〈地理学のガイドマップ〉第5回
地理学の歴史と論争

地理学思想史の流れ


これまでの記事

目次
1.古代~近世
(1)地理学と哲学は諸科学の母…?
(2)中世は暗黒時代?
(3)あの人も実は地理学者!
2.近代
(1)近代地理学の誕生
(2)論争の時代…
(3)古典理論の確立
3.現代
(1)計量革命 ~現代地理学の始まり~
(2)人間への回帰
(3)社会理論への接近
(4)複雑化する地理学
(5)計量革命からGISへ
4.学史における論点
おわりに

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第1~4回では、現代の地理学がどのような特徴を持っているかを説明してきました。
ですが、そもそも地理学という学問はどのように発達してきたのでしょうか。
私たちが現在知るような「地理学」がどう形成されてきたかを見れば、地理学とは何かをより深く考えられるはずです。

第1回でご紹介した『ジオ・パルNEO』の第12章には、地理学史に関する概説的記述があります。
また、高野岳彦先生作成の「地理学の歴史  参考文献」には、個々のトピックに関する文献が紹介されています。

詳細は上記の文献に任せるとして、この記事では地理学史の中でも特に本質論に焦点を当てて解説していきます。

なお、今回は地図の歴史は扱いません。
地図史は他にも多くの方がまとめているので、そちらを参照ください。
地図の歴史 - 世界地図を作ろう
文明と地図を考える その1|mokosamurai / もこ侍|note



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1.古代~近世
(1)地理学と哲学は諸科学の母…?
古代のギリシャやローマにおいては、世界に関する記述全般が“Geographia”と呼ばれました。
探検測量地図作製、果ては天文学など、その領域は多岐にわたります。
天文学や数学で有名な古代ローマの学者・プトレマイオスは、世界で初めて、投影法を用いた地図を製作した人物でもあります。

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プトレマイオスの世界図
画像:wikimedia commonsより

彼は、「地理学は天に知の面影を読みとる崇高なる科学である」と述べています。なんだか宗教的な響きがしますね。

ところで、Wikipediaの「地理学」の項には「地理学と哲学は諸科学の母」という言葉が載っています(2020.3.21時点)。
どうも法政大学地理学科のHPを参照しているようですが、こちらも「…という表現が聞かれます」と伝聞調です。
検索しても、上のどちらかをコピペしたと思しきサイトばかり。
不思議なことに、この言葉は哲学では引用されず、もっぱら地理学サイドからのみ使われているようです。
いったい初出はどこなのでしょうか。知っている方は教えていただけると嬉しいです。


(2)中世は暗黒時代?
一般的な地理学の歴史においては、中世は「暗黒時代」として扱われます。
キリスト教的世界観を表したTO図は高校地理にも登場しますね。
そのあまりの単純さに衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか。

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画像:wikimedia commonsより

中世を暗黒時代をする見方は、ルネサンス期に端を発します。
ルネサンス期の人文主義者たちは、古典時代(=古代ギリシャ・ローマ)を輝かしい時代と見なし、古典古代の復活を目指しました。このような立場からすれば、中世は自ずと否定的に捉えられます。
この「中世暗黒史観」は近代以降も継承され、マルクス主義と結びつきながら日本の歴史学にも影響を与えました。

しかし、現代の西洋史研究では、そのような単純な見方は否定されています。
「地球球体説は中世には忘れ去られ、地球は平面だと思われていた」という見方も、コロンブスを持ち上げるために生まれた俗説だそうです。
地球平面説という神話 - Wikipedia
※Wikipedia情報ですみません。もっとちゃんと知りたい方はこのページで挙げられている参考文献に当たってください。

これらの歴史研究の成果を踏まえると、地理学史における「中世暗黒史観」も修正の必要がありそうですが、寡聞にしてそういった研究を私は知りません。
日本における西洋中世地理学史の研究はこの数十年間停滞しているようなので、そろそろ新しい研究が必要なのかな、と思います。

中世の地理学史では、キリスト教圏よりもイスラム圏の成果が評価されます。
幾何学的な地図を作製した「バルヒー学派」や、数学者でもあるフワーリズミーによる地図作製など、面白い話は色々とあるのですが、本質論とは外れるので今回は割愛します。


(3)あの人も実は地理学者!
近世に入ると、ワレニウスという地理学者が現れます。
彼の功績は、『一般地理学』(Geographia Generalis)という著作を残したことです。
「一般地理学」とは現在で言うところの系統地理学で、これによって、地誌学と系統地理学という地理学の二つの視点が確立されました。

また、哲学者として有名なカントも、大学で地理学の講義を行っていました。
カントと言えば、経験を重視するイギリス哲学と、理性を重視する大陸哲学を統合し、ドイツ観念論と呼ばれる流れを打ち立てた人物として知られています。
彼は、人間が先天的(=アプリオリ)に持つ概念として、時間と空間を挙げ、後者を扱う学問として地理学を重要視しました。

カントの世界市民的地理教育
参考:広瀬悠三『カントの世界市民的地理教育—人間形成論的意義の解明』ミネルヴァ書房、2017年

カントによれば、「地球上における諸事象を場所に即して、それらの併存関係を考察する」ことが地理学の本質とされます。
哲学というと頭の中で考えるようなイメージがありますが、彼が思索と同時に経験的知識を獲得することも重視していたのは興味深いですね。
「地理学と哲学は諸科学の母」という言葉もこのあたりにルーツがありそうですが、いかに。

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2.近代
(1)近代地理学の誕生
近代地理学の確立者として必ず名前が挙げられるのが、共に18世紀のドイツに生まれたフンボルトリッターです。
フンボルトは世界各地への探検を行い、動植物の分布と気候など、自然現象の連関を複合的に捉えた地誌、『コスモス』を記しました。
彼が描いたチンボラソ(エクアドルの山)の立体図は、標高と景観の関係を科学的に描き、かつ絵画的な美しさも備えた見事な作品です。

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画像:wikimedia commonsより

一方、リッターはベルリン大学に世界初の地理学講座を開くなど、地理学の制度的に整えた人物です。
彼は、地理学の本質について以下のように述べています。

「地理学においては、地表に存在する対象物がそれ自体として考察されることはない。 そうではなくて、地域をみたす諸事象が相互に関連し、また大地と関連することで生じる地域の特性という観点から、地表の諸地域が考察されるのである」

このように、彼は事象を総合的に研究する方法として地理学を理論化しました。
彼はまた、地理学の対象を地表に限定しています。これによって、地理学は天文学から切り離されました。


(2)論争の時代…
フンボルトとリッター以降、近代地理学はドイツを中心に発展していきます。
19世紀後半には、地理学を二分するような二つの立場が現れました。
それは、「環境決定論」と「環境可能論」です。

第4回(地理学の基礎概念)でも解説したように、これは、人間の生活文化は自然環境によって決定されるのか、されないのか、という見方の違いです。
「暖かい場所に住む人はのんびりとした性格をしている」などという見方は、典型的な環境決定論と言えます。
これに対し、人間の生活様式は自然環境によって決定されるのではなく、環境の中でどのような生活様式をとるかを選択できるという見方を環境可能論と呼びます。
かつては、決定論の代表はドイツラッツェル、可能論の代表はフランスヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュとされていました。

しかし、そのような対比は誤りであり、環境決定論はむしろアメリカハンティントンセンプルらが中心だったという見解が現在では一般的です。
詳しくはこちらのスライドもご覧ください。
「フリードリヒ・ラッツェルと環境決定論の展開」
また、Wikipediaの「環境決定論」の項は内容が細かく、参考文献も充実しているので、Wikipediaの記事としては比較的参考になるのではないかと思います(2020.3.21時点)。
環境決定論 - Wikipedia
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ラッツェル(左)とブラーシュ(右)
画像:wikimedia commons
参考:森滝 健一郎「地理学における環境論」水資源・環境研究 1987(1), 34-47, 1987


また、この時期の地理学では「景観」に関する議論も盛んに行われました。
その中心となったのは、これまたドイツの地理学者、シュリューターです。
彼は、地表のあらゆる現象を扱うラッツェルの立場を批判し、地理学の対象を可視的な物的景観に限定すべきと説きました。
彼の立場は後にアメリカのサウアーに継承され、バークレー学派と呼ばれる文化地理学の分野へとつながりました。


(3)古典理論の確立
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、地理学では古典的な理論が多く出現しました。
これについては、前回ご紹介した通りです。
地理学の古典理論

チューネンやクリスタラーは「空間」的な理論を打ち立てましたが、この当時の地理学の主流だったのは、ラッツェル以降ドイツで発展した「地域」論的な学者たちです。
代表的な人物としては、シルクロード(ドイツ語で”Seidenstrassen”)の名付け親でもある地形学者・リヒトホーフェンや、『地理学 歴史・本質・方法』という本を記したヘットナーなどがいます。

ヘットナーは著書において、
「個々の現象、例えば特定の農作物や施設の分布を研究することは、それだけで地理学の目標にはなり得ない」
と述べています。彼は、目に見えるものだけではなく、その地域を成り立たせる統一的なシステムまで見てこそ「地域」の学たる地理学であると考えました。

一方、フランスでは、ブラーシュの系譜を継ぐ地理学者たちが、歴史学と強く結びついた学派を形成していきました。
理論的なドイツ地理学と比べると、フランス地理学は実証性を重視しているのが特徴とされます。

そして、近代地理学の最後を飾るのは、アメリカの地理学者、ハーツホーンです。
彼はアメリカ出身ですが、ドイツの「地域」論的な地理学の影響を強く受けています。
彼が1939年に記した『地理学方法論』(原題:The Nature of Geography)は、それまでの伝統的地理学の集大成とも言える内容です。この本の要点は以下の通り。

・「地理学は人間の住む世界としての地球上で場所場所により変化する性格を記載し、解釈しようとする修学である」
・地理学においては現象の場所的差異と場所における諸現象の複合が問題となる
・「土地のもつ特性は、人間と自然の双方によって創られたもので、まさに双方の結合はお互いに切り離すことができぬまで密接なものである」
・地理学は科学か?ではなく、どんな科学が地理学か?を問うべき
・地理学が扱う現象は多様性が大きいために他の学問よりも法則が立てづらい


少々抽象的ですが、地域ごとの差異を強調している点、人間と自然の関係性を重視する点、事象同士の連関を重視する点など、現在述べられるような地理学本質論と共通する部分が多々あります。
現代以降の地理学は、ハーツホーンが打ち立てた本質論に対する批判から展開していきました。
それでは、いよいよ現代へ。

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3.現代
(1)計量革命 ~現代地理学の始まり~
地理学における「現代」とはいつからか。
あえて具体的な年を挙げましょう。1953年です。
これは、シェーファー(F.K.Schaefer)というドイツ出身の地理学者が、「地理学における例外主義」という論文を記した年です。

「地理学における例外主義」原文↓ ※pdf
Fred K. Schaefer “Exceptionalism in Geography: A Methodological Examination” Annals of the Association of American Geographers, Vol. 43, No. 3. (Sep., 1953), pp. 226-249.

この論文において、シェーファーは従来の地理学を「例外主義」として強く批判します。
ハーツホーンは、一般の科学が普遍的な法則の樹立を目指すのに対し、地理学の目的はあくまでその地域の個性を記述することにあるとしました。
歴史学が時間軸における特殊性を重視するのと同様に、地理学も空間軸における特殊性を重視するという、学問の中では例外的な位置づけにある、という立場です。
シェーファーはこれに異を唱え、地理学もまた普遍的法則の探究を目標とすべきと主張しました。

シェーファーの論文以降、「計量革命」と呼ばれるムーブメントが沸き起こりました。
これは、数学を用いた計量的な研究によって、地理学を「客観的な」現代科学へと押し上げようとするものです。
「計量地理学」や「新しい地理学」とも呼ばれるこの動きは、欧米では1950年代、日本では1970年代に広がりました。

欧米と日本の計量地理学の系譜
参考:矢野桂司「地理学における計量革命とGIS革命:GeoComputationとは何か?」(発表スライド)

代表的な分野としては、以下のようなものがあります。

多変量解析
 統計情報から地域を類型化する手法。主成分分析、因子生態分析、クラスター分析など。
空間的相互作用モデル
 貿易や人口流動など、地域間の交流を数式で説明する理論。例えば、都市の人口規模に応じて人口移動の大きさも変わるとする「重力モデル」など。
空間的拡散モデル
 文化や情報の伝播をシミュレーションする理論。スウェーデンを中心に発達した。
一般システム理論
 マクロな現象をモデル化し、総体的に扱う理論。地理学では地形学や水文学の分野に導入された。

また、空間的拡散研究を創始したヘーゲルストランドは、人間の日々の行動を「時空間パス」という独自の表現法で捉える「時間地理学」という分野も打ち立てています。

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時間地理学の表現方法
画像:wikimedia commons


(2)人間への回帰
しかし、計量革命に対してもまた批判が加えられていきます。
その最大の批判は、「計量地理学は人間性を無視している」というものでした。
計量的な手法は、しばしばイメージや文化といった数値に還元しづらい要素を切り捨てることになります。
このような見方から、70年代には計量地理学とは真逆の研究スタンスを取る学者たちが現れました。
特に、以下の二人が代表的な人物です。

一人はトゥアン。『トポフィリア』(原著1974年)という書籍によって一躍有名になりました。彼は、個人や民族が持つ主観的イメージに着目し、人間が持つ場所への愛着を論じました。彼の立場は「人文主義地理学」と呼ばれます。
もう一人はレルフ。主著は『場所の現象学』(原著1976年)です。彼は場所の個性に着目し、個性を失った場所を表す「没場所性」という概念を提唱しました。彼の立場は「現象学的地理学」と呼ばれます。
数学や統計学を元にする計量地理学とは対照的に、彼らは文学や哲学、美術といった人文学的な成果を自らの方法論の基礎としました。

トポフィリア  ─人間と環境 場所の現象学
『トポフィリア』と『場所の現象学』
画像:筑摩書房HPより

また、都市計画の研究者であったリンチは、人が頭の中に持つイメージに着目し、都市の形態をどのように記憶しているかを研究しました。
彼の研究は地理学にも影響を与え、「行動地理学」と呼ばれる研究分野が開かれました。
ゴリッジは人が頭の中に描く地図「メンタルマップ」を研究し、その発達過程を「アンカ-・ポイント理論」としてまとめました。

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アンカーポイント理論

画像:wikimedia commons

この分野は、人間の主観に着目する点ではトゥアンやレルフと似ていますが、彼らが人文学的な手法を取るのに対し、行動地理学では心理学に近い計量的な方法がよく取られます。
分野の発達も、先に挙げた二人よりも時期が早く、計量革命から計量革命批判への過渡的な段階で生まれた分野と言えるでしょう。


(3)社会理論への接近
計量革命から一転して、人間の内面に対象が広げられたことは、地理学の歴史において大きな出来事でした。
しかし、一方でトゥアンやレルフの研究は主観的すぎるとの批判も浴びました。
それだけではなく、内面ばかり見ているために、個人の行動を規定する社会構造を見落としているとの指摘もなされました。
これはまた、法則を打ち立てることが自己目的化し、現実の社会問題に対処できていないという計量地理学への批判も含んだものでした。
このような立場から、次のような研究が登場します。


マルクス主義地理学
階級貧困といった社会的要素を重視する立場です。代表的な人物はハーヴェイです。
彼は元々、計量地理学の立場で研究をしていましたが、のちにマルクス主義に転向し、社会的不平等を積極的に扱うようになりました。その後も『資本論』や新自由主義批判に関する著作を多く執筆し、現在では特に名の知られる地理学者となっています。

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デヴィッド・ハーヴェイ
画像:wikimedia commons

構造主義地理学
構造主義とは、現象に潜む普遍的なパターンに着目する方法論を指します。一般的には、ソシュール(言語学)やレヴィ=ストロース(文化人類学)、ラカン(心理学)などが知られています。
これを地理学に導入したのは、グレゴリーという人物です。彼は、人文主義地理学者が重視した主観の世界を、より普遍的な論理で説明するための方法論として構造主義に目を付けました。
参考:櫛谷圭司「空間の「意味」の構造と構造主義の方法」人文地理 36(3), 266-277, 1984

彼らはいずれも、他分野の社会理論を地理学に導入するという方法を取りました。この動きは、その後の地理学においても加速していきます。


(4)複雑化する地理学
計量革命に対する批判は、さまざまな新分野を生みました。
しかし、それらは計量革命のような一大ムーブメントを起こすことはなく、むしろ地理学はいっそう複雑化していきました。

80年代以降の地理学では、哲学や社会学の思想を導入する動きが見られます。
先に述べた構造主義やマルクス主義の導入はその早い例で、これ以降、フェミニズム、ポストコロニアリズム、ポストモダニズム、ポスト構造主義など。実に様々な思想が取り入れられてきました。

このような動きは「地理思想」として、日本にも徐々に広がりつつあります。
端的に説明するのは大変困難ですが、それぞれ軽く紹介してみます。

フェミニズム
 これはご存知のはず。それまでの男性優位社会を批判し、女性の権利を主張する思想です。地理学においては、男女での生活行動の差異に注目が集まりました。都心で男性が働き、郊外では女性が家事をこなすという性的役割分業の空間的側面や、性を売り物にする空間(売春地区)がどのような社会構造の下に形成されてきたか、などが研究されています。当初は女性に着目する「フェミニズム地理学」として出発しましたが、現在は男性やセクシュアル・マイノリティも対象とする「ジェンダー地理学」へと拡大しています。
参考:吉田容子「地理学におけるジェンダー研究-空間に潜むジェンダー関係への着目-」E-journal GEO (1), 22-29, 2006

ポストコロニアリズム
 植民地主義を批判的に分析する立場です。主著『オリエンタリズム』(1978)において西洋が東洋へ抱くイメージを分析した文学者サイードが代表的な論者として挙げられます。地理学も、かつては植民地支配に加担してきた側面があり、その反省から現在では植民地における支配体制を検討するような研究がなされています。特に、植民地支配を肯定するような学問体系への批判は、「批判地政学」として政治地理学における一つの流れを形成しています。日本においても、朝鮮半島や台湾、樺太、南洋諸島など「外地」に関する研究が進み、京都帝国大学において地政学を主導した小牧実繁に関する学史的研究もなされています。
参考:三木理史「日本における植民地理学の展開と植民地研究」歴史地理学 52(5), 24-42, 2010

ポストモダニズム
 近代合理主義的な価値観が後退した現代の社会状況や、それについて論じる潮流です。フランスの哲学者・リオタールが『ポストモダンの条件』(1979)で提唱した「『大きな物語』の終焉」という考え方はその筆頭です。単一の明快な理論ではなく、多様な価値観が並立している点を重視するのが特徴です。地理学では、『ポストモダン地理学』という本を著したソジャがよく知られます。彼はロサンゼルスを中心とした都市論を展開し、シカゴ学派以来の都市社会理論では捉えられない現代都市の側面を強調しました。
参考:加藤政洋「エドワード・ソジャとポストモダンの転回」都市文化研究 (3), 166-181, 2004

ポスト構造主義
 先述の「構造主義」への批判から生まれた考え方です。構造主義の理論は固定的で閉鎖的であるとの批判から、より動的な社会理論への「脱構築」が目指されました。デリダやドゥルーズが有名ですが、地理学への影響が大きかったのは『言葉と物』(1966)や『監獄の誕生』(1975)を著した哲学者・フーコーです。彼は、科学知がいかに権力と結びついてきたかを論じ、社会における身体や性の統制について分析しました。以降、地理学ではこれまでの研究方法への反省がなされ、「地図という表現方法は権力と表裏一体なのではないか」との考えが生まれてきました。この立場からの研究では、地図という表象をメタな視点で分析したり、空間に関する「言説」を資料としたりといった方法が用いられます。
参考:成瀬厚, 杉山和明, 香川雄一「日本の地理学における言語資料分析の現状と課題:地理空間における言葉の発散と収束」地理学評論 80(10), 567-590, 2007


この短い説明では伝えきれないとは思いますが、ともかく、これまでとは全く異なる方法論が地理学に導入されたということです。
これは、地理学が社会理論に接近したということでもありますが、同時に、社会理論の側も、より空間な思考を重視するようになっていきました。このような潮流は、空間論的転回(spacial turn)と呼ばれます。
先述のフーコーや、フランスの社会学者・ルフェーヴルによる『空間の生産』(1974)によって空間論的転回の口火が切られ、以降、様々な学問分野からの空間理論が登場するようになりました。

計量革命以降の思想的潮流を整理すると、以下のような図になります。

変化する人文地理学の手法・方法論
画像:松尾 容孝「今日の人文地理学 : Tim Cresswellの近業に沿って(2)」専修人文論集 (96), 133-163, 2015


(5)計量革命からGISへ
現代の地理学史においては、計量革命への批判から様々な思想が生まれてきました。
しかし、計量的な分析は完全に否定されたわけではありません。むしろ、実際の研究動向から言えば、依然として主要な方法論として位置づけられています。

特に重要なのは、GISの登場です。
GISは、1950年代にアメリカ空軍が開発した防空システムが起源です。軍事的な必要から開発されたGISですが、地理学においても計量革命の動きと合わさって盛んに利用されるようになりました。
日本でも、1980年代以降にはGISが本格的に使われるようになり、空間分析はますます有用な手段として使われています。

GIS研究は、当初は技術的な関心からの研究が主流でしたが、現在では、地理情報をいかに活用し、他分野に応用するかに関心が当てられています。
歴史研究に応用するための歴史GISの登場は、このような動向から位置付けることができるでしょう。
歴史GISはイギリスを中心に発展し、日本では立命館大学を中心とした「バーチャル京都プロジェクト」などの例があります。

また、より手軽なWebGISの開発によって、近年では地理教育においてもGISの導入が図られています。高校の新科目「地理総合」でGIS活用の方針が打ち出されたため、この動きは今後も続いていくでしょう。
参考:阪上弘彬「地理教育におけるGISの動向と展望」広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部, 文化教育開発関連領域 (62), 71-78, 2013


4.学史における論点
さて、ここまで地理学の歴史を見てきました。地理学の中にも実に様々な立場があり、それぞれ重視する視点や方法論が異なることがお分かりいただけたかと思います。
これらをまとめると、以下の図のようになります。

地理学思想史の流れ

地理学史において立場の違いが顕在化したのは以下の点です。

一つは、研究対象をどこまで広げるかという問題です。
古代には、経験的な世界に関するあらゆる調査が「地理学」と呼ばれました。その後、天文学が分離したことで地理学の対象は地表面に限定されました。
また、研究対象をさらに絞り、可視的な景観要素をこそ扱うべきだという立場も生まれました。これは、自然要素や社会要素の総体としての「地域」を広く考察するスタンダードな地理学に対し、「景観」を重視する新たな立場でした。

もう一つの争点は、自然と人間との関係性です。
環境決定論と環境可能論の論争は明確な決着を見たわけではなく、現代でもたびたび沸き起こっています。環境決定論は、戦後の日本地理学では長らくタブー視され、あまり議論はなされませんでした。
しかし、環境問題という新たな問題意識が広がった現代では、自然と人間との関係はますます問われるようになっています。地理学がこの問題を避けて通ることはできないでしょう。
環境を扱う場合、(地理学であれば)自然地理学と人文地理学両方の目線が不可欠です。
専門に特化するのが良いのか、総合科学化を目指すべきなのかという点も、地理学ではよく論点として挙げられます。

現代の地理学では、研究方法と立場の問題も大きな争点となっています。
客観的・科学的であろうとした計量地理学に対し、人文主義地理学はより主観的な方法論を重んじました。
その後、人文主義地理学へもさらに批判がなされ、権力性社会的弱者に意識を向ける研究が生まれていきました。
「どういった方法で研究すべきか」という問い以前に「何を研究対象にすべきか」という時点から、研究者のポジショナリティ(立場性)が問われていると言えます。



おわりに
今回の記事では、地理学の本質をめぐる議論をご紹介しました。
現在でも様々な立場があるように、何が地理学の本質か、という問いには確固とした答えは出ていません。
そもそも、学問は人々の集合的な行為によって成り立つ社会的構築物です。
とすれば、そこに単一の本質があると考えるほうが困難なのではないでしょうか。
ポスト構造主義が固定的・体系な理論を否定したように、地理学も絶えず変化していく動的なプロセスとして捉えるのが妥当なのではないかと思います。

今回の記事では、現代以降の記述はほとんどが人文地理学に関するものになってしまい、自然地理学についてはほとんど触れられませんでした。これは私の知識不足によるものです。
自然地理学については、より精通した方が記事を書いてくださることを願っています。


余談
私は地理学史が好きなので過剰に語りますが、19世紀末から20世紀初頭の地理学は本当に面白い。
自然と人間を複合的に捉える近代地理学の正統派、「ドイツ地域学派」(
ラッツェル、ヘットナー、ハーツホーン…)。
歴史学とも交わりながら、独自の個性記述のスタイルを築き上げた「フランス地誌学派」(ブラーシュ、ブリュンヌ、ドゥマンジョン、ドゥ・マルトンヌ)。
景観読解の方法論を純化させ、文化地理学の源流となった「文化景観学派」(シュリューター、パッサルゲ、ラウテンザッハ…)。
文化景観学派とは反対に、社会集団の活動を研究の中心に据えた「ミュンヘン学派」(ハルトケ、オトレンバ、ボベック…
)。
自然地理学を中心に、ダイナミックな理論を打ち立てたアメリカの地理学者たち(デーヴィス、センプル、ハンティントン、ホイットルセー、ソーンスウェイト...)。
などなど、実に様々な立場の地理学が誕生しています。
学史は地理学ではマイナーな分野ですが、ここに焦点を当てた入門書があってもいいのにな、と思います。
※ここで示した学者の分類は私独自のものです。

本稿全体に関わる参考文献
マシューズ&ハーバート『地理学のすすめ』丸善出版,2015年 ←おすすめ
西川治『人文地理学入門 思想史的考察』東京大学出版会, 1985年