「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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▼▼▼ いま国民必見のビデオ▼▼▼
★水間条項TV https://tinyurl.com/rvez6uw
★「ひとりがたり馬渕睦夫」#44 https://tinyurl.com/y9dodhls
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《 いま注目の論点 》
★中国に対抗 自由主義守れ――黒瀬悦成さん
★中国の火事場泥棒許すな――産経新聞
★主権認識に挑戦する「不正検定」――小堀桂一郎さん
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そう、ハリウッドの名のもとでプロパガンダを堂々とやるわけですよ、だからといって映画は好きだから、私は別にそれを見るなと責める気はさらさらないけれど、ハリウッドが、誰のどんな思想を体しているかということをよく考えなければいけないでしょう。それを知った上で鑑賞して笑ったり泣いたりするのはいいんだけれども、何も知らずに勝手に洗脳されてはならないと思いますね。
[ 馬淵睦夫さん ]
◆映画『沈黙』は反日プロパガンダの一環
『洗脳支配の正体』
【 高山正之&馬淵睦夫、ビジネス社 (2017/4/21)、p198 】
【高山】 第3章でキリシタンについて話しましたが、マーティン・スコセッシという映画監督が遠藤周作の『沈黙』を映画化して、2017年の1月上旬から上映されています。
彼はクリスチャンだから伝説どおりに映画化したのでしょうが、日本人の異端市民というのは唯一「踏み絵」という究極の選択によって裁かれたわけで、この映画では「踏み絵」を踏んだ人間を「転ぶ」という言葉をたびたび使って、神を裏切った者として描いています。
ではキリスト教国家はどうしたかというと、異端市民に18リットルもの水を飲ませたり、焼けた鉄の靴を履かせたり、親指をペンチでつぶしたり、さんざんなことをやって異端市民を迫害していたわけでしょう。転ばなければ皆殺してしまった。一方、日本の場合はというと、「踏み絵」を踏みなさい、踏んだら許しますよとしていたわけですから、こんな心優しい国を、よくもお前らは醜く描いてくれたものだと腹が立つ。
たとえば、スコセッシはキリシタン迫害に蓑(みの)を着せて火をつけてあぶり殺すという「蓑踊り」をやらせるシーンを入れている。司馬遼太郎も『街道を行く』の中でそれをやったといわれる天草の松倉重正(まつくらしげまさ)を「日本の歴史の中で彼以上の悪人はいない」みたいに書いている。しかし、日本側の資料にそんなことは出ていない。そういう残虐なことをやったと触れ歩いているのはオランダ人とポルトガル人ですよ。
これを世界史のなかで見ると、蓑踊りが出てくる半世紀前に、ラスカサスが「インディオの破壊に関する簡潔な報告」を出していて欧州ではベストセラーになっていた。そのなかに「インディオに藁(わら)をくくりつけて火をつける」描写がある。つまり、キリシタンを野蛮のなんのと非難して追い出した日本人を何とか悪く言いたいと、ラスカサスの話を日本のことにして、日本もスペイン人以上に残虐だと宣伝した可能性がある。そういうところをきちんと精査もしないで「日本残虐」とやるスコセッシはGHQの「War Guilt Information Program(WGIP)」と同じ、デマとみたほうがいい。彼ら白人キリスト教団がやったジョルダーノ・ブルーノ焚殺(ふんさつ)の方がはるかに残虐です。
映画だとはいえ、許せない問題です。
【馬淵】 それは、反日プロパガンダの一環でしょう。私はまだその映画見ていないので論評しづらいけれど、お聞きしているような感じで日本を酷く描くことが映画の目的だとすれば、おそらく遠藤周作の原作の意味をまったく誤解しているんですよ。
映画評論家でもない私が言うのもおかしな話ですが、遠藤周作は、実は「踏み絵」を踏んでもいいんじゃないかと言っているんです。「踏み絵」を踏むことがなぜその信仰の放棄になるのか、そんなにイエス様は厳しい人なのか、そうじゃないでしょう。「踏み絵」を踏んだって許してくれるんじゃないの、ということだと思いますよね。
【高山】 要するに、「転んで」もいいと……。
【馬淵】 そう「転んで」もいいわけで、実はロシア正教がそうなんですよ。だからこそロシア正教は共産主義のもとでも生き延びられたんですが、あれが面従腹背(うわべだけ上の者に従うように見せていて、内心では従わないこと)でだめだということだったら残らなかったでしょうね。
遠藤周作はカトリックですが、もしロシア正教を知っていたら、おそらくカトリックの問題点をもっと鋭く描くことができたんじゃないかと思うんです。
新興宗教によっては、教義に非常に厳しく、少しでも違反すれば破門だとかお前は地獄に行くなどと信者を非難するケースがあります。しかし、神というものが存在するならば、神が説く愛というのは本来そんな偏狭なものではないはずなんですよ。
私は、遠藤周作にはそういう素朴な疑問があって、最後に彼は仏教徒になったんじゃないかと勝手に思っているけれど、『深い河』という小説の最後、5人の主人公がガンジス川と向き合うシーンにはそれを感じさせるところがあります。いずれにせよ小説、戯曲、演劇等々、日本を貶めようとする勢力はあらゆるものを利用するんです。
【高山】 デヴィッド・リーン監督の「戦場にかける橋」もそうですね。
【馬淵】 そう、ハリウッドの名のもとでプロパガンダを堂々とやるわけですよ、だからといって映画は好きだから、私は別にそれを見るなと責める気はさらさらないけれど、ハリウッドが、誰のどんな思想を体しているかということをよく考えなければいけないでしょう。それを知った上で鑑賞して笑ったり泣いたりするのはいいんだけれども、何も知らずに勝手に洗脳されてはならないと思いますね。
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
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《 いま注目の論点 》
★中国に対抗 自由主義守れ――黒瀬悦成さん
★中国の火事場泥棒許すな――産経新聞
★主権認識に挑戦する「不正検定」――小堀桂一郎さん
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そう、ハリウッドの名のもとでプロパガンダを堂々とやるわけですよ、だからといって映画は好きだから、私は別にそれを見るなと責める気はさらさらないけれど、ハリウッドが、誰のどんな思想を体しているかということをよく考えなければいけないでしょう。それを知った上で鑑賞して笑ったり泣いたりするのはいいんだけれども、何も知らずに勝手に洗脳されてはならないと思いますね。
[ 馬淵睦夫さん ]
◆映画『沈黙』は反日プロパガンダの一環
『洗脳支配の正体』
【 高山正之&馬淵睦夫、ビジネス社 (2017/4/21)、p198 】
【高山】 第3章でキリシタンについて話しましたが、マーティン・スコセッシという映画監督が遠藤周作の『沈黙』を映画化して、2017年の1月上旬から上映されています。
彼はクリスチャンだから伝説どおりに映画化したのでしょうが、日本人の異端市民というのは唯一「踏み絵」という究極の選択によって裁かれたわけで、この映画では「踏み絵」を踏んだ人間を「転ぶ」という言葉をたびたび使って、神を裏切った者として描いています。
ではキリスト教国家はどうしたかというと、異端市民に18リットルもの水を飲ませたり、焼けた鉄の靴を履かせたり、親指をペンチでつぶしたり、さんざんなことをやって異端市民を迫害していたわけでしょう。転ばなければ皆殺してしまった。一方、日本の場合はというと、「踏み絵」を踏みなさい、踏んだら許しますよとしていたわけですから、こんな心優しい国を、よくもお前らは醜く描いてくれたものだと腹が立つ。
たとえば、スコセッシはキリシタン迫害に蓑(みの)を着せて火をつけてあぶり殺すという「蓑踊り」をやらせるシーンを入れている。司馬遼太郎も『街道を行く』の中でそれをやったといわれる天草の松倉重正(まつくらしげまさ)を「日本の歴史の中で彼以上の悪人はいない」みたいに書いている。しかし、日本側の資料にそんなことは出ていない。そういう残虐なことをやったと触れ歩いているのはオランダ人とポルトガル人ですよ。
これを世界史のなかで見ると、蓑踊りが出てくる半世紀前に、ラスカサスが「インディオの破壊に関する簡潔な報告」を出していて欧州ではベストセラーになっていた。そのなかに「インディオに藁(わら)をくくりつけて火をつける」描写がある。つまり、キリシタンを野蛮のなんのと非難して追い出した日本人を何とか悪く言いたいと、ラスカサスの話を日本のことにして、日本もスペイン人以上に残虐だと宣伝した可能性がある。そういうところをきちんと精査もしないで「日本残虐」とやるスコセッシはGHQの「War Guilt Information Program(WGIP)」と同じ、デマとみたほうがいい。彼ら白人キリスト教団がやったジョルダーノ・ブルーノ焚殺(ふんさつ)の方がはるかに残虐です。
映画だとはいえ、許せない問題です。
【馬淵】 それは、反日プロパガンダの一環でしょう。私はまだその映画見ていないので論評しづらいけれど、お聞きしているような感じで日本を酷く描くことが映画の目的だとすれば、おそらく遠藤周作の原作の意味をまったく誤解しているんですよ。
映画評論家でもない私が言うのもおかしな話ですが、遠藤周作は、実は「踏み絵」を踏んでもいいんじゃないかと言っているんです。「踏み絵」を踏むことがなぜその信仰の放棄になるのか、そんなにイエス様は厳しい人なのか、そうじゃないでしょう。「踏み絵」を踏んだって許してくれるんじゃないの、ということだと思いますよね。
【高山】 要するに、「転んで」もいいと……。
【馬淵】 そう「転んで」もいいわけで、実はロシア正教がそうなんですよ。だからこそロシア正教は共産主義のもとでも生き延びられたんですが、あれが面従腹背(うわべだけ上の者に従うように見せていて、内心では従わないこと)でだめだということだったら残らなかったでしょうね。
遠藤周作はカトリックですが、もしロシア正教を知っていたら、おそらくカトリックの問題点をもっと鋭く描くことができたんじゃないかと思うんです。
新興宗教によっては、教義に非常に厳しく、少しでも違反すれば破門だとかお前は地獄に行くなどと信者を非難するケースがあります。しかし、神というものが存在するならば、神が説く愛というのは本来そんな偏狭なものではないはずなんですよ。
私は、遠藤周作にはそういう素朴な疑問があって、最後に彼は仏教徒になったんじゃないかと勝手に思っているけれど、『深い河』という小説の最後、5人の主人公がガンジス川と向き合うシーンにはそれを感じさせるところがあります。いずれにせよ小説、戯曲、演劇等々、日本を貶めようとする勢力はあらゆるものを利用するんです。
【高山】 デヴィッド・リーン監督の「戦場にかける橋」もそうですね。
【馬淵】 そう、ハリウッドの名のもとでプロパガンダを堂々とやるわけですよ、だからといって映画は好きだから、私は別にそれを見るなと責める気はさらさらないけれど、ハリウッドが、誰のどんな思想を体しているかということをよく考えなければいけないでしょう。それを知った上で鑑賞して笑ったり泣いたりするのはいいんだけれども、何も知らずに勝手に洗脳されてはならないと思いますね。