
中でも、(2)で挙げられた「位置や分布,場所,人間と自然環境との相互依存関係,空間的相互依存作用,地域など」は、地理学の基礎概念と呼べるものです。
本稿の後半では、これらの基礎概念について解説します。
地理総合の内容をさらに細分化すると、以下のような力の養成が挙げられます。

参考:平成28年6月13日教育課程部会社会・地理歴史・公民ワーキンググループ資料
地理総合は、以下の3つの内容から構成されます。
(1)地図と地理情報システムの活用
(2)国際理解と国際協力
(3)防災と持続可能な社会の構築
いずれも、グローバル化やSDGs(持続可能な発展)など、近年の社会的関心を反映したものです。
上記の資料で挙げられている「問い」は、そのまま地理学の研究課題にもなるでしょう。
第2回では「地図」について話しましたが、上の資料からも分かるように、「地図」はあくまで地理的な見方・考え方を構成する一要素であり、それがすべてではありません。
また、地理総合では環境問題や災害が重視されていますが、地理学はそれらのような総合的な事象だけではなく、地形や経済などの個別事象も研究対象にしています。
地理的な見方とは?
記事一覧
第1回:地理学って何を研究してるの?
第3回:地理学をとりまく組織と人々
第4回:地理的な見方とは? 👈今回はこれ
第4回:地理的な見方とは? 👈今回はこれ
1.地理教育の目標
2.地域
(1)さまざまな地域概念
(2)地域を研究する学問
3.空間と場所
(1)空間
(2)場所
(3)スケール
4.環境と風土
(1)環境決定論と環境可能論
(2)環境改変と環境認知
(3)環境問題と風土論
5.景観と風景
(1)景観
(2)風景
おわりに
―――――――――
第1,2回では地理学の中身、第3回ではさまざまな地理学コミュニティを見てきました。
地理学は地図を使った手法を得意としていますが、今回は、地図を使って最終的に何を明らかにしたいのか、そしてそのためにどのような考え方が必要になるのかについて解説していきます。
地理教育では「地理的な見方・考え方」なんていう言い方がされたりしますが、「地理的」って…何…?
地理学の最終目標となる基礎概念から、地理的な見方とは何なのかを考えていきましょう。
学問の目標とは何か。
さまざまな見解があるとは思いますが、その一つに、成果の社会還元が挙げられます。
研究によって培われた知識体系を、社会に普及させること、近年ではアウトリーチと呼ばれたりもしますが、こういった活動も学問の役目の一つです。
地理学は伝統的に教育と深く結びついてきました。
社会科の中に設けられる科目としての「地理」は、私たちの多くが初めに触れる「地理」でしょう。
そこには、地理的成果の中でも特に子供たちに伝えたいエッセンスが詰まっています。
とすれば、地理教育の内容を見ることで、地理学の本質的な部分も見えてくるはずです。
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1.地理教育の目標
平成30年に改訂された高等学校学習指導要領では、それまでの「地理A」と「地理B」という構成を、「地理総合」と「地理探究」へと再編成することが定められました。
そして、「地理総合」が新たに必修科目として設定されました。地理科目が必修となったのは、昭和53年の必修廃止以来のことです。
そして、「地理総合」が新たに必修科目として設定されました。地理科目が必修となったのは、昭和53年の必修廃止以来のことです。
地理総合では、以下のような目標が掲げられています。
参考:『平成30年改訂高等学校学習指導要領』※pdf
地理総合では「地理的な見方・考え方」や「公民としての資質・能力」を養成することが目標とされています。
細分化された3つの目標のうち、(1)は調査のプロセス、(2)は課題を考えるための概念、(3)は課題解決のための態度について述べています。
中でも、(2)で挙げられた「位置や分布,場所,人間と自然環境との相互依存関係,空間的相互依存作用,地域など」は、地理学の基礎概念と呼べるものです。
本稿の後半では、これらの基礎概念について解説します。
地理総合の内容をさらに細分化すると、以下のような力の養成が挙げられます。
参考:平成28年6月13日教育課程部会社会・地理歴史・公民ワーキンググループ資料
地理総合は、以下の3つの内容から構成されます。
(1)地図と地理情報システムの活用
(2)国際理解と国際協力
(3)防災と持続可能な社会の構築
いずれも、グローバル化やSDGs(持続可能な発展)など、近年の社会的関心を反映したものです。
上記の資料で挙げられている「問い」は、そのまま地理学の研究課題にもなるでしょう。
第2回では「地図」について話しましたが、上の資料からも分かるように、「地図」はあくまで地理的な見方・考え方を構成する一要素であり、それがすべてではありません。
また、地理総合では環境問題や災害が重視されていますが、地理学はそれらのような総合的な事象だけではなく、地形や経済などの個別事象も研究対象にしています。
そして、これらの研究を行うために必要な考え方が先ほど示した「地理的な見方・考え方」というわけです。
次の章では、地理的な概念として挙げられている「位置や分布,場所,人間と自然環境との相互依存関係,空間的相互依存作用,地域など」について見ていきます。
―――――――――
等質地域と機能地域は、地域のまとまり方に着目した分類です。

※この図はあくまでイメージ
等質地域とは、同じような性質を持った地域のことを言います。
高校地理にも登場するものとしては、ケッペンの気候区分や、ホイットルセーの農業地域区分が等質地域の観点からの地域区分となります。
他には、土地利用図や地質図も等質地域を示したものです。
一方、機能地域は、ある中心を核にして結びつく地域を指します。
「地域」を重視する地理学では、地域をどのように区分するか、その地域のまとまりを成り立たせているものは何なのかといった点が問題になります。
「地域性」、すなわち他の地域とは異なるその地域の特色を明らかにすることが、地域論的な地理学の目標の一つです。
(2)地域を研究する学問
地理学以外にも、「地域」を冠する分野はたくさんあります。
地域社会学、地域経済学、地域研究、地域史などなど。
また、東北学(赤坂憲雄)や、信州学(市川健夫)など、地域の名称そのものを掲げた分野もあります。これらは地域学と総称されます。
冷戦中の他国研究から始まった地域研究が海外を対象とするのに対し、いわゆる地域学は国内、とりわけ郷土を対象とする点で異なります。
また、地域科学という分野もあります。アメリカの経済学者・アイサードによって創始された、計量的手法によって地域経済を分析する分野です。
東北学院大学の高野岳彦先生は、これらの関係を以下のように整理しています。

参考:「地理学」講義 第6講 地域論と地誌学
これらの分野の研究内容は、地理学とも重なる部分が多々あります。
地理学出身の研究者が地域○○学部に所属することもしばしばです。
まとめ
この章の初めに、「地域」とは何かしらのまとまりを持った空間の広がりであると言いました。
地誌学/系統地理学という区分からも分かるように、地域はさまざまな事象が重なり合い、絡み合って成り立っています。
この複雑な構造を捉えるのは容易ではありませんが、何かしらのまとまりによって対象を限定することで、その対象をより深く検討することができます。
まとまりの仕方に着目すれば、等質地域/機能地域といった区分ができます。
まとまりの強さに焦点を当てれば、実質地域/形式地域という分け方ができます。
これらを総合したものが、私たちが一般に想起するような「地域」(=関東、北欧、アフリカなど)です。
地誌学や地域学、地域研究などは、さまざまな系統地理学、そしてさまざまな学問が結集するプラットフォームのような分野です。
―――――――――
これらはいずれも、現実空間に見られる事象をモデル化した理論です。
特定の地域に関する記述ではないため、どの地域に対しても適応を試みることができるのが特長です。
古典理論の多くは、ある事象の立地や分布を対象としています。
“どこ”に“なぜ”それがあるのかを問うことが、空間論的な地理学の目的と言えます。
また、分布論に時間的要素を取り入れたものとして、伝播・拡散研究があります。
民俗学の祖・柳田國男は、カタツムリの方言が近畿から同心円状に広がっていることに着目し、文化中心地から離れるほどより古い方言が残っているとする方言周圏論を唱えました。
現在ではこれに対する異論も述べられている(大西氏など)ものの、柳田のとった方法は空間的思考の良い例です。
参考:大西拓一郎『ことばの地理学−−方言はなぜそこにあるのか』大修館書店, 2016年
また、スウェーデンの地理学者・ヘーゲルストランドは、イノベーションがいかに伝播するかを研究し、空間的拡散モデルとして一般化しました。
彼の研究は文化地理学にも応用され、さまざまな伝播の類型が提唱されました。

画像:CITED IMAGES "diffusion"の図を和訳
参考:杉浦芳夫「空間的拡散研究の動向:情報の伝播とイノベーションの採用を中心として」人文地理 28(1), 33-67, 1976
(2)場所
前項で見たように、空間論的な地理学は客観性やモデル化を重視しています。
このようなモデル化は、x,y,z軸で把握されるような均質な空間を前提としています。
そして、そこに登場する人間は、機械的に動く合理的経済人(これは経済学の用語)です。
しかし、現実の人間は均質空間の中で合理的に動くわけではありません。
人はそれぞれの場所に特別な意味を見出し、自分が持つ世界認識に従って行動します。
地理学では、そのような人間の主観性を重視する立場も存在します。
そして、人間によって意味づけられた空間は「場所」と呼ばれ、無味乾燥な「空間」と区別されます。

参考:イーフー・トゥアン(小野有五、阿部一訳)『トポフィリア―人間と環境』せりか書房, 1992年(原著1974年)
文化地理学者のトゥアンは、人間が「場所」に対して持つイメージをトポフィリアと呼んで分析しました。
このような立場からは、文化的イメージや象徴的意味づけが主な研究対象となります。
詳しくは第5回(学史)で解説しますので、今回はそういう立場も存在するということだけ紹介しておきます。
(3)スケール
地理的事象は、さまざまなスケールから考察することができます。
同じ現象でも、スケールが違えば全く違う現象のように見えることもあります。
例えば自然地理学的現象は、時間・空間スケールに応じて以下のような現れ方をします。

参考:「自然地理現象の空間スケールと時間スケール」小池一之・山下脩二・岩田修二・漆原和子・小泉武栄・田瀬則雄・松倉公憲・松本淳・山川修治 編『自然地理学事典』朝倉書店、2017年, 8頁
地図上の解像度である縮尺は地図学的スケールと呼ばれます。
これは最もシンプルな空間的なスケールです。
小さなスケール(ミクロ)では、対象地域をじっくりと見ることができます。また、比較できる事例も多く存在するので、事例を積み重ねていくという帰納的な方法論が役に立ちます。
一方、大きなスケール(マクロ)では、あらゆる場所を見尽くすことはできません。また、比較対象も限られています。そのため、演繹的な方法を用いて理論を組み立てる必要があります。
現象をミクロに見るか、マクロに見るかという研究者の見方は、方法論的スケールと呼ばれます。
地図学的スケールや方法論スケールは、必要に応じて自由に拡大・縮小することができます。
テイラーによれば、地理的スケールには3つの次元が存在します。
一つはグローバル・スケールで、これは資本主義経済が世界単位で繰り広げられる「現実」のスケールです。
経済の影響は、さまざまな過程を経て人々の日常生活に影響をもたらします。
この、人々の「経験」のスケールは、ローカル・スケールと呼ばれます。
彼らを中心に形成された「日本人は自然に対する畏敬の念を持ち、自然と共生してきた」という言説は、現在の日本の環境行政にも強い影響を与えています。
しかし、環境改変の歴史を振り返れば、これは必ずしも正しい見解とは言えません。
例えば、民俗学者でもあり地理学者でもある千葉徳爾による名著『はげ山の研究』は、近代までの日本では過剰な森林利用によってあちこちではげ山が見られたことを明らかにしています。

田上山(滋賀県)の様子:大正2年(左)・平成30年(右)
画像:明治期の治山事業について:林野庁
また、総合地球環境学研究所による研究プロジェクトでは、日本の里山に典型的に見られるとされた「自然との共生」が、日本だけではなく世界の各地にも見られることが指摘されています。
以上のような見解から、「自然との共生は日本文化の特徴」という言説を「里山ナショナリズム」と呼び批判的に見る人もいます。
参考:里山ナショナリズムの源流を追う 21世紀環境立国戦略特別部会資料から|GFB|note
第2回では、地理学の主要な研究手法として「地図」を紹介しました。
この「景観」という概念は、地図と深く結びついています。
地図は、地表の様子を抽象化して表したものです。そこに表されるのは、地形や建造物など、可視的な「景観」が主です。
フィールドに出向いて土地利用の広がりや変化を調査することは、伝統的な地理学の方法論です。
また、現在ではGISを用いた景観調査も行われます。

画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 口絵
また、ドイツの地理学者・トロルは、景観生態学(地生態学)という分野を築きました。
以上の概念を追究するために用いられるのが、「景観」と「風景」という見方です。土地の可視的側面に着目する「景観」論は、人文地理学・自然地理学を横断する方法論となっています。
一方、主観的側面を重視する「風景」論は、美学や景観工学と関わり合いながら、地理学の文化的側面を担っています。
今回扱った概念をまとめるとこのようになるでしょうか。
さて、ここで一つ、触れなければいけないはずなのに触れていない概念がありますね。
それは「地理」という概念です。
他の概念はそれなりに議論がされていますが、“地理”学の中心にあるはずの「地理」という概念については、ほとんど言及がされていないのが実情です。
「地の理(ことわり)」だとか、いや「地の肌理(きめ)」だとか、さまざまな説はあるのですが、いずれも本質論と結びつくほど深い議論はされていません。
あるいは、中国や韓国では「地理」は日本で言う「風水」を意味することもあります。しかし、これは今回扱っている近代的な地理学とは別の文脈で扱うべきでしょう。
もし「地理」という言葉を定義するならば、それは今回扱った概念の総称なのではないかと思います。
これまでの記事によって、「地理学とは何か」という問いの答えもずいぶんと見えてきたのではないでしょうか。
最終回となる第5回では、地理学の学史を見ていきます。
地理学の基礎概念はどのようにして定まっていったのか、そしてその過程にはどのような論争があったのかを知れば、より深みをもって地理学を捉えることができるでしょう。
→第5回:地理学の歴史と論争
余談
これは私の個人的考えですが、今回登場した概念の中では「地域」が最もすべての概念とバランス良く結びついているように思います。地理学系のコースが無くなり、地域○○学部・学科に再編される例が多いことから考えても、地理学の中で実質的な中心となる概念は「地域」ではないでしょうか。
(「実質的な」と留保をつけているのは、より原理的な立場から見れば「空間」のほうが根本にありそうだなという考えもあるからです)
次の章では、地理的な概念として挙げられている「位置や分布,場所,人間と自然環境との相互依存関係,空間的相互依存作用,地域など」について見ていきます。
―――――――――
2.地域
(1)さまざまな地域概念
第1回では、地理学は系統地理学と地誌学から構成されているという話をしました。
系統地理学において蓄積された知識を総合することで、地域の全体像が地誌として完成されるという見方です。
この見方は、「地域」を重視する方法論と言えます。
「地域」とは、何かしらのまとまりを持った空間の広がりのことです。
しかし、これだけでは少々曖昧なので、地理学では様々な「地域」概念が提唱されてきました。
中でも代表的なのは、等質地域と機能地域や、実質地域と形式地域という区分です。
第1回では、地理学は系統地理学と地誌学から構成されているという話をしました。
系統地理学において蓄積された知識を総合することで、地域の全体像が地誌として完成されるという見方です。
この見方は、「地域」を重視する方法論と言えます。
「地域」とは、何かしらのまとまりを持った空間の広がりのことです。
しかし、これだけでは少々曖昧なので、地理学では様々な「地域」概念が提唱されてきました。
中でも代表的なのは、等質地域と機能地域や、実質地域と形式地域という区分です。
等質地域と機能地域は、地域のまとまり方に着目した分類です。
※この図はあくまでイメージ
等質地域とは、同じような性質を持った地域のことを言います。
高校地理にも登場するものとしては、ケッペンの気候区分や、ホイットルセーの農業地域区分が等質地域の観点からの地域区分となります。
他には、土地利用図や地質図も等質地域を示したものです。
一方、機能地域は、ある中心を核にして結びつく地域を指します。
例えば、都市圏はある中心市への通勤率によって定義されますが、ここで注目されるのは中心市と個々の周辺地域の関係で、周辺地域同士の関係は定義には含まれません。
ほかには、企業の支店網や商圏などが例として挙げられます。
実質地域と形式地域は、まとまりの強さによる分類です。
まとまりが強いものは実質地域、弱い(もしくは無い)ものは形式地域と呼ばれます。
例えば、行政界はしばしば実質的な地域と乖離していることがあります。
アフリカの国境は緯経度によって定められたために、さまざまな民族が混じり合い、紛争の火種になったという話があります。
これは、実質地域と形式地域の矛盾から生じた出来事と言えるでしょう。
ただし、この区分はあくまで便宜的なもので、両者の境界は曖昧です。形式地域も、定められてからある程度の時間が経つと、実質的な役割を持つようになります。
これらの他にも、認知地域やアイデンティティ地域など、さまざまな地域概念が提唱されています。

参考:森川洋「ドイツにおける地誌学の研究動向」地誌研年報 (6), 15-50, 1997
ほかには、企業の支店網や商圏などが例として挙げられます。
実質地域と形式地域は、まとまりの強さによる分類です。
まとまりが強いものは実質地域、弱い(もしくは無い)ものは形式地域と呼ばれます。
例えば、行政界はしばしば実質的な地域と乖離していることがあります。
アフリカの国境は緯経度によって定められたために、さまざまな民族が混じり合い、紛争の火種になったという話があります。
これは、実質地域と形式地域の矛盾から生じた出来事と言えるでしょう。
ただし、この区分はあくまで便宜的なもので、両者の境界は曖昧です。形式地域も、定められてからある程度の時間が経つと、実質的な役割を持つようになります。
これらの他にも、認知地域やアイデンティティ地域など、さまざまな地域概念が提唱されています。
参考:森川洋「ドイツにおける地誌学の研究動向」地誌研年報 (6), 15-50, 1997
「地域」を重視する地理学では、地域をどのように区分するか、その地域のまとまりを成り立たせているものは何なのかといった点が問題になります。
「地域性」、すなわち他の地域とは異なるその地域の特色を明らかにすることが、地域論的な地理学の目標の一つです。
(2)地域を研究する学問
地理学以外にも、「地域」を冠する分野はたくさんあります。
地域社会学、地域経済学、地域研究、地域史などなど。
また、東北学(赤坂憲雄)や、信州学(市川健夫)など、地域の名称そのものを掲げた分野もあります。これらは地域学と総称されます。
冷戦中の他国研究から始まった地域研究が海外を対象とするのに対し、いわゆる地域学は国内、とりわけ郷土を対象とする点で異なります。
また、地域科学という分野もあります。アメリカの経済学者・アイサードによって創始された、計量的手法によって地域経済を分析する分野です。
東北学院大学の高野岳彦先生は、これらの関係を以下のように整理しています。
参考:「地理学」講義 第6講 地域論と地誌学
これらの分野の研究内容は、地理学とも重なる部分が多々あります。
地理学出身の研究者が地域○○学部に所属することもしばしばです。
まとめ
この章の初めに、「地域」とは何かしらのまとまりを持った空間の広がりであると言いました。
地誌学/系統地理学という区分からも分かるように、地域はさまざまな事象が重なり合い、絡み合って成り立っています。
この複雑な構造を捉えるのは容易ではありませんが、何かしらのまとまりによって対象を限定することで、その対象をより深く検討することができます。
まとまりの仕方に着目すれば、等質地域/機能地域といった区分ができます。
まとまりの強さに焦点を当てれば、実質地域/形式地域という分け方ができます。
これらを総合したものが、私たちが一般に想起するような「地域」(=関東、北欧、アフリカなど)です。
地誌学や地域学、地域研究などは、さまざまな系統地理学、そしてさまざまな学問が結集するプラットフォームのような分野です。
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3.空間と場所
(1)空間
地誌学や地域論が特殊性を志向するのに対し、地理学にはより一般性を志向する研究も存在します。
教科書にもよく登場する古典的な研究を挙げると、
・地代負担力から農業形態の分布を説明した「農業立地論」(チューネンなど)
・原料生産地と消費地の関係から工場の立地を説明した「工業立地論」(ウェーバーなど)
・都市の分布と規模を理論化した「中心地理論」(クリスタラーなど)
地誌学や地域論が特殊性を志向するのに対し、地理学にはより一般性を志向する研究も存在します。
教科書にもよく登場する古典的な研究を挙げると、
・地代負担力から農業形態の分布を説明した「農業立地論」(チューネンなど)
・原料生産地と消費地の関係から工場の立地を説明した「工業立地論」(ウェーバーなど)
・都市の分布と規模を理論化した「中心地理論」(クリスタラーなど)
これらはいずれも、現実空間に見られる事象をモデル化した理論です。
特定の地域に関する記述ではないため、どの地域に対しても適応を試みることができるのが特長です。
古典理論の多くは、ある事象の立地や分布を対象としています。
“どこ”に“なぜ”それがあるのかを問うことが、空間論的な地理学の目的と言えます。
また、分布論に時間的要素を取り入れたものとして、伝播・拡散研究があります。
民俗学の祖・柳田國男は、カタツムリの方言が近畿から同心円状に広がっていることに着目し、文化中心地から離れるほどより古い方言が残っているとする方言周圏論を唱えました。
現在ではこれに対する異論も述べられている(大西氏など)ものの、柳田のとった方法は空間的思考の良い例です。
参考:大西拓一郎『ことばの地理学−−方言はなぜそこにあるのか』大修館書店, 2016年
また、スウェーデンの地理学者・ヘーゲルストランドは、イノベーションがいかに伝播するかを研究し、空間的拡散モデルとして一般化しました。
彼の研究は文化地理学にも応用され、さまざまな伝播の類型が提唱されました。
画像:CITED IMAGES "diffusion"の図を和訳
参考:杉浦芳夫「空間的拡散研究の動向:情報の伝播とイノベーションの採用を中心として」人文地理 28(1), 33-67, 1976
(2)場所
前項で見たように、空間論的な地理学は客観性やモデル化を重視しています。
このようなモデル化は、x,y,z軸で把握されるような均質な空間を前提としています。
そして、そこに登場する人間は、機械的に動く合理的経済人(これは経済学の用語)です。
しかし、現実の人間は均質空間の中で合理的に動くわけではありません。
人はそれぞれの場所に特別な意味を見出し、自分が持つ世界認識に従って行動します。
地理学では、そのような人間の主観性を重視する立場も存在します。
そして、人間によって意味づけられた空間は「場所」と呼ばれ、無味乾燥な「空間」と区別されます。
参考:イーフー・トゥアン(小野有五、阿部一訳)『トポフィリア―人間と環境』せりか書房, 1992年(原著1974年)
文化地理学者のトゥアンは、人間が「場所」に対して持つイメージをトポフィリアと呼んで分析しました。
このような立場からは、文化的イメージや象徴的意味づけが主な研究対象となります。
詳しくは第5回(学史)で解説しますので、今回はそういう立場も存在するということだけ紹介しておきます。
(3)スケール
地理的事象は、さまざまなスケールから考察することができます。
同じ現象でも、スケールが違えば全く違う現象のように見えることもあります。
例えば自然地理学的現象は、時間・空間スケールに応じて以下のような現れ方をします。
参考:「自然地理現象の空間スケールと時間スケール」小池一之・山下脩二・岩田修二・漆原和子・小泉武栄・田瀬則雄・松倉公憲・松本淳・山川修治 編『自然地理学事典』朝倉書店、2017年, 8頁
地図上の解像度である縮尺は地図学的スケールと呼ばれます。
これは最もシンプルな空間的なスケールです。
スケールが異なる現象に対しては、それぞれ異なる方法で研究する必要があります。
地理学では、このようなスケールの差異に関する議論もされています。

画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 175頁
地理学では、このようなスケールの差異に関する議論もされています。
画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 175頁
小さなスケール(ミクロ)では、対象地域をじっくりと見ることができます。また、比較できる事例も多く存在するので、事例を積み重ねていくという帰納的な方法論が役に立ちます。
一方、大きなスケール(マクロ)では、あらゆる場所を見尽くすことはできません。また、比較対象も限られています。そのため、演繹的な方法を用いて理論を組み立てる必要があります。
現象をミクロに見るか、マクロに見るかという研究者の見方は、方法論的スケールと呼ばれます。
地図学的スケールや方法論スケールは、必要に応じて自由に拡大・縮小することができます。
これに対して、近年の地理学では、スケールはそれ自体が社会的に構築されたものであるとの考えが広まってきています。
このような見方はアメリカの政治地理学者・テイラーによって提唱されたもので、社会的構築物としてのスケールは「地理的スケール」と呼ばれます。
このような見方はアメリカの政治地理学者・テイラーによって提唱されたもので、社会的構築物としてのスケールは「地理的スケール」と呼ばれます。
テイラーによれば、地理的スケールには3つの次元が存在します。
一つはグローバル・スケールで、これは資本主義経済が世界単位で繰り広げられる「現実」のスケールです。
経済の影響は、さまざまな過程を経て人々の日常生活に影響をもたらします。
この、人々の「経験」のスケールは、ローカル・スケールと呼ばれます。
しかし、私たちの「経験」は、必ずしも「現実」に起きていることは一致しません。
そこには、文化的なバイアスがかかっています。
このように、ローカルとグローバルを媒介するスケールを、テイラーはナショナル・スケールと呼んでいます。これは、国民国家によって左右される「イデオロギー」のスケールです。
参考:山﨑孝史「スケール/リスケーリングの地理学と日本における実証研究の可能性」地域社会学会年報 24(0), 55-71, 2012

画像:町村敬志「リスケーリングの視点から統治の再編を考える」学術の動向 20(3), 3_73-3_79, 2015
グローバリズムは、国境を越えて経済活動を展開します。
それに対し、ナショナリズムは境界を強化することで対応します。
このようなスケール間の矛盾から社会事象を読み解くのがスケール論です。
テイラーのスケール論は少し難解ですが、移民・難民や排外主義など、現代世界で起こるさまざまな事象を理解する補助線になります。
日本においてスケール論を主導している政治地理学者・山崎孝史先生のHPでは、スケール論以外にもさまざまな地理学のトピックを解説した授業スライドが公開されているので、ぜひ目を通してみてください。
→政治地理のページ 山崎孝史研究室
まとめ
空間と場所に関わる概念を整理すると、以下のようになります。
立地や分布、伝播は、現象を抽象化したモデルと関連の深い概念です。
そこには、文化的なバイアスがかかっています。
このように、ローカルとグローバルを媒介するスケールを、テイラーはナショナル・スケールと呼んでいます。これは、国民国家によって左右される「イデオロギー」のスケールです。
参考:山﨑孝史「スケール/リスケーリングの地理学と日本における実証研究の可能性」地域社会学会年報 24(0), 55-71, 2012
画像:町村敬志「リスケーリングの視点から統治の再編を考える」学術の動向 20(3), 3_73-3_79, 2015
グローバリズムは、国境を越えて経済活動を展開します。
それに対し、ナショナリズムは境界を強化することで対応します。
このようなスケール間の矛盾から社会事象を読み解くのがスケール論です。
テイラーのスケール論は少し難解ですが、移民・難民や排外主義など、現代世界で起こるさまざまな事象を理解する補助線になります。
日本においてスケール論を主導している政治地理学者・山崎孝史先生のHPでは、スケール論以外にもさまざまな地理学のトピックを解説した授業スライドが公開されているので、ぜひ目を通してみてください。
→政治地理のページ 山崎孝史研究室
まとめ
空間と場所に関わる概念を整理すると、以下のようになります。
立地や分布、伝播は、現象を抽象化したモデルと関連の深い概念です。
このようなモデルは、数学的に記述できるような均質的な「空間」を前提としています。
それに対して、「場所」は人文的な意味合いの強い概念です。
人がそこにどのようなイメージを抱くか、そこを他の場所とどう区別するかによって定義されます。
まとまりによって定義される「地域」も、「場所」的な考え方と言えるかもしれません。
そして「スケール」は、第一義的には地理的現象を見る際の尺度を指します。
しかし、スケールは必ずしも自由に操作可能なものではなく、社会的立場によって固定・操作されるものでもあります。
―――――――――
4.環境と風土
それを元に、彼は文明度を左右するのは気候であるという結論を出します。
しかし、マクロな自然条件からミクロな人文条件を説明するのは無理があるという反論もありました。
人間には、自然環境の影響を受けつつも自由に生活様式を選び取っていく力があるという見方は環境可能論と呼ばれます。
環境決定論と環境可能論の論争は、地理学史においても重要なトピックです。
これについては、第5回(学史)で詳しくお話します。
線前期日本の地理学においても、環境決定論の影響力は大きいものでした。
それに対して、「場所」は人文的な意味合いの強い概念です。
人がそこにどのようなイメージを抱くか、そこを他の場所とどう区別するかによって定義されます。
まとまりによって定義される「地域」も、「場所」的な考え方と言えるかもしれません。
そして「スケール」は、第一義的には地理的現象を見る際の尺度を指します。
しかし、スケールは必ずしも自由に操作可能なものではなく、社会的立場によって固定・操作されるものでもあります。
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4.環境と風土
(1)環境決定論と環境可能論
自然地理学と人文地理学の二大分野を抱える地理学では、人間と自然との関係性に関する議論も行われてきました。
「自然」や「環境」といった言葉は、漠然と山や海、植物や動物を指すような響きがありますが、いくつかの段階に分けて考えることができます。

画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 2頁
まず「自然」は、人の手が加わらない、ありのままの、といった意味を持ちます。
まったく手が加わっていない「自然」もあれば、人が住む領域と比べて改変の程度が弱いという相対的な「自然」もあります。
「自然」や「環境」といった言葉は、漠然と山や海、植物や動物を指すような響きがありますが、いくつかの段階に分けて考えることができます。
画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 2頁
まず「自然」は、人の手が加わらない、ありのままの、といった意味を持ちます。
まったく手が加わっていない「自然」もあれば、人が住む領域と比べて改変の程度が弱いという相対的な「自然」もあります。
これに対して「環境」は、人間の視点から、生活を取り巻くまわりの状況を指す言葉です。
これらが重なる領域は自然環境と呼ばれることもあります。
自然環境を背景にして形成される人間の生活様式は「風土」と呼ばれます。
いずれも似たような言葉ですが、着眼点が異なっています。
環境に関する議論の中でも長い論争が続いているのが、環境決定論にまつわる議論です。
これは、人間の性格や文化は気候などの環境条件によって決定されるという見方です。
代表的なものとして、ハンティントンの『気候と文明』(1915)という著作が挙げられます。

画像:wikimedia commonsより
彼は有識者にアンケートを送り、世界各国の「文明度」を示す地図を作りました(上図)。これらが重なる領域は自然環境と呼ばれることもあります。
自然環境を背景にして形成される人間の生活様式は「風土」と呼ばれます。
いずれも似たような言葉ですが、着眼点が異なっています。
環境に関する議論の中でも長い論争が続いているのが、環境決定論にまつわる議論です。
これは、人間の性格や文化は気候などの環境条件によって決定されるという見方です。
代表的なものとして、ハンティントンの『気候と文明』(1915)という著作が挙げられます。
画像:wikimedia commonsより
それを元に、彼は文明度を左右するのは気候であるという結論を出します。
しかし、マクロな自然条件からミクロな人文条件を説明するのは無理があるという反論もありました。
人間には、自然環境の影響を受けつつも自由に生活様式を選び取っていく力があるという見方は環境可能論と呼ばれます。
環境決定論と環境可能論の論争は、地理学史においても重要なトピックです。
これについては、第5回(学史)で詳しくお話します。
線前期日本の地理学においても、環境決定論の影響力は大きいものでした。
戦後、環境決定論は強く批判され、地理学では環境決定論的な見方はタブー視されるようになりました。
「熱帯に住む人々は文明度が低いので、我々が啓蒙する必要がある」といった環境決定論の考え方が、植民地支配を肯定したと考えられたからです。
また、ソルボンヌ大学で地理学を学んだ飯塚浩二が、環境可能論の色合いが強いフランスの地理学書を多く翻訳したことも影響しています。※ただし、飯塚浩二がそのような見解を示すのは戦前から
また、ソルボンヌ大学で地理学を学んだ飯塚浩二が、環境可能論の色合いが強いフランスの地理学書を多く翻訳したことも影響しています。※ただし、飯塚浩二がそのような見解を示すのは戦前から
環境決定論と環境可能論の論争は、現在でも続いています。
例えば、アメリカの生物地理学者・ジャレド・ダイアモンドによる『銃・病原菌・鉄』という著作は、西洋がなぜ発展したのかを、農耕・牧畜の起源や大陸の自然環境と結びつけて説明し、ベストセラーとなりました。
しかし、地理学からは、そのような見方は環境決定論的ではないかとの批判もなされています。
参考:二村太郎, 荒又美陽, 成瀬厚, 杉山和明「日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか」E-journal GEO 7(2), 225-249, 2012
(2)環境改変と環境認識
ここまでは、自然は人間にどのような影響を与えるかという点が議論の対象でした。
しかし、それとは反対の方向性も考えられます。
それは、人間は自然にどのような影響を与えるか、すなわち「環境改変」に対する問題意識です。
環境改変への関心は、早くは産業革命以降に起こっていきます。
また、植民活動によって急速に開拓が進んだアメリカでは、マーシュという地理学者が『人間と自然、あるいは人為によって変容された自然の地理』(1864年)という著作を記し、自然保全運動に影響を与えました。
環境改変について研究するためには、人間が環境をどのように認識しているかという「環境認識」も重要な論点となります。
例えば、先ほども出てきた文化地理学者・トゥアンによるアメリカの自然環境についての研究では、湿潤な東部から来たアングロ・サクソン系の探検家は、ニューメキシコの大地を不毛で荒涼とした土地と見なしたのに対し、乾燥した南部から来たラテン系の移住者は、同じ土地を豊富な牧草で覆われた豊かな平野として見ていたことが指摘されました。
このように、人が自然を見るまなざしは、その人自身の文化的背景によって大きく変わります。

サングレ・デ・クリスト山脈(ニューメキシコ州)
画像:wikimedia commonsより
また、中世までの日本では山は畏怖される信仰の対象であったのが、近世に入ると行楽地としての側面を獲得し、近代には西洋のアルピニズムの影響を受けてハイキングの舞台となっていったことも、環境認識の変化をよく示す事例です。
戦前、特に1920年代以前の地理学では、人間と自然の相互作用を研究することこそが地理学の目的だとする思想が受け入れられていました。この考え方は「地人相関論」と呼ばれます。
北海道の尋常小学校教師であった牧口常三郎はこの影響を強く受け、著作『人生地理学』において地人相関論的な地理教育論を展開しました。
また、長野県の旧制中学校教諭であった三沢勝衛は、郷土教育における自然環境の観察を重視し、「風土」を起点とした地理教育論・産業振興論を唱えました。
(3)環境問題と風土論
現代以降には、気候変動をはじめとする地球規模での環境問題にも関心が寄せられます。
環境問題は、領域ごとに細分化された科学では問題構造を俯瞰できない難問です。
その中で登場したのが、システム論的な考え方です。

参考:山本隆太「ドイツ地理教育における「人間-環境システム論」に関する研究」早稲田大学博士論文, 2017
環境を扱う地理学では、人文・自然にまたがるさまざまな事象を結び付けて分析します。
自然条件だけでなく、それをとりまく文化・社会・経済的な条件も分析の対象となります。
このような考え方は、地理学だけでなくほかの環境○○学(経済、社会、考古…)や生態学にも共通します。
環境問題への関心の中で、「風土論」とでも総称できるような分野の再評価が進みました。
例えば、アメリカの生物地理学者・ジャレド・ダイアモンドによる『銃・病原菌・鉄』という著作は、西洋がなぜ発展したのかを、農耕・牧畜の起源や大陸の自然環境と結びつけて説明し、ベストセラーとなりました。
しかし、地理学からは、そのような見方は環境決定論的ではないかとの批判もなされています。
参考:二村太郎, 荒又美陽, 成瀬厚, 杉山和明「日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか」E-journal GEO 7(2), 225-249, 2012
(2)環境改変と環境認識
ここまでは、自然は人間にどのような影響を与えるかという点が議論の対象でした。
しかし、それとは反対の方向性も考えられます。
それは、人間は自然にどのような影響を与えるか、すなわち「環境改変」に対する問題意識です。
環境改変への関心は、早くは産業革命以降に起こっていきます。
また、植民活動によって急速に開拓が進んだアメリカでは、マーシュという地理学者が『人間と自然、あるいは人為によって変容された自然の地理』(1864年)という著作を記し、自然保全運動に影響を与えました。
環境改変について研究するためには、人間が環境をどのように認識しているかという「環境認識」も重要な論点となります。
例えば、先ほども出てきた文化地理学者・トゥアンによるアメリカの自然環境についての研究では、湿潤な東部から来たアングロ・サクソン系の探検家は、ニューメキシコの大地を不毛で荒涼とした土地と見なしたのに対し、乾燥した南部から来たラテン系の移住者は、同じ土地を豊富な牧草で覆われた豊かな平野として見ていたことが指摘されました。
このように、人が自然を見るまなざしは、その人自身の文化的背景によって大きく変わります。
サングレ・デ・クリスト山脈(ニューメキシコ州)
画像:wikimedia commonsより
また、中世までの日本では山は畏怖される信仰の対象であったのが、近世に入ると行楽地としての側面を獲得し、近代には西洋のアルピニズムの影響を受けてハイキングの舞台となっていったことも、環境認識の変化をよく示す事例です。
戦前、特に1920年代以前の地理学では、人間と自然の相互作用を研究することこそが地理学の目的だとする思想が受け入れられていました。この考え方は「地人相関論」と呼ばれます。
北海道の尋常小学校教師であった牧口常三郎はこの影響を強く受け、著作『人生地理学』において地人相関論的な地理教育論を展開しました。
また、長野県の旧制中学校教諭であった三沢勝衛は、郷土教育における自然環境の観察を重視し、「風土」を起点とした地理教育論・産業振興論を唱えました。
(3)環境問題と風土論
現代以降には、気候変動をはじめとする地球規模での環境問題にも関心が寄せられます。
環境問題は、領域ごとに細分化された科学では問題構造を俯瞰できない難問です。
その中で登場したのが、システム論的な考え方です。
参考:山本隆太「ドイツ地理教育における「人間-環境システム論」に関する研究」早稲田大学博士論文, 2017
環境を扱う地理学では、人文・自然にまたがるさまざまな事象を結び付けて分析します。
自然条件だけでなく、それをとりまく文化・社会・経済的な条件も分析の対象となります。
このような考え方は、地理学だけでなくほかの環境○○学(経済、社会、考古…)や生態学にも共通します。
環境問題への関心の中で、「風土論」とでも総称できるような分野の再評価が進みました。
戦前、哲学者の和辻哲郎は『風土—人間学的考察』という本において、人間の気質が気候との関連の中で形成されることを説きました。歴史学者・井上光貞は、岩波文庫版での解説で、この本を以下のように紹介しています。
風土とは単なる自然環境ではなくして、人間の精神構造の中に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない。こうした観点から著者はモンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型を設定し、日本をはじめ世界各地域の民族・文化・社会の特質を見事に浮彫りにした。今日なお論議をよんでやまぬ比較文化論の一大労作である。

哲学的な直観によって風土の構造を論じたこの本は、分野を問わず幅広い支持を集めました。
フランスの地理学者・ベルクは和辻哲郎の風土論を高く評価し、日本文化論に関する著作を多く執筆しています。
彼によれば、西洋文化が人間と自然を二項対立的に捉え、自然をコントロールする対象として見ているのに対し、日本では、人間と自然の境界はあいまいで、主体と客体が未分化な「通態(trajet)」という状態にあるとされます。
和辻に始まる風土論は、文明論や生態史といった分野に影響を与えました。
代表的な人物としては、『文明の生態史観』で文明を左右する自然環境を論じた民族学者・梅棹忠夫、『森林の思考・砂漠の思考』という比較文化論を著した気候学者・鈴木秀夫、環境考古学という分野を提唱した自然地理学者・安田喜憲などがいます。
風土とは単なる自然環境ではなくして、人間の精神構造の中に刻みこまれた自己了解の仕方に他ならない。こうした観点から著者はモンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型を設定し、日本をはじめ世界各地域の民族・文化・社会の特質を見事に浮彫りにした。今日なお論議をよんでやまぬ比較文化論の一大労作である。
哲学的な直観によって風土の構造を論じたこの本は、分野を問わず幅広い支持を集めました。
フランスの地理学者・ベルクは和辻哲郎の風土論を高く評価し、日本文化論に関する著作を多く執筆しています。
彼によれば、西洋文化が人間と自然を二項対立的に捉え、自然をコントロールする対象として見ているのに対し、日本では、人間と自然の境界はあいまいで、主体と客体が未分化な「通態(trajet)」という状態にあるとされます。
和辻に始まる風土論は、文明論や生態史といった分野に影響を与えました。
代表的な人物としては、『文明の生態史観』で文明を左右する自然環境を論じた民族学者・梅棹忠夫、『森林の思考・砂漠の思考』という比較文化論を著した気候学者・鈴木秀夫、環境考古学という分野を提唱した自然地理学者・安田喜憲などがいます。
彼らを中心に形成された「日本人は自然に対する畏敬の念を持ち、自然と共生してきた」という言説は、現在の日本の環境行政にも強い影響を与えています。
しかし、環境改変の歴史を振り返れば、これは必ずしも正しい見解とは言えません。
例えば、民俗学者でもあり地理学者でもある千葉徳爾による名著『はげ山の研究』は、近代までの日本では過剰な森林利用によってあちこちではげ山が見られたことを明らかにしています。
田上山(滋賀県)の様子:大正2年(左)・平成30年(右)
画像:明治期の治山事業について:林野庁
また、総合地球環境学研究所による研究プロジェクトでは、日本の里山に典型的に見られるとされた「自然との共生」が、日本だけではなく世界の各地にも見られることが指摘されています。
以上のような見解から、「自然との共生は日本文化の特徴」という言説を「里山ナショナリズム」と呼び批判的に見る人もいます。
参考:里山ナショナリズムの源流を追う 21世紀環境立国戦略特別部会資料から|GFB|note
また、現在の環境思想では、「自然」という概念自体を疑う考えも登場しています。
これは社会学で発達した社会構築主義の影響を受けた考え方で、「自然」や「環境」という言葉が指すのは、現実そのものではなく、社会的に共有されている(=人間によって生産された)認識だという考え方です。
まとめ

画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 29頁
以上のように、「環境」や「風土」の見方には様々な立場があります。
「自然」を素朴に考える見方もあれば、概念自体を深掘りするものもあります。
人間社会は環境によって決定されると考えるならば環境決定論。
環境の中でも主体的な生活ができると考えるならば環境可能論。
反対に、人間から環境への影響は環境改変として研究されます。
環境と人間の相互関係について考えるならば、環境認知やシステム論の見方が有効になります。
また、風土論や社会構築主義のような思想的な方向性も存在します。
いずれにしても、対象がまったく異なる人文地理学と自然地理学が同じ学問である根拠・意義を探すならば、それは環境・風土論の中にあるでしょう。
―――――――――
これは社会学で発達した社会構築主義の影響を受けた考え方で、「自然」や「環境」という言葉が指すのは、現実そのものではなく、社会的に共有されている(=人間によって生産された)認識だという考え方です。
まとめ
画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 29頁
以上のように、「環境」や「風土」の見方には様々な立場があります。
「自然」を素朴に考える見方もあれば、概念自体を深掘りするものもあります。
人間社会は環境によって決定されると考えるならば環境決定論。
環境の中でも主体的な生活ができると考えるならば環境可能論。
反対に、人間から環境への影響は環境改変として研究されます。
環境と人間の相互関係について考えるならば、環境認知やシステム論の見方が有効になります。
また、風土論や社会構築主義のような思想的な方向性も存在します。
いずれにしても、対象がまったく異なる人文地理学と自然地理学が同じ学問である根拠・意義を探すならば、それは環境・風土論の中にあるでしょう。
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5.景観と風景
(1)景観
ここまで見てきた空間・場所・環境といった概念は、かなり抽象度の高い概念です。
しかし、実際に研究をする上では、それらをより具体的に考える必要があります。
その際に有効なのが、「景観」という見方です。
地理学における景観論は、ドイツ地理学に始まります。
近代地理学成立の舞台であったドイツでは、“Landschaft”(ラントシャフト)が地理学の研究対象とされました。
しかし、この“Landschaft”という言葉は多様な意味を含んでいます。
この概念が日本に導入される際には、訳語をめぐって論争が沸き起こりました。
“Landschaft”の意味は大きく分けると二つ。

参考:岡田俊裕「敗戦前の日本における「景観」概念と「景観」学論」人文地理 39(5), 445-460, 1987
一つは「地域」に近い考え方で、①土地を構成するさまざまな要素の複合体を指します。
1920年代の日本では、“Landschaft”はこの意味で用いられるほうが主流でした。
ここまで見てきた空間・場所・環境といった概念は、かなり抽象度の高い概念です。
しかし、実際に研究をする上では、それらをより具体的に考える必要があります。
その際に有効なのが、「景観」という見方です。
地理学における景観論は、ドイツ地理学に始まります。
近代地理学成立の舞台であったドイツでは、“Landschaft”(ラントシャフト)が地理学の研究対象とされました。
しかし、この“Landschaft”という言葉は多様な意味を含んでいます。
この概念が日本に導入される際には、訳語をめぐって論争が沸き起こりました。
“Landschaft”の意味は大きく分けると二つ。
参考:岡田俊裕「敗戦前の日本における「景観」概念と「景観」学論」人文地理 39(5), 445-460, 1987
一つは「地域」に近い考え方で、①土地を構成するさまざまな要素の複合体を指します。
1920年代の日本では、“Landschaft”はこの意味で用いられるほうが主流でした。
もう一つは「景色」と近い見方で、②目に見える土地のあり方を意味します。
日本の地理学では、1930年代に辻村太郎という東京帝大の地形学者が、“Landschaft”を「景観」と訳しました。
彼は教科書を編纂するような重要な立場にいたため、この訳語が定着しました。
彼の用法は、可視的な側面に焦点を当てる②に近いものでした。
その他の訳語としては「景域」「景相」などがありましたが、いずれも定着しませんでした。
欧米の地理学における「景観」概念の展開も面白いのですが、それは第5回(学史)で解説します。
参考:渡部章郎, 進士五十八, 山部能宜「地理学系分野における景観概念の変遷」東京農業大学農学集報 54(1), 20-27, 2009
日本の地理学では、1930年代に辻村太郎という東京帝大の地形学者が、“Landschaft”を「景観」と訳しました。
彼は教科書を編纂するような重要な立場にいたため、この訳語が定着しました。
彼の用法は、可視的な側面に焦点を当てる②に近いものでした。
その他の訳語としては「景域」「景相」などがありましたが、いずれも定着しませんでした。
欧米の地理学における「景観」概念の展開も面白いのですが、それは第5回(学史)で解説します。
参考:渡部章郎, 進士五十八, 山部能宜「地理学系分野における景観概念の変遷」東京農業大学農学集報 54(1), 20-27, 2009
第2回では、地理学の主要な研究手法として「地図」を紹介しました。
この「景観」という概念は、地図と深く結びついています。
地図は、地表の様子を抽象化して表したものです。そこに表されるのは、地形や建造物など、可視的な「景観」が主です。
フィールドに出向いて土地利用の広がりや変化を調査することは、伝統的な地理学の方法論です。
また、現在ではGISを用いた景観調査も行われます。
画像:野間晴雄・香川貴志・土平 博・山田周二・河角龍典・小原丈明 編著『ジオ・パルNEO[第2版]地理学・地域調査便利帖』海青社, 2017年, 口絵
また、ドイツの地理学者・トロルは、景観生態学(地生態学)という分野を築きました。
これは、自然環境を「景観」を軸にして捉えることで、地形・水文・植生などさまざまな自然要素を総合的に分析する学問領域です。

参考:横山秀司「景観と景観生態学」地理科学 51(3), 158-162, 1996
景観生態学では、構造的・機能的に同質な最小の空間単位をエコトープとして捉え、ゲオトープ(地形・土壌)、ビオトープ(生物)、ヒドロトープ(水文)などさまざまな因子から成るエコトープを分析します。
ただし、実際にはエコトープを描出することは容易ではないため、パッチ、コリドー、マトリクスといった可視的な土地の広がりを用いた分析がなされます。

参考:石川幹子「東京都心部における基質構造(マトリクス)の歴史的変化と熱・風環境評価に基づく都市環境計画研究(RECCA)」
(2)風景
「景観」は土地の物理的・可視的な側面に着目した概念でした。
参考:横山秀司「景観と景観生態学」地理科学 51(3), 158-162, 1996
景観生態学では、構造的・機能的に同質な最小の空間単位をエコトープとして捉え、ゲオトープ(地形・土壌)、ビオトープ(生物)、ヒドロトープ(水文)などさまざまな因子から成るエコトープを分析します。
ただし、実際にはエコトープを描出することは容易ではないため、パッチ、コリドー、マトリクスといった可視的な土地の広がりを用いた分析がなされます。
参考:石川幹子「東京都心部における基質構造(マトリクス)の歴史的変化と熱・風環境評価に基づく都市環境計画研究(RECCA)」
(2)風景
「景観」は土地の物理的・可視的な側面に着目した概念でした。
これに対して、人間が土地を見る際の主観的な側面は「風景」と呼ばれます。
「景観」はドイツの“Landschaft”に始まる概念でしたが、「風景」はイギリスやアメリカの“Landscape”(ランドスケープ)の概念を起源とします。
「風景」という概念は、伝統的には景観工学など工学系の分野で用いられてきましたが、1970年代以降には地理学においてもこの言葉を用いた研究が登場し始めました。
特に、「新しい文化地理学」と呼ばれるような英米圏の潮流において「風景」概念がよく用いられます。
「風景」という概念は、伝統的には景観工学など工学系の分野で用いられてきましたが、1970年代以降には地理学においてもこの言葉を用いた研究が登場し始めました。
特に、「新しい文化地理学」と呼ばれるような英米圏の潮流において「風景」概念がよく用いられます。
その代表であるコスグローヴやダニエルスらは、『風景の図像学』において、風景画の変遷から人々の風景へのまなざしを分析しました。
また、アプルトンは風景画の構図に着目し、人間が好ましいと思う風景には、眺望の良い場所と身を隠すのに適した場所という二つの形式があるという「見晴らし=隠れ家理論」を唱えました。

参考:J.アプルトン『風景の経験 景観の美について』読書メモ - Togetter
このように、風景に関する研究では視覚史料がよく用いられます。
風景画はその典型ですが、それ以外にも、写真や映画も用いられます。
ジェンダー論を取り入れた研究を行うイギリスの文化地理学者・ローズは、このような視覚資料を扱うための方法論をまとめた“Visual Methodologies”という著作を書いています。

参考:麻生 将 , 長谷川 奨悟 , 網島 聖「人文地理学研究における視覚資料利用の基礎的研究 : 絵画・写真の構図に着目して」空間・社会・地理思想(22), 77-89, 2019
「風景」は主観的な概念です。
「空間」と「場所」という対比は、「景観」と「風景」という対比とどこか近いものがあります。
「景観」から「空間」的理論が導かれるように、「風景」も「場所」に関する研究の具体的方法論としてよく採用されます。
人間は景観をありのままに見ているわけではなく、自分が持つ価値観や目的と照らし合わせながら見ているのです。

参考:若松司「「風景」と「景観」の理論的検討と中上健次の「路地」解釈の一試論」都市文化研究 (4), 56-72, 2004
また、アプルトンは風景画の構図に着目し、人間が好ましいと思う風景には、眺望の良い場所と身を隠すのに適した場所という二つの形式があるという「見晴らし=隠れ家理論」を唱えました。
参考:J.アプルトン『風景の経験 景観の美について』読書メモ - Togetter
このように、風景に関する研究では視覚史料がよく用いられます。
風景画はその典型ですが、それ以外にも、写真や映画も用いられます。
ジェンダー論を取り入れた研究を行うイギリスの文化地理学者・ローズは、このような視覚資料を扱うための方法論をまとめた“Visual Methodologies”という著作を書いています。
参考:麻生 将 , 長谷川 奨悟 , 網島 聖「人文地理学研究における視覚資料利用の基礎的研究 : 絵画・写真の構図に着目して」空間・社会・地理思想(22), 77-89, 2019
「風景」は主観的な概念です。
「空間」と「場所」という対比は、「景観」と「風景」という対比とどこか近いものがあります。
「景観」から「空間」的理論が導かれるように、「風景」も「場所」に関する研究の具体的方法論としてよく採用されます。
人間は景観をありのままに見ているわけではなく、自分が持つ価値観や目的と照らし合わせながら見ているのです。
参考:若松司「「風景」と「景観」の理論的検討と中上健次の「路地」解釈の一試論」都市文化研究 (4), 56-72, 2004
おわりに
今回の記事の目的は、「地理的な見方」の内実を明らかにすることでした。
「地理的な見方」についてはさまざまな意見が述べられますが、そのほとんどはこの記事で述べたような概念に集約されるのではないかと思います。
これらの概念は、それぞれ別の関心を持ちながらも重なり合っています。

今回の記事の目的は、「地理的な見方」の内実を明らかにすることでした。
「地理的な見方」についてはさまざまな意見が述べられますが、そのほとんどはこの記事で述べたような概念に集約されるのではないかと思います。
これらの概念は、それぞれ別の関心を持ちながらも重なり合っています。
まず「地域」は地理学の中でも最も伝統のある概念です。地域性を明らかにすることが地理学の目標であるという考え方はこの概念に由来します。
「空間」と「場所」は、それに比べると新しい概念です。
「空間」論は、より普遍的な法則を見出そうという志向から、20世紀以降に台頭してきました。この考え方は、計量革命というムーブメントによって地理学界を席巻します。
それに対して異を唱える人々によって生み出されたのが「場所」論です。彼らは人間の主観を方法論の基礎に置き、空間論とは異なる見方から土地を解釈しました。
また、人間と自然の関係も地理学の主要なテーマです。
「空間」論は、より普遍的な法則を見出そうという志向から、20世紀以降に台頭してきました。この考え方は、計量革命というムーブメントによって地理学界を席巻します。
それに対して異を唱える人々によって生み出されたのが「場所」論です。彼らは人間の主観を方法論の基礎に置き、空間論とは異なる見方から土地を解釈しました。
また、人間と自然の関係も地理学の主要なテーマです。
人間は自然に左右されるのか、あるいは人間は自然をどう左右するのか、といった点は「環境」論の大きな問題関心です。
これをさらに思想的に突き詰めると「風土」論に至ります。
これをさらに思想的に突き詰めると「風土」論に至ります。
以上の概念を追究するために用いられるのが、「景観」と「風景」という見方です。
一方、主観的側面を重視する「風景」論は、美学や景観工学と関わり合いながら、地理学の文化的側面を担っています。
今回扱った概念をまとめるとこのようになるでしょうか。
さて、ここで一つ、触れなければいけないはずなのに触れていない概念がありますね。
それは「地理」という概念です。
他の概念はそれなりに議論がされていますが、“地理”学の中心にあるはずの「地理」という概念については、ほとんど言及がされていないのが実情です。
「地の理(ことわり)」だとか、いや「地の肌理(きめ)」だとか、さまざまな説はあるのですが、いずれも本質論と結びつくほど深い議論はされていません。
あるいは、中国や韓国では「地理」は日本で言う「風水」を意味することもあります。しかし、これは今回扱っている近代的な地理学とは別の文脈で扱うべきでしょう。
もし「地理」という言葉を定義するならば、それは今回扱った概念の総称なのではないかと思います。
これまでの記事によって、「地理学とは何か」という問いの答えもずいぶんと見えてきたのではないでしょうか。
最終回となる第5回では、地理学の学史を見ていきます。
地理学の基礎概念はどのようにして定まっていったのか、そしてその過程にはどのような論争があったのかを知れば、より深みをもって地理学を捉えることができるでしょう。
→第5回:地理学の歴史と論争
余談
これは私の個人的考えですが、今回登場した概念の中では「地域」が最もすべての概念とバランス良く結びついているように思います。地理学系のコースが無くなり、地域○○学部・学科に再編される例が多いことから考えても、地理学の中で実質的な中心となる概念は「地域」ではないでしょうか。
(「実質的な」と留保をつけているのは、より原理的な立場から見れば「空間」のほうが根本にありそうだなという考えもあるからです)