吸血姫リリス

キャラクター紹介

玲奈
7年前、妹の美優をリリスに連れ去られて以来、吸血鬼ハンターとなってリリスの行方を追っていた。

美優
玲奈の妹。一応成長はしている。リリスによる暗示のため、人形状態。
メイドさん。

リリス
吸血姫。7年前、留学生として玲奈のクラスに潜入し、彼女の友人となる。玲奈が彼女を家に招いたその日に、美優の血を吸った上で連れ去る。
7年前と同じ姿。


>ファイルを分割して、悪堕ち部分は2に固めてあります
>登場人物と1のあらすじは0に書いてます


バトル展開の前半部を飛ばしますか?
・飛ばす
ニア飛ばさない

「1.吸血姫リリス」


満月に照らされた洋館の前に、一人の女がたたずんでいた。
女性にしては長身の体に、それでも体に不釣り合いなほどの大きなコートに身を包み、その下をうかがい知ることはできない。
無造作な引っ詰め髪の下の顔はかなりの美人といってよかったが、その目は鋭く、美しさよりは凛々しさを感じさせる。
「やっとここまで来た…リリス…美優…」
女は呟き、閉じられた門に手をかける。
ギイッ、と音を立てて、錆びた鉄の門が開いた。
人の気配はない。女は誰に止められることもなく、洋館へと脚を踏み入れる。


建物の内部は、しんと静まりかえっていた。
玄関ホールに足を踏み入れた女は、油断なく周囲を確認する。
ホールは高い吹き抜けの空間になっていて、ステンドグラス越しに月の光が差し込んでくる。
その月の光が照らす階段の途中に、一人の少女がいた。
目の覚めるような、鮮やかな金髪に、透き通るような白い肌。
月の光と相まって、彼女はこの世のものと思われないような幻想的な空気を漂わせている。
そして、その衣装。どこかの学校の制服なのだろう、白のセーラー服の上から、長い黒のマントを身につけている。
マントは裏地が真紅で、まさしく吸血鬼の出で立ちといってよかった。


「ようこそ、私の屋敷へ」少女が言う。「玲奈、久しぶりね」
「…その格好…」
コートの女、玲奈にとって、その服装は見慣れたものだった。
当然のことだ。なぜなら、中学校の3年間、彼女はそれを身につけて学校に通っていたのだから。
そして、それを着た少女も、彼女の見知った姿そのまま。
「気に入ってくれたかしら? あなたに見せるために、わざわざ作り直したの」
少女は見せつけるように、マントを広げる。
「リリス、あなたはどこまで…」
どこまで私の記憶を汚せば気が済むの?
そう声に出す代わりに、玲奈は無言で、コートを脱ぎ捨てた。
その下には、迷彩服に軍用ブーツ。ジャケットの上には防弾チョッキこそ着ていないものの、いくつもの装具を付け、そこから得体の知れない護符や杭、薬瓶を覗かせている。腰には小振りの鉈、そしてホルスターには短銃。
「まるで戦争に行くみたいな格好ね」
金髪の少女、リリスが楽しそうに言う。
「この制服、今夜のために特別にあつらえたのよ…それなのに、肝心の玲奈がそんな無粋な恰好で来るなんて」
「…黙りなさい」
ベレッタを引き抜き、マントの少女に狙いを定める。
「…吸血姫リリス。今夜があなたにとって、最後の夜になる」
「さあ、それはどうかしら?」
少女の口調が、ほんのわずかに変わった。それだけで、冷たい夜の空気が、さらに気温を下げたように感じられる。
「私があなたを招いたのよ? 衣装はどうあれ、お客様として歓迎してあげる」
その声を、銃声がかき消した。
狙い違わず、リリスの心臓を打ち抜くはずの銃弾は、しかし空を切って壁に突き刺さる。
「まさかその玩具で、私を滅ぼすつもりかしら?」
上方から声が降りかかる。すでに玲奈は横飛びに交わしながら、自分のいた場所に向かって小瓶の一つを投げつけていた。
リリスが着地する寸前、再び姿を消す。相手を失った小瓶は床へ叩きつけられ、中の液体が床に広がっていく。
玲奈が起き上がりざま、自分の死角に向けて左の袖口を向ける。そこに仕込まれたブラックライトが、不可視の光を投射した。
「くぅッ!!」
ひるんだリリスが姿を現す。
飛びのくリリス。だが彼女のマントは逆に、うねりながら玲奈を捕らえようと迫る。
玲奈は身を退かず、護符の一つを構え、マントへ飛び込む…!
玲奈の視界いっぱいに広がっていたマントは、しかし一瞬で主のもとへと戻っていた。
「うーん、危なかったわね」
端から見るものがあったなら、自分の目にしたことが本当にあったのか疑ったことだろう。
リリスと玲奈は、もとの位置に、もとのままの姿勢で静止していた。
「このまま消耗戦だったら、私の方が有利なのではないかしらね?」
挑発的な声を上げるリリス。
玲奈は表情こそ変えなかったが、その奥歯がわずかに、ぎり、とかみしめられる。
その様子に気づいたのだろう。リリスはフフ、と笑みを浮かべ、言った。
「あなたを随分と遠回りさせたのだもの。チャンスをあげる」
リリスが言う。
マントを翻す、と同時に、また銃弾が空を切る。
『場所を移しましょう』
ホールに響く声と共に、カチリ、と鍵の開く音が聞こえた。
『正面の階段の裏に、地下室への入り口があるの。そこで決着をつけましょう』
「そんなことをして、あなたに何の得があるの?」
緊張を切らさぬようにしながら、玲奈は虚空へ向かって問いかける。
『ゲームに緊張感を出すためよ。来ればわかるわ…』
声が遠ざかっていく。
ホールに一人残された玲奈は、ほうっ、と深く息をついた。
「追う、しかないのね…」
そう呟く。
吸血鬼と戦って勝つ方法は、一つだけ。吸血鬼ハンターたちが、口癖にしている言葉を思い出す。
彼らが人間を見下している、そこから生まれるわずかな隙を、逃さないこと。
吸血鬼は定めたルールを、自分から破ることはない。いかに人間達に有利な条件を定めてやり、そうしてなお、どれだけの絶望を与えられたか。吸血鬼達にとって、それは永遠の生に微かな彩りを添える楽しみなのだ。
そして玲奈には、この先に待ち受けるものの予感があった。
「美優…あなたも、この先にいるの?」
この7年間、夢にまで見続けた妹の名を呼び、玲奈は、決意の表情で、地下へと降りる階段に足を踏み入れた。


…7年前。
中学生だった玲奈のクラスに、一人の少女が留学生としてやってきた。
リリスという名のその少女は、人間離れした美貌のためか、クラスの中では浮いていた。
けれど、読書という同じ趣味を通して、玲奈は彼女と親友といってもいい関係になった。今思えば、それすらもリリスの企みのうちだったのかもしれない。
そしてあの運命の日、彼女はリリスを家に招いた。それが、どんな意味を持つか知らないままに。
もし…
玲奈はこれまで、何度自問したことだろう。
もし、リリスと仲良くならなければ。
もし、あの日彼女を家に招かなければ。
もし、寂しがりの幼い妹を部屋に入れなければ。
あるいはもし、お茶の準備のために、美優をおいて下に降りなければ。
だが過去はどれだけ後悔しても変えられはしない。
戻ったとき、彼女が目にしたのは、制服の上にマントを身にまとったリリスと、そのマントに半ば包まれ、ぐったりとした妹の姿。そしてその首筋に穿たれた、2つの小さな傷。
そのときの、リリスの凄惨な笑みを、玲奈は一生忘れないだろう。そして、そのつり上がった口からのぞいた、鋭い牙のことを。
『玲奈の血を吸うのは、また今度にするね』
彼女はいつもと変わらない調子でそう言い残し。
マントが翻った、と思ったときには、二人の姿は消えていた…


美優の失踪は、当時の新聞でも話題になったし、警察も大規模な捜索班を組んで捜査を行った。
けれど、リリスが実は吸血鬼であり、美優を連れ去った犯人である、という玲奈の言葉を、警察はおろか、教師も親も、そして友人も、誰一人として信じなかった。
いや、リリスという留学生がいたことすら、彼らは憶えていなかったのだ。
彼らの同情的な態度が、彼女の正気が失われたと考えているからだと気づいたとき、彼女は決意した。たったひとりで、妹を取り戻すための戦いをはじめることを。


そこから、彼女の長い旅が始まった。
吸血鬼ハンター達との出会い。
吸血鬼を狩る『組織』に参加し、吸血鬼との戦いに明け暮れた日々。そして、その中で聞いた、吸血姫リリスの名。
『組織』がリリスと交わした相互不干渉の密約を知った玲奈は、秘匿されてきた情報を奪い、リリスの隠れ家を突き止めた。
だが、彼女の探索をあざ笑うかのように、一通の手紙が届けられたのだ。
『親愛なる玲奈へ』そう表にかかれた封書の中には、この館の場所と、次の満月が天頂にかかる時刻に、という短い言葉が書かれているだけ。
罠だ、と、玲奈は即座に思った。
けれど、罠であろうとなかろうと、そこに飛び込むしかなかったのだ。
表の世界からは距離を置き、『組織』から裏切り者として追われる立場になった彼女にとって、もうこの世に居場所はないも同然。
けれど、彼女にはやるべきことがあった。
『美優、もしあなたが無事でいるのなら、全力で助け出す。だけどもし、あなたがリリスの眷属となっているのなら…』
病弱だった妹の懐かしい姿を脳裏に浮かべ、心の中で呼びかける。
姉として、そしてあの日、吸血姫を家に招き入れた者として。
彼女は全ての罪を贖うつもりだった。


階段を下りた先にあったのは、礼拝堂だったとおぼしき空間だった。ただし、壁に彫られた装飾からは、その崇める対象が神聖な物だったとは思われない。
ともかくも、煉瓦で囲まれた空間には蝋燭が灯り、なぜか中央には天蓋付きのベッドが置かれている。
リリスの存在から、その用途を感じ取り、玲奈はわずかに顔をしかめる。
ベッドから目を離し、祭壇のあったであろう場所に目を向ける。
そこにあったもの。
玲奈は思わず、声をあげそうになった。
これ見よがしに飾られた、黒塗りの棺。
こんなことがあっていいものだろうか?
「いらっしゃい、私の寝室へようこそ」
棺に腰掛けた少女が、声をかける。
「わかったでしょう? あなたはちょっとしたチャンスを手に入れたのよ」
棺に納められた土を清めることで、吸血鬼は永遠に消滅する。どんな強力な吸血鬼でも、これは変わらない。
吸血鬼ハンターたちにとっての、最終目標だ。
通常、吸血鬼は棺を巧妙に隠すため、吸血鬼本体を一度消滅させてから、復活前に棺を始末するのだが…
「何が狙いなの?」
「狙い? 私はこの夜を、楽しく過ごしたいだけ」
リリスは言って、含みのある笑いを浮かべた。
「そうねえ、もう一つ、興趣を添える大事なものを忘れていたわ」
リリスが手をたたく。
直感的に、部屋の入り口から飛びのく玲奈。
誰かが、階段をゆっくりと下りてくる。
「やっぱり、今夜のゲームは、彼女に立ち会ってもらわないと、ね」
「ッ……!!」
予想はしていたことだった。
姿を現したのは、ちょうどリリスと同じくらいの少女。
黒の裾の長いワンピースに、派手になりすぎない程度にフリルで飾られたエプロン。シニヨンにまとめられた頭には、控えめなフリルのついた白のキャップ。考えるまでもなく、リリスに仕えるための装いなのだろう。
ぼんやりとした表情で、焦点の合わない目をこちらに向けてくる、彼女の顔。
いくぶんか大人びていたが、間違えようがない。
「み、ゆ…?」
「かわいいでしょう? 」
いつの間にか、美優のもとへ移動していたリリスが言う。
今の移動を、捉えられなかったなんて!!
玲奈は自分を叱咤しながら、バレッタを二人の少女に向ける。
「あら、妹に銃口を向けるつもり?」
リリスのあざけるような声を無視し、呼びかける。
「美優、聞こえる? お姉ちゃんよ!!」
「無駄よ」リリスがにやりと笑い、じっと立ったままの美優の顎を撫でる。「彼女は私のお人形なんだから」
「きさまッ!!」
叫ぶ玲奈。引き金にかけた指が緊張する。その背後に、もうひとりのリリスが…
「簡単に後ろを取られちゃうなん、て……?」
美優に手をかけていたリリスの体が土塊と化して崩れ落ちる。
そして、玲奈の背後。牙を向いた美しい吸血姫の顔が、不思議そうな表情を浮かべる。
傾げた首に、手を当てる。そこには、玲奈の肩口から打ち出された注射器が、深々と突き刺さっていた。

--吸血鬼と戦って勝つ方法は一つ。

そのチャンスは、彼らの気まぐれによって左右されるもの。
けれど玲奈には勝算があった。
それは、リリスが別れ際に行った言葉。
『あなたはまだ、吸わないでおいてあげる』
リリスがその瞬間をドラマチックに演出するであろうことを、彼女は予想していた。

--それは、妹との再会のときを置いて他にない。

その瞬間に、確実にリリスを捉えるため、玲奈はこれまでに憶えた身のこなしに、一点の欠陥を作った。
一カ所だけ、わざと隙のできる空間を作る。そこにリリスを誘い込み、完全に意識の外からの一撃を見舞う。
彼女は、千に一つという勝機をつかんだのだ。

「これ、は…」
リリスが声を上げ、一歩退く。

パァンッ!!

よろめくリリスの体に、2発、3発と、銀の銃弾が突き刺さる。

--まずは、動きを封じる…!

両膝に、狙い違わず撃ち込まれる銀の銃弾。
吸血姫の体が、がくり、とひざまずき、そのままくずおれる。

--次は、その厄介なマントを!!

聖水の詰まったペットボトルをぶちまけると、マントがのたうち回る。その動きはしかし、統率のとれないでたらめなものであり、取り出された釘によって、少しずつその自由を奪われていく。
「やってくれるわね!!」
リリスが苦痛に顔を歪めながら叫ぶ。
やはり。
玲奈は組織から持ち出した新薬の効果があったことを、神に感謝した。
彼女が使ったのは、強力な血液凝固促進剤。それを、リリスの体内に思い切り注入してやったのだ。
どこまでの効果があるのかは疑問だが、少なくともリリスは霧に変化する能力を失ったようだ。
とはいえ、その効果がいつまで続くのかはわからない。捕獲され実験台にされた吸血鬼どもは、そのまま灰となって死んだそうだが…
そんなことを頭の一方で考えながら、玲奈はコートの中から次々に道具を取り出す。
聖水を撒き、銀の銃弾を撃ち込み、リリスの四肢の自由を奪う。
「が、ごふぅッ!!!」
リリスの苦しそうな声にも、眉一つ動かさない。
うつぶせになったリリスの背中に木の杭を当てる。マントが力なくまとわりついてくるが、それにも構わず、ハンマーを振り上げる。
「ちょ、ちょっと!!」

ガツン!!!
ガツン、ガツン、ガツンッ!!!

ぐったりとなったリリスの体。
背中から、マントを貫いた杭は、そのまま彼女の体を床へと縫いつけていた。
馬乗りになったまま、今度は鉈を取り上げる玲奈。

グシャッ!!!

胴体から切り離され、転がろうとしたそれ。かつて見るものを魅了した髪を引っ掴み、杭に結わえ付ける。
目を覆いたくなるような惨状。
それでも玲奈は、まばたきひとつしない。
これで終わりではない。そんな気持ちがどこかにある。
そうだ、棺!
首を両断されたリリスの体から目を離さないように、祭壇に置かれた棺に駆け寄る。
中には予想通り、湿った土が敷かれていた。
聖水の残りを振りかける。棺からは、ジュウジュウと音を立てて煙が立ち上った。

--これで、終わり?

いいえ、まだあとひとつ…

部屋の隅に立ちつくす人影。
妹の始末をつけなければならない。
豪奢なベッドをはさんで、ちょうど部屋の対角に位置した二人。
玲奈はゆっくりとベレッタを美優に向け…

「まさか、ここまで徹底的にやってくれるとは思わなかったわ」
「!!!!」
その声に、横たわったままのリリスの体に銃を向ける。
マントに持ち上げられた生首が、こちらを見ている。
その、眼。
いけない、と思ったときには遅かった。赤く輝く瞳が彼女を捕らえ、体は痺れたように動かない。
あと少し、引き金さえ引くことができたなら……!!
玲奈の心の叫びもむなしく、ぴくりとも動かない銃口の先で、リリスの頭と体を飲み込んだマントが立ち上がっていく。
「なかなか、楽しい体験だったわね。首を切られたのは、何百年ぶりかしら」
マントが開く。顔も、首も、体も。
過去を冒涜するかのような、制服さえ。
彼女を傷つける物など、何一つ無かったかのように、元通りの姿になったリリスが嗤う。
「ごめんなさいね。首を切られるのも、棺の土を清められるのも、経験済みなのよ」
その眼が、先ほどまでが児戯だったとはっきりわかる力で、玲奈を束縛する。
こんな存在に、勝てるわけがない…
玲奈の心に、絶望が萌す。
「こんなに楽しませてもらったのに、最後だけ反則みたいになってしまったことは謝るわ。だから、その代わり…」
やめて。言わないで。玲奈の心が悲鳴を上げ。
「あなたにとびきりの、ごほうびをあげる」
絶望の宣言が、地下室に響いた。







「2.玲奈と美優」


力を失い、倒れそうになる玲奈の体を、吸血姫の細腕が受け止める。
「気を失ったりしないでね。これからが本当に楽しいところなのだから」
リリスは言いながら、片手で玲奈を抱え上げ、悪趣味なくらいに豪奢なベッドへと運んでいく。
「は、はな、せ…」
「ほら、体を楽になさい…」
ほんの小さな、囁くような声。それだけで、全身の力が抜けてゆく。体が、自分のものでなくなったような感覚だ。
リリスは玲奈をベッドに仰向けに寝かせ、品定めするように全身を見回す。
「本当に、無粋な衣装だこと…」
そして最後に吸血姫の視線が向けられた場所。
首筋に、怖気が走る。
このままでは、血を吸われてしまう……!
玲奈はその予感に身を震わせた。どんなに勇敢で意志の強い人間でも、吸血鬼にその血を吸われたが最期、その命令に従う奴隷となってしまう。
そうやって多くの吸血鬼ハンターがその身を闇に堕としてきたのだ。
--このまま、下僕にされるくらいなら、いっそ…!
「ダメよ、私の許可無く、死ぬなんて」
玲奈の心を見透かしたように、リリスの残酷な言葉が玲奈の体を縛る。
舌を噛み切ろうとした口は半開きのまま凍り付き、それ以上はどんなに力を込めても動いてはくれなかった。
「あら、だらしなく口を開けて…」
すっかり上機嫌のリリスの顔がすっと近づき…
「ング、ム、ゥググ…」
押し入ってくる舌の感触。
人外の冷たさを持つそれから必死に逃れようとするが、顔をしっかりと押さえられ、動くことすらできない。
「ン、ンンンッ!」
リリスの舌が玲奈の舌に絡みつき、彼女の口内を蹂躙していく。

じゅる、ちゅぷ、ちゅぱ…

喉の奥まで入り込む舌が、おそらくわざとなのだろう、淫猥な音を響かせる。
「ぬちゅ、んじゅる、んん、…ちょっと、はしたなかったかしらね」
唇を離したリリスが、唇を嘗める。
普通の人間であれば、その蠱惑的な動きに魅了されていたことだろう。
「まずは、そのひどい衣装をなんとかしましょうか」
「くっ、や、やめろ…」
リリスのマントが、玲奈の体を包んでいく。もぞもぞと動き回るサテンの滑らかな感触が、足首から、胴から、首筋から、あらゆる隙間から服の内部へと進入してくる。ジッパーを開き、ボタンを外し、あるいは布を引き裂いて、玲奈の素肌へと触れてくる。
「ひあ、あ、ひゃぁん」
「あら、なかなか可愛らしい声を出すのね」
リリスの目が、いたずらっぽく光る。
「じゃあ、もうちょっとマントで遊ばせてあげる」
「いや、ひゃぁ、あ、あぅん!!」
サテンの感触が、絶妙な加減で玲奈の素肌を撫で上げる。
「うあ、やぁ、あ、あ、あ!!」
(こんな、こんなことで、弄ばれるなんて、屈辱、なのに…)
マントの立てる、しゅるしゅるという音が、次第に玲奈の頭を曇らせ、思考能力を奪っていく。
「あひ、ひぁああん!!」
「はい、そこまで」
リリスの声に、マントがぴたりと動きを止める。
(た、助かった…あのまま、されていたら…)
安堵のため息をついた玲奈は、そこで自分の姿に気がついた。
なにひとつつ纏わぬ、生まれたままの姿。
「きれいよ、玲奈…」
「ひッ」
思わずシーツをたぐり寄せ、胸を隠す。
「その反応、かわいいわ…食べたくなっちゃうくらいにね…」
すう、とリリスの指が伸びる。
いけない、と思ったときにはもう遅かった。
再び力を失った体が、ぐったりとベッドに横たわる。
「心配していたのよ。あんな恰好をしているから、筋肉が付きすぎているのじゃないかって」
さらり。
「あぅっ!」
リリスの指が、玲奈の腕に触れ、肩へと撫で上げる。
「でも、この腕も」
さらり。
「ひゃぁん!!」
「この肩も」
さらり。
「ひぅ、ッン!」
「あのころと同じ綺麗なまま…安心したわ」
リリスの目は、そこで宝物を見つけたように輝いた。
「それにこの胸…こんなに大きくなって」
ツン!
「あああああッ!」
乳首の先端を、ほんの少し爪でつつかれただけ。
それなのに、玲奈は地下室に響き渡るほどの叫びを上げていた。
(ああ…私は、リリスの指で感じさせられてしまっている…)
絶望に染まる心で、その事実を認識する玲奈。
しかし上機嫌になった吸血姫は、さらなる絶望の言葉を紡ぎ出す。
「そうだ、玲奈の綺麗な姿、美優にも、見てもらいましょう」
美優、とリリスが呼びかけると、はい、と小さな声が聞こえた。
7年ぶりに聞く妹の声。
首を動かすのもままならないまま、その気配が近づいてくるのをじっと待つ。
「ご主人さま、お呼びでしょうか」
必死の思いで、首をひねる。
ずっと追い求めた妹の姿をもっと見たい。無様な姿を見られたくない。
相反する思いを、吸血姫が無情にも打ち砕く。
「ほら、7年ぶりのお姉ちゃんよ。よく見てあげなさい」
「あ、ああ、美優、見ないで…」
何の感情も浮かべず、見下ろしてくる妹の目。
「これから、あなたのお姉ちゃんの血を吸ってあげるの。いいかしら?」
「…ご主人さまのお望みのままに」
フフ、とわずかに嗤うリリス。
「それじゃあ、このとっても柔らかそうな胸からいただこうかしら」
「い、いやぁ…」
子どものように首を振る玲奈に、にやりと笑いかけ。

ツプリ!

「あああぁああああああッッ!!!」

乳房の先端、形よく上向いたそこに、瞬間、電撃が走った。
意識が飛び、体が突っ張る。一瞬で頂点に達した玲奈の精神を、さらなる快感が襲う。

ちゅうっ、ちゅる、ちゅぷ、ちゅぱっ

牙の貫いた痕を舌が舐め回し、乳首ごと吸い上げる。
けれど、そんな物理的な快感は、玲奈の感じているそれの表層にしかすぎなかった。
(私の、心が、吸われてる……!!)
与えられる快感、羞恥、そして絶望までもが、傷口から全て流れ出るような感覚。快感が嵐となって体を駆けめぐり、玲奈はそれに翻弄されるばかりだ。抵抗することなど、思いもよらない。
「ひあ、あう、うぅん!」
無意識に、リリスの頭を抱え込み、胸へと押しつける。
「んむうっ…ンフ」
豊満な胸に押しつけられたリリスは、一瞬たじろいだものの、さらに強く玲奈の血を、魂を吸い上げていく。
(あ、あああああ…)
見開いたその目に、人形のような娘が映る。
(みゆ、う…)
ほんのわずかの間。玲奈の脳裏に、なにかがよぎる。
だが、それも意識すらできない瞬きのあいだのこと。すぐに快感の濁流が押し寄せ、玲奈はただ叫ぶ。
「あ、あああぁぁぁぁぁ! あひぁああああああ!!」
もう一度、高みが近づくのがわかる。
牙に貫かれた絶頂とは本質的に異なることを、玲奈は魂で感じる。
人形となる限界を過ぎて血を吸い尽くされた者がたどりつくのは、完全なる死。
(私…吸い尽くされる…ぜんぶ、なくなる…)
永久の虚無に、近づいていく。
(これで…らくに…なれる…)
だが。
「これでは、まだ不足、だわ…」
「え……?」
乳房を思うまま陵辱していた唇が、離れる。
血の止まった傷痕に、夜の冷たい空気が凍みた。
「どうして…」
憤りが、胸の中に渦巻く。どうして、リリスは吸血をやめたのだ? なぜ、吸い尽くしてくれない?
「チャンスをあげる…私に、吸われたい?」
「私、は…」
曇っていた頭が、なんとか立ち直ろうとする。
吸血姫に対する怒り。
そうだ。それはまだ、彼女の奴隷になりきっていないということ。
けれど、体に刻まれた刻印が、胸の傷痕が、うずいて、求めてしまうのだ。
その葛藤を見て取ったのだろう。リリスがまた、意地の悪い笑みを浮かべる。
「チャンスをあげる、と言ったのよ? 私が反則で勝った、そのお詫びに…さあ、もう一度戦うと言いなさい。そうすれば、今夜は見逃してあげる。もういちど、あの凛々しい玲奈に戻って、私を滅ぼしに来るの」
「あ…」
息を呑む。無表情な美優を見上げ、そしてもう一度リリスの顔を。
「迷う必要なんて、ないでしょう? 7年間、あんなに求めてきた美優を、あきらめるなんてできない」
それが当然よね。
リリスの言葉に、けれど、一度折れてしまった心は、もとの強さを取り戻してはくれない。
「あ、ああ、あ…」
戦う、というその一言が、どうしても口から出てくれない。
「それとも、私に血を吸われて、下僕になるというの? 私の首まで切り落として見せたのに、なんてこと!!」
大仰なため息をつき、さげすむような目で玲奈を見下ろす。
「そうよね、あなたは…」
その手が、再び玲奈の胸へ伸びた。
「欲しいのよね、私の牙が。我慢できないんでしょう? 私に何もかも吸い上げられて、真っ白になってしまいたいんでしょう?」
リリスの白魚のような指が、玲奈の二つの傷を撫で上げる。
「ひううぅッ!! あ、あぁ、はひぃンッ!!」
彼女の指が傷を弄ぶように触れるたび、玲奈はあられもない声を上げ、悶絶する。
だがその行為は、決して玲奈の望む絶頂をもたらしてはくれないのだ。
「ほうら、言っちゃいなさい。そうしたら、望みを叶えてあげる」
「そん、な…ンンッ!!」
それだけは、言えない。その最後の一線だけは。
弱々しく首を振る玲奈の態度に、リリスは苛立ちの表情を浮かべる。
「欲しいとも言えない、戦うとも言えない、そんな娘は嫌いよ!!」
リリスの指が傷口から離れ…
「ほら!!」
とがった爪の先が、傷口に突き立てられる。
「ああぁあああッ!!!」
グリグリグリッ!!
あまりの衝撃に、もう声も出ない。
「そんなによかった? でも、まだ足りないんでしょう?」
リリスの言葉の通りだった。
彼女に血を吸われたい、もう一度あの快感を味わいたい、という欲望は、溢れ出す泉のごとく、とどまることを知らない。
「も、もうやめてぇ……」
弱々しい声で、懇願する。
「こ、こんなことを続けられたら、狂ってしまう…」
「そうねえ、狂ってしまったら、元も子もないわね」
リリスが耳元で囁く。
「じゃあ、やめてしまいましょうか」

「いやッ!」

口をついて出た否定の言葉。それに気がつき、玲奈は信じられない思いで口を押さえる。
いま、私はなんと言った?
「フフ、とうとう本音を言ってくれたわね」
「ち、ちがう…今のは、違うの…」
「いいえ、違わないわ」
リリスが、断言する。
「あなたはもう、救いようもないほど堕落してしまったの。血を吸われる快楽を求めずにはいられない、はしたないメス犬になってしまったのよ」
リリスの言葉が、欲望と戦い続け、麻痺しかけた頭に染みこんでいく。
「メス、いぬ…」
「そう、メス犬。ほら、言ってご覧なさい。あなたは、メス犬」
「わ、わたしは、メス、犬…」
ああ、と玲奈は息をつく。自分の中で必死に保ってきたものが、音もなく崩れていくのを感じる。
全てが、終わった。もう、抵抗することはできない。
「さあ、メス犬のあなたは、どうして欲しいのかしら?」
「ほ、ほしい、です…」
うーん、とリリスはわざとらしく腕組みをした。
「それだけじゃ、なにが欲しいのかわからないわよ」
「吸って、ほしいの…私の血を、吸ってほしい…」
「あら」にやり、と、吸血姫が嗤う。
「人にものを頼むときには、それなりの言い方があると思うんだけど?」
「あ、あ、あぁ…」
頭の中が、ぐるぐると回っているような感覚。自らの被虐的な資質を引きずり出され、玲奈は必死に言葉を探す。
「あ、あぁ、リリ、ス、さまぁ…わたしの、ご主人さまぁ…」
服従を告げる、その言葉。それがきっかけとなり、堰を切ったように言葉が溢れていく。
「お、お願いします、ご主人さまッ!! どうかこのいやらしいメス犬の首に牙をたてて、じゅるじゅるって、音を立てて吸って! このはしたない下僕の魂を、吸い尽くしてぇ!!」
「フフフ、よくできました♪」
その言葉と同時に、リリスが首筋に顔を寄せる。
「ああッ!」
ようやく、望んできたものが与えられる。玲奈の心は、被虐的な歓喜に包まれる。
「さあ、思う存分味わいなさい♪ 人間としての、最後の快楽を♪♪」

かぷッ!!

「あひぃぃィいい!!」
待ち望んだ感覚が、玲奈に襲いかかり、彼女は一瞬で頂点へと押し上げられる。
「ああ、これ、これが欲しかったのおぉぉ!!」
叫び声が、口からほとばしる。今の彼女は、リリスに宣言して見せたとおりの、発情した犬だった。
魂まで犯され、蹂躙されていく感覚が、どうしようもない快楽となって押し寄せる。
けれど、今回はそれだけでは終わらない。
「ああッ、なにこれ、なにこれぇ!!」
違和感に、顔を覆う。
魂を奪われる快感。そればかりではなく、どす黒い何かが、自分の中に注ぎ込まれていく……
『そう、あなたはこれから、私の眷属になるの♪』
首筋に吸い付いているはずの、リリスの声が聞こえる。
『気持ちいいでしょう? 魂を蕩かして、吸血鬼へ変わっていくのは』
『はい、はいぃい!! コレ、すごいッ!! さっきのよりずっとイイ!! あはぁ♪ リリスさまぁ、すごい、すごいですぅ!!』
もはや、玲奈の言葉は口から発せられてはいない。リリスの牙を通して、玲奈はリリスを感じ、その欲望を感じる。吸われていると同時に吸っている。もはや自分が玲奈であるのか、それともリリスであるのかもわからない。
ただ感じるのは、快楽だけ…


…どれほどの長い時を、そうしていたのだろう。
リリスがそっと唇を離したのに気がついて、玲奈は我に返った。
あるじの顔を見上げると、彼女は満足げに微笑んで言った。
「とってもステキな抱擁だったわ♪」
それだけで、玲奈の心には至福が訪れる。
「ああ、お褒めいただいて、光栄です」
うっとりとした声を上げる玲奈。彼女はもはや、心の底からリリスに忠誠を誓う奴隷と化していた。
リリスが命じるなら、自らの命を絶つことだって少しも惜しくはない。
かつてのハンター仲間を売ることだって、目の前にいる妹を殺すことだって、少しも躊躇せずやるつもりだった。
「フフ、さあ、あなたがどうなったのか見せてあげる」
リリスの指がつ、と虚空に印を描く。と、ベッドの横に巨大な姿見が出現する。
「ほら、見てご覧なさい」
促され、姿見の前に立つ。背後のリリスが、玲奈の唇に触れ、潜り込む。
「ほら♪」
「あ…」
玲奈の唇からはみ出した白いもの。
長く伸びた犬歯が、そこにはあった。
「これ、は…」
「あなたは、吸血鬼になってしまったの」
リリスの宣言に、もう一度姿見を見る。自らに生えた牙。人間の血を啜り、あるいは同族としての祝福を与えるための器官。
『ああ、私はもう、人ではなくなったのね…』
かつての人間だった玲奈の最後の良心が、絶望の声を上げる。しかしそれすらも、今の彼女にとって、リリスのために生まれ変わったという恍惚のスパイスに過ぎない。
その恍惚の赴くままに、玲奈はリリスの足下に跪く。
「リリス様、私のようなものに祝福をお与えいただき、感謝の言葉もございません」
「そんなに堅苦しくしなくてもいいのよ」
言いながら、リリスは玲奈を立ち上がらせる。
「それに、まだ最後の仕上げが残っているもの」
「さいごの、仕上げ…?」
「そうねぇ、あなたがあんまり可愛くなっちゃったから、ひとつだけサービスしてあげる」
リリスは言いながら、自らの指を、つ、と咬んだ。
「あ…」
声を上げたのは玲奈。彼女に見せびらかすように、リリスは自ら傷つけた人差し指を差し出して見せる。
その玉のような肌に、ぷっくりと脹れていく血の玉。
「あ、あ、ああ…」
吸いたい。
玲奈の心に、凶暴な本能がわき上がる。
吸いたい。
主の高貴な血を口に含み、存分に味わいたい。その美しい指に吸い付き、はしたなく舐めしゃぶりたい…!
「ダメよ」
ビクンッ!!
主の命令に、玲奈は体を震わせた。
「そう、そのまま、じっとしていなさい」
血の玉をのせた指が、玲奈の唇に触れる。血のにおいがすぐそばに感じられ、それが彼女の興奮はますます高めていく。
頭の中を、吸いたい、というただひとつの言葉が嵐となって暴れ回る。
唇の上を、主の血がゆっくりと塗り広げられていく。
吸いたい、吸イタイ、スイタイ……!!
永遠に思える時間が過ぎていく。
そうしてついに。
「終わったわ。よく我慢したわね」
リリスの素っ気ない言葉のなかには、紛れもないいたわりの感情が含まれている。
それを感じ、玲奈は天にも昇るような幸福感に包まれた。
ああ、リリス様。私の愛しい、ご主人さま……!!
「さあ、見て。私の血で彩られた、あなたの唇を」
促され、鏡を見る。
その唇は鮮血の赤で彩られ、血の気を失った白い肌と相まって、幻想的な美しさを与えている。
「ああぁ、すごい、すごいぃ…」
玲奈はうなされるように呟き、悪の紅の乗った唇をなめあげる。
だがその魔性のルージュは色あせるどころか、ますます妖しげに輝くのだ。


「さあ、もう理解できるのではなくて?」
主が言う。
「あなたが真にわたしのしもべになるための、最後の一歩」
「真の、しもべ…?」
「今のあなたにはわかるはずよ。あなたがどうあるべきか」


あるじの指さす、鏡の中の女。
その女が、誘っている。こっちへ来なさい、と。
ふらふらと、玲奈は鏡に近づいていく。鏡の右手と、自分の左手を合わせ、そして互いの頬をよせる。
もっと。鏡の中の女が、そう呟く。もっと。もっと淫らに、もっと美しく! 主が満足するまで、主の求める狩人として、最高にふさわしい女に成りはてるまで!!
そう! 狩人だ!!
天啓のようにわき上がった思いに、彼女は体を震わせた。

主に代わって、男を絡め取り、女を魅了する狩人。主の所望する獲物を、世界の果てまでも駆り立てる存在。

鏡の中の自分を見る。全てを理解し、そして同じ理解に至った自分を祝福するように、笑みを浮かべている。
さあ、どうすればいいのか、わかるでしょう?
こくり、と。
玲奈はうなずき、
「はあ、ン…はあぁぅん」
さらに深まる官能のなか、彼女は蠢く。
鏡に触れていた手が、自らの胸へと向かう。リリスによって刻印を穿たれた、その場所を揉みしだく。
「あぁッ、ンン!!」
腰をくねらせながら、太腿、腰、胸、首、となで上げた腕が、さらに髪を掻きあげた。天に突き上げたその腕を、仰ぎ見る。簡素な手入れがされただけの爪。
そう、この爪は、もっと艶やかであるべき。
左手に唇を近づけ、その爪にそっとキスをする。

んむん、んちゅ、ちゅぱっ……

主に祝福された唇が爪に触れるたび、その紅が爪に移り、艶めかしい光を帯びていく。
左手が終わると、次は右手。
ほどなく、獲物を絡め取り、捕らえるための器官ができあがった。
仕上がった指先をうっとりと眺め、彼女は恍惚のため息を漏らす。
次は衣装。主に仕え、与えられた役目を果たすためのそれ。
必要なのは、見るものを魅了し、目を離すことすらできなくなる、そんな装いだ。
念じると、夜の闇が凝縮し、霧となって彼女の体にまとわりつく。それが形となって、彼女の妖しく輝く体を包み込む。
体を包むのは、ボディラインを浮き上がらせる黒のロングドレス。サテンの光沢が見るものを惑わし、深く切れ込んだスリットからは、ぬめるような輝きを放つ脚がのぞく。胸元と背中は大胆に開いていて、アップにまとめられた髪型とともに、玲奈のしなやかな上半身を惜しげもなく露出させている。その魅惑的な視線や胸はもちろん、うなじから肩、そして背中へと至るラインすら、人間たちを惹きつけ、欲情をかき立てる。
--これで、いかがでしょうか?
玲奈は胸の内に問いかける。

自らと溶けあったリリスの魂が、是、と応えを返し。

「あ、あ、あああぁあッ!!!!!」

刺激を与えられたわけでも、吸血されたわけでもない。
それでも。
彼女はその瞬間、人生で最高の絶頂を迎えたのだった。


「あ、あぁ…」
声が漏れる。
「やっと、わかったみたいね」
あるじの声がした。それはカンフル剤のように、玲奈の意識を急速に呼び戻す。
「ええ、はふぅ…もちろん、ですわ…」
やっとの思いで口にする。
ふふ、とリリスは笑う。それが嘲笑ではなく、思い通り作品ができあがった満足ゆえであることを、玲奈は感じる。
リリスの喜び、悲しみ、怒り。彼女は今や、その全てを感じ、そしてそれを愛おしいと思う。
それが吸血され、眷属となるということ。
「生まれ変わったあなたに、プレゼントをあげる」
プレゼント。それが何を指すのか、すでに玲奈は理解していた。
ふたりは同時に、ベッドに視線を向ける。
その傍らに、無表情なまま立ちつくしているメイド。
「さあ、美優を、私たちの仲間に」
「ええ、ありがとうございます。美優を私のために残していただいて」
そう、美優は、まだ人間のまま。
玲奈の初めて抱擁する相手として、そして初めて、眷属の祝福を与える相手として、リリスは彼女を攫い、そして彼女の血を吸うだけで、眷属としての証を与えはしなかったのだ。
すべては、吸血姫の定めた運命のままに。
求め続けた妹を抱き寄せ、玲奈は彼女にキスをした。


「ふふ、リリス様の暗示のせいで、本当にお人形さんみたいね」」
ぼんやりとしたままの美優にささやきかける。
その細いあごに手をかけ、魅了の力をこめた視線を、美優の瞳に送り込む。
「あ…」
美優の瞳がわずかに揺れ、
「おねえ、ちゃん…?」
「そう、お姉ちゃんよ」
「…私、お姉ちゃんの部屋で…あれ? 夢を…リリス様が…」
頭が混乱しているのだろう。脈絡のない言葉を呟く美優を抱き、玲奈は言う。
「安心して…これからは、ずうっと一緒にいてあげるから」
「ずうっと…」
「そう、ずうっと。永遠に一緒にいられるの…リリス様の眷属として、本当にふさわしい姿に、私が作り替えてあげるわ…」
玲奈の瞳が、輝きを増すと、少しづつ、美優の息が乱れてくる。玲奈の魅了の魔力に刺激され、彼女は荒い息を吐く。
「ああ、美優、可愛い私の妹…」
「ふむぅッ!」
唇を奪い、そのままベッドに倒れ込む。
「これから、お姉ちゃんと気持ちよくなるの。そうしてその快楽の中で、美優は生まれ変わるのよ…」
あやすように言いながら、美優のスカートをペチコートごとまくりあげる。
「ああ…おねえちゃぁん…」
するり、と股のあいだに手を差し込み、恥ずかしさに閉じようとする脚を開かせる
リボンに縁取られた白のオーバーニーソックスの、さらにその奥。フリルに彩られた、可愛らしいパンティーがあらわになる。
「ふふ…可愛い下着ね…リリス様に選んでいただいたのかしら」
スカート越しに聞くと、美優は口元に手をあてたまま、こくり、とうなずく。
「じゃあ、まずはあなたを味あわせて」
フリルの間で輝く白い太腿に、ちゅ、と口づけたかと思うと、そのまま牙を立てて吸い付く。
「あッ、ああッ!!」
5年間、求め続けた妹。その魂が、流れ込んでくる。
リリスの暗示によって与えられた、絶えず吸血されることを求める心と、下僕として決して自分から請うことをしない忠実さ。相反した魂は、一口啜るだけでもわかる芳醇な味を持っていた。

ちゅる、ちゅるぅ、ちゅるるぅっ…

「あ、ああ!! おねぇちゃん、いいッ! 気持ちいいよぅ!!」
あられもない声をあげる。だがこれはまだ、これから巻き起こる快感のための前奏にすぎない。
「あらあら、はしたない娘に育っちゃったのね」
玲奈は顔を上げ、にやりと笑う。体勢を変え、快感にふるえる妹の体にのしかかる。
「せっかく美優を眷属に迎えるのだもの。やっぱり、ここを啜らないとね」
美優の耳にささやきかける。と同時に、玲奈の赤くぬらぬらと光る爪が、美優の耳の付け根に触れ、首筋に沿ってゆっくりと降りていく。
「ひぁ、はう、ああっ」
衿袖を止めているボタンを、爪でぷつり、とはずす。
「とってもきれいよ、美優…」
露わになった美優の白い首筋に、うっとりとした言葉を漏らす玲奈。
「はずかしい、よぅ…おねぇちゃぁん…」
言いながらも、美優の目は期待に染まっている。
「ふふ、期待してるのね? この牙で、早く魂を犯してほしいって、そう思ってるのね?」
はだけた美優の肩にキスを、それから深紅の唇が、少しづつ首筋へと上っていく。
「はぁ、あ! あァッ!」
「いいわ、今からあなたを、夜の眷属に変えてあげる」
宣言して。
彼女は、妹の細い首筋へと牙を突き立てた。
美優の雪のような柔肌が一瞬、抵抗し、

つぷりッ!!

「か、はぁッ!!」
美優が口をぱくぱくと動かす。筋肉が緊張するのが、吸い付いた唇越しに感じられる。
『さあ、これからが本番……!』
リリスに植え付けられた、吸血鬼の本性を解放する。自分の中にある欲望。血を啜り、魂を啜り、人間達を堕落させる。その欲望を、牙を通じてつながった愛しい妹へ注ぎ込んでいく。
リリスに同族にされたときに感じた、他者の魂と一つになっていく感覚。吸われていることで、美優が感じている果てのない快楽を感じる。そして自らの、同族を生み出す歓喜。それが美優の中へ伝えられ、今度は美優が感じる快楽が増幅され、またそれを感じる。
『なんて、すてきなの…!!』
リリスとの交わりのときと違うのは、抱擁の快感に対する耐性。人間であった頃よりも、快感に対する許容量が大きいだけ、今の玲奈の方が余裕を残していた。
その余裕を使って、もはや形をなくし、どろどろになった美優の魂を、吸血鬼としてのそれに整えていく。
吸血鬼として生まれ変わるそのとき、玲奈はリリスの猟犬であることを、魂の核として選んだ。そうであるよう、主に導かれたのだ
『けれど、美優は私とは、まったく違った存在にならなければいけないわ…』
それがリリスの望みであること、そしておそらくは、これから自分がどんな欲望を持って妹の魂を形作るのか、それすらも主は承知の上だと言うことを、彼女は吸血鬼の本能で理解する。
『そう、あなたは私の可愛い妹。とっても無邪気で、それでいて魅惑的な小悪魔』
気絶することも許されず、絶頂を続ける美優の表情。その口が、おねえちゃん、と動く。
『そうよ。あなたはこれから永遠に、私に甘えていいの』
彼女の魂が、終わりのない快楽の出口を見つけ、そこへ向かって昇っていくのを感じる。人間でない存在として、生まれ変わる瞬間が近いのがわかる。
『いいわよ! そのまま、昇りつめるの!!』
玲奈自身も、もはや限界に達しようとしていた。快感に震える、美優の体をしっかりと抱きしめる。
そして。
「!!!!」
声にならない叫びをあげ、最後の頂点に達する二人。
ぐったりと倒れ込む二人を、リリスは満足げに見守っていた。


魂を失ったかのように、呆然と宙を見上げている美優。
その体をゆっくりと抱き起こし、玲奈は彼女の唇にキスをする。
「さあ、立ちなさい。私の可愛いお姫さま…」
玲奈が促すと、美優は彼女に言われれるままに立ち上がる。
乱れたメイド服もそのままに、彼女は立ちつくす。まるで次の命令を待つかのように。
「あら、美優。まだわからないの? あなたはリリス様のご命令に従うだけの存在ではなくなったの」
玲奈は彼女の耳元に囁きながら、そのうなじをなであげる。
美優の髪留めをはずすと、色素の薄い髪がふわ、っと広がった。
「あなたはこれから、本能の命じるままに生きるの。そうすることで、私たちの愛しいご主人さまを喜ばせるのよ」
ふうっ、と耳に息を吹きかけると、ぴく、と美優の体が動いた。
「だから、それにふさわしい衣装をあげる」
言いながら、玲奈は紅に彩られた爪を妖しく蠢かせた。夜の冷気がかき乱され、そこからにじみ出すように、黒い霧が現れる。
黒い霧に触れたメイド服は、それに同化して消えていく。そして霧は、美優の周囲を品定めするかのように漂った。
美優の幼さの残る体を、霧が包んでいく。
恍惚とした表情で、霧に呑まれていく美優。
その様子を、期待のこもった目で見守るリリスと玲奈。
「さあ、新しい姿を見せてちょうだい」
霧が晴れたとき、そこには、リリスの現実離れした美しさとも、玲奈の豊満で妖艶な美しさとも違う魅力を身につけた少女が立っていた。
編み上げとフリルで飾り付けられた赤のミニドレスに、レースのついた黒のオーバーニーソックス。スカートは大きく広がり、下から白のパニエがのぞく。
ウェーブのかかった髪は高い位置で二つ結びにまとめられ、まぶたにのせられたほのかなアイシャドーが小悪魔的な魅力を醸し出す。今の美優の姿は、先ほどまでの、抑制されたメイドの衣装から、一気に羽化して見せたかのような印象を与えた。
「ほら、鏡で見てごらんなさい?」
玲奈が指し示した姿見。
玲奈が痴態を晒したその鏡の前に映る自らの姿。それを見ているうちに、虚ろだった瞳が、みるみるうちに生気を取り戻していく。
「……ぁ、あ」
ふるふる、と首をふるわせたかと思うと、にっこりと微笑む。
「お姉ちゃん、このドレス、とってもすてき♪」
黄色い声を上げ、鏡に飛びつく美優。その声は、先ほどまでの無感情なメイドとは思えないほど感情豊かだ。
彼女はくるくると色々な表情をしてみせながら、鏡の前で様々なポーズをとってみせる。
その姿は、まるで好奇心旺盛な子猫のようだ。
「リリス様、お姉ちゃん、ほら、見て♪」
ぱっと振り返ると、ドレスの裾をつまんで、バレリーナのようにお辞儀してみせる。
今の彼女は、年相応の、可愛いモノに目がない少女そのもの。
だが、同じ吸血鬼である二人は、そのあどけないとすら思える笑顔に、そして自由奔放な振る舞いに、美優が忍ばせた魅了の魔力を感じ取っていた。
玲奈が猟犬であるならば、美優は猫。
その一見してほほえましさを感じる仕草は、知らぬうちに見るものを魅了し、心を奪ってしまう。
そうして心を奪われた相手は、自ら彼女の奴隷となっていくのだ。
「美優、今のあなたは、前よりもずっと魅力的よ」
リリスが美優の頭をなでて、ささやきかける。
「どんな人間も、たちまち虜になってしまうくらいに、ね」
「あン、リリスさまぁ、嬉しい♪」
美優が満面の笑顔を返す。彼女の巧妙に隠された、妖艶なる本性が、一瞬だけ表面に浮かんだ。
だがそれも瞬きするほどのあいだのこと。
彼女はすぐに、無邪気な自分の影にそれを隠した。
「ねえ、リリスさまぁ、私喉が渇いちゃった」
「美優ったら、吸血鬼になったばかりなのに、もうそんなに欲しくなってしまったの? しょうがない娘なんだから」
言いながら、玲奈は目を細める。妹が自分の手によって、立派な吸血鬼になった。これほど喜ばしいことはない。
「お姉ちゃんは私の血を吸ったから、平気だよね。でも私はずうっとリリス様とお姉ちゃんが抱擁するのを見てるだけで、ほったらかしだったんだよ? 私もごほうびがほしいよぉ」
だだをこねるように、唇をとがらせる。
「心配しなくて良いわよ」
なだめるように、リリスが言った。
「あなたたちが吸血鬼になれたお祝いをしようと思っていたの。それも、思いきり派手に、ね」
その言葉に、美優も、そして玲奈も目を輝かせた。
「そう、その前に、もう一つだけ」
リリスが指を振り、ふうっ、と息を吐く。と、その息が黒い霧となって姉妹にまとわりつき、
「うわあ、かっこいい!!」
「すてき…リリス様、ありがとうございます」
裏地の深紅に染まった、黒のサテンマントが、ふたりを包んでいた。
「やっぱりこれがなくてはね」
リリスは満足したように言い、宣言する。
「さあ、今宵、全ての人間は私たちの奴隷。好きなだけ血を啜り、好きなだけ堕落させるの。良いわね?」
吸血鬼と化した姉妹は、血の饗宴を予感し、恍惚とした表情でうなずく。
彼女たちの夜はまだ、はじまったばかりだ。


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